『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』


 ほとんど全ての日本人にとって「マネージャー」という言葉と最初に出会うのは学生時代の部活動なのではなかろうか。少なくとも自分の世代ではそうだった。陸上部のマネージャー、野球部のマネージャーといった具合。記録をとったり、練習のサポートをしたり、部員の面倒をみたりする、あれが「マネージャー」なのだと理解していた。そして卒業後仕事をするようになって再度出会う「マネージャー」という言葉には「マネジメント」という言葉がセットになっている。営業2課マネージャー、駅南店マネージャー、マネージャー会議、マネジメント研修といった具合だ。そして「そだよね、マネージャーって本来こういう意味だよね」と理解し直すのだ。

 この小説は都立程久保高校の川島みなみが、2年生の夏休み前という中途半端な時期から野球部のマネージャーになるところから始まる。前向きでまっすぐなみなみは「マネージャーとは何か?」という疑問を抱き、本屋で薦められるままにピーター・F・ドラッカーの『マネジメント』を手にする。この本がその後1年間、新人マネージャーみなみの指針となる。何のための指針かというと、例年3回戦どまりの程久保高校野球部を甲子園に連れて行くための指針だ。みなみは病気で入院中の親友宮田夕紀、1年生マネージャー北条文乃、部員と距離のある加地監督を巻き込みながら、無断欠席が多く、やる気の無い野球部を立て直すのだった・・・・。

 マネジメントについて書かれた本は多い。読んでいると大いに参考になるのだが「うーん、ウチの会社では少し違うな」とか「この業界には当てはまらないよ」といった場面に出くわす。「メーカーならこうだろうけど、商社の場合ありえない」とか「大企業ではそうだろうけど、ウチ中小だからムリ!」なんて思う事もあろう。自分の直面している現実との差異が違和感を生むのだ。読者のニーズに合わせて『創業20年、従業員45人で年商20億円の木材加工品メーカー、厳しいオーナー社長の下で日夜努力する営業マネージャー(部下3名)のためのマネジメント』なんて本が出版されることは絶対に無いだろうから、読む方が飲み込んで昇華していくしかない。しかしこの違和感は本を手に取った時の前向きな気持ちを阻害するし、あまりひどいと途中で読む気が無くなってしまう。困ったものだが仕方が無い。読者の現実との差異からくる違和感をいかに少なく抑えるかはマネジメント本の肝の一つだろう。

 この違和感を無くすため、著者岩崎夏海は逆転の発想を持ち出す。読者の現実に合わせ、差異を小さくするのではなく、読者を高校野球という全く違う世界に連れ出したのだ。現実との差異が大きすぎると違和感はかえってなくなるのだ。また「高校野球の女子マネージャー」というのは、読者の大半であろうビジネスマンにとってその役割や仕事がイメージしやすく、馴染みやすい。懐かしい思い出のある人もいるだろう。ドラッカーがビジネスシーンの中に想定した事柄が、高校野球の女子マネージャーの活動の中に投影される。読者は違和感に悩むことなどなく、みなみがマーケティングイノベーション、人事、人の強みを生かす、等のマネジメント上の課題に健気に取り組むのを応援してしまうのだ。この本一冊でドラッカーが理解できるはずが無いが、『マネジメント』のエッセンシャル版を読んでみようかな、と思わせるには十分だろう。逆転の発想に脱帽。

もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら
作者: 岩崎夏海
メーカー/出版社: ダイヤモンド社
発売日: 2009/12/04
ジャンル: 和書