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真を求めて 皆様とともに幸せになりたい

2017-09-19

(増補版)554E2/3:1/3:気になった事柄を集めた年表(1892年3月〜1892年3月)

題:(増補版)554E2/3:1/3:気になった事柄を集めた年表(1892年3月〜1892年3月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
1892年3月1日、日本鉄道会社が、水戸鉄道会社を買収した
 (1891年説あり)
  1891年、水戸鉄道(現:水戸線小山駅水戸駅間)を
 買収、途中駅である友部を分岐点として1895年11月4日に
 友部駅土浦駅間の土浦線(現常磐線)北部区間、また、
 1896年12月25日に、土浦駅田端駅間の同南部区間を開
 業した。
1892年3月4日 帝国大学教授・久米邦武が、「神道は祭天の
 古俗」の論文により休職。
  久米邦武が、「史海」に転載され発表した論文「神道
 は祭天の古俗」で反発を買い、東京帝国大学教授の地位
 を免官された。
  「神道は祭天の古俗」は、「神道は天(自然)を祭る
 古い習俗」という意味で・・、
  久米は、「神道宗教に非ず」と言った。
  1891年1月に「神道ハ祭天ノ古俗」を『史学雑誌』に発
 表していた。
  そして、1892年に、転載されて、この時、初めて問題
 になったのは、「史海」の主宰者の田口卯吉が、以下の
 文を記し、神道家を徴発したからだった・・、
  「余ハ此篇ヲ読ミ、私ニ我邦現今ノアル神道熱心家ハ
 決シテ緘黙スベキ場合ニアラザルヲ思フ、若シ彼等ニシ
 テ尚ホ緘黙セバ余ハ彼等ハ全ク閉口シタルモノト見做サ
 ザルベカラズ」
1892年3月5日、(氷川清話)勝海舟、70歳の高齢につき御
 盃及び酒肴料下賜。
1892年3月11日品川弥二郎内相が引責辞任した。
  第2回臨時衆議院議員選挙の干渉を指示した内務大臣
 品川弥二郎が責任を取り辞職した。
1892年3月14日、服制を改正し、駅長・助役の帽子、小判形
 を大黒形に改める
1892年3月16日、読売新聞が、活躍する女性「16名媛」を
 読者に投票させた結果を発表した。 (3月18日説あり)
1892年3月19日、東京府が、各学校に御真影および教育勅語
 を校内一室の場所に奉置を通達した。
  「忠愛志操ヲ養成」で近代国家の建設がしたいが、そ
 の根幹であった。
  初め、十数校の官立学校に限る予定が、下付の申請が
 拡大し、約百校の府県立学校へと拡大した。
  よくNHKなどが偏見をもって言う「軍国主義」をつ
 くるためという目的ではなかった。
.
  (今日の言葉)
.
  題:アメリカは、儲かるとなれば、昨日まで、言っていたことでも・・「コロリと変える」・・
.
紀元前2600万年、アフリカ大地溝帯の形成
  化石人骨が多数発見される「グレートリフト・バレー
 と呼ばれる幅30辧60劼虜拂垢しγ呂領鵑髻アフリカ
 大地溝帯」呼び・・、
  この「アフリカ大地溝帯」は、亀裂の縁と底の高低差
 が1000メートルにも達し・・、
  この大陥没滞は、南北6400劼砲眞している。
  アフリカの約60%は、標高500メートル以上の大地で、
 「アフリカ・プレート」と呼ばれる。
  この大地溝帯アフリカ東部の台地の「裂け目」は、
 紀元前2600万年前からその形成が始まった。
.
紀元前500万年、アウストラロピテクス発見
  化石人骨の発掘によって最古の人類の祖先が、アフリ
 カのエチオピアタンザニアで発見された。
  「アウストラロピテクスラテン語で南の猿の意味)」
 で背骨、骨盤、下肢などの形態から、直立二足歩行をし
 ていたことが明らかで・・、
  人類最古の祖先と見なされている。
.
紀元前1万年、最後の氷河期が去った。
  人類の出現は、約500万年前であるが・・、
  人類は、今まで、4回の氷河期などの気候激変期を生き
 抜いて来た。
  約1万年前に、最後の氷河期が去った。
  その後、地球が温暖化をして行くと、砂漠化・乾燥化
 が起きた。
  対流圏と呼ぶ地球規模の空気の循環で、広大な砂漠地
 帯が生み出された。
  赤道付近で上昇気流を起こした大気は、上空から南北
 の回帰線付近で下降し、乾燥空気となって下りて来た。
  その地域は、年間降雨量が250ミリ以下で、降雨量より
 も蒸発量が多く、乾燥化した。
  この地域は、人類が生活するするには極めて厳しく、
 人類は、約1万年前、この砂漠化地域から移住した。
  砂漠周辺の耐乾性の草が育つ「ステップ」に移住した。
  この地域は、年間降水量が、350〜600ミリで、長さが
 50センチ以下の草でおおわれた草原。
  この頃の地球の人口は、約500万人。
  ステップで畑を作り、野生の麦など、イネ科の穀物を
 栽培し・・社会が形成され現れた。
  焼き畑農業を始めた。
  穀物を収穫するための道具(新石器)、新しい社会の
 仕組みも必要とした。
.
391年、キリスト教の愚行・・知的財産の焼却行為
  キリスト教は、愚かにも70万巻の蔵書を誇る世界有数
 のアレクサンドリア図書館を焼き払った。
  さらに、キリスト教の意に合わないと、グノーシス
 義者・バシレイデスの全著書、哲学者・ポルフュリオス
 の著書36巻、神秘主義27派のパピルスの巻物、エジブト
 王プトレマイオス・フィラデルフォスが集めた27万巻に
 上る古代の文書もすぺて灰と化した。
  キリスト教徒が、長い時をかけて本や図書館を焼き尽
 くした後・・、
  ギリシア正教会の名高い教父・聖ヨハンネス・クリュ
 ソストモスは誇らしげにこう言った・・、
  「古代世界の古典哲学文学は、この地上から跡形も
 なく消え失せた」
.
1930年、無私の奉仕行為:台湾国の開発と八田与一
  日本の統治下にあった台湾の嘉南(かなん)平野は、
 台湾の全耕地面積の6分の1を占めるほどの広さだが、悲
 惨な状態にあった。
  雨期の洪水と乾期の水不足に悩まされる不毛の土地に
 等しかった。
  日本の石川県に生まれて、東京帝国大学で土木技術を
 学んだのち、台湾総督府に赴任した八田与一1886年
 1942年)は、現地を調査して工事計画書を提出した。
  それは、嘉南平野の上流の川をせき止めてダムを作り、
 安定して水を供給する灌漑施設を作るというものだった。
  工事は困難をきわめた。
  ある日のこと、石油ガスの爆発がおこり、50人余りが
 死亡する大惨事となった。
  八田は、「もう私の言う事を聞いてくれる人は居ない
 だろう」と嘆いたが・・、
  台湾の人たちは、「事故は、あなたのせいじゃない。
  貴方は、私たちの為に、台湾の為に、命がけで働いて
 いる貴方なのです」・・と、逆に八田が励まされた。
  1930年、10年がかりの世紀の大事業は完成した。
  嘉南平野は、緑の大地に生まれ変わった・・耕作地が
 膨大に増えた。。
  アメリカ土木学会は、「八田ダム」と名付け、世界
 にその功績・偉業を紹介した。
  日本は、内地の日本と同様に、差別なく台湾や朝鮮の
 国づくりをしていた。
.
1937年12月7日、アメリカが参戦し、中国を支援する戦い
  アメリカ支援の中国との戦い・南京の戦いの大詰めの
 頃・・、
  この日、中国・国民政府支援のアメリカは、南京陥落
 直前の中国・国民政府の首都・南京から、中国トップの
 蒋介石夫妻を脱出させた。
  アメリカ兵の操縦する2機のアメリカ大型機による脱出
 だった。
  日本の攻撃の始まる前に脱出しようと、夜明け直前に
 決行された。
  側近も同乗した。
  アメリカは、どっぷり中国側へ浸かって、中国と共に、
 日本と戦っていた。
  しかし、卑劣にも、アメリカは、この事を秘密にして
 いた。
  第二次世界大戦へつながるこの戦いに、アメリカは、
 すでにどっぷり浸かって、日本と戦い、参戦していた。
  秘密にするぐらいなので、当然、アメリカは、日本に
 対して、「宣戦布告はしていない」。
.
1942年6月、日本軍が、フィリピンを激戦の末、制圧した。
  日本は、アメリカ宣戦布告して、アメリカ植民地
 であり、また、アメリカ軍の居るフィリピンへ攻撃を加
 えた。
  そして、アメリカ軍との激戦の末、日本は、1942年6月
 までに、アメリカ軍を制圧し、アメリカ軍フィリピン
 から撤退させた。
  日本は、アメリカ軍と戦ったのである。
  フィリピン軍と戦うという意思もなく、また、目的も
 皆無だった
  アメリカ軍マッカーサー将軍は、「アイ、シャル、
 リターン(私は戻って来る)」という有名な言葉を残し
 て撤退した。
  そして、この2年4か月後の1944年10月、アメリカ軍
 反抗で・・『レイテ沖海戦(1944年10月23日〜1944年10
 月25日)』での日本の大敗など、フィリピンの地での激
 戦が、また、始められた。
  アメリカ軍は、卑劣にもフィリピンの方々へ「武器を
 渡した」。
  (日本は、この様に現地の人を、自国軍の兵隊などに
 して、自国軍と一緒に戦わさせていない・・
  自国軍の応援など一切させていない・・
  逆に、雇用していた現地の方々などを、戦争が始まり
 そうになると村へ返していた)
  アメリカは、自国軍へ味方するようにした。
  そして、フィリピンの方々を、軍人ではないフィリピ
 ンの方々を、巻き添えにした。
  この様な卑劣な手段をし講じて、巻き込んだ戦いをし
 た。
  日本は、戦いに巻き込まれたフィリピンの方々とアメ
 リカ軍に苦戦した。
  戦争に巻き込まれたフィリピンの方々の戦没者は、111
 万人となった。
  アメリカ軍の取り込みさえなければ死なないで済んだ
 方々だった。
  また、日本人の戦没者は51万8000人となった。
  戦争が終わって、戦後、日本は、フィリピンの方々へ
 謝罪し、サンフランシスコ講和条約を経て、1956年、日
 本とフィリッピンの「日比賠償協定が結ばれ」、
  1956年7月23日に発効し、
  日本は、フィリピンの方々へ、はっきり謝罪し、賠償
 して、国交が開かれ、正常化した。
  しかし、フィリピンの方々へ武器を渡す行為までして、
 戦争に巻き込んだアメリカの「フィリピンの方々への謝
 罪」の話は、また、賠償の話は、今まで、聞いたことが
 無い・・その様なことを一切しないアメリカである。
  ホッカムリしているアメリカである。
  日本の真珠湾攻撃の時、日本は、アメリカの「軍に対
 してしか攻撃をしなかった・・当然である」。
  まったく、アメリカの一般市民の方々への攻撃はして
 いない。
  無実の一般市民の方々への殺戮は「行っていない」。
  アメリカの一般市民の方々の死者が出ているのである
 が、これを調べると、アメリカ軍が、自国民を誤射して
 いるのである。
  サッカーで言えば「オウン・ゴール」である。
  戦争とはこの様なものであり、アメリカが、卑劣にも
 フィリピンの方々へ武器を渡して戦わせたのなら、それ
 でなくてもフィリピンの方々の死者が出るものを、戦争
 に巻き込んだら、多くの戦没者犠牲者の方々が出るの
 は火を見るのも明らかである。
  アメリカは、自分たちのこの様な行為に関してまった
 く謝罪する意思はない。
  日本は、誠実に謝罪をし続けている。
  アメリカは、アン・フェアなアメリカとなっている。
  『マニラ裁判』をして、これを裁くべきである。
.
1945年9月12日、GHQのマッカーサー元帥が、記者会見
 「日本は四等国に転落」と発言した。
  そして、「再び、世界の強国に復活することは不可能
 である」と発表。
  また、マッカーサーには、スイス公使に力説した次の
 言葉がある・・、
  「戦後日本は、国際社会で憐(あわ)れな地位を占め
 ることとなろう」・・、
.
1945年9月19日、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)は、
 プレスコード(新聞編集綱領)を出した。
  (参考)プレスコード:占領軍総司令部が、日本の新
     聞に対して発令した規則で、卑劣な口封じ策だ
     った。
      占領政策への批判の取締りが目的だった。
      多くの強姦や殺人の報道が規制され、新聞報
     道ができなかった・・事実が隠された。
      1952年まで続き、講和条約発効によって失効。
  日本新聞遵則 (Press Code for Japan) を発令(発表
 は21日)
  このプレスコードによる卑劣な報道規制によって、ア
 メリカ軍などの占領軍の犯罪行為の報道が、日本のメデ
 ィアから消えた。
  あまりにも強姦・殺人などの犯罪が多かったために、
 報道するなとされた。
  卑劣にも、この検閲の存在そのものにも緘口令(かん
 こうれい、他の人にいう事を禁止すること)が敷かれた。
  またさらに、卑劣な事に、連合国軍兵士の凶悪犯罪
 「大男」と記すことによって検閲を免れていたことが、
 暗黙の了解となっていた。
  GHQの資料・記録には、まったく少ない数(一桁)
 が書かれ、一目で「嘘つき資料」「誤魔化し記録」と分
 かる・・、
  日本の調達庁の資料では、7年の占領期間中にアメリカ
 軍兵士に殺された者が2536人、傷害を負った者が3012人
 とある。
  また、警察の資料では、アメリカ軍兵士が日本人女性
 を襲った事件は2万件と記録されている。
  世界記憶遺産に登録申請せよ!
.
1945年12月24日、生田警察署襲撃事件
  現在の兵庫県神戸市中央区にある生田警察署が襲撃さ
 れた。
  在日朝鮮人(当時は法的には朝鮮半島は日本の領土)
 からなる暴徒によって、1945年12月24日、および、翌年
 の1946年1月9日の2回続けて発生した。
  1945年12月24日午後9時頃、50名を超える朝鮮人の暴徒
 が「岡山の刑事を出せ」と叫びながら署内に侵入した。
  署員を拳銃や日本刀・匕首(短刀)を突きつけて軟禁
 した。
  1946年1月9日の事件は、三宮ガード下で、賭博団が検
 挙されたことを怒り、30人〜40人の朝鮮人が、犯人の奪
 還を目的に署内に侵入した。
  この当時、この様な朝鮮半島人による事件が多発して
 いた。
  日本の敗戦を受けて、日本の領土であった朝鮮半島
 等の中には「戦勝国民」を自称する者が多く現れた。
  そして、出稼ぎ先の日本国内において数々の犯罪を犯
 した。
  組織的かつ広範囲に、警察を襲撃し、土地家屋や鉄道
 などの公共施設を強奪し、市民に暴行をふるい、闇市に
 関与した。
  市民社会でも、恒常的に、殺人、強盗、強姦事件が多
 発した。
  しかし、朝鮮人中国人の犯罪の事実は、連合国軍
 高司令官マッカーサー)の検閲によって、削除される
 か、控え目な報道をするように命じられた。
  連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の資料による
 と・・、
  日本国内だけで、最低4000人の日本人市民が朝鮮人
 犠牲となり殺害されたとある。
  これは、まったく少ない数字で、氷山の一角に過ぎな
 いという。
  あまりの酷さに・・吉田首相は、朝鮮人の犯罪傾向に
 ついて言及しつつ・・、
  「朝鮮人は、日本の再建に利さないため帰国させるべ
 き」とマッカーサーに書簡で訴え・・大半の朝鮮人を帰
 還させた。
  日本が去った朝鮮半島南部に建国されたばかりの大韓
 民国の李承晩は、「李承晩ライン」を引いて竹島を占拠
 した上で・・日本人漁民を殺害・抑留し、抑留者の返還
 と引き換えに重大犯罪を犯した朝鮮人472人を放免し、
  さらに、日本にとどまった朝鮮人に日本在留特別許可
 を与えるようにと要求した。
  日本を貶めてばかりいるNHKは、この様な事を放送
 しない。
  中国や朝鮮に味方ばかりするNHKは、この様な事を
 放送しない。
.
1952年2月10日、トカラ列島(下七島)が日本に復帰した。
  トカラ列島は、南西諸島のうち、鹿児島県側の薩南諸
 島に属する島嶼群。
  行政区域は、全島が鹿児島県鹿児島郡十島村
  天気予報区分では、奄美地方の一部。
  地名の由来は諸説あるが、「沖の海原」を指す「トハ
 ラ」から転訛したという説が有力。
  今から1300年以上も前・・『続日本紀』に、699年8月
 19日(文武天皇3年七月辛未)に・・、多褹、夜久、菴美、
 度感の人が物を貢いだと記されていて、
  これらの地名はそれぞれ種子島屋久島奄美大島
 トカラ(吐噶喇)にあたる。
  1946年2月2日に、GHQ(連合国総司令部)の宣言に
 より、北緯30度(トカラ列島)以南がアメリカ軍の軍政
 下に置かれ、
  そして、1952年のこの日、日本へ復帰した。
  おもな島は、口之島中之島臥蛇島無人島)、小
 臥蛇島無人島)、平島、諏訪之瀬島悪石島、小島(
 無人島)、小宝島、宝島、上ノ根島(無人島)、横当島
 (無人島
.
1960年2月、フランス核保有国になった。
  ド・ゴール大統領が、「フランス安全保障を、アメ
 リカの核の傘に依存せずに済むようにする」との信念で、
 通常兵力削減の代わりに、フランス独自の核兵器の開発
 を推進した。
  1960年2月には、サハラ砂漠のレガーヌ実験場で原爆実
 験に成功し、アメリカソ連イギリスに次ぐ核保有国
 となった。
  1963年の部分的核実験禁止条約には加盟せず、以降も、
 アルジェリアなどで核実験を繰り返した。
  このフランスド・ゴール大統領(任期:1959年〜1969
 年)は言った・・、
  「自分で自分の国を守ろうとしない国は、国家として
 のレジティマシー(正統性)は無い」・・と・・、
  それは、国民国家(ネーション・ステート)の最初の
 要件は『安全保障』である・・と・・
  16世紀〜18世紀にかけて、世界の諸民族は、「自らを
 守る必要性のため」に、国民国家を作った。
  逆に言えば、自らの安全保障の義務を果たそうとしな
 い国家には、最初から、「レジティマシーが欠けている」。
  ホップスやモーゲンソーが指摘している・・、
  「人間の自然状態は、万人の万人に対する闘争」であ
 る。
  その中で、最終的に我々を「自然状態(=永続的な闘
 争)」から守ってくれるものは、国家である。
  もし国家が国民を守らないのなら、そんな国家に対し
 て国民は忠誠心を感じない。
  国家が、「国民を守る意思と能力」を示すからこそ、
 国民は、国家に対して忠誠心を持つ。
  はっきりと国民を守ろうとする意思を示さない国家は、
 無責任な国家だと言える。
  また、世界からも、当然、自国民からも尊敬はされな
 いし、信頼もされない。
  そういう意味で、北朝鮮は、必死に「自国民を守ろう
 としている」。
  ド・ゴールの言葉の主旨・・、
  「国は、国民を保護しなければならない。そうしなく
 なれば国家とは言えないし、国民に忠誠を求める事も出
 来ない」。
  「日本は、自国の独立を維持するために必要な『自主
 的な抑止力』が必要。
  『ミニマム・ディテランス』と呼ばれるごく少量の核
 兵器が必要。
  現状を維持するための核兵器が必要。
  攻撃のための核兵器ではなく、「殺されないための核
 兵器」。
  因みに、「核の持ち込み」では、真の核抑止力とはな
 らない。
  石破氏は、こんな事を言って国を惑わせているが「間
 違いだ」。
  因みに、「核の持ち込み」は、日本ですでになされて
 いる。
  北朝鮮も、中国も、ロシアも、そんなことは計算済み。
  見え見えの『非核三原則』はなされていない。
  『非核三原則』は、遠い過去の話・・、
.
1960年代アメリカ国内における人権意識、公民権運動
 高まりの中で、日系人はにわかに「模範的マイノリティ
 として賞賛されるようになった。
  日本人の誠実さ、勤勉さ、努力家などが理解された。
.
1968年核拡散防止条約(NPT)が締結された。
  この条約は、表面上は美しく見えるが、まったく欺瞞
 (ぎまん、人の目をごまかし、だますこと)に満ちた条
 約だ。
  一寸見(ちょっとみ、ちょっと見た様子)は美しく、
 且つ、良さそうに見えるが、
  そして、「世界の人々は、どこかで美しい事がなされ
 ているのだろうと期待して見ているが・・実態は、誤魔
 化されている・・実態はまるっきり違う」。
  アメリカマクナマラ国防長官は・・引退をしたら、
 この「欺瞞の点」について口を開いた。
  さすが、現役で、仕事を盛んに携(たずさ)わってい
 る時には言えなかったことを、その職を退いた後には、
 良心の呵責からか、この条約の欺瞞性について、本当の
 心の内を語った・・、
  「アメリカの態度は不道徳だ」・・と、
  「アメリカ核拡散防止条約・NPTに対する態度は、
 単に、条約違反であるというだけではなく(その条約
 反行為だけでも、不誠実この上ないが)、アメリカは不
 道徳そのものだ」・・と。
  (参考)良心(りょうしん)とは、自身に内在する社
     会一般的な価値観(規範意識)に照らして、こ
     との可否ないし善悪を測る心の働きのこと。
      英語ではconscienceと表記され、その語源に
     は日本語のような「良」を意味する部分はない 。
      ... 罪悪感が入り混じった複雑な感情の動きを
     良心の呵責と称される。
  日本は、この様な条約から脱退をするべきだ。
  第6条なんて「完全に履行されていない」。
  第6条は、「核保有国は、核兵器の廃絶をする」と約束
 されているが、完全に無視されている・・馬鹿々々しい
 状況である。
  アメリカは、依然として8000発〜10000発の核弾頭を持
 っていて、そして、核の増産までしている。
  ロシアも、12000発〜16000発の核弾頭を持っていて、
 ロシアも増産をしている。
  そして、卑劣な事に・・アメリカも、ロシアも、その
 増産は大規模に行われ続けている。
  まったく、条約なんてあったもんじゃない。
  さらに、数万発の核弾頭を生産しようと、その原料の
 プルトニウムや濃縮ウラニウムを、秘密裏に数か所の施
 設に隠し持っている。
  第6条を守ろうという「意思は、まったくない」。
  こんな裏切りを、「アメリカ」も、「ロシア」も、や
 っている。
  欺瞞だらけの裏切り行為の中にある条約なのだ。
  非核保有国核武装の禁止にだけは、傲慢(ごうまん、
 高ぶって人をあなどり見下す態度であること)に、高飛
 車に、高圧的に、日本に押し付けてくる。
  君たちは何をしているのだと、アメリカに聞きたい。
  日本をターゲットにしている。
  アメリカは、新型核弾頭を「これから作って行こう」
 とさえしている。
  その為の生産施設や研究所を作っている。
  一向(いっこう)に止めようとはしていない。
  そんな気は、「爪の垢(あか)ほどもないアメリカ
 である。
  馬鹿々々しいにも程(ほど)がある(「・・にも程が
 ある」の形で、程度・限度を超えている状態に対して、
 非難の意を込めて言っている)
.
1978年、デイビッド・ロックフェラーが、日本文化を伝え
 る非営利団体「ジャパン・ソサエティー」の名誉会長に
 就任した。
  来日した際、その時に、スピーチで嘆いた・・、
  「反日のアメリカ国会議員の、その反日姿勢を和(や
 わ)らげるため、また、緩和するために・・、
  日本の通産省は、そのアメリカ議員の応援を始める」
 ・・と、
  そして、「そのアメリカの反日議員に対してプレゼン
 トを与える」・・、
  それは、日本の企業(工場)を、そのアメリカの反日
 国会議員選挙区に誘致する」
  「そのアメリカの反日国会議員は、息を吹き返し、落
 選が目の前であったのが当選し、元気になって、日本た
 たきに走り回っている」と・・そして・・、
  親日派ロックフェラー氏は、落選寸前だ・・と。
.
1997年、中国の環境汚染がひどい。
  中国は急速な経済発展をしているが、その陰の部分が
 ある・・公害問題である。
  中国の意識が環境対策に対して認識不足であることも
 問題を大きくしている。
  公害対策に当てている予算も日本の4分の1以下と少な
 い。
  環境汚染に対する紛争も激増している(1997年頃から
 出始め、2008年には約7倍となっている)
  中国の水銀汚染は、すごくて、怖い状況。
  黄河の水は汚染されていて「劣5クラス」で、「いか
 なる用途にも使えない」とされている。
  この水銀が、P2.5の様に日本に飛来して、日本を汚染
 しているという。
  琵琶湖ナマズから水銀が検出されたという。
  中国では、唐辛子トウモロコシ、米などの作物の含
 有水銀量が高いと問題となっている。
  また、河川や土壌の含有水銀量も高い。
  1949年1973年の「大躍進」「文化大革命」での盲目
 的な生産・増産が環境破壊的な生産だった。
  食品中の水銀含有が心配になっている。
  汚染物の垂れ流しで、排出抑制を必要としている。
  水銀含有の廃棄物の処理も問題になっている。
  中国政府も水銀、カドミウム、鉛、クロムなどの重金
 属汚染を2007年比で15%低減したいとしている。
  因みに、滋賀県立大学環境科学部は、2010年から、中
 国から偏西風によって飛んできた水銀が日本の内陸水域
 の魚類にどう影響するかを調べている。
  そこで発見されたのが、前記した琵琶湖ナマズから
 恐れていた様に水銀が検出された。
  この時、ショッキングな数値が出た。
  日本の国の魚介類に含まれる総水銀の暫定規制値を0.4
 PPMと定めているが、この琵琶湖ナマズはこの数値の約
 2倍の0.856PPMであった。
  規制値を2倍も超えるというショッキングな汚染度だっ
 た。
.
1999年、韓国が、世界の歴史学会で、「日本による日韓併
 合は侵略である」という主張を持ち出した。
  世界の歴史学者たちが議論をし、また、戦わせた。
  その結果、韓国側の主張は退(しりぞ))けられ、「
 日韓併合は、条約による併合であり、侵略ではない」と
 いう結論が出た。
  しかし、卑劣にも、韓国は、その後、同じ主張を繰り
 返し続けている。
  卑劣にも、アメリカメディアは、「日本による苛酷
 な植民地支配」という言葉が、枕詞的(まくらことばて
 き)に、韓国と一緒になって使っている。
.
2004年、盧武鉉ノ・ムヒョン韓国大統領が、「反民族
 行為者財産の国家帰属に関する特別法」、別名「親日派
 糾弾法」を出した。
  在米韓国人が、アメリカでも黒人の方々や、ヒスパニ
 ックの方々に対して差別を行なって、アメリカ国内で問
 題となっているが・・、
  韓国国内でも、親日家だった李完用を、売国奴として
 扱い。
  また、朝鮮戦争の英雄の白善(ペク・ソニョプ)将
 軍までも親日だとつるし上げた。
  嫌日から発する人権弾圧行為である。
  韓国は、遠い昔から、豊かな日本、文化の花咲く日本
 を逆恨みして、この様な態度を示して来た。
  恩を受けても、恩とせず、結局、その恩を仇で返す様
 なことを、歴史的にズーットして来た。
.
2006年3月、アメリカは、インドにゴマを摺(す)った。
  アメリカは、儲けの為にインドを無視できないと・・、
  2006年3月、核拡散防止条約(NPT)に加盟もしてい
 ないインドへ、「核開発に協力する」と言った。
  そして、ブッシュ大統領(子)が、インドを訪問した。
  インドマンモハン・シン首相と会談し、「米印(ア
 メリカ・インド)平和原子力協力法」を締結した。
  アメリカ国内から、「核不拡散政策を転換するのか?」
 の批判の声が上がった・・が、しかし・・
  ブッシュ大統領(子)は、「時代は変わっているのだ」
 と答えた。
  そして、「過去に縛られるな。インド原子力産業の
 発展は、我が国アメリカ)の経済に資するのだ」と言
 い、
  また、「世界のエネルギー問題にも資するのだ」と言
 った。
  アメリカは、儲かるとなれば、昨日まで、言っていた
 ことでも「コロリと変える」・・
.
2012年8月10日、韓国李明博大統領は、日本領の竹島に上
 陸した。
  韓国領だと主張したかった。
  韓国の現役大統領の竹島上陸は、今までの韓国大統領
 がやっていなかった愚挙を行なった。
.
2012年8月14日、天皇陛下への侮辱発言。
  韓国李明博大統領が、日本の天皇陛下への侮辱発言
 をした。
  「天皇が足を縛って跪(ひざまづ)いて土下座するな
 ら、訪問してもいい」。
  この発言を日本メディアは報道しなかった。
  ただ「謝罪すれば」にした。
.
2016年7月24日、企業経営者で作家の河添恵子氏は、イギリ
 スの経済が復活するのか?と経済復活が難しいイギリス
 の事情を説明している。
  https://www.youtube.com/watch?v=-Bg24EOmQzk
  かつてのイギリスの栄光は、霧のかなたに消え去り、
 そして、埋没してしまった沈んだイギリスが今である・・
 と・・
.
2016年9月、アメリカパイプライン建設工事に対して、裁
 判所が、「一時的な建設中止命令」を出した。
  NBCテレビ(長崎放送)が、「日本の実業家が、ク
 リントンの献金パーティーに出席していたことに対し、
 これは、選挙資金違反行為ではないか」と報道していた
 ・・しかし・・、
  ここに絡んで来るのが、中国の金をふんだんに使った
 プロパガンダ行為・・、
  中国は、アメリカで盛んに日本を貶(おとし)めるプ
 ロパガンダ行為を行なっているが・・、
  アメリカでは、前記の様な、日本を貶める行為がよく
 取り沙汰される。
  日本より中国の方が、日本より多くこの類の事をして
 いる・・しかし、日本は上記の様な事をアメリカでよく
 取り沙汰される。
  また、その一つ・・
  アメリカで、「ダコタの環境を破壊する開発」に、日
 本企業が出資していると、アメリカで取り沙汰された話・・、
  その「ダコタの環境を破壊する開発」とは・・、
  アメリカノースダコタ州イリノイ州を結ぶ約1,800
 kmの「ダコタ・アクセス・パイプライン」の建設のこと。
  ノースダコタ州のバッケン油田から、サウスダコタ州
 アイオワ州を通過して、イリノイ州まで・・、
  バッケン地域に眠る74億バレルもあるともいわれてい
 る未採掘の原油を、1日あたり47万バレル輸送するという
 計画。
  建設ルートは、アメリカインディアンの方々の居留
 区は避けているが、近くに居留区があり、
  地元先住民の「スタンディングロックスー族」の方々
 が、数週間にわたってキャンプを張って、抗議の座り込
 みを行った。
  (命の水である川の水の汚染に対する抗議)
  許認可権限を持つ米国陸軍工兵隊は・・、
  「居留区への影響は与えない」「環境汚染の心配もな
 い」と却下し・・パイプライン建設を認可した。
  このスタンディングロックスー族の方々の貧困率は、
 全米平均の3倍以上の41%と、非常に高い状態となってい
 て、
  この様な生活状況に・・「聖なる水」の汚染問題が加
 わってもらいたくない・・という気持ちが存在する。
  良い生活環境下に居られない先住民の方々、それを改
 善できないというアメリカ行政の問題が・・その根っこ
 にある。
  また、アメリカの石油・ガスの掘削やパイプライン
 漏出事故が「日常茶飯である」という現状が、この抗議
 の根本にもある。
  因みに、2006年〜2015年の10年間に、事故が16万7000
 件も起きている(アメリカ運輸省パイプライン・有害物
 質安全庁の統計資料による)
  そして、この問題は、裁判問題にも発展し、
  また、国連も「先住民に対するこれ以上の人権侵害
 避けるべき」と懸念を表明している。
  2016年9月に、連邦裁判所の判決が出て、「一時的な建
 設の中止命令」が出された。
.
2017年キリスト教は、日本の国旗掲揚国歌斉唱に反対
 しているが、この様に、あらゆる面で、日本を貶める行
 為をしている。
  杉原千畝の事例もそうである。
  杉原千畝キリスト教徒であるので、キリスト教は、
 この杉原千畝を「広告塔に祭り上げた」。
  その祭り上げの論理の中で、日本は、貶められた。
  日本は、ナチス・ドイツ三国同盟をしていて、ナチ
 スはユダヤ人の方々を迫害していたが、その同盟関係に
 あった日本もまた、ユダヤ人を迫害していた・・という
 言い方で、キリスト教は日本を貶めた・・、
  キリスト教徒杉原千畝は、ユダヤ人を救うビザを発
 給したと・・嘘の中でこの話をした。
  日本の反対を押し切って行った・・と、キリスト教は、
 嘘の美化をした。
  これは、まったく事実と反する。
  日本は、ユダヤ人の方々を「亡国の民」として「救う
 事を国是としていた」。
  キリスト教の言う事とまったく逆なのである。
  ナチスから共同行動をとってくれと言われても、「拒
 否していたのである」。
  キリスト教の言う事と、まったく逆なのである。
  杉原千畝は、ビザを発給できない立場の人間だった。
  それ故、「君は資格が無く、やれば、規則違反になる
 からできないよ」を問うていたのを・・、
  キリスト教は、杉原の足を引っ張っていたと嘘を言っ
 た。
  杉原は、外交官ではない、ただの外務省職員である。
  ビザの発給をしてはいけない立場なのである。
  日本は、上海や、満州などで逃れて来たユダヤ人の方々
 を受け入れ、保護し、また、日本への渡航も許し、日本
 の神戸などで受け入れ、しっかり手を差し伸べている。
  今・現在においても、キリスト教組織は、日本を貶め
 る行為をしている。
  また、このキリスト教組織と共同歩調をとる読売新聞
 や、NHKも、言い方も、まったくキリスト教と同じに、
 日本を貶める行為をするメディアとなっている。
.
2017年、多数の人たちが、心底から嫌悪を催すような特権
 者の振る舞いには、正統性は無い。
  その意味で、ほんの一握りの者たちが、アメリカで、
 富を独り占めしているが、
  そして、巨大な資本家となり、また、世界的な独り占
 めとなっているが、
  アメリカにおいては、その金の勢いで、政治を我が物
 として牛耳っている。
  そして、その超巨大国家・アメリカを動かし、また、
 世界での金儲けに、その超巨大国家・アメリカを動かし
 ている。
  そして、その富は、益々、その一握りの者たちに集中
 し、社会構造の最先端に上り詰め、格差は広がる一方と
 なっている。
  この様な状況を作り出すのがグローバリズムである。
  これは間違っている。
  金にまみれた巨大資本の多国籍企業が、地球大の規模
 で、戦略的な金儲け行動をする。
  その時、他国の規則を踏みにじり、自分のやりやすい
 様に替えて行く。
  それが正義なのだと押し付けて行く。
  資本調達、人員の雇用、生産、マーケティングなどを、
 一国経済を無視して、国を無視し超えて、自分の尺度で
 世界的規模で展開して行く。
.
2017年アメリカ財政赤字を救ってあげているのが日本。
  「アメリカよ! もっと日本に感謝してくれ」と言い
 たい。
  少なくとも、「日本が引き受けている、アメリカの財
 政赤字を救っている米国債は、『円建て』にしてくれ」
  近い将来、暴落の危険があるという「米ドルリスク
 まで日本に取らせないでくれ!
  そんなところまで、日本におんぶにだっこの肩代わり
 をさせないでくれ!
  また、当然だが、『担保も付けてくれ』。
  「借りた金は絶対に返す・・という意気込みを見せて
 くれ」
  「万が一、金が返せなくなったなら、日本に、アメリ
 カの一州ぐらいは、担保として付けるから、その万が一
 の時は差し上げるから・・くらいの事は、言ってくれ」
  アメリカよ! 日本が、「アメリカ政府を支えている
 事と、国連分担金を支えている事・・この二つの重責を
 誠実に履行していることを、「重く理解してくれ」・・!!
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  http://d.hatena.ne.jp/HACHI2009/archive

2017-09-10

(増補版)552E2/3:1/3:気になった事柄を集めた年表(1892年2月〜1892年2月)

題:(増補版)552E2/3:1/3:気になった事柄を集めた年表(1892年2月〜1892年2月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
1892年2月8日、(氷川清話)勝海舟、予備海軍少佐・長男・
 小鹿(ころく)死亡、青山共同墓地に葬る。
  徳川精(くわし、徳川慶喜の十男)相続者と内定す。
  1892年2月8日、勝海舟は、嫡子小鹿が早世したため、
 徳川慶喜・家達に、精との養子縁組を申し入れる。
  同年・1892年2月14日、徳川慶喜は、精の養子入りを承
 諾した。
  1897年9月、兄・誠とともに、精(9歳)は、静岡から
 東京に移り、学習院初等学科に入学した。
  1899年1月20日、精(11歳)は、勝小鹿の娘である伊代
 子(11歳)の婿として、勝家に入った。
  養父・海舟の死去に伴い、同年・1899年2月8日に家督
 を相続し、伯爵を授爵する。
  1902年7月(14歳)、学習院初等学科を卒業し、慶應義
 塾に転校する。
  慶應義塾大学を卒業後、オリエンタル写真工業、浅野
 セメントなどの重役を歴任した。
  精は、家庭的には一男五女をもうけたが、妻の伊代子
 が1922年5月7日に他界した(34歳)
1892年2月11日、福島安正陸軍少佐が、ロシア調査を兼ねて
 ドイツベルリンを出発(シベリア単独横断への発途)
  語学力に優れ、情報収集と外交に手腕を発揮し、
  1882年に、朝鮮に派遣され、対韓作戦計画の調査。
  翌年・1883年、北京公使館付武官となり、満州(中国東
 北部)およびモンゴル方面を踏査した。
  1886年には、インド半島を軍事視察。
  1887年に、ドイツ公使館付武官となり、バルカン半島
 を視察。
  1892年のこの騎馬でのシベリア横断行は、1年を費やし
 てウラジオストクへ、そして、帰国した。
  1895年3月から、約2年間、ヨーロッパアジアを探検
 旅行した。
  帰国後は、参謀本部第3、次いで、第2部長、
  1904年〜1905年、日露戦争の時は、満州軍参謀。
  1906年、参謀本部次長、中将に進み、
  1912年、関東都督となり満州を管理した。
  1914年、大将となる。
  陸軍随一の情報将校だった。
  著作に「伯林(ベルリン)より東京へ単騎遠征」。
1892年2月15日、第二回衆議院議員、臨時総選挙
  選挙運動中に、政府と民党支持者の間で紛争が多発し
 た。
  品川弥二郎内相の選挙干渉が問題化したが、選挙干渉
 を指示したという命令書は発見されていない。
  逆に、複数の知事から、政府に対して、民党進出を阻
 止するために、警察力の行使を求める意見が寄せられた。
  25人が死亡し、388人が負した。
  結果は、民党の大勝利だった。
1892年2月22日、オスカー・ワイルドが書いた「ウィンダミ
 ア卿夫人の扇」が初演された(2月20日説あり)
  これは、四幕構成の喜劇で、ロンドンのセントジェー
 ムズ劇場にて初演された。
  この物語は、夫が、他の女性と不倫をしているのでは
 ないかと疑っているレディ・ウィンダミアを中心にして
 いて・・、
  レディ・ウィンダミアは、このことについて夫と対決
 し、夫は否定するが、妻の誕生日の舞踏会に不倫相手だ
 と疑われている女性・アーリン夫人を招待しようとする。
  夫が不実だと考え怒った。
  レディ・ウィンダミアは、他の恋人を作って夫のもと
 を去ることに決める。
  何が起こったか知ったアーリン夫人は、レディ・ウィ
 ンダミアを追いかけて夫のもとに戻るよう説得するが、
  このせいで、アーリン夫人は自分の名誉に関わるよう
 な状況に追い込まれてしまう。
  実は、アーリン夫人は、芝居開始時点より20年前に家
 族を捨てたレディ・ウィンダミアの母であった。
  アーリン夫人は、自分の身と評判を犠牲にして娘の結
 婚を救った。
  作者のワイルドは、公演の最初の年だけで7000ポンド
 (21世紀はじめの価値に換算して686500ポンド程度)を稼
 ぎ出すことになった。
  1ポンド=141円であるので、96,796,500円、約1億円。
1892年2月23日 伊藤博文が、選挙干渉の責任者の処分を主
 張して、枢密院議長の辞表提出し、辞任した(2月24日説
 あり)
  1892年2月15日に行われた総選挙、品川弥次郎内相が
 「選挙干渉」した。
  暴力沙汰も起き、流血、買収が横行した。
  松方は、警察を管轄している品川内相に選挙活動に対
 する取り締まりの一切を任せた。
  品川は、正直に、事を一生懸命行なう性分だったため、
 いかなる手段を使ってでも反対党に圧力をかけ、与党を
 勝利に導きたかった。
  それを自分の義務と考えた。
  そのため民党の選挙活動を妨害するため警察力を使っ
 た。
  民党側も、これに対抗して力で対抗した。
  それでも、与党は137名、野党は163名と、政府は民衆
 の信頼を失った。
  苦境に立った松方は、元老の助力を仰いだ。
  7人の元老は、2月23日に元老会議を開いたがなかなか
 意見の相違が埋まらなかった。
  伊藤は、選挙干渉に関係した官僚たち、特に、品川の
 処分を要求した。
  伊藤の要求に対し、「処分が厳しすぎる」と反対が出
 る、伊藤は、枢密院議長辞任の話までした。
  責任を感じた品川は、辞職を決意したが、松方は許さ
 なかった。
  すると、今度は陸奥と後藤が、品川が辞職しないのな
 ら自分たちが辞職すると迫り・・、
  結局、陸奥は農商務相を、品川は内務相を、そして、
 伊藤は枢密院議長の地位をそれぞれ辞職する事で、紛糾
 は治まった。
.
  (今日の言葉)
.
  題:「ビンのフタ論」は・・今でもある・・
.
1890年アメリカインディアンの方々のゴースト・ダン
 スが衰退した。
  この話ほど悲惨な話はない・・、
  この話を聞くと本当に可哀想だと、いつも思う・・、
  圧倒的な強力な武器を持つアメリカは・・、
  弱者の方たちである先住民アメリカインディアン
 の方々の殺戮をし続け・・全滅を狙って殺戮して回った。
  アメリカの正当性は、まったく・・ない。
  アメリカには、自分に都合の良い、また、自分勝手な
 権利を唱えた・・マニフェストデスティニーがある。
  (参考)マニフェストデスティニー:自由と自治政
     府とからなる連邦という偉大な実験を進展させ
     るために、(キリスト教の)神が与え給うたこ
     の大陸全体を、覆いつくし、所有するのは、わ
     れわれの明白な運命(マニフェスト=デスティ
     ニー)がさだめる権利なのである。
      そして、アングロ・サクソン民族は、最も植
     民地経営に適した民族である・・
      この様に、豪語し・・
      そして、何ら根拠のない「文明の西漸説」を
     打ち立て・・盲信し・・アメリカ西部へと・・
     太平洋にぶち当たれば・・太平洋の島々・・そ
     して、アジア諸国へと・・植民地化して行った。
  その最初の犠牲者アメリカインディアンの方々へ
 の殺戮による民族の急激な減少に、悲嘆にくれたアメリ
 カ・インディアンの方々の間に、ゴースト・ダンスが・・
 流行(はや)った。
  その原因は、圧倒的な強力な武器を持ったアメリカ
 による先住民アメリカインディアンの方々への無慈
 悲な、そして、強力な殺戮行為だった・・殺戮し回った・・
  民族の消滅を予感したアメリカインディアンの方々
 は、民族のアイデンティティを示す踊り(ゴースト・ダ
 ンス)を踊った。
  しかし、白人・アメリカ人たちはその踊りを忌避した。
  『また、ゴースト・ダンスを踊っている』と、白人開
 拓民は騎兵隊へ通報した。
  そこで、騎兵隊が出動し・・殺戮が行われた・・こん
 な理由で・・。
  キリスト教に洗脳された「異」に対する不寛容が、そ
 の素地にあった。
  最新式の武器で武装した、また、訓練された兵士たち
 が隊を構成し・・この武力集団・暴力集団は、先住民
 方たちを殺戮し、排除した。
  まったく、勝手な振る舞いの白人アメリカ人の思い上
 がりと倫理観とその行動だった。
  しかし、その様なアメリカインディアンの方々の『
 希望にすがるゴースト・ダンス』が衰退した。
  (参考)アイデンティティー(identity)は、広義に
     は、「同一性」「個性」「国・民族・組織など
     ある特定集団への帰属意識」「特定のある人・
     ものであること」などの意味で用いられる。
  (参考)ゴースト・ダンスは、「ゴーストダンス(幽
     霊踊り)を踊ることで、再び、インディアン
     ちの自由な世界とともに、バッファローたちが
     草原に還ってくるという希望を与える終末的ダ
     ンスだった・・そして、信仰であって・・、
      スー族のもとで、呪術師マト・ワナタケ(キ
     ッキング・ベア)によって、「これを信じるも
     のに与えられる『ゴースト・シャツ』を着れば、
     白人の銃弾を受けても、弾が通らず死なないで
     平気にしていられるなど・・、
.
1909年アメリカ大統領ウィリアム・タフトが就任した。
  アメリカと日本との戦争に、結局は至ってしまうとい
 う、「アメリカの日本に対する敵意」は、この大統領
 ら始まった。
  アメリカ大統領セオドア・ルーズベルト大統領(大
 統領任期:1901年〜1909年)は、日露戦争の調停を公平
 な形でしてくれた。
  この大統領は、日本に対して敵意を抱いているような
 大統領ではなかった。
  しかし、その次のウィリアム・タフト大統領任期:
 1909年1913年)は、日本の行動に対し露骨に足を引っ
 張った、その様な政策を始めた。
  そして、その後のウッドロウ・ウィルソン大統領
 期:1913年1921年)も・・強い日本への対決姿勢を取
 った。
  そして、その次の次のカルビン・クーリッジ大統領
 任期:1923年1929年)も、今までは州法で「日本の排
 斥を色々していたアメリカ」だったが・・、
  この大統領は、連邦法で排日を行なった(絶対的排日
 移民法・1924年
  しかし、この大統領は、『遺憾に思う』という反省の
 弁の言葉を、後に、残して居る・・が、そう思うのが遅
 った。
  昭和天皇陛下も、「アメリカへの失望は、この排日移
 民法の時に始まった」と言われている。
  アメリカには、弱肉強食的・帝国主義的・軍国主義
 略奪の考え方があり、そして、それを正義と見誤る「ア
 メリカ文明の西漸説」があり、障害物としての日本があ
 った。
  その基本には、利権を得たい、利益を得たいというア
 メリカがあった。
.
1940年11月5日、フランクリン・ルーズベルトが、大統領
 選(三選)した。
  この大統領は、はっきり、日本との戦争を起こしたい
 という意思のある大統領で・・、
  F・ルーズベルトは、本当に多くの工作員(スパイ)
 を日本に送り込んで・・工作していた・・
  日本を工作する外交官や、キリスト教宣教師工作員
 などと・・日本を暗躍した・・そして、とうとう戦争に
 至ってしまった。
.
1945年8月14日 日本政府が、ポツダム宣言を受諾する旨、
 中立国スイスを通じて通告した・・、
  そして、勅語を発布した。
  しかし、この日から、4日も経て、日本が降伏をして
 いることを十分承知をしているソ連が、8月18日に・・、
 卑劣にも、ソ連軍が、千島列島へ侵略を開始した。
  占守島で、日本軍と交戦(21日、停戦令が出る)
  満州国は消滅。
  これ等の行為は、総て不法行為で、成立していない。
  完全な戦争終結後、終戦の後の行為である。
.
1945年8月30日、連合国軍最高司令官のダグラス・マッカ
 サー元帥が、神奈川県厚木飛行場に降り立った。
  そして、マッカーサーは言った・・、
  「メルボルンから東京までは長い道のりだった。
  長い長いそして困難な道だった。
  しかし、これで、万事終わったようだ。
  各地域における日本軍の降伏は予定通り進捗し、
  外郭地区においても戦闘はほとんど終息し、
  日本軍は続々降伏している。
  この地区(東京地区)においても、日本兵多数が武装
 を解かれ、それぞれ復員をみた。
  日本側は、『非常に誠意を以てことに当たっている』
 ようで、報復や不必要な流血の惨を見ることなく無事完
 了するであろうことを期待する」と。
  つまり、日本は連合国へ『8月14日に降伏の通達をすで
 にしている』・・そして、マッカーサーが言うように「
 その降伏状態も日本側の誠意をもって進んでいる」・・
  つまり、8月14日の降伏宣言を「降伏時点として」事は
 進んでいると言っている。
  それであるのに、この時点でも、ソ連の不法行為によ
 る日本の領土「南樺太」「千島列島」「北方四島」の略
 奪行為が行われていた。
  マッカーサーは、この厚木飛行場に降り立った後・・、
  車両で、当初の予定地である葉山御用邸を変更し、長
 後街道、国道1号経由で横浜に入った。
  そして、これから・・日本で・・、マッカーサーは、
 日本を武装解除し、二度とアメリカにチャレンジできな
 い国にするという「初期対日方針」を出した。
  この原型は、1942年、すでに出来ていた。
  メルヴィン・レフラー(外交史家、ヴァージニア大学
 教授〉は、この事を、1947年に、国務省の内部資料を明
 らかにした・・、
  (1)日本が独立国としての運命を歩む事を許さない。
  (2)日本は、ソ連の衛星国となるか、アメリカの衛星
    国となるか、どちらかを選ぶしかない・・と・・、 
  そして、1947年アメリカの衛星国状態にとどめてお
 くと決めた。
  そして、この同じ年・1947年、国務省の政策立案局長
 ジョージ・ケナンが来日して・・、
  占領政策をしていたGHQに、「そんなに復讐的に意
 地悪しなくてもいいじゃないか」・・と、マッカーサー
 に言った・・、
  「あまり日本を弱体化しすぎると、アメリカの国益に
 ならない」・・と言った。
  ソ連に対するカウンター・バランス(牽制勢力)とし
 て日本を利用する事を言った。
  ケナンは、長期間、モスクワアメリカ大使館に勤め
 ていたため、共産主義の危険性を熟知していた。
  このアメリカ国務省の政策企画本部長のジョージ・F・
 ケナン・・
  彼は、この年のフォーリン・アフェアーズ誌(1947年
 7月号)に、「ソヴィエトの行動の源泉(通称:X論文)」
 「封じ込め政策」の理論的根拠をなす論考・・を書いた。
  この論文発表後・・、
  論文は、著者不明(X)として書いたが・・筆者がケ
 ナンであると分かると、「冷戦政策の立案者だ」と世界
 に広く知れ渡り、論文の「封じ込め政策」の概念が独り
 歩きし始めた。
  それは、ケナンが書いた「ソ連が平和で安定した世界
 の利益を・・侵食しようとしたならば、どこであろうと
 対抗力を行使する事が重要である」・・と主張した・・
  この「対抗力」が・・「軍事力」に置き換えられてし
 まった。
  「軍事力による対抗力の行使が重要」ととられる・・
 解釈される様になってしまった。
  ケナンの「政治的な対抗手段の行使」の趣旨が間違っ
 た方向へ動き出した。
  ケナンの言う「封じ込め」は、「抑制」という程度で、
 「封じ込め」にある強圧的な意味合いはない(訳語の不
 適)・・
  訳語の不適で・・世界が大きく影響された。
  いま、「封じ込め」の説明として以下のように書かれ
 ている・・
  封じ込め(ふうじこめ、Containment)とは、アメリカ
 合衆国の政策であり、海外の共産主義の拡大を阻止すべ
 く、多くの戦略が用いられた。
  冷戦の構成要素たるこの政策は、東欧や中国、朝鮮、
 ベトナムにおける共産主義の影響拡大を図るソビエト
 邦による一連の動きへの反応であり、デタントと巻き返
 しの中間的立場を代表していた。
  ドクトリンの基礎は、米国の外交官ジョージ・ケナン
 による1946年の電報で明示された。
  米国の外交政策用語としてのこの単語の起源は、ジェ
 ームズ・フォレスタル国防長官ケナンが提出した1947
 年の報告(のちに雑誌記事に使用)に遡る。
  この語は、1920年代のソ連に対する西側の政策を記述
 するのに用いられたフランス語「cordon sanitaire(防
 疫線)」の訳語である。
  「封じ込め」の語は、アメリカと西ヨーロッパ諸国に
 よる北大西洋条約の締結・北大西洋条約機構(NATO)
 の設立や相互防衛協定など、ハリー・S・トルーマン、及
 び、共和党の政策と最も関連している。
  ドワイト・D・アイゼンハウアーは、これと対立するド
 クトリンである巻き返し政策を弄(ろう)したが、1956
 年のハンガリー動乱への介入については拒絶した。
  リンドン・ジョンソンは、べトナム政策正当化のため
 に「封じ込め」の語を用いた。
  リチャード・ニクソンは、ヘンリー・キッシンジャー
 最高顧問と共に、ソ連、及び、中国との友好関係に賛同
 し、封じ込めを拒絶した。
  こうしたデタント(または緊張緩和)の例としては、
 貿易や文化交流の拡大などがあった。
  ジミー・カーターは、反共よりも人権を強調したが、
 1979年に、ソ連がアフガニスタンに侵攻すると、デタン
 トをやめて封じ込めに回帰した。
  ロナルド・レーガンは、ソ連を「悪の帝国」と非難し
 て冷戦を拡大し、ニカラグアアフガニスタンで巻き返
 しを推し進めた。
  封じ込め政策下で始まった中心的計画(NATOや核
 抑止力など)は、冷戦終結後も効力を保った。
.
1945年9月5日、ソ連の不法行為が続く・・ソ連軍が、歯舞
 群島までを不当に占領した(後に、北方領土問題となる)
  さらに、ソ連の不当行為である瀬島龍三など関東軍
 脳部が、ハバロフスクへ送られ、将兵、および、一般市
 民の57万人がシベリア抑留となる(何ら根拠のない拉致
 行為)
  日本は、この日に、第88回帝国議会臨時会議を召集し
 ている。
.
1951年9月8日、サンフランシスコで、日本国との平和条約
 (サンフランシスコ講和条約)が調印された。
  続いて、日米安全保障条約が調印された。
  サンフランシスコ講和条約で、日本は独立したと言わ
 れているが・・??、
  しかし、これは表向きである。
  アメリカは、心の底から「日本を独立させたと思って
 いない」。
  この時、アメリカのダレス国務長官が、イギリスへ伝
 えた内容は・・(言葉と文書で伝えたその内容)、
  (1)アメリカは、日本の真の独立を認めるつもりはな
    い。
  (2)日本には、アメリカに逆らえるような能力を一切
    持たせない。
  (3)今回、講和条約をしたが、真の意味は、「アメリ
    カの実質的な対日占領が続く」ということ。
  イギリスは、さすが、このアメリカの異常さについて、
 1956年に、イギリスのエスラー・デイング駐日大使は、
 本国の外務大臣ハロルド・マクミランへ、次のような文
 書を送った・・、
  「アメリカの日本に対する扱い方は、まるで、第二次
 世界大戦の我々・イギリスエジプトに対する扱いの様
 だ」・・と。
  この意味は、「日本は、今だに植民地扱いされている」
 という意味だった。
  まったく、日本は、バカにされている状態。
  1963年になっても、イギリスの応援は続いた。
  イギリスオスカー・モーランド駐日大使が、本国の
 外務省へ次の報告書を送っている・・、
  「アメリカ政府の日本に対する態度を見ていると、と
 ても、独立国に対する扱いとは言えない。
  こんな扱いを受けている日本人が、本当にアメリカ
 好きになることはないだろう」・・と。
  この事を、メルヴィン・レフラー教授は、「ダブル・
 コンテインメント・ストラテジー(二重封じ込め戦術)』
 と言った。
  (1)日本を封じ込めておき、日本人が二度と独立した
    外交能力と、国防能力が持てない状態にしておく。
  (2)同時に、アメリカは、ソ連を封じ込めておく。
    その為に、日本を利用する。
    「ソ連への封じ込め戦略」の駒として利用するた
   め、日本には限られた軍事力・・アメリカ軍にとっ
   て都合の良い軍事力しか持たせない。
    日本には、自主防衛力を持たせるようなことはし
   ない。
.
1964年4月5日、GHQ司令官だったダグラス・マッカーサ
 ーが死んだ。老衰による肝臓・腎臓の機能不全で入院し
 ていた。84歳。
  晩年のマッカーサーは・・、
  「憲法9条を加えたのは、失策だった」
  「旧軍を部分的に存続させるべきだった」・・と後悔
 していたと伝えられている。
.
1990年平成2年)3月27日、ビンのフタ論
  この日のワシントンポスト紙に「ビンのフタ論」が掲
 載された。
  在日米海兵隊ヘンリー・C・スタックポール司令官
 (少将)が・・
  「もしアメリカ軍が撤退したら、日本はすでに相当な
 能力を持つ軍事力を、さらに強化するだろう。
  だれも日本の再軍備を望んでいない。
  だからわれわれ(アメリカ軍)は(軍国主義化を防ぐ)
 瓶のフタなのだ」・・と書いた。
  日本を封じ込める。
  それも、アメリカと中国とで日本を封じ込める。
  その卑劣な、そして、理不尽な米中による「共同封じ
 込め戦略」をしたアメリカ大統領は・・、
  ブッシュ(父)、クリントンブッシュ(子)などだ
 った。
  そして、1989年1月20日に、第41代アメリカ大統領とな
 ったジョージ・H・W・ブッシュ(父)(大統領任期:
 1989年1月20日〜1993年1月20日)政権の・・安全保障
 策補佐官だったブレント・スコウクロフト中将は・・、
  米中両国による「対日共同封じ込め」を熱心に支持し
 た。
  そして、彼は、日米同盟の事を・・、
  「アーティフィシャル・アライアンス」とか・・
  「人為的な同盟」とか、「嘘くさい同盟」とか、「わ
 ざとらしい同盟」とかと言った。
  (注〉アーティフィシャル(artificial)の意は、
    「本物でない」「作りごとの」「不誠実な」「わ
    ざとらしい」という意味。
  スコウクロフト中将が、日米同盟を「アーティフィシ
 ャルだ」という真意は・・、
  「日本を『潜在的な敵性国』と見なすアメリカが、日
 本を押さえつけておくために維持している同盟関係」と
 いう気持ちが込められている。
  (参考)1990年ブッシュ政権ホワイトハウス国家
    安全保障会議が・・、
     「冷戦後の日本を、国際政治におけるアメリカ
    の潜在的な敵性国と定義し・・、
     今後、日本に対して封じ込めを実施する」とい
    う政策を決定している。
  また、アメリカは・・キッシンジャーの様に、裏表の
 ある・・それも・・この表裏の落差が非常に大きい・・
 注意を要する・・今までの逆のことも平気で言う・・
  アメリカのポール・ゴドウィン博士(ペンタゴン付属
 の教育機関であるナショナル・ウォー・カレッジ副学長)
 の言葉・・、
  「日米は、『価値観を共有する同盟関係』より優先さ
 れる『対日封じ込め政策』・・これは当たり前だ」と言
 った。
  (参考)1992年2月18日、この日に作成された「1994年
     〜1999年のための国防プラン・ガイダンス
     (DPG)というペンタゴンの機密文書には、
     「アメリカアジア同盟国(特に、日本)が、
     より大きな地域的役割を担うことは、潜在的に
     この地域を不安定化させる」と記されている・・
  アメリカに、この様な言葉がある原因の一つとして・・
  日本に・・「自分の国は、自分で守る」という事を真
 剣に考えてない・・、
  この当たり前の「道徳的義務すら果たそうとしない」・・、
  「エスケーピスト(逃避主義国家)」として蔑(さげ
 す)まれている・・、
  その様な日本だと・・受け取られている・・、
  びっくりする様な大金を出して、「これで良いのだ。
 大金も出したし・・」・・の・・日本のセンスが・・、
 「軽蔑され、蔑まれた・・」・・、
  この様な今・現代の日本のセンスは・・世界に通用し
 ない・・また・・、
  「日本も、血を流そうとしないと、アメリカの青年は、
 日本を助けようとは、しないよ!」・・と・・、
  尖閣諸島の問題の時に、アメリカから言われた・・
  このことも、しっかり覚えて置かなければならない!
.
1993年1月20日、ビル・クリントンが、第42代アメリカ大統
 領になった。
  クリントン大統領は「反日親中」だった。
  そして、クリントン政権の上層部は「親中嫌日」だっ
 た。
  ウィリアム・ペリー国防長官は、全体主義国家である
 中国と北朝鮮核兵器生産には「融和的態度」をとるが、
  (今、北朝鮮に核がある遠因の一つ・・)
  民主主義自由主義を実行してきた日本が、核兵器
 材料を持つことは耐えられなかった。
  ペリー国防長官の言葉・・、
  「東アジア地域において米中両国は、日本だけには・・
 核を持たせてはならない」
  サミュエル・バーガー安全保障政策補佐官の言葉・・、
  「アジア太平洋地域は、アメリカと中国が協力して
 共同支配する地域だ」
  このバーガーは、核武装した北朝鮮よりも、「日本が、
 それを口実として自主防衛しようとするかもしれない」
 ということを心配していた・・嫌日の輩だった。
  ロバート・ルービン財務長官の言葉・・、
  「アジア地域は、米中両覇権の戦略的パートナーシッ
 プにより共同支配する地域だ」
  この様に、アメリカ政権の「反日親中」の言葉の数々
 を聞くと暗澹(あんたん、見通しが立たず、希望が持て
 ないさま)たる気持ちになるが・・、
  ここで出て来るのが「ビンのフタ論」である。
  この「ビンのフタ論」は、前記したように、1990年3月
 27日に、在日アメリカ海兵隊のヘンリー・C・スタック
 ポール司令官が、ワシントンポスト紙に発言した言葉で
 ・・、
  「もしアメリカ軍が撤退したら、日本は、すでに、相
 当な能力の軍事力を持っているが・・、その持っている
 軍事力を、さらに強化するだろう。
  だれも、日本の再軍備を望んでいない。
  だからわれわれ(アメリカ軍)は(軍国主義化を防ぐ)
 瓶のフタの様に日本に駐留しているのだ」・・
  かつて、在日米軍の撤退を厳しく要求した中国も、 キ
 ッシンジャーが北京を訪問して、上記の様な説明を受け
 ると、 周恩来は大きくうなずいて、日本からのアメリカ
 軍撤退要求を取り下げたのだった。
  米中両国は、日本の単独防衛・核武装阻止という点で、
 利害が一致していた。
  以上のことは・・、
  ハリー・トルーマン、ジョン・フォスター・ダレス、
 ヘンリー・キッシンジャー、 ヘンリー・スタックポール、
 クリスティン・ウォーマスなどのアメリカの政府や軍の
 高官がその様に証言している。
  孫崎享(まごさきうける、日本の外交官、評論家、ハ
 ーバード大学国際問題研究所研究員、外務省国際情報局
 局長、イラン駐箚特命全権大使など)も、著書「日米同
 盟の正体 迷走する安全保障」の中で・・、
  日米同盟の目的は、日本の核武装・軍事大国化を阻止
 して、日本から力を奪うためであり、
  その考え方は、大戦直後も、今も、一貫して変わらな
 い・・と述べている。
  クリストファー・レイン(UCLA、海軍大学校大学
 院)は・・、
   日本の自衛隊を、自主防衛できない組織(属国の軍隊)
 にしておくのがアメリカの目的で、アメリカの対ソ政策、
 対中政策に都合の良い武器は持たしてもらえるが、
  『本当に自主防衛するための武器』は持たしてもらえ
 ない。
  また、アメリカ軍が出動しないと、自衛隊は、他国の
 軍隊に手も足も出ない軍隊となっている。
  『戦後、長い年月が流れたので、そろそろ、日米安全
 保障条約を廃棄し、日本単独防衛を検討してもいいので
 はないか』・・という意見もある・・ 、
  また、ロバート・アート(ブランダイス大学)は、日
 米同盟の『真の現実』というものは、地域的なアメリカ
 の帝国主義的支配権に組み込まれたものとなっている。
  また、マイク・マスタンドゥーノ:(ダートマス大学
 国際政治学)は・・、
  「アメリカ政府高官は、東アジアにおける米国の圧倒
 的ドミナンス(優越、権勢、支配、優勢)を保つために、
 日本を、パーシャル(不完全な)な(バランスのとれて
 ない、独立していない)国家にとどめておく・・その為
 に、日本を必死に説得して来た」。
  また、カート・キャンベルクリントン政権 国防省ア
 ジア政策担当次官補)は・・、
  日米同盟を維持しなければならない根拠は・・、
  「日本にこれ以上軍事費を使わせるない」「日本が、
 他のアジア諸国と軍事的な、また、外交関係を作るのを
 阻止する」「日本には自主防衛させない」・・、
  スコウクロフト(国家安全保障補佐官)は・・、
  「日本は、アメリカ仮想敵国であり、 封じ込めが
 アメリカの政府の対日外交政策方針である」
  (上記は、伊藤貫氏の証言で、1991年、伊藤貫氏が連
 邦議会外交政策委員の主要メンバーから聞いた)
  また、国防大学・National Defence Univ.(National
 War College)のゴッドウイン副学長の発言・・
  「封じ込めが対日政策である」
  また、1992年、ペンタゴンの防衛計画の手引き(
 Defence Planning Guidance)で、主要仮想敵国を、
 Other Advanced Industrial Nation(ドイツと日本)と
 位置づけ、地域のリーダーシップ(Regional Leadership)
 を 取れないようにするという方針となった。
  また、ペンタゴン日本部長 ポール・ジュアートは、
 1994年に、「アメリカは、日本を独立国として認めない」
 と発言した。
  そして、1972年ニクソンキッシンジャー周恩来
 との密約は、現在の米国政府(国防省・CIA)におい
 ても有効で、「東アジア地域において、日本に核を持た
 せない」「アメリカが日本に駐留し続ける、それは、日
 本が独立国になるのを阻止する」「日本政府が台湾や朝
 鮮の問題で発言権を持つことを米中は阻止する」
.
1997年、明確な「反日親中だったアメリカ大統領カーター」
 の政権に居たズビグネフ・ブレジンスキー安全保障政策
 補佐官は、1997年、日本を「アメリカ保護領」と呼んで
 いて・・、
  自衛隊についても、「日本政府が自由に使える道具で
 はない。
  あれは単に、東アジア地域のアメリカ軍の延長として
 の道具に過ぎない」と言っていた。
  アメリカは、表面は『パートナーだ』と言っているが、
 本音は、ブレジンスキーのこの様な気持ちの人が多い状
 況。
 (参考)反日親中:日本に不利に、そして、敵対する
    政策を採り・・、
     そして、その逆に、中国に対しては有利に処し、
    そして、融和的な政策を採ること。
 (参考)ズビグネフ・ブレジンスキー1928年3月28日〜
    2017年5月26日)は、アメリカ在住の政治学者
     1966年1968年リンドン・ジョンソン大統領
    の大統領顧問を務め、
     1977年〜1981年、カーター政権時の第10代国家
    安全保障問題担当大統領補佐官を務めた。
     ポーランド出身、カナダ育ち。
     1971年には、日本に半年間在住した後に、急速
    な経済発展を遂げた日本が、政治外交領域ではい
    まだに独立した行動をとる力を持っていない「ひ
    よわな花」であると論じ、日本で大きな注目を浴
    びた。
     ヘンリー・キッシンジャー国務長官と並ぶ戦
    略思想家だったとする評価もされている。
     2016年に、民間人としては最高栄誉の、アメリ
    カ国防総省公共サービス栄誉賞を受賞した。
.
2002年10月、江沢民・中国国家主席が訪米し、アメリカ
 ブッシュ大統領(子)をテキサスの牧場に訪ね、密約の
 確認をした・・?
  当時(1972年2月)のニクソン米大統領とキッシンジャ
 ー補佐官が北京を訪問し、周恩来首相との間で対日政策
 に関する密約を交わしている。
  この事は、日本人は、きちんと覚えておく必要がある。
  この時の密約の要点を書きとめたニクソンの手書きメ
 モも残っているが・・、
  密約の一つは、「東アジア地域において日本だけは核
 武装させない」というもので、
  このことを、2002年10月、江沢民・中国国家主席は訪
 米し、テキサスの牧場にブッシュ大統領を訪ね・・そし
 て、このときにも『再確認』したとされている。
.
2006年秋、ブレジンスキー安全保障補佐官が、ワシント
 ンの公開シンポジウムで公言した・・、
  「アメリカと中国との間には、日本にだけは核を持た
 せないという密約がある」・・と・・、
  「リアシュアランス戦略」
  アメリカには、「リアシュアランス戦略」がある。
  「リアシュア」は「安心させる」という意味。
  アメリカが、「日本は安全だ」と言い・・、
  また、「日本人は、アメリカによって保護されている
 から心配しなくていい」と言う。
  日本は、「よかった、よかった、アメリカに保護され
 ているから日本は安全だ」・・と思う。
  アメリカの、この「日本人をリアシュアしておく」と
 いう戦略をとったのは・・、
  「敗戦国・日本から、永遠に自主防衛能力を剥奪して
 おきたい」という戦略から来ている。
  2006年秋、ブレジンスキー安全保障補佐官が、ワシ
 ントンの公開シンポジウムで公言した・・、
  「アメリカと中国との間には、日本にだけは核を持た
 せないという密約がある」・・と。
  この密約は、ワシントンでは、すでに、「公然の秘密
 となっていた。
  「アメリカと中国の政府間に、日本から、自主防衛力
 を剥奪しておくため、アメリカ軍は、日本の駐留を続け
 る。
  例え、「日本の周辺国が、すべて、核武装しても」、
 「日本にだけは、核は持たせない」・・と。
  1971年秋、アメリカキッシンジャーと、中国の周恩
 来の間で、「対日共同封じ込め」が話し合われ、
  翌年の1972年2月、アメリカ大統領ニクソンが、北京を
 訪れ、米中首脳間で合意された。
  この米中首脳合意は、アメリカ政府の外交資料に公開
 されている。
  また、中国の公開論文などでも公開されている。
  日本が、真に独立できな根源が、ここから来ている。
  この後も、この日本の立ち位置は、その都度、アメリ
 カと中国間で確認されている。
  ニクソンの後の「フォード」「カーター」もアメリカ
 中国による「対日共同封じ込め戦略」は続けられた。
  中国は、表では「アメリカの覇権に抗議する姿」を見
 せているが?
  『対日共同封じ込め戦略』の基本路線で、アメリカ
 つながっている・・この事は、ブランダイス大学のロバ
 ート・アート氏が指摘する。
  (参考)ロバート・アートは、アメリカ合衆国の国際
    政治学者。ブランダイス大学教授。MIT国際関
    係研究所フェロー。
     専門は、国際関係論、安全保障論。
     1964年に、コロンビア大学卒業後、1968年に、
    ハーバード大学で博士号取得。
     米国陸軍士官学校や米国空軍士官学校、中国人
    民解放軍国防大学、ベルリン自由大学などで講義
    をしてきた。
.
2010年1月21日、アメリカの連邦最高裁は、選挙資金の支出
 制限を違憲とした。
  『献金の上限撤廃』の判決が出た。
  また、2016年6月10日には、チャイナマネー疑惑が、ヒ
 ラリー・クリントン氏(民主党)を、突如、襲った。
  新たな火種が浮上し、連邦捜査局(FBI)が捜査し
 ていると報じている。
  大統領選や、知事選の候補者は、外国人から選挙資金
 を受け取ってはならないとなっている。
  しかし、中国は・・、
  アメリカ民主党に献金し、チャイナロビーを形成し
 て、アメリカを通じて日本に圧力を掛けていると言われ
 ている。
.
2017年9月3日、日本が、レーザーで、ミサイルを迎撃する
 「新システムの検討」をしていることが分かった。
  北朝鮮の核・ミサイル開発など、世情は不穏さを増し
 ているが・・、
  この新システムは、高出力レーザーを、発射直後の弾
 道ミサイルに照射し、無力化し、破壊する方法。
  防衛庁は、すでに、2010年度から研究を始めていて、
 高出力レーザーの研究を実施するなどしていた。
  また、アメリカの研究成果についての情報提供も受け
 ていた。
  2018年度から5年間で、装備化に向けた研究に入る。
  レーザー兵器は、アメリカや中国などでも開発が進め
 られていて、アメリカは、実戦配備を始めている。
  アメリカは、ミサイル防衛への活用も検討している。
  また、防衛省は、2018年度概算要求に、迫撃砲弾や小
 型無人機などを迎撃対象とする、高出力レーザーシステ
 ムの研究費として、87億円を計上した。
  北朝鮮が、「ロフテッド軌道」での発射を繰り返して
 いるため、新しい技術で対応する方針・・、
  開発を目指すのは、弾道ミサイルが発射された直後の
 「ブースト段階」の時点で、
  航空機や艦船などから高出力レーザーを照射し、熱に
 よってミサイルを変形させる技術。
  これによって、ミサイルが、空気の摩擦抵抗を受ける
 大気圏内への再突入などの際に、無力化・破壊する方法。
  この方法は、多数の弾道ミサイルの発射にも対処が可
 能。
  因みに、ブースト段階とは、弾道ミサイルが、発射直
 後に、ロケットエンジンの燃焼で加速する段階のことで、
  燃焼が終了して、慣性で大気圏外を飛行する「ミッド
 コース段階」や、
  弾頭が、大気圏に再突入してから地上に向かう「ター
 ミナル段階」とは違う・・
  ロフテッド軌道の場合、ターミナル段階の弾頭は、落
 下速度が速く、迎撃性が落ちる。
  この新システムの方法で、ロフテッド軌道に入る前の
 低速度の発射直後の段階で対処ができる。
  (読売新聞、2017年9月3日を参考にした)
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  http://d.hatena.ne.jp/HACHI2009/archive

2017-09-04

(増補版)551E2/3:1/3:気になった事柄を集めた年表(1892年1月〜1892年2月)

題:(増補版)551E2/3:1/3:気になった事柄を集めた年表(1892年1月〜1892年2月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
1892年1月1日、山陽鉄道会社が、旅客運賃を改定した。
1892年1月5日、世界で初めて、オーロラの写真撮影に成功
 した。
1892年1月16日、明治美術会が、洋風美術指導の教場を開く。
  明治美術会は、日本最初の洋画団体で・・、
  明治10年代には、維新以来の急進的な欧化政策に対す
 る反省、反動の機運が高まり、日本の伝統美術の復興を
 旗じるしに、洋画排斥の世論が強まって行った。
  こうした当時の国粋主義的風潮に抗して、1889年に、
 浅井忠、小山正太郎、原田直次郎、松岡寿、山本芳翠、
 長沼守敬らが、東大総長の渡辺洪基を会頭として組織し
 た。
  また、後援者として行政家や知識人らの多数が名を連
 ねた。
  そして、さらに、黒田清輝、久米桂一郎らの新帰朝者
 も参加した。
  毎年、展覧会を開き、多くの名作を発表した。
  また、外国作品の参考陳列、研究所の設置、講演会
 討論会なども行い、洋画発展・啓蒙のために尽した。
  後に、黒田清輝らが、白馬会を起こしたため、白馬会
 と対立した。
  旧派、または、脂派 (やには) と呼ばれて衰退し、
  1901年に解散した。
  翌年の1902年に、若手を中心にした旧会員らが、太平
 洋画会を結成し、
  白馬会とともに二大洋画団体となった。
1892年1月23日、植木枝盛(うえきえもり)が死去した。
  (1857年1月20日〜1892年1月23日、36歳)
  土佐国(高知県)高知城下井口村の生まれで、
  土佐高知藩下級士族・植木直枝の独子、
  板垣退助の演説を聞いて感銘を受け、また、明六社
 影響を受け、自由民権運動に加わり、自由民権運動の指
 導者・政治家となる。
  国会開設に尽力。
  廃藩に至るまで藩校致道館に学ぶ。
  1873年(16歳)旧藩主・山内氏が東京に開設した海南
   私塾に学んだが、陸軍士官予備門的同校の方針が不
   満となり、高知へ帰る。
   時は、あたかも、征韓論政変で下野した板垣退助
   林有造、片岡健吉らは帰郷して、高知に立志社を設
   立し、自由民権運動を開始した。
   枝盛は、立志社の演説会で、板垣らの演説に発奮し、
   運動への関心を高めた。
  1876年(19歳)再度、上京し、板垣邸に書生として寄
   宿した。
   そして、明六社や、慶応義塾主催の演説会を聴取し
   たり、読書に耽り、独学で西洋近代思想を学び、民
   権思想を吸収した。
   東京の諸新聞に政論を投書するなど、言論活動を始
   めた。
   1876年2月、『郵便報知新聞』に掲載された専制政府
   攻撃の『猿人政府(猿人君主)』が讒謗律新聞紙
   条例違反に問われ禁獄(きんごく、牢獄に閉じ込め
   ておくこと)2ヶ月となる。
  1877年(20歳)帰郷して、立志社に入社し参加した。
   そして、板垣退助のブレーン(頭脳)として、片腕
   的存在として活躍。
   この年は、西南戦争の最中で、いわゆる立志社建白
   を起草した。
   同年・1877年立志社は、機関誌『海南新誌』『土
   陽雑誌』を創刊した。
   枝盛は、その編集・執筆に当たり、また、演説会で
   活発な言論活動を展開。
   愛国社、国会期成同盟自由党に板垣の片腕的存在
   として活躍した。
   (国会開設運動や民権思想の普及につくす)
  1881年(24歳)急進的な私擬憲法「日本国国憲案(東
   洋大日本国憲法)」を起草した。
   のち再興愛国社、国会期成同盟自由党などの運動
   に板垣の片腕となって活躍する。
   一方、民権派ジャーナリストとして『民権自由論』
   (1879年・22歳) などの出版により民衆啓蒙を行う。
   のち、急進的自由民権運動から離れ、婦人解放運動
   に尽力した。
  1884年(27歳)自由党解党以後、高知に戻り、県会議
   員として運動を持続した。
    また、『土陽新聞』に拠って健筆を振るい、自由
   民権思想の普及、運動の拡大に努めた。
  1890年(33歳)第1回総選挙で、高知3区から衆議院
   員に当選し、自由党土佐派の有力者として活躍した。
   しかし・・
  1892年1月23日、36歳の若さで急死した。
  彼の思想の特徴は、天賦人権論主権在民、抵抗権な
 どにあった。
  その他の著書に『天賦人権弁』『開明新論』『言論自
 由論』『一局議院論』など。
1892年1月28日、予戒令(よかいれい)が公布された(1月
 25日説あり)
  集会の妨害行為、他人の業務に干渉する者の取締を目
 的に制定され、即日、施行された。
  1892年2月15日に、第2回衆議院議員総選挙が行われる
 予定であったため、選挙取締りを目的とするとされた。
  政治集会で社会が騒然とし、また、騒動が多発するた
 めもあった。
  「政談集会ヲ妨害シ議会議員ヲ脅迫スル…人民ニ対シ
 警察上ノ監督」と記されている。
  内閣顧問として活躍したドイツ人ヘルマン・ロエス
 レルは、予戒令の審議における参考意見として・・
  「公共並ニ国家ノ利益の為ニ…禁遏(きんあつ、禁じ
 て止めさせること)スルヲ得ヘシ」と判断し、制定の正
 当性を挙げた(1914年1月21日まで存続した)
1892年1月、大阪鉄道会社線の亀ノ瀬トンネルが完成した。
  1889年3月に着工していた(工期:2年10ヶ月)
  全長:下り線699m、上り線703.5mの鉄道トンネル
  堅上村(現在の大阪府柏原市大字峠)から大阪府・奈
 良県境までにかけての区間には、生駒山地と金剛山地の
 末端に挟まれた難所かつ隘路があり・・
  この難所「亀ノ瀬越え」があった。
  この一帯は、地すべりがたびたび発生した。
  1889年に着工された亀ノ瀬トンネル(全長413m)・芝
 山トンネル(全長216m)も、異常な土圧力を受け、工事
 が完成しても、煉瓦に亀裂ができ、崩壊するという危険
 性に見舞われていた。
1892年2月1日、九州鉄道会社が、下等旅客運賃を値上げし
 た。
1892年2月1日、北海道炭砿鉄道会社が、砂川駅〜空知太駅
 間の4.6kmを開業した。
1892年2月2日、大阪鉄道会社が、亀瀬駅〜稲葉山駅間の1.3
 kmを開通して、湊町駅〜奈良駅間の41.2kmを全通させた。
1892年2月3日 出口なを、京都綾部で大本教を開いた。
  神道系の新宗教で、教祖の出口なおにより 1892年
 創唱され、その予言は、御筆先 として記された。
  (おふでさき。大本神諭、なをの「筆先」による艮(う
 しとら)の金神(こんじん)の世直しを唱えて、「みろくの
 世」(神の国)の到来を説いた)
  大本皇大御神を祀り、なおの出生地たる丹波国綾部を
 地上の高天原とし、神人合感を唱え、世を立直して、神
 の国を開くと説いた。
  なおの死後、教理を体系化し、組織を構築した出口王
 仁三郎(でぐちおにさぶろう)、すみの両人により、鎮
 魂帰神法が唱えられ、綾部に本部、亀岡に道場がおかれ、
 大きく発展したが、1921年1935年の2回の不敬罪で解散
 に至った。
  第2次世界大戦後、愛善苑として再建された。
  1952年大本教に復し、京都府亀岡市に本部を置く。
  尚、開祖の出口(でぐち)なお(1836年〜1918年、82歳
 没)は、
  1836年、丹波国京都府)福知山城下に大工の長女と
   して出生した。
  1853年(17歳)の時、丹波綾部郷(現京都府綾部市
   の叔母・出口ゆりの養女となる。
  1855年(19歳)大工の夫を婿養子として迎え、出口家
   を継いだ。
    しかし、夫の放蕩で家財いっさいを失うこととな
   った。
   つらく、ひどい生活苦を体験した。
  1892年(56歳)、貧しい大工の未亡人である出口なを
   が創唱した。
    「三千世界一度に開く梅の花、艮(うしとら)の
   金神の世になりたぞよ」と、突然、神がかりして口
   走り・・、
    理想世界「みろくの世」の実現を説く世界の平和
   と・・世の中の立直しを叫んだ。
1892年2月5日、大村益次郎の銅像が除幕された(除幕式)
  大村益次郎の銅像は、初代司法大臣として活躍した山
 田顕義の発案で、靖国神社に建立された。
  大村益次郎(おおむらますじろう、1824年3月10日〜
 1869年11月5日)は、幕末の洋学者で、日本の近代的軍制
 の創始者
  旧名は村田良庵、のち、村田蔵六と名乗った。
  1824年(文政7年)3月10日、周防国吉敷郡鋳銭司村字
   大村に長州藩の医者・村田孝益の長男として生れた。
  1843年(19歳)蘭医・梅田幽斎に学ぶ。
  1844年(20歳)豊後(大分県)の広瀬淡窓に漢籍を学ぶ。
  1847年(23歳)大阪緒方洪庵の適塾の門で、蘭学と
   医学を学び、塾長を務めた。
    この間、長崎を訪れ名医奥山静叔に学ぶ。
    そして、P・シーボルトについてオランダ医学を学
   んだ。
    また、兵学を修めた。
  1851年(27歳)父母を養うために帰郷した。
   そして、医を開業したが振るわず・・宇和島藩に迎
   えられ、伊予(いよ)(愛媛県)宇和島藩御雇となった・・
   そして、西洋兵書を翻訳し、軍艦製造などを指導し
   た・・、
  1856年(32歳)江戸に出て鳩居堂を開塾した・・
   宇和島藩主・伊達宗城の推挙で、幕府の蕃書調所に
   仕え、教授手伝い、さらに、講武所で教授を歴任し
   た。
    この間、ヘボンに英語を学んだ。
    名声を聞いた長州藩は出仕を命じた・・
  1860年(36歳)万延元年、長州藩に呼び戻され、帰藩
   し、同藩(長門・ながと・山口県、萩・はぎ藩)で
   兵学を教え、兵制改革に力量を発揮した。
  1866年(42歳)長州戦争には、石見口の総参謀として
   幕府軍を壊滅させた。
  1868年(44歳)1月3日、戊辰戦争が起きると、討幕軍
   として上洛した。
    維新政府の軍防事務局判事加勢を命ぜられ、軍政
   事務を担当した。
  1868年(44歳)閏4月、江戸に出て、上野彰義隊討伐、
   奥羽・北越の平定作戦に携わった。
    総合的な視点で戦局を捉え、軍略は戦う前から必
   勝の成算をうかがわせるものがあった。
    西郷隆盛は、大村の軍が進まないのをみて、部下
   将士のすすめるままに兵を率いて東上し戦地平定を
   申し出た。
    大村は、西郷を諫め、西郷の青森到着前に五稜郭
   が陥落した。
    西郷は、大村の卓見に感服し、「我誤てり面を合
   はすに恥づ」とそのまま帰郷した。
  1868年(44歳)10月、軍務官副知事となり箱館(函館)
   を鎮定した。
    ここに戊辰戦争は終結した。
    その戦の功により永世禄1500石を受けた。
    この様に、戊辰戦争に優れた軍事指揮を執った。
  1869年明治2年)(45歳)兵部大輔となり、軍制を徹
   底的に改革するため、それまでの諸藩混成の士族的
   御親兵を、国民的な近代軍隊へ改組したいと・・、
    陸軍はフランス陸軍へ、海軍はイギリス海軍を模
   範としてならうと・・藩兵解体、帯刀禁止、徴兵制
   度の採用などを建白し、一連の兵制改革を行ない、
   日本の兵制の近代化に尽力した。
   ・・が、旧士族の反感を買い、
  1869年9月4日(45歳)、京阪地方を旅行中の京都の止
   宿先で、神代(こうじろ)直人ら反対派士族の8人に襲
   われ、刺された傷がもとで大阪の病院で・・
  1869年12月7日、死去した、46歳だった。
  最後の言葉は、「安価で軽便な四斤砲をたくさんつく
 ってくれ」。
.
  (今日の言葉)
.
  題:枕を高くして寝ていられる日本ではなくなっている。
    国防をもっと真剣に考えなければいけない!
    緊急事態なのである!
.
1910年8月29日、日韓併合(〜1945年9月9日)
  日本は、「韓国併合に関する条約(日韓併合条約)」
 によって大韓帝国と併合した。
  標語は、「内鮮一体」で・・、
  日本と朝鮮は一体となって国づくりをして行こうと、
 そこには、完全に朝鮮を差別待遇するなどという意味は
 まったく無く、平等に内地(日本本土)と一体となって
 国づくりをしようとした。
  差別なく、日本と同等な皇国の民として平等だという
 意識で・・、
  「半島人ヲシテ忠良ナル皇国臣民タラシメル」ことを
 目的とするとした。
  今・現代、その当時を生きた韓国の方々は、そのこと
 を裏付ける様にネットに以下の様に記述する。
  「韓国政府が、ひたすら酷かったとして、恩を仇で返
 すような行動をしている」が、
  また、「教科書で、ひたすら日本を蔑むことを記述し
 て韓国の小学生たちを洗脳しているが、真実は消せない」
 と・・、
  以下の翻訳したネットのスレッド(投稿)の韓国の
 庶民の方々の真実の声も聞いて戴きたい・・
  翻訳ー1:おじいさんは笑いながら「日帝時代は、李氏
     朝鮮などの朝鮮王朝が統治した時よりはるかに
     幸せだった」と言いました。
      その例として、まず、医療技術が発達し、人々
     が病気の苦痛から開放され、長生きすることが
     できるようになったこと、
      さらに、教育の機会が与えられ、多くの人た
     ちが勉強できるようになったことなど・・
  翻訳ー2:韓国人強制徴用については知らされているこ
     とと違うと言いました。
      善良な人を強制的に徴用したのではく、死刑
     囚や犯罪者などを徴用していたのです。
  翻訳ー3:慰安婦問題については正確には知らないとし・・
  翻訳ー4:親日派売国奴は別物だ。
      親日が悪いことではないと言いました。
      当時、韓国民族が生きる最良の道は、現実問
     題としての自分の立ち位置をよく認識し、日本
     人から先進文物を学び、自分のものにするとい
     うものでした。
      また、社会のほとんどが親日であり、現在の
     テレビ放送(TV)が示すような、大多数の人が
     独立万歳をしていなかった・・と言います。
  翻訳ー5:教科書を見れば、老人たちにとって日帝時代
     は地獄であり、日本は悪魔だとしています。
      しかし、老人ホームのようなところに行って
     奉仕活動をしながら尋ねると、意外にも日帝時
     代に対する感情がないということに驚きます(
     日本は悪いことをしていないので、悪感情が出
     て来ない)
  翻訳ー6:朝鮮時代末期には、平均寿命が30歳を超えて
     いなかったとしています。
  翻訳ー7:平均寿命と人口が約2倍に増えたという客観
     的な統計が存在し、飢えて死ぬ人々の数が目に
     見えて減りました。
      以前には、娯楽すら知らなかった人たちは、
     少しふんぱつをすれば、豪華な洋館でコーヒー
     を飲むことができたました。
      文学などの芸術も、この時から発達していま
     す。
      日帝時代は、大多数の朝鮮人親日派であっ
     た。
      いや、親日派という言葉すら成立しないかも
     しれない。
      当時、絶対多数の朝鮮人は、日本人として幸
     せに暮らしていた。
      現在、韓国の教科書が教えるのは捏造、歪曲、
     操作であり、独立運動朝鮮人は、全体の1%に
     もならなかった。
      絶対多数99%の朝鮮人親日派であった。
  (日本も同じだったのだろう・・と、日本を、アメリ
 カやヨーロッパ諸国と同じ様な『搾取するだけの植民地
 政策だ』と同じに見ないでください)
  第二次世界大戦当時、大東亜戦争に自ら進んで参加し
 た朝鮮人兵士は・・何と! 22万人を超えた。
  また、平均寿命が24歳という地獄ような朝鮮の状況を・・
 一変させ・・
  朝鮮の方々の平均寿命を倍以上に増やすという『改善
 がなされた』。
  それは、一朝一夕で出来るものではなく・・
  住みやすい国づくりをし、また、人間らしく生きられ
 る国を作った日本だった。
  この様な功績を、まったく伝えない韓国・・
  偽りと捏造(ねつぞう)の歴史で、いつまでも被害者
 であるとプロパガンダし、洗脳する。
  恩を仇で返している韓国なのである。
  韓国の安東地方に建設された図書館の利用者記録を見
 るだけでも分かります・・、
  この資料だけでも、日本が、どれほど朝鮮のあらゆる
 ものに貢献したかが・・
  朝鮮人の方々、支那人の方々、共に、この知的な場所
 を、多くの人が、公平に閲覧しています。
  公平な社会だった。
  公平な統治が行われていたという証拠の一つです。
http://blog.livedoor.jp/kaikaihanno/archives/26941311.html
 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/983250/10?viewMode=
http://livedoor.blogimg.jp/kaikaihanno/imgs/4/3/437ea3cc-s.jpg
http://livedoor.blogimg.jp/kaikaihanno/imgs/9/2/923f2cbc-s.jpg
.
1937年11月15日、日本軍の第10軍は、「一挙追撃を敢行し、
 南京を占領すべき」と積極案を出した。
  それは、マス・メディアの論調に影響を受けていた。
  南京への進軍のきっかけを作ったNHKはじめマス・
 メディアは、
  その後の、南京へ向かう日本軍の進軍を、逐一、報道
 した。
  この報道も、煽りだった。
  それまでの上海事変で、日本軍は疲弊していた。
  上海の日本軍を攻めて来た中国国民政府軍は、上海事
 変での戦いは強烈だった。
  アメリカに支援された中国国民政府軍は、そのアメリ
 カに支援された大量の武器と物量で頑強で、日本を苦し
 めた。
  日本軍は疲弊していた。
  本来は、上海事変が集結した後、日本に帰還するわけ
 だった。
  しかし、NHKはじめマス・メディアに煽られた軍は、
 戦争拡大の意見が通り、また、上海事変で戦った兵士が、
 そのまま南京へ向かうことになった。
  そしてまた、南京へ向かうその日本軍を、NHKはじ
 めマス・メディアは、逐一、報道し、当然、煽られた状
 況になって、南京へと向かって行った。
  国民はその報道をかたずをのんで見守り、声援した。
  NHKは、この様に戦争を煽った罪を『まったく報道
 しない』、
  日本を貶(おとし)める放送ばかりをしてる。
.
1946年3月5日、イギリスチャーチル前首相が「鉄のカー
 テン」演説を行う。
  この「鉄のカーテン」は、イギリスチャーチルが、
 首相を退任後、アメリカトルーマン大統領に招かれ訪
 米し、ミズーリ州の大学で演説した中で言った。
  この「鉄のカーテン」と言われた頃と、今(2017年
 との違いは・・、
  ソ連が崩壊して、ロシアが誕生したという経過がある
 が・・
  今・現代の2017年は、中国が世界一としての存在感
 増している。
  米中関係と言われていた言葉は、今は、中米関係と逆
 転して言うべきだろう。
  米ソの冷戦時は、明確な立ち位置の違いがあった。
 冷戦だと言われる様に、米ソは、その「冷戦の戦争的な
 対決状態」だった。
  そして、「鉄のカーテン」と言われた様に、「カーテ
 ンの向こう側」と「カーテンのこちら側」という明確な
 体制の違いがあった。
  しかし、今・現代の状態は、同じ様な経済状況・経済
 体制の中で、「明らかに中国は、世界の覇権を手に入れ
 たい」と意思表示をしていながら、現状の様な雌伏の様
 な形で、現位置を構築してきた。
  しかし、「中国の明確な覇権を得たい」という言葉の
 裏には、今の派遣者であるアメリカには退場して戴きた
 いという中国の意思もある。
  そこを、隠密に、静かに、なされたため、米ソ冷戦時
 のはっきりした「彼我の陣営の違い」が見えにくくなっ
 ている。
  北朝鮮を明らかに繰って、自らの覇権構築に利用して
 いても・・その様な北朝鮮を繰る姿は見えにくくなって
 いる。
  その見えにくい中国に、米ソ冷戦の時には、米側であ
 った諸国も、今・現代は、中国側に取り込まれている。
  IMF体制を変えたいという意思のある中国。
  中国主導のそのAIIB(アジアインフラ投資銀行
 にも、だから、イギリスはじめ、米ソ冷戦時は、アメリ
 カ側であった諸国が加わっている。
  その諸国の中には、「AIIBに加わって、その様子
 をはっきり見るのだ」という声も聞こえるが・・?
  何か、アメリカ離れをして行こうという様にも見える。
  そこを、日本だけが・・律儀に・・アメリカとともに
 いる感じとなっている・・、
  ドイツは、明確に中国側の行動を行なっている。
  アメリカが、アメリカの一部の知識人が言うように、
 「中国の覇権を認め」、そして、中国の軍門に下るのか?
  それとも、読売新聞の論説文の様に、「より日米関係
 を強固にせよ」という論説の如く、日米関係を強固にし
 て・・、
  この先は、中国の構築したグループと、対決姿勢を形
 作って行くのか?
  中国には、孫子という人が居た。
  中国の指導層も、この孫子の言葉を教訓にしている・・
 モットーにしているというが・・眉(まゆ)つばものだ・・
  この孫子の言葉に・・、
  「兵は詐(さ)なり。(この詐は、つくりごとをいう。
 嘘を言ってだます・・という意味)・・、
  そして、「彼を知りて己を知れば、百戦して殆(あや)
 うからず」・・とある。
  この有名な文の前文・・孫子の言葉には、「兵は詐を
 以って立つ・・」という言葉がある。
  つまり、「戦いは敵を欺き、裏をかくことだ」と言っ
 ている。
  中国は、「勝てば何をやっても良いのだ」と考える国
 だということ。
  中国の本を読んでも、欺いて勝った者が褒められ、讃
 えられている。
  節操なく人をだまし、騙し合いの汚い話の連続だ。
  延々とこんな事ばかりをしている。
  キリスト教聖書も、この様な事が書かれていて、唾棄
 すべき記述に満ちているが、中国は聖書以上だ。
  アメリカも、原爆を落とし、一般市民をターゲットと
 した無差別爆撃をし、そして、じゅうたん爆撃を、日本
 の都市という都市に行って、本当に多くの市民を殺戮・
 虐殺したが・・、中国の悲惨さはアメリカ以上だ。
  自国民を1000万人単位で何回も殺している国・・、
  中国の悲惨さ、冷酷さは、反対意見の持ち主が、皆無
 に近い所だ・・皆、殺してしまう。
  ロシアの学者が明かす・・
  中国政府は、最近の20年間、大量の工作員ロシア
 送り込み、
  ロシアの内政と外交を親中に誘導している・・と、
  チャイナ・ロビーの威力はすごい影響力がある・・と、
  アメリカもこれをやられている・・
  そして、日本もやられている・・
  官僚がやられ・・NHKなどは、『親中の放送だ』と
 はっきり分かるものがあるという酷さ・・、
.
1948年2月6日、GHQの内部文書「戦争についての罪悪感
 を日本人の心に植えつけるための宣伝計画」が明らかに
 なった。
  ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム
 War Guilt Information Program、略称:WGIP)を、文芸
 評論家の江藤淳氏が、その存在を明らかにした。
  この文書は、第二次世界大戦大東亜戦争)終結後、
 アメリカを主力とする連合国軍最高司令官総司令部(G
 HQ)が行なった日本占領政策の一環としてやった日本
 人洗脳計画・・
  「戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるた
 めの宣伝計画」である。
  1979年より、ウィルソン・センターで、アメリカ軍
 領下の検閲事情を調査していた江藤氏は、
  アマースト大学の史学教授レイ・ムーア氏より「Draft
 of c/n, Subject : War Guilt Information Program,
 From : CIE, To : G-2 (CIS), : Date : 6 February
 1948」と、表題された文書のコピーを提供された。
  江藤氏は、この文書について・・、
  1948年昭和23年)2月6日付で、CI&E(民間情報
 教育局)からG−2(CIS・参謀第2部民間諜報局)宛
 てに発せられたGHQの内部文書であると明らかにした。
.
1960年1月19日、新日米安保条約が発効した。
  日米安保条約は、1951年9月8日の日本との平和条約と
 同日にアメリカと署名された。
  そして、1960年1月19日に、日本とアメリカとの間の相
 互協力及び安全保障条約(新日米安保条約)が発効した。
  これによって、先の日米安保条約は失効した。
  ハンス・モーゲンソーの言葉・・、
  「同盟は、両国が共に強くなければ維持されない」。
  (参考)ハンス・モーゲンソー:1904年〜1980年、ド
     イツ出身の国際政治学者シカゴ大学教授。
  日米は、白昼夢(はくちゅうむ。真昼に夢を見ている
 ような、非現実的な空想)の様な同盟関係なのである。
  日本は、モーゲンソーの言う通り、今以上のしっかり
 した防衛力を構築しなければならない。
  そして・・、日米安保条約には・・、
  「日本が攻撃にさらされた場合、自国(アメリカ)を
 犠牲にしてまで、日本を守らなければならない」といっ
 た具体的な取り決めは無い・・、
  マクジョージ・バンディは・・、
  「アメリカ大統領は、たった一発の核弾頭が、アメ
 リカのどこかの都市に撃ち込まれる可能性を想像するだ
 けで、足がすくんで核戦争から逃げ出す」と言っている。
  (参考)マクジョージ・バンディ:1919年〜1996年、
     アメリカ政治学者ハーバード大学教授。
      ケネディ政権、ジョンソン政権の国家安全保
     障担当大統領補佐官。
  ハンティントンや、キッシンジャーや、マクジョージ・
 バンディは・・、
  「アメリカ政治家が、同盟国に対する核攻撃(核恫
 喝)に報復するため、核戦争を実行することなどあり得
 ない」・・と言っている。
.
1970年代、ソ連のモスクワ日本大使館に勤務していた日
 本の外交官が、ハニー・トラップに引っ掛かった。
  日本の重大な情報がソ連に盗まれた。
  これと付随して外国の情報も盗まれた。
  日本の大使館の電信官が狙われた。
  ソ連の秘密情報機関のKGBの仕業だった。
  この様に、日本の大使館の電信官が狙われる事件は、
 上海でも起きていて、
  この時は、この情報流出していた外交官は自殺した。
  このモスクワの場合は、この外交官が、東京の本省勤
 務になっても続いた。
  「ミーシャ」というコード・ネームが付けられた。
  本省勤務になった故、より重要ポストにつけられ、よ
 り重要な情報を扱った。
  ソ連のKGBは、KGB東京支局に、東京駐在のKG
 Bに、この「ミーシャ」専従として情報を奪う担当官を
 何人も付けた。
  この頃は、「ミーシャ」の名も「ナザール」に変えら
 れた。
  「ナザール」は、ソ連の最高級の監視と、運用体制が
 築かれ、おいしい情報が、長い期間、奪われ続けた。
  「ナザール」と名付けられた日本の外交官は、甘い「
 ハニー・トラップ」の他に、「大金」も報酬として与え
 られた。
  東京本省から、全世界の在外公館に出される情報、そ
 して、日本へ世界中から集まってくる情報の「ほとんど
 すべて」が、ソ連は奪う事が出来た。
  日本の暗号システムの情報もソ連へ奪われていた。
  「ナザール」の情報は、最も美味しい情報で、常に、
 ソ連・クレムリンのトップにまで伝えられ、報告された。
  この日本の外務省の大汚点は、ソ連KGBの歴史でも、
 最上級の成功事例とされている。
  特に、ソ連が美味しかった情報は、日米間に行き来す
 る極秘情報だった。
  ワシントン日本大使館から、東京の本省へ送られる
 情報などだった。
  アメリカ高官の情報や米ソ関係情報、NATO関係の
 情報などが、ソ連へ奪われた。
  この大切な情報流出が止まったのは、お粗末な事に、
 偶然のことだった。
  日本は、それまで全く気付いていなかった。
  1982年に、ソ連KGB所属員が亡命したから、この事
 が分かったのだった。
  この1982年に、ソ連KGBの元少佐が、アメリカへ亡
 命して起きた「レフチェンコ事件」が起きた。
  アメリカ議会で証言し、多数の日本人エージェント(
 国家の秘密業務で働く者。スパイ)を使って政治工作を
 している実態を暴露した。
  この男は、レフチェンコは、1979年に、アメリカに亡
 命した。
  日本の被害も甚大だったが、世界各国へ及ぼした被害
 も甚大だった。
  世界は、「日本に対しては機密情報は流せない」とな
 った。
  日本外交が、「つんぼ桟敷」に置かれることになった。
  そしてまた、ソ連KGBの対外情報局文書課長が、イ
 ギリスへ亡命した。
  名は「ミトローヒン」。
  彼は、ソ連の抑圧体制に怒りを持った。
  また、共産主義の根源的な不道徳性に怒りを持った。
  彼は、、KGB本部の機密文書を少しづつ持ち出し、
 自宅に蓄積し、その文書とともに、亡命した。
  文書の量は、トラック1台分あったという。
  このミトローヒン文書が、1999年に出版された。
  この「ミトローヒン文書、第一巻」で、アメリカと西
 ヨーロッパをターゲットとしたソ連の工作活動が明るみ
 に出た。
  西側世界は、大騒ぎになった。
  そして、2005年9月に、「ミトローヒン文書、第二巻」
 が出版された。
  ここに、日本を扱った章に、KGBの対日工作の事例
 の数々が具体的に書かれていた。
  ここに「ミーシャ」の事が、事例として描かれていた。
  ミトローヒンは、2004年に死去した。
.
1985年スパイ防止法が廃案となる。
  この年に、「国家秘密に係るスパイ行為等の防止に関
 する法律案」が・・廃案となった。
  中国は、「スリーパーの達人」だから注意を要する。
  スリーパーとは「ヒューミント」とも言い、潜伏スパ
 イのこと。
  軍人や官僚などが狙われる。
  息子にも引き継ぐという「超・長期間」に渡って任務
 に就く。
  日本は、まったくと言ってよいほど、このジャンルが
 弱い。
  相手の国、ターゲットの国民を「スリーパー」とする
 が、杉原千畝の様に、日本人を送り込むこともする。
  杉原千畝は、ロシア人女性を妻に迎え、情報収集に努
 めたが、
  そして、ロシアから入国禁止処置を取られたが、
  杉原千畝の結婚した「ロシア人女性」は「二重スパイ」
 だったという話がある。
  逆に、杉原千畝が、スパイされていたという。
  今の日本には、強力な「スパイ防止法」が必要。
  (参考)国家秘密に係るスパイ行為等の防止に関する
     法律案(こっかひみつにかかるスパイこういと
     うのぼうしにかんするほうりつあん)は、
      1985年の第102回国会で、自由民主党所属議員
     により、衆議院議員立法として提出されたが、
      第103回国会で審議未了廃案となった法律案。
      通称「スパイ防止法案」。
  現在、日本では、スパイ防止法のような、スパイ活動
 そのものを取り締まる法律が存在しない。
  そのため、ボガチョンコフ事件のような、スパイ活動
 事件を取り締まることができない状況にある。
  (参考)ボガチョンコフ事件は・・、
      ロシア連邦の情報機関であるロシア連邦軍
     謀本部情報部(GRU)の工作官が、日本の海
     上自衛隊三佐に対してスパイ活動を行った事件
     で・・、
      ロシア情報の専門家であったH三佐は「とわ
     だ」の船務長等を務めてきたが、息子の看病の
     為に陸上勤務を希望し、呉第一潜水艦群司令
     に移った後、1997年から防衛大学校の総合安全
     保障研究科大学院)に所属し、ソ連海軍に関
     する研究を行っていた。
      そのような中、1999年1月に、防衛研究所
     開いた「安全保障国際シンポジウム」の場でロ
     シア海軍大佐のビクトル・ボガチョンコフ武官
     は、H三佐に接触を図った。
      ボガチョンコフは、Hに寄り添うことから始
     めた。
      Hが、宗教へ入信すると共に祈ったり、家族
     旅行を支援したりして親密な関係を築いていっ
     た。
      更に、息子の葬儀には不祝儀を送り、共に涙
     を流した。
      打ちひしがれたHは、次第にボガチョンコフ
     と過ごす時間に安らぎを覚えるようになってい
     ったという。
      こうしてHは、段々とボガチョンコフに頼み
     に応じて自衛隊の書類や教本を渡すようになっ
     ていった。
  日本のスパイ防止法の制定賛成派は、この現状を、「
 スパイ天国」と揶揄する。
  スパイの黒幕は、ほとんどの場合、大使館の書記官や、
 駐在武官、つまり、外交特権保持者なので、逮捕はでき
 ず、可能なのはペルソナ・ノン・グラータ通告で「退去」
 「帰国お願い」をすることだけ・・、
  さらに、対象は、ロシア・中国などの「仮想敵国」の
 みで、中央情報局やアメリカ軍の情報部、イギリス秘密
 情報部など友好国の活動は一切咎められない。
  (一部、ウィキペディアを参考にした)
.
2001年1月20日、反日親中の大統領であるジョージ・W・
 ブッシュ(子)が大統領になった。
  アメリカ大統領には、明確に、反日親中である大統領
 が、実に、多い。
  以下の、7氏は、確実に、反日親中・・、
  第28代、ウッドロウ・ウィルソン
      民主党1913年1921年
  第32代、フランクリン・ルーズベルト
      民主党1933年1945年
  第37代、リチャード・ニクソン
      共和党1969年〜1974年)
  第39代、ジミー・カーター
      民主党1977年〜1981年)
  第41代、ジョージ・H・W・ブッシュ(父)
      共和党(1989年〜1993年
  第42代、ビル・クリントン
      民主党1993年〜2001年)
  第43代、ジョージ・W・ブッシュ(子)
      共和党(2001年〜2009年)
  以上の大統領は、明確な反日親中の大統領だった。
  中国が、ここまで経済的に大きくなったのも、また、
 軍事的にも大きくなったのも、これ等の大統領の政策が
 大きく影響している。
  アメリカは、まずいと見れば、ハンティントンの言葉、
 「さっさと西半球に引き上げてしまえばよい」の様に、
  西半球へと引き上げるだろう・・、
  日本は、当然、引き上げる訳にいかないから・・アメ
 リカの去ったあとの東アジアに取り残されるだろう。
  国を守ることを疎(おろそ)かにしていると・・日本
 は消滅するだろう・・バンドワゴンは長続きしないだろ
 う・・、
  (参考)反日親中:日本に不利に、そして、敵対する
     政策を採り・・、
      そして、その逆に、中国に対しては有利に処
     し、そして、融和的な政策を採ること。
.
2010年、黒孩子(醺愡辧▲悒ぅ魯ぅ帖▲悒ぅ魯ぅ此法△
 たは、黒戸(户、ヘイフー)とは・・、
  中華人民共和国において、一人っ子政策に反して生ま
 れたために、戸籍を持つことができない子供のこと。
  この様な子供が、『億の人数(数千万から数億人)』
 が居るという。
  2010年に、中国国家統計局が行った人口調査では、戸
 籍を持たない人の数が総人口のおよそ1%にあたる約1300
 万人に及び、その大半が黒孩子だとみられている。
  俗称として闇っ子(やみっこ)という表現があり、一
 部報道では、この表現が用いられることもある。
  この言葉における黒は「闇」という意味で、これは政
 府の視点による言葉。
.
2017年9月3日、今まで、中国は、パキスタンを経由して、
 核技術とミサイル技術を、北朝鮮に譲渡して来た。
  そして、今日、2017年9月3日、北朝鮮は、核実験を行
 い、ICBM(大陸間弾道弾)へ核の搭載技術を完全に
 獲得したと発表した。
  技術を買うお客さんの北朝鮮の核開発を、開発しない
 ようにと、中国がする訳はなかった。
  中国自身が、北朝鮮へ核技術を渡しているのだから・・、
  中国が、恐れているのは、北朝鮮が、アメリカの勢力
 圏に入ること・・
  だから、中国は、北朝鮮に核を持たせた。
  「統一された朝鮮半島が、アメリカの勢力圏に組み入
 れられる事」・・これが、中国は怖いことで・・、
  そうであるから、
  「北朝鮮に核を持たせて、独立性を高めて、独立を維
 持させておきたい」と考えた。
  北朝鮮が、アメリカの勢力圏に入ったら、北朝鮮と中
 国の国境で、アメリカ勢力圏と接する事になってしまう
 という中国。
  日本が、韓国が、北朝鮮に飲み込まれて、38度線が、
 対馬海峡になることを恐れているのと同じである。
  中国にとっての理想は・・
  北朝鮮の独立性が保たれて居てくれれば、中国は、地
 政学的に有利になり、また、安全となる・・である。
  北朝鮮は、すでに、日本を直撃する弾道ミサイルを約
 300基所有している。
  核弾道のミサイル搭載技術は、2017年時点で、持って
 いるだろうと予測されていた(2017年9月3日、核実験
 成功した模様)。
  枕を高くして寝ていられる日本ではなくなっている。
  国防をもっと真剣に考えなければいけない!
  緊急事態なのである!
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  http://d.hatena.ne.jp/HACHI2009/archive

2017-09-02

(増補版)550E2/3:1/3:気になった事柄を集めた年表(1892年1月〜1892年1月)

題:(増補版)550E2/3:1/3:気になった事柄を集めた年表(1892年1月〜1892年1月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
1892年、その他:つづき
・11月24日、民法・商法施行延期に関する法律が公布され
 た。
  1889年明治22年)から1892年明治25年)の日本に
 おいて、
  旧民法明治23年法律第28号、第98号)の施行を延期
 するか、または、断行するかを巡り、論争が展開された
 (民法典論争)。
  延期派は、1890年の旧民法・商法は、不平等条約改正
 を急ぐあまり、帝国議会開設前に編纂を完了してしまい、
 十分な審議が尽くされなかったとした。
  そして、延期派は、様々な批判をした。
  1889年明治22年)5月の公布前に、イギリス法系の
 (旧)東京大学法学部出身者で組織される法学士会は、
 春季総会において、『法典編纂ニ関スル意見書』を発表
 した。
  そして、「拙速な法典編纂を改めよ」とした。
  また、さしあたりの緊急に必要のある事項に限って単
 行法として施行するにとどめ、そして、後日に、十分な
 審議を経た上で包括的な法典を完成させるべきだとした。
  そして、これを、内閣枢密院に働きかけることを議
 決した。
  この意見書や議決の影響で、民法や商法の施行をめぐ
 って議論が活発化した。
  これが、民法典論争(商法も含む)のきっかけとなっ
 た。
  これに対する施行断行派の旧民法の編纂者の磯部四郎
 は、論文『法理精華ヲ読ム』を発表し、施行断行を訴え
 た。
  また、施行断行派のものとして井上操の『法律編纂ノ
 可否』があり、
  施行延期派のものとして、増島六一郎の『法学士会ノ
 意見ヲ論ズ』、江木衷の『民法草案財産編批評』などが
 ある。
  井上操は、関西法律学校の創設者であり、磯部と同じ
 くフランス法系の司法省法学校の出身であった。
  一方、開成学校の増島と、英吉利法律学校の創設者で
 ある江木は、(旧)東大法学部の出身であり、いずれも、
 イギリス法系の学校であった。
  1890年明治23年)11月、第1回帝国議会が開かれ、産
 業界から商法の施行が早すぎ、対応がとれないとの理由
 で「商法実施延期請願書」が出された。
  すると、帝国議会は、1891年(明治24年)1月1日に施
 行予定の商法を、民法と同じ1893年明治26年)1月1日
 施行に延期することを決定した。
  商法の施行延期が決定されたことで、論争はさらに勢
 いを増した。
  施行延期派からは、旧民法自然法思想に立脚してい
 たことに対して、
  法の歴史性・民族性を強調した歴史法学からの批判
  憲法や税法と矛盾抵触するという批判
  旧民法の条文が冗長で、無用の条文が多すぎ首尾一貫
 しないとの立法技術上の批判
  欧米の最先端の理論を研究して民法を制定すべきなの
 に、最新のドイツ民法草案が全く検討されていないとい
 う批判
  賃借権債権ではなく物権と構成するのは学理・慣習
 に反するという批判
  日本古来の家族制度を始めとする日本の伝統・習慣に
 そぐわないという内容に関する批判・・などがなされた。
  日本の慣習・風俗に合わないということから、特に、
 激しく攻撃されたのは、親族法における非嫡出子の準正、
 相続法における限定承認の他、財産法における消滅時効
 等であった。
  (但し、いずれも大きな修正を受けることなく明治
 法に継承された)。
  同年・1890年帝国大学憲法学者穂積八束が、ド
 イツ留学から帰国すると、論文民法出デテ忠孝亡ブ』
 を発表し・・、
  「我国ハ祖先教ノ国ナリ。家制ノ郷ナリ。権力ト法ト
 ハ家ニ生マレタリ」
  「家長権ノ神聖ニシテ犯スベカラザルハ祖先ノ霊ノ神
 聖ニシテ犯スベカラザルヲ以ッテナリ」・・と説き、
  法による権利義務関係を否定し、日本伝統の家父長制
 度を否定する婚姻を基調とした家族法批判した。
  この論文は、そのタイトルのため、最も注目を集め、
 民法典論争の象徴ともいえる論文となった。
  施行を翌年に控えた1892年明治25年)、法典論争は
 ピークに達した。
  論争は、法律論にとどまらず、資本主義経済の矛盾の
 問題、国家思想や国体の位置づけなどにも及び、商法典
 論争と相まって一種の政治対立の様相さえ呈するように
 なった。
  そして、同年・1892年5月、第3回帝国議会において、
 民法典論争は、政治的な決着がはかられた。
  貴族院議員・村田保によって、民法商法施行延期法案
 が貴族院に出された。
  断行派議員と延期派議員との間でも激しい論戦が繰り
 広げられた。
  第二読会において、延期派の発議により、原案に「但
 し、修正を終りたるものは本文期限内と雖(いえど)も
 之を断行することを得」とする但書を加えた上で、圧倒
 的賛成多数で、貴族院を通過させた。
  むしろ、財産法こそ問題であると説く富井政章の演説
 が大きく寄与したとも伝えられている。
  衆議院では、妥協案として、断行派から家族法部分の
 みを施行停止とし、財産法については断行するという修
 正案が出されたが、原案通りの延期論が賛成多数で可決
 するに至り、ここに民法典論争は決着した。
  その後、施行延期派から、富井に加え穂積陳重(穂積
 八束の兄)、施行断行派から梅謙次郎という3人の帝国大
 学教授が、法典調査会の委員に選任され、
  第一編から第三編の財産法については、旧民法の根本
 的修正を基本方針として、ドイツ民法の草案や、他にも
 「30か国に及ぶ他の国の民法をも参照して」、現行の民
 法(明治29年1896年法律第89号)が起草され、
  1898年明治31年)になって施行された。
  なお、第四編・第五編の親族法・相続法については、
 外国人に対しては適用が無い為、不平等条約の交渉に支
 障が少ないということで、後日、別個に議会に提出して
 成立するという形を採った(明治31年法律第9号)。
・11月25日、千島艦事件(ちしまかんじけん)がおきた(
 11月30日説あり)
  これは、日本軍艦の沈没の補償をめぐり日英間で紛争
 した事件だった。
  1892年11月25日、水雷砲艦千島(750トン)が、フラン
 スで建造され、フランスから神戸へ回航中、瀬戸内海
 愛媛・松山沖)で、イギリス汽船ラベンナ号と衝突して
 沈没した。
  乗員74名が殉職した。
  日本政府は、イギリス船に不当航海の過失があったと
 して、翌年・1893年5月、その所属会社のP&O汽船会社
 を相手どって、85万円の損害賠償要求して、横浜のイ
 ギリス領事法廷に出訴した。
  それに対して、イギリスの会社側は、逆に、10万円の
 損害賠償を求めて反訴した。
  第一審は、会社側の要求を不当として、反訴を却下し
 た。
  そのため、会社側は、上海領事法廷に控訴した。
  1893年10月、裁判長は、第一判決を破棄し、会社側
 を支持した。
  日本の世論は、その不当性と、日本政府の処置を非難
 して湧いた。
  反政府諸派は、議会内外でこれを利用し、第二次伊
 藤博文内閣が推進する条約改正交渉に反対し、対外硬運
 動を展開した。
  1893年12月、衆議院解散となった。
  日本政府は、さらに、ロンドンイギリス枢密院に上
 告した。
  1895年明治28年)7月、イギリス枢密院が、上海領事
 法廷の判決を破棄し、横浜領事判決を復活した。
  本訴は、再び、横浜領事庁で開かれることになった。
  そして、ようやく、3年後の1895年9月に至り、和解が
 成立した。
  会社が、訴訟費用を持つほか、英貨1万ポンド(邦貨9
 万円余円)を支払って・・事件は決着した。
.
  (今日の言葉)
.
  題:NHKなどのマス・メディア偏向している。
    国を危うくしている。
.
1937年8月、上海での戦いが拡大して行った。
  7月末に日本の将兵が殺害される「大山事件」が発生す
 るなど、不穏な状況が拡大していた。
  卑劣な事に、この様な事件が相次いでいた。
  8月13日には、中国軍が攻撃を開始した。
  第二次上海事変と言われるこの戦いも、中国軍の攻撃
 から始まった。
  そしてまた、8月14日には、中国空軍は、上海の爆撃も
 実施した。
  日本軍基地だけではなく、一般市民の居住している租
 界地も爆撃され、一般市民が死んだ・・
  また、歓楽街も爆撃された。
  日本軍は、対応せざるを得ないとし、膺懲(ようちょ
 う、こらしめること)するとした。
  「もはや隠忍その限度に達し、支那軍の暴虐を膺懲」
  この日・1937年8月15日、中国軍の国民政府軍の蒋介石
 は、全面戦争の対日抗戦総動員令を発令した。
  この中国の国民政府軍は、『アメリカの支援』を受け
 て、非常に攻撃的となっていた、好戦的になっていた。
  大軍で上海を包囲した・・、
  また、支援された豊富な軍需物資を持った上海包囲軍
 だった。
  (大量の物資で支援するから日本と戦いなさいという
 様な状況だった)
  天皇陛下は、この時に限らず、常に、「避戦」の考え
 であられた。
  常に、「戦争の不拡大」を口にして居られた。
  この時もそうで、戦局の早期解決を口にして居られた。
  しかし、状況は、天皇陛下の御心の様には進展しなか
 った。
  日本の軍部には「戦争不拡大派」と、「拡大派」があ
 った。
  天皇陛下の御心を受けた「不拡大派」の者たちも居た
 が・・、
  この中国の挑発行動を受け、南京への進軍を是とする、
 支那軍を懲らしめるとする派(進軍派)が居た。
  ここで、大きく判断を誤らせたのがNHKはじめ新聞
 などのマス・メディアの存在と、その論調だった。
  マス・メディアは膺懲論で世論を構成し国民を煽った。
  マス・メディアに煽られた世論は熱狂し、進軍派を勢
 いづかせた。
  軍部の戦争不拡大方針の不拡大派の意見は、小さく聞
 こえる状況となった。
  NHKはじめ新聞などのマス・メディアや国民は熱狂して
 南京進軍を支持した。
  さも、今・現代(2017年)のテレビの昼のニュース・
 バラエティ番組のごとく世論を煽った。
  毎日、毎日、洗脳的に政権批判をやって・・視聴率
 取れるんだからと・・自分の懐具合しか考えない輩たち
 の放送が続くという2017年の煽りの様だった・・
  国民は、そのマス・メディアの影響下にさらされて、
 進軍に興奮した。
  軍部の不拡大派の声は、もはや、届かなくなっていた。
  攻撃的な、そして、好戦的な中国があったとはいえ、
 この様に、国の方針が冷静に考えられない状況の中で、
 天皇陛下のお声も耳に入らなくなっていた。
  1937年12月には、日本軍中国軍を追撃し、中国・国
 民政府軍の首都南京を目指した。
  これは、中国軍の誘いの作戦だったのかもしれない。
  中国軍は、中国奥地へ逃げる(撤退)する手をよく使
 う。
.
2013年4月9日、反日放送ばかりをするNHK。
  今・現代、中国が、膨大な金を使って世界中にプロパ
 ガンダをしていると言うのに、日本の公共放送のNHK
 は、その逆で、「日本を売ってばかりいる」。
  反日行動をとっているNHKとなっている。
  NHKのインターネットサイト「NHK映像サイトみ
 ちしる」で・・、
  NHKは、「日本海」の表記に、日本政府日本国民
 の見解と異なる「東海」を併記した。
  NHKは、日本の政府や国民の意識と反する、韓国が、
 急に主張し始めた表記を・・、
  「NHKよ! 韓国メディアですか?」と言いたく
 なる様な、また、疑いたくなる様な行為を行なった。
  常識があるなら、『やってはいけない』この様な事を、
 NHKはよくやる。
  NHKは、言い訳を言っているが・・、放送でも「やっ
 てしまえば得」という『やり得的な事』を、よくやるN
 HK」となっている。
  時間は戻せない、放送してしまった放送は消せないと
 いう・・放送してしまえば、こっちのものだ的なことを、
 繰り返すNHKとなっている(無反省の確信犯
  NHKは、トンチンカンな釈明をした。
  「グーグルから提供されたので(良いと思った)、悪
 意は無い」・・だった。
  しかし、しかし、その「グーグルには、その様な表記
 はなかった」。
  また、NHKは、「竹島」や「尖閣諸島」の『日本の
 表記を消す』という事も、やっている。
  『日本の主張点を消す行為』をしている。
  ここまでやるNHKとなっている。
  悪意あるNHKとなっている。
  この件は、既に、1年前の2012年4月に、国際水路機関
 (IHO)は、「日本海」の単独での呼称と決めている
 のだ。
  この事は、NHKも知っている訳だ。
  「従来の日本海のままにする」ことを決めている。
  もう一度言うが・・NHKも知っている訳だ。
  国際水路機関は、世界の海図や海、海峡の名称などを
 調整する重要な機関である。
  放送の機関として、「重要な名称」のうちでも最重要
 なこと・・真っ先にマークしなければならないのに・・
 NHKは、こんな事ばかりしている。
  NHKは、インターネットの場で金を取らないこと!
  NHKは、反日報道機関である・・尖閣諸島の時もそ
 うであるが、「日本の領土である竹島」を表現するのに、
 「日本と韓国が領土権を主張する竹島」と、わざわざ、
 竹島の言葉の前に、変な言葉を付けて言っている。
  ならば、NHKを、「反日的表現をするNHK」と言
 ってもらいたい。
  韓国は、小学生の教科書に、韓国のものだと書き、洗
 脳教育をし、刷り込みしているのにである。
  歌まで作って歌い、クラブ活動までさせている。
  この件について、日本の国民の方々は、NHKへクレ
 ームを殺到させた。
  NHKは、やっと、この抗議の嵐に・・「日本の島根
 県の竹島」と言い換えた。
  この様な体質のNHKなのだ。
  だが、NHKという体質は、ほとぼりが冷めると元に
 戻すから、注意を要する。
.
2017年7月28日、NHKのネット配信について・・
  NHKに、高市早苗総務相が、クギをさした・・
 「ネットは補完業務である」と。
  (以下、産経ニュースを参考にした)
  高市早苗総務相は28日の閣議後の記者会見で、テレ
 ビ番組のインターネット常時同時配信計画するNHK
 の上田良一会長に宛て、
  「放送の補完的な位置づけとすること」などを要望し
 た文書を送ったと明らかにした。
  ネット配信を「本来業務」として扱おうとする動きを
 牽制(けんせい)した。
  高市総務相は、上田会長の諮問機関が出した受信料
 関する答申案について・・
  「(視聴者に)利益を還元するという観点がない」な
 どと批判した(まったく、その通り)。
  総務省は、NHKへの不信感を強めており、NHKが
 目指す平成31年からのネット常時同時配信不透明
 を増している。
  要望は・・、
  (1)ネット配信を補完的な位置づけとし、具体的な
     ニーズを明確化しなさい。
  (2)既存の業務全体について公共放送として適当か
     検討しなさい。
  (3)子会社のあり方についての抜本的な改革をしな
     さい・・以上の3点。
  高市総務相は「3要件を満たすことで、議論の環境が
 整う」と述べた。
  NHK幹部は、今月の総務省での会合で、「(ネット
 配信は)将来的には本来業務」と発言した。
  民放各社が猛反発したため、上田会長は産経新聞など
 とのインタビューで「あくまで幹は放送だ」と述べるな
 ど「火消し」に動いていた。
  一方、上田会長の(お手盛りの)諮問機関は、ネット
 視聴者からの受信料徴収が適当としたが、3要件を満た
 せなければ、常時同時配信実現への道筋がさらに険しく
 なるのは必至。
  高市総務相は、ネット常時同時配信を可能にする放送
 法改正について、「現段階では議論が煮詰まっていない」
 と強調した(永久に煮詰まるな!)。
  ・・ここで・・
  「庶民の声」
  ・NHKの受信料は廃止にしてもらいたい。
  ・NHKは、公共放送としての資質を欠く点が多い。
  ・NHKの公共放送としての立場は適当でなく、公共
   放送としての立場を取り消してもらいたい。
  ・NHKは、高給取りで、自分たちばかり良い思いを
   していて、まったく視聴者還元をしていない。
  ・NHKは、自分たちの事ばかり考えている放送局だ。
  ・ネットにまでNHKが進出すると、NHKアレルギ
   ーの人たちの逃げ場が無くなる。
   NHKの居ないネット社会で安心して居たい。
  ・NHKは、膨大な小会社を持っていて、利益を配っ
   ている・・そして、支配力を誇示している。
   小会社は甘い汁に群がっている(孫会社・ひ孫会社
   まで群がる)
  ・NHKは、働かない職員が多い・・1年に何日働いて
   いるのと聞きたいくらいだ。
  ・NHKに都合の良い諮問をする機関を作って「お手
   盛りをしている」。
  ・NHKは解体してもらいたい。
  ・NHKは、民間放送局にNHKの映像などを提供し
   て、便宜を図って恩を売っている、そして、支配力
   を構築しようとしている。
   だから、民間放送局はNHKにゴマすりしている。
   NHKを批判する民間放送局はない。
   民間の本音は、NHKの見方はしたくない。
  ・NHKは、公共放送の枠を吐き出し過ぎだ。
  ・NHKの民営化で出来る部分を探れ。
  ・NHKの巨大な権力を二分せよ。「NHK東京」と
   「NHK大阪」の様な二極体制にせよ。
  ・NHK受信料は1/3にせよ。それでできる訳だ。
  ・NHKは、分割民営化せよ。
  ・NHKは、公益部分とそれ以外で割れ。
  ・NHKは、最近、特に、偏向報道が酷い。
  ・NHKの酷い報道は、「障害者殺害犯が、犯行前に
   トランプのスピーチを聞いて影響された」とNHK
   が報道するように、トランプ下ろしをするNHKで、
   酷い反トランプの報道をした。
  ・NHKは暴走している。
  ・NHKは、でかいビル建てて、身内還元に精を出し
   ている。
  ・NHKは、電波を独占している割に、くそな番組を
   流して強制的に受信料を取っている。
  ・NHKはスクランブルをせよ!
  ・NHKはマスゴミ化している。
  ・NHKの高給を貰っているアナウンサー物価の事
   を言うな。高くて買えないとか・・。
  ・傲慢なNHKの金城湯地(きんじょうとうち、非常
   に守備がかたい城)を何とかしてくれ!
  ・NHKが過去に制作した全作品は国民の所有権と決
   めよ。
   NHK職員が勝手に処分するな。
   また、都合の悪いものを処分している。
  ・NHKの最上階は個人宅はおかしい。
  ・NHKの金が入っているNHKの小会社が電通に乗
   っ取られている。
  ・NHKは、北朝鮮からニュースを購入して金を払っ
   ている。そして、それがミサイル資金になっている。
  ・NHKの作り直しをせよ!
  ・NHKは、中国をよいしょする番組制作姿勢を取っ
   ている。
  ・NHKは間接的に電通に支配されている。
  ・NHKの番組制作の委託を受けている「NHKエ
   ンタープライズ」は「総合ビジョン」に番組制作を
   丸投げしている。孫請けをしている。
   「総合ビジョン」の株主電通とNHKという関係。
  ・NHKは、電通の利益供給団体となっている。
  ・電通の利益の一部がNHK役員の報酬となっている。
  ・NHKは中立であるどころか左寄りである。これで
   は、公共放送ではない。
  ・NHK職員は、受信料でボロ儲け、平均年収1800万
   円。
  ・NHKの報道は片寄った偏向のし過ぎだ。
  ・NHKを初め、テレビの作られた報道などで、テレ
   ビを見る人がなくなっている。
  ・なぜ、NHKは、倒閣運動をするのだ。
  ・NHKは、権力に溺れている、調子に乗っている。
   国の為にならないNHK。勝手な判断で偏向報道
   ている。そして、反日になっている。
  ・NHKスペシャルの反日姿勢はひどい。
  ・NHKは、はやぶさが帰って来た時に放送しなかっ
   た。日本の技術の大成功を放送しなかった。完全に
   無視した。
  ・NHKは、偏った考え方で取材し、放送するから、
   日本兵の悲惨さだけが出て、8月になると、日本を結
   果的に貶めている。「悪かった」と言う兵士の話だ
   けの話で編集して放送する。
  ・なぜ!NHKは、シナ人による日本人虐殺の非道や、
   ロシア人による日本人に対する悪逆非道を放送しな
   いのか?
  ・NHKは、731部隊が犯罪を行ったが如き番組を
   流したが、NHKは、どうしてシナ人らの悪行三昧
   を番組化しないのか?
   そんなに日本を貶めたいのですか?
   貶めて、一体何がしたいのですか?
  ・NHK好みの目的の証言だけで編集する。だから反
   日的に作られる。それ以外はカットする。
  ・NHKは、「日本は正しい事をしようとした」とい
   う証言なんかはまったく放送しない。すべてカット
   している。「アジアの独立を日本が助けた」なども
   カットする。担当者・当事者が漏らしている。
  ・NHKは、戦争を煽ったことに口をつぐんでいる。
  ・NHKは、中国韓国の言い分だけをズーット繰り
   返して放送を行っている、慰安婦南京中国・韓
   国の言い分ばかり、だから公共放送ではない。
  ・NHKは無駄遣いが多すぎる。
  ・NHKの大リーグ放送は、アメリカに金を恵んでい
   る行為だ。
  ・NHKはWOWOW方式のスクランブルにせよ。
  ・NHKの見られないテレビも売るシステムにせよ。
   NHKなんか見たくない人の選択肢も作れ。
  ・NHKの公平性を考える議員の会ができて50名くら
   いが集まった。代理を入れたら100名近くになった。
   この様に問題になるくらい公平性が無い放送局とな
   っている。
  ・NHKスペシャル、ジャパンデビューはひどい番組、
   偏向番組、日本を貶める番組。
  ・NHKは、台湾の方々を反日にしようとした。取材
   も偏向している。公平性が無い。それが事実のよう
   に錯覚させている。
  ・NHKの偏向番組によって損害を受けた国民のその
   損害を、NHKはその損害をカバーし補償するよう
   にせよ。
   NHKを訴えられるようなシステムを構築せよ。
  ・NHKが、反日的という事はズーット続いている。
   その改善策の・・
  (1)権力が巨大すぎるからだ。分割せよ。
  (2)NHKへのクレームを受ける専用窓口を行政
    関に設ける。NHKは、クレームの取り扱いを軽
    視し、捨てている、廃棄している。
.
2017年、国民が、NHKを訴える権利を行使できるような
 社会体制の構築を望む。
  NHKへ、いくら悪い所を指摘しても直らない。
  そこで、思い至ったのが「司法へ訴えたい」という気
 持ちである。
  司法へ訴える方策を取りたいのだが、ここでネックに
 なるのが、「原告の立証責任」。
  NHKの放送を見た結果において、「酷いNHKの番
 組だった」と思う訳で、NHKを見た後の結果論だけと
 なってしまう。
  前もって録画などしていない。
  そして、投書欄にいくら抗議しても直らないNHKに
 対して、司法に訴えるにしても、前記した原告の立証責
 任がある。
  そこで、考え至ったのが、図書館施設が、NHKの放
 送内容の記録を保存するようにする。
  図書館が、書籍の保存・保管をする様に、放送映像な
 ども保存・保管するようにする。
  図書館が建てられているその位置で、その位置での受
 信記録を残すようにする。
  今は、非常にコンパクトに記録を保存できる機器があ
 るので出来ると考えている。
  そして、国民が閲覧もできるようにし、
  また、前記した国民の訴える権利を行使するときにも、
 その立証責任の資料提供もできる図書館としたい。
  図書館の証明付きでその資料が得られるようにしたい。
  国民が費用負担して、図書館の発行した立証責任資料
 でもって提訴できるようにする。
  NHKへ、抗議を重ねたが、まったく改まらないので、
 NHKの放送を見ることが出来なくなるというNHKに
 対して「忌避アレルギー」が出るようになった。
  NHKの放送が普通の状態で見られなくなった。
  この様にひどいNHKなのである。
  大きく番組全体で日本を貶める場合もあるが、ジャブ
 の様にあちこちでちょこちょこと日本を貶めることをよ
 くやる。
  今、前記した様に、NHKへの抗議のシステムは機能
 してない。
  どうでもよいことは「NHKは、直すかもしれないが」、、
 「NHKイデオロギー」と言うべき核心部分は、絶対に
 NHKは直さない。
  この部分こそが、NHKを直して行かなければならな
 い所であって、その1つが「NHKは、よく日本を貶める」。
  この様な番組が非常に多いNHKとなっている、しか
 し、いくら抗議をしても直らない。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  http://d.hatena.ne.jp/HACHI2009/archive

2017-08-28

(増補版)549E2/3:1/3:気になった事柄を集めた年表(1892年1月〜1892年1月)

題:(増補版)549E2/3:1/3:気になった事柄を集めた年表(1892年1月〜1892年1月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
1892年、その他:つづき
清国の不穏な動きと軍拡に、日清戦争に備え軍備を進め
 た。
 「眠れる獅子」と言われた清国が、着々と軍拡をしてい
 た(今・現代も・・そうだが・・)。
 日本は、長崎で、その軍備の威容を見せつけられ、街に
 出た中国兵は、横柄な態度を見せ、また、横暴な行為を
 した。
 それは、まさに、日本を見下した行為だった。
 しかし、悲しいかな・・弱小の日本は、強い行動にも出
 られなかった。
 議会野党は、軍事力への予算配分に反対し、また、厳
 しい緊縮財政下にも置かれていた。
1873年明治6年)に、日本は、徴兵制となった、しかし、
 まだ、海軍は沿岸警備程度だった・・
 しかし、国策としては国を富ませて、国を守ろうという
 意気に燃えた「富国強兵」策だった。
1876年明治9年)〜1879年(明治12年)、清国は、日本
 を意識し、300〜400トンの砲艦8隻という大量の艦船
 イギリスから輸入した。
1878年明治11年)、日本は、「扶桑」「金剛」「比叡」
 の3艦の甲鉄艦(2284〜3777トン)が就役し、艦隊も作っ
 て行った・・が・・、
 排水量は、清国と、ほぼ同等ではあったが、しかし・・
 日本は、旧式艦や木造艦が大半であった。
 この点で、日本は、清国に、大きく劣位にあった。
 日本は、軍艦建造において、失敗艦も作ったりして、財
 政のない中、苦しくも無駄もしていた。
 1881年明治14年)〜1882年明治15年)に、清国は、
 ドイツに、装甲艦2隻を発注し、
 1885年明治18年)に、この大艦は到着した、「定遠
 と「鎮遠」で、どちらも7335トン、30.5センチ砲4門とい
 う立派さで、
 主砲は、艦首方向へ向くという最新技術を持って、射撃
 性能も重視していた。
 また、この後、清国は、急速に艦数を増やした。
 装甲巡洋艦2隻(「来遠」「経遠」)、巡洋艦4隻(「致
 遠」「靖遠」「超勇」「揚威」)を、イギリスドイツ
 に発注し、1887年(明治20年)までに就役した・・、
 1888年明治21年)には、堂々とした北洋艦隊を作り上
 げた。
※1887年(明治20年)から、日本は、砲台建設を本格化し、
 防衛力を高める構築をした。
1888年明治21年)に、日本は、イギリスの技術を本格
 的に入れようと決定した・・これが、日清戦争に間に合
 った。
※1891年(明治24年)7月に、清国の北洋艦隊の主力艦6隻
 が、日本の品川港に入港し、その大きな格差を見せつけ・・
 そして、威嚇した。
1893年明治26年)4月〜7月に、日本の参謀次長の川上
 次長が、清国軍事状況を偵察した(思ったほどではな
 いという感触を得て帰国した)
 「畏るるに足らざることを確信」・・と、
 しかし、日本の軍関係者に、勝利を確信できるものは居
 なかったようだ・・しかし、日本の偉かったのは、この
 時の日本には、自国軍の力(相手の力と比較して)を冷
 静に見る姿勢・合理的判断があった。
1894年明治27年)6月に、山陽鉄道が、広島まで営業
 転開始し、順次、輸送(出師・すいし)体制が整って行
 った。
1894年明治27年)、まだ、軍需生産が不十分な状態で、
 また、海外派兵をして戦えるかという問題があった。
.
  (今日の言葉)
.
  題:中国の「天動説」を修正できるのは『強固な日米関係だけ』である。
.
紀元前12世紀、この頃まで、レバノンのピブロスは、地中
 海の東岸で、最も栄えていた。
  この時、エジプトから「パピルス」が、地中海各地に
 輸出され、ギリシャ人は、これを得て文明が栄えた。
.
紀元前814年、カルタゴが築かれた。
  フェニキア人は、シチリア島の対岸に位置するチュニ
 ジア北部に、植民市・カルタゴを築いた。
.
紀元前27年、最初のピラミッドが建てられた。
  レバノンの特産品は「レバノン杉」。
  乾燥地のエジプトメソポタミアは、森林資源に乏し
 く、神殿や宮殿の建築用材として、このレバノン杉が使
 われ、レバノンから大量に輸入された。
  この意味から、レバノンは、交通の要衝となった。
  紀元前27年に、最初のピラミッドが建てられたが、エ
 ジプトは、この時から、レバノンから木材を買った。
.
354年11月13日、アウグスティヌスキリスト教神学者)が
 生まれた。
  アウグスティヌスは、教父と呼ばれ、キリスト教徒
 尊敬するなの人だが、
  「ローマ没落は、異教徒たちの罪だ」と、異教徒のせ
 いにして、罪に落とした。
  このアウグスティヌスが意識した異教徒の『異』につ
 いて・・、
  思考の成熟してない未成熟集団に於いて・・、
  年端(としは)の行かない子たちの様な学級に於いて、
  または、未熟な宗教に於いて、その洗脳の中にいる集
 団に於いて、
  殊更(ことさら)に、「目の前の現存する違いを指摘
 する」、またそして、無用に「指摘される」。
  それは、「いじめともなり」、また、「内政干渉」と
 も言われて・・世に存在する。
  言う方は、「その違いが気になるから、言うのだろう
 が」・・「指摘するのだろうが」・・、
  言われて、指摘された方だって、悪いと思ってやって
 いる訳ではない・・また、持って生まれたものでもある。
  悪い様なことを、ことさら、自らする訳はない。
  しかし、適度に指摘する程度で、その話が、行為が、
 終わるのなら良いが・・また、善き忠告ともなるのだろ
 うが・・、
  程度の悪い虐(いじ)めとなると、その行為は世の害
 となる・・
  それは、しつこい虐(いじ)めになり、
  宗教の違う者たち「異」へ・・「異教徒は殺せ」と、
 キリスト教教義として決めて、異教徒を殺した。
  このキリスト教教義の様に、「命まで取れ」と神の
 指示となる。
  洗脳して、されて、悲惨な状況が現出する・・ここに
 至れば事は重大となる。
  「いじめ自殺」や「殺戮行為に対する混乱」へ、そし
 て、「戦争へ至る」・・
  発端は、単なる『違い』・・それを、「容認するか?」
 「口に出すか?」から始まる。
  人類の歴史で、悲しく悲惨な、一番の汚点は・・キリ
 スト教が「肌の色の違い」を気にしたこと・・、
  キリスト教は、「肌に色を持つ人種」を蔑視した・・
  卑劣な「有色人種へのキリスト教蔑視感の植え付け」
 は、南米での大虐殺を発生させた・・現地からの問い合
 わせに、バチカンは「人ではない」と言った。
  アウグスティヌスも、アフリカエチオピアの方たち
 へこれをやった。
  このあたりの発端から大虐殺、戦争などなどが、人類
 の歴史に、累々と存在している。
  「個性的だと、おおらかに容認することが出来ない宗
 教・・キリスト教」・・この卑劣な行為で、大きな罪を
 背負った・・多くの方々が抹殺された・・
  「異教徒は殺せ」「魔女は、生かしておいてはならな
 い」・・このキリスト教教義が、人類を悲しみの歴史
 中に置いて来た・・長く続いた異端審問・魔女裁判・・
  そして、キリスト教裁判所で行われる卑劣な拷問の数々・・、
  今・・一神教のように・・一つにするのだと・・グロ
 ーバリゼーションを洗脳し、ある特定の金持ち組織が儲
 かるシステムを展開し・・世界に定着させようとしてい
 る・・そのシステムで儲けた金をふんだんに使って、世
 界展開をしている・・、
  多様性の良さを理解できなくて、排除している宗教・・
  自然において、多様性が存在し、その調和の中に、豊
 かさが成り立って、人類へ、幸を、幸福を、与えている。
  このことが理解できない宗教・・また、その信仰者た
 ち・・
  違いを認め合い、尊重し合う所から・・人類の豊かさ
 と幸せが始まるという事が・・理解できない・・
  あちこちに生まれ出(いずる)違いある生物・・その
 万物が・・人類の幸せを作っている・・
  キリスト教は、以下の様に教える・・
  聖書のあちこちで、繰り返し説かれ、洗脳的に記述さ
 れている『1例』・・(申命記7章1〜2節)
  あなたの神、主が、あなたの行って取る地にあなたを
 導き入れ、
  多くの国々の民、ヘテびと、ギルガびと、アモリびと、
 カナンびと、ペリジびと、ヒビびと、および、エブスび
 と、
  すなわち、あなたよりも数多く、また、力のある七つ
 の民を、あなたの前から追い払われる時、
  すなわち、あなたの神、主が、彼らをあなたに渡して、
  これを撃たせられる時は、あなたは、彼らを全く滅ぼ
 さなければならない。
  彼らと何の契約もしてはならない。
  彼らに何のあわれみも示してはならない。
.
1065年、中国で「資治通鑑(しじつがん)」が編纂された。
  「資治通鑑」は、中国北宋司馬光が、1065年の英宗
 の詔により編纂した。
  編年体歴史書で、『温公通鑑』『涑水通鑑』ともい
 われ、1084年に成立した(全294巻)
  もとは『通志』といったが、神宗により『資治通鑑
 と改名され、
  収録範囲は、紀元前403年(周の威烈王23年)の韓・魏・
 趙の自立による戦国時代の始まりから・・、
  959年(後周世宗の顕徳6年)の北宋建国の前年に至る
 までの1362年間。
  この書は、王朝時代には、司馬光の名と相まって、高
 い評価が与えられて来て、また、実際の政治を行う上で
 の参考に供すべき書として作られた。
  「貞観政要」などともに、帝王学の書とされて来た。
  また、司馬光当時の史料が散逸したものが少なくない
 ため、貴重な史料とされている。
  この「資治通鑑」を17回も読んだとされる毛沢東は、
 大躍進政策を行ない、約2000万人の農民を餓死させ・・、
  文化大革命で、3000万人以上の知識人富裕層を死に
 追いやった。
 http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150404-00000016-pseven-cnpos=1
  中国が言っている「南京虐殺」とは、日本人を虐殺
 た「通州事件」のことではないのか?
.
1535年、敵を殺さない荒木村重が生まれた(〜1586、51歳)
  居城は、有岡城兵庫県伊丹市にある。
  東西0.8キロ、南北1.7キロ。
  織田信長に反旗を翻した武将、黒田官兵衛が、この城
 に幽閉された。
  信長の包囲攻撃に、10ヶ月耐えて落城する。
  その前に、村重は、脱出。
  残された一族らは捉えられ命を絶たれた。
  信長の死後、村重は、豊臣秀吉に茶人として使え、天
 寿をまっとうした。
  一人生き延びた村重の評判は良くない。
  「脱出したのは援軍を求めるための行動」と弁護の声
 もある。
  「降伏した敵を殺さず、命を大事にした稀有な戦国
 将で、文人としての素養も高かった」と弁護する声も。
.
1920年3月〜1920年5月、尼港事件(にこうじけん)で日本
 人が虐殺された。
  ロシア内戦中の1920年大正9年)3月〜5月にかけて、
 アムール川の河口にあるニコラエフスク(尼港、現在の
 ニコラエフスク・ナ・アムーレ)で発生した。
  赤軍パルチザンによる大規模な住民虐殺事件で・・、
  ロシア中国朝鮮などのパルチザン部隊が、ニコ
 エフスク住民に対し、略奪・処刑を行うとともに、
  日本軍守備隊に、武器を捨てよと、武器引渡を要求
 た。
  これに対し、決起した日本軍守備隊を、中国海軍と共
 同で殲滅した。
  そして、さらに、老若男女の別なく数千人の市民をも
 虐殺した。
  殺された住人は、総人口の半分に達し、6,000名を超え、
 日本人居留民、日本領事一家、駐留日本軍守備隊を含ん
 でいた。
  この卑劣な虐殺行為は、国際的な批判を浴びた。
  日本人犠牲者の総数は、判明しているだけで731名に
 のぼり、ほぼ皆殺しにされた。
  また、建築物は、ことごとく破壊され、ニコラエフス
 クは廃墟と化した。
  札幌護国神社などに殉難碑がある。
.
1937年7月29日、日本人が虐殺された通州事件(つうしゅう
 じけん)
  通州(現:北京市通州区)において、中国人部隊が、
 日本軍と日本人居留民を襲撃し、殺害した。
  日本の通州守備隊は、包囲下に置かれ、日本の通州特
 務機関は壊滅した。
  街の中は修羅場で、女性は、子供と言えども、ほとん
 どが強姦されて殺害され、また、朝鮮人慰安婦も殺され
 た。(町で商売していた朝鮮人慰安婦で・・従軍慰安婦
 ではない、朝鮮人の女衒が国の朝鮮に帰って、狩り集め
 て来た女性たち・・)
  (注)女衒(ぜげん)は、若い女性を買い付けて、遊
    郭などで性風俗関係の仕事を強制的にさせる人身
    売買の仲介業で、人買いの一種、多くの朝鮮人
    女衒が中国などあちこちで商売をしていた。
  そして、この事件の殺され方に於いて、200人以上にお
 よぶ猟奇的な殺害(書くことも躊躇し気後れするが、陰
 部などがえぐり取られるなど陰湿な殺害)が、中国人
 隊により行われた。
  池は血で赤く染まった。
  通州虐殺事件とも言う。
  また、東京裁判に於いて、弁護団が、この事件の証拠
 を提出して、日本だけを悪いことにしようとする裁判
 おかしいと、弁護しようとする方針を打ち出し、行動し
 たが、東京裁判裁判長は不公正にも却下した。
  東京裁判は、明らかな予断(よだん、前もって判決
 予想し判断すること)のもとに行われた裁判で、不公正
 きわまりない裁判だった。
.
1945年韓国が、日本を、歴史問題で『嘘をでっち上げ
 て、日本を貶(おとし)めようとしている・・、
  また、新たに・・、
  日本が、戦争中に、朝鮮人労働者を虐待し、虐殺し、
 奴隷労働をさせたと言い出した(2017年
  この話が、デッチアゲ話と分かる事実は・・、
  戦争が終わった1945年昭和20年)に、朝鮮人労働者
 は朝鮮に帰った・・が・・、
  しかし、日本での労働が『非常に恵まれていた』ので、
 大勢の朝鮮人労働者が・・『万単位の大勢の朝鮮人労働
 者が、再び、日本に密入国までしようとした(もう一度、
 その職業に就きたいと・・)』。
  日本の好条件の労働に就きたいと密入国をした。
  この様に、『日本での労働が好待遇であるからこそ、
 再び、日本に密入国しようとしたのであって・・、
  韓国の言い出している話は、『日本を貶めようとする
 だけの作り話』である。
  日本は、韓国人労働者を虐待などしていないし、また、
 虐殺などしていないし、奴隷的な労働もさせていない。
  韓国のやることは、皆、この様に『嘘の話を作り上げ
 ているのであって』、慰安婦の場合も、この様な作り話
 なのである。
  この事について・・
  九州大学三輪宗弘教授は、朝鮮人労働者の虐待、虐
 殺、奴隷労働が、現代韓国人の作り話であることは、
  1945年昭和20年)の段階で、一旦朝鮮に帰った労働
 者が、再び、日本に戻ろうとした事実を見れば明らかだ
 と述べた。
  三輪教授は、アメリカ国立公文書館の「Illegal
 Entry of Koreans」という統計データから、1945年(昭
 和20年)段階で、1万人近くの朝鮮人が、日本に密入国
 ようとして捕まり、送り返されていたことが分かると
 摘した。
  そして、「奴隷労働や虐殺が行われていたとしたら、
 なぜ、再び、日本に密入国してまで戻ろうとするのか?」
 「説明できない」・・と語る。
  どこの国の方々もそうであるだろうが、厳しい環境か
 ら抜け出せたのなら、もう再び、元の状態に戻ろうとす
 る訳がない。
  そこが、好待遇で、居心地が良かったからこそ、元の
 日本へ密入国しようとした。
  日本の歴史においても、ソ連に、不法に抑留された日
 本人が、帰国したあと、再び、密入国してまでソ連に戻
 ろうとしたであろうか・・絶対にあり得なかった。
  万単位の朝鮮人が、帰国後、再び、日本に戻ろうとし
 たのは、日本での方が豊かに、そして、より平和に暮ら
 せると考えたからで・・、
  奴隷労働や虐殺とは無縁の世界が日本だったというこ
 とだ。
  にも拘らず、なぜ外務省は、日本が朝鮮人労働者を虐
 待したとして、そのことを発信する情報センターを作る
 などと約束したのか?
  なぜ、日本の外務省は、自ら敗北へと転んでいくのか?
  歴史問題で、日本を追及しようとする韓国中国の悪
 意を日本外務省は認識すべきだ。
  韓国が求める情報センターを設置して強制連行があっ
 たとすることは、慰安婦問題と同じ失政を繰り返すこと
 になる。
  (櫻井よしこ氏のブログを参考にした)
.
2016年8月19日、ケント・ギルバート氏の発言 ‎@KentGilbert01
  インドネシア女性大臣 中国の違法船をだ捕し150隻を
 爆破「遊びでやってる訳じゃない」
   http://temita.jp/twitter/34900  
  やるべきことをやらない日本は、国際法を軽視してい
 るとも言える。
  (説明2014年に就任したインドネシアの女性大臣・
     スシ・プジアストゥティ海洋水産大臣が、拿捕
     した違法中国船を、次々と爆破し、就任以来150
     隻以上となった。
.
2016年アメリカ経済は、今後、長期的な低成長モードに
 入り、2016年2025年頃に、財政危機通貨危機を引き
 起こす可能性が高い。
  凋落するアメリカに、日本を守る「パワー」は無くな
 り、余力は無くなり、
  反対に、中国が、世界第一位経済力と軍事力で・・、
 その前の素手(すで、何も持ってない)の日本は、中国
 に手も足も出ず、なすすべなくしているしかない。
  尖閣諸島だけでなく、沖縄も危ない・・そして・・
 (北海道?)・・
.
2017年8月20日、中国の世界戦略・・「北朝鮮の核」の背後
 で勢力拡大・・
  この様な表題の論説が、この日の読売新聞に記載され
 ていた・・以下は、その抜粋・・、
  世界は、今、21世紀の新しい勢力均衡に向けて、最終
 局面に入ったかに見える。
  現状変更を仕掛けるのは、世界第二の経済力をエンジ
 ンに軍事力を強化している中国である。
  (注:中国は、世界一の座にあることを、この論説の
 筆者は見落としている)
  西に巨大経済圏構想「一帯一路」、東に「太平洋を米
 中で二分割」という二正面での世界戦略を掲げている。
  中国は、すでに、チベット、新疆ウイグルを抑え込み、
 南沙・西沙諸島尖閣諸島など、多くの地域で、各地各
 様の緊張や争いを起こしている。
  いずれも、二正面戦略の一環と見られよう。(中略)
  中国ハートランドとして、ユーラシア大陸、アフリ
 カ大陸に広がる「中華共栄圏」を建設する構想だ。
  その特徴は、民主主義自由主義法治主義人権
 重といった価値観を標榜(ひょうぼう)することなく、
  (注:その通り、共産中国の最大のいかがわしく、信
 用できない所である)
  巨大な経済力と軍事力により、支配権拡大を志向する
 点にある。
  一帯一路の「後詰め(ごづめ、後方に待機している軍
 勢)」とも言えるのが・・海洋進出である。
  中国は、久しく米国に対抗すべく海・空戦力の増強、
 近代化を進めて来た。
  今や、空母複数隻の建造や、潜水艦隊の増強などが注
 目されているが、
  太平洋インド洋への進出の意思表示だろう。
  (最終目標は、中国米国太平洋を二分する)
  これと表裏一体の関係にあるのが、北朝鮮核兵器
 ミサイル開発である。
  中国は、それが北朝鮮の独走だとしつつも、実効的な
 制裁には『常に反対して来た』。
  平仄をあわせる(ひょうそくをあわせる=つじつまを
 合わせる)ように、核兵器ミサイルの狙いは、日本・
 在日米軍基地、および、米国本土であり・・、
  韓国は、いつでも火の海にできると北朝鮮は宣伝する。
  それが米韓日韓、日米の分断に一定の効果をもたら
 す。
  すなわち、北の核兵器ミサイル開発は、中国の太平
 洋戦略のための『地ならしの役割』を果たしている。
  中国は、軍事力の強化と一帯一路構想の巨大さで、世
 界を驚かせているが、
  中国の実力と自信の発露なのか、
  それとも、国内の矛盾から目をそらすための爪先立ち
 なのか。
  日本としては、今こそ、冷静に現実を直視し、浮足立
 つことなく日米同盟にしっかりと腰を据えて成り行きを
 見極める必要があろう。(中略)
  (中国は、急速な経済成長を遂げて来た、しかし)、
  貧富の差が拡大し、失業者や無戸籍者も多数発生した。
  これらの人々の不満を吸収するためには、高い経済
 長率を維持する必要がある。
  国営企業が、その担い手となったが、世界経済のデフ
 レ傾向と、中国自身の賃金上昇により・・成長は、大幅
 に鈍化するに至った。
  政府計画に従って国営企業が増産すると、不良在庫
 が累増し、企業内余剰人員がますます増大するという悪
 循環にも陥っている。
  一帯一路は、経済的には、インフラ建設に名を借りて
 失業者と不良在庫を、国境外に排出すること、
  戦略的には、対象地域内の要衝を中華支配体制に組み
 込むことを目的に、構想されたものと考えられる。
  インフラ建設の支援という名分で、失業者を国境外に
 送り込むやり方は、
  国内問題を国外に転嫁する際の常套(じょうとう)手
 段である。
  また、鉄道、道路、港湾などの投資効果のうち利用者
 負担で回収できるのは一部に過ぎない。
  大部分は、保有国の財政負担となる。
  中国は、借款(注:中国が貸すかたち)と、
  自らが主導する国際金融機関アジアインフラ投資
 行(AIIB)」による融資を組み合わせて、海外に資
 金提供する方針だ。
  しかし、返済が困難になったり、滞ったりする場合に
 は、担保として、戦略的に重要な港湾などを、中国の支
 配下に置くことを視野に入れているとされる。
  この意味で、一帯一路は、形を変えた『植民地主義
 とも言える。
  いずれの場合でも、受け入れ側の政府、住民との間に
 軋轢(あつれき、人の仲が悪く、あい争うこと)を生み、
 国際問題に発展するだろう。
  結局のところ、一帯一路は、国内の社会問題を転嫁す
 るために、中国側が打ち出した窮余の一策であり、
  あり余る力の発露とは見られない。(中略)
  一方、北朝鮮は、今や、相当数の核兵器保有し、
  米国に届く大陸間弾道ミサイル(ICBM)を完成す
 るに至ったと見る専門家も少なくない。
  かくして、米国の核抑止力によってもたらされるアジ
 ア太平洋の安定的均衡は、破綻の瀬戸際にある。
  北朝鮮は、中国からの食糧や燃料供給なしには生存
 きず、
  中国経済援助なしには核兵器ミサイル技術も獲得
 できない。
  中国は、その気になれば、いつでも北朝鮮を抑えられ
 る立場にあったが、これまで力を行使しなかった。
  自らの太平洋進出有用と考えて、北朝鮮に食糧・燃
 料を供給し、
  核兵器ミサイルの開発を財政的に支援し続けて来た
 のだろう。
  国際社会には、核を放棄するように北を説得するポー
 ズを見せる事で、『時間稼ぎ』をしたのだとも考えられ
 る。
  悪役は北朝鮮に背負わせて、日韓両国を揺さぶり、日
 米韓を分断するという詭計(きけい、人をだます計略)
 は、これまで、一定の戦略的な成果を上げてきたとみる
 ことができる。
  ここに至る経緯は、中国が、北朝鮮核兵器・ミサイ
 ルを自国にとっての脅威ではないと考えていることをう
 かがわせる。
  すなわち、いつでも、北朝鮮を説得し、核開発を放棄
 させられることを、中国自覚しているのではないだろ
 うか。
  つまり、国際社会は、これからは、中国を正面の交渉
 相手とし、
  中国が、自らの問題として、自らの影響力で、北朝鮮
 に核兵器放棄させるように、中国への直接の圧力も辞
 さない覚悟で迫って行くことが肝要だ。(中略)
  これまで、習氏を信頼して、中国北朝鮮説得に期待
 をかけて来た米国も、ようやく両者が共生の構図だと気
 づいたように見える。
  中国の「天動説」を修正できるのは『強固な日米関係
 だけ』である。・・完・・
  (参考)天動説キリスト教が憐れにも説き、そして、
     信じた説で、
      地球が、すべての中心で、太陽などのすべて
     の宇宙が、地球の周りを回っていると説いた。
      この間違いを科学的に説明したガリレオを、
     逆に、キリスト教は虐げた。
      キリスト教裁判は最悪だった。
      ガリレオは「それでも地球は回っている」と
     言った。
      この事例の様に、中国は、実現できない絵空
     事である「地球上のすべてが、中国の周りを回
     っている」と考えているという譬(たとえ、引
     き合いに出すこと)
  (参考)ハートランド地政学用語で、ハルフォー
    ド・マッキンダーが、『デモクラシーの理想と現
    実』の中で、ユーラシア大陸の中核地域を中軸地
    帯と呼んだことに始まり、後に、ハートランド
    改めた。
..
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