ネアンデルタール人は、ほんとうに滅んだのか

2016-05-26 都市の起源(その十七)・ネアンデルタール人論168

その十七・一神教多神教


古事記は民衆の世界観や生命観から生まれてきた歴史物語(伝承説話)を採録したものであり、それを権力者の都合がいいように脚色していったのが日本書紀だといわれている。

古事記であれ日本書記であれ、そこにどんな史実が隠されているかということはさしあたりどうでもいい。前半は完全なつくり話で、後半の天皇家の歴史だって、実在が確認されていな天皇の話などほとんどがただのつくり話に決まっている。ともあれそこには、古代人の世界観や生命観が表現されている。

伝承説話などというものは、歴史の事実を保存しているのではなく、聞いて面白い話が残ってゆくだけであり、つまり、人々の世界観や生命観に訴える話が残ってゆくのだ。

少なくとも古事記の神々の話から歴史の事実を導き出すことはできないし、神が定めた「規範=戒律」も説かれていない。おそらくそのころの民衆は、生き延びようとする欲望や正義によって生きていたのではなかった。古事記の神はたいていあっけなく死んでゆくし、けっこういいかげんな振る舞いをしていて、そこが面白かったりする。まあ前半の純粋な「神」の話はこの世界の森羅万象の起源としての聞いて面白い話が集められてあるだけで、祭りのときに「語り部」がそういう話をみんなに語って聞かせていたのかもしれない。「祭りの賑わい」を盛り上げるひとつのイベントとして。

古代以前の奈良盆地に出現した都市集落の民衆を生かしていたのは、この世界の秩序としての「精霊信仰」でも、生き延びるための「呪術信仰」でもなく、純粋な「祭りの賑わい」にあった。それは、世界の秩序も生き延びることもどうでもいいというところから生まれてくる。大和朝廷という都市国家の歴史は、ひとまずそこからはじまっていたのであり、「神武東征」のことなんかは、聞いて面白いただのつくり話だったに決まっている。

まあそのころの奈良盆地は日本中から人が集まってくる祭りの聖地だったわけで、日本中の情報が集まっていたから、日本中を舞台にした物語を生み出すことができた。

「祭りの賑わい」に引き寄せられてどこからともなく人が集まってきて大きな集団になってゆくというなりゆきはもう、世界中の都市の発生の普遍的な現象なのだ。



人を根源において生かし、人の集団のダイナミズムを生み出しているのは、生き延びようとする欲望でも世界の秩序でもなく、人も含めたこの世界の森羅万象の「出現=輝き」に対する出会いのときめきであり、古代の日本列島の住民は、そんな「祭りの賑わい」の体験象徴するものとして「かみ」と呼ぶようになっていっただけのこと。

「かみ」は、「かむ」の体言。「噛(か)む」ことは、食い物の味に気づいて「美味しい」とときめくこと。「交(か」む」は、「交わる」こと、すなわち人と人が出会ってときめき合ってゆくこと。そういう「祭りの賑わい」のことを「かみ」といった。

だから古事記の神々の話は、賑やかで荒唐無稽なのだろう。この生やこの世界の秩序のことなんか、まったく頭になかった。

「混沌」こそ古事記という物語の主題だったのであり、それは「都市」の物語だった。そこに表現されているのは「生き延びる」ための「呪術」でも「規範」でもなく、奈良盆地の都市集落で暮らす人々の「もう死んでもいい」という勢いの「ときめき=祭りの賑わい」とともに語り継がれてきた物語だった。

古事記の神々をもとにしてこの国の神道が生まれ育っていった。それは、外来の仏教に対するカウンターカルチャーとして生まれてきたのであり、そのとき奈良盆地の人々は、仏教が持つ生き延びるための呪術性や規範性よりも、「もう死んでもいい」という勢いの「ときめき=祭りの賑わい」を守ろうとしていった。そういう意味で神道は縄文時代以来の日本列島の伝統であるのだが、その「多神教」というスタイルは、「創造主」という絶対の神を想定する「一神教」をデフォルメするものだった。



まあ一般的には、多神教のほうが原初的だといわれているが、おそらくそうではない。最初から一度にたくさんの神をを思い浮かべるなんて、あたりまえに考えて変ではないか。最初は、「何かひとつ」を思い浮かべたに決まっている。つまり「絶対的なひとつ」として「創造主」を思い浮かべたのだ。そのとき人は、「この世界の仕組み」が知りたかったのであり、その仕組みをつくったものとして「神」という概念が生まれてきた。

太陽が神だとか、森が神だとか、そうやって発想できるのはすでに「神」という概念を知っているからであり、知らなければ神だと思いようがない。そして太陽が神だということは、太陽をつくった「創造主」のことは考えていない。つまり、「神」という概念だけ知っていて、「創造主」という認識はない。その神は太陽に「なった」のであって、太陽を「つくった」のではない。「つくる」という発想がない。そのとき人は、太陽がこの生やこの世界を支配している、と考えた。「(権力による)支配」という形態が未熟な社会からは、「神」という概念は生まれてこない。つまり、まず「(権力による)支配」が成熟した社会で「神=創造主」という一神教が生まれ、それが未熟な社会に伝わってゆき、光をつくる神、風をつくる神、雨をつくる神等々がイメージされていった。「つくる=支配する」という発想は、共同体の制度が成熟することによって生まれてくる。

メソポタミアは、最初から一神教だった。一神教を発想してしまえばもう多神教を発想しようがないし、神という概念を知らなければ多神教は発想できない。

共同体の制度が成熟して「つくる=支配する」ということを知ったことによって、神が発想されていった。人類にとっての神はまず、この世界をつくったものとして生まれてきた。



太陽を見て、いきなり太陽をつくったものなど発想しようがない。「つくる=支配する」ということを知っているものがそういう発想をする。メソポタミアの都市国家は、人類で最初に農業を生み出し、「つくる=支配する」ということをよく知っていた。

ギリシャはメソポタミアのすぐ隣だから、真っ先にその影響を受けた。だがそのとき共同体の制度(=都市国家)がまだ成熟していなかったから、世界の「創造主」をうまくイメージすることができなかった。だから、具体的な雨や風や光に対する驚きやときめきの中にそれを移し替えてイメージしていった。一神教を基にすることによってしか多神教が生まれてくる契機はないし、一神教それ自体は多神教にはなってゆかない。また。多神教一神教収束してゆくということもない。収束してゆくなら、今ごろは、この世に一神教しかないだろう。

なんのかのといっても多神教の方が話として面白いし、話(=語り伝え)として残ってゆく。

子供がいきなり「この世界の創造主」を思い浮かべることはできないが、「創造主=つくる=支配する」ということを知らなければ、具体的な雨や風や光に対する驚きやときめきをそうした「神」のイメージに翻訳してゆくこともできない。

一神教共同体の制度性が成熟した社会のこの生やこの世界を「つくる=支配する」という思考から生まれてきて、それが未開社会に伝わり、人々の森羅万象に対する「驚き=ときめき」すなわち「祭りの賑わい」を基礎にした多神教にアレンジされていった。

世界中どこでも、一神教をアレンジ=デフォルメして多神教が生まれてきたのだ。

日本列島の神道だろうと、現在のアフリカやアマゾン奥地の未開の民族の精霊信仰だろうと、つまりはメソポタミア文明で生まれた「創造主」を想定した一神教をひとまず受け入れつつアレンジ=デフォルメしながら生まれ育ってきたのだ。



一神教は大人の宗教で、多神教は子供の宗教だともいえる。しかしだからといって、子供の宗教が先だとはいえない。大人に教育されて子供に宗教心が芽生えてゆく。

大人の一神教に囲い込まれた子供のアドバンテージハンディキャップというのがある。その「つくる=支配する」という「規範=戒律」に縛られることによって、たえず世界に対する警戒心と緊張感とともに他者を支配したり他者に支配されたりする「安定と秩序」の恍惚の中に身を置いていようとし、まあその自我意識が世渡りの技術を上達させもするが、同時にそれによって世界の輝きに対する驚きやときめきをどんどん失ってゆく。

今どきのアスペルガー症候群統合失調症をはじめとする発達障害のほとんどは、自分の中に「創造主」の「神」を持ってしまっているのであり、誰が悪いというのでもないが、そうやって生まれ育った環境から「一神教」に囲い込まれているのだ。

現代人の心の病のほとんどはそうした自我意識の肥大化によってもたらされているのであり、それはメソポタミア文明を水源にしている。だからユダヤ人は心を病む人が多く、多くの優秀な心理学者を輩出してもいる。彼らは、世界に対する警戒心と緊張感で歴史を歩んできた。だから、心を病み、同時に世渡りの技術もおそろしく発達している。その自我意識で社会的に成功したり心を病んだりしている。

まあ現在の心理学は、ユダヤ人にリードされながら、「自我の確立」が心の成長発達の基礎とか本質であるかのように合意されているわけだが、意識は「自己と世界との関係」として世界を認識するのではなく、自己を消去して世界に憑依してゆくというかたちで認識し、ときめいているのだ。

人類の言葉は、思わず発してしまうさまざまなニュアンスの音声として生まれてきたのであり、その音声にこめられた「自己と世界の関係」はそのあとに気づかされる。そこに「自己と世界との関係」がはたらいているとしても、「自己意識自我」などはたらいていない。そのときの自分に「自我」はからっぽなのだ。「自我」がらっぽの意識から言葉が生まれてきた。

自我をからっぽにしてときめいてゆくことこそ、心の成長発達なのだ。そういう体験をしそこなって発達障害になるし、しそこなっていることを武器に社会的な成功をおさめていったりする。

自我がからっぽなんて愚かな証拠だけど、一流の科学者や芸術家だって自我はからっぽなのだ。二流三流ばかりが自我に凝り固まっている。

多神教の他愛ないときめきを体験しそこなって発達障害を起こすし、それを武器に偏差値を高くしていったり社会的に成功していったりする。

しかし人類は自我をからっぽにした「驚き・ときめき」とともに文化のイノベーションを生み出してきたのであり、その歴史の無意識は、一神教規範と戒律に囲まれてしまうことの閉塞感のクッションとして多神教を生み出した。

日本列島の古事記という荒唐無稽な神々の物語は、まさにそうした「自我をからっぽにした驚き・ときめき」とともに語り継がれてきたのだ。そのとき奈良盆地の都市集落の人々は、大和朝廷という共同体から仏教とともに下ろされてくる「規範=戒律」からの解放として古事記という神々の物語を語り合っていた。日本列島は「神の国」でもなんでもない、神の後進国なのだ。

多神教は、一神教の「規範=戒律」の束縛からの解放として生まれてきた。それはもう、日本列島の古事記だけでなく、世界中どこでもそうだ。多神教一神教収束・変質してゆくということは、論理的にありえない。もともと一神教のカウンターカルチャーとして生まれてきたのだから。

「祭りの賑わい=混沌」がなければ人は生きられない。若者が愚かであることも、「かわいい」とときめくことも、大人たちが支配する平和で豊かな社会の閉塞状況に対するカウンターカルチャーであり、多神教なのだ。


2016-05-23 都市の起源(その十六)・ネアンデルタール人論167

その十六・「神」の起源


人類史における「神」という概念は、氷河期明けの、祭り賑わいを基礎にしたプリミティブな都市集落が都市国家という共同体へと発展してゆく過程で生まれてきたのではないだろうか。。

原始人は、「神」なんか知らなかった。

現在における「神」という概念は、一般的には「この世界(あるいはこの宇宙)をつくったもの」すなわち「創造主」として認識されているのだろうが、そういうことをいちばん強く意識しているのは、じつは現代の科学者であって、原始人ではない。

科学の研究が高度になればなるほど、「神という存在を想定しないと説明がつかない」というようなことがいっぱいあるのではないだろうか。宇宙物理学はもちろんのこと、たんなる自然の植物や生物を観察する学問だって、「自然というのは信じられないくらい精妙につくられている」と驚嘆することがたくさんあるに違いない。そして、こんなことは「神=創造主という存在を想定しないと説明がつかない」と思う。

現代の科学は、ひとつのハエからまったく同じハエをいくらでもつくり出すことはできるが、もとになるものが何もないところからハエの構造や材質をデザインしてほんもののハエをつくり出すことはできない。それはもう「神」でなければできない、と思う。

しかしそんなことをいったって、人間だろうとハエだろうと、もとをただせばたんなる宇宙の塵にすぎなかったのであり、そこから気が遠くなるような長い時間を経過して人間になったのもハエになったのも、ただの「自然のなりゆき」であって、べつに「神のしわざ」でもなんでもないだろう。

僕からしたら、「自然のなりゆき」は「神のしわざ」よりももっとすごい、といいたいくらいだ。

人間もハエも、「自然のなりゆき」がつくったのであって、「神」がつくったのではない。

「自然のなりゆき」に驚きときめくことは科学者の重要な資質だろうが、それを「神のしわざ」にしてしまったら、思考停止であり、科学の敗北なのだ。

ともあれ、「神=創造主」という認識は、自然がいかに複雑精妙につくられてあるかということをより深く確かに知っているものが持つのであって、原始人のピュアでシンプルな自然観から生まれてくるはずがない。

まあ僕は、アニミズム原始宗教)なんて歴史認識は大嘘だ、と考えている。原始時代に宗教なんかなかった。彼らは「神」も「霊魂」も知らなかった。そんな概念は、文明社会の制度性の産物なのだ。起源としての宗教者は科学者でもあったのであり、今でも神を信じている科学者は腐るほどいる。



もしも「神」という概念が文明社会から生まれてきたと考えることができるなら、それは古代のメソポタミアの都市国家から生まれてきた、ということになる。

考古学の証拠から見れば、人類最初の都市は、現在のトルコ南東部からイラク北部あたりのチグリス・ユーフラテス川上流域で生まれてきたらしい。そしてそのあたりは、ユダヤ民族発祥の地でもある。とすれば、ユダヤ教は、世界でもっとも古い宗教であるともいえるかもしれない。もちろん現在のユダヤ教は最初のかたちからずいぶん変質してきているのだろうが、とにかく彼らが人類で最初に「神」とい概念を見出したのかもしれない。

それは、現在の未開の民族の素朴な宗教よりももっと古いのだ。

人類の観念と遺伝子は世界中に伝播してゆく……これはもう、原始時代以来の人類普遍の生態であり、現在の未開の民族の精霊信仰だって、おそらくメソポタミアから伝播してきた「信仰=世界観」をそれぞれの風土に合わせてアレンジしていった結果なのだ。

起源として宗教は世界の仕組みを説明する科学だったのであり、文明人より未開人のほうが先に宗教に目覚めるということは、論理的にありえない。宗教は、人の思考というか観念というか、すなわち科学が発達して生まれてきたのだ。

現在の科学者の中には、ひといちばい原始的な人もいれば、誰よりも宗教的オカルト的な人もいる。つまり、文明発祥とともに科学が発達して「宗教=神という概念」が生まれてきた、ということだ。自然の仕組みがわかってくると、人工的に衣食住のいろんなものをつくり出せるようになる。まあ、文明社会における「農業の発生」はその象徴的な歴史体験だが、それとともに、「神=創造主」がイメージされていった。農業の発生によって、天体学や暦学や土木工学が発達してきた。そして、宗教が生まれてきた

何はともあれ宗教とは「自然=世界」の仕組みについて説明する体系のことであり、したがって農業を知らない未開人のほうが先に「宗教=神」に目覚めるということはありえない。

宗教者はみんな、この世界の仕組みがわかっているつもりでいる。「神がつくり給うた」といえば、すべて説明がつく。宗教は、科学的なのだ。そのようにして、古代メソポタミアからユダヤ教をはじめとする宗教が生まれてきた。

おそらくユダヤ人はメソポタミアの先住民族であり、チグリス・ユーフラテス川上流域のそのあたりには、ネアンデルタール人のころからたくさんの人が住み着いていた。花を添えて埋葬していた、という「シャニダールのネアンデルタール人」の話は有名だ。

いや、そのあたりは、2〜300万年前にはじめてアフリカを出た人類が世界中に拡散してゆくときの拠点だった。そういう伝統を持っている地域だったのだ。氷河期明けの文明の発祥も宗教という観念も、メソポタミアを拠点にして世界中に伝播・拡散していった。



人類史においてなぜ宗教が発生したかといえば、科学が発達したからだ。

そのとき宗教は、世界の仕組みについて語ろうとした。その都市集落で農業が生まれてくれば、季節のことや天気のことなどをはじめとして、何かにつけて世界の仕組みに対する関心が高まってゆく。

また、農業は、個人や集団が土地を占有することであり、そんな生態は人類史においてかつてなかったことだった。そのために個人どうしや集団どうしでさまざまなトラブルが起きてきた。

農業をするための土地を占有しながら、原始的な都市集落が都市国家になっていった。

「所有」の意識の発生。すなわち自我意識の発達。そうやってさまざまなトラブルが起きてきて、それを収拾するための「規範=制度」がつくられていった。そしてその「規範=制度」に絶対的な効力を持たせるために、「創造主」としての「神」が発想されていった。

「所有」という自我意識があるから、戦争が起き人殺しが起き盗みが起き姦淫(不倫)ということが起きる。さしあたっての問題でいえば、女房だろうと亭主だろうと「自分のもの」ではないのだから、姦淫がいけないなんていえない。相手を何がなんでも「自分のもの」にしようとする、その自我意識は不自然だ。人の世から姦淫がなくなる日が来るとは思えないし、なぜ姦淫がいけないのかということもよくわからない。女房であろうとあるまいと、目の前にいる女が女のすべてなのだ。人の心の底には、そういう「出会いのときめき」がはたらいている。だから、繁華街の飲み屋が繁盛するし、姦淫=不倫も後を絶たない。まあ、そういう都市生活の「混沌」を収拾する装置として宗教が生まれてきた。

古代の都市国家の政治は、宗教の上に成り立っていた。しかし、それ以前の都市集落には、宗教などなかった。宗教によって都市集落が生まれてきたのではない。原始的な都市集落が「規範=制度」をそなえた都市国家に変質してゆく過程で宗教が生まれてきた。

ユダヤ教の基本的なコンセプトは「規範=戒律」にある。いや仏教にしろ、文明社会から生まれてきた宗教はすべて「規範=戒律」の上に成り立っているのだろう。

彼らはなぜ、神の定めた「規範=戒律」を発想するのか。神が人間をつくったのなら、人間は神の完璧な作品であり、何も「規範=戒律」に縛られる必要なんかないではないか。神につくられた存在ではないからこそ、神の「規範=戒律」に縛られねばならないのではないのか。

未開人の精霊信仰において、「森には森の精霊(=霊魂)が宿っている」といい「森が神だ」というとき、すでに宇宙の創造主としての「神」の存在に対する信仰から逸脱してしまっている。彼らは、そういうかたちでしか「神」を発想できないのであり、それは、絶対的な「規範=戒律」など必要ない社会で生きているからだ。「森が神だ」ということは、森をつくった存在など意識していないということだ。

日本列島の神道においては、「森に神が宿っている」という。この場合はさらに神の影は薄くなり、神はたんなる森に付随した存在にすぎない。森のめでたさやありがたさを補強説明するために、「神が宿っている」といっているにすぎないのであり、「神が森をつくった」とはいっていない。つくったのなら、なにも「宿る」必要なんかない。

未開人の精霊信仰にせよ、日本列島の神道にせよ、「創造主としての神」を知らないものたちの神のイメージなのだ。

日本列島に伝わってきた仏教も、その本質であるはずの「規範=戒律」が歴史とともにどんどん無効化していった。

古事記の神は、「宇宙の混沌」の中から現れ出てきたということになっている。「宇宙の混沌」がはじめにあった。そして「宇宙の混沌が神をつくった」ともいっていない。神は「現れ出た」のだ。すべてのものはそれ自体として存在しているのであって「創造主」などいない、といっているのだ。森をつくったものなどいない。この世界の森羅万象のすべては「自然のなりゆき」として現れ出る。日本人も未開人もそう思っている。「創造主としての神」など信じていない。この世界の「神秘=混沌」の輝きを表現する言葉として「神」という概念を使っても、絶対的な「規範=戒律」を必要としない社会に置かれているものたちは、「創造主としての神」をうまくイメージすることができない。



科学は、宇宙の神秘を解き明かす学問であると同時、宇宙が神秘であることを提出する学問でもある。科学者は、宇宙が永遠に「神秘=混沌」であることに引き寄せられているのかもしれない。さらなる神秘に分け入ってゆくためにめに目の前の神秘を解き明かしているだけかもしれない。

創造主」といっても、限度を超えて人口が膨らんだ集団である都市国家の運営を成り立たせるための、絶対的な「規範=戒律」の持ち主としてイメージされていっただけのことかもしれない。ユダヤ教の始祖というか古代イスラエルの民族指導者であるモーゼは、そのお告げ(=十戒)を聞いたのだとか。その戒律は、モーゼの教えではなく、神の教えだった。

宗教は、世界の仕組みを説明する科学として生まれてきた。そうやって執拗に神の存在を説明しようとする。彼らの思考は、神の存在を前提にしている。なぜ前提にできるのだろう。僕にはよくわからない。この世界は神の定めた秩序の上に成り立っているのだとか。まあ、そうやって自我意識の安定が得られるのだろうし、そうやって自我意識が膨らんでゆく。

文明社会の集団としての自我意識を安定させるための装置としてとして宗教が生まれてきた。

自我意識は、「わかる」ことによって安定する。現代社会の大人たちは、「わかる」という観念のはたらきをよりどころにして生きており、「わからない」「何だろう?」と問う「ときめき」が希薄になっている。

神の存在を信じている人は、すでに世界の仕組みがわかっている。この世界は神が創造し、神の定めた規範の上に成り立っている……それが、彼らのいうこの世界の仕組みであるらしい。

キリスト教や仏教はこの生やこの世界の仕組みを解き明かす手掛かりになる、と考えている人は多い。世界宗教はこの生やこの世界についての認識の普遍性をそなえている、と彼らはいう。

しかしキリスト教だろうと仏教だろうと、ただの宗教じゃないですか。この生やこの世界の仕組みがわかれば、人は救われるのか?それは、「最終的な認識」であるのか?いいたかないが、そうやって「わかった」つもりになることが胡散臭いのだ。

「最終的な認識」などというものはない。人は死ぬまで「わからない」「何だろう?」と問い続けるほかない存在であり、ときめくとは、「わからない」「何だろう?」と問うことだ。

「わかる」とは、わかるための「基準」を持っているということであり、宗教者にとってはそれが「神」であり、一般人はこの社会や時代によってもたらされる「意味」や「価値」を基準にして「わかった」という気になってゆく。

そうやって自我の安定のために「わかる」と体験ばかり拾い集めて生きているから、心が停滞し衰弱してゆき、あげくの果てに認知症やインポテンツになっていったりする。インテリだろうと無知な庶民だろうと、「わかる」という体験を拾い集めてばかりいる人間がたくさんいる。彼らは、「わかる」ことを自分の存在の正当性のよりどころにしている。誰だっていつ死んでしまってもどうということもない存在なのに、自分の生に意味や価値があると思いたがっている。そうやって、自分の生をまさぐりたがる。そしてそれはまあ自分の死に意味や価値を見出す自殺願望に反転したりもするのだが、つまり安直に「死」が「わかった」つもりになれるのだ。

この生やこの世界の仕組みがわかったつもりになって、認知症鬱病やインポテンツになってゆく。それらは、そういう「自我」の病なのだろうと思える。そうやって「わからない」「何だろう?」と問うてゆく「ときめき」を失っている。

インテリだろうと無知な庶民だろうと、彼らは、自分の知っている範疇で生きてゆこうとする。その「外部」にたいする「ときめき」がない。インテリのことでいえば、えらく知識は豊富だがまるで探求心というものがないという人は多い。文献あさり以上の思考ができない。まあ文献あさりさえ有能ならひとまず学者という職業が成り立つのだからそれでもいいのだが、「探究」という思考はそこから飛び出してゆかないと起きてこない。

心が、「自分」の外に飛び出してゆくということ。「自分」が生きることの意味や価値など何もないが、それでも人はこの世界や他者の輝きにときめき、他者に「生きていてくれ」と願っている。他者にときめき他者を生かそうとすることは、ひとつの探求心だ。

自分が生きることになんの意味も価値もないことを思い知る「かなしみ」が、他者にときめき他者を生かそうとする。

僕は、宗教なんぞに、自分が生きることの意味や価値など教えてもらいたいとも思わない。生きる値打ちもないしょうもない人間でけっこう。


2016-05-22 都市の起源(その十五)・ネアンデルタール人論166

その十五・都市生活の流儀


人は、人と人が他愛なくときめき合う「祭りの賑わい」がなければ生きられない。もちろんわれわれは衣食住によってこの命をつないで生きているわけだが、人間性の基礎=自然は「人と人の関係」すなわち「人が人を想う」ことにあり、衣食住のことが第一義の問題になっているのではない。いざとなれば、衣食住なんか、あればいいだけで「なんでもいい」という気分になってゆく。それでも世界は輝いているのであり、世界の輝きにときめいていられたら人は生きられるし、ときめくことができなければ心を病んで生きられなくなってゆく。

「文化的」とは、美味いものを食っておしゃれな服を着ていい家に住むことではない。そんな「自分=この生」を装飾するものは最低限でもかまわないのであり、どれだけ深く豊かに「世界の輝き」にときめいてゆくことができるかということにこそ「文化的」という問題がある。その「もう死んでもいい」という勢いの「ときめき」にこそ、人類が育ててきた「文化」の本質がある。

人は、どんなに貧しく愚かで弱くてもかまわない。それでも「世界の輝き」にときめいていたら生きられるし、そこにこそ「人間性」の自然や人間的な「文化」の本質がある。人の世は、避けがたく「貧しく愚かで弱いもの」を生み出してしまう構造を持っている。なぜなら人間性の自然は「生きられなさ」を生きようとすることにあり、「生きられなさ」を受け入れてしまう習性をどこかしらに持っているからだ。

人間的な知性や感性の本質は「生きられなさ」に飛び込んでゆくことにあり、文明社会のシステムが生み出す「知能」は「生き延びる」能力として成り立っている。つまり前者が未来も過去も忘れて「今ここ」の一瞬に飛び込んでゆくのに対して後者は、過去(知識=記憶)の集積の上に未来を計画してゆく。

新しい知識を発見しときめいてゆく原始的な知性や感性と、知識を使いこなして達成・充足してゆく現代的制度的「知能」、ということだろうか。われわれはこの二つの傾向の脳のはたらきをやりくりしながら生きている。上部構造と下部構造、と言い換えてもよい。前者の心の動きは何も学問や芸術にかぎったことではなく、人にときめいたり景色をめでたりすることだってまさにそういうことだ。それに対して後者の観念のはたらきは生き延びるためのルーティンワークの能力を発達させるが、そればかりで生きていると、ときめく心は停滞・衰弱してゆく。



都市の雑踏の中から、たったひとりの「あなた」を見つけてときめいてゆく。そんな体験がなければ、都市では生きられないし、そんな体験することはかんたんではない。

都市においては、いやな人間はいくらでもいる。行く先々でそういう人間と出会う。そんな状況に耐えて都市で生きていくのは、ほんとにしんどい。

内田樹は、この世のすべての人間が自分と気が合う人間になればいい、という。まあそういうネットワークの場所として自分の塾を開いているらしい。上野千鶴子だって、気が合う人間どうしのネットワークを持つことが都市生活の理想であると説いて「おひとりさまの老後」というベストセラーを生み出したわけだが、そんなことをいっても、誰だってネットワークの中だけで生きてゆけるわけでもない。とくに貧しく弱いものたちは、いろんないやな人間との関係にさらされて生きてゆくほかなく、それに耐えられなくて「ニート」や「ひきこもり」になったり、「ネトウヨ」や「オタク」というネットワークに潜り込んでいったりしている。

内田樹上野千鶴子は、「ネトウヨ」や「オタク」を批判する柄ではない。自分たちだって同じ人種なのだ。そうやってネットワークに潜り込んでゆきたがるのは、人にときめく感性もときめかれる魅力(セックスアピール)もなく、たったひとりの「あなた」との「出会いのときめき」を体験することなく生きてきたからだ。きつい言い方をすれば、そういう「嫌われ者」が生きる道は、けっきょく潜り込んでゆくことができるネットワークを探すしかないし、彼らの身に付いた処世術として探すのが上手なのだろう。そして世の中は、探しているものたちがたくさんいる。

それに対して、どこに行ってもときめき合えるたったひとりの「あなた」と出会うことができる人もいるし、そういう人はむやみに「ネットワーク」など欲しがらない。ネットワークの「安定と秩序」に潜り込んでいないから、たったひとりの「あなた」と出会って、ときめきもするし、ときめかれもする。彼は都市の「混沌」の中で孤立して存在している。

ネットワークの「安定と秩序」の中に潜り込んでゆけば幸せだろうが、この生がそれだけですむわけもない。外に働きに出ればいやな人間はうようよいるし、誰だって実存的には、人間の世界の「混沌」の中で孤立して存在させられている。

ネットワークの「安定と秩序」に執着・耽溺して生きていれば、ときめく感受性もときめかれる魅力も失って、認知症やインポテンツになってしまう。



生きることは、過去から未来に向かってまっすぐ伸びた線上における予定調和のルーティンワークなのか?現代社会はそうやって動いているのだから、それに従うしかない。まあエリート社会の高度なルーティンワークもあれば、下層社会の単純なそれもあるわけだが、ひとまず誰もがそんな思考や生き方を余儀なくされている。

そうして、「現代人の知性が後退してきている」などと騒がれたりしている。

内田樹は「知性」についてこう語っている。


他人の言うことをとりあえず黙って聴く。聴いて「得心がいったか」「腑に落ちたか」「気持ちが片付いたか」どうかを自分の内側をみつめて判断する。そのような身体反応を以てさしあたり理非の判断に代えることができる人を私は「知性的な人」だとみなすことにしている。(『日本の反知性主義』より)


なんだかもっともらしい言い草だが、「得心がいく」とか「腑に落ちる」とか「気持ちが片付く」とか、そういうことはそれこそ「さしあたり」どうでもいいのだ。知性は、そうやって「わかる」というかたちの「思考停止」なんかしない。そこからさらに展開して新しい「問い」に出会ってゆくことを「知性」という。したがって「知性」は、永遠に「得心がいく」とか「腑に落ちる」とか「気持ちが片付く」というような体験はしない。

内田樹がこういう言い方をするのは、ふだんから「わかった」といい気になって「自尊感情」に執着・耽溺してゆくことばかりして生きているからだろう。それはたんなる思考停止であって、「知性」とはいわない。そんなわかり方くらい、そのへんの無知な庶民のおじさんだってしている。

まあ「身体反応」などといって、自分では「知性の官能性」を説いているつもりなのだろうが、「知性の官能性」とは、「何だろう?」と問うてゆくそのなやましさ・くるおしさのことであって、舌なめずりして「わかった」という気になってゆくことではない。

鈍感な身体しか持っていないものほど、カッコつけて「身体反応」などといいたがる。

たとえば、オーケストラの一員が、まわりの音とのハーモニーやアンサンブルに気を使ってけんめいに耳をすませてゆくとき、「何だろう?」と問うているのであり、相手は「ミ」の音を出すから自分は「ソ」の音を出せばいいとか、オーケストラの一員として演奏することの「官能性」というのは、そんな単純なルーティンワークの中にあるのでもないだろう。「自分の内側をみつめて」いる余裕なんかない、自分を捨ててけんめいに耳をすませてゆくことによって、はじめてまわりの音のニュアンスを汲み上げることができる。そして自分が出す音はまわりと調和しているかと息をつめて問うてゆく。彼らには、演奏が終わるまで「得心」なんかない。ひたすら息をつめて問い続けている。知性のはたらきだって、まあそのようなことだ。

「自分の内側をみつめる」なんて、なんと通俗的で下品な思考態度であることか。

真実は、自分の外側にある。「自分の内側」なんかみつめても「理非の判断」のなんの足しにもならない。

人は、自分を捨ててときめいてゆく、というかたちで真実と出会う。そういうアクロバティックな「飛躍」が起きるところに人間的な知性のはたらきがある。

おめえのしょうもない「内側」で真実かどうかを勝手に判断するなよ、ということ。

人が都市に憧れることだって、「自分の内側」に照らし合わせて都市のなんたるかが「わかった」からでもないだろう。「わからない」まま「何だろう?」と問いながら東京に出てくるのであって、わかってしまったら出てくる必要なんかない。それこそ「自分の内側」でシュミレーションして体験し尽くしてしまうことができる。し尽してしまえば、今さら東京に出ても新しい体験なんか何もない。シュミレーションだけで、燃え尽きてしまう。

まあ長年勤めた大学を定年退職した内田樹東京に戻ってこないのも、東京の大学で教えて学生や同業者からあれこれツッコミを入れられることをシュミレーションし尽くしているのかもしれない。それなら、取り巻きがたくさんいる神戸に居残って「王様」でいた方が「自尊感情」は安泰だというわけだろうか。

裸一貫になって東京に戻ってくるつもりはないらしい。そりゃあもともと東京にいたのだから、シュミレーションも微に入り細に入りできるにちがいない。

シュミレーションできないものが東京に出てくるのだ。

田舎に住むものにとって都市は「非日常」の空間であり、その「非日常の祭りの賑わい」に引き寄せられ、無意識の「もう死んでもいい」という勢いとともにやってくる。無意識的本能的な「死の衝動」と言い換えてもいい。人は、心の底にそういう「遠い憧れ」を持っている。

「生き延びる」ことが身上の内田樹にとっては、「この生=自分」の「日常」こそが大事なのだから、今さら「非日常」の「混沌」に飛び込んでゆくつもりなんかさらさらないのだろうな。いつも「俺はなんでもわかっている」という顔をして、今さら「何だろう?」と問うてゆくことなどないのだろう。それは、学問だけの体験ではない。人や世界の輝きにときめいてゆくということが、そもそもそういう体験から生まれてくるのだ。「何だろう?」と耳を澄ますこと、目を凝らすこと、考えること。

「俺はなんでもわかっている」という態度の彼の意識の焦点は散乱している。一点に焦点を結んで「何だろう?」問うてゆくことはない。

都市の混沌の中で暮らせば何もかもがわからなくなり、だからこそひとつのことに「何だろう?」と問う心が切実になってくる。まわりの何もかもに焦点を結んで警戒心を募らせ緊張していたら生きられない。そうやって引きこもりになってしまう例も多い。

都市にはたくさんの人がいるからこそ、ひとりの相手に焦点が結ばれてゆく。雑踏の中で、まわりのすべての人を気にしていることなんかできないし、気にしていたら気が狂ってしまう。その不可能性と圧迫感が、一点に焦点を結ばせる。言い換えれば、それでも気にしてしまうことによって心を病んでゆく。

内田樹なんか、すべてを気にしてしまうタイプだ。そういう過剰な自意識を持っている。彼の書くものは、つねに不特定多数の読者を意識していて、ひとりの「あなた」を想定して書くというようなことはしないし、できない。自意識過剰だから、つねに「大向こう」の拍手喝采を得ようとして、一点に焦点が結べない。そういう人は「都市の雑踏」を生きることはできない。彼が東京を捨てて関西に行ったことも、ひとつの引きこもりであろうし、しかしそこで取り巻きがたくさんいる「自尊感情」の王国を築いたのだから、まあ「ご立派」といっておこう。東京に戻ってこないのは賢明だ。神戸の凱風館とかいう村落共同体内田塾に引きこもっていたほうがいい。東京に戻って取り巻きのいない裸一貫の身になったら、「俺はなんでもわかっている」という態度では生きられない。もともとそうやって意識の焦点が散乱してしまう人なのだ。東京の暮らしに向いていない。暴言を承知であえていってしまうなら、「ひとりのあなた」を見る視線を持っていないから女房に逃げられたのだ。つまり、つねに不特定多数を意識するということは、つねに不特定多数を警戒し緊張しているということであり、つねに「自分」ばかりを意識している、ということだ。だから、「ひとりのあなた」が見えない。

「都市の雑踏」は、「ひとりのあなた」と出会う場所なのだ。そうやって、ただすれ違うだけの見知らぬ「あなた」にだって、そこはかとなくときめいていたりする。西洋人は、そうやって雑踏の中の見知らぬ他者と微笑み合ったりする。彼らは、都市生活の歴史と伝統を持っている。そのとき意識は、一点に焦点を結んで何かに気づき、ときめいている。つまり、「たったひとりのあなた」の気配に気づくのだ。


2016-05-19 都市の起源(その十四)・ネアンデルタール人論165

その十四・人の心は揺れ動く


人類史の都市の起源は、ある場所で「祭りの賑わい」が豊かに生成していったことにあるのであって、生き延びるための衣食住を求めてそうした大集団を計画構想していったのではない。「祭りの賑わい」に引き寄せられて、どこからともなく人が集まってきたのだ。

だから西洋の都市の中心には「広場」があるわけで、最初はその「広場」だけがあり、そのまわりにやがて生活空間がつくられていったのだ。先史時代の人々がそんな都市計画をしていたはずがないではないか。「広場」でお祭り騒ぎを繰り返しているうちに、気がついたらそのまわりにたくさんの生活空間がつくられ、都市になっていただけのこと。

日本列島でも、はじめに「祭りの空間=市(いち)」があった。それが纏向遺跡で、そこには住居跡はない。住居集落は、市での「祭りの賑わい」が定着発展するにつれてその近辺につくられていった。日本列島ではそうした祭りの聖地が山裾の森の中につくられたために、今ではそこが「村はずれ」ということになっているが、じつは村の方があとからつくられていったのだ。

都市とは、人と人の「出会いのときめき」が生まれる場所のこと。そういう「祭りの賑わい」が生成している場所を「都市」という。その体験に引き寄せられて人が都市に集まってくる。

都市の本質は、生き延びるための政治や経済の問題として語っても解き明かせるわけではない。

人類は、生き延びるために都市を計画構想したのではない。「もう死んでもいい」という勢いの「祭りの賑わい」が膨らんでいつの間にか都市になっていただけのこと。

人がこんなにもたくさん集まって暮らしているなんて、鬱陶しいに決まっている。それでも誰かと出会ってときめくという体験をすれば、その鬱陶しさから解き放たれる。鬱陶しくてたまらないそのぶんだけ、「出会いのときめき」も豊かに体験される。

都会は人が多すぎて住む所じゃない……などという人がよくいるが、そんなことはあたりまえだ。「住む所じゃない」というそのことが、都会で暮らす理由にもなっている。しかし、その「生きられなさ」「生きにくさ」に飛び込んでゆくのが人間性の自然で、心はそこから華やぎときめいてゆく。その鬱陶しさがあるから、心は「出会いのときめき」の一点に向かって集中してゆく。そういう「今ここ」の輝きに対する「反応」の豊かさが人類の進化発展(イノベーション)の歴史をつくってきたのであって、べつに生き延びる未来を計画構想したのではない。「もう死んでもいい」という勢いで「今ここ」の輝きにときめいていったのだ。そうやって原始人は地球の隅々まで拡散していったのであり、その歴史の果てに「都市」という無際限に膨らんだん集団が生まれてきた。

都市は、「生きられない」場所なのだ。そんなに生き延びることが大事なら、さっさと田舎に引っ込んだ方がいい。

「もう死んでもいい」という勢いを持たなければ、豊かなときめきは体験できない。

まあ今どきは、田舎にいてもネット社会でたくさんの人との出会いがあって、世界中が都市化してきているともいえる。「グローバル化」と言い換えてもいい。

人は「生きられなさ」「生きにくさ」の中に飛び込んでゆく存在であり、その流れはもう、しょうがないことかもしれない。心は、そこから華やぎときめいてゆく。べつに、生き延びることができる未来の「安定と秩序」を計画構想しながら人類の歴史が流れてきたのではない。あなたがそんな未来を計画構想するのはあなたの勝手だが、たとえそれがどんなにご立派な正義であろうとも、世の中はあなたの思う通りにはならないし、あなたの思う通りにならなければならない義理もない。

そりゃあ死ぬのは怖いけど、それでも人は、「生きられなさ」の「混沌」に飛び込んでゆく。その歴史の果てに人類滅亡のときがやってきても、それはそれでしょうがないことだし、めでたいことだとともいえる。なぜならそれは、人間性の自然を全うしたことの証しなのだから。

ともあれ、あんまり「秩序と安定」に執着・耽溺するような生き方や人付き合いばかりしていると、人から嫌われる。

人と人の関係は、最後に必ず「別れ」がやってくる。それは、明日かも知れないし、死ぬ時かもしれない。どちらでもよい。やがて「別れ」がやってくることを思い定めて「今ここ」の切実さを温め合ってゆくのが、都市生活の人と人の関係の流儀というものだろう。



うれしいにつけかなしいにつけ、人の心の動きは、猿よりもずっと大きな振幅を持っている。だから、暑いとか寒いとか痛いとか苦しいということも、情けないくらい大げさに感じてしまう。

熱帯のアフリカで生まれた人類は、寒さに対するこらえ性のなさを膨らませながら、より寒い北へ北へと拡散していった。

ネアンデルタール人が頑丈な体を持っていたからといって、寒さを感じなかったのではない。彼らのそこでの暮らしは、寒さに耐えることができる体力によってではなく、寒さを忘れてゆく「祭りの賑わい」の文化の上に成り立っていた。

たとえば沖縄の人と青森や北海道の人とどちらが寒さに対する耐久力があるかといえば、精神的にも身体生理においても沖縄の人のほうが豊かにそなえている。精神的なことをいえば、青森・北海道の人は歴史の無意識として寒さにうんざりしているし、それを知らない沖縄の人はどこかしらでその寒さに対する新鮮な驚きやときめきがある。人は、「生きられなさ」に飛び込んでゆく存在なのだ。子供は大人よりも体力がなくて、寒さのためにかんたんに死んでしまったりする存在なのに、大人ほど寒さを怖がっていない。

ネアンデルタール人にいくら体力があっても、身体生理の寒さに対する耐久力はむしろ退化していた可能性がある。彼らはその凍える環境で、低くなってゆく体温を無理して上げようとする生活をしていた。彼らは体温の上下動が激しくて、一定に保つ機能が退化していたのではないか。昼間は体温を上げるために激しく動き回っていたし、夜になって動けけない状態になればかんたんに体温が下がってしまい、火のそばから離れられなかった。

まあだから、火を囲んでみんなで踊ったり語り合ったりする「祭りの賑わい」の文化が発達した。

また彼らは、そのぶん人との「別れ」も深くかなしむほかなかった。その賑わいがそのときその場かぎりのものでかならず終わりがやってくることも身にしみてよく知っていた。彼らにとって一日の終わりは祭りの終わりだったのであり、そうやって一日を生きって眠りに就いた。眠りに就くことは死んでゆくことであり、朝になったら必ず目覚めるという保証はなかった。朝になって子供や体力のない大人が凍死しているということは、日常茶飯事だった。とくに子供は、半数以上が大人になる前に死んでいった。彼にとって生きることは、死んでゆくものとの「別れ」を果たしながら「生き残ってゆく」ことであり、「別れ」を受け入れるメンタリティを持たなければ生きていられなかった。まあ、そういう生のかたちから「埋葬」という習俗が生まれてきた。

彼らは、「もう死んでもいい」という勢いとともに生まれてくる豊かなときめきや深いかなしみを紡ぎながら生きていた。彼らにとっては、「出会いのときめき」も「別れのかなしみ」も、この生の前提だった。そして現在の都市生活においても、それこそが人と人の関係の基礎になっている。それを失えば、都市生活は成り立たない。まあ、そうやって「自我の安定と秩序」という虎の穴に閉じこもりながら、認知症鬱病やインポテンツや発達障害やDVやいじめやセクハラ・パワハラ等々の現代社会の病理が露出してきている。

われわれは、「出会いのときめき」と「別れのかなしみ」を生きることができているか。そういう心の動きの振幅の豊かさを生きることができているか。



「もう死んでもいい」という「生きられなさ」に身を置かなければ、心は豊かにときめかない。

原始人は、「生きられなさ」の「混沌」に引き寄せられて地球の隅々まで拡散していった。

生きることが困難であれば、うれしいにつけかなしいにつけ、それだけ心の振幅が大きくなる。

死のそばに立っているから、「もう死んでもいい」と思うことができる。人間的な快楽は、そういう勢いから生まれる。快楽すなわち「祭りの賑わい」。

「生きられなさ」とともに汲み上げられる「快楽」が人類史に進化発展をもたらした。セックスだけでなく、学問や芸術だってそうした「快楽」の上に成り立っているであり、さらにはもっと身近な、われわれが花の美しさにときめく心の動きそれ自体がすでに人間的な「快楽」であり、「祭りの賑わい」なのだ。猿は、こんな体験はしない。

まあ人の花に対する想いは、たんなるときめきだけでなく、その存在のはかなさに対する「かなし」の感慨も息づいている。

人間なら誰だって「もう死んでもいい」という心の動きをどこかしらに持っているし、つまりそうした「生きられなさ」を抱えて存在している。

多くの人類学者が、人類の知能の本領は「未来に対する計画性」にあり、それによって文化の進化発展が生まれてきたというのだが、それは違う。そうではなく、「もう死んでもいい」という勢いとともに「生きられなさ」に飛び込んでゆくところに人間性の自然があり、そこから文化のイノベーションが起こってきたのだ。

人間性の自然においては、「生き延びようとする欲望」も「未来に対する計画性」もはたらいていない。

人間ほど「今ここ」に豊かに「反応」して大きく心が動く存在もないし、そのとき「未来に対する計画性」など忘れている。

大好きな恋人とデートをしたら、別れるのがいやで明日のことなどどうでもよくなってしまう。まあ人は、そうやって「今ここ」に集中してセックスしている。原初の人類が一年中発情している存在になったのは、そうした「今ここ」に対する集中力が際立っていったからであって、べつに子孫を増やそうと計画したのではもちろんない。そんな「計画性」でペニスが勃起するわけではない。



人類史における都市の発生もひとつの文化のイノベーションといえるのだろうが、それは、衣食住の確保のために都市を「計画」したということではけっしてない。起源としての都市は、おそらく例外なくすべて、「祭りの賑わい」に引き寄せられながら「なりゆきまかせ」で人口が膨らんでいっただけなのだ。

戦後の東京だって、衣食住がままならない段階からすでに、「祭りの賑わい」である娯楽文化の盛り上がりに引き寄せられながらどんどん人口が膨らんでいったのだ。そしてその「混沌」を収拾するかたちで衣食住を充実させる都市計画が進んでくるようになったころから、現在蔓延している社会病理が顕在化してきた。それによって消費経済は加速していったが、人と人の関係は危うく脆弱になっていった。

家族であれ世の中の付き合いであれ、予定調和の関係に収めようとして、無邪気に無防備にときめき合ったり、しみじみといたわり合ったりというような、つまり人と人の関係の機微に対する感受性が後退していったらしい。

世の中が平和で豊かであれば何もかも解決するというわけにはいかないし、豊かでなくても「安定と秩序」があれば解決するというのでもない。人は、「生きられなさ」「生きにくさ」の「混沌」を生きる存在なのだ。恋も友情も家族も、予定調和の「共生関係」に執着・耽溺してゆくことなんかできない。どんな関係であっても、「出会いのときめき」と「別れのかなしみ」を前提として持っていなければ機能不全に陥ってしまう。

いやまあこの問題はいろいろ複雑でこのブログの手に負えることではないのかもしれないが、今どきの大人たちは都市に生きる作法というか人間性の自然を見失っている、ということはいえそうな気がする。彼らの「よりよい未来を計画構想する」というその作為的な思考が倒錯なのだと思う。「今ここ」の世界の輝きに対するときめきが欠落しているから、そんなことを正義ぶって扇動しまくることができる。

世の中にはいろんな人がいる。いろんな人がいて世の中を構成している。それを想えば誰だってもう、世の中の「なりゆき」を受け入れるしかない。それに棹差してあるべき未来の世の中を計画構想するなんて、人間を十把ひとからげに扱っている思考態度ではないのか。

2016-05-17 都市の起源(その十三)・ネアンデルタール人論164

その十三・もう死んでもいい

人類史の「都市」は「祭りの賑わい」から生まれてきた。集団の中の日常生活の鬱陶しさから解き放たれる「非日常の賑わい」の中で「都市という集団」になっていった。

イタリアには「ナポリを見て死ね」などという諺があるらしいが、都市とは人が「終(つい)の棲家」としてたどり着いた土地のことであり、そうやって氷河期明けの1万年前ころから大集団の定住生活が本格化してきた。そうして、定住生活をすることによって、農業を覚えていった。

誰もが「終の棲家」と思い定めていったから、「都市」という大集団になったのだ。

そのとき人々は、「ここが終の棲家だ」と思い定めると同時に、大集団で定住生活をすることの鬱陶しさに耐えることもしなければならなかった。

原始時代の集団は、つねに離合集散を繰り返していた。まあ、そうやって人類は地球の隅々まで拡散していったのであり、彼らはみな旅人だった。であれば、その大集団での定住生活が鬱陶しくないはずがない。耐えることができたのは、その日常の鬱陶しさから解き放たれる「非日常」の「祭りの賑わい」が生成している場所でもあったからだ。

「祭りの賑わい」とともに人が集まってきて、「祭りの賑わい」とともにその大集団の定住生活が実現していった。

彼らは、「もう死んでもいい」という無意識の勢いで旅に出て、たどり着いたその場所では、ほんとに「ここでもう死んでもいい」という感慨に浸されていった。

「都市」での暮らしは、「もう死んでもいい」という勢いの「祭りの賑わい=ときめき」がなければ成り立たない。「祭り」の場所として都市が出来上がっていったのだ。

起源としての都市は、生活の場所だったのではない。あちこちから人が集まってきて生まれる「祭りの広場」にすぎなかったのであり、祭りが終われば、人々はまたもとのところに帰っていった。そんなことの繰り返しの果てに、都市という大集団の定住生活が生まれてきたのではないだろうか。

そこは、生き延びるための場所ではなかった。「もうここで死んでもいい」という感慨が共有されている場所だった。そこでは誰もが「生きられない弱いもの」になっており、誰もが「生きられない他者」を生かそうとしていた。そういう「連携」のダイナミズムを生み出しながら定住生活をしていった。

つまり、「離合集散」を繰り返しながら定住生活が生まれてきた、ということだ。そうやって帰ってゆくふだんの生活の場所がだんだん「祭りの広場」に近くなってきて、「祭りの広場」に出かける頻度が増え、人数も増えてゆけば、結果として「祭りの広場」の近くに大きな集落が生まれてくる。みんなが「祭りの広場」の近くに住み着いてゆく。

現在の一般的な歴史認識においては、都市は「衣食住」のことを目的にして生まれてきたということになっているのだが、そうではなく、「祭りの賑わい」に引き寄せられながら都市になっていったのではないだろうか。すなわちその現象は、「生き延びる」目的によってではなく、「もう死んでもいい」という勢いによって生まれてきたのだ。

戦後の東京が爆発的に人口を増やしていったことだって、ようするにそういうことだ。人との「出会いのときめき」がなければ都市が生まれてくるはずなんかないし、人は「もう死んでもいい」という勢いでときめいてゆくのだ。

生き延びようとする自意識によってではなく、自分を忘れてときめいてゆくということ。そこにこそ人間性の自然があるのではないだろうか。



人が集まってきて都市になる。起源としての都市は、祭りの広場だった。

原始時代の人類拡散は、新しい土地にどこからともなく人が集まってきてときめき合いながら「祭りの賑わい」が生まれ、そこに新しい集団が形成されてゆく、ということの果てしない繰り返しとして起こってきた。

この国で小さな集落ばかりだった縄文時代から弥生時代に移ってゆくことによってあちこちに大きな都市集落が生まれてきたのも、まあそうやってどこからともなく人が集まってきて「祭りの賑わい」がよりダイナミックに起きてきたからだ。

弥生時代はじめの奈良盆地はほとんどが湿地帯で、人口密度は極めて低かった。人々は、まわりの山間地で暮らしていた。それが、気候の寒冷乾燥化とともにしだいに水が干上がってくるとともに、山から下りてどんどん人が集まってきた。

そこは、きらきら光る水面が、たおやかな姿をした山なみに囲まれて広がっていた。そこにやってきた旅人は、その美しい景観をながめながら「ここでもう死んでもいい」という旅の終わりの感慨を抱いた。彼らは、その感慨を共有し他愛なくときめき合いながら、よりダイナミックな「祭りの賑わい」を生み出していった。

奈良盆地の古い集落は、小高い丘のような場所に身を寄せ合うように固まってつくられている。つまりそこは湿地帯の中の小さな浮島のような場所で、最初はそういう小集落があちこちに点在していたらしい。そうしてその小集落どうしが連携して干拓工事をしてゆくことによって、浮島と浮島がつながり、広い平地になっていった。

彼らは、小集落どうしの連携が生まれてくるような、「祭りの広場」を持っていた。というか、まずはじめにひとつの「祭りの広場」が生まれ、そのあとから近くの浮島に集落をつくるようになっていったのだ。

最初は、まわりの山間地からその「祭りの広場」に集まってきていた。なぜなら山間地には、狩りの獲物がいるし、主食である木の実も豊富に採集できた。それに対してその浮島には、そんな豊かな食料資源はなかった。それでも彼らは、毎日浮かれ騒いでいたくて、近くの浮島に住み着いていった。

衣食住のためなんかではない。都市は、そういういいかげんな契機から生まれてきたのだ。

その「祭りの広場」は、「市(いち)=市場」でもあった。そこには土器や装身具などの工房が並び、山の民が持ってきた食糧と交換したりしていた。そうしてその「祭りの賑わい」が盛り上がるにつれて、日本中から人を引き寄せるようになってゆき、いろんなものが持ち込まれるようになっていった。鉄器から噂話まで、それこそ日本中のいろんな目新しいものがそこに集まってきて、さらに「祭りの賑わい」が盛り上がっていった。

奈良盆地で湿地帯を平地に変えてしまうような干拓工事や水田農耕が発達したのは、早くから鉄器を使っていたことに負うところも大きいのだろうが、奈良盆地で製鉄をしていたという考古学の証拠はない。つまりそれらは、そのころ製鉄の中心地であった出雲などからやってきた旅人によって「持ち込まれていた」のだ。

弥生時代の奈良盆地は、いわば「祭りの聖地」であり、日本中から人が集まってくる土地だった。そのころの奈良盆地の人々は、旅人からの情報として、日本中のことを知っていた。そういう伝統からその数百年後に「古事記」という日本中を舞台にした物語が生まれてきた。

邪馬台国遺跡だろうといわれている奈良盆地の纏向遺跡だって、集落跡は発見されていない。たんなる「祭りの広場だったのだ。それは弥生時代晩期のものだから、そのときはすでに多くの人が奈良盆地に住んでいたのだろうが、おそらく住居の集落は纏向遺跡のまわりにあった。

はじめに「祭りの広場」があった。「祭りの広場」が「都市」をつくった。「都市」が「祭りの広場」をつくったのではない。おそらくこれはもう、人類普遍の歴史なのだ。

西洋の都市は、必ず中心に「広場」がある。それは、まずはじめに「広場」に人が集まってくるということが起き、そのあとからまわりに住居がつくられていった、ということを意味する。都市ができてしまったあとから中心に「広場」をつくることなんか不可能だ。



直立二足歩行の開始以来の人類の歴史は「祭りの賑わい」とともに推移してきたのであって、戦争や権力争いの歴史だったのではない。人と人の関係の根源・自然は「他愛なくときめき合う」ことにあるのであって、憎んだり恨んだり支配し合ったりすることは文明の歴史とともに顕在化してきた関係にすぎない。

今どきは、人の心の底の恨みや憎しみのことを「原始的な感情」だと解釈されることも多いが、それは文明的な共同体の制度性から生まれてくる心の動きにすぎない。権力者たちに芽生えたそういう心の動きがしだいに民衆のところまで下りていったのが、現在に至る文明の歴史だった。そりゃあ民衆だって、支配されてばかりいたら、自分たちもまた支配し合って憎み合ったり恨み合ったりする関係になってゆく。まあ文明社会は、避けがたくそのような人と人の関係を生み出してしまう構造を持っている。

古代の権力者たちは、民衆の祭りの賑わいを眺めながら「あいつらはけものみたいに節操なく浮かれ騒いでばかりいやがる」と思っていて、そんな混沌とした心模様の民衆を支配するための「規範=制度」として仏教が輸入されていった。そして民衆は、権力者たちのことを「あの連中は恨んだり憎んだり殺し合ったりということばかりしている」と思いながら眺めていた。そういう状況から仏教に代わるものとして神道が生まれてきたのであり、それは、民衆社会の伝統である「祭りの賑わい」を守り育てるためのものだった。

今だってそうした「祭りの賑わい」としてコンサートやスポーツ観戦等の娯楽のイベントが催されているのであり、まあ学問や芸術や色恋だってひとつの「祭りの賑わい」なのだ。



「祭りの賑わい」に引き寄せられて人々が集まってきて都市になる。言い換えれば、「祭りの賑わい=ときめき」を体験できない都市住民の心はどんどん病んでゆく。集団の「安定と秩序」が大事だ、などといっていたら、心はどんどん病んでゆく。共同体という集団であれ、家族という集団であれ、「祭りの賑わい=ときめき」の上に成り立っているのであって、人の心は「安定と秩序」を求めた瞬間から痩せ細ってゆく。

「安定と秩序」のためには奴隷制度が必要なのだ。そういう鬱陶しい仕事は奴隷にやらせるしかない。そうやって現在の多くのサラリーマンが「社畜」にさせられている。「社畜」の心になってしまっている。

心が「安定と秩序」の奴隷になってしまっているから、家庭内暴力セクハラやパワハラやいじめが起きる。「安定と秩序」を欲しがるなんて自閉症なのだ。心に「祭りの賑わい=ときめき」がないから「安定と秩序」を欲しがらないといけないのだし、「安定と秩序」がないと生きてゆけないから、「安定と秩序」という正義を振りかざして他人を奴隷にしようとする。権力者は国民を、上司は部下を、教師は生徒を、親は子供を、「安定と秩序」の奴隷にしようとする。マスコミお抱えの知識人たちだって、読者をそのように扇動しまくっている。

現在のこの社会は、人間をみな「安定と秩序」の奴隷にしてしまいそうな危うさを構造的に抱えてしまっている。そうやって心はどんどん「祭りの賑わい=ときめき」がなくなってゆく。彼らの心は、すでに「神」の奴隷になってしまっている。心の中に、この生やこの世界の安定と秩序をもたらす「神」を持ってしまっている。そうして平気で他人を奴隷にしかかる。おまえも「神の奴隷」になれと要求してくる。「安定と秩序」を求めることがコンセプトの共同体の制度性が、そういう人間をつくる、そんな人間が都市にはびこると、都市はますます生きにくい場所になってゆく。

ともあれ都市住民だろうと村人だろうと、人は「安定と秩序」から解き放たれる「祭りの賑わい=ときめき」を体験しないと生きられない。心が病んでゆく。

人類史の起源としての「都市」は、宗教から生まれてきたのではない。人と人が他愛なくときめき合う「祭りの賑わい」に引き寄せられて「都市」になっていっただけのこと。

都市は「祭りの賑わい」が生まれる「混沌」の場所であるが、その「混沌=生きられなさ」ゆえに「安定と秩序」を目指す思想がはびこる場所でもある。そうやって共同体(国家)が生まれ、宗教や呪術が生まれてきた。

現代社会にはびころスピリチュアルやカルト宗教のことを考えれば、現代人が宗教や呪術とは無縁だとどうしていえよう。その、この生やこの世界の「秩序と安定」に対する希求は、原始時代のものではなく、現代社会においてますます隆盛になってきている観念のはたらきなのだ。

現代の都市は、「安定と秩序を求める宗教や呪術」と、そこから解き放たれる「祭りの賑わいの混沌」の両方が生成している。「安定と秩序」の奴隷になることを要求してくる鬱陶しい空間だからこそ、そこから解き放たれる「祭りの賑わいの混沌」もダイナミックに生まれてくる。現在のこの国の情況でいえば、大人たちはすでに「安定と秩序の奴隷」になってしまっており、そこからの圧力を受けながら若者たちによる「混沌」の美意識を基礎にした「かわいい=ジャパンクール」のムーブメントも豊かに起きてきている。そしてそれと同時に、その圧力ゆえに「ひきこもり」をはじめとする生きられない愚かで弱い若者たちも少なからずあらわれてきている。それもまたひとつの「都市的混沌」であり、まあ「かわいい=ジャパンクール」は「生きられない愚かで弱い若者たち」の文化だともいえる。

生き延びようとあくせくしている今どきの大人たちよりも、若者たちのほうがずっと「もう死んでもいい」という勢いを持っている。まあ、青春とは生と死のはざまに立たされることだ、ともいえるわけで。