『勝手にしやがれ』


勝手にしやがれ』(À bout de souffle)
 1959年、ヌーヴェルヴァーグの旗手ジャン=リュック・ゴダール監督が初めて世に出した長編映画・・・・なんて予備知識は一切持たずに『勝手にしやがれ』を観た。個人的に取り組んでいる「タイトルは知ってるけど観ていない映画を観てみよう運動」の一環だ。

 自動車泥棒のミシェルは警官を殺してしまい、アメリカからの留学生パトリシアのところに転がり込む。二人の関係は恋人の一歩手前といったところなのだが、ミシェルはパトリシアにどんどん惹かれて行く。パトリシアは戸惑いながらもミシェルと行動を共にする。一方、新聞には彼の顔写真が大きく載せられ、彼を追う警察の手はすぐそこまで迫っている・・・・。

 なんでもヌーヴェルヴァーグ(Nouvelle Vague・新しい波)とは1950年代にフランス映画界で起こった新しい流れのことらしい。即興性を重視し、録音も撮影と同時に行う。手持ちカメラの使用など旧来の映画業界の習慣に縛られない、若き映画人達の実験的で野心的な活動だったようだ。ミシェルとパトリシアがドライブしながら会話するシーン、同じアングルでの短いカットを執拗に繰り返す。短いカットはミシェルがパトリシアを賛美する言葉と呼応する。「愛する女は首が美しい」「胸が美しい」「声も手首も美しい」「額も美しい」「膝も美しい」「・・・・・だがずるい女だ」ここで終る。当時の映画業界人は眉をひそめたのかもしれないが、特に違和感は感じない。言葉と呼応して切り替わる画面が言葉の印象を深くする。

 モノクロ画面の中の50年前のパリはものすごく昔のはずなのだけれど、街も車も人びとのファッションもおしゃれで、垢抜けているような気がする。戦後の日本がお手本にしたアメリカが憧れた「花の都パリ」なのだ、師匠の師匠、当然といえば当然か。ジャン=ポール・ベルモンドの演じたミシェルは始終タバコを吸っていた。通りに面した建物の2階かそれ以上の階にあるパトリシアの部屋の窓から、まだ火のついたタバコをポイポイ捨てていた。これは当時のパリジャン、パリジェンヌにとって普通の事だったのか、それとも自動車泥棒をやっちゃうような、人生少し裏街道的なヒトタチのみの習性なのか。現代の感覚からすると理解しかねる。パトリシアを演じているジーン・セバーグは当時21歳のアメリカ人。ショートヘアーとクリクリっとした瞳が印象的な美人。5〜60年代の映画史を知らなくても、彼女の魅力的な瞳とパリの街並みを味わえた。


勝手にしやがれ [DVD]

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