『使命と魂のリミット』


 帝都大学病院に脅迫状が届いた。「隠している医療ミスを公表し、謝罪しなければ病院を破壊する」。そのような事実は無いと断言する心臓血管外科の権威、西園陽平教授。しかし彼の下で働く研修医の氷室夕紀は、西園に対してある疑念を持っていた。夕紀の最愛の父親が西園による手術で命を落としていたのだ。しかも、彼女の母親がなんと西園と再婚するという・・・。 

 医療現場を舞台にした東野圭吾2006年のミステリ。研修医氷室夕紀を軸に、様々な人間模様が描かれ、物語は進んでいく。強迫犯は計画を実行に移し帝都大学病院はパニックに。極限状態の中、自分にできる最大限の力をふりしぼる医者、看護士、そして刑事。見事に構築されたストーリーはチョット出来過ぎな気もするが、登場人物一人一人の懸命な姿に感銘を受ける。全てが明らかになったラストシーンではホロリとさせられた。

 この本のイトルにある「使命」という言葉、実はあまり好きでなかったりする。「使命」を「与えられた任務」という意味で使う分には抵抗はない。「この課での私の使命は、3年以内に売上を倍にする事です」なんてのは具体的で良いと思う。しかしこの言葉に「この世に生まれてきた意味」といったニュアンスを込めて使われると、本人には悪気はないのだろうけど参ってしまう。実際そういう事が多く、「使命」という言葉を聞いただけで少しネガティブな反応をしてしまう・・・。「私は今の仕事を使命だと思っています」医療や教育や軍事、その他公的な仕事に携わる人、宗教家や芸術家はこういうセリフが似合う。そしてそれを成し遂げてられればその人は幸せだ。ただ、仕事についてそんな風に思えるのはごく一部の人だけ。多くの人にとって日々の仕事は親のため子のため生活のため、ひたすら働いて糧を得ること。「使命」もへったくれもない。一方、自分の仕事を「使命」と感じつつも結果を出せない場合はひたすら辛い。その重みに耐えられない人は自分の存在価値をも見失いかねない。高額の報酬に支えられるお医者さんはまだしも、学校の先生や普通の公務員の人にとって、「使命」という言葉は結構重くのしかかってくるのではないだろうか。

 自分は日々の仕事の中で「使命」なんて大げさな言葉は使わない。逃げ出したくなるような辛い局面はもちろんあるが、「使命」なんて言わなくても「これ、自分のシゴトですから」と淡々と全力で取り組む。その方がカッコイイと思うし、そう有りたいと思っている。東野圭吾の小説はとてもよかったけれど、タイトルの一部にからんでみました。

使命と魂のリミット (角川文庫)
作者: 東野圭吾
メーカー/出版社: 角川書店(角川グループパブリッシング)
発売日: 2010/02/25
ジャンル: 和書