ネアンデルタール人は、ほんとうに滅んだのか

2017-03-28 荒ぶるピエロは嘆きかなしむ・神道と天皇(18)

森友学園の教育方針は、子供に「神ながらの道」を身につけさせることにあるのだとか。ただのこずるい世渡り上手が「神ながらの道」のなんたるかもよく知りもしないくせに正義ぶっちゃって、いい気なものだし、今ごろになってスサノヲのような「荒ぶるピエロ」を大騒ぎして演じてみせたりして、それはそれで古事記みたいな「神ながらの道」かもしれないが、まあかわいそうな人だ。

「かわいそう」という言葉には、ときに「幻滅」のニュアンスが含まれている。「ろくでもない」とか「くだらない」とか。

そういう意味でかわいそうな人間とは、ときめく心を失うのと引き換えに上手に生きている世間の大人たちのことであって、生きられなさを生きて途方に暮れている身体障害者を指していうのではないと思える。

まあ身体障害者だって、大人になればいろいろ知恵がついてきて上手に生きている人もいるのかもしれないが、重度の障害を持った子供はもう誰かの助けなしでは生きられないし、自分には生きる権利があるなどという小賢しい知恵もついていない。

障害があるということは、人として正しい存在ではない、ということを意味する。なんのかのといっても世間はそう見ているし、当人だって避けがたくそういう思いになってしまう。

しかし、この世に「人として正しい存在」などいるのだろうか、正しいとか正しくないとか、やめてくれよと思うし、自分のことを勝手にそう思い込んで生きているのがいちばん始末にわるい。

自分は正しい存在であるとか正しい存在であらねばならないという思い込みが強いものほど、いざネガティブな状態に陥ったときに、激しく自己嫌悪とか自己憐憫に責め苛まれることになって心を病んだり、歳を取って痴呆症になったりもする。自分の正しさを守ろうとして、あるいは正しくないかもしれないという不安から逃れようとして、はた迷惑な人間になってゆく。

正しい人を尊敬するということは、自分の正しさを認めない相手を恨んだり憎んだりするということでもある。そういう「尊敬する心」なんか、美しくもなんともない。自分の正しさに執着しているだけの、ただの暑苦しい自己愛にすぎない。

正しさを尊敬するなんて、下品で通俗的だ。そうやって人を正しいか正しくないかと裁くことばかりしている。

正しさなんかその人の魅力とは別のことだし、その魅力に気づいてときめいてゆけばいいだけのことさ。

しかし因果なことに、正しさに執着する人間ほど、人の魅力に気づいてゆく感受性を失っている。

この世のもっとも正しい存在は「神」である。自分の生の正当性に執着して生きていれば、いつかきっと「神」を信じるところにたどり着く。それはとても下品で通俗的で「かわいそう」な生き方で、すでにこの世界の輝きにときめいてゆく心映えを失っているし、どんなにその正しさや上手な生き方を自慢しても、自分が思うほど魅力的な人間であり得ているわけでもない。どんなに自分の正しさややさしさをつくろって生きていても、いざというときにその醜さや下品さの本性があらわれてしまうし、つくろいきれなくなって心を病んだり呆けてしまったりする。

自分が正しく生きているつもりでいるなんて、ほんとにうさんくさい。

神がこの世界をつくったというのなら、神ほど作為的な存在もない。彼らは、その「作為」を尊敬し崇拝している。自分の中に神との関係を築き、その「作為」を見習ってどんなに生き延びる能力を得たとしても、作為的にしか生きられないなんてしんどいだろうし、そのぶん鈍感になってしまっているのだし、「かわいそう」な人たちだ。

それに対してこの世の生きられなさを生きているものたちは、そんな能力を持つことからすでに見放されてしまっている。しかし人の心はそこから華やぎときめいてゆくのであり、生きられなさを生きることの尊厳というのはたしかにある。そうやって人類は「悲劇」を愛する歴史を歩んできたわけで、「泣く」ことは人類特有の生態だともいえる。

人は「泣ける話」が好きだし、泣くことが深く豊かにときめく体験にもなっている。

上手に生きていつも上機嫌でいるなんて、人としての深みや豊かさに欠けているということであり、それは、嘆きかなしむことに耐えられないという強迫観念のあらわれでもある。

深く豊かに嘆きかなしむことを知っているものこそが、深く豊かにときめくことができるのだ。

生きられないこの世のもっとも弱いものたちは、生きることなんてしょうもないことだと嘆きかなしみながら生きている。そのことをそのまま受け入れることができるのなら、心はそこから華やぎときめいてゆく。人は泣ける話が好きだという普遍的な事実は、人の心のそういう構造の上に成り立っている。

正しく上機嫌で生きるためには、きっと宗教が有効なのだろう。しかしそれはネガティブな感情を持つことに耐えられないという強迫観念を肥大化させることにもなり、そうやって生きている人ほどあんがい人に対する警戒心や憎しみを強く抱いていたりする。抱いているから宗教にすがる、ということだろうか。だから宗教者は戦争をしたがる。

世の中や人に対する警戒心や憎しみが強いと、知性や感性はどんどん停滞・衰弱してゆく。知能と知性や感性とはまた別のもので、現代人の知能は発達しているが、知性や感性は古代人のほうが豊かだった。そしてそれは現代の大人と若者との対比にもいえることで、大人は人や世界に対する反応や好奇心が鈍い。そうやって多くの大人たちがインポテンツになってゆく。それは、知性や感性の問題でもあるのだ。彼らには、生き延びるための知識処世術としての知能だけがあって、世界や人に対する好奇心や反応としての知性や感性がない。大人たちは自分やこの生に執着し、若者たちは自分やこの生を忘れてときめいてゆく。

大人たちは、その警戒心ゆえに社会や人を吟味し裁いてゆく。それはとても宗教的な心で、意識しようとしまいと、無意識のところで自分の中に神との関係を持っており、それを物差しにして社会や人を吟味し裁いてゆく。

むやみに他人を裁きたがるのは、自分の中に神との関係を持ってしまっているからだ。そうやって、自分は正しく生きていると思い込む。他人を裁くことによって、自分の正しさを確認する。


聖書は神が人間を裁く物語だが、古事記の上巻は神だけの話になっている。そして、神武天皇が登場する中巻以降は、人間を神のように描いている。日本列島の古代人は、自分(=人間)と神との関係をうまくイメージできなかった。もともと神を知らない民族だったのだから、イメージしようがなかったのだろう。

一神教は、神と自分(=人間)との関係を語る。

多神教は、神と神の関係を語る。

一神教の神は、人間を裁く。それは、人が人を裁くための規範というかよりどころとして生まれてきた。それに対して多神教は、人が人を裁くという習俗が未発達な社会から生まれてきた。そこでの「裁く」という行為は、神の世界だけで起きていることとしてイメージされている。古事記だけでなく、ギリシャ神話だってそうだろう。で、どちらが先に生まれてきたかといえば、一神教なのだ。

人類の歴史は、人が人を裁くということを覚えたことによって、宗教が生まれてきた。際限なく集団がふくらんでいった古代メソポタミアの都市国家ではもう、人が人を憎むとか、人が人を支配し干渉するとか、さまざまな混乱が起きて、人が人を裁くということをしなければ集団運営が成り立たなかった。そして人が人を裁くためには、世界(=宇宙)の構造原理を説明することができなければならない。そうやって「神」という概念が生まれてきた。

5〜6千年前のメソポタミアの都市国家では、「神が世界をつくった」と考えた。つまり、神をヒエラルキーの頂点にした世界をイメージすることによって社会の秩序をつくろうとしていった。

それに対して多神教の社会では、「世界はおのずからなった」という考えが基礎になっており、そこから「神」という概念が生まれてくることは論理的にありえない。したがって、人類の歴史は多神教が先にあったということもまた、ありえない。多神教は、文明の地の「神」という概念を輸入することによって生まれてきた。そしてそこでは、「神が世界をつくった」という発想も「神は人を裁く」という発想もできなかったら、「神が神を裁く」というかたちになるしかなかった。つまり、人間社会のヒエラルキーがなく、人が人を裁く必要もなかったから、神の世界だけのこととしてイメージするしかなかった。古代のギリシャやローマだって最初はそういう未開社会だったのであり、その多神教は、たぶんメソポタミアの一神教(たとえば原始的なユダヤ教)が伝播してきて生まれたものだった。

古代ギリシャの市民社会は、神を頂点にしたヒエラルキー持った世界観の一神教を必要としなかった。アポロンという最高神はもう、神の世界の中だけでしか成り立たなかったし、そこからアポロンだけが神だという一神教になってゆくことはありえない。ギリシャ人が一神教になるためにはキリスト教徒になるしかなかったのであり、多神教が発展して一神教になってゆくことなどありえないのだ。

人類史の宗教は、一神教として生まれてきた。一神教においては神はひとつだけなのだから、ほかの地域も同じ神でないと自分たちの信仰が成り立たなくなるわけで、必然的伝播してゆこうとする衝動というか運動性を持っている。世界宗教といったってそういう成り立ちの問題であって、べつに宗教として高度だとかすぐれているとかというわけではない。

一方多神教は伝播してゆく必要もないから、言葉と同じように地域ごとの風土に合わせて違うかたちになっている。多神教こそ、一神教を進化発展させたものだともいえる。

人類は、人が人を支配したり裁いたりすることに目覚めて宗教を生み出した。それは一神教として生まれてきたのであり、一神教でなければ、人が人を支配したり裁いたりすることに有効な機能にはなりえない。

人が人を支配したり裁いたりするためのよりどころとして「神」という存在をイメージしてゆくことは可能だが、自然の森羅万象に対する畏れから神をイメージしてゆくことはできない。なぜなら、自然を畏れるということは、自然よりも上位の存在はないと思っていることを意味するのであり、自然をつくった自然よりも上位の存在があると思うのなら、その畏れや親密さはその存在に向けられて、自然そのものに対する畏れや親密さはあまり深く湧いてこない。いいかえれば、人は神という存在を知ったことによって、自然を支配しようとし、純粋率直な畏れや親密さが希薄になっていった。

自然に対する畏れから神のイメージが生まれてきた、と解釈することは、自然そのものを神だといっているのと同じであり、そこから自然をつくった存在としての神をイメージしてゆくことはできない。つまり、自然そのものを神だとイメージしてゆくことはすでに「神」という概念を知っていなければできないことであり、それは古代の日本列島やギリシャのように神という概念を輸入した地域からしか生まれてこない。そこでは自然をつくった存在をイメージできないから、その代わりに自然そのものを神としてイメージしていった。

自然の中に神が宿っているということは、神が自然をつくったのではない、といっているのと同じなのだ。そこでどうしても「神が自然をつくった」ということにしようとして、自然の中の「霊魂」が神の形代(=代理)として自然をつくり支配している、というつじつま合わせをするようになってきた。

霊魂」という概念を知っているものが霊魂をイメージすることなんかかんたんだが、それを知らない古代以前の人間が「自然に対する畏れ」だけでそれをイメージしてゆくことはほとんど不可能なのだ。自然そのものを神だと思うことはできても、自然の中に神の形代としての「霊魂」が宿っていると思うことはできない。自然そのものを神だと思ってしまったら、そこが思考の行き止まりなのだからもう、「自然をつくった神」など思いようがない。

ギリシャ神話の古代ギリシャ人も、古事記の物語をつくった日本列島の古代人も、「自然をつくった神」など思い浮かべなかった。

古事記の書き出しは、「神が自然=世界をつくった」という話にはなっていない。神は、自然=世界が生まれてくる「きっかけ」になっただけだ。はじめに「浮脂(うきあぶら)」のようなものが世界に漂っていて、それが天に向かって浮かび上がってゆく「きっかけ=気配」としてそれに覆い被さっていった、という。このあたりの語り口は、神を知らない民族がイメージする神の話として、きわめてアクロバティックだ。もともと神を知らないから、そういうアクロバティックな発想をしなければならない。

日本列島の住民の頭の中には、「神と自分との関係」というものがない。神はあくまで「隠れている」のだ。だから「人が人を裁く」ことが上手くできない。それをするための「神というお手本(¬=規範)」を持っていない。現代人は、そういうことをひとまず西洋から学んで身につけてはいるが、おおむねたいていのことが「うやむや」になってしまうのがこの国の歴史の流れだ。この国では、むやみに人を裁きたがる人間は嫌われるし、個人が責任を自覚するということもあまりしない。神と自分との関係がないから、どうしてもそうなってしまう。

われわれは、神は大好きだが、神との関係は持っていない。神は「遠い憧れ」の対象であり、まあそういうタッチで神社の「祝詞」が奏上されてきた。

「神ながらの(=神の御心のままに生きる)道」といっても、神の心なんかよくわからないし、古事記で語られている神はべつに、お手本になるような生き方をしていない。どの神もなりゆきまかせに生きていただけだ。いいも悪いもない。「神ながらの道」というなら、なりゆきまかせでテキトーに生きることかもしれない。そのあげくに途方に暮れながら嘆きかなしむ、それが「神ながらの道」かもしれない。

現代社会を生きることは、嘆きかなしむことができる清純さを持っていればそれでよいというわけにもゆかないが、そういう部分もないと、世界や人は輝いて立ちあらわれてこない。世界や人を警戒しながらどんなに生き延びる能力を獲得していったとしても、それだけでは人間的な知性も感性も停滞・衰弱してゆく。

現代社会においては、知識人のところからすでに停滞・衰弱が起きている。

この生は、嘆きかなしむ対象であって、賛美するべき対象であるのではない。それが、宗教=神を知らない民族のこの生の流儀というか「神ながらの道」なのだ。


2017-03-26 神がいない・神道と天皇(17)

本居宣長は、「古事記を読むことは『古語のふり(姿)』に推参することだ」といった。

たしかに『古事記伝』からやまとことばについて学ぶことはたくさんあるが、「まだ不満だ」という感想も拭いきれない。あの手放しの「神道オタク」ぶりに対する抵抗もないわけではないが、それ以前に「やまとことば」に対する認識のレベルにおいて、いまいちのもどかしさがある。

古語の現代語訳をするということは、それぞれの言葉にひとつの意味を付与してゆくことになるわけだが、古代人は、言葉に対してひとつの意味に限定してしまうような扱い方はしていなかった。現代社会における言葉は何はともあれ「伝達の道具」になっているから、意味はできるだけ限定した方が便利に扱える。しかし古代人が言葉を交し合うことは「ことだまの咲きはふ」ことだったのであり、ひとつの言葉からさまざまな意味というかニュアンスを汲み上げてゆくことにあった。

「ことだま」というと、現在の歴史家は安直に「言葉の霊魂」と訳してしまうわけだが、そうじゃない。もともとは、言葉に宿る「もうひとつの意味」とか「裏の意味」というようなことをいっていたのだ。つまり「暗喩(メタファー)」ということ。古代人が語らうことは「暗喩(メタファー)が咲きはふ」ことだったのだ。古代の言葉は、現代よりももっと豊かに「暗喩(メタファー)」が機能していた。これはもう、言語学の常識のようなことだろう。

現代人が「彼は猿のようだ」というとすれば、古代人は「彼は猿だ」という。現代人が「猿のようにすばしっこい」というのに対して、古代においては「さる」という言葉そのものに「すばしっこい」という意味が宿っていた。

「去る」という動詞と「猿」という名詞のどちらが先にあったかといえば、おそらく前者が先で、「さる」という言葉に「すばしっこい」とか「ふざける」というようなニュアンスが含まれるようになってきたあとに「さる=猿」という名詞が生まれてきた。したがって、その名詞が生まれてきたとき、人々は、そこに「すばしっこい」とか「ふざける」とか「離れてゆく」という重層的な意味が宿っていることを認識していた。そういう認識がなければ、「猿=さる」という名詞は生まれてこない。

古代人は、ひとつの言葉をひとつの意味に限定して扱うのではなく、その言葉の「なんとなくの感じ」というあれこれのニュアンスを汲み上げていた。だからそれは「猿」でも「去る」でも「すばしっこい」でも「ふざける」でもよかった。

言葉の本質は「なんとなくの感じ」にあるのであって、「限定された意味」にあるのではない。時代を経るにしたがって「限定された意味」で使われるようになっていっただけなのだ。

その言葉=音声に宿っている「なんとなくの感じ=気配=姿」を問うことが、「古語のふり」に推参してゆくことだ。

ひとつの言葉にいろんな意味が重層的に宿っていったのが、言葉の起源の時代なのだ。言葉の意味作用は、現代よりも古代以前のほうがずっと複雑だったし、人々はそれを複雑なまま使いまわしていた。それを「ことだまの咲きはふ」という。

というわけで、本居宣長でさえ、言葉の意味を限定的に解釈してしまいがちなところがあって、『古事記伝』といえどもそういう限界を抱えてしまっている。

たとえば本居宣長のように「産巣日(むすび)」の神の「むすび=むすぶ」を「生まれ出る」という意味に限定して解釈してしまうと、古代人のその神に対する命名の意図を正確に説明しているとはいえない。「蒸す」とか「結ぶ」という言葉は、「生まれ出る」という意味では解釈しきれない。それらの言葉は「覆い被さる」という意味を共有しているわけで、「産巣日(むすび)」の神という命名の意図も、おそらくそこにこそある。それは、天地のはじめにひとつの「覆い被さる=気配」として現れ出た神だった。そこのところを考えないと、古代人の「天地のはじめ」に対するイメージそのものも見失ってしまう。

「むすび」=「生まれ出る」という解釈では、安直すぎるのだ。そのレベルでは、江戸時代の「神道オタク」の勝手な思い入れにすぎないのであり、「古語のふり」に推参できているとはいえない。


古事記の書き出しにおける「アメノミナカヌシノカミ」の登場から「国生み」をしたという「イザナギイザナミ」の登場までの描写は、ただ17の神の名を列挙しているだけで、普通の本の1ページ分くらいにすぎないのだが、本居宣長はこれを一冊の本にして注釈を加えている。ここが最重要で、「古事記神道」における世界観の本質はこれらの17の神の名称に凝縮されている、と彼は考えたらしい。きっとそうだろう。この思考態度の誠実さとしつこさは尊敬に値する。

というわけでこのブログも、それを見習って次に進みたい。そこに表現されている「古語のふり」を問うことによって、古代以前の日本列島に神=宗教なんか存在しなかったのだということを証明してゆきたい。

それは、神を知らない民族が神について思考・想像していった物語であり、安直にそれ以前の縄文時代や弥生時代にアニミズムが機能していたと決めつけてもらいたくないのだ。

前回引用した古事記の書き出しは、このように続いてゆく。


次に国稚(わか)く浮脂(うきあぶら)のごとくにして、くらげなすただよへる時に、葦牙(あしかび)のごとく萌え騰(あが)る物に因(よ)りて成りませる神の名は、宇麻志阿斯伽備比古遅神(ウマシアシカビヒコヂノカミ)。次に天之常立神(アマノトコタチノカミ)。この二柱の神もまた独神(ひとりがみ)に成りまして、身を隠したまひき。


「うきあぶらのごとくしてくらげなすただよへる」とは、水に浮かんだ油のようにたくさんの丸い泡粒が散らばって漂っているようすのこと。

この場合の「くらげ」は、海の生物のクラゲのことではない。

「く」は「組む」の「く」、「複雑」「困難」の語義。「ら」は、「われら」「彼ら」の「ら」、「集合」の語義。「暗い」とは、「何も見えなくてわけがわからない」こと。もともとは「よるべなく」とか「混沌として」というようなことを「くらげなす」といったのだろう。海の「クラゲ」という名詞はそのあとに生まれてきた。現代人は、「くらげ」といえばもう海のクラゲのことを思い浮かべるだけだが、古代人はその言葉から、海のクラゲだけでなく「よるべなき」とか「混沌として」というニュアンスも汲み上げていた。

「古語のふり」について考えるとき、このことは重要だ。古代人は、あらかじめ「この言葉はこういう意味だ」という前提を決めて言葉を扱っていたのではなく、そのつどの「なりゆき」で、ひとつの言葉にさまざまな「意味=ニュアンス」付け加えていった。なぜなら言葉の意味は、「神」によってすでに決定されているものではないからだ。言葉であろうと人生だろうと未来の時間だろうと、この世の森羅万象において「すでに決定されているものなど何もない」というのが、宗教を持たない民族の世界観だった。

いいかえれば「すでに決定されているもの」に頼って生きてゆこうとするのが宗教で、宗教者は、「未来のことは何もわからない」という「なりゆき」のままに生きてゆくことはできない。彼らは、「死んだら天国に行く」ということが約束されていないと生きられない。

まあ現代人の多くは、知識処世術など、すでに決定されているものにすがって生きてゆこうとする傾向がある。それは、とても「宗教的」だ。

「葦牙(あしかび)のごとく萌え騰(あが)る物に因(よ)りて成りませる神」というとき、その神は「葦牙(あしかび)のごとく萌え騰(あが)る物」それ自体であって、それをつくったのではない。しかしだからこそ、それがやがて「天つ国」になってゆくことができる。神が「天つ国」をつくったのなら、最初から「天つ国」になっていなければならないのであり、だんだん「天つ国」になってゆく過程=なりゆきなど思いめぐらす必要はない。

だから(原理主義の)キリスト教徒は、「進化論」を受け入れることができない。

「葦牙(あしかび)」とはイネ科の植物の穂先のことをいうらしいのだが、そのあとに「萌え騰(あが)る物」といっているのだから、それはいわば、「さきがけ」の気配を持った神、ということになるのだろうか。ひとまず「天」の位置は定まったが、まだ出来上がってゆく過程にすら入っていない。過程に入ってゆく「気配」が現れてきた、といっているのだ。


で、「宇麻志阿斯訶備比古遅神(ウマシアシカビヒコヂノカミ)」の「うまし」は一般的に「美称」ということになっているが、ただ「美しい」とか「みごとだ」といっているだけとも思えない。ここでの命名は「神の性格」を語っているのであって、べつに神を賛美しているのではない。神が「美しい」とうぬぼれているわけでもないし、人間のがわがそんなふうに吟味裁定してゆくのは失礼というものだろう。どうしてこんなよけいな飾り言葉を被せたのかと不思議に思えるのだが、じつはよけいではないのだ。

「う」は、「うっ」と息が詰まるような音声。「生む」「産む」「打つ」「浮く」の「う」、ときめくにせよ驚くにせよ窮するにせよ、その場に立ち止っているところから起きてくる現象や感慨をあらわしている。

「ま」は「まったり」の「ま」、「充足」「安定」「成熟」の語義。

「し」は、「シーンと静か」の「し」、「静寂」「孤独」「固有性」の語義。

この場合の「うまし」は、「そこに機が熟する気配が生まれている」というようなニュアンスをあらわしているのであって、おそらくただの「美称」ではない。

「うまし」とは「機が熟する」ということ。

「あしかび」は「さきがけ」。

そして「ひこぢ」の「ひこ」は「男」のことだと宣長も定石通り説明しているのだが、この段階では男も女もないのであり、もっと別の意味合いがあるはずで、「ひこ」ではなく、あくまで「ひこぢ」なのだ。「くらげなす」が「海のクラゲ」のことをいっているわけではないのと同じように、「ひこ=男」という安直な図式で解釈してしまうべきではない。

「ひ」は「ひっそり」の「ひ」、「秘密」「秘匿」の語義。「火」は、夜の闇に「秘匿」されてある。

「こ」は「越す」「濾す」「凝る」の「こ」、「現れ出る」こと。

「ひこ」とは、「内に秘めたものが現れ出る」こと。そういう「凛々しさ」に対する想いを込めて男の子の名前に「彦=ひこ」をつける。

「ぢ=ち」もまた、「現れ出る」というニュアンスがある。「ちっ!」と舌打ちして、腹立たしさが現れ出る。「血」は、体の表面に「にじみ出る」「ほとばしり出る」もの。この場合の「遅=ぢ」は、その字義が示すように、「ゆっくりひそやかに現れ出る」ことを表現している。

「宇麻志阿斯訶備比古遅神(ウマシアシカビヒコヂノカミ)」とは、「機が熟したさきがけの気配とともに静かにゆっくりと現れ出た神」ということだろうか。

浮脂の表面に、何やら萌えあがる「きざし」が生まれてきた。「葦牙のごとく萌え騰(あが)る物に因(よ)りて成りませる」とは、「萌え騰る気配」が生まれてきたといっているのであって、「萌え騰っていった」とはいっていない。ここでの「物」は、「気配」を意味している。

日本列島では、一月二月のいちばん寒いときに「初春(はつはる)」という。いちばん寒い冬だからこそ、ほんの小さなことにも「春の気配」が見出される。ここまで寒くなればもう、これ以上寒くなることはない。草木や虫だって、それを感じてうごめきはじめる。「機が熟する」とはそういうことであり、何かに感動する(ときめく)という契機がなければ「はじまり」は生まれてこない。ワクワクして、いてもたってもいられなくなって、動きはじめる。その「気配」のことを「初(はつ)」という。「初(はつ)」は「果つ(はつ)」でもあり、もうこれで終わりということは、これから何かがはじまるということでもある。べつにはじまっているわけでもないが、「初(はつ)」という

とにかくまあ、ここまでは「天地未成」の混沌のさなかであり、しかしこの「さきがけ=きざし」の気配にうながされて「天之常立神(アメノトコタチノカミ)」が現れてきた。


天の存在をあらわす「天之常立神」が現れることによって、その「葦牙(あしかび)」のようなものは天に向かって浮かび上がってゆくことができる。その神の名は、「浮かび上がってゆく準備が整った」ということをあらわしている。

その神は、ここが天である、ということを定めた。

「とこたち」の「とこ」は「今ここ」、「今ここが世界のすべてである」という感慨から「とこ」というやまとことばが生まれてきた。「と」は「止まる」「泊まる」「留まる」の「と」、「停止」「完結」の語義。「こ」は「凝る」「濾す」の「こ」、「出現」すなわち「今」をあらわしている。「寝床」「苗床」というとき、「今ここが世界のすべてである」という感慨とともに「区切られ限定された世界」をあらわしている。

「立ち」は「立つ」、「決定する」ということ。

「天」のエリアを限定し決定しているから「あめのとこたち」という。

というわけで、まだそこは、「神の世界」として形成されはじめているのではない。だから、この二柱の神も「独神(ひとりがみ)」だという。「消えてゆく神」なのだ。

ここまでの五柱の神は、すべて「独神(ひとりがみ)」で、ほかの神と同時にあらわれていたことは一度もない。そういう意味の「ひとり」でもあり、前の神が消えたあとに現れ、自分もまたやがて消えていった。

神が消えてゆくことによって、次の神が現れてくる。これもまた、冬の次に春が現れてくるのと同じことだ。「初春」とは、冬のさかりに冬が消えてゆきそうな気配が現れ出ること。日本列島では、「消えてゆくことこそが生成のはたらきである」という世界観・生命観の伝統がある。

何かをすることの「はじめ」は、自分を捨てた出たとこ勝負で飛び込んでゆくことであり、自分が消えてゆくことのカタルシスというものがある。

桜の花は、さかりのときにこそもっともたくさん散ってゆく。散ってゆくことがさかりであることの証しであり、散ってゆくことのカタルシスがある。廓遊びのお大尽が、威勢よく小判をばらまいているのと同じだ。野球拳で服を脱いでゆくことだって、まあそういう華やぎがある。

消費すること、すなわち消えてゆくことのカタルシスがなければ、この世の貨幣は流通しないし、セックスのエクスタシーは消えてゆく心地にこそある。そうして、ぐったりと疲れ果てているときにこそ、体じゅうに生きた心地がみなぎっている。

「独神(ひとりがみ)」とは「消えてゆく神」であり、その「消えてゆく」ことが、「天地のはじめ」の生成の「きっかけ」になっていった。

日本列島の古代人は「消えてゆく」ことのカタルシスの文化を持っていたから、「死んだら何もない黄泉の国に行く」という死生観が生まれてきた。それはまた「みそぎ」の文化でもあり、消えてしまってさっぱりすることを「みそぎ」という。

「消えてゆく」ことこそ「生成」であり、生きるいとなみというか命のはたらきの根源のかたちなのだ。

神は、「きっかけ」だけを残して消えてゆく。そうして天地は、「おのずからなる」というかたちで出来上がっていった。ともあれここまでは天地の生成がはじまる準備段階を語っているだけで、古代人がなぜそのようなまわりくどいことをしなければならなかったのかといえば、彼らはどうしても「神がこの世界をつくった」という思考をすることができなかったからだ。「森羅万象はおのずからなる」という世界観から離れることができなかったし、それを前提にして神の物語を紡いでゆくことは、それなりにアクロバティックな思考を必要とした。


まあ、そういうアクロバティックな離れ業に挑むことの醍醐味というのもあるわけで、現在の「ジャパンクール」といわれているマンガやファッションの文化だって、外国人からしたらそうとう奇想天外でアクロバティックなセンスらしい。

古事記は、神を知らない民族が、神を知らない心のままに本気なって神の物語を紡いでいった話なのだ。そのとき日本列島の住民は、よろこんで宗教の洗礼を受けたが、宗教に洗脳されることはなかった。そうやって「仏教」に対する「神道」が生まれてきた。漢字から平仮名をつくり出したり、英語をたどたどしい発音のジャパニーズイングリッシュにしてしまったり、日本人はかんたんに洗礼されてしまうが、洗脳されることはない。

われわれは、どんなに宗教的になっても、基本的には「神なんか知らない」という世界観や生命観で歴史を歩んできたのだ。古事記という物語のあやしさの魅力は、そこにこそある。

日本人は神道神社が大好きだが、神道オタク神道原理主義者)ではない。神道の「原理(=神ながらの道)」などというものはないのだ。

神道の神は、人間の前に立ちはだかっているのではなく、人間の前から「隠れて=消えて」いる。「神なんか存在しない」ということが神道の神の存在証明になっている。したがって神道の神は、人間に対して、どんな権利も責任もない。

ともあれ「消えてゆく」ということは、この生なんかどうでもいいということだ。そういう感慨に立たなければ、「消えてゆく」ことはできない。「この生」も「自分」も、どうでもいい。それでは宗教にならないが、それが神道の神の存在理由であり、不在の理由でもある。

まあ、何もかもどうでもいいのなら、神の存在理由なんかない。

しかし、それでも世界は輝いている、ということ。

何もかもどうでもいいことにして消えてゆくとき、そこから世界は輝いて立ちあらわれる。

古事記においては、神が消えていったことを「きっかけ」にして世界は生成しはじめ、輝きはじめた、ということになっている。

宗教を知らない古代人の無意識は、知らず知らずのうちにそういう神の物語を紡いでいった。神のことをそのように語ることによって、神の存在がなんとなくしっくりと腑に落ちることができた。神の不在こそが神の存在証明であるということ、神が隠れているということは、神なんか知らないといっているのと同じであり、そういうかたちでしか神を認識することができない、ということだ。

われわれはそこに、神を知らない民族の世界観や生命観を見出すことができる。冬のさかりに、春のはじめの気配を感じる。すべての森羅万象は消えてゆく。消えてゆくときにこそ、存在することをたしかに実感する。存在するものでなければ、消えてゆくことはできない。

日本列島の住民は、消えてゆくことに対する深い愛着がある。それが、古事記の書き出しにあらわれている。


2017-03-24 古語のふり・神道と天皇(16)


本居宣長は、和歌の美しさ=本領は「姿」にある、といった。

それはよくわかる。

日本列島の伝統は、「姿」の文化なのだ。

どんなに立派なことをいっても、顔つきが卑しければ、その人は尊敬されない。その人の品性は、顔つきにあらわれる。その品性のことを「徳」といったりするが、それは顔の造作の問題ではない。心の美しさも卑しさも、いやでも顔つきににじみ出る。

四方を荒海で囲まれた日本列島では、顔の造作の違う異民族との関係を持たないまま歴史を歩んできたから、同じような造作をしたものどうしの「顔つき=姿」の違いにどうしても敏感になってしまうし、そればかりはどんなに自分を繕って見せても隠しようがないものでもある。

日本列島においては、言葉の美しさは、「意味」ではなく「姿」にある。そんな名人の和歌をまねようとしても、「意味」をまねることはできても、「姿」をまねることはとてもむずかしい。

やまとことばの第一義的な機能は、「意味」の表現伝達にあるのではなく、「姿」のそれにこそある。だから、たとえば「はし」というやまとことばが、「橋」「箸」「端」「嘴」とどんなに意味が重複してしまってもたいした問題ではない。いいかえれば、古いやまとことば(日本語)は、意味が重層的だったったのであり、古代人は、意識して重層的に意味を汲み上げながら言葉を扱っていた、ということだ。そうやって和歌の「掛詞」や「暗喩(メタファー)」等の技法が定着していた。そうやってひとつの言葉に豊かなニュアンスを持たせていたし、誰もが感じ取っていた。

「ことだま」とは「言葉に宿る霊魂」のことだ、と当然のようにいうが、それは言葉の「姿」として表現されているのであって、「意味」としてではない。まあ「霊魂」は、体の中心に宿って体や心を支配しているものということになっているわけだが、日本列島の古代人にとってのそれは、体の表面を覆う「姿=気配)にあった。そりゃあ古代人だって「霊魂」という言葉は盛んに使っていただろうが、「体の中心に宿って体や心を支配しているもの」だという自覚などなかった。それは、仏教伝来とともに教えられた概念であったのだが、そういう意味での「霊魂」など信じていなかった。言葉の表面を覆う「姿=気配」のことを「ことだま」といっただけだ。古代人がなぜそれを「たま」と言い換えたのか、その思いの丈を考えてももみよ、といいたい。まあそれは、奈良時代後期から平安時代にかけての仏教の隆盛とともに言葉や体の「中心」に宿る「霊魂(という物質)」であるかのような意味に変質していったわけだが、もともとは言葉の表面を覆う「姿=気配」のことを「ことだま」といっただけだし、そういう言葉に対する感覚は日本列島の歴史風土としてわれわれ現代人の中にも残っている。

「たましい」という言葉は今でも使うし、ほとんどの人はその言葉のほうがずっと好きではないか。「霊魂」という言葉はおおむねネガティブなニュアンスとして定着しているだけであり、ポジティブな思いを込めようとすると、誰だって「たましい」という。

「姿の文化」こそ、日本列島の伝統なのだ。「神」とか「霊魂」という概念など、日本列島の伝統でもなんでもない。それを「かみ」や「たま」というやまとことばに置き変えていったことこそ、この国の歴史風土としての伝統なのだ。


断わっておくが、僕は右翼でも左翼でもないし、神道オタクでもない。基本的に政治のことも宗教のことも興味がないのであり、ただもう日本列島の「歴史」の問題として、このシリーズのテーマについて考えてみたいだけだ。

本居宣長は、『古事記伝』において、編者の太安万侶は「古語のふり」をそこに書き残しておこうとした、といっている。もともと文字を知らなかった民族が漢字という借り物の文字だけを使ってそれをしようとすることの、その試行錯誤の血もにじむような努力のことを「思ってもみよぞかし」といっている。

「ふり」とは、ようするに「姿」ということ。

そのとき古事記のような物語は、すでに漢文で書かれて皇室に残されていたが、語り口がどうしても漢文調になってしまって、「やまとことば」のニュアンスがひどく損なわれている。だから、「やまとことば」そのもので語る神々の物語をそこに定着させようとしたのだとか。つまり皇室には、文献のほかに、代々口移しに語り伝えてきた物語があり、それを書き写したという。

「古語のふり」、これがキーワードだ。本居宣長は、そこを問うて、古代人の心というか、その死生観や世界観に推参してゆこうとした。

まず、天地創成の書き出しのところを、『古事記伝』の読み方に沿って引用してみる。

天地(あめつち)の初発(はじめ)の時、高天原(たかあまのはら)に成りませる神の名は、天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)。次に高御産巣日神タカミムスビノカミ)。次に神産巣日神カミムスビノカミ)。この三柱(みはしら)の神は、みな独神(ひとりがみ)と成りまして、身を隠したまひき。


ここに並んだ神の名に、古代人が天地のはじめをどのようにイメージしていったかということがこめられているはずで、少し詳しく検討してみよう。

「初発」という原本の表記は、現在では「はじめ」ではなく「初めて発(ひら)くる」と読むのが一般的らしい。まあどちらでもいいと思えるが、「はじめ」というやまとことばは気になる。「天地がはじめて出来上がっていったとき」と解釈するか、それとも「はじめに天地があったとき」と解釈するのか。このあとの文脈から考えておそらく前者だろうと思えるし、宣長も「虚空中に天地が出来上がっていった」と解釈している。

「はじめ」の「は」は、「はかない」の「は」、「何もない」ということ。「じ=し」は、「シーンと静か」の「し」「静寂・孤独」の語義。

「はし」という言葉は、置き去りにされて不安になっている心持から生まれてきた。「橋」も「箸」も「端」も「嘴」も、すべて「危なっかしい」とか「不安」というニュアンスがこめられている。大昔の丸太一本橋を渡るのはとても危なっかしいし、後世のちゃんとした橋でも川が氾濫すればかんたんに流されてしまう。「箸」も「嘴」もそういうニュアンスだし、「端」はまさしく置き去りにされてひとりぼっちになっている場所のことだ。「恥(はじ)」とは、そういう場所に立たされて肩身が狭くなっている状態のこと。「はしっこい」は、「素早くて危なっかしい」ということ。

ものごとのはじめは、不安で危なっかしい。舞台に上がる前の役者のように緊張して震えている状態から「はじめ」という言葉が生まれてきた。

日本列島の古代人は、ものごとの「はじめ」を、「何もない」状態からスタートすることで、あらかじめ全体の計画が決まっていてそれを実行してゆくことだとは考えなかった。

言葉の起源は、あらかじめ頭の中で言葉がイメージされてそれを発声していったのではなく、無意識のうちに発声してしまい、あとからそれが言葉であることに気づいていっただけだ。ものごとの「はじめ(=起源)」はまあそのようなことだと日本列島の古代人は考えていたわけだが、はじめに神による天地創造があったと決めているキリスト教が頭にある西洋人は、どうしても「はじめに計画があった」という発想になってしまう。ものごとをはじめることは計画を実行に移すことだ、と。しかし日本人は、とりあえずはじめてみて、そのつどのなりゆきに合わせてすることを決めてゆく。西洋人はなりゆきをつくり、日本人はなりゆきに合わせてゆく。能動性と受動性、ということだろうか。

太平洋戦争だって、とりあえずはじめてみただけで、べつに勝算があったわけではない。

西洋人は、人が何かをはじめるときには「目的」が必要だ、と考える。

それに対して日本人は、「人が何かをはじめるときには「契機=きっかけ」が必要だ、と考える。

上記の引用文に登場した神々は、高天原をつくろうと構想・計画したのではない。高天原が生まれてくる「きっかけ」になった神々なのだ。この場合、「高天原に現れ出た」といっているわけだが、それは「高天原の場所に」という意味であって、そのときすでに高天原があったわけではないし、ほかの神々が存在したわけでもない。そのときはまだ「混沌とした虚空」だった、と本居宣長もいっている。でなければ、このあとの天地が現れ出てくる記述にはつながらない。そのときはまだ、天地の区別すらなかった。

で、「天之御中主神」が現れて、「ここが世界の中心である」ということが定まった。


古事記を生み出した古代人は、神が世界を生み出したのではなく、世界の中から神があらわれた、と考えた。そしてその世界は、「何もない虚空」だった。

ここでいう「高天原に」は、すでに高天原が存在していたのではなく、宣長説明しているように「のちに高天原になる場所に」というニュアンスだろう。

最初から天地があり高天原があったのなら、今さら「天之御中主神」が現れ出てくる必要なんかなんかない。これは、古事記の解釈の重要な問題だ。その神は、天地の真ん中、すなわち上下左右の「中心」に現れ出たのであり、ひとまずそこを「中心」と定めた。そういう「きっかけ」がなければ天地は生まれてこない、と古代人は考えた。そしてこれは、とても科学的な思考に違いない。「中心」がなければ、上下も左右も決められない。

最初から高天原があったのなら、それは誰がつくったのか、ということになる。宗教は「神がこの世界をつくった」という「前提」を持っているかそういう思考も可能だが、そういう宗教を持っていなかった古代人は、上下左右もない「虚空」のところから考えはじめるしかなかった。「天之御中主神」の出現という「きっかけ」がなければ何もはじまらなかったし、その神は天地をつくったわけでもなく、天地が生まれてくる「きっかけ」になっただけだった。

そして天地はひとまず「もの=存在」なのだから、それが生まれてくる「きっかけ」もなければならない。そういうわけで、「高御産巣日神タカミムスビノカミ)」と「神産巣日神カミムスビノカミ)」という神が現れ出てきた。この二柱の神たちだって、神を産むことはできても、「もの=存在」をつくったのではない。それが生まれてくる「きっかけ」になっただけだ。

「もの=存在」は、「おのずからなる」……これが宗教を持たないものたちの思考の流儀であり、「はじめ」はなんの成算もないのが日本的思考の伝統風土なのだ。つまり、「未来」という時間など存在しないということ、「無常」ということ。

古事記の物語は、「神がつくった」という前提をできるだけ排除しつつ神についてのイメージを膨らませてゆく、という思考の上に成り立っている。


日本人が人の顔を描くとき、まず目や鼻や口から描きはじめる。しかし西洋人は、まず全体の輪郭を描いておいてから、その中に目や鼻や口を置いてゆく。これだって、「神が世界をつくった」という前提を持っているかいないかの違いだろうか。日本人はなりゆきまかせで描いてゆくし、西洋人はあらかじめ全体の秩序を設定しておく。

日本人が木を眺めるとき、まず葉っぱの一枚一枚に目がゆき、そのあとに全体のかたちを把握してゆく。しかし西洋人は、最初に全体のかたちを把握しておいてから、一枚一枚に目を移してゆく。だから、日本画の木や桜は、どうしても葉っぱや花びらの一枚一枚を描き込まずにいられないし、西洋画は全体のボリュームをとらえることに主眼が置かれている。

だからまあ西洋人は桜の花びらの一枚一枚のきらめきを日本人ほどには感じていないらしく、それよりもバラなどの大きな花の複雑なかたちやその花束の華やかなボリューム感に愛着がある。

日本人の心というか視覚は、「今ここ」の「一点」に焦点を結ぶ。西洋人は、つねに世界や物事の全体を考えている。だから、日本人よりは「天国」を上手に実感できるのかもしれない。

「死んだら何もない黄泉の国に行く」という死生観宗教があるだろうか。それは、死後の世界は思い描かない、ということでもある。死後の世界を思い描かない宗教があるだろうか。イザナギは、「千引石(せんびきいわ)」という巨大な石で黄泉の世界の入り口を塞いでしまった。であれば、死んだらもう、どこにも行けない。日本人にとって、死んでゆくことは「今ここ」に消えてゆくことであり、そういう死生観が、そういう話を生み出した。それはつまり、明日のことを思わないで生きるということでもあり、日本人がイメージする「はじめ」にどんな目的もない、ということだ。

われわれのこの生をうながしているのは、「目的」ではなく「きっかけ」なのだ。われわれは何かに「反応」するところから生きはじめるのであって、「目的」に向かって生きているのではない。「反応」する心がなければ、生きられない。「目的」を持ってしまったら、心はすでに「目的」という「未来」に憑依しているのであり、「今ここ」に「反応」することを失っている。

「目的」を持つことによって、命や心のはたらきが停滞・衰弱してゆく。旅行の計画を綿密に立てることによって、かえって行く気が失せてしまう、ということはよくある。なんだかもう、行って帰ってきたような心地になってしまう。

老後の生きがいとして学問や芸術がしたい、という計画を立てても、「生きがい」といえるほど熱中してゆける人はめったにいない。趣味ていどの手慰み(気晴らし)になるならまだいい方で、計画倒れのまま死んでゆく人も多い。命や心の停滞・衰弱が計画を追い越してしまうのだ。

それならまだ、生涯現役で働き続けるか、老いらくの恋や金に飽かせた女遊びにうつつをぬかしている方がましかもしれない。とはいえ、それらのことだって、命や心はたらきの停滞・衰弱に追い立てられていることではあるのだが。追い立てられて、いずれ追い越されてしまう。

「ときめく」とは、心が「今ここ」に憑依してゆくことであり、宗教的な「恍惚という自己陶酔」とはまた別のことだ。

やまとことばの「はじめ」は、自分を忘れてときめいてゆく、ということでもある。


世界のはじまりにおいては、何もなかった。そこに「天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)」が現れて「世界の中心」すなわち「今ここ」を定めた。それが「きっかけ」になって、「天地(あめつち)」が生まれてくる気配が生じてきた。

天之御中主神」というくらいだから、まず「天」が定められた。しかしそれは、「天の位置」が定められたというだけで、「天」がつくられはじめたということではない。つくられはじめるためには、そういう「気配」を持った神が「きっかけ」として現れてこないといけない。それが、「高御産巣日神タカミムスビノカミ)」と「神産巣日神カミムスビノカミ)」だ。

「天」は、「高」いところであると同時に「神」が現れてくるところでもある。この二柱の神は、そういう「天」が生まれてくる「気配」を持って現れてきた。

神が天をつくったのではない。神はあくまで天の住人であり、神の仕事は神を産むことだけで、世界をつくることではない。神は、世界をつくらない。世界は「おのずからなる」、というのが日本列島の思考の伝統だ。神は、そうやって世界がつくられてゆく「気配」として現れてくるだけだ。

神は、「気配」として世界の「姿」に宿っているのであって、「霊魂」として世界の「内実」をつくったのでも支配しているのでもない。

ここで問題になるのは、「産巣日(むすび」」という言葉だろう。

本居宣長は、「むす」とは「苔むす」の「むす」で、「生まれ出る」ことだと説明している。それはまあそうなのだが、この言葉のニュアンスは、それだけではすまない。

食べ物を蒸気で「むす」とき、「蒸気が生まれ出る」ことをいっているのではなかろう。蒸気で食べ物を「覆ってゆく」ことを「むす」という。苔だって、石や土の表面を覆っている。

「覆い被さってゆく」ことを「むす」というのではないだろうか。

紐と紐を「結(むす)ぶ」ことは、紐と紐が覆い被さり合うことだ。

相撲の最後の取り組みのことを「結びの一番」というのは、「終わり」が覆い被さってゆくことだからだろう。もっと続けたいのにこれでもう終わりにしないといけないというとき、「終わり」に覆い被さられているような心地になる。

「口を結ぶ」とは、口を閉じてこぼれ出てしまいそうな言葉に覆い被さって沈黙してしまうことだ。

「苔がはえる」というときの「はえる」は、「生える」ではなく、ほんらいのニュアンスは「這える」なのだ。苔は、這うように土や石の表面に覆い被さってゆく。

「むすぶ」とは、「覆い被さる」こと。

「姿」とは、物に覆い被さっている「気配」のこと。日本列島の「姿の文化」の世界観は、それを「かみ」といった。

高御産巣日神タカミムスビノカミ)」は、「高い」ところを覆っている「気配」として現れ出てきた。そして「神産巣日神カミムスビノカミ)」は、神が神を産むこと、すなわち「神に覆い被さっている神」として現れ出てきた。

古事記の神は、けっして世界をつくらない。世界が「おのずから生まれてくる」ときの「きっかけ=気配」として現れ出てくるだけであり、それが、もともと神を知らない民族である日本列島の住民の思考の流儀なのだ。そうやって「産巣日(むすび)」の神が現れ出てきた。

「むすび」というやまとことばを、本居宣長のように「生まれ出る」と訳してしまうべきではない。それでは「古語のふり」に忠実な思考態度だとはいえない。

高御産巣日神タカミムスビノカミ)」……神が「高い」ところを生み出したわけではない。そこは最初から「ある」のであり、その位置を「気配」として覆っていったのだ。日本列島の「姿の文化」は、そういう発想をさせる。そしてそこは、「神産巣日神」の出現とともに神々に覆われてゆく「気配」が生まれていった。


で、この三柱の神々は、「独神(ひとりがみ)」としてやがて姿を隠していった。

「ひとり」というやまとことばも気になる。

「ひと」は、もちろん「ひとつ」「ふたつ」の「ひと」だが、「人」という呼び方にも使う。

古語としての「人(ひと)」は、「特別な存在」というニュアンスの尊称だった。

「ひ」は「ひっそり」の「ひ」、「秘密」の「ひ」。「と」は「止まる」の「と」、「完結」「究極」の語義。「り」は「あり」の「り」、「状態」をあらわす。

「ひとりになりたい」ときは、多かれ少なかれ誰にもある。ひとりになることは、集団から隠れることであり、消えることでもある。

群衆の中の孤独」などといったりするが、そうやって自分が消えている心地になってゆく。

「ひとり」であることは、集団から逸脱して(はぐれて)いること。

「ひとつ」というやまとことばは、「孤立」というニュアンスを持っている。そういう認識をともないながら「ひとつ」という言葉が生まれてきたのだ。

そして、「ひっそり」の「ひ」、「完結」の「と」、「状態」の「り」、「ひっそりと完結している状態」を「ひとり」という。

人は、「ひとり」になりたくて「ひとり」になる。「り」という音声は、「きっかけ」をあらわすニュアンスを持っている。「さっぱり見えない」というときの「さっぱり」は、「見えない」ことの「きっかけ」の表現なのだ。「とっぷり日が暮れる」「やっぱり駄目だった」「めっきり衰えた」「てっきりそうかと思った」「しっかり出来上がる」「くっきり映える」「かなり美しい」……これらの「り」は、あとの言葉の表現力が華やぐ「きっかけ」の役割を果たしている。

「り」という音声の響きは、鮮やかできらきらしているが、細くてかそけくもある。まあ「きっかけ」とは、そういうニュアンスのものではないだろうか。

「ひとり」であることは、「ひとりになりたい」という「きっかけ」がある。この言葉がいつ生まれてきたかはわからないが、そういう「きっかけ」から生まれてきたに違いない。「ひとり」「ふたり」といってそのあと「三人」「四人」「五人」と漢数字で数えてゆくということは、「ひとり」と「ふたり」が特別な言葉だということを意味する。それは、ただ「数」だけのことを意味しているのではない。その状態及び関係に対するそれなりに切実な思い入れがこめられている言葉なのだ。

「みな独神(ひとりがみ)となり坐して、身を隠したまひき」というとき、「ひとりがみ」であることそれ自体か「身を隠す」ことの「きっかけ」になっている。つまり、「ひとりがみ」とは身を隠そうとしている神のことであり、なぜそうするかといえば、そのあとのことを支配するつもりがないということだ。人は、「きっかけ」にうながされて生きているのであって、「目的」に向かって生きているのではない。同様に、この世界の森羅万象もまた、「きっかけ」によって起きているのであって、「目的」があるのではない。日本列島の「かみ」は、この世界を支配しようとする「目的」など持っていない。「きっかけ」として現れるだけだ。すべてのことは、先のことは何もわからない、というかたちではじまる……これが、もともと宗教を持っていない民族の世界観であり、もともと宗教を持っていない民族の宗教なのだ。

世界のはじまりは、はじまりの「気配」だけがあって、いぜんとして何もなかった。これが古事記の本文の書き出しであり、それらの三柱の神は「気配」の神だった。日本列島にはそういうなやましくもアクロバティックな発想をしてしまう文化風土の歴史があり、そうやってかつては無謀な戦争をはじめてしまったし、今どきはそんな発想のマンガやファッション等の文化現象を「ジャパンクール」などといって世界から注目されたりもしている。


2017-03-21 「姿」の文化・神道と天皇(15)

神道以前の「かみ=かむ」という言葉は、「神」のことではなく、たんなる「出会いのときめき」をあらわす言葉だった。感動で胸が震えること、感極まること、人々の生きてあることのよすがは、その体験にこそあった。

現代人だって、その体験がなければ、心を病んでしまう。

古代の民衆にとっては、現代人のような物質的な満足や幸せなど望むべくもないことで、その不足をやりくりして生きていただけだろう。生きるいとなみは、精神的にも物質的にも身体的にも、あくまで不足をやりくりすることだったのであり、「生命賛歌」の充足や余裕なんかなかった。平均寿命がどうのといっても、病気や怪我をすれば誰もが明日にも死んでしまうかもしれない条件の中で生きていた。まあ人類の歴史の99・9パーセントはそういうかたちの生存で推移してきたのであり、生命賛歌ができるような充足や幸福や余裕は誰にもなかった。彼らは生きられなさの「嘆き」とともに生きていたのであり、それでもというか、その「嘆き」を契機にして世界は輝いて立ちあらわれてきた。人と人は、「嘆き」を共有しながらときめき合っていた。

「世界は輝いている」ということ、そのことに気づいてときめいてゆく体験とともに「かみ=かむ」という言葉が機能していた。宗教なんかなくても人はそういう体験をするだろうし、つまるところ現代人だってその体験をよすがとして生きている。

世界は輝いて立ちあらわれているかどうか、それこそが人類普遍の生きてあることのテーマであるのかもしれない。

自分を気にしてばかりいると、心を病んでしまうし、ブサイクな人間になってしまう。世界の輝きにときめく心を失ってゆく。この生の充実、などという問題は存在しない。この世界は輝いているかどうかということ、それが問題だ。


先史時代アニミズムが存在するべき必然性など何もないのだ。

古代以前の日本列島に宗教なんかなかった。宗教なんかなくても「ときめく」という体験があれば人は生きられるし、その体験を道連れにして生きるようにできている。

「かむながら」というやまとことばは、おそらく「まことにもって」という最終的な感慨をあらわす慣用句だった。しみじみと深くそう思うこと。だからこそそれが「神」をあらわす言葉にもなってゆく必然性があった。

神道祝詞の神に捧げる枕詞として「かけまくも畏(かしこ)き」などといわれたりするのは、ようするに「感極まる」というようなニュアンスであり、その姿の見えない神に対する「遠い憧れ=ときめき」を捧げているのだ。

神道の神は、自然の中に隠れている。存在するのではない。自然の本質として、存在する「気配」を感じるだけの対象なのだ。「本質に気づくこと」を「かむ」といい、「本質それ自体」を「かみ」という。

自然に対する驚きとときめき、それは、原初の感慨であると同時に、人としての最終的な感慨でもある。それを「畏(かしこ)き」という。だから、手紙の最後に「かしこ」と書く。「かしこまる」というのも、そういう「畏敬」の念をあらわしている。そして「かけまくも」は、「捧げる」という意味。遠い憧れ、すなわち遠いものに思いを馳せることを「かけまくも畏き」という。

西洋の「ゴッド」が自分と神との関係をもとにして自分を確立させてくれる存在だとすれば、日本列島においては、自分と神との隔絶した関係に立ちながら自分を忘れて神に対する「ときめき=遠い憧れ」を捧げてゆく。

なにはともあれ「かみ」というやまとことばは、この生の最終的な根拠というか本質を指していう言葉だった。


弥生時代の奈良盆地に人が住み着くようになり、ときどき集まって祭りをしながら、やがて祭りのシンボルとしてのカリスマが祀り上げられていった……天皇の歴史はおそらくそこからはじまっているのであり、そこから徐々に徐々に大和朝廷という権力機構が支配する社会が出来上がっていった。

天皇がいきなり登場してきた支配者だったのなら、いずれは次の支配者に倒され取って代わられる。それが「王殺し」という人類普遍の歴史の法則であるが、天皇の場合はそういう存在ではなかった。天皇は、民衆に祀り上げられながら、徐々に徐々に「天皇」になっていった。だからそうかんたんに天皇を殺すわけにいかないし、その代わり天皇は、権力者による権力の不在証明というか隠れ蓑として機能してきた。何もかも天皇が支配し君臨していることにすれば、権力者は安全な場所に隠れていられるし、すでに日本列島の社会はそういうかたちでしか民衆を支配できない構造になってしまっていた。天皇に取って代わることはできないし、取って代わらないほうがより強く支配することができた。

天皇制が生まれてくる歴史過程の蓄積があるのであって、いきなり生まれてきたのではない。民衆にとって天皇は、自分たちで祀り上げている存在だから、天皇のいうことは何でも聞くしかない。まあ古代以前の歴史過程においては、権力者にとっても民衆にとっても、すでに天皇を祀り上げていないと生きられないような仕組みになってしまっていたのだ。

古代の天皇は、「大王」と書いて「おほきみ」と呼ばれていた。しかしこの「おほ」は、「王」という意味ではない。「大奥様」とか「大旦那」というときの「おほ」なのだ。彼らはひとまず支配者であることから引退した人たちであり、同時に現在の支配者の「支配の隠れ蓑」として機能している存在でもある。つまり、「天皇」のような存在なのだ。日本列島の社会は、あちこちにそういうシステムが機能している。

江戸の大店の経営は番頭さんが仕切っていて、旦那は吉原で遊び呆けている。戦国大名軍隊派遣するとき、ナンバー2に実際の指揮をとらせて、勝手なことをする大将はすぐ首にされる。農民社会にしても、村の災害救助や祭りのときは、「若衆宿」の若者たちの主導によってなされていた。

能では、「翁」という無力な年寄りのカリスマ性を表現することが主題になっている話がある。これだって、天皇制の問題でもある。

「おほ」は、「王」ではなく、「覆う」の「おほ」であり、「表面的なお飾り」と言い換えてもよい。天皇は、ただのお飾りだけど、人々の生を支えているカリスマでもある。それは、それなりに長い歴史過程を経て徐々に徐々に生まれてきたシステムであり、天皇がいきなり奈良盆地に現れて支配者になったというようなことは、おそらく史実ではない。そんな存在であるのなら、別のものが天皇を殺して取って代わっても何の支障もない。最初の天皇がそうしたようにそうしただけのことだ。そういうことではないから、こんなにも長く続いてきたのだ。


古代の天皇はひとまず日本列島を覆う「神」だったが、実質的な支配者だったという確証は、じつはない。史書においてはつねに天皇が支配していると書いてきたが、聖徳太子と推古天皇のような関係が、理想の支配者と天皇の関係だったのかもしれない。邪馬台国における卑弥呼と弟の関係もそのようなものだったし、じっさいに天皇が絶大な権力をふるったという時代なんか、ほとんどないのかもしれない。天皇の仰せだといえばみんながいうことを聞く、という社会の構造になっていただけだろう。そうやって権力者たちは、天皇を隠れ蓑にして、好き勝手に権勢をふるってきた。

天皇であることのアイデンティティは、あくまで「祭司」であることにあった。

政治はそのまま祭りでもあったといっても、政治が祭りになることはできても、祭りが政治になることは困難だった。権力者が、民衆を祭りの盛り上がりのように「もう死んでもいい」という勢いで束ねてしまうことは都合のいいことだったが。権力者が社会秩序に対する意識を捨てて「もう死んでもいい」という勢いを持ってしまったら政治にならない。そういう意味で、祭りは政治にはなれない。支配=被支配の関係を無化してしまうことが祭りであり、それを利用して支配=被支配の関係を強化してゆくのが政治なのだ。政治は、その盛り上がりを利用して民衆を一網打尽にしてしまおうとするし、民衆のお祭り騒ぎがそのレベルを超えて盛り上がってゆくことは許さない。

祭司である天皇が政治をリードしてゆくことは、けっしてかんたんではない。表向きは何もかも天皇が取り仕切っているようなかたちになっていても、できることはただ、その権力者承認するかどうかということくらいだろう。

神道の祭司である天皇に政治の能力はない。神道には、「呪術」がない。人は、呪術とともに政治に目覚める。仏教には呪術があった。古代においては、仏教のがわにいないと政治の場に立つことはできない、というような傾向があったのだろうか。天皇だって、ときには出家した身の「上皇」になって政治の主導権を握ろうとしたが、もはや天皇でないのなら、政敵から情け容赦なく追放されたりした。

神道が「国家神道」として呪術的政治的な傾向を強めていったのは、中世天皇が政治の場から置き去りにされていった時期と歩調を合わせている。武家政権の時代のそのころはもう、たてまえ上の「天皇が取り仕切る」というかたちすらも必要としなくなっていた。そうなると天皇のまわりにいる貴族たちや神社のがわの既得権益がどんどん削られてゆくし、その流れを押しとどめようとして神道自身が「国家神道」を標榜していった。


ともあれ日本列島の歴史風土においては、「神」は存在しない。というかそれは、「気配」として存在する。気配は、この世界の物質や現象それ自体ではないが、それ自体の本質である。神は、この世界の森羅万象の本質として、森羅万象に宿っている。ただそれは、宗教における「霊魂」のように、その中に宿っている「物質」ではなく、そのまわりを覆っている「気配」なのだ。古代人は、そのようにして「神」を見ていた。

古事記の中のイザナミは、火の神を産んだが、火を産んだのではない。火の本質として火に宿っている「神」を産んだ。その神は火の「姿」をしていたが、火という物質それ自体ではなかった。

日本列島において、「神」は「存在」ではない、「姿」なのだ。鳥の姿それ自体が「神」であり、鳥それ自体はたんなる「物質」であって「神」ではない。鳥という物質とぴったり「かみ」合っている「姿」が「神」なのだ。

まあいつの間にか神道の神も、一般アニミズムと同じように石の中に宿っている「霊魂」が神であるかのようにいわれたりするようになってきたが、もともとは石を覆っている「姿」を神といったのだ。

この生は「姿」であって、「存在」ではない。この生も自分もこの世界も、あるかないかわからない「気配」でしかない。人は何もないところから生まれてきて、何もない「黄泉の国」にかえってゆく。縄文以来の伝統風土であるその死生観や世界観が、「はかなし」や「わび・さび」や「無常」の美意識に昇華されていった。

「姿」の文化……古代の神道が「霊魂」といっても、それはただの「気配」のことであって、永遠に存在し続ける「命のもとになる物質」のことをいったのではない。そんなものがあるはずないし、古代の日本列島の住民がそんなものをイメージしたはずもない。次回は、古事記の書き出しの文章を引用しながら、そのことを検討してみたい。


2017-03-19 出会いのときめき・神道と天皇(14)

国家神道オタク右翼の人たちは、この国の伝統をあらわす言葉として「神ながらの国」というのが大好きらしいが、この「神ながら」は、必ずしも一般的に解釈されているような「神の御心のままに」という意味だとはかぎらない。

言葉は、古くなればなるほど意味が重層的になってゆく。現在の言葉は「意味の伝達」が中心的な機能だから、意味は限定的になっている。

やまとことばの「かみ=かむ」は、もともと「出会いのときめき」をあらわす言葉だったのであり、古代人にはまだそういう語源の言葉感覚が残っていた。彼らは「かみ=かむ」という言葉を、「神」という意味にも「出会いのときめき」という意味にも使っていた。そしてこの「かむながら」の「かむ」は、「出会いのときめき」をあらわしている可能性のほうが高い。

万葉集に出てくる天皇のことを詠った「かむながら神さびせす」という表現は、「神そのものとして神々しくおわせられる」と訳されたりするのだが、なんだかちょっと変な感じだ。それならいっそ、「まことにもって神々しくおわせられる」と訳してしまったほうが自然な感じがする。「かむながら=出会いのときめき」すなわち感動すること、その出会いにおいて感極まること、「まことにもって」という感嘆は、「出会いのときめき」として生まれてくる。

古代における「かむながら」は、「まことにもって」というニュアンスの慣用句だったのかもしれない。べつに、神がどうしたということに限定して使っていたのではないのかもしれない。

「かむながら」という言葉は、日本列島の住民が「神」という概念を知る前からすでに存在しており、それは、「出会いのときめきのままに」というような意味合いだったのかもしれない。もちろんこれは証拠などない話だが、きっとそうだ、とは思う。

「かむながら言挙げせぬ国」というときは、「出会いのときめきのままに生きて、言挙げ(=神頼み)なんかしない」といっているのではないだろうか。彼らは、神を祝福しても、神頼みなんかしなかった。それこそが、古代の神道の流儀だった。古代人の「なるようになる」という生き方は、作為的な「神頼み」とは無縁だった。つまり、「呪術」の伝統がなかった、ということだ。

日本列島の「なるようになる」という伝統的な精神風土は、古代以前にアニミズムなど存在しなかったことを意味する。


「神ながらの道」などといったりもする。「道」とはつまり「生き方」のこと、「神の御心のままに生きる」ということだろうか。しかし、もともと神道の神は何もしてくれないし、何も要求してこない。神は、隠れている。あるかなきかの「気配」だけの存在なのだ。神道の神は、人間に対してどう生きよというような要求はしないし、われわれは神に生かしてもらっているのでもない。

「生きてあることに感謝する」なんて、リア充という幸せとやらに浸って生きているものたちの愚劣なひとりよがりにすぎない。ただの自意識過剰さ。

「自分=この生」のことなんか忘れて神(=世界の輝き)を一方的に祝福してゆくのが古代神道の流儀であり、古代人にとっての救済は、この生を称揚しこの生に執着してゆくことではなく、この生を忘れてゆくことにあった。それがたぶん、「かむながらの道」だった。

苦しいだけの人生を生きているものが、どうして生きてあることに感謝しなければいけないのか?苦しい人生を生きたらいけないのか?苦しい人生は人生のうちに入らないのか?おまえらの人生だけが人生なのか?

やめてくれよ、と思う。

神の御心のままの人生、などというものはないのだ。神道における「神の御心」は、どんな人生も裁かないし、否定も肯定もしない。

日本人にとって神は、「気配」であって「存在」ではない。

「かむながら」は、ひとつの「気配」をあらわす言葉なのだ。「出会いのときめき」のさなかに置かれている「心地=気配」を「かむながら」という。感謝するに足る生など持ち合わせていないがそれでも世界は輝いている、ということ、それを「かむながら」という。

古代人は、仏教伝来によって神という概念を知る前からすでに「かみ=かむ」という言葉を持っていた。そしてそれは、彼らの生のかたちを表現するもっとも重要な言葉のひとつだった。だからそれを、神という概念に進呈した。

古代人が「かむながらの道」というときは「出会いのときめきのままに生きる」といっているだけで、現代の神道オタクがもったいぶっていうような「神の御心のままに正しく生きる」というような意味ではなかった。仏教伝来とともにそういう生き方を押し付けられる世の中になっていったからこそ、そのカウンターカルチャーとして「なるようになる」というコンセプトの神道が生まれてきたのだ。


「出会いのときのままに生きる」ことこそ、古代人のもっとも大切な生きる流儀だった。いいかえれば、「神の御心のままに生きる」ことは「どんな生き方をしてもかまわない」ということであり、神が何か特別な生きる道を指し示しているというようなことではない。「なるようになる」ということ、誰もが苦しい生き方をしているのであれば、「正」と「悪」、「幸福」と「不幸」を選別するような状況は生まれてこない。誰もがときめき合って生きているのならそれでいい、それが「かむながらの道」ということであり、それが「神の御心のままに生きる道」でもあった。そして誰もがその「出会いのときめき」を体験することができる根拠として「天皇」というカリスマが祀り上げられていったわけで、そこから「天皇=神」という認識になってゆくことはもう自然ななりゆきだった。そのとき天皇とは、もっとも純粋に深く豊かに「出会いのときめき」を生きる存在であり、そこに天皇の「神々しさ」があった。

その、世界の輝きとの出会いに深く豊かにときめいている状態は「姿」にあらわれるわけで、それは「舞」や「歌」として表現される。原初天皇は、そういう「舞」や「歌」の名手=カリスマとして人々に祀り上げられていった「巫女」であったに違いない。おそらくそこから神道天皇の歴史がはじまっている。


いや、こんなことをいうとまた「トンデモ説」だといわれそうだが、日本列島の天皇制は歴史とともに徐々に徐々にかたちを成していったのであったのであって、いきなり現れたものではないはずだ。そうでなければ、こんなにも長く続くはずがない。

古事記はひとまず「神武天皇=カムヤマトイワレヒコ」がいきなり奈良盆地に登場してきたようになっているが、それは同時に「神の出現」から徐々に徐々にそうなっていった話でもある。「ローマは一日にして成らず」というが、日本列島の天皇制だっておそらくそういうことなのだ。

生命の発生だって、地球の誕生から10億年くらいかかっている。歴史とは、そういうものではないだろうか。徐々に徐々に、という「段階」を問うてゆくしかない。

「かむながら」とは、「出会いのときめきのままに」という、古代および古代以前の人びとの生きる流儀をあらわす言葉だった。

なんのかのといっても人類史における「都市」は、「出会いのときめき」が豊かに生成する場において生まれてきたのであり、その結果として人を支配する「国家制度」や「宗教」が生まれてきたとしても、人と人の関係がそれだけですむはずもない。とくに日本列島の「宗教=仏教」は、すでにそうした「出会いのときめき」の文化をそれなりに洗練発達させてきたあとから大陸からの借り物として導入されたに過ぎないのだ。そのとき人々は、体というか人生というか生きてあるかたちを「国家制度」に支配されても、心の中まで「宗教=仏教」にまるごと縛られてしまうことはできなかった。そうやって神道が生まれてきたのであれば、そのコンセプトはいささか宗教的ではあっても、宗教そのものになってしまうはずもなかった。

まあ神道だって、徐々に徐々に宗教のようになっていったのだ。そしてそれが宗教であるためには「国家制度」と結びつくしかなかったわけで、「国家神道」のかたちになってきたのは、「吉田神道」などが提唱されたり「元寇」があったりして、民衆のあいだにもようやくナショナリズムが生まれてきた中世以降ことだろう。

しかしまあ、ここではそんなことはどうでもいい。問題は、古代の神道および神道以前にある。

神道以前の「かみ=かむ」という言葉は、「神」のことではなく、「出会いのときめき」のことだった。人々の生きてあることのよすがは、そのことにあった。

「かむながら」というやまとことばは、もともと「神ながら」という意味ではなかった。

現在だって、神社パワースポットだといっても、いかにも日本的な「清浄」という気配との「出会いのときめき」を体験しているにすぎない。神社には、「自分」というものが無化されてゆくような気配がある。そうやって「この世の外」に対する「遠い憧れ」に身を浸してゆく心地よさがある。そのとき人は、その胸のどこかしらで、「もう死んでもいい」という心地になっている。その「この生の外に超出してゆく」という心の動きは、べつに「宗教」の専売特許でもなんでもなく、普遍的な命のはたらきの基礎としての純粋な「ときめき」の問題なのだ。そして宗教はむしろ、「この生の外」ではなく、「天国」や「生まれ変わり」として「この生を無限に延長してゆく」ということを志向している。そんなことばかりにうつつを抜かしていると、「生きてあることの切実さ」や「純粋で他愛ないときめき」をどんどん失ってゆく。そういう無意識のというか、日本列島の伝統風土に息づく歴史的な感慨とともに「神道」が生まれてきた。

古事記の神々はみな、どことなく他愛ないところがある。あんなふうに他愛なく生きていられたらいいのだけれど、現世の「憂き世」に身をさらして生きていればそうもいかなくなってしまう。古代人の、そういう「嘆き」がこめられてもいる。そしてそれは、われわれ現代社会で暮らすものたちの「嘆き」でもある。

おそらく人類は、文明社会の歴史がはじまって以来、ずっとそんなことを思って生きてきたのだ。