大口通商店街・あけぼの通り商店街②おもちゃ屋編
大口通商店街・あけぼの通り商店街に関するメモ書き②
玩具店にありそうな物扱っているお店を近隣含めまとめて。
■おまけや玩具店
現在のペンギンカメラ2号店がある場所にかつてあった玩具店。
昭和の、ごく普通のおもちゃ屋だった印象。
ダイヤブロックとか買ってもらった様な記憶。
ファミコンが登場した頃にはもうお店は無かったかな。
■つつみオモチャランド
現在の横浜銀行大口支店の敷地のうち、大口駅寄りの一角にあった玩具店。
ゴールドライタンのおもちゃが欲しくて店頭で見てた記憶。
かなり掘り出し物(要は古い売れ残り品)が多い店だった記憶がある。
僕がファミコンを修理してもらった(受付してくれた)お店はここ。
■ユニー大口店
4階だったかな?おもちゃ売り場があり、ファミコンのゲーム関係ではお世話になった。
85年頃にはもう予約も受け付けていたり、レジのそばに新製品予定が貼られていたりして、ファミマガ登場以前での情報入手場所の1つだった。
ドンキーコングの音楽遊びも予定に書かれてた気がする。
ディスクライター設置店。
■きがらや模型店
あけぼの通りの模型店。
新しいガンプラが欲しくて日参していた。
店舗面積は小さいながらも100円の宇宙戦艦ヤマトシリーズ(メカコレクション)、ロボダッチシリーズ(イマイ)、城のプラモ(童友社かな?)、鉄道模型(Nゲージ)、田宮の1/35ミリタリーミニチュアシリーズなどなど充実していた。
■モケイラッキー
車、戦車、航空機、船舶、ロボットアニメのプラモ、モデルガン、何でもあり、ラジコンもモーターの物だけでなくエンジンカーもあり、鉄道模型もNゲージだけでなくHOゲージも揃えていた。
ガンプラブーム最盛期は開店前に行列が出来ていた事もあったな。
ファミコンブーム時はゲームソフトも取り扱っていた。
■ペンギンカメラ&ペンギンカメラ2号店
今も現存。
ファミコンブーム時は中古も取り扱っていたり、結構力を入れていたのかも。
■しんみせ
正式な店名は岩崎商店とか岩井商店とかそんな名前だった気がする。
ななしま商店街の外れにあったお店。
駄菓子屋ながらミサイルベーダーなんかも置いていた。
アーケードゲーム台も置いてあり、新製品のクレイジークライマーなどを置いたり新しい物にも意欲的なお店だった。
大口通りそばに2号店である「第二しんみせ」を出店してからしばらくは並行で続けていたけど、後に完全に第二しんみせ1本にした模様。
(番外)
まるとの隣にあったらしい。全く記憶に無い。
自分が世代に合っていないだけで昭和30年代から続いていたお店。
昭和53年の住宅地図にあり、昭和55年の住宅地図になし。
大口通り商店街やその周辺店は戦後すぐ復興して栄えて、昭和30年代~40年代に最盛期になっており、昭和50年代には既に店を閉めたり、開店休業になっているお店もいくつかあった。
そんなお店の1つだったのかな。
その他、相鉄ストアの店舗内におもちゃ売り場があったかもしれないが覚えていない。
大口通商店街・あけぼの通り商店街①書店編
記憶に残るお店をいくつかメモ書き。
たぶん書ききれないのでいくつかに分けて書く。
②以降があるかはわからない。
■書店
・第三錦松堂書店
現在の湘南信用金庫の敷地のうち、薬のセイジョー寄り部分にあった。
書店が閉店した際に湘南信金が増床した。
大口駅寄りな事もあって、店舗面積は小さいながらも大口で一番売り上げが高い書店だったのでは。
初めて買ってもらった漫画単行本は、ここで買ってもらった「ドラえもん17巻」だったかな?
・錦松堂書店
現在のパン工房ゆうきの場所にあった。
幅広いジャンル(遠回しな言い方)を取り揃えていて、マニアックな本が欲しい時は頼りになった。
ファンロード、ぱふ、月刊OUT、COMIC BOXなども買えた。
ファミマガも創刊号の頃から置いていた。
スニーカー文庫化する前の角川文庫(ラノベ寄りの物)も強かったし、富士見ファンタジア文庫とドラゴンマガジンも創刊時から置いていた。
漫画雑誌系は強かったなぁ。
その他一般雑誌も結構置いていたはずだけど、その方面で利用しなかったので、品揃えの程はわからない。
ちなみに、第二錦松堂書店はあるの?と店主に聞いた事があったと思うんだけど、はぐらかされて教えてくれなかったな。
・大滝書店
現在のさくらの季の辺りにあった。
レコード店を併設していて、そちらの方の印象が強い。
店長がクイズ番組に出まくっていた。
2階部分で学習塾も経営してた。
時代時代で細かく変化して行ったお店。
・文啓堂
あけぼの通りにあった書店。
てんとう虫コミックス、ケイブンシャの大百科シリーズ、絵本が割と充実していた事しか覚えてない。
あと文具も少々扱ってたな。
ななしま通り商店街と大口一番街に本屋があった記憶は無い。
後はもう全然覚えてないけど、ユニー大口店の中に本屋があったかもしれないくらいかな。
大口近辺の映画館
昔の頃のメモ書き
■べに座
六角橋通り商店街にあった映画館。
よく3本立てでの上映をやってた。
常時というくらいに割引券を見かけた。掲示板とかに備え付けされてたんだっけな?
遂に観に行った事はなかったけど、聞いた話によれば1本分の料金でいつまでも観てられたらしい。
知ってる当時(1980年代)は「べに座」という表記だったと思うのだけど、紅座、横浜紅座、横浜べに座、六角橋会館という表記だった頃もあるらしい。
所在地 : 神奈川県横浜市神奈川区六角橋1-1-10(1990年)
閉館年 : 1990年9月17日
以下は調べてたら出てきた映画館。
1980年頃にはもう無かった所ばかり。
■子安曙映画劇場
相鉄ストアが建っていた場所にあったらしい。
どうも「あけぼの通り商店街」の名前もこの映画館が由来みたい。
「第二曙劇場」を作る計画まであった様だけど、追加の映画館は出来ずに、あけぼの通り商店街専用駐車場になった模様。
所在地 : 神奈川県横浜市神奈川区大口仲町25(1969年)
開館年 : 1947年7月
閉館年 :1969年頃(1970年には相鉄ストアとなっている)
■大口映画劇場
横浜信用金庫が建っている場所にあったらしい。
所在地 : 神奈川県横浜市神奈川区大口通130-2(1969年)
開館年 : 1951年12月
閉館年 : 1969年頃(1970年には空き家になっている)
■大口通中央第一劇場
パチンコ屋の平和楼遊技場の場所に「第一センター」と呼ばれる商店群があり、その2階部分にあったらしい。
洋画中心でディズニーなども上映していた模様。
開館年 : 1958年以前
閉館年 : 1962年以前(1962年の住宅地図では平和楼になっている)
黎明期のビデオゲーム(裏街道編)メモ書き
■ゴールデンポーカー・ダブルアップ(ボナンザ・エンタープライズ/1980?)
日本における賭けポーカーゲーム機の代名詞。
ボナンザ・エンタープライズは横浜市に本社を置いていた貿易会社で、海外製ゲームの輸入販売などを行っていた会社。
ゴールデンポーカー・ダブルアップは海外カジノ向けの名目で国内で作られて、実際に輸出もされた様だが、国内にも(こっそり)販売されていた。
大体は893経営の喫茶店などに置かれ、「ポーカー喫茶」などと呼ばれていた。
その他だと個人経営の小さなゲーセンに置かれていた。
標準では1回100円だが、オプションで1,000円札を入れられる物もあった。
負けるとお金は飲み込まれるが、勝つとクレジットが増える。
終わる時は店員に言ってクレジットを払い戻す形で返金される。
風営法がゲームセンターにも適用される前に作られた為、存在自体は法の適用外になり、割と長い間残っていた。(もちろん、払い戻しはしてくれない)
勝った時のBGMは「草競馬」。
この頃の他のゲームと同様、海賊版が存在する。
登場曲
印象深い物をいくつか。
やっぱり救援投手の物が印象に残る。
絶体絶命のピンチから曲を纏って登場し、火消しを決める姿は最高にカッコいい。
須田幸太 Guts! (嵐)
宮崎敏郎 心絵 (ロードオブメジャー)
柴田竜拓 Beautiful Now (Zedd ft. Jon Bellion)
石田健大 アポロ (ポルノグラフィティ)
石田健大 We Are Young (FUN. feat. Janelle Monáe)
加賀繁 あとひとつ (ファンキーモンキーベイビーズ)
田中健二朗 International Love (Pitbull ft. Chris Brown)
三上朋也 Wake Me Up (Avicii)
山口俊 What's Up 山口俊 ver. (Call My Name)
ラミレス監督
この時点での個人的な考えを書いておくメモ①
監督就任当初はGM制だったので、編成について権限が無く、1軍の場で与えられた駒をどう使うかという事しかなかった。この条件で監督を引き受けてくれた事と、データ重視の野球というスタイルが、これ以上は無いと言っても良いくらいに合致していた。ネガティブな事を言わないスタイルも若いメンバーのチームには良かったと思う。
個人的にはラミレスの采配は好きだった。
よく「奇策」と言われたが、新しい理論に基づいた戦法を取り入れていただけで、むしろ奇策と言える采配はあまり無かった。
強いて挙げれば「代打ウィーランド」くらいだろうか。しかしこれも、対広島戦での打撃成績によるものだ。
8番投手、2番強打者、申告敬遠、どれもそれなりの統計的数字に基づいている理論だ。バントが少なかったのも、余程打率が良くない限り、得点期待値、得点確率を減らすという統計学に基づいた考えがあったかもしれない。(バントが下手な選手が多いという面もあるだろう)
先発投手は原則「〇球程度、〇回まで」という様な明確な数字を考えてマネジメントしていて、「行ける所まで」みたいな不明確な起用はあまり無かったと思う。また、リリーフピッチャーに回跨ぎをさせたら翌日は起用しないという風に休息も考えに入れてマネジメントしていたと思う。
投手の選択については投手コーチの意見を参考にしていたのでは。
野手起用についてはある程度打席数を多く見て判断する様にしていた。
選手には必ず調子の波がある事を理解し、力があると感じる選手には
調子悪い時があっても打席を与え続けていた。
「結果が出ない選手を使い続ける」という風に見え、批判的だったファンもいるかと思う。
足を使った戦法が少ないという批判もあったがこれは与えられた駒によるところが大きかった。就任当初は足を重視したスタメンを組んだ事もあったが、打撃と両立できない、盗塁・走塁が上手くないという選手が多いなどの問題点があり、早々に諦めたのはないかと思う。
結果的にチーム全体的に走塁意識が低くなり、対戦相手からはその面では楽が出来ていたのではないかと思う。
話をまとめると、ラミレスの采配は「わかりやすかった」。
意外性のある戦略はあまり行わなかったので、
横浜市 統合型リゾート(IR)誘致メモ
そもそもカジノ言うけど、どこがやるの?という事で名乗りを上げてる所のメモ。
ウィン・リゾーツ(米)
ラスベガス、マカオ、ボストンなどでリゾートカジノを展開
日本拠点はランドマークタワーに設置
オークラ・ホテルズ&リゾーツと提携関係
日本拠点は東京の泉ガーデンタワーに設置
メルコリゾーツ&エンターテインメント(マカオ系・中)
CEOのローセンス・ホーはマカオのカジノ王の息子
マカオ、フィリピンなどでカジノリゾートを展開
横浜F・マリノス、マンチェスター・シティFCとパートナーシップ契約
日本拠点は東京・丸の内、大阪・心斎橋に設置
ゲンティン・シンガポール(マレーシア)
創業者の林梧桐は中国生まれでマレーシア1の大富豪
シンガポール、マレーシア、香港などでリゾート・ホテルなどを展開
投資上限は100億米ドルとの話も
日本法人は東京、大阪、横浜と置いているが、場所は非公表?
セガサミー(日)
パチンコ・パチスロのサミーがアミューズメント施設・ゲーム開発などのセガを買収して出来た会社
リゾート事業の実績としてはシーガイア、ゴルフ場などがある
ラスベガス・サンズ(米)
ラスベガスに本社を置く、カジノリゾート企業
大阪にも関心を寄せていたが、大阪では追求しない事、横浜を優先的にする事をを表明
日本法人については非公表
⇒2020/5/13 日本への進出を断念