『緋色のヴェネツィア』

 この作品には「聖マルコ殺人事件」というサブタイトルがついているが、殺人を巡っての謎解きミステリーではない。16世紀のイタリアを舞台にした歴史絵巻。主人公の若きヴェンネツィア貴族マルコ・ダンドロを案内役にルネサンスの時代の街と人々を描いたルネサンス歴史絵巻三部作の第一作だ。

 異国の物語はそれを読む者の心をはるか遠方へといざなう。それがはるか昔の物語ならば、はるか昔のはるか遠方ということになる。いざなう方としては苦労が多かろう。

 物語は主人公のマルコが出勤途中に飛び降り自殺に出くわすところから始まる。詳しくは書かぬが、30歳のマルコの人生が大きく動き始めるプロローグとなる出来事だ。ヴェネツィアイスラムの都コンスタンティノープル、そして大国の間で翻弄されるハンガリーを舞台に、主人公のマルコとかれの幼馴染のアルヴィーゼは懸命に生きる。国家、それぞれの生まれと立場、そしてそれぞれの愛する人の間で苦しみながら生きる彼らは、まるで向かい風に逆らいながら進むガレー船のようだ。命がけの航海の末、あるものは生き、あるものは死ぬ。

 塩野七生の作品に共通するのだが、読後に残るのは柔らかな海風に吹かれているような感覚、はるか昔の異国の地に生きた彼らと同じ風に吹かれているような感覚だ。梅雨の明けぬ日本からルネッサンスヴェネツィアへ見事いざなわれた。

緋色のヴェネツィア―聖(サン)マルコ殺人事件 (朝日文芸文庫)
作者: 塩野 七生
メーカー/出版社: 朝日新聞
ジャンル: 和書