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2004-10-29

敵対性のエチカ

敵対性のエチカを含むブックマーク

http://macska.org/index.php?p=49#more-49

早速のご返事ありがとうございます。

僕の方も、書き方がまずかったり、SMとの比較に不備があったことは認めます。しかし、僕が<本当に>、SMや「髭好き」との比較を行いたかったのは、男女のSM<指向者/嗜好者>には、結婚社会保障が受けられる、という文脈です。同性カップルの場合は、SMを嗜好をもっている/いないに限らず、そうではない、ということです。

そのことから、まず同性/異性という二項に問題をフォーカスしました。この場合、現状、macskaさんの敵対的なレトリックを敷衍するならば、「男女のSMカップル」は、すでに・つねに「白人」だと思います。白人史上主義=強制異性愛において、ある程度の「地位」は、すでに「保証」されています。それが僕が取ったSMとの「比較」です。

ここまでの論旨で、僕が「名誉白人」の立場を目指すと非難される謂われは、ありますか?

そして、指向=生まれつき、という立場についてです。

僕がtummygirl さんに真先に、異論/危惧を投げかけたのは、性的指向が「選択」であると主張することです。

性的指向が生まれつきではない、という「説」が「定評」になったとき、つまり「選択可能」<でもある>となったとき、そのときに「矯正」というプロセスが働かないか。そして選択可能ならば、なぜ通常・現状の「リプロダクション」に寄与しない「同性愛を選択」するのかという議論に発展しないか、ということです。

実際僕の「自己申告」は、生まれつきです。しかし、マジョリティにとって、その「自己申告」は、きちんと「承認」されるのか、という危惧があります。そして、最近になってやっと認知されてきた同性愛者の法的認知が、無に帰されるのではないか、という不安もあります。

こういったことに対して、対抗措置として、同性愛者が「生まれ」を<より>強調したのは事実ですし、そして実際に多くの(全部ではないと言っておきますが)同性愛者が、意図して/選択して「同性愛者になった」わけではないのに、多くの差別を受けていると感じていると思います。

そのことを、素直に表明しただけなのに、tummygirlさんによると、それは「特権的」であるとし、そういった立場が「他の嗜好を抑圧する」とされました。

macskaさんに聞きたいと思います。「長身愛者<嗜好者>」は、その組み合わせが<男女>であったならば、その人たちは命の危険に曝されたことが、ありますか。それを苦に「自殺」をした人を知っていますか? ほんとうに「男女の長身愛<嗜好者>」と「同性愛者」が同じ<レベル>で議論されうると思っていますか?

tummygirlさんもmacskaさんも、どこに住んでいるのかわかりませんが、もし同性愛を禁止している国や地域で、同性愛者として「生まれた」ことを想定したことがありますか。あなたたちは、「選択できる」から、そのときは、「同性愛を<選択>しなくて、別の<嗜好>を<選択>すれば良い」と言うでしょう。

しかし実際に、「同性愛行為」によって、投獄されたり、場合によっては死刑に処せられることがあります。過去の欧米でもそうでした。イギリスドイツでも1960年代までは、同性愛犯罪(crime)でした。それなにの、なぜ、彼ら/彼女らは「同性愛を<選択>」したのでしょう? 

同性愛以外の<嗜好>ならば、SMであろうが、「髭好き」であろうが、「長身愛」であろうが(もちろん男女間でもソドミーが禁止であった場合は知っています)良いのに、なぜ彼ら/彼女らは、同性愛行為を選択したのでしょう(敵対的な揚げ足を取られないように、ペドフィリアやレイプは現在でも禁止されているということは確認しておきましょう)。

それは、やはり、その人たちにとっては、同性愛が「生まれつき」で<選択>できないからなのではないでしょうか。僕が弁護士ならば、「生まれつき」を「断罪」する法律を、「別の民主的プロセスを可能にする法概念」──つまり「自由」や「平等」を掲げ、彼/彼女を全力で、死刑という求刑から救います/救いたいです/救いたかったです。それしか、ないからです。

「相手の身長にはこだわらない」という同性愛者を「両身愛者」であると決めつけるのと同じくらい不当です

いいえ、同性愛が「犯罪」とされるならば、同性愛者と「区別」される「両身愛者」という「概念」が、彼/彼女を「救う」てだてになったはずです。

彼/彼女は、決して、「バカな<選択>」をした「犯罪者」では、ありません。彼らの「生得の<指向>」の<後>に、それを取り締まる法律が登場したんです。

また、自分の性的指向が、自分の「信条/道徳」、育ってきた「環境」と齟齬をきたし、自殺を試みようとする人たち──多くは思春期少年・少女です──には、「それは、生まれつきで仕方がないのだから……」と説得します。彼らが、自分の<選択>が「親に迷惑をかける」と思いこんでいたのなら、なおさらです。「自分の育てかたが悪かった」と、うろたえる、少年少女の両親にも、「育てかたでゲイレズビアンになるわけではない」と訴えます。

彼らは、決して「親不孝」ではありません。「両親を悲しませる<選択>」をした「不良」ではありません。彼らが罪(sin)の意識で自殺するような悲劇は絶対に避けたいのです。そこまで十代の少年・少女を追いつめる<性的選択>ってなんでしょう? もし、厳格なキリスト教の家庭に生まれた少年少女が、もし、性的指向を<選択>できるのならば、どうして「同性愛なんか」を<選択>するのでしょう。

こういったことによって、僕(たち)が、「性的指向」の「生まれつき」を強調し、それがあなたたちにとって「抑圧」だと言うのならば、しかたがありません。そのことをして「名誉白人」だというならば、それもしかたがありません。

tummygirltummygirl 2004/10/30 01:37 新しくエントリを追加しました。Hodgeさんの前のエントリと、昨夜のコメントに言及しています。
ただ、私の方にはもう全くご意見をいただけないようですので、今晩のHodgeさんのエントリについて、少しだけ。

>男女のSM<指向者/嗜好者>には、結婚や社会保障が受けられる

これは殆どの場合そうです。それではたとえば、Macskaさんが挙げられた「ペドフィリア」の例はどうですか?結婚も社会保障も受けられない場合が殆どですよね(自分の好まない相手と形だけ結婚して、子供をうむ/養子をとる、という形ではなく、自分の性的な嗜好に沿う形でのパートナー関係ということです)。そうするとここでペドフィリアは指向でよいのでしょうか。ペドフィリアは「嗜好」だけれど同性愛は「指向」だというとしたら、それは「名誉白人」の例に相当しませんか?常に3人以上でパートナーシップを組みたいという人はどうでしょうか。その人たちは、3人あるいは4人、あるいはそれ以上のパートナーとしては、結婚もできないし社会保障も受けられません。

それから、どうしても気になるのは、Hodgeさんが「男女の場合は」ということを何の留保もなく仰る点です。これは、私が同性愛/異性愛という区分の「特権化」に賛成できない理由のひとつなのですけれども、「男女カップル」であっても、当事者の片方がTGあるいは戸籍上の性別変更を申請しないTSであれば、場合によっては1組のカップルが「同性愛」と「異性愛」を横断することもあるし、傍から見れば「異性愛(あるいは同性愛)」でも当事者の認識としては「同性愛(あるいは異性愛)」ということもあるわけです。同性愛/異性愛が常に生まれつきだ、と言うことは、このようなカップルを無視することになりませんか。それを何度もお尋ねしているのですが、一度もお返事をいただいたことがなく、Hodgeさんはもしかするとそういう例外を持ち出すべきではないとお考えなのではないかと思うようになりました。もしそうであれば、それは、同性愛という「例外」を結婚制度に組み入れるべきではない、と言うようなロジックとパラレルにはならないでしょうか。

>僕がtummygirl さんに真先に、異論/危惧を投げかけたのは、性的指向が「選択」であると主張することです。

私もMacskaさんも繰り返し言っていると思いますが、私は性的指向が「選択である」と主張したことは一度もありません。私が言ったのは、「セクシュアリティは選択の結果であり得る」ということです。この二つは全く違いますよね?さらに、私は「性的欲望のあり方」が「選択できる」と言ったこともありません。「変化することは、ある。好みだったものを断つことも、あり得る。しかし、<好み>が、いつ、どう変化するか、あるいはしないかについて、恣意的に決定することはできないし、たとえ将来それができるようになったとしても、<好み>の変更を強要されるべきではない」と言ったのです。お願いですから、もう一度私の書いたことを読んでください。

>対抗措置として、同性愛者が「生まれ」を<より>強調したのは事実ですし、そして実際に多くの(全部ではないと言っておきますが)同性愛者が、意図して/選択して「同性愛者になった」わけではないのに、多くの差別を受けていると感じていると思います。

>そのことを、素直に表明しただけなのに、tummygirlさんによると、それは「特権的」であるとし、そういった立場が「他の嗜好を抑圧する」とされました

ええと、もし「同性愛者の多くが意図して/選択して同性愛者になったわけではないのに、多くの差別を受けている」ということを「素直に表明した」ということであれば、私はそれには何の異議もありません。繰り返しますが、私がひっかかったのは「同性愛(と異性愛)は常に必ず本質的・生得的であり、したがって<嗜好>である他のセクシュアリティとは区別されるべきだ」という表現です。

>ほんとうに「男女の長身愛<嗜好者>」と「同性愛者」が同じ<レベル>で議論されうると思っていますか?

私もMacskaさんも、本当に繰り返し、「同じレベルで語ることはできない、しかし、同じレベルで語れない状態を作り出しているシステムこそが問題なのだ」と述べていると思います。

>あなたたちは、「選択できる」から、そのときは、「同性愛を<選択>しなくて、別の<嗜好>を<選択>すれば良い」と言うでしょう。

これも繰り返しになりますね。私もMacskaさんも、同性への欲望を「選択できる」とは一言も言っていません。同性との「性行為を行うこと」は、選択です(「性行為を行わない」という選択も常にあるからです)。これは勿論、同性との性行為が禁止されている場合にその選択をすることが間違いであるとかおろかであるとか言うことではありません。そのような禁止が不正なのであり、不当なのです。

大体、私が昨日のブログで書いたことは何だったのでしょう。私の<嗜好>は、好きに変更することもできないし、<選択>したわけでもないと、書きませんでしたか?

>僕が弁護士ならば、「生まれつき」を「断罪」する法律を、「別の民主的プロセスを可能にする法概念」──つまり「自由」や「平等」を掲げ、彼/彼女を全力で、死刑という求刑から救います/救いたいです/救いたかったです。

ここが少し怖いのです。「生まれつき」でなければ「自由」は保障されないのですか?「選択の自由」という論拠は成立しないのですか?勿論、当時「生まれつきだから」というロジックが受け入れられやすく(このあたりは、以前書いたとおり、「同性愛は神の摂理に意図的に逆らう行為だ」という社会通念があったこととの兼ね合いがあると思います)、戦略的にそのロジックが採用されたことはわかりますし、それを批判しているわけではありません。ただ、それをそのまま無批判に引き継ぐのはどうなのか、と言っているのです。

>彼らは、決して「親不孝」ではありません。「両親を悲しませる<選択>」をした「不良」ではありません。彼らが罪(sin)の意識で自殺するような悲劇は絶対に避けたいのです。

これは私も同意します。「性的指向」という言葉を使う(「生まれつきの指向」「そうではない嗜好」というロジックを使う)ことが、時と場合によってはあり得る、と、私は何度も書いたと思います。

それから、

>もし同性愛を禁止している国や地域で、同性愛者として「生まれた」ことを想定したことがありますか。

Macskaさんについては私が言うことではありませんが、私は、ええ、あります。私は自分が「同性愛者」であると思った時期があり、現在の自分のパートナーが異性であり同性でないのは殆ど偶然に過ぎないと、思っているからです。私とパートナーは人種も国籍も異なっていますから、私たちが全く違う時代(あるいはほんの60年前)に生まれていたらどうだっただろうかと考えることもあるし、この状態で私たちが同性だったらどうだろうかと考えることもしばしばあります。女性であるがゆえに結婚以外には生活の保障を持つことを許されない時代に、あるいはそういう国や地域、文化や階級に生まれていたらどうだったろうかと考えることもあります。

macskamacska 2004/10/30 03:22 んー、やっぱり書いていることがかなりの部分伝わってないような…
明快に書いたつもりだったんですが。

> ほんとうに「男女の長身愛<嗜好者>」と「同性愛者」が同じ<レベル>で
> 議論されうると思っていますか?

ええとですね、ここでは戦略の違いがあるわけです。

あなたの場合、「同性愛」と「異性愛」のあいだで差別的な扱いがあることに注視して、「同性愛」の扱いを「異性愛」なみに引き上げることを狙うという戦略を取っているように思います。これはつまり、同性愛以外の「変態」「異常」性愛への差別や「性別至上主義」を温存しつつ、「同性愛」の地位だけを上昇させようとするものであり、日本人を名誉白人として扱えと求めるのと同様の行為であると指摘しました。

わたしは逆に、「異性愛」が「同性愛」だけでなく多種多様な性のあり方に対して持つ特権的な立場自体を攻撃するという戦略を推奨しています。つまり、わたしが狙っているのは正確に言えば「同性愛」を「長身愛」と同じレベルで語ることではなく、「異性愛」を「長身愛」と同じレベルまで引きずりおろすことなのです。

HODGE さんは「同性愛者が差別を受けている」一面だけに注視することで、同性愛者がことさら差別されているというように装っていますが、例えば(行為ではなく、性的指向・嗜好としての)ペドフィリアに対する社会の偏見と比べて同性愛者の方がより偏見を受けているとは思えません。また、「男女のカップルであれば」同性愛者が受けられない全ての恩恵を受けられるというのが間違いであるというのも tummygirl さんが指摘した通りです。

> あなたたちは、「選択できる」から、そのときは、「同性愛を<選択>しなくて、
> 別の<嗜好>を<選択>すれば良い」と言うでしょう。

バカなことを言わないでください。わたしの発言のどこを読めば、そのような解釈が可能ですか? わたしは性的な欲望というレベルでは一般に人は「選択できない」と一番最初からずっと一貫して言っているし、同性愛者に対する差別や抑圧に反対する立場を明確にしていますよ。

> こういったことによって、僕(たち)が、「性的指向」の「生まれつき」を強調し、
> それがあなたたちにとって「抑圧」だと言うのならば、しかたがありません。
> そのことをして「名誉白人」だというならば、それもしかたがありません。

「同性愛者に対する差別や抑圧とたたかう」という正しい目的を掲げている限り自分だけは何をやっても良いという開き直りでしょうか?

「差別や抑圧とたたかう」という点で、わたしや tummygirl さんはあなたと目的を共有しています。ただし、わたしは「同性愛者に対する差別」だけを問題にするという戦略には同意できません。その他の差別についても同時に抵抗する必要があると考えます。

HODGEHODGE 2004/10/30 11:08 僕も、何度も書いてわかってもらえないようですが、たしかにtummygirlさんの議論に際して「人種」や「民族」のレトリックを引き合いにだしましたが、僕が主張したいのは”同性愛がこうだからペドフィリアの差別も「このようなものである」”と「言いたくない」ということです。

あなたたちは、すぐに、いろいろな嗜好を例示/考案して「一緒に共闘しましょう」、というスタンスが感じられますが、僕には、それこそができない、と言っているのです。
なぜなら、彼らの<立場>にいないからです。僕は「彼らの<立場>」を<実際に>知らないし、自分の経験・知識から「判断」できないからです。僕が「研究者の立場」に疑問を呈し、現象学を揶揄するような書き方をしたのも、そのためです。

自分が「同性愛者に対する差別<だけ>を問題にする」のは、「他の指向/嗜好に対する差別」を「知らない」からです、安易に「想定」して、いっしょくたに「還元」したくない、からです。

「男女の」という「言葉」を、僕が頻繁に使用するのは、同性愛が「男女の組み合わせ」ではないからです。そのことが<本質的>だからです。
(ペドフィリアの場合にしても、「異性間のペドフィリア」と「同性間のペドフィリア」では、「同性愛間」の方が厳罰に処せられる、という例を出しましたよね。その観点からすれば、「異性愛ペドフィリア」はすでに・つねに「白人」ではありませんか?)

(>>”常に3人以上でパートナーシップを組みたいという人はどうでしょうか。その人たちは、3人あるいは4人、あるいはそれ以上のパートナーとしては、結婚もできないし社会保障も受けられません。”

上記のこういうレトリックが同性結婚を否定する場合に使われますよね。これこそ「相対主義」をし掛けているように思われますが。
つまり「100人で結婚したい人たち」と「二人で結婚したい<同性愛者>」を同列に扱え、ということですよね。それを、あなたのような「研究者」は「結婚が認められていない同性愛者」に向かって「どうなんだ」と、「問い詰める」んですよね)


こういったことについて、「同性愛」を強調した結果、それが「開き直り」だと、「<あなた>にそのように<立ち現れている>」のなら、もうあなたちと議論をしても、(それこそ)しかたがないですね

kleinbottle526kleinbottle526 2004/10/30 22:05 未熟ながら今回この件について記事を書かせて頂きました。
http://d.hatena.ne.jp/kleinbottle526/20041030

僕のエントリでも書いたのですが、 HODGE さんは〈異性愛〉を「生まれつき」だと考えていらっしゃるのでしょうか。それが既に tummygirl さんや Macska さんの意見と異なっているように感じます。

まず、差別が無い状況を想像してみて下さい。同性愛もSMもペドフィリアも何もかも全ての性的欲求は尊重され、どんな関係性でもパートナーとして社会的な障壁を感じないような、そういう社会です。難しいかもしれませんが、無理矢理考えてみて下さい。そうしたとき、同性愛とSMにどんな違いがありますか?SMは選択可能(即ち選択しない事も可能)であって同性愛は選択不可能だ、というのは、どこに根拠がありますか?現在、同性愛とペドフィリアに対する扱いはもちろん違います。しかし〈ペドフィリア的な性的欲求〉と〈同性愛的な性的欲求〉に、どんな違いがありますか?それぞれ当事者が「選択した覚えは無い」と感じている場合、誰がどんな権利をもってして「ペドフィリアは選択可能だよ」と言えるのでしょう。

むしろそうやって「ペドフィリアは選択可能、嗜好だからね。でも同性愛は不可能なんだ、指向だし、『生まれつき』だから」と言うことが、それ自体が、同性愛とその他の嗜好を隔てているのではないですか?だからそれを戦略として採用した場合に、同性愛者にとっては有効であっても、 tummygirl さんや Macska さんのご指摘にあるように、他の性欲の在り方に対する抑圧としても作用してしまう危険性があると思うのです。

>「これは変態嗜好とは違うのだから差別をするな」というよりも
>「これもあれも、そしてあんた達のそれも、全部変態嗜好なのだ
>から、これだけを変態嗜好だと決め付けて差別をするな」という
>方が、効果的ではないだろうか。

と、初めのエントリで tummygirl さんは仰っています。これは、「同性愛者にとって効果的」という意味ではありません。同性愛差別が、たとえば HODGE さんの言うような方法(指向であり、生まれつきだからしょうがないという説得)で解決されるとしても、それはそれで喜ばしい事だが、そのために他の嗜好が抑圧されてしまうではないか!あらどうしよう!じゃー他の道がいいわね。という事なんだと僕は思っています。第一〈異性愛〉〈同性愛〉などの性別基準で分類されたカテゴリーだけを「指向」と呼ぶ根拠は、今のところどこにもないですし。その根拠として HODGE さんは「選択不可能だったから『生まれつき』だ!だから指向であって、選択可能な嗜好とは違う!」という主張を挙げていますが、何度も何度も Macska さんと tummygirl さんが仰っている通り、「選択可能か不可能か」というのは「生まれつきかそうでないか」ということと必ずしも一致しません。選択した覚えも無く感じる性欲はみな生まれつきだと言うのなら、ペドフィリアだってそうかもしれません。

kleinbottle526kleinbottle526 2004/10/30 22:36 ごめんなさい何だかSMを出したりペドフィリアを出したり、わけわかめですね。
どちらもとにかく「 HODGE さんが〈嗜好〉と呼ぶものの中の1つ」という意味で
捉えて下さい。
SMとペドフィリアを同一視しているわけではありません。

HODGEHODGE 2004/10/31 01:44 kleinbottle526さん、どうもです。でも、もういいかげんこの議論はヤめたいのですが……なので簡潔に。

>>まず、差別が無い状況を想像してみて下さい。同性愛もSMもペドフィリアも何もかも全ての性的欲求は尊重され、どんな関係性でもパートナーとして社会的な障壁を感じないような


想定できません。なぜならば、「レイプ」は生まれつきであろうとなかろうと「尊重」する必要はありませんし、してはいけないのです。

>>同性愛とSMにどんな違いがありますか?


わかってないんですね。では、「同性愛」と「同性愛者が行う同性間のSM」の<違い>は何ですか? または「異性愛」と「異性愛者の/同性愛者のSM」の<違い>は何ですか?


>>そのために他の嗜好が抑圧されてしまうではないか!あらどうしよう!じゃー他の道がいいわね

いいですか。あのお二人は同性愛者のことを「名誉白人」と呼ぼうとしていますが、あなたはそこに何の疑問も持ちませんか?
ジュディス・バトラー風の「言語行為論(モドキ)」で考えるならば、それが意味するところは、「おまえたちは、所詮、<名誉白人>どまりなんだよ、この有色人種が!」になると思います。「拠って立つ視点」ということを考えてみてください。
それと、tummygirlさんという「研究者」がやりたいのは、「フーコー的な歴史的構築性や権力の分配の分析と同時に、デリダ的な脱構築」ということで、セクシュアル・マイノリティはその格好の「実験材料」なんだと思いますね。

あなたは、これらの議論で、そういったことを読めないのならば、いつまでも「未熟」のままですよ。書いていてだんだんとイラついてしまったので、失礼はお許しください。これからもよろしくお願いします。

kleinbottle526kleinbottle526 2004/10/31 03:28 HODGEさんは下のように仰るのですが;
>いいですか。あのお二人は同性愛者のことを「名誉白人」と呼ぼうとしていますが、あなたはそこに何の疑問も持ちませんか?
>ジュディス・バトラー風の「言語行為論(モドキ)」で考えるならば、それが意味するところは、「おまえたちは、所詮、<名誉白人>どまりなんだよ、この有色人種が!」になると思います。

Macska さんは次のように仰ったと思います;
>わたしは逆に、「異性愛」が「同性愛」だけでなく多種多様な性のあり方に対して持つ特権的な立場自体を攻撃するという戦略を推奨しています。つまり、わたしが狙っているのは正確に言えば「同性愛」を「長身愛」と同じレベルで語ることではなく、「異性愛」を「長身愛」と同じレベルまで引きずりおろすことなのです。

これのどこが「所詮〈名誉白人〉どまり」だとか「有色人種」だとかいう風に読めるのか、それが分からない僕は「未熟」なのでしょうか。「名誉白人」という呼び方は、そうなりたがっている有色人種の人への言葉であると同時に、〈白人〉に対しての言葉でもあります。今回の話では〈異性愛〉ですね。白人(異性愛)が根拠も無く特権を持っているような状況がおかしいのだ、と Macska さんも tummygirl さんも仰っています。その上で、白人(異性愛)と同等の「特権」を得ようとしている有色人種(同性愛)を〈名誉白人〉だと仰ったのです。第一、有色人種であるとか白人であるとか、それはジェンダーのような社会的構築物としての色合いが濃いということも最近は言われているではありませんか。

>>まず、差別が無い状況を想像してみて下さい。同性愛もSMもペドフィリアも何もかも全ての性的欲求は尊重され、どんな関係性でもパートナーとして社会的な障壁を感じないような
>想定できません。なぜならば、「レイプ」は生まれつきであろうとなかろうと「尊重」する必要はありませんし、してはいけないのです。

僕がいつレイプを擁護しましたか?「想像してみて下さい」と言っただけです。それが理想郷だとも言っていません。しかし、無理矢理想像してください、とお願いしたのです。そういう最悪の状態を、です。ほとんど不可能に近いですが。

>わかってないんですね。では、「同性愛」と「同性愛者が行う同性間のSM」の<違い>は何ですか? または「異性愛」と「異性愛者の/同性愛者のSM」の<違い>は何ですか?

僕が「想像してください」とお願いした社会での話です。そこでは、何かが違いますか?と言っているんです。同性愛か異性愛かによって様々な現象に違いが生じているのは十分分かっています。しかしそれは「現状」がそうであるだけで、僕が想像をお願いした社会でもそうだとは限りません。その社会がいいと言っているのではありません。ただ、現在私たちが生活している社会では「同性愛/異性愛/……」という性別中心のカテゴライズが幅を利かせています。そしてそれらを「指向」と呼び、「生まれつき」だと多くの人が(HODGEさんのように)思っています。それが同性愛、両性愛などの解放に繋がると信じて。その根拠にHODGEさんは、「同性愛は、他の嗜好が受ける社会的待遇と違う」(このせいで同性愛者は自分たちのアイデンティティに〈同性愛〉が重要であったり、異性愛者の/同性愛者のSMに違いが生じたりしているのだと思いますが、違いますかね)というようなことを仰っていますが、それは「女性は、男性が受ける社会的待遇が違うから、『生まれつき』なんだ。だから差別されちゃいけないんだ」というのと同じじゃないですか。実際に女性の生活に「女性」というアイデンティティが確固としてあり、かつ当事者が「選択した覚えも無く」女性としての性同一性を保持していても、それが「生まれつき」という結論には至りません。生まれつきでなくとも確固たるアイデンティティは持てます。むしろアイデンティティとは、社会的待遇に依る部分が大きいと思うのです。

>セクシュアル・マイノリティはその格好の「実験材料」なんだと思います
研究にはそういう側面が常に付いて回るではないですか。当事者が研究すれば「実験材料」ではない、とも言えないと思います。

ご挨拶が遅れましてすいません。初めまして。

HODGEHODGE 2004/11/01 21:20 kleinbottle526さん
昨日はちょっと酔っていたので、失礼をお許しください(それと、この議論はもうヤめたいと思っているのは本心です)。

ただですね、別のところでも書きましたが、「どうなんだ!」という「問い詰め口調」はどうしても気分を害してしまいます。被害者意識を出すわけではないのですが、どうして、こういう「質問」を、まず、「異性愛者=白人」にぶつけないのでしょう、という意味でです。

それを前提ですが。
kleinbottle526さんが「何もかも全ての性的欲求」と書いてあったので、「レイプ」を出したまでです。kleinbottle526さんが「レイプ」を擁護した/しないことは、ここでの問題ではないと思います。

それとですね。「想定」できないものは、本当に想定できないのです。僕が「現象学」や「精神分析」を嫌っているのは、安易に物事を「想定」して、それを前提に、<勝手に>「還元」「解釈」してしまう「危惧」があるからです。僕が「同性愛者」と言っていますが、僕の言っていることが、すべての同性愛者を代表しているわけではありませんしね。

それで、あえて、「想定」したとしても(だから、ここで突っこまないで下さいね。あくまでも「あえて」という留保的なものです)、僕は人と人の「関係性」を重視したいと思います。「セックスの内容」は「その次」です。

そして、また、「あえて」ですが(だから、深く突っ込まないでね)、ペドフィリアの人は「これはレイプと違うんだ、合意の上なんだ」ということがとても重要な問題なのではないでしょうか。


それとですね、僕がこれまでの議論で気になるのは、「自分たちの正しい理想」に「従わせよう」とするような「教条的な考え方」です。そういった「究極の正義」を主張する「観念的」な考え方に、窮屈さというか、「うーん、なんかなあ」と思ってしまうため、どうしても、「共闘」する気になれないんですよね。

しかも何ていうか、対人間の問題であるのに、拒否されるべき集団/集合を「否定的な形で全体化」し、それを単一なものとして敵対的に名づけて(例えば「名誉白人」とか)、「肯定されるべき理想/正義」と対置させるような「戦略」が、どうしても「人の気持ち」というものを無視している「冷たい」ものを感じます。
もちろん、これは個人的な雑感なので他意はありません。
僕は、出きることから、一歩一歩(時間はかかるかもしれませんが)「解決」していきたいな、と思います