ネアンデルタール人は、ほんとうに滅んだのか

2018-05-20 時代の嘆き、嘆きの時代・神道と天皇(159)

はっきり言って、僕はダメ人間です。普通のことを普通にするということができない。どうしてもできない。居直るつもりはないけど、だめになってしまうことにも人間性の自然はあるわけで、世の中の人の全員がちゃんとした人間になれるはずがない。それは、滅びてゆくことへの誘惑であり、その弱さを僕は断ち切ることができない。年を取ってますますそうなってきたという傾向さえある。人間なのだもの、日本人なのだもの、そういう誘惑はたしかにあるし、人間性の自然を問うということはとりあえず現在の僕の主要テーマでもある。

正しく生きる能力を持った人こそがこの世界の真実を知っているとはかぎらない。正しい人間だからこそわかっていないのだ、ということも確かにある。なぜなら、正しく生きることは、真実よりも正義や幸せのほうが大切だということでもある。人は真実を隠ぺいして正義や幸せを獲得する。それが文明社会の普遍的な仕組みになっていたりする。

人間性の自然なんかにこだわっていたら幸せになれない。だから彼らは、人間性の自然を克服するのが人間性の自然だ、という。まあ「大人になる」とはそういうことで、その論理で大人たちは若者や子供を洗脳・教育しにかかる。


宮台真司は、現在もっともマスコミにおける露出度の高い社会学者のひとりにちがいない。いったい誰に人気があるのか知らないが、何事につけても自信満々に「こうだ」と決めつけていうのが彼の戦略で、そういってもらいたがっている庶民がたくさんいる。情報が溢れすぎてそのぶん不安や迷いも多い時代だからだろうか。しかしどうしてあんなうさんくさい態度と顔つきの人間がもてはやされるのだろう。そういう時代だということだろうか。時代そのものがそういう態度や顔つきになっていて、彼は人々のそういう欲望を体現している、ともいえそうだ。

この前、宮台真司と東裕紀が対談しているYOUTUBEを見た。

この二人の思想的立ち位置はひとまず左翼・リベラルの範疇に属しているが、その内容はかなり違っていて、東はときどき宮台を批判することを発言したりしている。

対談の内容は、社会学者である宮台がこのごろ「現在の郊外団地の家族には未来がない」という発言をしていて、宮台がそのわけを説明し東がそれには納得できないという感想を漏らす、というようなことだった。

現代社会の幸福論。現在の郊外団地は昔と違って住民の身分が誰もかれもただのサラリーマンであるという画一的な状況で、豊かなコミュニケーション能力が育つ環境になっていない。つまりこれからの社会は学歴だけでは通用せず、コミュニケーション能力がないと生き残れない、ということを今どきの親たちはなんにもわかっていない、と宮台はいう。

まあ、そうかもしれない。

しかし、生き残れなかったらいけないのか。幸せでない人生は人生ではないのか。宮台の言い分では人生ではないということになるし、東は「人それぞれだからいいじゃないですか」と答えている。

人生には落ちこぼれることの味わいというのもあり、それによって磨かれる心もあるわけで、そうやってこの国の中世には「隠遁」というライフスタイルが流行ったのだし、まあ幸せじゃない人生は人生じゃないという論理になってしまうのは宮台のいじましい市民根性的強迫観念であり、思考の貧困でもある。そしてそのことをおそらく東はちゃんと気づいているのだが、ひとまず先輩を立てるというかたちであまり過激な反論はしていない。

宮台は「な、そうだろう」と同意を促し、「いやいや僕としては賛成するわけにいきません」と答える東の気持ちもわからなくはないが、ちょっと生ぬるい。

なんといっても白熱した論争というのは、面と向かって即興の言葉を交し合う対談という形式では難しい。

できることなら往復書簡かなんかで、ガチの勝負をしてもらいたいものだ。彼らがそれをしないと、それに続く若手の評論家たちの態度はなお生ぬるくなる。東にしてみれば「俺は先輩の宮台に反論しているが、おまえたち若手は俺になんにもいってこない」といいたいだろうが、宮台がいうように「コミュニケーションが不毛の時代」であるのなら、けっきょくそのようになる。

もしも現在が時代の変わり目であるのなら、とうぜん激しいバトルは起きてくるに違いない。右翼か左翼かという問題ではなく、もっと深いところの「人間とは何か」というレベルでやってくれ。死ぬか生きるか、どちらが生き残るか、読者だってきっとそれを望んでいる。

とはいえ、宮台には愛がない。彼は「正しさ」とか「幸せ」というようなものにこだわっているだけで、「人間」を見ていない。その点東のほうが、よほど人恋しさの「情」を感じさせる。


最近の宮台は、「親はいかにあるべきか」というような発言をよくしている。よほど自分の子育てに自信があるのだろうか。

そこで東は「ようするにあなたは、古い歴史のある町や麻布や白金台のような閑静な住宅街でなければまともな子供は育たないといっているのですよ」といい、宮台は「いや、そうじゃなく、最近の親たちは子供に学歴をつけさせる事ばかりきゅうきゅうとして、これからはコミュニケーション能力がなければ仕事も恋愛もうまくいかなるということがまるでわかっていない」とはぐらかす。

まあ宮台はそうやって時流に乗って成功してきたのだろうが、しかしそんな処世術に長けた人間よりも最終的には魅力的な人間のほうが認められるのだし、魅力的な人間なら成功しなくてもかまわない、ということもある。

いつの時代もこの世に魅力的な人間が存在するということこそが人類の希望になっているのだし、コミュニケーション能力があって処世術に長けていることが魅力的であることの証しであるのではない。子供に対してそんな能力を願うことこそ、むしろ現代社会の病理だともいえる。

上手に生きてゆけなくてもいいでもいいではないか。人の子の親としては、心も体も健やかに育ってもらいたいという願いがあるだけだろう。

宮台は、若いころから現在までずいぶん女にもてて生きてきたような言い方をする。そうかもしれない。ただねえ、コミュニケーション能力で女をたらしこむこととセックスアピール(人間的魅力)とは違う。

彼は映画評論も数多く発表しているが、映画とはコミュニケーション能力を追求するツールだろうか。そうではあるまい。コミュニケーションに成功して幸せになる……そんなハッピーエンドの物語など、ひと昔前のハリウッド映画の話だろう。

たとえば現在の映画界の巨匠のひとりであるパトリス・ルコントが描く人間などは、『橋の上の娘』にしろ『仕立屋の恋』にしろ『髪結いの亭主』にしろ、つねにディスコミュニケーションの場におけるセックスアピール(人間的魅力)が第一のテーマになっている。

人と人の関係の基礎はコミュニケーションにあるのではない、ときめき合うことにある。それがルコントの思想というか人間観ではないだろうか。

つまり、子供は親の教える通りには育たない、みずからのときめきとともにみずから学び、みずから勝手に育ってゆく。したがって子供が育ってゆくにあたって親がどんな人間かということは大いに問題だが、親が勝手にいじくりまわしていいはずはない。子供をどのように育てるかという問題は、ほんらい存在しない。ほんらい的には、子供にときめいているか、子供からときめかれているか、という問題があるだけだろう。


まあどんな能力であれ、それは子供自身がその気になることによって豊かに身に付くのであって、親の教育の効果などたかが知れている。

人は「学ぶ」存在であって、「教える」ことに人間性の本質があるのではない。

教育者はどうしても「教える」ということを特権化したがるが、それこそが文明制度の病理なのだ。それが健康なことなら、権力者が民衆を洗脳し宗教者が子供を洗脳してしまうことだって否定できなくなる。

法を施行して税を取り立てる……これこそまさに「教える」という態度以外の何ものでもない。そうして言語学者は、言葉の本質は「伝達=教える=コミュニケーション」にある、という。また歴史家においては、文化の伝承は言葉で「教える」ことによってはじめて可能になる、などというが、たとえば土器や石器のつくり方なんか、教えられなくても見よう見まねで覚えられる。

人類史における言葉の発生は、教えるために頭の中に言葉が浮かんだ、というわけではあるまい。思わず発してしまった音声を聞くことによって、それが言葉になっていると学んでいっただけだ。「教える」力が言葉を生み出したのではない。「学ぶ」力から言葉が生まれてきたのだ。

赤ん坊は、言葉を「聞く」ことのときめきとともに勝手に言葉を覚えてゆく。親がどんなにがんばって教えようとしても、覚えない子はなかなか覚えない。

「教える」ことの不可能性と「学ぶ」ことの可能性、このことをちゃんと自覚していないとよき親や教師にはなれない。「教える」ことが人と人の関係を成り立たせているのではない。それは、「学ぶ=ときめく」ことなしには成り立たない。


「教える」ことはひとつの「権力」であり、それによってよりよい社会が生まれる、と宮台は考えているのだろうか。彼にとって「親」とは「教える=権力」の上に成り立っている存在で、まあ根っからの権力志向のお人であるらしい。

子供は親の計画通りに育つのか。

嘘つきの親から「正直であれ」と教えられれば正直な子供が育つかといえば、そうはいかない。子供は親の「嘘つき」をまねるし、学ぶ。

人は根源において他者にときめいている存在だから、「学ぶ」ということができるし、「学ぶ」ということしかできない。たとえ親子であっても、ときめき合えばいいだけのこと。言い換えれば、子供に何を教えるかという問題が最優先してしまうのは、「関係の衰弱」を意味しているだけのことかもしれない。近ごろはそんなハウツー本というか啓発本が流行しているらしくて、宮台もしっかりその波に乗っている。

現在の郊外団地の住民の身分や思考が画一化してしまっているとしても、昔の日本列島には日本人しかいなかったのだし、そこをやりくりしながら多様性止揚してゆくのがこの国ならではの集団性の伝統になってきた。

もともと日本列島は、人類拡散の行き止まりの土地として、南方系北方系中国朝鮮系と、種々雑多な人間が流れてきた。

今どきの右翼は「日本人の同質性を守らねばならない」というが、同質性とは無縁の「混沌」とした関係の賑わいをつくってゆくことこそこの国の伝統の真骨頂なのだ。であれば住む所なんか郊外の団地だろうと橋の下だろうと白金台だろうとどこでもいいともいえるし、どこにだってそれなりの問題はあるのだろう。

まあ僕は社会学者ではないから、そのあたり問題のことはよくわからない。ただ宮台が、自分は正しく生きてきた正しい存在であるという前提でものをいっていることに小さくはない違和感を覚える。上野千鶴子も、そうやって自分を基準にして時代や社会を語りたがるところがある。宮台真司上野千鶴子のような人間になることがそんなに素晴らしいことなのか。彼らはどうしてそんなにも自分を肯定するのだろうか。そうやって彼らは「教える」ということを特権化してゆく。

この社会の魅力的な人は自分の「外部」にいるのだし、その人はこの社会の「外部」に立っているものでもある。社会学者は社会を研究する人だから、社会の「外部」に対する視線や憧れはあまりないのかもしれない。

情報化社会は、「伝達する」とか「教える」とか「啓蒙する」とか、さらには「洗脳する」というようなことが肯定される。何はともあれ彼らは、そういう時代の社会学者なのだ。


現在の郊外団地は、建物の外観も部屋の調度も暮らしぶりも、戦後間もない時代とは格段にレベルアップしている。だからこそ人々の意識も「生命賛歌」にどんどん傾いていってしまうし、それは現代社会全体の病理でもある。

この生の「外部」としての「死」に対する視線を喪失しているということ、それは、時代の「外部」に対する視線を喪失している、ということでもある。それでは時代は変わりようがないわけで、そうやって時代=社会が停滞してしまっている。

保守化右傾化、の時代。

みんなが、自分の人生はよい人生だ、と思っているのだろうか。この生を嘆いてこの生の「外部」に対する遠い憧れを紡いでゆくことにこそこの国の伝統があるわけで、この生や日本人であることに執着・耽溺することなんか、ほんらい保守化でも右傾化でもなんでもない。ただ「時代に踊らされている」というだけのこと。

この生や日本人であることを嘆きつつ受け入れてゆくところから心が華やぎ飛躍し活性化してゆく。おそらく新しい時代=社会はそのような「ときめく心」によって切り拓かれてゆくわけで、宮台のいうようにコミュニケーション能力で相手をたらしこむことばかり競い合っていてもますます停滞するばかりで、けっして活性化しない。

今、時代=社会が変わりつつあることの胎動は起きているのか。それは、宮台や上野自意識にリードされて変わってゆくのではない。時代=社会は、時代=社会によって変わってゆく。

現在は、保守化右傾化しているのではない、停滞してしまっているだけなのだ。しかし停滞していることの嘆きが湧いてくれば、そこから心は活性化し時代=社会は変わってゆく。

戦後のこの国の復興だって、喪失感の嘆きからはじまった。

満足してしまったら、時代=社会なんか変わらない。

確かに現在の郊外団地の心は荒廃してしまっているのかもしれない。しかしその宮台がダメだという、そこから時代=社会が変わってゆくのかもしれない。そこにこそ現在の社会問題が集約されていて、そこが再生しないことには、この国全体の少子化も、非婚化も、引きこもりのニートも、地方の過疎化も、先が見えてこないのかもしれない。


2018-05-16 自意識と宗教・神道と天皇(158)

偏見を承知であえていわせていただくなら、宗教者なんかみな自意識過剰の俗物さ、と思わないでもない。

とはいえ、宗教とは何か、ということの定義も、けっしてかんたんではない。

世間ではよく「ほんものの宗教」と「にせものの宗教」というような分け方をするが、ほんものであればいいのかとい疑問も湧く。

オウム真理教は、最初のころは吉本隆明中沢新一をはじめとする宗教シンパのインテリたちから「ほんものだ」と評価されていた。その評価が間違っていたとはいわない。「ほんもの」だからこそあんな事件を起こしたのだろう。9・11の事件で世界を震撼させたイスラム教だって、「ほんもの」だからこそにちがいない。

彼らにおいては、世界や宇宙の仕組みはすでに決定されているのであり、それが何かと問うことはないし、彼らと違う世界観や宇宙観はすべて排除しなければならない。排除しなければ、彼らの正しさは証明されない。

宗教とは、この世界や宇宙の仕組みが神や仏によってすでに決定されている、と信じ込むことだとすれば、それはとても変だ。われわれにとっては、世界や宇宙どころか、道端の草や石ころの存在だって不思議そのものであり、この世に不思議でないものなど何もない。「自分とは何か」ということも、死ぬまで問い続けるほかない問題にちがいない。

日本人は宗教心が薄いから、そうかんたんに信じ込むことなんかできない。それはひとつの病理ではないか、とさえ思う。

日本列島に入ってきた仏教は、時代とともに宗教的な性格がどんどん薄められてゆき、たんなる哲学とか民間の習俗とか政治や金儲けの道具とかになっていった。

中世の禅などは「宗教からの解放」こそがその中心命題になっていたし、それゆえに広く流布してゆくことになった。日本列島の伝統においては、そのように逆説的にしか宗教を肯定するすべはないのだ。

あるオウム信者がこういった。「世の中の人の多くは宗教哲学か思想のように考えているが、それは間違っている」と。そうかもしれない。だからオウム真理教は「ほんもの」であり、「ほんもの」であるがゆえに病んでいる。


僕の知り合いに、30代の5,6年を禅の寺で修行した男がいる。20代のころは風来坊のような暮らしを続けていたが、ずっと宗教には興味を抱いていたらしい。

禅はもともとインテリ好みの宗教で、今や世界中で認知されている。そうして彼は優秀な修行者でもあったとかで、住職からは、早く得度して正式な坊主になれとせかされた。

でも、けっきょくふん切りがつかずに逃げ出した。

宗教という秩序の世界に安住することができなかった、ということだろうか。

そのあとの俗世間での仕事は20年くらい続いたらしいが、老母を養うという家庭の事情があったからで、仕事も人間関係もいやでいやでしょうがなかった。

だから老母の死とともにその仕事もやめ、今度は50代半ばの身でインドや東南アジアのバックパッカーの旅に出た。もともと仏教に対する素養があるから、いろんな寺院を訪ね歩くことができたし、安いゲストハウスに泊まってさまざまな外国人と出会うこともさらに楽しかったという。

彼が巡礼したのは仏教ゆかりの土地ばかりだったっが、ゲストハウスに泊まっているときは、毎日村や町を歩き回って気が向いたら茶店に立ち寄るということばかりしていて、ほかのバックパッカーのようにお寺を訪ねて座禅をさせてもらうということは一切しなかった。旅をする前はそんな計画も立てていたのだが、いざ来てみるともう、そういう気分にならなかった。

最初は二・三か月のつもりだったのに、気がついたら二年くらい飽きずに放浪していた。

人生で初めて解き放たれた気分を味わった、という。

彼の人生は、若いときから宗教にこだわって社会からドロップアウトしていったのだが、宗教の世界もけっして安住の地ではなく、俗世間に戻ればさらに居心地が悪く、最終的には宙ぶらりんの旅人になって、やっと人心地がついた。

たぶん彼は、そこで自分の体にたまった宗教の垢を洗い流してきたのだろう。彼は彼なりに、真に「清浄」な世界を夢見て生きてきたのだろう。何しろ日本人なのだから。

もと禅坊主がインドやネパールを旅して、誰よりも非宗教的になっていた。ダライ・ラマとも握手してきたらしいが、彼に言わせると、敬虔な宗教者というよりは天皇陛下のようなほのぼののとしたお人だったのだとか。


宗教によって宗教の垢を洗い流す……禅をはじめとして、日本列島の宗教はおおよそそのような傾向を持っているのかもしれない。

日本列島の住民は、俗世間とも宗教の世界とも無縁の、そういう「異次元の世界」に対する遠い憧れを持っている。日本人にとっての聖なる世界は、宗教の世界ではない。宗教だって、しょせんは俗世間のことだ。だから宗教は、政治の世界と結託することができる。

日本人にとっての「漂泊」とか「遁世」というのは、宗教からも離れてゆくことにある。

中世法然空也一遍も親鸞も、あのころの真に「聖=清浄」なるものを求める僧の多くが、比叡山の修業を捨てて「漂泊」の旅に出た。乞食坊主こそが、彼らの理想の姿だった。

仏教の修行なんか捨てるのが、日本列島の仏教なのだ。修行なんか俗物のすることで、そうやって自意識を満足させているだけのこと。前述の彼は「現在の禅僧の90パーセントは俗物ばかりで、残りの10パーセントは俺が会ったことのない人だ」といっていた。まあ、そんなところだろう。

僕は、宗教者がいったい何を求めているのかということがよくわからない。

人は何かにせきたてられて生きているのであって、この生もこの世界も無常であるのなら、追い求める何があるというのか。

前述の彼にしても、何かを求めて禅の寺に入ったのだろうが、求めるものなど何もないと気づいただけだった。生きていればいいだけだし、生きてしまっているだけのこと。

生きなければ、死んでゆくことはできない。人は、死にせかされて生きている。生きていると思うことは、死が存在すると思わされることだ。

人は、この生に退屈して、何かを追い求めてゆく。まあ、人生に退屈しはじめて認知症になってゆく老人は多いし、座禅をはじめる老人もいる。。

彼も、いよいよ60代半ばを過ぎて老人の範疇に入ってきたが、今、文章を書くことに熱中しているのだとか。旅の思い出とか現在の生活周辺のこととか、書くことはいくらでもある。べつに人に読んでほしいということもないが、書くことが生きることだ、という。自分のまわりの森羅万象を、文章でスケッチしているだけのことさ、といって笑う。

世の中の文章家のほとんどはどこかに発表するために書いているが、有名な絵描きの中にも発表するつもりも売る気もないまま死ぬまで描き続けたという人はけっこういる。息をしたりものを食ったりするように、具体的な生のいとなみとして絵を描く、文章を書く。

発表する気のない人というのは、自分が書(描)いている、という意識があまりないのかもしれない。何かにせかされて書(描)いている、書(描)かされている。


「私」とは何なのだろう。「私のいとなみ」などというものはない。すべては「宇宙のいとなみ」なのだ……といっても自意識過剰の現代人にはピンとこないのだろうが、まあ、「私」にこだわって認知症になってゆく老人もいれば、なんの目的もなく息をするように文章を書くことに熱中している男もいる。

「小人閑居して不善をなす」などというが、退屈しなければいいだけのことで、自意識過剰だから退屈してしまう。自意識過剰だからボケてしまう、インポになってしまう、アスペルガーになってしまう、発達障害になってしまう、退屈して不安になって宗教に取り込まれてしまう、そうやってさまざまに精神を病んでしまうという現代病がある。

まあ、人としてものを思ったり考えたりするることが健康にはたらいていれば、退屈することなんかない。

宗教は、この宇宙(森羅万象)の不思議をすべて解き明かしているように見せながら、人を退屈させてしまう。退屈させて、その不安に付け込んで洗脳してゆく。

日本列島の古代の民衆は、仏教に洗脳されてしまうなんて退屈なことだと思って、祭りの賑わいの上に成り立った「古神道」を生み出していった。

目の前の森羅万象の不思議に驚きときめいていればいいだけのこと……若いころには自意識過剰で禅の寺に駆け込んだ彼は今、そういうところに還っていったのかもしれない。


2018-05-15 散華の思想は美しいか・神道と天皇(157)

市民政治、などという。

民主主義とは、市民が主体の政治、ということだろうか。

しかしこの世の中には、「市民」であることから脱落しているものたちが少なからずいるし、「俺は市民じゃないよ」とやさぐれて格好つけているものだっている。

弱いもの、だめなもの、やくざなもの……彼らは「市民」だろうか。まっとうな市民からは、まるで部外者であるかのように憐れまたり、疎まれたり、さげすまれたりしている。

戦後民主主義は、民衆に「市民」の自覚を植え付けたようだが、それでも日本人の多くが、心のどこかしらに「自分は市民ではない」という気分を抱えており、それが日本人の「旅心」であり「無常感」でもある。

誰にだって、この社会からはぐれてしまっている心はある。だから「憂き世」という言葉が日本人の心に響く。

まっとうな市民の範疇からはぐれてしまったものたちは、どこへ行けばいいのだろう、どこに居場所が見つかるのだろう。

まっとうな市民というか、まっとうな日本人のつもりの顔をした右翼が「この国を愛せないのならこの国から出てゆけ」という。しかし「憂き世」という感慨のないものが、はたしてまっとうな日本人といえるだろうか。

まあいいかえれば、この国にまっとうな市民も日本人もいない。みんなそこからはぐれてしまっているだし、はぐれてしまっているのがまっとうな日本人なのだ。そういうことを、今どきの右翼はなんにもわかっていない。

まっとうな日本人=市民のつもりでいることの、なんと愚かで厚かましいことか。そうやって彼らは、平気で嘘をつき、デマを垂れ流し、平気で他人を支配し裁きにかかる。

日本人は、日本人=市民であると自覚したとたんに醜くなる。右翼の日本人主義だろうと左翼の市民主義だろうと同じこと、どちらも戦後民主主義の落とし子すぎない。

ネット社会ということもあるのだろうが、ネトウヨをはじめとして名もない庶民がいい気になって国の政治のことを語りたがるなんて、この国の伝統にはなかったこと。いやまあ、明治の初めから最近の全共闘運動まで、「近代化」という美名のもとに、すでに名もない庶民が政治に関わりたがる風潮がしだいのふくらんできていたともいえる。

しかしこの国の文化の伝統、すなわちその世界観や生命観や集団性は、日本人=市民からはぐれていったものたちによってリードされてきたわけで、日本人=市民であることにいくばくかの羞恥心を持っているのが日本人であり。日本人=市民になりきれないのが日本人なのだ。


江戸時代の身分制度のことを「士農工商」といったりする。どのような政治的たてまえがあろうと、ひとまずその時代の代表的な「市民」は農民だったのだ。

まあ古代から江戸時代までの支配権力は、基本的には税として農民から「米」を取り立てることの上に成り立っていた。だから武士の格付けや収入は、「石高」であらわされていた。

つまり日本列島の歴史においては「市民」であることはとてもつらいことだったわけで、大和朝廷発祥のときからすでに、「旅心」と「無常感」によって「農民=市民」の身分から離脱してゆくものが続々と生まれてきていたし、そのために大和朝廷は「墾田永代私有令」を出すなどして農民を土地に縛り付ける方策をさまざまに講じてきた。

もともと日本列島の住民は縄文以来旅をして歴史を歩んできたのであり、最初から土地に縛られることを嫌うところがあったし、土地を捨てることにもあまり抵抗感はなかった。そやって旅芸人や遊女や古事記や旅の層などが登場してきた。

旅芸人も遊女も、祭りの習俗から生まれてきた。

日本列島の芸能の起源は、宗教儀式にあるのではない。祭り、すなわち人と人が他愛なくときめき合う集団の賑わいから生まれてきた。

メソポタミアのギルガメッシュ叙事詩とか、ギリシャのホメーロス叙事詩とか、大陸の文明社会で最初に生まれてきた詩=歌は、英雄賛歌などの共同体の秩序や結束を止揚する内容になっているが、日本列島の万葉集のほとんどは恋や別れなどの「人情」を詠ったものが中心になっている。とくに「詠み人知らず」の民衆の歌にあってはすべてがそんなモチーフで、「憂き世」を生きていた彼らには共同体を賛美しようとする気持ちなどなかった。

日本列島の民衆は、最初から国家や政治に興味がなかった。そしてそれでも天皇を慕ってきたのは、天皇もまた、たとえ権力者によって支配者であるかのように偽装されていても、本質的には国家や政治とは無縁の存在だったからだ。

日本列島の最初の文学・芸能は、自然に対する感動や人情の機微をモチーフにしたもので、宗教にも政治にも興味がなかった。そしてその傾向は、ひとつの伝統として現在まで続いている。つまり日本列島の文学・芸能の歴史は市民社会の「外部」のものたちによってリードされてきた、ということだ。

国家共同体の中心に政治・宗教があるとすれば、文学・芸能をリードしてきたものたちはつねにその外部にいた。

古代の大和朝廷が仏教を基礎にしていたとすれば、なぜかその頂点にいるはずの天皇家は仏教に対するカウンターカルチャーとしての神道を守っていた。天皇だって国家共同体の外の存在だったのであり、そうやって民衆との直接的な関係で結ばれていた。

だから権力社会の側としては「神仏習合」の策を講じなければなかったわけで、そこから国家神道が生まれ、時代の変遷とともに勢力を伸ばしてきた。

ほんらいの古神道は、宗教でも道徳でもなく、国家の政治秩序に寄与するものではなかった。それを、国家権力と結びつきながら政治秩序の構築に寄与するように変質してきたのが国家神道なのだ。


国家神道は民衆の世界観や生命観や集団性にそぐわないものであり、だから民衆は、もともとの古神道を鎮守の森などを拠点にして現在まで守り続けてきた。明治国家神道によって国家の庇護から外れた多くの古神道神社が滅びてゆくことを余儀なくされたが、それでもなお生き残ってきた神社も少なからずあるのは、それが縄文以来の日本列島の歴史の無意識というかゆるぎない精神風土に根差したものだったからだろう。

古神道は、「祭り」の習俗の上に成り立っている。そしてそのイベントをリードしているのは、旅芸人や遊女や乞食や遊行僧などの共同体からも農村集落からも離脱していったものたちだった。そういう社会的に無用のものたちがこの国の文化をリードしてきたのであり、土地に縛られた農民たちも権力社会よりも無用者のほうを向いていたし、それは、政治権力とは無縁の天皇を祀り上げることでもあった。

古代・中世天皇家は、つねにそうした共同体の制度から離脱していったものたちとのつながりを持っていた。南北朝時代のヒーローである楠正成の軍隊サンカ等の山の民の群れによって組織されていた。また、そのころの旅をする職人集団は天皇のお墨付きを持つことによって日本中の各地域で受け入れられることができたわけで、今どきの「皇室御用達」はそこからはじまっている。              

つまりこの国の天皇制の歴史は、共同体の制度から離脱していったものたちによって文化がリードされてきた歴史でもあった。そしてそれはそのまま、民衆社会には権力社会とは別の民衆だけの文化が生成し受け継がれてきた、ということの証しでもある。

日本列島の民衆が国の政治に関心が薄いのは、天皇を祀り上げているからだともいえる。天皇は、権力社会の頂点に置かれながら、実質的な権力は持たされていない。まあこれは、農民が旅芸人や旅の僧などの、いわばみずからの共同体から追い出したものたちから文化的にリードされながら歴史を歩んできたこととも、構造的には同じであるのかもしれない。

いずれにせよ日本列島においては、どんなに支配権力がひどくても、民衆は民衆自身で世の中のことをやりくりしてゆく。

もしもこの国の文化や集団性に外国人観光客を魅了するところがあったとしても、それを安倍晋三や百田尚樹や櫻井よしこのような右翼が体現しているわけではない。彼らこそ、この国の文化や集団性の伝統からもっとも遠いものたちなのだ。

この国の文化や集団性の伝統は、「無常感」とともに政治的な権力に対する志向など忘れて「無主・無縁」の混沌をやりくりしながらときめき合い賑わってゆくことにある。


無主・無縁の集団性の文化だからこそ、共同体の秩序からはぐれたものたちが数多く生まれてきてしまうし、誰の心もどこかしらではぐれてしまっている。その心もとなさを共有しながらときめき合ってゆく。この国の集団性の伝統は、そういう仕組みになっているのであり、誰もが平気で他人を裁くようになったらおしまいなのだ。

正義・正論よりももっと大事なものがある。程度の低い正義・正論で、何を偉そうな顔をしているのだろう。

人は幸せでなくてもかまわないし、辛くて悲しい人生が幸せで楽しい人生よりも劣っているということなどない。「この世にあなたが生きてある」という事実以上に大切なことなど何もない。この国の集団性の文化の基礎はそういうところにあるわけで、まあそういう文化は戦争のない歴史からしか生まれてこないし、現在のこの国の集団性も戦争の世紀を潜り抜けることによって表面的にはずいぶん変質してしまった。

そしてこの文化は、支配し裁いたり戦争をしたりすることが本能の権力社会から生まれてくることはありえない。権力社会から離れた民衆だけの文化として生まれ育ってきたのであり、日本列島だけではない、本能的なところにおいては世界中の民衆が共有している。

人がこの世に生まれ出てきて最初に体験するのは、一個の個体としてこの世界の放り出されたことの絶望や不安と、それと引き換えにやってくる他者との出会いにおける他愛ないときめきである。その体験の延長上に、無主・無縁の集団性の文化が生まれてくる。だからこれは、人としての本能的な部分においては世界共通なのだし、政治的な正義・正論で人を支配し裁くことを覚えてしまうと成り立たなくなってしまう。われわれ民衆が、何を好き好んでこんな醜悪な思考態度を身につけねばならないのか。

日本列島の民衆が政治に対する関心が薄いのは、政治とは対極にある世界観があるからだ。そういうかたちで権力社会の文化に対するカウンターカルチャーを持っている。それが「無主・無縁」の集団性であり、すべてを許し他愛なくときめき合ってゆくという、その「祭り」の集団性を基本というか理想として共有しながら歴史を歩んできた。これはもう、おそらく、日本列島にはじめて人が住み着いて以来の数万年の伝統なのだ。いや、原初の人類が二本の足で立ち上がって以来の数百万年の人類普遍の伝統、と言い換えてもよい。


人はみな、誰もが他愛なくときめき合える社会であれば、と願っている。まあその願いの上に憲法第九条が成り立っているわけで、それはけっして現実的ではないが、人類普遍の理想を表明しているということは、世界中の誰もが認めるに違いない。そんなことでは国家は成り立たない、といっても、成り立たなくてもよいという思想なのだもの、その覚悟の上にこの憲法が制定されたわけで、それがこの国の伝統である「無常感」なのだ。

そんなことでは国家は成り立たない、といっても、誰もが他愛なくときめき合うという「そんなこと」が実現すればどんな国家も成り立つのだもの。そんな理想を掲げて、何がいけないのか。そんな理想を掲げることができない卑しい国民になることが、そんな立派なことか。

健保第九条は、戦後の日本人の決意表明であって、べつにアメリカから押し付けられたとか、そんなことではない。そのときはもう、総理大臣以下のほとんどの国民がそう決意したのであり、なんのかのといってもだから現在まで維持されてきたのだ。

理想を掲げて滅びるならそれも本望だ、というのは、あのときの日本人が戦争を遂行するときの原動力でもあった。そうやって「散華の美学」とか「うちてしやまん」と合唱していたのであり、その延長上に憲法第九条が生まれてきた。それはもう、日本人のどうしようもない性根であり、精神風土なのだ。それが、「大和魂」であり「やまとごころ」なのだ。

核兵器を持てば抑止力になるとか、そんないじましいことをいうなよ、という話で、それは、日本人の美意識にそぐわない。

今どきの右翼は性根が腐っている、と僕は思う。つまり彼らは、国家神道に洗脳されて、日本人ほんらいの古神道の精神を失っている、ということ。

戦時中の日本人は、国なんか滅びてもかまない、という心意気で戦った。

日本人は、国家に殉じるのではない、人類の理想に殉じるのだ。あのときみんな、人類の「生贄」になる覚悟で戦っていた。そしてそういう心意気は、「処女思春期の少女」こそがもっともラディカルにそなえているのであり、その心意気にリードされながら日本列島の歴史が流れてきた。

まあ日本的な心情としての「散華の美学」も「うちてしやまん」ももともとは「処女思春期の少女」の心意気からきているということは、じつは本居宣長がすでに指摘していることでもあった。彼は、師匠である賀茂真淵の「大和魂」という言葉を排して「女子供のようなやまとごころ」といったし、小林秀雄は「現代人は鎌倉時代の生女房ほどにも無常ということがわかっていない」といった。

「死=滅び」に魅了される心は、誰の中にもあるではないか。それだけのことだし、それだけのことが彼らはなんにもわかっていない。そしてそれは、時代は、死のそばに立っているもの、すなわちこの世界の「市民」の範疇からはぐれていったものたちによってリードされながら移り変わってゆく、ということでもある。

もちろん「処女思春期の少女」たちの心は、誰よりもこの世界からはぐれてしまっている。


2018-05-14 美しい人・神道と天皇(156)

仏教伝来以前の日本列島に、呪術=アニミズムの歴史などなかった。これはもう、何度でもいいたい。縄文・弥生時代の社会が原始宗教アニミズム)の上に成り立っていたという歴史解釈なんか信じない。

日本人がいかに宗教心の薄い民族かということは誰もがわかっていることなのに、それでも古代以前は原始宗教アニミズム)まみれの生き方をしていたと誰もがいう。おかしいではないか。古代には仏教が伝来し、そのあと仏教がどんどん広がってゆく歴史を歩む中でしだいに宗教心が薄くなってきただなんて、ありえないだろう。われわれ日本人は、仏教のおかげで宗教心を薄くしてくることができたのか。ばかばかしい。もともと宗教心などない民族だったから、お上から仏教を押し付けられてもまるごと宗教に染まってしまうことがなかった、と考えるのが自然な論理の筋道というものだろう。もともと宗教心が薄い民族だったから、仏教も時代とともにどんどん変質し形骸化してきたのだ。

古代以前の日本列島の住民は、仏教の歴史を負ってしまっている現代人よりも、もっと宗教心が薄かったのだ。

また、古代以前にはたんなる祭りの習俗にすぎなかった神道が「国家神道」という宗教に変質してきてしまったのは「神仏習合」というかたちで仏教の影響を受けてしまったからだが、そのあげくに明治政府が「国家神道」を仏教の上位に据えたのは、もともと民衆のたんなる祭りの習俗だった神道が時代とともに国家権力に吸収されながらどんどん宗教化してゆき、仏教は逆に宗教的な性格がしだいに骨抜きになってゆき宗教化してきた、という歴史がある。

江戸時代に逆転のメルクマールがあったのかもしれない。賀茂真淵・本居宣長から平田篤胤にいたる国学の隆盛によって「国家神道」=「日本中心主義」の思想がどんどん強化されていったし、仏教は幕府の庇護に安住しながらさらに形骸化していった。

日本人が迷信深くなるためには「国家神道」のほうが有効だったし、民衆を迷信深くさせてしまう方が国家権力の支配は強化される。江戸時代には、すでに「稲荷信仰」という迷信が流行していた。まあ「稲荷信仰」といっても、その本質は「神仏習合」の思想の上に成り立っているわけで、「白狐」という妖怪はもともと中国伝来のものだった。

とにかく縄文・弥生時代の日本人は、迷信深かったのではなく、仏教伝来以後に少しずつ迷信深くなってきたのだ。

起源としての神道は仏教に対するカウンターカルチャーとしての非宗教的ムーブメントとして生まれてきたのだが、「神仏習合」によって、いつの間にか「国家神道」という仏教よりももっと宗教(=迷信)らしい宗教(=迷信)になってってしまった。


縄文・弥生時代を、原始宗教アニミズム)で語るべきではない。たとえ世界中の先史時代がそうであったとしても、日本列島の歴史にもそのまま当てはまるとはいえない。

宗教は、文明国家の発祥の副産物として生まれてきた。そのとき人類は「支配する」とか「裁く」ということを覚えたわけで、神を頂点とする支配の構造を持った世界をイメージしていった。そうして王は、神の代理としてみずからの権力を正当化していった。

いまだってアラブ・イスラム社会では、神=宗教が権力の正当性を保証する装置として機能している。国家の権力だけでなく、男の女に対する権力だって、神=宗教によって保証されている。

ユダヤ教徒だって、世界や人を支配することにものすごく熱心だ。彼らは「裁かない=赦す」ということをけっしてしようとしない。何しろ二千年前にイスラエルという国家を追われた恨みを現在まで持ち続けてきたし、ナチスドイツも永遠に許さないに違いない。

宗教とは支配し裁く装置なのだ。四方を荒海に囲まれていた日本列島にはそんな宗教=文明が長く伝播してこなかったわけで、その間に宗教が存在しない集団の文化をそれなりに洗練したかたちで育ててくることができた。

神道の起源を考えるためには、まずそういう問題設定ではじめねばならない。

仏教伝来以前の日本列島に宗教は存在しなかった。宗教が存在しない国だったから、仏教を輸入したのだ。宗教が実際に疫病を鎮めるとか五穀豊穣をもたらすということなどありえないわけで、人々がそれを信じるかどうかという問題があるだけだ。仏教伝来以前に信じる宗教があったら、仏教を輸入する必要なんか何もない。

そのとき権力者は、仏教は疫病を鎮め五穀豊穣をもたらす、といって民衆社会に広めてゆこうとした。しかし民衆はそんなものを信じなかった。もともと「信じる」という宗教的なメンタリティを持っていなかったのだから、信じられるはずがない。

そうして仏教定着のために、それまでの「祭り」の習俗が禁止されたり制限されたりするようになってきた。

古代以前の奈良盆地の都市集落の運営は、世界の原始的な都市国家のような「祭政一致」ではなく、すでに近代的な「祭政分離」でなされていた。世界の古代の王はすべて支配者であると同時に祭司でもあったが、邪馬台国での実際の政治支配は卑弥呼の弟がやっていたし、それは、この国の天皇が歴史のはじめから政治的な支配者ではなかったことを意味する。

つまり、天皇が支配者であるかのような体裁をとりながら、じっさいの支配権力はその下の貴族にあった。だから天皇は、女でもよかった。また、最初は女だったのが男に代わっていったのは支配者であることを偽装するためには男のほうがさまになるし、社会が男中心の構造になっていったからだろう。文明国家の政治や戦争は男が担っているのだし、税を取り立てるためには、民衆社会においても男が中心になって働かせなければ生産性は上がらない。もともと男は農業をすることに熱心ではなかったわけで、だから縄文時代の一万年は大規模な農業が生まれなかった。

古代以前の民衆社会の男たちのほとんどは、ただの風来坊だった。

そして仏教伝来以降は、文明国家としての歴史を歩みはじめるために男が中心の社会に転換してゆく過渡期だったわけで、そのための仏教=宗教だった。


「祭政」の「祭」が「呪術」であるとき、「祭政一致」になる。そのとき日本列島が「祭政分離」であったということは、その「祭」は「呪術」ではなくたんなる「祭り」であったことを意味する。

卑弥呼は祭司であったが、「呪術師」ではなく、祭りの主役としての歌や踊りの名手だっただけなのだ。まあ卑弥呼が実在したという証拠など何もないが、起源としての天皇が祭りの主役としての歌や踊りの名手だったということは想像がつく。

原始的な集落は、宗教(=呪術)など機能していない方がよりダイナミックな集団性が生まれる、ということを前回のこのブログで書いたわけだが、弥生時代の奈良盆地で大きな都市集落が生まれてきたことはそれを証明しているのであり、そういう状況から起源としての天皇が生まれてきたに違いないのだ。

人類の原始集落は、支配者の登場によって大きくなってきたのではない。大きくなったことの結果として支配者が登場してくるのだ。

そして、奈良盆地の集落が大きくなってゆくときの人々の心の支えとして祭りの主役が天皇のような存在として祀り上げられていったのだ。

天皇はその本質において支配者ではなく祭司である……ということは誰もがいっていることではないか。祭司になってきたのではなく、最初から祭司だったのだ。そして日本列島では、祭司が支配者を兼ねることはなかった。古代以来、貴族や武士等の実際の支配者によって支配者を兼ねているように偽装されてきたわけだが、まあ古事記は、そのためのプロパガンダであった。


古事記なんかすべて嘘八百のことが書かれてあるのに、それが説得力を持ってしまう精神風土が日本列島にはある。嘘八百であることはわかっているのに、それでもあっさりと騙されてしまう。

天皇祖先アマテラスであることなんか嘘に決まっているのに、それでもそういうことにしておこうと納得してゆく。このことは江戸時代の戯作者である上田秋成古事記伝を書いた本居宣長に「嘘に決まっているじゃないか」と何度も食い下がったのだが、そのたびに宣長は「そんな子供じみたことをいってもしょうがない、そのときはみんなそれで納得していたのだ」と答えている。それはきっと、そうだったのだろう。

嘘八百を生きることのカタルシスというものがあるし、それが日本列島の伝統なのだ。

幸せであろうとあるまいと人が生きてあることの「いたたまれなさ」というのはあるわけで、そのことの上に立てばどんな世の中であろうと「憂き世」であるに決まっているし、心がそうした現実のこの生やこの世界から超出してゆき「嘘八百の世界に遊ぶ」ことはもう、普遍的人間性であるともいえる。

であればそのとき本居宣長は、上田秋成に対して「きみは人が生きてあることのいたたまれなさやなやましさというものが何もわかっていない」といっているのだろう。

「嘘八百の世界に遊ぶ」ことは、人間性の切実ないとなみなのだ。そんな「真実一路」で生きたって息苦しいばかりではないか。

今どきの右翼は戦時中のことに関して嘘八百を振り回してばかりいるのだが、それでも真実一路で生きているようなふりをけっして手放さない。そうやってときには不用意にナチズムを賛美したりして世界中から顰蹙を買ったりしているわけだが、彼らはもう、そういうことにしておかないと生きていられない強迫観念から逃れられないらしい。

「嘘八百の世界に遊ぶ」ことは人間なのだからしょうがないのだけれど、遊んでいいことといけないことがあるに違いない。遊びを承知でそういうならともかく、それが客観的な真実であるかのようにいうのは、フェアではない。

ひといちばい嘘つきのくせに、どうしてそんなふうに真実一路で生きているようなふりをするのか。

天皇祖先アマテラスである」とか「神武天皇が支配者として古代以前の奈良盆地にやってきた」というようなことは、あくまで「遊び」であって「客観的な真実」ではないし、古代人は「客観的な真実」だけを史実として記録してゆくというような習慣はなかった。「嘘八百の世界に遊ぶ」ことのほうが大切だったのだ。

そんな、それが現実のこの生でありこの世界であるかのような嘘をつくべきではない。それは「幽霊を見た」と思い込んでゆくのと同じで、この生やこの世界に縛られて心を病んでゆくことにしかならない。


嘘をつくなら、この生やこの世界から超出してゆくような異次元的で奇想天外な嘘でなければ、ときめいたり心を洗われたりする体験にはならない。そういうことを古事記の物語が教えてくれている。

人は、嘘を信じる。これはもうしょうがないことで、人はこの生やこの世を嘆いている存在であり、この生やこの世から異次元の世界に超出してゆきたいのだ。嘘を真実にしてしまってはいけない。

古代人は、嘘を嘘として抱きすくめていったのであり、嘘であるからこそ大切にしたのだ。

たとえば、ヘイト感情をむき出しにしながら嘘をほんとうのように偽装する今どきの右翼の「フェイクニュース」を垂れ流すやり口は卑劣だ。しかも彼らはそれが正義のつもりでいるのだから、その愚かさと醜さはほんとうに手に負えない。まあ、支配者がそのお手本を示しているのだから、彼らだって正義だと信じ込んでしまうのは当然のなりゆきかもしれないのだが。

日本人はいつからこんなになってしまったのか。伝統というものが、ちゃんとわかっていないのだ。支配者とは別の自分たちだけの世界をつくるのが日本列島の民衆の伝統のはずなのに、支配者の後追いばかりしている。させられている、というべきか。そうやって今どきは、右翼と呼ばれる人体がいちばんよくわかっていない。

なぜか?

おそらく、明治維新から敗戦までの帝国主義・軍国主義の歴史こそ、この国の伝統からもっとも遠いものだったからだ。彼らの思想は、この非伝統的な時代を伝統と妄信して回帰したがっている。


明治維新のことを「王政復古」といったりする。しかし、日本列島の歴史で「王=天皇」がじっさいの政治権力を握っていた時代が果たしてあっただろうか。

権力者はいつか必ず必ず滅ぼされるのが歴史の法則であり、天皇は権力者でなかったから1500年以上続いてきたのだろう。その起源から現在まで、じっさいの権力はつねにまわりの豪族や貴族や武士や政治家のもとにあった。天皇が17歳だった明治維新のときだってそうだったのだろうし、まわりの権力者はつねに天皇が権力者であるかのように偽装してきた。まあ天皇がそれを逆手にとって権力を持とうとすることもあっただろうが、そんなときは必ず首をすげ替えられたし、じっさいに殺された天皇だっているに違いない。

天皇なんかその起源から現在まで権力者が権力をふるうための道具として機能してきたのだが、とはいえ民衆にとっては心のよりどころだったし、日本列島の文化の伝統の上に成り立った存在というか、その体現者として機能してきた。そして天皇を利用してきた歴代の権力者である貴族や武士たちだってそのことは自覚していたし、天皇を最高権力者として偽装することは何も明治にはじまったことではない。江戸時代からじつはすでに「王政」だったのであり、薩長をはじめとする下級武士たちが幕府との権力闘争に勝っただけなのだ。江戸幕府だって天皇をそれなりに敬っていたし、そういうことを説く「国学」も幕府に規制されることなくどんどん広まっていった。

日本列島の民衆は、権力に対して従順だ。そのことは、江戸300年の歴史でみごとに証明された。だから明治政府も、それを踏襲し、さらには国家神道によって徹底的に民衆を洗脳していった。さすがに江戸幕府はそこまではしなかったから、それなりに民衆文化は花開いた。

神道は日本列島の伝統だが、国家神道はそうではない。国家権力が民衆を洗脳するなんて、日本列島の伝統ではない。民衆は民衆だけの文化を持っていて、それがむしろ権力社会に影響をおよばしてゆくのがこの国の古代以来の伝統なのだ。

古代の権力社会は仏教で民衆を洗脳しようとしていったが、けっきょくその民衆社会から沸き起こってきたカウンターカルチャーとしての古神道ムーブメントを取り入れ、「神仏習合」というかたちにしてゆくしかなかった。

ほんらいの神道は、宗教ではない、たんなる文化であり習俗なのだ。そしてそれは、それ以前の日本列島に宗教など存在しなかったことの証しにほかならない。

宗教の本質的なコンセプトは、この世界の構造を決定し、この世界を裁き支配することにある。しかし、宗教心が希薄な日本列島の民衆の伝統は、この世界を「混沌」のままに受け入れ、すべてを許し支配しないことにある。

なのにいまどきの右翼は、明治以降国家神道の上に立って、この世界の構造を決定したがり、この世界を裁き支配したがっている。そんな宗教的思想は、権力社会と結託して生まれてきたものであって、少なくとも民衆社会の伝統ではけっしてない。日本人がすっかり権力社会に洗脳されてしまった明治維新から敗戦までの歴史の余韻に頭を冒されている彼らは、ほんらいの日本列島の全歴史を通じた民衆社会の伝統がなんにもわかっていない。彼らのいっている歴史伝統など、1868年から1945年までのたったの80年弱のことにすぎない。


何も決定しないし何も裁かない……そうすれば、この世界のたくさんの「不思議」と向き合うことができる。そうやって人の心は、なやましく活性化してゆく。この世の中に不思議でないものなんかない。だから「無常」とも「幽玄」ともいうわけで、まあそうやって今どきの変幻自在で「クール」な「かわいい」の文化が生まれてきている。基本的にそれは「弱いもの」の文化であり、人は根源において「弱いもの」であると同時に、「弱いものになる」存在でもある。右翼たちには、そういうタッチが決定的に欠落している。

「正しさ」は人格ではない。彼らには、それが人間的な魅力なるという幻想があるが、そうやって人を裁き支配したがる人間なんか、最終的には嫌われ者になるだけだろう。そうして、自分が好かれないのは不当だ、と憤懣=ルサンチマンを募らせている。

「弱いものになる」とは「情がある」ということ、「情がある」とは「人恋しさを持っている」ということ、おそらく人間性の基礎はそのようにできているのであり、それによって人類の歴史は進化発展してきた。「正しさ」によってではない。

国を愛そうと愛すまいと、人の勝手ではないか。日本人として支配は甘んじて受けるけど、それでも国を愛せといわれても困る。非国民といわれようと、こちらだって彼らに負けないくらい「伝統とは何か」と問うている。国なんか愛していないのが日本人であり、われわれは、日本人や日本列島の自然風物を愛しても、国家などというものはよくわからない。

まあ、日本人の宗教心が薄いということは、国家という存在に対する実感も薄いということで、少なくとも現在の日本列島の民衆の多くは、国家神道という宗教なんか信じていない。江戸時代までは、国家神道よりももっと神聖で純粋なほんらいの神道を守って歴史を歩んできた。そういう歴史の無意識は、たかだか80年の明治以来の記憶よりももっと濃くわれわれの中に残っているはずだ。

ともあれほんらいの神道は無主・無縁で人と人が他愛なくときめき合う祭りの文化習俗であって、人を支配し裁くための政治とも宗教とも無縁のものである。日本列島の民衆の集団性のダイナミズムは、そのようにしてときめき合い連携してゆくことにある。縄文以来の日本人は、「混沌」とした集団におけるそういうときめき合い許し合う関係性を育ててきたのであって、明治以来の国家神道による帝国主義のように、国家を中心にした「秩序」を志向する制度の下で人と人が裁き合い支配し合う関係性で歴史を歩んできたのではない。

関東大震災のときの在日朝鮮人大虐殺という民衆暴動など、まさに人を支配し裁きたがる衝動が爆発したものであり、それほどに人々は国家神道帝国主義プロパガンダに洗脳されてしまっていたわけで、その余韻として現在の。在特会等のヘイトスピーチが起きてきている。もともと日本列島の民衆社会にそんな伝統はないはずなのに。

とはいえ日本人であれ外国人であれ、人間なんて基本的には他愛ないときめきを持った生きものであり、人はいつだってそういう関係性を生きたいと願っている。それこそこの世界の片隅にはそういう関係性がたしかに息づいているのであり、おそらくそれが人類史の最終的な着地点になるのだろう。新しい時代は片隅からやってくる。そのようにして古代王制から現在の民主主義へと歴史は流れてきたわけで、人類史をリードしているのは、じつは権力者でもインテリでもないのだ。

よりよい社会をつくるためとかなんとかと偉そうなことをいってもしょうがない。新しい社会は、名もない民衆のときめきやかなしみを起点にして生まれてくる。すべては、そこからはじまる。そしてけっきょくはそこに落ち着いてゆく。

この世にあなたが存在することのときめきとかなしみ、人間社会の基礎はそこにあり、そのことを味わい尽くして生きているのは誰か……?それが問題だ。もちろんそれは僕ではないが、そこを問わなければ歴史や伝統を考えたことにはならない。

美しい人」が歴史を変えるのではない。「美しい人がいる」と思うところから歴史が変わってゆくのだ。つまり、そう思うことのよりどころとして古代以前の奈良盆地の祭りから踊りの名手としての「巫女」が生まれ、それが天皇制へとつながっていったということ。


2018-05-11 女の中の無常感・神道と天皇(155)

秋葉原通り魔事件の加藤君は、どんな娘を彼女にしたいのかと男友達に問われ、「巫女姿が似合う子がいい」と答えたのだとか。それは日本列島の伝統を考える上でとても示唆的で、ここでは、天皇の起源は「巫女」である、という問題設定で思考実験を続けている。

神武東征がどうのこうのという大和朝廷が残した文書にそんな記述があるはずもないが、日本列島の縄文時代から現在までの歴史を検証すれば、僕としては巫女が起源だとしか思えない。

処女崇拝」の文化の土地柄なのだし、日本列島の先史時代政治経済宗教の問題では動いていなかった。

何も考えなかったのではない。多くの人がただもう素直に切実に「神聖なもの」を祀り上げていたのであり、だからこそ他愛なく豊かにときめき合う集団のダイナミズムが生まれてきた。

弥生時代の奈良盆地で人口爆発が起きたのは、べつに神武天皇が九州からやってきて支配したからではなく、どこからともなくたくさんの人がやってきて無主・無縁の祭りの賑わいが起きていったからだし、そのとき人々は、もともと湿地帯だった奈良盆地の土地が干上がってゆくその「清浄=神聖」な気配を祀り上げてゆく心を共有していた。

神武天皇が偉大であろうとなかろうと支配秩序によって人口爆発が起きることなどありえないのであり、どんな社会であろうと「無主・無縁の混沌」という情況が加わっていなければ人口爆発は起きてこない。

この国の終戦直後の人口爆発だってそれなりに「無主・無縁の混沌」の状況があったし、アメリカもまた、戦争によって国ごとひとかたまりにされていたことからの解放感があったからベビーブームが起きたのだろう。

国体護持だのなんだのとナショナリズムを煽っている社会で人口が増えてゆくことはない。

弥生時代から古墳時代にかけての奈良盆地で人口爆発が起きたということは、そこが無主・無縁の混沌とした社会だったことを意味するのであり、神武東征があったということなどありえないし、さらには「騎馬民族」が征服したということもさらにあるはずがない。

そこには支配者などいなかったし、階級すらもない原始的な社会だった。しかし原始的でありながら、それなりに民衆自治の洗練した集団性が機能していた。

民衆自治の集団性は、たとえ文明制度が発達した現在においてもなお、それなりに日本的な精神風土として引き継がれている伝統なのだ。

日本列島の常識は世界では通用しない。だから、国としての外交交渉が上手にできない。「人は根源において他者を許している存在である」という民衆自治の思想が国家としての態度にも影響を及ぼしている。そんな思想など世界では通用しないのに、どうしてもそういう「甘え」をぬぐいきれないまま交渉してしまう。しかし弥生時代の奈良盆地においては、そういう原始的な、許し合う集団性が機能していた。


「許す」とはどういうことだろう。

女は、男に幻滅しつつ男を許している。

女にとって男は気味悪い生きものであり、しかしその「気味悪い」と思う関係の「遠さ」があるから許すことができる。男のような気味悪い生きものに、どうして自分の体を触らせることができるのかといえば、その「遠さ=異次元性」に向かって許しているのだ。

人と人は、近しい関係ほどより豊かにときめき合うというわけではない。したがって、家族・親族がそのまま拡大して大きな集団になってゆくのではない。見知らぬものどうしが集まってきて、はじめて都市集落へと膨らんでゆくのであり、その契機は政治経済利害関係ではなく、ときめき合う関係こそが第一義的にはたらいている。

まあ家族や親族よりも、見知らぬものどうしのほうがもっと純粋なときめき合う関係になれる。言い換えれば家族だって、「肉親」としてのなれなれしさでもたれ合ったり裁き合ったりするよりも、人と人としての淡い関係性がなければうまく機能しない。

遠く淡い関係のほうが、より純粋に深くときめき合うのだ。

なれなれしく裁き合う関係の集団は、けっして大きくならない。現在のこの国の「少子化」「人口減少」の問題だって、核家族化の状況によって社会全体の人と人の関係がなれなれしく裁き合うかたちになってしまっていることにも一因がある。

タイトな核家族だって、ひとりひとりが「孤児の心」を持っていたほうがよい。

人は、「孤児の心」で「旅」をする。そうして見知らぬ人と出会い、ときめいてゆく。

「孤児の心」とは「旅心」であり、それが日本列島の伝統の人と人の関係性になっている。

日本列島の男は、旅人として女と出会う。そして女は、遠い目で男を許している。そうやって「見合い結婚」の習俗が定着してきたのだが、現在においてはそういう関係性が失われつつあるらしい。

日本列島の民衆の伝統的な精神風土は女によってリードされてきたのであれば、他者を裁くメンタリティが希薄なところがある。まあ、そうやって妙な政治家官僚にのさばられてしまっているのだろう。暴動が起きてもおかしくない状況なのに起きないし、妙な政治家と結託している経済人もいれば、妙な政治家にすり寄ってゆこうとしている知識人や民衆もたくさんいる。

この国のマジョリティは政治に関心がない無党派層であり、無党派層であるがゆえに権力者の暴走を許してしまう。お上の支配に従順なのが民衆の伝統であり、お上がちゃんと自覚してくれないとこの国の民主主義は成り立たないし、民衆がちゃんとカウンターカルチャーとしての民衆だけの文化=伝統を持っていないとお上も民主主義を自覚しない。

誰もが伝統とは何かと問いながら、伝統が見えにくくなっている。


何はともあれ、人と人が裁き合うことなんかこの国の伝統でもなんでもないのであり、なのに今どきは右翼ほどそういうことをしたがる。それは、戦後の近代合理主義の洗礼によってみんながそういうことをしたがる世の中になったからであり、彼らこそ、誰よりもそのような時代風潮に踊らされているものたちなのだ。まあ今の時代、右翼は商売になるし。

ほんとうにこの国の伝統を身体化しているのなら、むやみに人を裁くようなことはしない。

ほんとうに無常ということを知っているのなら、生き延びることが目的の政治や経済なんかに熱中したりはしない。

天皇象徴されるこの国の伝統は「すべてを許す」ことにある。そしてそれは、女の本能でもある。今どきは女たちも近代合理主義の観念に汚染されて人を裁くことの秩序志向に傾きがちだったりもするが、本能的には、男やわが子に対して「すべてを許して献身してゆく」タッチをそなえているのであり、その無常感、それはもう縄文時代以来の伝統なのだ。

女が本能的にそなえている「献身性」こそこの国の歴史における人と人の関係や集団性の基礎になってきたのだし、もともと人類はそれによって猿のレベルを超えた大きな集団の「混沌」を生きることができるようになっていったわけで、それはつまり女が人類の歴史をリードしてきたということを意味する。


まあ世界の宗教について語るとき、一神教多神教の対比がよくなされるが、男性原理の上に成り立った「神(ゴッド)」の宗教と「女神」が中心の宗教という分類もできる。そして後者は、前者のカウンターカルチャーとして生まれてきたわけで、文明史における多神教一神教よりも後から生まれてきたのだ。

世界中どこでも多神教は存在するが、それはけっして原始時代の宗教だったのではない。たとえば古代ギリシャの多神教はメソポタミアのユダヤ教のカウンターカルチャーとして生まれてきたのだし、古代の日本列島の仏教と神道の関係も同じであるに違いない。

ヨーロッパのキリスト教だって、カウンターカルチャーとしてのマリア信仰を持っている。

政治や戦争の歴史である文明社会はもちろん男性原理の上に成り立っているのであるが、それでもいつの時代にも女神礼賛のムーブメントが起きてくるし、女神礼賛ができない集団が活性化することはない。

アフリカやアラブの社会のように男性優位が固定化すると、集団の活性化が起きてこない。それに対して中世のフランスは、ジャンヌダルクという女神を祀り上げなげながら国家の危機に打ち勝った。なんのかのといっても欧米社会は、「自由の女神信仰を底流として持っている。

見知らぬものどうしでも他愛なくときめき合うことができるような戦争のない社会は、女性原理とともに「混沌」を生きることができなければ成り立たない。

日本列島の中世には「幽玄」という概念の世界観・美意識が流通していたが、それは「混沌」の別名でもあった。

男と女のどちらが優位の社会をつくるかというようなことではないが、ともあれ人類の歴史は女が本能的にそなえている「献身性」にリードされて進化発展してきたのであり、そうでなければ猿の集団規模のレベルを超えることはできなかった。

直立二足歩行の起源は、猿型の男性優位社会から女にリードされる社会への移行という体験だった。そして日本列島の精神風土は、そういう原始性の上に成り立っている。

女の愚痴は鬱陶しいかぎりだが、女は、その生きていてもしょうがないという「嘆き」から命や心を活性化させてゆく。生命賛歌は、命も心も停滞させてしまう。なんのかのといっても人と人は、「嘆き」を共有しながらときめき合っているのだし、生き延びるための生命賛歌の論理で人を裁きたがる態度は、女の愚痴よりもっと鬱陶しい。