『滅びのチター師』

 エビスビールCMの「あの曲」がきっかけで観た名画『第三の男』について先週このブログに書いた。そしてその中で、この映画の音楽について疑問に思った事、音楽を担当したアーントン・カラスについて、軍司貞則という人が『滅びのチター師』という本を書いている事について触れた。その『滅びのチター師』を読んだ。

 世界的な大ヒット映画『第三の男』の音楽を担当したアーントン・カラスは1906年生まれのオーストリア人。「ホイリゲ」という居酒屋で酔客相手のチター演奏を生業としていた。撮影のため、ウィーン入りしたキャロル・リード監督との偶然の出会い、映画音楽という未知の世界へ入っていくことへのためらい、イギリスでの42日間、産みの苦しみ、そして成功・・・。この本の前半はアーントン・カラスの生い立ちとサクセスストーリー、そして名曲『Harry Lime Theme』のいわゆる製作秘話だ。この本が出版されたのは1982年。『第三の男』から30年が経っているが、著者の念入りな調査とインタビューで、当時の姿がありありと描かれている。

 前半とは対照的なのだが、後半は謎解きのミステリーのようだ。それは著者の驚きから始まる。大ヒット作家のカラスは地元ウィーンではさぞかし有名人なのだろうと思ったらどうやら違いどちらかというと不人気。多くの書籍や出版物にあたっても、世界的に見れば数段格下の音楽家の名前はでてくるのにアーントン・カラスの名前は出てこない。調査を重ねる著者に見えてきたのは、我々日本人には思いもよらない、あまりにもヨーロッパ的な、ウィーン的な事情だった・・・・。

 『第三の男』は友人の死をめぐるミステリーだが、カラスの作った『Harry Lime Theme』は明るく楽しげな雰囲気、ギャップが感じられて仕方がなかった。オーケストラや他の楽器を使わず、殆どカラスの演奏するチターだけ、というのも解せなかった。キャロル・リード監督は偶然の出会いでカラスとチターという楽器を起用したが、それだけではない。第二次大戦で叩きのめされボロボロになったウィーンの街にオーケストラ・サウンドはあまりに似合わないからだ。また、明るく楽しげな雰囲気の『Harry Lime Theme』だが、本書を読んだ後聞いてみると、ヨーロッパ・クラシック音楽にはないテイストが聴こえてくる。

 「映画本」や「音楽本」と思って読むと驚くことになる、ノンフィクションのルポルタージュだ。でもご安心、素敵な映画の背景を知ってしまい、幻滅・・・なんて事は全くない。それどころか、漫然とスクリーンを観ただけでは普通の日本人には分からない背景も見えてくる、DVDと一緒に楽しみたい一冊だ。

滅びのチター師 (1982年)asin:4163372601asin:4167571021
作者: 軍司 貞則
メーカー/出版社: 文藝春秋
ジャンル: 和書