2008-08-04
研究ということ
study |
なんだか最近、僕の周りで「研究者としてのスタンス」を語る人が増えている。
僕自身は、「そんな難しいこと考えんでも研究は出来る」というのが本音なのだが
真剣に考えていないと思われるのも癪なので、考えてみる。
ちなみに心理学をやってる人はそういうのを語るのが(少なくとも考えるのが)好きな人が多い。
というわけでいざ、ダラダラWriting!*1
BGMはブリグリ。
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研究者だって他の一般の人と同じだと思っている。
何か難しいことをすれば科学とか、人が自分の研究を理解してくれなくても自分は素晴らしい研究をしていると思ってるとか、そういうくだらない主張をする人は研究者に向いていないと思う。
少なくとも、学部のとき、大学院の今にいたるまで、僕が「すごい研究者」と思った人たちは、とってもわかりやすく自分の研究を話してくれた。
それがどうしてわかりやすいのか?
それは、実体としての「ヒト」を対象として話してくれているからだと思う。
たとえば、のお話をしよう。
心理学の研究をしている人に「何の研究をしているの?」と聞いてみるといろいろ出てくる。
これまで話をされたのは・・・
- ヒューマンエラーの研究をしています。
- QOLの向上の研究をしています。
- ワーキングメモリの研究をしています。
- 素朴概念の研究をしています。
はっきり言って、これでは心理学を勉強している僕でさえ、なんのこっちゃわからなかった。
ヒューマンエラーもQOLもWMも「ただの概念」であるからだと思う。
そこに人間らしさがない、というか。
よくよく聞いてみると
- 看護士の人たちが危険な状況で作業をしているのを目にして、どうしてそんな危険な状況になってるのかを調べている
- 高齢者の人たちは隣家の人とのコミュニケーションさえとれずに自分の家に引きこもりになっている。この状況を何とかしたい。
- どうして緊張していると人前でしゃべれなくなるのかを知りたい。
- どうして月の満ち欠けの理解が難しいのかを知りたい。
そんなこと。どうしてこういう簡単なことをわざわざ人に理解しにくくなるように言うんだろう。
概念は概念として必要だと思う。
ヒューマンエラーもQOLもWMも素朴概念も有名な心理学の概念で、僕だってそれを「知らないわけではない」。
ただ、概念は概念であって、内容ではない、と思う。
「人のヒューマンエラーを知りたい」
というのは理想とか願いとか言うものであって、研究内容というものではない。
だって、その言葉からはなんにも伝わらないから。
研究とはコミュニケーションであるって誰か言ってたけど、まさにその通りだと思う。
たとえ知覚の基礎の基礎の部分でも、それを自身の日常的体験と結びつけてヒトに伝えることはできるものと思う。
それをしない(できない、と言うのではなくて)、というのは「自分の研究を理解していない」のだと思う。
これは、基礎vs応用の話にも似ている。
応用の人は「基礎の人は役に立たない研究ばっかりしている」
基礎の人は「応用の人間は目の前の事実ばかり追求している」
僕は基礎も応用もないと思う。
たとえば、どうしてミュラーリヤーの錯視では矢羽の向きだけで棒の長さが異なって見えるのだろう、ということと
どうして、この車とその車は性能的には全く同じなのに乗り心地が全然違うんだろう、ということとは
研究として、全く同価値に素晴らしいと思う。
それらはとてもわかりやすいし、communicativeであるから。
同じことを繰り返し言うと
研究は誰かに伝えるべきものであると思っている。
そのためには「難しいことを言ってはいけない」と僕は思っている。
僕は心理学と、医学と、情報学と、音楽学のホンの一部しか知らないけど、これらの学問に限っては
「一般の人にわかってもらえないような研究は研究とは言えない。」
と思っている。
それは応用とか基礎とかそういうことではない。
応用だろうが基礎だろうが、結局最終的につながるのは「ヒト」という実体であって、それを念頭に置かない(あるいは、少なくとも考慮しない)研究はつまらないし、それは結局些細な研究であって、必要とされることもないと思う。
そう思うからこそ、とりあえずそこにいる誰かに話をして、その研究が面白いと思うかどうかを聞いてみる。
これは研究の面白さを決める重要な要素だと思う。
面白さを伝えるためには、「難しいことを言ってはいけない」。
僕は、それから、心理学に縛られる気はまったくないということ。
「どうして認知に進んだの?」
とよく聞かれるけど
僕は認知心理学をやっているつもりはまったくないので
「その質問は愚問だよ」
と答えている (嫌なやつだw)
心理学は心理学だけど、研究室の僕の棚の半分以上は、時系列データ解析とか楽典とか音楽学でうまっている。
音楽心理学の本も3〜4冊あるけど、認知心理学の本は一冊もない (家にはあるけど)。
やってるのは認知科学といえばいいのかもしれないけど、広すぎる。
音楽心理学といってもいいけど。
とにかく、そういうカテゴリーに意味はないと思っている。
だけど、なんか妥当な概念を得ようと思ったときに「感性情報」っていうのはいい言葉かもしれないと思った。
話は逸れたけど、僕のやっていることは音楽を対象としているけど、音楽にこだわるつもりもあんまりない。
ここからはちょっと抽象的になってしまうけど
「心は時間に沿って動く。音楽も時間に沿って動く」
だから時間に沿って動く、音楽と心の関係について知りたいと思ったわけね。
だから、別に対象は音楽じゃなくてもよかった。ましてやピアノである必要もなかった。
あるときとても仲良く話し始めたのに、10分もたつとお互い口も開かずだんまりになっていました。
それはなんででしょ?とかっていうのでもよかった。だけど、とりあえず今は音楽をしている。
音楽でも、単に音楽を媒介としてヒトの心が変わったっていうんじゃなくて
どうして変わったのか、その音楽にはどういう特徴があったのか、ってそういうのを知りたい。
でもそうやって突き詰めていくと心理学だけじゃ話がつかなくなってしまう。
だから自分は、「知りたいことを知りたい。それをわかりやすく他の人に伝えて他の人も面白いと思ってほしい。そのためには心理学とか認知とかってそういう枠組みは意味がない」と思っている。
これが自分の研究のスタンス。
なんか一部わかりにくくて伝わらないところもあっただろうから、そもそも矛盾だらけの文なんだけど。
だから、これを言うと、周りの人たちは「へぇ」と言いながらも怪しげなものを見るように僕を見る。
結局、わかりやすくまとまってないからそういう風に見るんだと思う。(あるいはホントに変な人だと思われてるのかもw)
もっと自分の思ってることがわかるように書きたいし伝えたいんだけど、この文じゃ自分のイイタイコトの6割強くらいしか伝わらないかもしれない。
ここに書いたことも発展途上。まだまだ変わっていくと思う。(ってそれでネット上に垂れ流すなって感じだけど)
ま、いいやと思って保存ボタンを押すのでした。
*1:ちなみに、今、課題等々が一段落ついたので書いているのであって、決して暇つぶしなどではない







誰かに伝わらない研究はただの自己満足だと思いながら、なかなか論文が書き上げられない日々です。
「自分の研究をわかってほしい5人」を頭に置きながら論文を書くと書きやすいらしいです。
そういう僕も、全く論文執筆に進めません・・・