ネアンデルタール人は、ほんとうに滅んだのか

2016-06-25 都市の起源(その三十三)・ネアンデルタール人論184

その三十三・「監視」という制度



都市生活の作法のひとつに「干渉しない」あるいは「監視しない」ということがあるはずだが、都市にだって、ときどきそういうことばかりしたがる人がいる。

ストーカー」といっても、事件を起こす人だけじゃなく、一般的な人間関係においても、「干渉したがり」「監視したがり」の人が少なからずいる。関係が親密になってくるとどんどんそういう傾向がエスカレートしてきて、かえって嫌われたり逃げられたりする。そのあげくに、ストーカー事件を起こす。あるいは、嫌われたり逃げられたりしたとたんに、ストーカーに変身するというか、ストーカーの正体をあらわす。

しかしそれは、犯罪者だけの傾向ではない。善良な市民だって、多かれ少なかれそういう傾向を抱えている。誰もが「干渉=監視しない」という都市生活の作法を知っているはずだが、知らず知らずいつの間にか「干渉(監視」してしまっている。

まあ、共同体の制度は「干渉=監視」することの上に成り立っているわけで、そういう社会の仕組みがそういうことをむやみにしたがる人を生み出している。

干渉=監視」しないという作法は「原始的な都市集落」の生態であり、「干渉=監視」の心の動きは、それが「文明的な都市国家」へと変質してゆくことによって生まれてきた。

ネアンデルタール人のフリーセックスの社会では、集団および人と人の関係はつねに「離合集散」を繰り返していた。それは、「干渉=監視」するという関係が希薄だったからだ。そうしてそれが、現在の都市生活の作法として引き継がれている。現代の都市住民だって、それによって人と人の関係を豊かで深いものにし、この限度を超えて密集しすぎた集団の中に置かれていることに耐えているのだが、今どきは、あんまり「干渉」したり「監視」したりしないでくれ、と悲鳴を上げている人もたくさんいる。



まわりにたくさん人がいれば、鬱陶しいに決まっている。この鬱陶しさに耐えるためには、目の前の「あなた」ひとりに意識の焦点を結んで、まわりがぼやけて見えている状態になることだ。

あなたの姿が、どうしようもなく鮮やかに目に飛び込んでくる。それは、「あなた」を能動的に「見つめている」というより、(たとえ「あなた」の視線がどこを向いていようと)あなたの姿そのものから「見つめられている」ような、そういう受動的な状態であり、そうやってときめいている。

都市住民は「あなた」の姿の鮮やかさに見とれてしまうが、「あなた」を「監視」することはしない。すでに「見とれてしまっている」のだから、今さらのように「監視」しようとする欲望など持つ必要がない。あるいは、「監視」しようとする欲望を持たないから「見とれてしまう」状態になる、ともいえる。そういう無防備で、自我がからっぽの心に、「あなた」の姿が入り込んできて鮮やかに浮かび上がる。

現象学では「意識はつねに何かについての意識である」ということが定理のように扱われているが、これを裏返せばつまり、何かを意図的に見つめていれば、もはやそれ以外のものが目に入ってくることはない、ということだ。そうやって人は、ストーカーになる。まわりの世界に対する警戒心や緊張感が強すぎて、つねに意図的に何かを「見つめる=監視する」という習性になってしまっているからだ。

無防備になって何も見つめていないからこそ、景色のほうから目に飛び込んでくる。ストーカーになってしまったら、もはやそういう「思わず見とれてしまう」というような感動体験はない。そういう感動体験ができない心だからストーカーになってしまう、というべきか。

現代社会は、ストーカーを生み出してしまうような社会の構造になっている。家族であれ会社であれ学校であれ、人が人を「監視」し「干渉」したがる世の中になってしまっている。マスコミと民衆が一緒になって有名人のスキャンダルを追いかけまわしていることも、まあそういう病理的現象のあらわれかもしれない。

「監視」したがるとか、「干渉」したがるとか、「教育」したがるとか、人を裁きたがるとか、優越感を持ちたがるとか、それらは都市の問題というより、現代社会の構造の問題なのだろう。現代の都市は現代社会の構造に侵食されている、ということはいえるのかもしれないが。

相手を裁いて、みずからの「監視・干渉」の欲望を正当化する。かんたんに相手を裁いてしまう人がたくさんいる。善か悪か、正しいか間違っているか、幸せか不幸か、賢いか愚かか、そんな二項対立の安直な問題設定でしか考えないから平気で裁くことができるのであり、そうさせてしまう社会の構造がある。

無防備でぼんやりした若者や子供たちは、「監視・干渉」の欲望の強い大人たちの格好の餌食になってしまう。しかし、無防備でぼんやりしていないと都市では生きられないし、その態度からこそ豊かな「ときめき」が生まれてくる。都市生活者はもともとそういう存在だからこそ、たがいに相手を生かし合うという「連携」の関係を豊かに体験するのだが、現在の都市はそのようには生きさせてくれない。つまり、そうやって現在の都市は「監視・干渉」の欲望を肥大化させる社会の構造に侵蝕されてしまっている、ということだ。

たとえば、「監視・干渉」したがる今どきの大人たちに、「何だろう?」と問い続けて生きている若者や子供たちの心が蝕まれている。

ともあれ都市住民の心は、「監視・干渉」したがりの社会の制度性に対してあまりにも無力だ。そのあげくにみずから「監視・干渉」したがりの人間になって生き延びようとしてゆくものもいれば、「もう生きられない」と深く傷つけられているものもいる。

それでもしかし、都市生活の作法の伝統というのは誰の中にも今なお歴史の無意識として潜んでいる。都市は「監視・干渉」しない作法の上に成り立っている空間だからこそ、「監視・干渉」したがる社会の制度性にたやすく侵蝕されてしまう。現在の都市に「監視・干渉」したがる「ミーイズム」というか「過剰な自意識」がはびこっているということそれ自体が、「監視・干渉」しないことが都市の伝統の作法であることの証しなのだ。

都市住民は、誰も見つめない。だからこそ、目の前の「あなた」に見とれてしまう。

われわれは、「生きられない愚かで弱いもの」として生きることができるか。


2016-06-23 都市の起源(その三十二)・ネアンデルタール人論183

その三十二・生きられない弱いもの


氷河期の北ヨーロッパに住み着いていたネアンデルタール人は、「生きられなさ」を生きた人々だった。

人は、生きられなさを生きる存在なのだ。

人類は、生きられなさを生きる姿勢として二本の足で立ち上がり、生きられなさを生きながら地球の隅々まで拡散していった。

べつに移住していった先が住みよい土地だったのではない。拡散すればするほど、より住みにくい土地になっていった。それでも移住していったのが人類拡散の歴史だったのであり、おそらくそれはもう、700万年前に二本の足で立ち上がった直後からはじまっている。

考古学の証拠によれば、アフリカ中央部で生まれた人類がアフリカの外まで拡散してゆくのに4〜500万年かかっているのだが、それでもチンパンジーやゴリラがいまだにそこから一歩も踏み出していないことに比べれば、大きな違いだ。チンパンジーやゴリラは、そこで生きてゆく生態を確立していったが、人類は「生きられなさを生きる」生態を携えて、どんどん拡散していった。それは、そこに住み着くには大きなハンディキャップだったが、拡散してゆくにはきわめて有効な生態になった。「生きられなさを生きる」のだから、住みにくくてもかまわなかったのだ。

どんなに住みにくくても、それを受け入れてゆくことができるだけの、それに代わる醍醐味があった。それが、ここでいうところの「人と人が他愛なくときめき合う<祭りの賑わい>」だった。その「祭りの賑わい」の中で、住みにくさなど忘れていった。

その「祭りの賑わい」とともに、700万年後の氷河期明けに、無際限に人口が膨らんだ「都市」が生まれてきた。その密集しすぎた集団はもう、猿としての限度どころか、人間としても限度を超えているわけで、しかしその「生きられなさ」こそ、人を根源において生かしている状態というか状況なのだ。

人類拡散の果てに氷河期の北ヨーロッパにたどり着き住み着いていったネアンデルタール人こそ、人類史においてもっともラディカルに「生きられなさ」を生きた人々だった。「都市」の歴史は、そこからはじまっているともいえる。彼らは、その極限の「生きられなさ」の環境の中で、誰もが他愛なくときめき合う「祭りの賑わい」の文化をはぐくみながら住み着いていた。

まあ、終戦直後東京だって同じで、そこは敗戦の傷跡を残した廃墟=荒野だったにもかかわらず、その人口は10年で2倍の700万人に膨れ上がった。それは、またたく間に衣食住の環境が整っていったからではなく、そこで生まれる「祭りの賑わい」に引き寄せられてどんどん人が集まってきたのであり、そのとき誰もが食うや食わずの「生きられなさ」を生きながら、そのお祭り騒ぎに浮かれていったのだ。つまり、ネアンデルタール人のように。



拡散の果ての氷河期の北ヨーロッパが、アフリカや中近東よりも住みよい土地だったはずがない。

集団的置換説の論者たちは、数万年前のアフリカのホモ・サピエンスは住みよい土地を求めてヨーロッパに移住していった、と合唱しているのだが、その人間観や歴史観そのものが、決定的に錯誤している。彼らの多くは、そのときネアンデルタール人がその厳しい環境に耐えきれず自滅していったなどといったりしているのだが、そこで50万年も生き残ってきた人たちの耐寒のノウハウが、いきなりそこにやってきたアフリカ人より劣っていたなどとどうしていえるのか。まったくバカげている。

氷河期ほどの寒さではない現在においてさえ、その地で暮らすことは「生きられなさを生きる」ことの醍醐味に気づいてゆく心の動きなしには成り立たないのであり、人間性の自然・本質としてとしてそういうことがないのなら、今ごろ人類は温暖な地にひしめき合っているに違いない。

人の心は、「生きられなさ」を生きながら華やぎときめいてゆく。人間的な「ときめき」、すなわち人間的な知性や感性の本質は、そういうところにある。

人類拡散の契機は、「住みよい土地を求めて」ということにあったのではないし、彼らがいうように「集団」で移住していったのでもない。ひとりひとりがもとの集団を離れてゆき、離れていった先で集団になっていっただけのこと。これはもう、近代のヨーロッパ人によるアメリカ大陸移住にしても、基本的にはそれぞれの個人または家族がアメリカ大陸で新しい集団をつくっていっただけだろう。

住み慣れた土地を離れようとしないのが集団の本能なのだ。だからこそ、住みにくいアメリカ大陸で新しい集団になってゆくことができた。そこで家族や個人どうしの「連携」の関係が生まれてくれば、どんなに住みにくくてもなんとかそこに住み着こうとするようになってゆく。そうしてやがて、物理的に精神的にも、そこがもっとも住みやすい土地になる。

しかし、それで終われば、ヨーロッパ人のアメリカ大陸移住はニューヨークを中心とした東海岸だけのことだったのだろうが、それだけでは終わらないのが人類拡散の歴史であり、とくに若者は、その住みやすさに倦んで集団を離れてゆこうともする。その住みやすさは、大人たちの既得権益の上に成り立っており、若者たちがそれにはじき出されるということも起きてくる。まあそのようにして、アメリカ大陸移住のムーブメントが際限なく広がっていった。

つまり人類拡散は、基本的には集団で移住してゆくということはありえないということだ。そして現代では、福島やチェルノブイリのように集団で強制移住させられることもあるが、それだってそこに戻って来ようとする人が少なからずいるということは、集団には移住してゆこうとする本能はない、ということを意味している。故郷は懐かしい。しかし「懐かしい」ということは、人は故郷を離れてしまう生態を持っている、ということでもある。そこに住み着こうとする心は、そこから離れてゆこうとする心でもある。そこのところがややこしい。

人は、集団の中にいられない気持ちを共有しながら、無際限に膨らんだ集団をつくってゆく。その気持ちを共有しているからこそ、無際限に膨らんだ集団になることができるのだ。

都市生活者は、「集団の中にはいられない」という気持ちを共有しながら、無際限に膨らんだ集団をつくっている。都市生活者は、「結束=団結」なんかできない。しかし、その集団からはぐれた気持ちを共有しながら「連携」してゆくことができる。



なんのかのといっても、文明史において、ヨーロッパの都市の「連携」の文化風土は、アラブ世界の「結束=団結」の文化風土凌駕してきたのだ。戦争の歴史でいえば、それはもうアレキサンダー大王以来の伝統であり、つねに「連携」の能力によってアラブの大軍を圧倒してきた。中世から近代にかけてその人海戦術や物量作戦でバルカン半島周辺の地域まで領土を広げていったアラブ世界のオスマン帝国は、しかしヴェネチアという「連携戦術」に長けた小さな都市国家によってそこから先への侵略を阻まれているうちに、逆にヨーロッパの包囲網が押し寄せてきて、いったん獲得したヨーロッパの領土をすべて失っていった。ヨーロッパは、オスマン帝国のような大軍を組織することはできなかったが、オスマン帝国の脅威によって小国家どうしが連携してゆき、それがイタリア・フランス・ドイツ等の都市国家群を統合した近代国家になっていった。そうなればもう、オスマン帝国はヨーロッパの敵ではなかった。

ヨーロッパ的な「連携」の集団性は、オーケストラやコーラスのような音楽の面にもっともよくあらわれているし、男と女の「恋愛」という「連携」の文化も、まあアラブ世界よりははるかに多彩であるに違いない。ヨーロッパの男と女は、「連携」するが「結束」はしない。アラブの女が男に従属させられているのは、それはそれで高度な「結束」のかたちだともいえる。

アラブ世界は「聖地巡礼」の習俗の本家であり、それこそが彼らの「結束」という集団性の基礎的な生態になっているのだろう。それはおそらくアフリカ的な部族意識による「結束」をより大げさに膨らませていった観念のはたらきであり、彼らはもともと、アフリカ的な「結束」もヨーロッパ的な「連携」も「原則」として持っていないがゆえに、その表現がむやみに大げさで過激になってゆく。

つまり、アフリカ的な「結束」の集団性と、ヨーロッパの「連携」のそれとは、似ているようでいてじつは相矛盾した性格を持っている。「結束」してしまえば「連携」は高度になってゆかない。「連携」が高度にはたらいてゆくとき、ひとりひとりは孤立して存在している。まあ都市住民はみんながさびしく孤独だというのなら、それは、そこでこそもっとも高度な「連携」が生まれてくる、ということでもある。

数万年前のアフリカ中央部のホモ・サピエンスには、同じころのヨーロッパのネアンデルタール人のような「連携」の文化はなかった。前者は「部族」として予定調和的に「結束」していたが、それぞれが家族的小集団として別々に暮らしながら、「連携」はしていなかった。「連携」の不在の上に、その「結束」が成り立っていた。

そしてネアンデルタール人は、部族意識的な集団どうしのネットワークは持っていなかったが、個人や集団どうしがそのときその場で出会っていわば即興的に「連携」してゆく(=ときめき合ってゆく)文化生態は豊かにそなえていた。そしてそれなしに氷河期の北ヨーロッパという極寒の環境を潜り抜けることは不可能だったのであり、集団的置換説の権威であるらしいイギリスのストリンガーが主張する「クロマニヨン人は、部族的ネットワークをつくり、ときどき集まって会合を開いていた」というような悠長なことなどしていられなかったのだ。まったく、何をアホなことをいっているのだろう、と思う。

そこは、部族意識のアフリカ人がいきなり移住していって住み着けるような生やさしい環境ではなかったのであり、そのころヨーロッパに移住していったアフリカ人などひとりもいない。

アフリカ人よりももっと強力なアラブ人でさえヨーロッパを凌駕できなかったのだ。それはもう、歴史が証明するところではないか。

「都市」はほんらい、豊かな「連携」が生成している場であるがゆえに、「結束」してゆくことの不可能性も抱えている。つまり、むやみに人を支配したり説得したりして「結束」してゆこうとすることは都市生活の作法ではない、ということだ。つまり、誰もが「生きられない弱いもの」として生きるということ、その上に豊かな「連携」が生まれる。それこそが、原初の人類が二本の足で立ち上がったことの成果だった。

都市生活者は、「結束」なんかできない。「連携」する。

僕は、政治・経済のことにはあまり興味がない。だからここで考える都市論も、けっきょくは「人間とは何か?」という問題や「<あなた>と<わたし>の関係の自然や本質とは何か?」というような問題に、まあある意味矮小化してゆくほかない。

都市の政治や経済のことなどよくわからないし、興味もない。気になるのは、たとえば「人が人にときめくとはどういうことか?」というようなほんの些細なことであり、さらには「言葉」の本質は「伝達・説得」する機能にあるのではない、むしろ「伝達・説得」することの「不可能性」にこそそのはたらきの豊かさや本質がある、というようなことで、これらの問題はとてもややこしくて頭の中がこんがらがってしまいそうになるのだけれど、しかしそれを考えてゆけば、数万年前のアフリカ人がヨーロッパに移住していったということなどありえないのですよ。



2016-06-22 都市の起源(その三十一)・ネアンデルタール人論182

その三十一・東京復興


承前

秋葉原通り魔事件の加藤君は、東京に出てきて、自分は正しく優秀な人間であらねばならないという強迫観念がさらに強まり、その裏返しとしての挫折感や劣等感も頭の中でいっぱいになっていたらしい。

都市にはたくさんの人がいるのだから、自分は彼らよりも正しく優秀な人間かという自問もさらに膨らんでくるし、自分よりも正しく優秀な人間がたくさんいるということも思い知らされる。

みんなは彼女とデートをして楽しく生きている、ということを想うだけでも劣等感になる。彼がまったく女にもてなかったというよりも、女にときめいてゆく心をすでに失っていた。そうして、アニメやマンガなどの二次元の世界に耽溺していった。

彼は、現実の女にリアリティを感じなかったのではなく、その生々しいリアリティに耐えられなかった。女だけではなく、すべての人間に対して過剰なほどに生々しい存在感を感じてしまい、雑踏の中にいることが耐えられなくなっていた。だから、雑踏を破壊しようとしていった。

誰の心の中にも、生きてあることに対するいたたまれなさは息づいている。人類の二本の足で立つ姿勢は、そういういたたまれなさを生きる姿勢なのだ。

人類は「生きられなさ」を生きることによって知能=文化を進化発展させてきた。

人は、この生やこの世界の存在の生々しさには耐えられない。心が、そういう「日常」の外の「非日常」の世界に超出してゆくことによってこの生が成り立っている。人は「非日常」の世界に対する「遠い憧れ」を紡ぎながら生きている。

都市の雑踏の群衆が生々しい存在感をもって目に飛び込んできたら、雑踏の中を歩いていることなんかできない。だから意識¬=視覚は、たえず何かの一点に焦点を結んでそのまわりはぼやけた状態になっている。

都市にはたくさんの人がいる。しかしだからといって、たくさんの人から好かれるのが都市生活の醍醐味になったり、たくさんの人に好かれようとするのが都市生活の流儀になっているのでもない。そういう観念の傾向になってしまうところにこそ、現在の都市生活の病理がある。

都市生活の醍醐味と流儀は、たったひとりの「あなた」に気づいてときめいてゆき、そのまわりのたくさんの人々の姿はぼやけてしまうところにある。そういうタッチを持っていなければ、都市では生きられない。

まあ、たくさんの人に好かれようとしながら社会的に成功してゆく人もいれば、そうやって人に好かれようとして自分を見せびらかすことばかりしながらかえって人に嫌われるということを繰り返している人もいる。自分を見せびらかしたくてストーカーになる。クレーマーになる。思うほど人に好かれなくて苛立つ。そうやって人は、みずからの知性や感性を停滞・衰弱させてゆく。どんなに知識をため込んでも、考えたり感じたりする心の動きは、すでに停滞・衰弱してしまっている。自分を見せびらかそうとばかりしているから、世界や他者が耐え難いほどに生々しく立ちあらわれてくる。

世界のリアリティを失って、心を病んだり、その表情がうつろになったりわざとらしく大げさになったりするのではない。彼らの表情は魅力的なニュアンスに乏しく、うつろであるにせよわざとらしいにせよ、どこか殺伐としている。

統合失調症とかアスペルガー症候群とか、自閉的な人ほど、世界の生々しい存在感に悩まされている。

人は、この生やこの世界のリアリティによって生きているのではない。その生々しい現実感によって心を病んでゆく。彼らは、世界がぼやけて見えているという、その無防備な状態を知らない。

世界のリアリティは、人の心に警戒と緊張を強いる。

世界がぼやけて見えているのなら、引きこもる必要なんか何もない。ぼやけて見えているということは、何か一点に焦点が結ばれときめいている、ということだ。

内田樹のような生き延びようとあくせくしている人間より、愚かでぼんやりしている今どきの「下層・下流」の若者のほうが、ずっと人間性の自然=本質に根差している。

加藤君は、都市の雑踏の群衆に対して無防備になれなかった。



人間にとってこの世界のリアリティが大切であるのなら、人類拡散という現象は起きていない。それは、より住みにくいところ住みにくいところへと移住してゆく現象だったのであり、この生やこの世界のリアリティが大切でそれをたしかに認識しているのなら、より住みにくい土地に住み着くということは起きるはずがない。住みにくさというこの生やこの世界のリアリティなんかどうでもよかったのだ。

住みにくい土地だからこそ、その「現実=日常」のリアリティから異次元の「非日常」の世界に超出してゆく心の動きがよりダイナミックに起きてきた。それはつまり、心が華やぎときめいてゆくということ。どんなに住みにくかろうと、その体験ができるのなら、そこに住み着く理由になる。

終戦直後東京は、経済においても景観においても、世界でもっとも荒廃した都市だった。そんな東京が、なぜ世界でもいち早くもっともダイナミックに復興していったのか。そんな東京に、なぜどんどん人が集まってきたのか。

終戦直後東京の人口は350万人で、復興途上の10年のあいだに、倍の700万人に膨れ上がっていった。そのとき人々は、住みやすい故郷を捨てて、より住みにくい「廃墟」あるいは「荒野」の東京を目指して集まってきていた。

なぜか?

どんなに住みにくくても、そこには人と人がときめき合う「祭りの賑わい」という、「非日常」の世界に超出してゆく体験が豊かに生成していたからだ。

「祭りの賑わい」すなわち「娯楽」こそが、この国の戦後復興エネルギーになった。

戦後の日本人は、「日常」を忘れた浮かれ騒ぎで復興していったのだ。生き延びたいとか、生き延びるための衣食住を求めるとか、そんな欲望などそっちのけで復興していったのだ。

まあ生き残ったものたちには、生き残ったことの疚しさというかうしろめたさのような感情もあったに違いない。自分が生き延びることよりも、子供をはじめとする生きられない弱いものを生きさせることに熱中していった。というか、誰もが生きられない弱いものになりながら、たがいに相手を生きさせようとする「連携」の関係が豊かになっていった。生きられない弱いものとして生きることが、戦争で死んでいったものたちに対するひとつの「供養」だった。

そしてこれはたぶん、あの一連の大震災直後における人々の「連携」の問題でもあったに違いない。

終戦直後のそのとき故郷を捨てて東京に出てゆくことは、「生きられない弱いもの」として生きようとすることだった。「生きられない弱いもの」は、生き延びようとする欲望によってではなく、「世界の輝き」にときめいてゆく体験に生かされている。そうやって日本中で「祭りの賑わい=娯楽」と、それにともなう「連携」の関係が盛り上がっていった。

戦後の東京復興は、おそらく人類史において「都市」が発生してきたこととどこかでつながっている。

猿とは違う人間的な「連携」はおそらく二本の足で立ち上がったときからすでにはじまっているはずだが、その関係を本格化させて氷河期明けの都市の発生の準備をしたのは、集団的置換説でいうようなアフリカの地にとどまり続けた歴史の上に登場してきたホモ・サピエンスではなく、氷河期の北ヨーロッパまで拡散してゆき住み着いてきたネアンデルタール人だった。

都市集団の自然=本質は、「連携」にあるのであって、「結束」にあるのではない。アフリカ人の部族意識ほど強い「結束」もないが、だからこそ彼らは「都市」を生み出すことができなかった。それに対してヨーロッパの都市は、「結束」の緩やかな「連携」によって進化発展してきた。それは、ネアンデルタール人以来の伝統であって、部族意識が強いアフリカ人がいきなりその地に行って生み出せるような関係ではない。

「結束」という「秩序」、それに対して「混沌」の中から生み出される人間的な「連携」のダイナミズムによって「都市」が生まれてきた。

終戦直後の日本人だって、けっして「結束」していったのではない。地縁血縁の古い村社会など、どんどん解体して東京に人が集まってきた。それは、良くも悪くも、「結束」を捨て去るムーブメントだった。「結束」によって戦争を遂行していったという反省もあったのかもしれない。戦後20年たってからの全共闘運動だって、一部では大いに盛り上がったらしいが、けっきょく日本人全体が「結束=団結」することなんか起きなかった。

現在の左翼系市民運動家の人たちは「反安倍」「反原発」等々で日本人が「結束」してゆくことを夢見ているらしいが、日本列島の伝統として、そういうことはそうかんたんには起きない。生き延びるための「結束」なんかしない。「もう死んでもいい」という勢いの「混沌=祭りの賑わい」の中から「連携」してゆく。

舛添叩きは、ひとつの「お祭り騒ぎ」だったのだろうな。それを「衆愚」といって批判する人もいるけど、こんなにもかんたんに盛り上がる人々が、いざ政治のことになるとどうして「無党派層」とか「選挙に行かない層」などの人たちが諸外国に比べて異様に多くて冷めているのだろう。おそらく「生き延びるために結束してゆく」ことに対するそこはかとないうしろめたさがあるのだろう。そしてそれは、二本の足で立ち上がって以来の人類史の伝統でもある。そのとき人類は、「もう死んでもいい」という勢いで立ち上がっていったのだ。

人の心は、「もう死んでもいい」という勢いを持ったセックスアピールに引き寄せられてゆく。

多くのマスコミ知識人がどれほど「平和で豊かな未来」のための正義のヴィジョンを声高に叫ぼうとも、日本人の本心はそれほど政治には関心がない。

戦後の復興だって、政治的な展望・計画によって実現したというより、なりゆきまかせのお祭り騒ぎで盛り上がっていっただけかもしれない。民衆の「連携」のダイナミズムというものをバカにしてもらっては困る。「衆愚」でけっこう、それが日本人の思考や行動の習性であり、右翼だろうと左翼だろうと、あなたたち知識人のえらそげなご託宣など知ったこっちゃない。


稲葉稲葉 2016/06/23 02:52 民主主義という名の責任転嫁を組み立てて、会社の結束を囃し立て、レールに敷かれた多数決で選ばれた政治家が、なんと自惚れたことか。
としか言えませんよね。
生活が窮困した時だからこそ、今を楽しみお祭騒ぎで過ごす。気がつけば復興していた。
復興は結果であって、その成り立ちは決して国のお偉いさんが遂げたのではない。どうでもいいからワイワイ過ごして、結果的に復興していた。
これですよね。
この力が日本人には長けている。と私は思います。

HIROMITIHIROMITI 2016/06/24 05:09 稲葉さまへ
コメントありがとうございます。

「自惚れた」というか、勝手な自己満足に浸りやがって、というか。
日本人のお気楽なお祭り騒ぎのエネルギーを、あんがい世界中がうらやましがっているのかもしれないですよね。今どきの政治家や知識人はそれを「困ったものだ」とか「衆愚」などというけど。

閑吟集の「一期は夢よ、ただ狂え」とか梁塵秘抄の「遊びをせんとや生まれけむ」とか、そんなたぐいの言葉は世界中にあるし、それはたぶん、人間的な知性や感性の問題なのだろうとも思います。ただの「やけくそ」のように扱われたら困る。政治家は、「額に汗して働くことの尊さ」などとよくいうが、これほど支配に都合のいい言葉もなく、庶民だってそれを本気で信じている人はたくさんいる。内田樹は「人間性の基礎は労働にある」といい、多くの大人たちが働いていることを自分のアイデンティティにしている。まあ自分の存在価値をそんなふうにして信じられたらそれはそれで幸せなのだろうが、それがその人の知性や感性が豊かなことの証しや、人間的な魅力が豊かであることの証しになるとはかぎらない。自己満足を得る方法なんかいくらでもあるだろうし、社会的に恵まれた立場にあればそんなに難しいことでもないのだろうが、自己満足しているから心が豊かだということにはならないし、いまどきは、そんな自己満足した大人たちの心の貧しさが、子供たちの心が生き生きとはたらくことを阻んでいる、ということもきっとあるのでしょうね。
自分がまともな人間のつもりでいるというそのことが胡散臭い。このことにおいては、エリートも庶民もない。みんなしてそんな自己満足に浸っているというか、自己満足を欲しがっている世の中なのかなあ、と思ったりします。
子供はどんな大人を好きになるかといえば、子供の心に反応できる大人であって、べつにえらそげなことを教えてくれる大人でもモノを買ってくれる大人でもないのでしょう。つまり、一緒になって遊ぶことができるかとわれわれ大人たちは試されている、ということでしょうか。そこのところにその人の人間的な魅力のあるなしがあらわれる、というか。
「賢者」と「うつけもの」は紙一重だ、などといったりもするけど、鈍感な人間ほど賢者ぶるし、この世界の輝きに豊かに反応できる「うつけもの」もいる、ということでしょうか。

稲葉稲葉 2016/06/24 05:20 返信ありがとうございます。
まさに子どもは試しているのだと思います。
遊ぶということは、自分を無にして、感受性を働かせ、その空間すべてに反応していくことだと思います。
それができるから子どもは、時間も疲れも何もかも忘れていられる。
「制度の人間」か、「ときめく人間」かを数秒で見極めるのですよね。

HIROMITIHIROMITI 2016/06/24 18:28 稲葉さまへ

おっしゃる通りで、「遊ぶ」というと何か「呑む・打つ・買う」みたいなイメージで語られるけど、もともとの意味は、「自分を無にして、感受性を働かせ、その空間すべてに反応していくこと」すなわち「われを忘れて夢中になってゆくこと」というようなニュアンスだったのだろうと僕も考えています。つまり、心が「非日常」の世界に超出し漂っている状態のこと。
何ごとであれ、「われを忘れて夢中になれる」人は、「遊び人」でしょう。
子供はみんな「遊び人」だし、大人だって誰もがそういう世界に入ってゆきたいと思っている。そういう世界に入ってゆける人を「セックスアピールがある」という。いいかえれば、自意識が強い人にはセックスアピールがない。彼らは、「制度の人=正義の人」になれても、「遊び人」にはなれない。どんなに「遊び人」を気取っても、「自分」を守ることにきゅうきゅうとして生きている。どんなに酒場通いをしようと、酒場の女は、それこそたちまち見抜いてしまう。おそらく、あなたがいわれるように、子供が「数秒で見極める」のと同じタッチなのでしょうね。大人の男はだませても、女子供はだませない、ということでしょうか。大人の男の眼は、「制度」によって曇ってしまっている。「遊び人を気取ってもちっと遊び人じゃない」という男を何人も見てきたし、そういう男ほど、ポーズだけで人をだませると思っている。ポーズの世界しか知らないのだもの、とうぜんです。「自分を無にして、感受性を働かせ、その空間すべてに反応していく」というようなタッチなど、知る由もない。
彼らは、ポーズだけで表現される表面的なところであれこれ人間や女を分析しつつ「通」を気取っているけど、「本質」を見極める目なんかまるでない。それは、女子供のほうが持っている。まあ女といっても、中年以上の大人の女なんか、鈍感で下品な女がいくらでもいて、彼女らだってやっぱり「制度の人間」で、大人になることの危うさや怖さをなにも自覚していない。
すみません、妙な愚痴になってしまいました。

稲葉稲葉 2016/06/24 19:38 もうこれこそが現代病理の仕組みを物語っているのでしょうね。
まさに2項対立の形に嵌められていく大人達。いつの間にかその形に嵌ることが成長だと刷り込みされていく。
陰謀論でいう、上級階層のユダヤ教徒の話は、これを指して皮肉っているのかもしれないですね。

HIROMITIHIROMITI 2016/06/26 04:15 稲葉さまへ

二項対立の問題なのでしょうね。彼らは何もかもそういう問題に回収して知性や感性を衰弱させつつ、知性や感性が豊かなつもりの自意識をさらに膨らませてゆく。
「平和で豊かな未来を若者や子供たちに残す」などとカッコつけたことを合唱しているけど、おまえらジジ・ババに若者の未来を決定する権利があるのか、という話ですよね。
何もかもわかっているつもりの大人たちが、「何だろう?」と問い続けている若者や子供たちの心を侵食している。教育の名のもとに、子供や若者の心を去勢しにかかる。
ほんとに、なんで内田樹みたいな、それこそ二項対立でしかものを考えられない愚劣で薄っぺらな大人がのさばるのだろう。内田樹と同じ世代の人間として、ほとほといやになります。

2016-06-20 都市の起源(その三十)・ネアンデルタール人論181

その三十・秋葉原事件の加藤君の場合


秋葉原通り魔事件は、都市の問題でもあった。まあ、都市の雑踏の中で起きた事件だったわけで、都市の雑踏とは何か、ということについて考えてみたい。

人と人の関係の基本というか自然は、一方通行の思いを向け合うことにあるのであって、「自分は好意を持たれている」とか、哲学心理学でよくいう「他者に承認されている」とか、そんなことを確認することにあるのではない。

人は根源において、「承認願望」など持っていない。それは自分の勝手な思い込みであって、そんなことはわかるはずがないし、そんなことが他者に「ときめく」契機になっているのでもない。たがいに一方通行でときめき合っているだけことで、他者の承認を確認することの不可能性の上にこそ豊かな「ときめき」が生まれてくる契機がある。

「好意を持たれる=承認される」ことが目的で醍醐味であるのなら、こちらからときめいてゆく必要なんかない。ときめいてゆかなくてもその目的を達成することはできる。もともと人は一方的にときめいてゆく存在なのだから、こちらがときめいてゆかなくても、ときめいてもらえることなんか不可能なことではない。そういう「承認願望」が肥大化して、自分を見せびらかすことばかりに熱心になっていったあげくに、他者にときめく心模様を失ってゆく。世の中には、そういう傾向の人間はけっこういる。内田樹なんかはその典型だし、彼のシンパだって、多くは同じ人種なのだろう。

「好意を持たれている=承認されている」などと思うな。そんなことを確認したくて人は、他者支配しようとしたり、監視したり、すがりついたり、追いかけまわしたり、必要以上になれなれしくしていったりする。そうして、あげくの果てに嫌われる。まあ嫌われなくても、「承認願望」に対する欲求不満を募らせながら、そうした傾向が肥大化してゆく。

他者の、自分に対する「好意」や「承認」など当てにするな。一方的にときめいてゆけ。それが、人としての自然というものだ。言い換えれば、他者の「一方的なときめき」を抱く人間性を利用してみずからのナルシズムを満足させようとするなんて、とても下品で卑しい根性だ。そうやって他者に好かれることばかり画策しながら、「だからあなたは嫌われる」という場合も少なくない。まあ世の中には、その画策に成功して生きている人もいれば、失敗してばかりいる人もいるし、失敗し欲求不満を募らせながら画策の仕方が上手になってゆく場合もある。



人に好かれようとして自分を見せびらかしてゆく。

原節子は、「そういう自分を卑しくすることはしたくない」といっている。それが彼女の「気品」になっていたわけだが、画策しなくてもいくらでも人に好かれときめかれる身分だからだ、といってひねくれるべきではない。画策しないから、それが「気品」となってあらわれ、多くの人の好かれときめかれたのだ。原節子がもしも画策したがりの女だったら、避けがたくそれが表情やしぐさになってあらわれるし、あれほどの大女優になったかどうかはわからない。

画策したがりのブスというのがいるのだとしたら、それはブスだから画策したがるのではなく、画策したがるその卑しさがどうしようもなくその表情やしぐさや言動にあらわれて「ブス」という印象を持たれてしまうだけのこと。

画策するというそのスケベ根性とは無縁の女は、その顔のつくりがなんであれ、それなりに「品」というものを持っている。

ともあれそういう欲望や画策が渦巻く現代社会であれば「承認願望は人間性の基礎(本質)である」などといううがった認識もとうぜん生まれてくるのだが、まあ「承認願望」なんてただの「ミーイズム」であり、現代社会の制度性によってもたらされる観念のはたらきにすぎないのであって、誰の心の底にも息づいている人間性の自然=普遍でもなんでもない。

「好かれる=承認される」ことなど当てにしないで一方的にときめいてゆけるところにこそ、人間性の自然=普遍がある。そういう「遠い憧れ」は誰の心の底にも息づいている。



世間ではよく「母に愛されているという実感を持てることによってこそ子供の心は健全に育ってゆく」などというが、そういう実感をむやみに欲しがって恨んだりしながら心が病んでゆくのであり、母親はいい迷惑だろう。そうやって母親を途方に暮れさせている場合も多い。そんな実感を欲しがり出したら、「もっと、もっと」と際限がなくなるのがつねで、そんな肥大化した欲望に付き合わねばならない義理など母親といえどもないにちがいない。

母親が人としても女としても魅力的でないことは、子供にとってそれがそのまま自分の限界を知らされるようで大いに不安になったりもするのだろうが、「母に愛されている」ことなんか鬱陶しいだけの場合も多い。そうやって、幼児期思春期の「反抗期」が起きてくる。

子供が「母の愛」を欲しがっていると、そうかんたんに決めつけられても困る。

ネアンデルタール人の母親はそれほど熱心に子育てしたわけではなく、乳児期を通過すれば集団のみんなで育てていたし、大きな子が小さな子の面倒を見るという子供だけの社会もあった。おそらくその伝統で、ヨーロッパ人の母親は、日本人の母親ほど子供にかまわない。

子供自身は、大人が思うほど「母の愛」など当てにしていない。当てにしていないほうが健全なのだ。

「承認願望」などという卑しく身勝手な欲望が人間性の自然だとはいえない。

むやみに好かれたがったり、好かれているとうぬぼれたりするなよ。その厚かましさが、人と人の関係をゆがませている。



人は、他者に愛されることを願っているのではない。他者が存在することそれ自体の輝きにときめいているだけだ。まあ、そんなひとりの「あなた」という相手と出会うことができる機会はそうそうないのかもしれないが、その体験にこそ都市生活の醍醐味がある。つまり人類は、「都市」という無際限に密集した集団の中で、そうした関係を見出していった、ということだ。

密集しすぎた集団は鬱陶しい。都市の雑踏の中では、ひとりひとりの違いがよくわからなくて、集団という塊ばかりが意識される。しかしだからこそ、その鬱陶しさから逃れて、たったひとりの「あなた」に意識の焦点が結ばれてゆく。

われわれは、都会の雑踏を歩いていても、視覚はたえずその中の「ひとりのあなた」をとらえている。そういう「一点に焦点を結んでゆく」視覚を持たなければ、雑踏の鬱陶しさに耐えられない。雑踏だからこそ「ひとりのあなた」に意識の焦点が結ばれてゆく。

まわりのみんなが同じ顔に見えたら、気味が悪くてその中にいることはできない。まわりのみんなが自分に悪意を持っているように見えるとか、まわりのみんなが自分よりも幸せであるかのように見えるとか、あるいは自分がまわりのみんなより幸せですぐれた人間であるかのように思えるとか、雑踏の中にいるとそんな不安や優越感を抱きがちだが、不安であろうと優越感だろうとそれは病理的な意識で、それでもというかそれだからこそというか、意識はたえず「ひとりのあなた」に気づきながら歩いている。そういう「一点に焦点を結んでまわりがぼやけている」という視覚を持てなければ、雑踏の中を歩くことはできない。

秋葉原通り魔事件の加藤君はおそらく、そういう「一点に焦点を結んでゆく」心の動きを失い、まわりのすべてが同じに見えてしまって、たえず緊張していなければならなくなってしまったのだろう。自分は人よりも優秀であらねばならないという強迫観念を親から植え付けられ、たえず緊張して生きてきた。優越感を持つことができる人生ならなんの問題もなかったが、どんどん持つことができない状況になってゆき、逆に人はみんな自分よりも幸せで優秀だという不安に覆われてしまった。

まあ彼ほどではないにせよ、そんな不安と優越感のはざまで生きている人は世の中にいくらでもいて、そういう強迫観念を持たせてしまう社会の構造になっている。そのあげくに、認知症鬱病やインポテンツや発達障害や引きこもり等々、いろいろややこしい社会的な病理を引き起こしている。

意識が「ひとりのあなた」に焦点を結んでゆくことの「ときめき」が持てなければ、都市では生きられない。



正しく優れた人間でありたいと願うということは、自分は正しく優れた人間であらねばならない、という強迫観念でもある。その強迫観念で社会的に成功してゆく人もいれば、加藤君のように成功が得られないままみずからの強迫観念に押しつぶされそうになりながら生きている人もいる。

「正しく優れた人間である」という自覚など、他者にそう評価されることによってはじめて成り立つのであって、自己完結できるわけではない。「承認願望」は、そういう強迫観念を抱えた人たちのもとで生成している。そうやって彼らは、自分を見せびらかすことに躍起になってゆく。

「承認願望」は、「ミーイズム」なのだ。ときめかれることさえできれば、ときめいてゆく必要なんか何もない。はげしく他者に執着しているが、ときめいてなんかいない。関心があるのはあくまで、「承認される(愛される)自分」なのだ。他人の人格なんか、こちらから勝手に決めつけているだけで、「何だろう?」と問うてゆく「ときめき=好奇心」はない。

人は、根源において「承認願望」なんか持っていない。人と人の関係は「一方通行」なのだ。「一方通行」の「ときめき」をやりとりしながら「連携」してゆく。

「承認願望」なんて、自分を見せびらかしながら他者の心を支配しようとしているだけのこと。

彼らにとって自分以外の他人なんか十把ひとからげであり、自分の分析(=支配)がおよぶ範囲の存在にすぎない。まあそうやって都市の雑踏の中で、「自分はこの中の人たちよりも正しく優れている」とうぬぼれたり、加藤君のように「みんな自分より幸せそうだ」とはげしく苛立ったりしている。彼らにとって雑踏の中の他人なんかみんな同じであり、そのように見えることの優越感もあれば、恐怖や憎しみもある。

彼らに「他者とは何か?」という問いはない。わかっているつもりでいる。そうやって雑踏の中の群衆がみんな同じ顔に見えている。つまり、ひとりの「あなた」に気づいてゆく視線を持っていない。

「ひとり=一点」に焦点を結んでゆくとは、「問う」という心の動きのこと。

たとえば、「雑踏の中のどこかから自分の悪口を語り合っている声が聞こえてくる」という「幻聴体験などは、まさに「何だろう?」と問う心の動きを失って「勝手に決めつけてしまう」はたらきが異常に昂進してしまっている状態だろう。

まあ、まわりに対して異常に警戒・緊張してしまっているから、そういう心の動きが起きる。まわりの他者のことがわかっているつもりだから、警戒し緊張する。

都市の雑踏は、知らない人ばかりだ。その人たちの心の動きも人生も人格もわかるはずがないのに、わかったつもりになってゆく。そうやって彼らは、優越感を抱いたり憎しみや怒りを募らせたりしている。



無防備にならなければ、都市の雑踏の中を歩くことはできない。まあ、誰もが無防備になっているのが都市の雑踏なのだ。人は人間性の自然としてそういう心の動きを持っているから都市の雑踏が成り立っているのであり、そういう心の動きとともに人類史において都市が生まれてきた。

原初の人類が二本の足で立ち上がったことは、他者に対して無防備になってゆく体験だった。それは、きわめて不安定で、しかも胸・腹・性器等の急所を外にさらして、攻撃されたらひとたまりもない姿勢だった。それでも彼らは立ち上がった。そのとき誰もが無防備になりながら立ち上がっていったわけで、原初のその体験それ自体がすでに「都市の雑踏の発生」だったともいえる。

人は、人間性の自然として、世界や他者に対する無防備な心を持っている。それがなければ、この無際限に膨らんだ都市という生活空間は成り立たない。

無防備な状態のとき、視覚=意識が一点に焦点を結んで、そのまわりはぼやけて見えている。ぼやけて見えているから無防備になれるのだ。

目の前の「あなた」という「一点」に焦点を結んで、まわりの世界はぼやけてしまっている。恋であれ友情であれ親子の情であれ、人と人の関係の基礎はそのようにして成り立っている。それが人の心の自然なのだ。だからブスとブオトコのあいだにこの世のもっとも美しい恋が成り立っていたりするし、生きられない弱いものである障害者をけんめいに介護していったりもする。

都市は、たくさんの人と知り合う場ではなく、たくさんの人がいるからこそ、まわりの世界がぼやけてひとりの「あなた」に気づいてゆく体験がもっともラディカルに起きる場なのだ。その体験なしに都市の暮らしは成り立たない。

秋葉原事件の加藤君は、東京に出てきてそういう体験ができなかった。もう、まわりの世界に警戒し緊張しまくって、ひとりの「あなた」が見えなくなってしまっていた。

まあ、人に好かれようとしたり人に対する優越感を持とうとしたりするのは、まわりの世界に対する警戒や緊張で生きているからで、そんな傾向の人間は今どきごまんといる。そうやって彼らは、「ひとりのあなた」に気づきときめいてゆく心模様をしだいに失いながら、認知症やインポテンツになったりしている。そんな傾向が強いからかえって人に嫌われたり、もともと人に好かれる体験が貧弱な生き方しかしてこなかったからそんな傾向が旺盛になっていったりする。

こういう事件が起きるたびに「親の愛情に飢えていた」などという分析がまことしやかに語られる。しかし人は、その人間性の自然において、愛情なんか欲しがっていない。愛情を欲しがるなんて、病気だ。そんなスケベ根性なんか持つなよ。人の心の自然は、もっと無防備に一方的にときめいてゆく。世の凡庸なインテリたちがそんな愚にもつかない分析をしたがるのは、愛情を欲しがるみずからの俗物根性を正当化したいからだ。そうやって自分を物差しにして語ろうとするなよ。

人間性の自然は、「自分」の外にある。自分が無防備に他愛なくときめいてゆくことができる「あなた」のもとにある。

加藤君は、人にときめいてゆくことができなくなっていたのであり、彼の親はたっぷり愛情を注いでいたけど、彼が無防備にたあいなくときめいてゆくことができる対象ではなかったところに問題があるのだろう。

人の心は、他者の愛情に気づくのではなく、他者の「セックスアピール=人間的な魅力」に気づきときめいてゆくだけだ。そしてその「セックスアピール=人間的な魅力」の根源=本質は、「生きられない弱いもの」として存在していることにある。生きる能力があろうとあるまいと、「生きられない弱いもの」として「何だろう?」と問うてゆくところに人間性の自然があるのであって、「生きる能力を持った神のような存在」として何もかも「わかっている」つもりになってゆくことにあるのではない。人は、「わかっている」つもりになって心を病むのであり、その知性や感性が停滞し衰弱してゆくのだ。加藤君は、その「わかっている」つもりになってしまう心の動きを親から引き継いでしまった。それはまあ現代社会の一般的な傾向であるのだが、加藤君の親においてはとびきり極端だった。

たとえ親子であろうと、他人が自分のことを好きになろうと嫌いになろうと、そんなことは他人の勝手であり、そんなことはわからないし、そんなことを当てにしているのでもない。親の愛情に飢えている赤ん坊などいない。愛情なんか知らない。彼らはみな、他愛なく一方的にときめいてゆく。子供が親にときめくことができるかどうかということは、愛情の問題ではなく、親に「セックスアピール=人間的な魅力」があるかどうかということであり、そういうところを子供から見られているのだ。ふつうの子供は、自分が親に愛されているかどうかということなど心配していない。

まあ、親の「セックスアピール=人間的な魅力」は「微笑み」にある。幼い加藤君が親に気に入られる存在になろうとしたのは、親の愛情が欲しかったというより親の「微笑み」が見たかったからであり、親のその過剰な愛情にはうんざりしていたのではないだろうか。

意識は一点に焦点を結んでまわりの世界はぼやけている。そうやって人の心は無防備になって「ひとりのあなた」にときめいてゆく。無防備にならなければ、都市の雑踏の中を歩くことはできない。

加藤君は、都市の雑踏の中を歩くことができなくなっていた。


2016-06-17 都市の起源(その二十九)・ネアンデルタール人論180

その二十九・農業都市の起源


都市とは、たくさんの人が集まってきている場所のこと。そんな場所が住みやすいかといえば、基本的には住みにくいに決まっている。いろいろ鬱陶しいことや困ることがついてまわる。現在の都市は金さえあれば快適に暮らせる場所だろうが、遠い昔の起源の時代にそんな環境があったはずもない。それでも人類は、そんな住みにくさを厭わずに、無際限に集団を膨らませていった。まるで住みにくさそれ自体が住み着いてゆく理由だといわんばかりに。とにかく、そうやって地球の隅々まで拡散していったのだ。

人類は、住みにくさを厭わないというか、住みにくさを契機にして心が華やいでゆき、さまざまな文化のイノベーションを生み出してきた。

多くの生きものにとって群れが限度を超えて密集してしまうことは、そのまま生存危機を意味する。食糧が足りなくなることはもちろん、猿の群れでも、密集しすぎれば、その鬱陶しさでヒステリー状態に陥る。だから彼らは、余分な個体は群れから追い出して増えすぎないように調節している。

まあ、ボスが君臨統率できる限度というものがあるし、増えすぎればボスの座の争いが頻繁になって、たえずボスの交代が起きてきたりもする。

人類が猿としての限度を超えて集団を膨らませてくることができたのは、その「生きられなさ」それ自体を生きようとするメンタリティを持っていたからで、それこそが直立二足歩行の起源の体験だった。それは、誰もが「生きられない弱いもの」になる体験だったのであり、そこかから心が華やぎ、誰もが他者にときめき他者を生かそうとする「連携」の関係が生まれてきた。

人間的な「連携」は、強いものが弱いものを助けてやることではなく、弱いものどうしが「もう死んでもいい」という勢いで相手生かそうとしてゆくことにある。そうやって人類は、「生きられなさ」それ自体を生きる歴史を歩んできた。人類にとって「生きられなさを生きる」ことは心が華やいでゆく体験であり、二本の足で立ち上がることによってそういう心の動きをする存在になっていった。このことが、人類の知能を進化発展させてきた。

まあ、「生きられなさを生きる」存在だからこそ、生き延びることが価値であるかのような観念も生まれてくる。しかし、生き延びることができるにせよできないにせよ、生き延びることに価値を置いてその「幸せ」というようなものに執着・耽溺してゆくことは、心が華やいでゆくことすなわち人間的な知性や感性の停滞・衰弱をもたらす事態にもなる。



人類は、生き延びるために大きな集団をつくっていったのではない。もう死んでもいいという勢いでそこに飛び込んでゆくことによって心が華やぎ、そうした集団のお祭り騒ぎを生み出していった。そこから知性や感性とともに人間的な「連携」の関係も進化発展してきた。

人類は、人がどこからともなく集まってくるお祭り騒ぎを無限に繰り返しながら、地球の隅々まで拡散してゆき、やがて「都市」が生まれてきた。

拡散してゆくことはより住みにくい土地に住み着いてゆくことだったのであり、「生きられなさを生きる」生態が進化発展してゆく歴史でもあった。際限なく人口が膨らんだ人類史の「都市」は、そういう生態の上に生まれてきた。

氷河期明けの1万年前ころに生まれた人類最初の都市が、住みやすいところであったはずがない。それは拡散の通り道であるエジプト・メソポタミア地方から生まれてきたのだが、それだって人類が北の果てまで拡散していったことによって獲得した「生きられない弱いものを生きさせる文化」の上に実現していったことに違いない。

数万年前以前の原始時代において、その文化生態は、拡散の果てに氷河期の北ヨーロッパにたどり着き住み着いていたネアンデルタール人がもっとも豊かにそなえていた。そしてそれは、やがて世界中に伝播していった。人類の文化生態と遺伝子は、いずれは世界中に伝播してゆく。人は、そういう生きものなのだ。「拡散」の生態はもう本能のようなものであり、すべての集落が周囲の集落と血や文化の交換をしており、命のはたらきを活性化させる遺伝子普遍性を持った文化は、必ず広がってゆく。

人が旅をしたのではなく、遺伝子や文化が集落から集落へと手渡されながら旅をしていったのだ。

そうして氷河期明けは人類の定住生活が本格化してきた時代だったのであり、移動の距離はさらに短くなっていた。ただ、定住生活の停滞に倦んだ人々が近在からあるひとつの場所に集まってくるということはとうぜん起きてくるわけで、そこで繰り広げられる「祭りの賑わいに引き寄せられてさらに人が集まってきて、やがてその周辺がさらに人口過密な新たな定住場所になってゆく。そうやって「都市」が生まれてきた。



「都市」は、「祭りの場」として生まれてきた。そこで農業をするために人が集まってきたのではない。人が集まってきた「結果」として農業をいとなむようになっていったのだ。

豊作を祈願して祭りが生まれてきたのではない。「祭りの場」を大切に維持してゆくためにというか、そこから離れたくなくてその周辺に住み着き農業をするようになっていっただけのこと。「祭りの場」が人々を定住させ、農業を覚えさせていった。

定住すれば、人の心は、季節や植物の生成の循環と親密に向き合うようになってゆく。そうやって農業が生まれてきた。それによってたくさんの人々の食料をまかなうことができたとしても、それが「目的」だったのではない。

農業をするために人をたくさん集めるなどということは、農業が本格化してきた時代の話であって、農業が生まれる前から農業を知っていたなどということは、論理的に成り立たない。

起源としての農業は、たんなる「遊び」だった。そしてそれがエスカレートしてみんなで土を耕し種をまいて水をやりみんなで収穫するようになってきたときはもう、それ自体がひとつの「祭り」だったのであり、その一連の作業の中でさまざまな「連携」の「ときめき」が体験されていった。それは、「祭りの賑わい」だったのであって、生き延びるために農業をはじめたなどということは論理的に成り立たないのだ。「結果」としてみんなの食料をまかなうことができるようになっただけのことで、それを「目的」にしたのではない。

たとえば、日本列島の稲作など、起源のころは、苦労のわりに収穫量が不安定だったり、とてもそれだけでみんなの食料を常時まかなえるというようなものではなかった。日本人が米を一年中食えるようになったのはつい最近のことで、昔は稗とか粟とかも食っていたし、古代以前においては、権力者はともかく民衆にとっては、あくまで「祭り」のときだけの食い物だったのだ。それでもみんな、米作りに夢中になっていった。「生き延びる」ためだったのではない。そこに「もう死んでもいい」という勢いの「連携のときめき」や「祭りの賑わい」があったからだ。

人類の農業は「遊び=祭り」としてはじまったのであって、一般的にいわれているような「生き延びるための食糧戦略」などという「目的」があったのではない。たまたまそういう「結果」をもたらした、というだけのこと。

農業をするために人が集まってきたのではない、人が集まってきたことの「結果」として農業を覚えていっただけのこと。みんなで農業をすることには「祭りの賑わい」があったわけで、そこにこそ農業の起源の契機があった。

人は根源において、生き延びようとする「目的=欲望」があって生きているのではない。「世界の輝き」にときめきながら生きているだけのことで、ときめきを失えば、心のはたらきも命のはたらきも衰弱してゆく。

われわれが歴史について考えるとき、「結果」でしかないことを「目的」であったかのように決めつけてしまう過ちを少なからず犯してしまっているのではないだろうか。「そんなの変だよ」「違うだろう」といいたいことがいっぱいある。

まあこのブログは、そういう異議申し立ての場として書いているわけで、書いても書いてもきりがない。