HODGE'S PARROT

はてなダイアリーから移行しました。まだ未整理中。

TIME誌「The Battle Over Gay Teens」

HODGE2005-10-02




transnews のalfayokoさんより教えていただきました(いつもありがとうございます)。

TIME(US版)最新号(10/10号)に「The Battle Over Gay Teens」という特集が組まれているようです。


それと以前にもTIME誌では同性愛に関する特集があって、これら過去の記事は、1.99$で「買える」(login or subscribe)ようですね。

どうやって動いているのかを知らないこと、どう使うのかを知らないこと




ジャック・デリダベルナール・スティグレールによる『テレビのエコーグラフィー』(NTT出版)に面白いことが書いてあったのでメモしておきたい。

デリダスティグレールの対談部分。デリダが「諸テクノロジー」や「テレーテクノサイエンス」について、一般の市民はそのメカニズムを知らない、と語る。わたしたちの近代空間を構成する技術装置の大半は、技術的な能力のない者たちによって、使用されているのです。

自動車を運転する者、電話やEメールやファックスを使う者たち、いわんやテレビを見る者たちは、自分たちが利用している機器がどのように機能しているかは知らないわけです。機械を使う者は相対的な無能力の状態にあるのです。この相対的な無能力、過去の無能力とは比較にならない無能力の増大は、国家主権の衰退と同じように現代の状況を理解するためのひとつの鍵なのではないかと考えたくなります。



p.97

テレビをはじめとする諸器機の機能(メカニズム)を知らないこと。そしてそういった「無能力状態」で機械を「使用」すること。そういった「現象」をデリダは危惧する。

それに対し、IRCAM(現代音楽・音響研究所)所長でもあるスティグレールは、以下のような異議を唱える。

そうはいっても、どうやって動いているのかを知らないことと、どう使うのかを知らないことは、同じではありませんね。ピアノやハープシコードシンセサイザーなどを奏でるクラヴィアの名手は、自分の命じるメカニズムのなかでなにが起きているのかをなにも知らず、分からずにいても、構いません。
またクラヴィアをつくった楽器製造者のほうでは、自分が音楽家である必要はありません。だからひとびとが楽器文化をよく狭義の技術者文化に還元しようとするのは誤りなのです。あるものについて、どう動くのかを知らなくても使うことはできます。また、あるものがどのように動くのかを知りながらも、使用することができなかったり、下手にしか使えないこともあります。



p.97

これを「理論」と「実践(演奏)」は別だ、とまとめるには、あまりにも暴力的かもしれない。


ベルナール・スティグレール(Bernard Stiegler)に関しては、『ル・モンド・ディプロマティーク』日本語・電子版で、以下の論説が読める。

オリ・ムストネン、軽やかに刺激的に




急にベートーヴェンの『創作主題による32の変奏曲ハ短調』を聴きたくなって、ムストネン(Olli Mustonen)のCDを聴いた。

フゥー。こんなに始終ノン・レガート、スタッカートで、刺激的に軽やかに──ときにダイナミックに──ピアノを弾けるなんて……と改めて思った。
ムストネンはロマン派の音楽でもこの調子でいく。例えばショパンとグリークの協奏曲は、あの華麗なる「ピアノの入り」のところが全然ショッキングでなくて、多少肩透かしの観もあるのだが、全編これ「バッハのように」弾いちゃうところが、凄い。

ムストネンの「凄さ」を一番感じるのは、パウルヒンデミットの『ルードゥス・トナリス』(Ludus Tonalis/Game of the Notes) だな。この「対位法大全」(対位法、調性およびピアノ奏法の研究)とも言うべき──タイトルと裏腹な──巨大で厳しい難曲が、本当に軽やかな「音のゲーム」のように聴こえる。


ベートーヴェン:ピアノ協奏曲

ベートーヴェン:ピアノ協奏曲

Prokofiev/Hindemith;Visions

Prokofiev/Hindemith;Visions

グリーグ&ショパン:ピアノ協奏曲

グリーグ&ショパン:ピアノ協奏曲