あなろぐ放送はじめました。

2009-08-24

青ざめた勝者、清々しく笑う敗者

| 21:49

2009年8月24日 第91回全国高校野球選手権決勝

中京大中京高校(愛知) 対 日本文理高校(新潟)

      10     対    9




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「野球は2アウトから」とよく言うが、本当にそうなんだなと思わせてくれる試合にお目にかかれる事は滅多にない。




2点差、3点差くらいならなんとか持てる希望も、6点差となると神頼みに近いような気持ちになってしまう。



ましてや9回2アウトの時点でなら尚更だろう。



しかしこの日の決勝戦は違った。



本当に9回2アウト2ストライクという土壇場から怒濤の追い上げを見せた。



9回の表、中京大中京は6点リード。



誰もが余裕の逃げ切りを想像しただろう。



簡単に2アウトをとられ、その想像はいよいよ現実のものとなろうとしていた。




ここから日本文理は2四球を挟み打者一巡の猛攻。



5点を返し、1点差に迫る。



尚も1、3塁のチャンス。





球場の雰囲気は異様なものがあった。



6点差から4点差になった時、リードしているはずの中京大中京には追いつめられたような雰囲気さえあった。




観客の多くは何かが起こるかもしれないという思いと、いや、追い上げはしたがそうそううまくはいかず、ここら辺りで最後のアウトをとられ終わってしまうのではないかという思いが渦巻いていたと思う。





運も味方についた。




2点差となったあと、三邪飛を三塁手が見失っていたのだ。



本来ならそこで終わるはずだった甲子園。



飛球を見失ったことで生まれたドラマ。



そして最後の打者が放った強烈な打球は三塁手のグラブに直接収まり、今度こそ91回目の甲子園はその幕を閉じた。



青ざめた勝者と清々しく笑う敗者。



野球というスポーツの魅力を再び教えてくれた両ナインに感謝したい。



中京大中京高校野球部、優勝おめでとう。


日本文理高校野球部、準優勝おめでとう。




諦めない強さというよりも、信じきるということの強さを実感した試合でした。




ナイスゲーム!

2009-08-22

「思考する」という楽しみ方

| 00:11

芸術やアートと聞くと敷居が高い気がしてしまって、尻込みしてしまう人は

多いと思います。


ましてや抽象画なんて見ようものなら何が描いてあるのかさえチンプンカン

プンで、この絵のどこが良いのかなんてまったく分からない…と思ってしま

うことでしょう。


そんな人にこそ読んでほしい本が「知識無用の芸術鑑賞」という本です。




今、多くの人にとって芸術は身近にありながらその距離はとても遠いものと

なってしまっています。


それは芸術に対する誤解、偏見からくる心の距離が身近にあるはずの芸術を

遠ざけているのです。



「芸術はよく分からないし、エンターテイメントの方が楽しくて好きだわ」



このような言葉をしばしば耳にすることがありますが、この言葉はまさに

“芸術に対する誤解”を象徴する言葉でしょう。


芸術はエンターテイメントと違ってサービス業ではありません。


つまり、エンターテイメントと同じものを期待するのはお門違いというもの

なのです。


芸術は“思考のきっかけ”をくれるものであり、自分から歩み寄っていかなけ

れば何も面白くありません。


時には数歩歩み寄ってもツンっと向こうを向いたままで、なかなか楽しめな

いかもしれませんが。


そんな時はさらに歩み寄ってみればいいのです。


ジロジロと様々な角度から眺め回し、自分の脳みそと会話し、再びジロジロ

と眺め回す。


時には遠く離れてみたり、近寄ってみたり、自分がその作品を作った気にな

ってみたり、偉そうな批評家になってみたり。


子供のようにひたすら「なぜ?」をぶつけてみたり。


権威ある美術館に並べられているかといって何も全て肯定する必要は全くあ

りません。


いろいろと歩み寄ってみた上で否定するならそれはそれで構わない。


いろいろと考えてみた上で否定するのならそれはもう大きな一歩。


それはもう立派に芸術を楽しんでいます。


「なんとなく」を思考という作業によって徹底的に排除した時、芸術の楽し

み方を実感できるのではないでしょうか。




そして先ほど紹介した「知識無用の芸術鑑賞」という本はそのきっかけとす

るにはもってこいです。


60余りの芸術作品について“著者なりの”考察や分析が述べられており、先

ほど言った“思考する”という作業が実例として実践されています。


本を出版するだけあって、その思考力はすさまじいものですが、芸術に興味

を持てたなら全てを読む必要はないと思います。


著者もあとがきで言っているのですが、結局は「思考せよ」というところに

落ち着くのですから。


実感として芸術に対して思考することは楽しそうだ…と思えればそれで良い

のです。


それが他の芸術解説本ではなくこの本を読んだ最大のメリットだったなぁと

読み終えて感じたのでした。




知識無用の芸術鑑賞 (幻冬舎新書)

知識無用の芸術鑑賞 (幻冬舎新書)

2009-07-23

常識をほんの少しだけ破る

| 03:21

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イタリアの劇団、ミラノピッコロ座の「アルレッキーノ-二人の主人を一度に持つと」という舞台を見た。


かなり古典の舞台らしいのだが、新鮮さに驚いたことがあった。


舞台の中にもう一つ舞台があったことだ。


簡単に言うと、舞台の中の舞台(以後主舞台と呼ぶ)では本編のお話が進められ、主舞台の外の舞台(以後脇舞台)では本編から退場した役者がそのまま残るという、いわば舞台袖のような役割を果たしているのだ。


さらに、舞台袖のような役割を持ちながらも時折主舞台にヤジを飛ばしてみたり、茶々を入れてみたりと、相当騒がしい。


しかしこの騒がしさが、うまいぐあいに緩急となって、“観劇”によって少し凝り固まった肩をほぐしてくれるのだ。(それもだいたいシリアスな場面で茶々を入れるので余計に)


ジャンルとしてもコメディア・デラルテという伝統的な即興喜劇とのことなので、あまり肩に力を入れさせない狙いなのかもしれない。


前回の『にんぎょひめ』が少し堅苦しい印象だったので、余計にそう感じた。




舞台の中にまた舞台を作る。


一見たいしたことない発想だが、柔軟性に少し欠ける私の頭にはとても新鮮だった。


常識をほんの少しだけずらしてみる。そのほんの少しが大きな効果をもたらす。


それがなかなかできずに、面白い事を考えようとするとかえって常識や定石に脳がしばられてしまう。


この舞台をみて、自分の頭がいかに凝り固まっているのかということを改めて思い知らされたのでした。







※後日詳しい人に聞いたところ、もともとは伝統的な野外劇だったので舞台袖が存在せず、演じ終えても観客の目から逃れられないのでこういった形になったとか。

それを今日の(劇場で見る)演劇にそっくりそのまま持ってきたところ、結果として新しい型破りのような形になったそうです。(もちろん演出が意図的に残したのでしょうが)

2009-07-04

これに勝る「破」なし

| 02:00

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エヴァンゲリヲン新劇場版 破 』



D




まさに「破」と銘打つに相応しい内容でした!!!

「破」としては満点!!…と言ってもいいんではないでしょうか。


全四部作の第二部作目「破」。


TVシリーズの焼き直しのような印象を受けた新劇場版第一部「序」から一転、冒頭から新キャラ真希波・マリ・イラストリアスとTVシリーズでは台詞だけで一切その姿が出て来なかった4号機を惜しみもなく投入。

さらに同じく描写のなかったエヴァ4号機の爆発事故の詳細描写、大筋を知っている者だからこそ予想できなかった(予想したくなかった)アスカの3号機への搭乗、そして死。※1

エヴァの拘束具からの開放、理性を保てる人型から闘争本能のみの獣型(?)へと変貌するエヴァンゲリヲン裏モードの登場。

レイとアスカのシンジをめぐっての(水面下の)料理対決などなど… 


完全に良い意味で期待を裏切られましたよ。


これ、庵野総監督が脚本出した時、スタッフも「えぇ〜〜っっ!!!!!????」って思わず言ったんじゃないかなぁ。


それくらい衝撃に次ぐ衝撃、さらにだめ押しの衝撃っ!!!!…という感じで圧倒されっぱなしでした。


上映終了直後、館内にどよめきがおこり、なかなか収まりませんでした。(ちなみに「序」の上映終了直後は会場内から拍手が巻き起こりました)




いやぁ…本当にすごいの一言。(一言でまとめちゃだめなんだけど)





けど、これはあくまで「破」としての評価なんです。




つまり、サブタイトルの通り、第二部作目の目的は「TVシリーズの構成、イメージを破ること」にあった訳で、それに関して言えば満点なのですが、四部全編通しての「新劇場版エヴァンゲリヲン」としての感想、印象、評価はまた別になる訳です。



この「破」という章がただの「過去のエヴァンゲリヲンの破壊」ありきの章になってしまっているのか、それとも新劇場版のプロローグとして今後効果を発揮していく章になっていくのか。



全ては次の「急」にかかっていると言っても過言ではないでしょう。



今後の展開次第では駄作にも秀作にもなる、無意識のうちに感じたそんな不安と期待を上映終了後のどよめきが物語っているのではないでしょうか。



もし新劇場版が過去のエヴァンゲリヲンとの決別、差別化という点に重点が置かれていた場合、今回の「破」は四部作のピークになってしまうはずです。残りの二部作は「破」でおっぴろげた大風呂敷を回収する為だけの尻すぼみ型物語になってしまうでしょう。


もしこの「破」が全体のプロローグにすぎず、新劇場版全体で伝えたいメッセージを伝える為の最初のとっかかりだとしたら…「急」で加速、「最終章」で更に加速してジャンプ!というエネルギーに溢れた物語になるに違いないのです。



もちろん観客としては後者を期待します。



まだ全体の半分しか進行していないので全編通しての製作陣のメッセージはさておき、今回の新劇場版「破」には一体どんなメッセージが隠されているのでしょうか。





個人の印象としては「後悔したくなければ自分の気持ちに真っ正面から逃げずに向き合い行動しろ!」というメッセージが込められていたように思うのですが。


シンジは気になるレイのためにお弁当を作り続けました。

レイはアスカにせっつかれてシンジに好意を抱いている事に気付き、シンジを喜ばせる為に手料理を練習し始めました。

アスカは孤独なんて怖くない…と強がっていた自分を見つめ直し、仲間といる心地よさに気付きました。

さらにレイに触発されて負けじと(強がりなので認めないのですが)シンジのために料理を練習し始めまいた。


それぞれが自分が思ったこと、感じた気持ちを多少遠回りしながらも素直に受け止め、何をするべきか、何をしたいかをしっかりと見定め自ら行動しています。



そして極めつけは…



3号機が使徒浸食された際、シンジはアスカが3号機に搭乗していることを理由に搭乗するエヴァ(初号機)での攻撃を拒否します。しかしそれは結果としてダミーシステムの使用へとつながり、容赦情け無い殺戮マシーンと化した初号機は3号機の五臓六腑を食いちぎり、あまつさえアスカの乗るエントリープラグまで噛み砕いてしまうのです。

そうです。(TVシリーズから成長したと思った)シンジは、ただの腑抜けやろうにあっという間に逆戻りし、無理だ駄目だ嫌だという 超 ネガティブ人間として目の前にある事象(アスカの搭乗する3号機が使徒浸食されているという事象)から逃げていしまうのです。

シンジは闘うことから目を背け、同時に万が一にもアスカを救うチャンスからも目を背け、アスカを見殺しにしてしまった訳です。



激しく後悔と自責の念にさいなまされた(であろう)シンジは怒りの矛先を戦闘命令を下した上官(父)に向けます。しかし怒りの矛先を父親に向けた所でアスカは戻ってきません。



そんなこんなしているうちに今度はレイまで同じような事象で失いそうになります。



そこでシンジはやっと目が覚めます。アスカを失って、また自分が目の前の現実から逃げてレイまで失う訳にはいかないと。アスカには悪いけどアスカを失ったことでシンジは逃げてはいけない現実に立ち向かう覚悟が固まります。つまり今まではイヤイヤ乗せられてる感の強かったエヴァ初号機エに今度は自分の意思で、自分の目的の為に乗り込むことを決める訳です。その覚悟は「可能性が0じゃないなら僕はどうなったって構わないからやってやる、綾波を連れ戻す」的な意味のシンジの台詞(正確には覚えてないのでDVDが出たときにでも検証を…)を口にするのですが、ここに全てが集約されていると思います。




一度した後悔を再びしたくないのなら、逃げずに体当たりしなきゃいけない時があるんだ!




…ということをアスカを失ったことによって強く意識させられたのではないでしょうか。



そうして決死の体当たりで使徒からのレイ奪還に成功したシンジは代償としてエヴァ初号機と融合してしてしまうのです。しかしそこに後悔はなく、一つ壁を越えたような温かな達成感のようなものさえ感じながらシンジはエヴァに取り込まれ、人でもエヴァでもない限りなく神に近い新たな種として生まれ変わるのでした…











…と、いう風にすんなりとは終わってくれません。




なんせこれは「破」です。




徹底的に、積極的に新しい謎や意味深な台詞を投入し、観客の頭を混乱させます。





もうそろそろ「破」も終わりかと思ったその時!初号機を突如宇宙空間より飛来した(たぶんロンギヌスの)槍が貫き、エヴァの活動を停止させたのでした!!!!



どうなるシンジ!!どうなる初号機!!!



そして締めくくりは「シンジ君、今度こそ僕は君を幸せにしてみせる…」


という意味深なカオルの発言で「破」はしめくくられたのでした。








そして「急」の予告編…




あれ?




死んだ※1と思ってた式波・アスカ・ラングレーがおる!!




…ここが不安要素でもあるわけです。




アスカが3号機に乗ったのは今後大きな意味をなすのか、それとも意外性を狙って搭乗させただけなのか…。




びっくりさせたかっただけなのか、何かメッセージが隠されているのか…。



ここいらがはっきりしないため、「破」で丸投げされた色んな意味での謎や不安を次の「急」までソワッソワっしながら待たなくてはいけなくなってしまったわけです。



…まったくうらめしぃ…。。。


ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序 特装版 [DVD]

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2009-07-02

メガトロン…あぁメガトロン、メガトロン。

| 21:26

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前作「トランスフォーマー」の続編。


前作で破れた悪の親玉、メガトロンを復活させる為に暗躍するディセプコンの残党達。


オートポッド達はディセプコンの残党の活動が活発になったことから、ディセプコン側に何らかの企みがあるのではないかとの疑念を持ち始める…。



そして、復活したメガトロンによる “リベンジ” が始まるのだった!!!!!!!!



…という展開を当然のごとく期待したのだが、ディセプコン側の主役は復活したメガトロンではありませんでした。



メガトロンには師と仰ぐザ・フォールンというトランスフォーマーがおり、その彼がディセプコン側のリーダーとして地球にいるオートポッド達にリベンジを果たすという予想外の展開。



前作で最強最凶を誇りオートポッドや人間を苦しめまくったメガトロンは、師・フォールンの三下雑魚扱いに超格下げ。やっとの思いで復活(本当に終盤まで引っ張りまくって全然復活しないんだ。)したフォールンは(たぶん)尺の都合であっさりと葬り去られるという始末。



なんだか泣けました(笑)



どうしたんだ!?メガトロン!!



何故出てきたんだ!?フォールン!!





でも映画は前作よりも楽しめたかな。


組織の関係図を把握していたというのもあるだろうが、話の筋は分かりやすかったし、所々にちりばめられたギャグも良く効いていたし。(半分以上下ネタだったけど)


しかし、見せ場であるはずのCGは目が回った。

くるっくるくるっくる高速でカメラを回転させるので、どこ見りゃいいの?という印象しかない。(ただでさえトランスフォーマーを構成するパーツが多いので、何が何だかよく分からない!)

早いカメラワークだけじゃなくて、ゆっくり回すことによって感じるカッコ良さ、演出も取り入れてほしかった。(米国人と日本人の感性の違いなのか?)

子供の時って気に入った玩具を上から下からゆっくり眺めたりしたでしょう?


トランスフォーマー1体あたり数万のパーツを使ってるとのことなので、余計そう感じました。


興行的には成功したみたいだし、これは第3部があるんじゃないでしょうか。

巨大ロボットを動かすことはいつだって男の子の夢なので、マイケルベイ・スピルバーグを筆頭に永遠の少年たる製作陣がまた新たな物語を生み出してくれるのではないでしょうか。




トランスフォーマー用語解説☆


トランスフォーマー → ナノマシンの集合生命体の総称。

※ディセプコン    → 地球侵略を企むトランスフォーマー組織の総称

※オートポッド    → 対ディセプコンのトランスフォーマー組織の総称

メガトロン     → 前作のディセプコンのリーダー。前作ではむちゃ強かった。

※フォールン     → 今作のディセプコンのリーダー。メガトロンの師。終盤に登場するもパワーアップしたオートポッドのリーダーに瞬殺される。何故出てきたし!!



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