HODGE'S PARROT

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「私は研究者です」と発話すること

tummygirlさんに言いたいことは、そもそもご自分が「最初に書いた文章」を、もう一度良く読んでいただきたい、ということです。

チェイニーの娘の件から始まって、彼女の「自己申告」を「否定」して、ブッシュ発言を「正しい」とする意見の表明。「変態」という言葉の連発。そして「持論」を展開して、締めは、「豆腐」だとか「あぶらげ」とかいう馬鹿にしきった「レトリック」。

なぜ僕があなたに意見せざるを得なかったかが、まったくわかっていない。

あなたが「バトラーの劣化コピー」のような「持論」を述べることはまったく自由ですが、それが文学や芸術を<対象>にしているのではなくて、「生活者としての人間」を<対象>にしているという「認識」はどれほどあるんでしょうか。

フーコー的な歴史的構築性や権力の分配の分析と同時に、デリダ的な脱構築」をやりたいだけならば、なぜセクシュアル・マイノリティを「実験台」に乗せるんですか?
やりやすいからですか?
ハヤリだからですか?
「弱い立場の人間」ならば、研究対象として、勝手に(再)配置、(再)意味付けという「権力」を行使しても、かまわないと思っているんですか?

僕があなたの<嗜好理論>には無理がある、現実を無視している、というと、「SMフェミニスト」だとか「ブッチ・ダイク」だとか、様々な「相対主義」をし掛けてくる。

しかし、その場合でも、あなたは、なぜ、「SMフェミニスト」や「ブッチ・ダイク」のアイデンティティのことがわかるんですか。個人のセクシュアリティについては、ブッシュ大統領と同じく「わからない」と表明しているあなたが、どうして、セクシュアル・マイノリティの「アイデンティティ構築」について一言を主張できるのか、それが僕には納得がいきません。

あなたは、「SMフェミニスト」や「ブッチ・ダイク」、同性愛者を始めとするセクシュアル・マイノリティを、すべて<嗜好>による<構築物>だとしている。あなたには、そう「映っている」から。あなたには、そのように、セクシュアル・マイノリティが「立ち現れて」いる。だから、そのようなものとして、「絶対的に言い当てられる」という結論に至る。
もちろん、それは、最初にセクシュアル・マイノリティ=研究対象が「主張」する<指向>を「判断停止」した「賜物」だ。「研究者」である<わたし>の主張のほうが、「研究対象」ごときの意見なんかよりずっと「厳密」であり、最終的に「彼ら」の利益にも叶うと信じるに足る。あなたは(安全圏にいる)「超越者」の「視点」で、セクシュアル・マイノリティ(のアイデンティティ)を「自分の理論」に「還元」している……還元しても良いと思っている、なぜなら<わたし>は「研究者」だから。
あなたの文章を読んでいると、フッサール的な「理念」(あるいは「楽観」)が「いきいきと」感じられる。

また、僕のあなたへの「反論」として、「生まれつき」だからこそ差別が発生した、差別の「根拠」は産出される、ということに対し、あなたはどう応えましたか。

「根拠もなく」ではなく「正当な根拠もなく」というべきだった。ここで「正当な」というのは極力「正義」にのっとった、という意味であり、私はこの部分を全面的に削除することはできないと考えている。

「正当」や「正義」は、そして無論「根拠」は、いったい、誰が決めるんですか。こういったことこそ、まさしくフーコーが分析したんじゃないんですか。同性愛者抑圧は、「正当/正義の根拠」の<主張>によってなされてきた。
しかもあなたはフーコーが「権力」として批判した「精神分析」を(留保を交えながらも)肯定している。精神分析がかつて行った「犯罪行為」には、まったく「関心」がないようだ。セクシュアル・マイノリティを「研究材料」としているのに、セクシュアル・マイノリティを「囲い込んだ<言説>」、差別の「歴史」には、興味がないんですか?

あなたは、本当に、

フーコー的な歴史的構築性や権力の分配の分析と同時に、デリダ的な脱構築

を目標に掲げているんですか?

あなたは、セクシュアル・マイノリティを「変態」と呼んだ。不適切で適当な「レトリック」を使った──セクシュアル・マイノリティ相手なら、そのような「馬鹿にしきったレトリック」を使っても良いと「判断」した。

それが、あなたの──お好みならば無意識の──態度です。
あなたの「セクシュアル・マイノリティ研究」は、セクシュアル・マイノリティに対し、「抑圧的」です。