したたかさと他愛なさ・神道と天皇(63)

そりゃあ、欧米人の思考や行動ががどんなにえげつないかということは、彼らの国家外交の権謀術数のあれこれで、われわれは明治維新の不平等通商条約以来現在までいやというほど思い知らされている。
彼らにとって裏の裏の二枚舌三枚舌なんか当たり前のことで、われわれもそれに対抗できるだけの思考と行動を持たねばならないなどとよくいわれるが、それをまねてもけっきょく相手のほうが一枚上手だったという結果になるだけかもしれない。彼らのえげつなさをちゃんと承知しておく必要はあろうが、単純に真似をしてもかえってしてやられるだけだ、ということにもなりかねない。
なんといっても歴史が違う。この島国においては、国と国の厳しい局面を生き抜くトレーニングをしてこなかった。
中国やインドやイスラム地域ならそれなりに対抗できるしたたかさを持っているのだろうが、われわれが付け焼刃でそんなことをまねてもかえってなめられるだけかもしれない。
何をもって対抗するかということは、訳知り顔の欧米通の知識人がいうほどかんたんなことでもないのだろう。
そのえげつなさをちゃんと知ってそれを許すという思考は必要だろうが、真似をすればいいともいえないに違いない。
欧米の場合、100年200年前までは、もっとも良識的な白人でさえ、黒人差別は当然のことだと思っていたし、黒人を家畜として飼育する牧場さえあったといわれている。黒人にやさしいといっても、馬や牛に対してやさしいのと同じ心理だったのだとか。われわれ日本人からしたらずいぶんえげつない見方をするものだなあと思うのだけれど、無意識のうちにみながそういう見方をしていたのだから、良い悪いの問題ではない。彼らは、そういう歴史を生きてきたのだ。
彼らからすれば、黒人が牛や馬であるなら、異民族は鬼や妖怪だった。そのようにして文明社会の歴史がはじまった。
太平洋戦争のときのこの国で「鬼畜米英」といっていたのは、向こうがこちらのことをそう思っていたから、それを真似しただけだろう。
しかし、それだけでは芸がなさすぎる。そんなことをまねても、日本人の憎しみはいかに底が浅いかということは、戦後のアメリカ礼賛でよくわかる。憎しみ続けるという歴史を歩んでこなかった。
この国が外交交渉するためには、いかに駆け引きするかではなく、いかに駆け引きが通用しない場に引きずり込むかということも必要なのだろうか。
ともあれ黒人だろうと黄色人種だろうと同じ人間だというのは今やあたりまえのことで、なぜそうなってきたかといえば、それがあたりまえの事実だからだろう。べつに知識人の良識とやらにリードされてきたわけでもあるまい。赤ん坊はそんな差別はしないし、犬だって黒い犬と白い犬があたりまえのようにじゃれ合っている。あたりまえの事実に導かれてそうなってきただけのことだろう。言い換えればわれわれはつねに、あたりまえの事実という「他愛なさ」あるいは「本能」に遡行できるかどうかと試されている。
まあ、政治のことはよくわからない。とにかく縄文時代以来のこの国ならではの伝統というのはたしかにあるわけで、ここではそこのところを考えてみたい。

欧米では「ディベート」を教育の一環として取り入れているが、日本列島ではほとんどそんなことをしていない。だから外交交渉が下手なのだといわれたりするわけだが、そうやって黒いものを白だと丸め込むことが上手になればえらいともいえない。われわれは、そんなことをしたがらないし、する必要のない歴史を歩んできたのだ。つまり、他愛なさ(=本能)に遡行してゆく文化をはぐくんできた。
縄文時代に共同体の政治や戦争がなかったということは、人と人の関係に、憎しみ合いや駆け引きがなかったということを意味する。他者を打ち負かそうとか支配しようとか、そんな欲望のない社会だった。彼らはひたすら「他愛なさ(=本能)に遡行しようとしていった。そしてそういう欲望がないというか希薄な社会から「呪術」が生まれてくるということは、どう考えてもありえない。
まあ「ディベート」だって、一種の「呪術」なのだ。黒を白だと言いくるめようとする、それは雨なんか降るはずがないのに無理やり降らせようとするのと同じだろう。
縄文人には、そんな欲望はなかった。雨が降ることを待つことはしても、降らせようとはしなかった。
日本人が外交交渉が下手なのは、それだけ呪術の歴史が浅いということであり、呪術などなくてもすむ歴史を歩んできたということを意味する。
大集団で農業をしながら暮らしていれば、内輪の人と人の関係においても外の集団との関係においても、それなりのいさかいや軋轢がが起きてきて、そういう状況から呪術が生まれてくる。それはもう人類の歴史において避けがたいなりゆきであったとしても、しかしそういう状況が存在しない縄文時代1万年の歴史を歩んできた日本列島においては、1500年前の仏教伝来とともにそれが本格化してきたにすぎない。
縄文時代には、「呪術」とともに生まれてくる「霊魂」とか「生まれ変わり」というような概念もまた存在していていた必然性は何もないのだ。
縄文人は、雨なんか降らせようとしても降るわけがない、降るときには降る、そういう当たり前の事実を受け入れて生きていただけだ。人は、死にたくなくても死ぬときは死ぬ、そういうあたりまえの事実を。

死んだら天国に行く、といっても、誰もが行けるわけではない。ちゃんと「呪術」をしてやらないといけない。というか、天国に行くと思うこと自体がひとつの呪術なのだ。生きている人間はみな死んだことがないのであり、そんなことを客観的に証明することはできない。ただ呪術として、そう思い込むことができるだけだ。
祈れば、天国に行く、雨が降る、病気が治る……そうなるはずもないのだけれど、そうなると思い込むことができる。呪術とは、「思い込む」ための手続きなのだ。
思い込むためには、みんなで思い込む方が有効だろう。ひとりだけではなかなかそれはできない。つまり、みんなで思い込む体験として呪術が生まれてきた。大きな集団をつくってみんなで思い込む体験として呪術が生まれてきた。
縄文時代のたかだか数十人の集落で思い込んでも、確信にはなれない。思い込みたくても、つねに不安が付きまとう。数千人以上の都市集落になって、はじめて「しんそこ思い込む=呪術」が成り立つ。
縄文時代の山の中の複数の集落が結束してひとつの共同体をつくるということはなかった。男たちはそれらの集落を訪ね歩いていたが、集落どうしは関係することなくそれぞれ孤立していた。なぜなら、集落の住人である女子供たちが細く険しい山道を往還することは不可能だったからだ。
そういう状況から呪術が生まれてくることは、まずありえない。
数千人以上の都市集落における「共同幻想」として呪術が生まれてくるのだ。
現在の未開の民族の小集落にも呪術は存在するといっても、彼らは部族という単位の共同体を持っており、集落どうしで女を交換するし、部族どうしで戦争もする。縄文社会には、そのような習俗はなかった。
「呪術」とは、現在の言葉でいえば「都市伝説」なのだ。縄文社会にそのような共同幻想=集団幻想はなかった。だから戦争がなかったのであり、三内丸山遺跡も「都市」のレベルに拡大することなく消滅していった。おそらく、いたずらに集落が大きくなってしまったから滅びていったのだ。それは、「呪術=都市伝説」を持たない縄文人の世界観や生命観や人と人の関係の流儀にそぐわなかった。
縄文社会が呪術の上に成り立っていたなどと安直にいってもらっては困る。
もちろん人は社会的な生きものであるが、原始社会でも自然に「呪術」が生まれてくるというような法則はない。そのことは、日本列島の縄文社会が証明している。

アフリカ奥地の未開社会であれ、アマゾン奥地であれ、南アジアのポリネシア等の島々であれ、すでに部族的な共同性を持っていたから、文明社会から伝播してきた呪術的な観念に洗礼・洗脳されていった。それは、けっして原始的な呪術ではない。彼らもまた、呪術を持った時点で、すでに文明人だったったのだ。
しかし四方を荒海に囲まれた島国の縄文人は、世界最先端の文化(知性や感性)を持ちながら、文明社会の「制度性=呪術性」に洗礼・洗脳されることなく1万年の歴史を歩んでいた。つまり、大きな集団をつくって異民族と対峙してゆく必要のないある意味平和な環境に置かれていた。
そして平和な環境に置かれた人類は、その人間性の自然必然として安楽に生き延びることを願うかといえばそうではなく、あえて「生きられなさ」を生きようとする生態になってゆく、ということを縄文時代の歴史が語っている。
三内丸山遺跡が都市に発展することなく滅んでしまったことは、彼らが大集団の秩序(=制度性)に守られながら安楽に生き延びることを願わなかったことを意味している。べつに異民族に滅ぼされたわけではないのだ。
現代の平和な社会においてもなお安楽に生き延びようとする「生命賛歌」が叫ばれているということは、それだけ生き延びることに不安を抱えているからであり、ある意味で戦時下と同じなのだ。
現在のこの社会は本当に「平和」だろうか?そりゃあ人はみな死ぬのだから、その事実から追い詰められるのが人間性の自然だと現代人は考えているわけだが、戦争も競争もない「平和」な縄文社会では、その事実を受け入れ「いつ死んでもかまわない」という覚悟で人々が暮らしていた。
戦時下だろうと平和だろうと、人間性の自然は、「いつ死んでもかまわない」と覚悟して生きることにある。その覚悟とともに人類の歴史ははじまり、その覚悟とともに人間的な知性や感性が進化発展してきたのだ。
縄文時代に戦争や政治や呪術等の文明制度は存在しなかったが、存在しなかったからこそ人間的な知性や感性においてすでに大陸よりも洗練発展していたともいえる。そこのところをどう証明してゆくかが、これからの縄文学の課題かもしれない。
すでに洗練発展していたから、仏教伝来に際しても、日本列島の精神風土に即したカウンターカルチャーとして神道が生まれてきた。
文明制度によって人間的な知性や感性が進化発展するのなら、四大文明発祥の地がその後の人類史をリードしているはずだが、そうはならなかったではないか。そりゃあそれらの地では今なお政治的経済的な交渉術は大いに発達しているが、だからといってそれが稚拙な日本列島の文化が知性や感性において劣っているということもないだろう。
稚拙なままではいずれ日本列島は滅ぼされるという意見もあろうが、稚拙でもなお知性や感性において劣っているわけではないという与件から逃れられるものでもない。なんのかのといっても、「いつ死んでもかまわない」という覚悟ともに生きている「他愛なさ」こそが人間的な知性や感性の起源であり究極のかたちでもあるのだ。
そうやって人類の知性や感性は洗練発展してゆくし、そうやっていずれ人類は滅んでゆく。