都市の起源(その三)・ネアンデルタール人論154


その三・都市の混沌

「都市」という言葉を広義に扱うなら、人間の集団はすべて「都市」である、ともいえる。
やまとことばの「村(むら)」の語源の意味は、「人が集まる賑わい」ということにある。べつに「人口が少ない地域」という意味だったのではない。
「む」は、「混沌」をあらわす音韻。「むむむ?」といぶかる。「難しい」「むり」「むだ」「むら」「群れ」の「む」。やまとことばの「群れ」とは「混沌」のこと。たくさん集まって混沌としていること。「む」と発声するとき、その音声は口を閉じて喉の奥で響いている。
そして「村(むら)」の「ら」は、「われら」「彼ら」というように「集合」をあらわすと同時に、「ラララ」とハミングし「ランランラン」とスキップするように「楽しさ=賑わい」をあらわす音声でもある。
「村(むら)」とは、「混沌の賑わい」のこと。語源においては、そういう「お祭り」が生まれてくる場所のことをあらわしていた。
しかし、村がそのまま発展して「町」になり「都市」になっていったのではない。人類の人口は、そうかんたんには増えない。また、村は、歴史とともにその人口に合った暮らしのシステムが定着してゆき、そのシステムからはぐれたものは外に出てゆく。
日本列島では、人口の流出と流入はたえず起こっていたのであり、今にはじまったことではない。
縄文時代の「村」はほとんどが数十人の小集落で、1万年のあいだ、ほとんど増えていない。例外的に三内丸山遺跡では一時的に500人ほどに膨らんだといわれているが、それはそこがどこからともなく多くの人が集まってくる場所だったからであり、もともとの住民が産めよ増やせよで膨らんでいったのではない。
都市は、最初から都市なのだ。もとの集団の安定したシステムからはぐれ出たものたちがどこからともなく集まってきて、そこに都市をつくる。安定したシステムからはぐれ出てきた心を共有しながらときめき合い、都市という集団をつくってゆく。その「出会いのときめき=祭りの賑わい」によって都市になってゆく。
いや村だって、人間の集団であるかぎり、そうした「混沌」の「ときめき=賑わい」がなければ成り立たない。
700万年前の原初の人類集団は、最初から集団からはぐれ出てきたものたちによって成り立っていたのであり、その「祭りの賑わい」とともに二本の足で立ち上がり、人としての歴史を歩みはじめた。
人の集団は、その根源・自然においては、「もう死んでもいい」という勢いの「祭りの賑わい」すなわち「出会いのときめき」によって生まれてくるのであって、生き延びるための「衣食住」や「安定と秩序」を求めて生まれてくるのではない。そんなものを求めて人が集まってくるのではない。


人類史の起源としての都市は、「どこからともなく人が集まってきて<祭りの賑わい>になり、そこに住み着いてゆく」という生態ととも生まれてきたのであって、ひとつの集団が自前で人口を増やしながら都市になっていったのではない。
少なくとも氷河期以前の原始時代は、そうかんたんに人口が増えることはなかった。ネアンデルタール人であれクロマニヨン人であれ、乳幼児の死亡率は猿よりもはるかに高く、成人できても寿命は短かった。
人類の赤ん坊は、生きられない未熟児として生まれてくる。その傾向がどんどん進んでいったのが人類進化の歴史だったわけで、また成人の寿命もチンパンジーのような猿とほとんど変わらないままだった。人類の歴史は、乳幼児の死亡率がどんどん高くなってゆき、成人の視覚や聴覚などの五感などもどんどん退化してゆきどんどん生きられない体になっていったのであり、それはもう、種の滅亡に向かって歴史を歩んできたともいえる。それでも生き残ってきたのは、それを補うだけの繁殖率の高さと文化の発展を獲得していったからだが、それでも原始社会においてそうかんたんに人口が増えてゆくことはなかった。
また人類拡散はつねにより生きにくい土地に向かって移住してゆく現象だったのだから、そのことにおいても滅亡と背中合わせだったわけだが、拡散してゆくにつれて繁殖率も文化水準も高くなってゆき、その危機を補っていった。いずれにせよ原始時代は、爆発的な人口増加が起きるような歴史ではなかった。
なのに現在の集団的置換説の論者たちは、数万年前のアフリカの原始人が拡散しながら爆発的に人口を増やしてたちまち地球上のすべての先住民と入れ替わっていったといっているわけで、まったく、こんなバカげたことが起きるはずがないではないか。こんな安手のマンガよりも低次元の空想をして、何がうれしいのか。集団的置換説なんて、一種のカルト宗教なのだ。
とにかく人類史において、ひとつの集団が自前で爆発的に人口を増やして都市になってゆくということなど、過去にも現在にもあるはずがないのだ。


現在のこの国おいては、こんなにも人々の寿命が延び、赤ん坊の生存率が高くなっても、人口はむしろ減少傾向にある。それは繁殖率が低くなってきたからだが、皮肉なことに、人々の生き延びる能力が高くなり、生き延びることに執着・耽溺するようになってきたこと、すなわちそういう「生命賛歌」とともに繁殖率が低くなってきたのだ。そして東京という都市は、戦後のベビーブームが一段落したころから爆発的に人口が増えてきた。それは、もともと東京に住んでいた人々が爆発的に人口を増やしていったのではなく、東京にどんどん人口が流入してきたからだ。
今や東京の人口は1300万人を超えているが、3代以上続いた明治以来の東京の住民はおよそ100万人くらいらしい。まあ戦前にも東京流入の動きがあって一時は700万人くらいに膨らんだが、敗戦によって多くの人が故郷に戻ってゆき、半分の350万人まで減った。というわけで現在の東京は、1000万人近くが戦後の流入者とその子弟だということになる。
また、戦後の10年間は食糧難の時代で地方のほうが住みよかったはずだが、それでも一挙に800万人に膨らんでいった。食糧は不足していても東京には、すでにスポーツや映画や演劇や音楽等々の「祭りの賑わい」が復活していた。住みにくかったからこそ「祭りの賑わい」が盛り上がっていった、ともいえる。
戦後復興のエネルギーは、衣食住に対する欲望ではなく、「娯楽=祭りの賑わい」にあった。とりあえず衣食住はありさえすればなんでもよかったが、人々の心が華やぎときめいてゆかないことには集団が活性化するエネルギーは生まれてこない。
この国の戦後復興のダイナミズムは、極端にいえば、衣食住のことなどそっちのけで「娯楽=祭りの賑わい」を盛り上げていったことにある。
ろくな文明を持たない原始人であるネアンデルタール人が氷河期の北ヨーロッパという厳しい環境に住み着いてゆくことを可能にしていたのも、フリーセックスをはじめとする「祭りの賑わい」だったのだ。
人類が生き延びるための衣食住の追求を第一義にして生きている存在であるのなら、現在の飢餓地帯など生まれてこない。それなりに、衣食住や未来のことなどそっちのけで生きてきてしまったことのツケとして飢餓に直面しているのであり、貧乏人だからこそ、「今ここ」の「娯楽=祭りの賑わい」がなければ生きられなかったのだ。
人は、心が華やぎときめいてゆくカタルシス(浄化作用)を体験しないと生きられない。人の生は、生き延びることができればそれでいいというわけにはいかない。
人間性の自然は、「生きられなさ」に身をさらしながらそこから「もう死んでもいい」という勢いで心が華やぎときめいてゆくカタルシス(浄化作用)を体験してゆくことにある。
徹底的に生き延びるための衣食住を追求して生きてきたのなら、飢餓地帯になんかなるものか。そこを住める土地にするというよりも、住める土地に移住してゆく。たとえ住めない土地でも、「娯楽=祭りの賑わい」があれば住み着いてしまうのだ。そして住めない土地だからこそ「娯楽=祭りの賑わい」、たとえばセックスの体験がより切実で豊かになったりもするのだ。そうしてどんどん人口が増えてゆき、ますます住めなくなっていった。
たとえ住めない土地であっても、そこで「娯楽=祭りの賑わい」が豊かに生成していれば、人はどんどん集まってくる。身動き取れないスタジアムの観客席でも、どんどん集まってきて、「祭りの賑わい」が盛り上がる。


戦後の東京のように、こんなにも急激に人口が増加した例は世界中のどこにもないらしいが、それだけ日本人は旅が好きで、どこからともなく人が集まってくる「祭りの賑わい」が好きな民族なのだろう。日本人にとってこの生の秩序と安定はひとつの「けがれ」であり、「みそぎ」の「旅」や「祭り」をしたがる伝統がある。
いやそれは、700万年前に二本の足で立ち上がって以来の人類全体の伝統なのだ。なのに世界の歴史家たちはなぜ、そろいもそろって「生き延びるため」という問題設定で語りたがるのだろう。
生き延びることがそんなに大事か?衣食住がそんなに大事か?この生や自分の心の秩序と安定がそんなに大事か?そうやって天国や極楽浄土まで生き延びたいのか?そんなことを全部忘れて、すなわち我を忘れて他愛なくときめいてゆくことができればどんなにいいかとあなたは思わないか?
現在の纏向遺跡の発掘も、世界の考古学の見解の例にもれず、大型の建物は神殿だろうといわれているのだが、弥生時代後期に宗教や呪術があったとは決めつけられない。たんなる祭りの象徴や舞台だったのかもしれない。つまり、祭りの聖地(=市)として人を集めるためのランドマークになる建物だったのかもしれない。
古代以前の人々には、この生の「けがれ」をそそぐ「祭りの賑わい」が必要だった。それはもう、人類拡散の歴史やネアンデルタール人の暮らしだってそうだったわけで、人類は、直立二足歩行の起源以来、そうやって「祭り」の歴史を歩んできたのだ。
仏教のような借りものではなく、縄文時代弥生時代に自前の宗教や呪術があったのなら、今ごろ日本人は、もっと信心深い民族になっている。
日本人があまり宗教心のない民族だということは、現在の世界に対するアドバンテージでもある。もちろん、世界やこの生やこの自分の心などの「安定と秩序」に対する欲望や自我が薄いために国としての外交交渉が下手だとか個人としても多くの人が生きにくくなってしまうというハンディキャップを抱えているのだが、だからこそ他愛なくときめいてゆく心も豊かにそなえている。日本列島の伝統は、「祭りの賑わい」の「混沌」とともに他愛なくときめき合ってゆくことにあり、それは700万年前に二本の足で立ち上がって以来の人類史の伝統でもある。
人間なんか、心の中に「混沌」を持っていなければ、どんなに正しくても賢くても、魅力的な存在にはなれない。どんなに正しかろうと賢かろうと、あなたはあなたが思うほど魅力的な存在になりえてないし、そんな自分に執着・耽溺しつつ人の心は病んでゆくというか、停滞・衰弱してゆくのだ。それで世間的な交渉術や保身術を磨くことはできるが、あなたの魅力なんかそこまでのことで、プライベートな関係になればなるほど相手の心は離れてゆく。
人の魅力は、その表情やしぐさにあらわれているのであって、正しさや賢さにあらわれているのではない。その正しさや賢さという「安定と秩序」に執着・耽溺する過剰な自我=自意識が、今どきの大人たちの表情やしぐさをブサイクなものにしている。
人は、この生やこの世界の「安定と秩序」に執着・耽溺しながら心を病んでゆくのだ。「安定と秩序」がないから心を病むのではない。「混沌」を生きる無防備で他愛ない「ときめき」を失いながら病んでゆくのだ。
「安定と秩序」の中の予定調和のルーティンワークが現代社会を動かしている。それはもうしょうがないし、多くの若者たちがそんな中で傷つき心を病みそうになりながら生きているのだけれど、それもどこかしらで「生きることはルーティンワークじゃない」と思っている。この生やこの世界の「混沌」の中で、心が華やぎときめいてゆくカタルシス(浄化作用)が体験される「出会い」を待っている。
「日本中が都市化している」といわれる現代社会において、この生やこの世界の「混沌」を排除して生きることなんかできない。
蛇足してひとつ付け加えておくなら、たとえば「この世界に原発があっていつ死ぬかもしれない<混沌>に投げ込まれてもそれはもうしょうがない」と考えている村人の心だってそれはそれで「都市的」なのであり、この生やこの世界の「秩序と安定」に執着・耽溺しながら「原発反対」を叫んでいるものたちの心のほうが、よほどやぼったくブサイクに病んでいるのだ。
どんなに生命賛歌の世の中になっても、それでも人の心の中の「もう死んでもいい」という勢いを持った心の動きを消すことはできない。