服部正也『ルワンダ中央銀行総裁日記』ISBN:4121002903

本書はIMF招請を受け、日銀から派遣、ルワンダ中央銀行総裁に着任した著者の現地での苦闘を綴った記録である。
まず断っておきたい。以下で触れる箇所はジェノサイド関連の内容に終始するが、本書の主な内容はなによりもまず服部の中央銀行総裁としての活動であり、ルワンダの政治的状況や歴史はごく簡単に触れられるに過ぎない。また、ルワンダ人自身の話に注意深く耳を傾け、ルワンダ国民の発展を目指して政策を決定していく過程には服部の知性と誠実さが滲み出ており、以下の偏った記述はこの本の価値と魅力をほとんど伝えていない。
著者の総裁としての就任期間は1965年から1971年。ルワンダの歴史でいえばフツ革命(1961)とハビャリマナのクーデター(1973)の間に挟まれた時期になる。この前後のルワンダの歴史を簡単に述べる。

少数派のツチ族はベルギーによる植民地支配の時期に特権階級として据えられ、多数派のフツ族を支配していた。だが第二次世界大戦後の植民地解放ラッシュによって、ルワンダの政治体制の変化は避けがたくなった。国連の信託統治下に置かれたルワンダでは、ベルギーの指導のもとにツチ族支配を緩和するいくつかの改革がなされ、フツ族は希望を抱き政治闘争を活発化した。最終的にフツ族の中で優勢を占めたのは平等を求める穏健派ではなく、支配体制の逆転を望むフツ解放運動党(PARMEHUTU)のグレゴワール・カイバンダ一派だった。彼らは「民主主義」を擁護した。民主主義体制になれば、多数派であるフツ族が勝利することは確実だと考えたためだった。
1959年11月、フツ族活動家が襲撃を受けたことがきっかけとなって大規模な暴動が発生し、ルワンダ全土に波及した。このときフツ族はのちのジェノサイドでも見られるような組織を作りあげ、数千人のフツ族を殺害した。数万のツチ族が家を追われ、国外に避難した。ベルギーはゆっくりと事態に介入し、治安を回復させた。さらにベルギーは地方当局の役人の半数をツチ族からフツ族へとすげ替えた。この新しいフツ族役人の手助けもあり、PARMEHUTUは1960年と1961年の選挙に易々と勝利し、カイバンダを長とする臨時政府が樹立した。次いで1961年の国民投票の結果、君主制が破棄されて共和制に移行し、PARMEHUTUの勝利を追認した。この一連の出来事をフツ革命と呼ぶ。だがこの革命は、国連の報告書によれば「1つの党による人種的独裁をもたらし」、ただ「独裁支配を独裁支配に取り替えただけ」だった。
亡命したツチ族らは1961年から何度かルワンダに攻撃を仕掛け、この種の襲撃は以降6年間10回繰り返された。国内に残っていたツチ族は攻撃のたびに共謀者として名指しされ、襲撃、略奪され、殺害された。亡命ツチ族ゲリラの大規模攻勢に対する反応として発生した1963年12月末から1964年の虐殺は特に凄惨であり、バートランド・ラッセルは「ナチによるユダヤ人の抹殺以降、我々が目にするもっとも恐ろしく組織的な虐殺」であると述べている。この期間に2万人のツチ族が殺害され、30万人が難民化した。
こうした状況のルワンダに服部が赴任するのである。
われわれは結末を知っている。この体制が最終的にどこに至るかを知っている。そこで服部のルワンダの記述の中にジェノサイドの芽を探そうとする。しかし、そうした期待は完璧に裏切られる。
たとえば『ジェノサイドの丘』ではツチ族に対する虐殺を指図することでようやく支持を得ている退屈な指導者として描かれていたカイバンダ。だが本書ではルワンダ人の福祉を願う英邁な大統領としてたち現れる。以下は大統領の発言の1つである。


 私は革命、独立以来、ただルワンダの山々に住んでいるルワンダ人の自由と幸福を願ってきたし、独立ルワンダにおいては、ルワンダの山々に住むルワンダ人が昨日より今日の生活が豊かになり、今日よりは明日の生活が豊かになる希望がもて、さらには自分よりも自分の子供が豊かな生活ができるという期待を持てるようにしたいと考えている。私の考えているルワンダ人とは官吏などキガリに住む一部の人ではない。ルワンダの山々に住むルワンダの大衆なのである。
大統領のほかの発言や政策上の判断も上の発言と一貫しており、単に調子のいい御題目を述べているだけではないと感じさせる。また蔵相ら、ほかの政府高官も総じて高潔な人柄をみせている。
また上記1963-64年の虐殺だが、服部の記述では「ルワンダ国内ではこの侵攻軍を手引したと思われる分子の粛清が行われ、多数の人が殺された」とそっけない。
ここで『ジェノサイドの丘』か『ルワンダ中央銀行総裁日記』のどちらが間違っているとかいう結論を出したいわけではない。カイバンダの発言中のルワンダ人がフツ族を指していると考えればそれほどの矛盾はない。ただ、ジェノサイドが起こったあとでルワンダ史を振り返れば、カイバンダ一派が独裁が目的の悪党の集まりであると考えることは自然で、まさに「そうであるべき」ことのように思える。だが服部が赴任した時点でのルワンダは、少数派独裁を覆した大衆革命を経て独立を成し遂げた国としての生き生きとした顔を見せている。本書を読み終えて思ったのは歴史を語ることの難しさと、服部とルワンダ人の国家建設への努力が輝かしいだけに強烈に感じるやるせなさだった。
(主に『ジェノサイドの丘』、"Season of Blood"、"Leave None to Tell the Story"を参照した。)