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真を求めて 皆様とともに幸せになりたい

2017-09-04

(増補版)551E2/3:1/3:気になった事柄を集めた年表(1892年1月〜1892年2月)

題:(増補版)551E2/3:1/3:気になった事柄を集めた年表(1892年1月〜1892年2月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
1892年1月1日、山陽鉄道会社が、旅客運賃を改定した。
1892年1月5日、世界で初めて、オーロラの写真撮影に成功
 した。
1892年1月16日、明治美術会が、洋風美術指導の教場を開く。
  明治美術会は、日本最初の洋画団体で・・、
  明治10年代には、維新以来の急進的な欧化政策に対す
 る反省、反動の機運が高まり、日本の伝統美術の復興を
 旗じるしに、洋画排斥の世論が強まって行った。
  こうした当時の国粋主義的風潮に抗して、1889年に、
 浅井忠、小山正太郎、原田直次郎、松岡寿、山本芳翠、
 長沼守敬らが、東大総長の渡辺洪基を会頭として組織し
 た。
  また、後援者として行政家や知識人らの多数が名を連
 ねた。
  そして、さらに、黒田清輝、久米桂一郎らの新帰朝者
 も参加した。
  毎年、展覧会を開き、多くの名作を発表した。
  また、外国作品の参考陳列、研究所の設置、講演会
 討論会なども行い、洋画発展・啓蒙のために尽した。
  後に、黒田清輝らが、白馬会を起こしたため、白馬会
 と対立した。
  旧派、または、脂派 (やには) と呼ばれて衰退し、
  1901年に解散した。
  翌年の1902年に、若手を中心にした旧会員らが、太平
 洋画会を結成し、
  白馬会とともに二大洋画団体となった。
1892年1月23日、植木枝盛(うえきえもり)が死去した。
  (1857年1月20日〜1892年1月23日、36歳)
  土佐国(高知県)高知城下井口村の生まれで、
  土佐高知藩下級士族・植木直枝の独子、
  板垣退助の演説を聞いて感銘を受け、また、明六社
 影響を受け、自由民権運動に加わり、自由民権運動の指
 導者・政治家となる。
  国会開設に尽力。
  廃藩に至るまで藩校致道館に学ぶ。
  1873年(16歳)旧藩主・山内氏が東京に開設した海南
   私塾に学んだが、陸軍士官予備門的同校の方針が不
   満となり、高知へ帰る。
   時は、あたかも、征韓論政変で下野した板垣退助
   林有造、片岡健吉らは帰郷して、高知に立志社を設
   立し、自由民権運動を開始した。
   枝盛は、立志社の演説会で、板垣らの演説に発奮し、
   運動への関心を高めた。
  1876年(19歳)再度、上京し、板垣邸に書生として寄
   宿した。
   そして、明六社や、慶応義塾主催の演説会を聴取し
   たり、読書に耽り、独学で西洋近代思想を学び、民
   権思想を吸収した。
   東京の諸新聞に政論を投書するなど、言論活動を始
   めた。
   1876年2月、『郵便報知新聞』に掲載された専制政府
   攻撃の『猿人政府(猿人君主)』が讒謗律新聞紙
   条例違反に問われ禁獄(きんごく、牢獄に閉じ込め
   ておくこと)2ヶ月となる。
  1877年(20歳)帰郷して、立志社に入社し参加した。
   そして、板垣退助のブレーン(頭脳)として、片腕
   的存在として活躍。
   この年は、西南戦争の最中で、いわゆる立志社建白
   を起草した。
   同年・1877年立志社は、機関誌『海南新誌』『土
   陽雑誌』を創刊した。
   枝盛は、その編集・執筆に当たり、また、演説会で
   活発な言論活動を展開。
   愛国社、国会期成同盟自由党に板垣の片腕的存在
   として活躍した。
   (国会開設運動や民権思想の普及につくす)
  1881年(24歳)急進的な私擬憲法「日本国国憲案(東
   洋大日本国憲法)」を起草した。
   のち再興愛国社、国会期成同盟自由党などの運動
   に板垣の片腕となって活躍する。
   一方、民権派ジャーナリストとして『民権自由論』
   (1879年・22歳) などの出版により民衆啓蒙を行う。
   のち、急進的自由民権運動から離れ、婦人解放運動
   に尽力した。
  1884年(27歳)自由党解党以後、高知に戻り、県会議
   員として運動を持続した。
    また、『土陽新聞』に拠って健筆を振るい、自由
   民権思想の普及、運動の拡大に努めた。
  1890年(33歳)第1回総選挙で、高知3区から衆議院
   員に当選し、自由党土佐派の有力者として活躍した。
   しかし・・
  1892年1月23日、36歳の若さで急死した。
  彼の思想の特徴は、天賦人権論主権在民、抵抗権な
 どにあった。
  その他の著書に『天賦人権弁』『開明新論』『言論自
 由論』『一局議院論』など。
1892年1月28日、予戒令(よかいれい)が公布された(1月
 25日説あり)
  集会の妨害行為、他人の業務に干渉する者の取締を目
 的に制定され、即日、施行された。
  1892年2月15日に、第2回衆議院議員総選挙が行われる
 予定であったため、選挙取締りを目的とするとされた。
  政治集会で社会が騒然とし、また、騒動が多発するた
 めもあった。
  「政談集会ヲ妨害シ議会議員ヲ脅迫スル…人民ニ対シ
 警察上ノ監督」と記されている。
  内閣顧問として活躍したドイツ人ヘルマン・ロエス
 レルは、予戒令の審議における参考意見として・・
  「公共並ニ国家ノ利益の為ニ…禁遏(きんあつ、禁じ
 て止めさせること)スルヲ得ヘシ」と判断し、制定の正
 当性を挙げた(1914年1月21日まで存続した)
1892年1月、大阪鉄道会社線の亀ノ瀬トンネルが完成した。
  1889年3月に着工していた(工期:2年10ヶ月)
  全長:下り線699m、上り線703.5mの鉄道トンネル
  堅上村(現在の大阪府柏原市大字峠)から大阪府・奈
 良県境までにかけての区間には、生駒山地と金剛山地の
 末端に挟まれた難所かつ隘路があり・・
  この難所「亀ノ瀬越え」があった。
  この一帯は、地すべりがたびたび発生した。
  1889年に着工された亀ノ瀬トンネル(全長413m)・芝
 山トンネル(全長216m)も、異常な土圧力を受け、工事
 が完成しても、煉瓦に亀裂ができ、崩壊するという危険
 性に見舞われていた。
1892年2月1日、九州鉄道会社が、下等旅客運賃を値上げし
 た。
1892年2月1日、北海道炭砿鉄道会社が、砂川駅〜空知太駅
 間の4.6kmを開業した。
1892年2月2日、大阪鉄道会社が、亀瀬駅〜稲葉山駅間の1.3
 kmを開通して、湊町駅〜奈良駅間の41.2kmを全通させた。
1892年2月3日 出口なを、京都綾部で大本教を開いた。
  神道系の新宗教で、教祖の出口なおにより 1892年
 創唱され、その予言は、御筆先 として記された。
  (おふでさき。大本神諭、なをの「筆先」による艮(う
 しとら)の金神(こんじん)の世直しを唱えて、「みろくの
 世」(神の国)の到来を説いた)
  大本皇大御神を祀り、なおの出生地たる丹波国綾部を
 地上の高天原とし、神人合感を唱え、世を立直して、神
 の国を開くと説いた。
  なおの死後、教理を体系化し、組織を構築した出口王
 仁三郎(でぐちおにさぶろう)、すみの両人により、鎮
 魂帰神法が唱えられ、綾部に本部、亀岡に道場がおかれ、
 大きく発展したが、1921年1935年の2回の不敬罪で解散
 に至った。
  第2次世界大戦後、愛善苑として再建された。
  1952年大本教に復し、京都府亀岡市に本部を置く。
  尚、開祖の出口(でぐち)なお(1836年〜1918年、82歳
 没)は、
  1836年、丹波国京都府)福知山城下に大工の長女と
   して出生した。
  1853年(17歳)の時、丹波綾部郷(現京都府綾部市
   の叔母・出口ゆりの養女となる。
  1855年(19歳)大工の夫を婿養子として迎え、出口家
   を継いだ。
    しかし、夫の放蕩で家財いっさいを失うこととな
   った。
   つらく、ひどい生活苦を体験した。
  1892年(56歳)、貧しい大工の未亡人である出口なを
   が創唱した。
    「三千世界一度に開く梅の花、艮(うしとら)の
   金神の世になりたぞよ」と、突然、神がかりして口
   走り・・、
    理想世界「みろくの世」の実現を説く世界の平和
   と・・世の中の立直しを叫んだ。
1892年2月5日、大村益次郎の銅像が除幕された(除幕式)
  大村益次郎の銅像は、初代司法大臣として活躍した山
 田顕義の発案で、靖国神社に建立された。
  大村益次郎(おおむらますじろう、1824年3月10日〜
 1869年11月5日)は、幕末の洋学者で、日本の近代的軍制
 の創始者
  旧名は村田良庵、のち、村田蔵六と名乗った。
  1824年(文政7年)3月10日、周防国吉敷郡鋳銭司村字
   大村に長州藩の医者・村田孝益の長男として生れた。
  1843年(19歳)蘭医・梅田幽斎に学ぶ。
  1844年(20歳)豊後(大分県)の広瀬淡窓に漢籍を学ぶ。
  1847年(23歳)大阪緒方洪庵の適塾の門で、蘭学と
   医学を学び、塾長を務めた。
    この間、長崎を訪れ名医奥山静叔に学ぶ。
    そして、P・シーボルトについてオランダ医学を学
   んだ。
    また、兵学を修めた。
  1851年(27歳)父母を養うために帰郷した。
   そして、医を開業したが振るわず・・宇和島藩に迎
   えられ、伊予(いよ)(愛媛県)宇和島藩御雇となった・・
   そして、西洋兵書を翻訳し、軍艦製造などを指導し
   た・・、
  1856年(32歳)江戸に出て鳩居堂を開塾した・・
   宇和島藩主・伊達宗城の推挙で、幕府の蕃書調所に
   仕え、教授手伝い、さらに、講武所で教授を歴任し
   た。
    この間、ヘボンに英語を学んだ。
    名声を聞いた長州藩は出仕を命じた・・
  1860年(36歳)万延元年、長州藩に呼び戻され、帰藩
   し、同藩(長門・ながと・山口県、萩・はぎ藩)で
   兵学を教え、兵制改革に力量を発揮した。
  1866年(42歳)長州戦争には、石見口の総参謀として
   幕府軍を壊滅させた。
  1868年(44歳)1月3日、戊辰戦争が起きると、討幕軍
   として上洛した。
    維新政府の軍防事務局判事加勢を命ぜられ、軍政
   事務を担当した。
  1868年(44歳)閏4月、江戸に出て、上野彰義隊討伐、
   奥羽・北越の平定作戦に携わった。
    総合的な視点で戦局を捉え、軍略は戦う前から必
   勝の成算をうかがわせるものがあった。
    西郷隆盛は、大村の軍が進まないのをみて、部下
   将士のすすめるままに兵を率いて東上し戦地平定を
   申し出た。
    大村は、西郷を諫め、西郷の青森到着前に五稜郭
   が陥落した。
    西郷は、大村の卓見に感服し、「我誤てり面を合
   はすに恥づ」とそのまま帰郷した。
  1868年(44歳)10月、軍務官副知事となり箱館(函館)
   を鎮定した。
    ここに戊辰戦争は終結した。
    その戦の功により永世禄1500石を受けた。
    この様に、戊辰戦争に優れた軍事指揮を執った。
  1869年明治2年)(45歳)兵部大輔となり、軍制を徹
   底的に改革するため、それまでの諸藩混成の士族的
   御親兵を、国民的な近代軍隊へ改組したいと・・、
    陸軍はフランス陸軍へ、海軍はイギリス海軍を模
   範としてならうと・・藩兵解体、帯刀禁止、徴兵制
   度の採用などを建白し、一連の兵制改革を行ない、
   日本の兵制の近代化に尽力した。
   ・・が、旧士族の反感を買い、
  1869年9月4日(45歳)、京阪地方を旅行中の京都の止
   宿先で、神代(こうじろ)直人ら反対派士族の8人に襲
   われ、刺された傷がもとで大阪の病院で・・
  1869年12月7日、死去した、46歳だった。
  最後の言葉は、「安価で軽便な四斤砲をたくさんつく
 ってくれ」。
.
  (今日の言葉)
.
  題:枕を高くして寝ていられる日本ではなくなっている。
    国防をもっと真剣に考えなければいけない!
    緊急事態なのである!
.
1910年8月29日、日韓併合(〜1945年9月9日)
  日本は、「韓国併合に関する条約(日韓併合条約)」
 によって大韓帝国と併合した。
  標語は、「内鮮一体」で・・、
  日本と朝鮮は一体となって国づくりをして行こうと、
 そこには、完全に朝鮮を差別待遇するなどという意味は
 まったく無く、平等に内地(日本本土)と一体となって
 国づくりをしようとした。
  差別なく、日本と同等な皇国の民として平等だという
 意識で・・、
  「半島人ヲシテ忠良ナル皇国臣民タラシメル」ことを
 目的とするとした。
  今・現代、その当時を生きた韓国の方々は、そのこと
 を裏付ける様にネットに以下の様に記述する。
  「韓国政府が、ひたすら酷かったとして、恩を仇で返
 すような行動をしている」が、
  また、「教科書で、ひたすら日本を蔑むことを記述し
 て韓国の小学生たちを洗脳しているが、真実は消せない」
 と・・、
  以下の翻訳したネットのスレッド(投稿)の韓国の
 庶民の方々の真実の声も聞いて戴きたい・・
  翻訳ー1:おじいさんは笑いながら「日帝時代は、李氏
     朝鮮などの朝鮮王朝が統治した時よりはるかに
     幸せだった」と言いました。
      その例として、まず、医療技術が発達し、人々
     が病気の苦痛から開放され、長生きすることが
     できるようになったこと、
      さらに、教育の機会が与えられ、多くの人た
     ちが勉強できるようになったことなど・・
  翻訳ー2:韓国人強制徴用については知らされているこ
     とと違うと言いました。
      善良な人を強制的に徴用したのではく、死刑
     囚や犯罪者などを徴用していたのです。
  翻訳ー3:慰安婦問題については正確には知らないとし・・
  翻訳ー4:親日派売国奴は別物だ。
      親日が悪いことではないと言いました。
      当時、韓国民族が生きる最良の道は、現実問
     題としての自分の立ち位置をよく認識し、日本
     人から先進文物を学び、自分のものにするとい
     うものでした。
      また、社会のほとんどが親日であり、現在の
     テレビ放送(TV)が示すような、大多数の人が
     独立万歳をしていなかった・・と言います。
  翻訳ー5:教科書を見れば、老人たちにとって日帝時代
     は地獄であり、日本は悪魔だとしています。
      しかし、老人ホームのようなところに行って
     奉仕活動をしながら尋ねると、意外にも日帝時
     代に対する感情がないということに驚きます(
     日本は悪いことをしていないので、悪感情が出
     て来ない)
  翻訳ー6:朝鮮時代末期には、平均寿命が30歳を超えて
     いなかったとしています。
  翻訳ー7:平均寿命と人口が約2倍に増えたという客観
     的な統計が存在し、飢えて死ぬ人々の数が目に
     見えて減りました。
      以前には、娯楽すら知らなかった人たちは、
     少しふんぱつをすれば、豪華な洋館でコーヒー
     を飲むことができたました。
      文学などの芸術も、この時から発達していま
     す。
      日帝時代は、大多数の朝鮮人親日派であっ
     た。
      いや、親日派という言葉すら成立しないかも
     しれない。
      当時、絶対多数の朝鮮人は、日本人として幸
     せに暮らしていた。
      現在、韓国の教科書が教えるのは捏造、歪曲、
     操作であり、独立運動朝鮮人は、全体の1%に
     もならなかった。
      絶対多数99%の朝鮮人親日派であった。
  (日本も同じだったのだろう・・と、日本を、アメリ
 カやヨーロッパ諸国と同じ様な『搾取するだけの植民地
 政策だ』と同じに見ないでください)
  第二次世界大戦当時、大東亜戦争に自ら進んで参加し
 た朝鮮人兵士は・・何と! 22万人を超えた。
  また、平均寿命が24歳という地獄ような朝鮮の状況を・・
 一変させ・・
  朝鮮の方々の平均寿命を倍以上に増やすという『改善
 がなされた』。
  それは、一朝一夕で出来るものではなく・・
  住みやすい国づくりをし、また、人間らしく生きられ
 る国を作った日本だった。
  この様な功績を、まったく伝えない韓国・・
  偽りと捏造(ねつぞう)の歴史で、いつまでも被害者
 であるとプロパガンダし、洗脳する。
  恩を仇で返している韓国なのである。
  韓国の安東地方に建設された図書館の利用者記録を見
 るだけでも分かります・・、
  この資料だけでも、日本が、どれほど朝鮮のあらゆる
 ものに貢献したかが・・
  朝鮮人の方々、支那人の方々、共に、この知的な場所
 を、多くの人が、公平に閲覧しています。
  公平な社会だった。
  公平な統治が行われていたという証拠の一つです。
http://blog.livedoor.jp/kaikaihanno/archives/26941311.html
 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/983250/10?viewMode=
http://livedoor.blogimg.jp/kaikaihanno/imgs/4/3/437ea3cc-s.jpg
http://livedoor.blogimg.jp/kaikaihanno/imgs/9/2/923f2cbc-s.jpg
.
1937年11月15日、日本軍の第10軍は、「一挙追撃を敢行し、
 南京を占領すべき」と積極案を出した。
  それは、マス・メディアの論調に影響を受けていた。
  南京への進軍のきっかけを作ったNHKはじめマス・
 メディアは、
  その後の、南京へ向かう日本軍の進軍を、逐一、報道
 した。
  この報道も、煽りだった。
  それまでの上海事変で、日本軍は疲弊していた。
  上海の日本軍を攻めて来た中国国民政府軍は、上海事
 変での戦いは強烈だった。
  アメリカに支援された中国国民政府軍は、そのアメリ
 カに支援された大量の武器と物量で頑強で、日本を苦し
 めた。
  日本軍は疲弊していた。
  本来は、上海事変が集結した後、日本に帰還するわけ
 だった。
  しかし、NHKはじめマス・メディアに煽られた軍は、
 戦争拡大の意見が通り、また、上海事変で戦った兵士が、
 そのまま南京へ向かうことになった。
  そしてまた、南京へ向かうその日本軍を、NHKはじ
 めマス・メディアは、逐一、報道し、当然、煽られた状
 況になって、南京へと向かって行った。
  国民はその報道をかたずをのんで見守り、声援した。
  NHKは、この様に戦争を煽った罪を『まったく報道
 しない』、
  日本を貶(おとし)める放送ばかりをしてる。
.
1946年3月5日、イギリスチャーチル前首相が「鉄のカー
 テン」演説を行う。
  この「鉄のカーテン」は、イギリスチャーチルが、
 首相を退任後、アメリカトルーマン大統領に招かれ訪
 米し、ミズーリ州の大学で演説した中で言った。
  この「鉄のカーテン」と言われた頃と、今(2017年
 との違いは・・、
  ソ連が崩壊して、ロシアが誕生したという経過がある
 が・・
  今・現代の2017年は、中国が世界一としての存在感
 増している。
  米中関係と言われていた言葉は、今は、中米関係と逆
 転して言うべきだろう。
  米ソの冷戦時は、明確な立ち位置の違いがあった。
 冷戦だと言われる様に、米ソは、その「冷戦の戦争的な
 対決状態」だった。
  そして、「鉄のカーテン」と言われた様に、「カーテ
 ンの向こう側」と「カーテンのこちら側」という明確な
 体制の違いがあった。
  しかし、今・現代の状態は、同じ様な経済状況・経済
 体制の中で、「明らかに中国は、世界の覇権を手に入れ
 たい」と意思表示をしていながら、現状の様な雌伏の様
 な形で、現位置を構築してきた。
  しかし、「中国の明確な覇権を得たい」という言葉の
 裏には、今の派遣者であるアメリカには退場して戴きた
 いという中国の意思もある。
  そこを、隠密に、静かに、なされたため、米ソ冷戦時
 のはっきりした「彼我の陣営の違い」が見えにくくなっ
 ている。
  北朝鮮を明らかに繰って、自らの覇権構築に利用して
 いても・・その様な北朝鮮を繰る姿は見えにくくなって
 いる。
  その見えにくい中国に、米ソ冷戦の時には、米側であ
 った諸国も、今・現代は、中国側に取り込まれている。
  IMF体制を変えたいという意思のある中国。
  中国主導のそのAIIB(アジアインフラ投資銀行
 にも、だから、イギリスはじめ、米ソ冷戦時は、アメリ
 カ側であった諸国が加わっている。
  その諸国の中には、「AIIBに加わって、その様子
 をはっきり見るのだ」という声も聞こえるが・・?
  何か、アメリカ離れをして行こうという様にも見える。
  そこを、日本だけが・・律儀に・・アメリカとともに
 いる感じとなっている・・、
  ドイツは、明確に中国側の行動を行なっている。
  アメリカが、アメリカの一部の知識人が言うように、
 「中国の覇権を認め」、そして、中国の軍門に下るのか?
  それとも、読売新聞の論説文の様に、「より日米関係
 を強固にせよ」という論説の如く、日米関係を強固にし
 て・・、
  この先は、中国の構築したグループと、対決姿勢を形
 作って行くのか?
  中国には、孫子という人が居た。
  中国の指導層も、この孫子の言葉を教訓にしている・・
 モットーにしているというが・・眉(まゆ)つばものだ・・
  この孫子の言葉に・・、
  「兵は詐(さ)なり。(この詐は、つくりごとをいう。
 嘘を言ってだます・・という意味)・・、
  そして、「彼を知りて己を知れば、百戦して殆(あや)
 うからず」・・とある。
  この有名な文の前文・・孫子の言葉には、「兵は詐を
 以って立つ・・」という言葉がある。
  つまり、「戦いは敵を欺き、裏をかくことだ」と言っ
 ている。
  中国は、「勝てば何をやっても良いのだ」と考える国
 だということ。
  中国の本を読んでも、欺いて勝った者が褒められ、讃
 えられている。
  節操なく人をだまし、騙し合いの汚い話の連続だ。
  延々とこんな事ばかりをしている。
  キリスト教聖書も、この様な事が書かれていて、唾棄
 すべき記述に満ちているが、中国は聖書以上だ。
  アメリカも、原爆を落とし、一般市民をターゲットと
 した無差別爆撃をし、そして、じゅうたん爆撃を、日本
 の都市という都市に行って、本当に多くの市民を殺戮・
 虐殺したが・・、中国の悲惨さはアメリカ以上だ。
  自国民を1000万人単位で何回も殺している国・・、
  中国の悲惨さ、冷酷さは、反対意見の持ち主が、皆無
 に近い所だ・・皆、殺してしまう。
  ロシアの学者が明かす・・
  中国政府は、最近の20年間、大量の工作員ロシア
 送り込み、
  ロシアの内政と外交を親中に誘導している・・と、
  チャイナ・ロビーの威力はすごい影響力がある・・と、
  アメリカもこれをやられている・・
  そして、日本もやられている・・
  官僚がやられ・・NHKなどは、『親中の放送だ』と
 はっきり分かるものがあるという酷さ・・、
.
1948年2月6日、GHQの内部文書「戦争についての罪悪感
 を日本人の心に植えつけるための宣伝計画」が明らかに
 なった。
  ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム
 War Guilt Information Program、略称:WGIP)を、文芸
 評論家の江藤淳氏が、その存在を明らかにした。
  この文書は、第二次世界大戦大東亜戦争)終結後、
 アメリカを主力とする連合国軍最高司令官総司令部(G
 HQ)が行なった日本占領政策の一環としてやった日本
 人洗脳計画・・
  「戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるた
 めの宣伝計画」である。
  1979年より、ウィルソン・センターで、アメリカ軍
 領下の検閲事情を調査していた江藤氏は、
  アマースト大学の史学教授レイ・ムーア氏より「Draft
 of c/n, Subject : War Guilt Information Program,
 From : CIE, To : G-2 (CIS), : Date : 6 February
 1948」と、表題された文書のコピーを提供された。
  江藤氏は、この文書について・・、
  1948年昭和23年)2月6日付で、CI&E(民間情報
 教育局)からG−2(CIS・参謀第2部民間諜報局)宛
 てに発せられたGHQの内部文書であると明らかにした。
.
1960年1月19日、新日米安保条約が発効した。
  日米安保条約は、1951年9月8日の日本との平和条約と
 同日にアメリカと署名された。
  そして、1960年1月19日に、日本とアメリカとの間の相
 互協力及び安全保障条約(新日米安保条約)が発効した。
  これによって、先の日米安保条約は失効した。
  ハンス・モーゲンソーの言葉・・、
  「同盟は、両国が共に強くなければ維持されない」。
  (参考)ハンス・モーゲンソー:1904年〜1980年、ド
     イツ出身の国際政治学者シカゴ大学教授。
  日米は、白昼夢(はくちゅうむ。真昼に夢を見ている
 ような、非現実的な空想)の様な同盟関係なのである。
  日本は、モーゲンソーの言う通り、今以上のしっかり
 した防衛力を構築しなければならない。
  そして・・、日米安保条約には・・、
  「日本が攻撃にさらされた場合、自国(アメリカ)を
 犠牲にしてまで、日本を守らなければならない」といっ
 た具体的な取り決めは無い・・、
  マクジョージ・バンディは・・、
  「アメリカ大統領は、たった一発の核弾頭が、アメ
 リカのどこかの都市に撃ち込まれる可能性を想像するだ
 けで、足がすくんで核戦争から逃げ出す」と言っている。
  (参考)マクジョージ・バンディ:1919年〜1996年、
     アメリカ政治学者ハーバード大学教授。
      ケネディ政権、ジョンソン政権の国家安全保
     障担当大統領補佐官。
  ハンティントンや、キッシンジャーや、マクジョージ・
 バンディは・・、
  「アメリカ政治家が、同盟国に対する核攻撃(核恫
 喝)に報復するため、核戦争を実行することなどあり得
 ない」・・と言っている。
.
1970年代、ソ連のモスクワ日本大使館に勤務していた日
 本の外交官が、ハニー・トラップに引っ掛かった。
  日本の重大な情報がソ連に盗まれた。
  これと付随して外国の情報も盗まれた。
  日本の大使館の電信官が狙われた。
  ソ連の秘密情報機関のKGBの仕業だった。
  この様に、日本の大使館の電信官が狙われる事件は、
 上海でも起きていて、
  この時は、この情報流出していた外交官は自殺した。
  このモスクワの場合は、この外交官が、東京の本省勤
 務になっても続いた。
  「ミーシャ」というコード・ネームが付けられた。
  本省勤務になった故、より重要ポストにつけられ、よ
 り重要な情報を扱った。
  ソ連のKGBは、KGB東京支局に、東京駐在のKG
 Bに、この「ミーシャ」専従として情報を奪う担当官を
 何人も付けた。
  この頃は、「ミーシャ」の名も「ナザール」に変えら
 れた。
  「ナザール」は、ソ連の最高級の監視と、運用体制が
 築かれ、おいしい情報が、長い期間、奪われ続けた。
  「ナザール」と名付けられた日本の外交官は、甘い「
 ハニー・トラップ」の他に、「大金」も報酬として与え
 られた。
  東京本省から、全世界の在外公館に出される情報、そ
 して、日本へ世界中から集まってくる情報の「ほとんど
 すべて」が、ソ連は奪う事が出来た。
  日本の暗号システムの情報もソ連へ奪われていた。
  「ナザール」の情報は、最も美味しい情報で、常に、
 ソ連・クレムリンのトップにまで伝えられ、報告された。
  この日本の外務省の大汚点は、ソ連KGBの歴史でも、
 最上級の成功事例とされている。
  特に、ソ連が美味しかった情報は、日米間に行き来す
 る極秘情報だった。
  ワシントン日本大使館から、東京の本省へ送られる
 情報などだった。
  アメリカ高官の情報や米ソ関係情報、NATO関係の
 情報などが、ソ連へ奪われた。
  この大切な情報流出が止まったのは、お粗末な事に、
 偶然のことだった。
  日本は、それまで全く気付いていなかった。
  1982年に、ソ連KGB所属員が亡命したから、この事
 が分かったのだった。
  この1982年に、ソ連KGBの元少佐が、アメリカへ亡
 命して起きた「レフチェンコ事件」が起きた。
  アメリカ議会で証言し、多数の日本人エージェント(
 国家の秘密業務で働く者。スパイ)を使って政治工作を
 している実態を暴露した。
  この男は、レフチェンコは、1979年に、アメリカに亡
 命した。
  日本の被害も甚大だったが、世界各国へ及ぼした被害
 も甚大だった。
  世界は、「日本に対しては機密情報は流せない」とな
 った。
  日本外交が、「つんぼ桟敷」に置かれることになった。
  そしてまた、ソ連KGBの対外情報局文書課長が、イ
 ギリスへ亡命した。
  名は「ミトローヒン」。
  彼は、ソ連の抑圧体制に怒りを持った。
  また、共産主義の根源的な不道徳性に怒りを持った。
  彼は、、KGB本部の機密文書を少しづつ持ち出し、
 自宅に蓄積し、その文書とともに、亡命した。
  文書の量は、トラック1台分あったという。
  このミトローヒン文書が、1999年に出版された。
  この「ミトローヒン文書、第一巻」で、アメリカと西
 ヨーロッパをターゲットとしたソ連の工作活動が明るみ
 に出た。
  西側世界は、大騒ぎになった。
  そして、2005年9月に、「ミトローヒン文書、第二巻」
 が出版された。
  ここに、日本を扱った章に、KGBの対日工作の事例
 の数々が具体的に書かれていた。
  ここに「ミーシャ」の事が、事例として描かれていた。
  ミトローヒンは、2004年に死去した。
.
1985年スパイ防止法が廃案となる。
  この年に、「国家秘密に係るスパイ行為等の防止に関
 する法律案」が・・廃案となった。
  中国は、「スリーパーの達人」だから注意を要する。
  スリーパーとは「ヒューミント」とも言い、潜伏スパ
 イのこと。
  軍人や官僚などが狙われる。
  息子にも引き継ぐという「超・長期間」に渡って任務
 に就く。
  日本は、まったくと言ってよいほど、このジャンルが
 弱い。
  相手の国、ターゲットの国民を「スリーパー」とする
 が、杉原千畝の様に、日本人を送り込むこともする。
  杉原千畝は、ロシア人女性を妻に迎え、情報収集に努
 めたが、
  そして、ロシアから入国禁止処置を取られたが、
  杉原千畝の結婚した「ロシア人女性」は「二重スパイ」
 だったという話がある。
  逆に、杉原千畝が、スパイされていたという。
  今の日本には、強力な「スパイ防止法」が必要。
  (参考)国家秘密に係るスパイ行為等の防止に関する
     法律案(こっかひみつにかかるスパイこういと
     うのぼうしにかんするほうりつあん)は、
      1985年の第102回国会で、自由民主党所属議員
     により、衆議院議員立法として提出されたが、
      第103回国会で審議未了廃案となった法律案。
      通称「スパイ防止法案」。
  現在、日本では、スパイ防止法のような、スパイ活動
 そのものを取り締まる法律が存在しない。
  そのため、ボガチョンコフ事件のような、スパイ活動
 事件を取り締まることができない状況にある。
  (参考)ボガチョンコフ事件は・・、
      ロシア連邦の情報機関であるロシア連邦軍
     謀本部情報部(GRU)の工作官が、日本の海
     上自衛隊三佐に対してスパイ活動を行った事件
     で・・、
      ロシア情報の専門家であったH三佐は「とわ
     だ」の船務長等を務めてきたが、息子の看病の
     為に陸上勤務を希望し、呉第一潜水艦群司令
     に移った後、1997年から防衛大学校の総合安全
     保障研究科大学院)に所属し、ソ連海軍に関
     する研究を行っていた。
      そのような中、1999年1月に、防衛研究所
     開いた「安全保障国際シンポジウム」の場でロ
     シア海軍大佐のビクトル・ボガチョンコフ武官
     は、H三佐に接触を図った。
      ボガチョンコフは、Hに寄り添うことから始
     めた。
      Hが、宗教へ入信すると共に祈ったり、家族
     旅行を支援したりして親密な関係を築いていっ
     た。
      更に、息子の葬儀には不祝儀を送り、共に涙
     を流した。
      打ちひしがれたHは、次第にボガチョンコフ
     と過ごす時間に安らぎを覚えるようになってい
     ったという。
      こうしてHは、段々とボガチョンコフに頼み
     に応じて自衛隊の書類や教本を渡すようになっ
     ていった。
  日本のスパイ防止法の制定賛成派は、この現状を、「
 スパイ天国」と揶揄する。
  スパイの黒幕は、ほとんどの場合、大使館の書記官や、
 駐在武官、つまり、外交特権保持者なので、逮捕はでき
 ず、可能なのはペルソナ・ノン・グラータ通告で「退去」
 「帰国お願い」をすることだけ・・、
  さらに、対象は、ロシア・中国などの「仮想敵国」の
 みで、中央情報局やアメリカ軍の情報部、イギリス秘密
 情報部など友好国の活動は一切咎められない。
  (一部、ウィキペディアを参考にした)
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2001年1月20日、反日親中の大統領であるジョージ・W・
 ブッシュ(子)が大統領になった。
  アメリカ大統領には、明確に、反日親中である大統領
 が、実に、多い。
  以下の、7氏は、確実に、反日親中・・、
  第28代、ウッドロウ・ウィルソン
      民主党1913年1921年
  第32代、フランクリン・ルーズベルト
      民主党1933年1945年
  第37代、リチャード・ニクソン
      共和党1969年〜1974年)
  第39代、ジミー・カーター
      民主党1977年〜1981年)
  第41代、ジョージ・H・W・ブッシュ(父)
      共和党(1989年〜1993年
  第42代、ビル・クリントン
      民主党1993年〜2001年)
  第43代、ジョージ・W・ブッシュ(子)
      共和党(2001年〜2009年)
  以上の大統領は、明確な反日親中の大統領だった。
  中国が、ここまで経済的に大きくなったのも、また、
 軍事的にも大きくなったのも、これ等の大統領の政策が
 大きく影響している。
  アメリカは、まずいと見れば、ハンティントンの言葉、
 「さっさと西半球に引き上げてしまえばよい」の様に、
  西半球へと引き上げるだろう・・、
  日本は、当然、引き上げる訳にいかないから・・アメ
 リカの去ったあとの東アジアに取り残されるだろう。
  国を守ることを疎(おろそ)かにしていると・・日本
 は消滅するだろう・・バンドワゴンは長続きしないだろ
 う・・、
  (参考)反日親中:日本に不利に、そして、敵対する
     政策を採り・・、
      そして、その逆に、中国に対しては有利に処
     し、そして、融和的な政策を採ること。
.
2010年、黒孩子(醺愡辧▲悒ぅ魯ぅ帖▲悒ぅ魯ぅ此法△
 たは、黒戸(户、ヘイフー)とは・・、
  中華人民共和国において、一人っ子政策に反して生ま
 れたために、戸籍を持つことができない子供のこと。
  この様な子供が、『億の人数(数千万から数億人)』
 が居るという。
  2010年に、中国国家統計局が行った人口調査では、戸
 籍を持たない人の数が総人口のおよそ1%にあたる約1300
 万人に及び、その大半が黒孩子だとみられている。
  俗称として闇っ子(やみっこ)という表現があり、一
 部報道では、この表現が用いられることもある。
  この言葉における黒は「闇」という意味で、これは政
 府の視点による言葉。
.
2017年9月3日、今まで、中国は、パキスタンを経由して、
 核技術とミサイル技術を、北朝鮮に譲渡して来た。
  そして、今日、2017年9月3日、北朝鮮は、核実験を行
 い、ICBM(大陸間弾道弾)へ核の搭載技術を完全に
 獲得したと発表した。
  技術を買うお客さんの北朝鮮の核開発を、開発しない
 ようにと、中国がする訳はなかった。
  中国自身が、北朝鮮へ核技術を渡しているのだから・・、
  中国が、恐れているのは、北朝鮮が、アメリカの勢力
 圏に入ること・・
  だから、中国は、北朝鮮に核を持たせた。
  「統一された朝鮮半島が、アメリカの勢力圏に組み入
 れられる事」・・これが、中国は怖いことで・・、
  そうであるから、
  「北朝鮮に核を持たせて、独立性を高めて、独立を維
 持させておきたい」と考えた。
  北朝鮮が、アメリカの勢力圏に入ったら、北朝鮮と中
 国の国境で、アメリカ勢力圏と接する事になってしまう
 という中国。
  日本が、韓国が、北朝鮮に飲み込まれて、38度線が、
 対馬海峡になることを恐れているのと同じである。
  中国にとっての理想は・・
  北朝鮮の独立性が保たれて居てくれれば、中国は、地
 政学的に有利になり、また、安全となる・・である。
  北朝鮮は、すでに、日本を直撃する弾道ミサイルを約
 300基所有している。
  核弾道のミサイル搭載技術は、2017年時点で、持って
 いるだろうと予測されていた(2017年9月3日、核実験
 成功した模様)。
  枕を高くして寝ていられる日本ではなくなっている。
  国防をもっと真剣に考えなければいけない!
  緊急事態なのである!
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  http://d.hatena.ne.jp/HACHI2009/archive

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