HODGE'S PARROT

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Paris 1968 CRYSTALLIZE




フランスの五月革命(Mai 1968、May 1968)に関する映像を Youtube で見た。「証言」をメインにしたニュース映像だけではなく、ミュージック・ビデオ風のもの、「青春群像」のようなムーヴィーもあって、興味を惹いた。とくに『Dreamers』の映像は美しく、ノスタルジックで、とても印象的だった。


Paris Uprising May 1968


Worker-Student Action Committees: France, May 1968
五月十日は”バリケードの夜”として知られるようになった。カルチェ・ラタンの道という道には六十以上の即席のバリケードが作られた。パリ全域から何千という若者が、肉体労働者も知的職業者も、学生を支援するために駆けつけた。CRS特別機動隊はおびただしい数のゲリラ集団に遭遇することになった。激しい戦闘は四時間に及び、異常なほどの残忍さと憎悪がむき出しになった。


(中略)


労働者と学生が団結し、二日も経たないうちに八十万人を超す参加者の反政府デモが行われた。三日後、九百万人以上の労働者がストに入った。学生評議会がソルボンヌを占拠した。地方大学のいくつかも学生の管理下に置かれた。最も特権的な職業に従事する人々──医者、弁護士、科学者、音楽家──までが職場の前近代的体質に異議を唱え、反対に回った。
革命の時が来た。




クレア・フランシス『レッド・クリスタル(上)』(伊多波礼子 訳、扶桑社ミステリー) p.83


On ne revendiquera rien, on ne demandera rien. On prendra, on occupera.



Paris 1968 2006 Manifestations


五月革命の学生や青年労働者による現代資本主義批判、「豊かな社会」批判は、いまや革命の動機が物質的貧困ではないということを主張している。それは豊かな消費社会が息苦しい管理社会にほかならず、自分たちに属するべき「力」が、民主的な議会や欲望を挑発する商品に簒奪されているという事態に抗議するものだ。


それだけではない。かれらが抑圧的な高度資本主義社会に対置したのは、「想像力の権力」だった。「万国の労働者、団結せよ」でなく、「万国の労働者、楽しめ」。




笠井潔ユートピアの冒険』(毎日新聞社) p.91

Sous les pavés, la plage !



Dreamers


後になってひとつの表現が思い出された。「……人々には世界の不当性を明らかにしてやる必要がある。それにより、さしあたり、疑念でしかないような彼ら自身の意見が頭の中で結晶(クリスタライズ)するはずである……」
結晶(クリスタライズ)する……またあの言葉だった。




レッド・クリスタル〈上〉 (扶桑社ミステリー)』 p.75


When Poetry Ruled the Streets: The French May Events of 1968

When Poetry Ruled the Streets: The French May Events of 1968


Nous ne voulons pas d'un monde où la certitude de ne pas mourir de faim s'échange contre le risque de mourir d'ennui.



ドリーマーズ

ドリーマーズ


疎外論は人間の感性的解放をめざすかぎりで、マルクスレーニン主義の正統教義から離れていたけど、革命戦略にかんする議論が空白であるかぎり、その点ではマルクスレーニン主義の引力圏から離脱していなかった。
しかし、五月の蜂起者は、いま、ここで、絶対的な感性的解放を要求した。かれらの主張は、マルクーゼからフェーブルやサルトルにいたる疎外論の文脈に影響されていたかもしれないが、この点で、かつてないラディカルな思考を無意識にせよ体現していた。




ユートピアの冒険 (知における冒険シリーズ)』p.91-92

Je t'aime ! Oh ! dites-le avec des pavés !



Dreamers

Dreamers



Cours, camarade, le vieux monde est derrière toi !



[Retour sur mai 1968]

Camarades, l'amour se fait aussi en Sciences-Po, pas seulement aux champs.



The Situationists, May 1968


スペクタクルはさまざまなイメージの総体ではなく、イメージによって媒介された、諸個人の社会的関係である。




現実に逆転された世界では、真は偽の契機である。




ギー・ドゥボールスペクタクルの社会』(木下誠 訳、ちくま学芸文庫) p.15-16

[Guy Debord archive]

スペクタクルの社会 (ちくま学芸文庫)
言葉の転用、映像のコラージュ、映像と音の不一致、後にゴダールが盗用するこうした手法で撮られたこの映画(『……について』)もまた、映画によるスペクタクル社会批判であり、観客の受動的な意識に揺さぶりをかける。ドゥボールは、「スペクタクルの社会」を転覆するために映画という「スペクタクル」的な言語を用いるが、ゴダールのように「反映画」を「映画」によって搾取するのではなく、「映画」を反転させて現実に向わせることを最重視していた。


『サドのための絶叫』の初上演の際、ドゥボールは映画開始直前に舞台に出て、「フィルムはない。映画は死んだ。もうフィルムはありえない。さあ、討論に移りましょう」と発言することになっていたが、このことは、彼が映画をあくまでも「状況の構築」という目的のための一手段と考えていたことを示している。


映画を通して現実の観客に呼びかける手段となった「転用」は、L1*1の都市計画においても積極的に活用され、「状況の構築」のための重要な役割を担う。先に述べた、彫像の銘や街路名の変更、教会の転用などは、まさにこの手法の現実への適用である。ドゥボールらは、このほかにも壁への落書、例えば、ルノー自動車工場の壁に、ある作家の「君たちはパトロンのために眠っているのだ」という言葉を書いたり、街の壁に「夜、革命」、「決して労働するな」と書いたりする実践を組織的に行っている。「エクリチュールの役割」と題した文章で報告されているこの活動は、六八年に「壁は語る」という言葉が生まれる十年以上も前のドゥボールたちの発明である。





木下誠 「シチュアシオニスト・インタナショナル」の歴史(『スペクタクルの社会』訳者解題より) p.221-222)

Depuis 1936 j'ai lutté pour les augmentations de salaire. Mon père avant moi a lutté pour les augmentations de salaire. Maintenant j'ai une télé, un frigo, une VW. Et cependant j'ai vécu toujours la vie d'un con. Ne négociez pas avec les patrons. Abolissez-les.


歴史と記憶の麻痺、歴史的時間の基盤の上に築かれた歴史の放棄、それらを現代において社会的に組織するスペクタクルは、時間の虚偽意識である。




ギー・ドゥボールスペクタクルの社会 p.148


[situationist international online]

Beneath the Paving Stones: Situationists and the Beach, May 1968

Beneath the Paving Stones: Situationists and the Beach, May 1968


観念はどれも改善される。




ギー・ドゥボールスペクタクルの社会 p.185

Je t'aime ! Oh ! dites-le avec des pavés !



映画に反対して―ドゥボール映画作品全集〈上〉 (^Etre・エートル叢書)

映画に反対して―ドゥボール映画作品全集〈上〉 (^Etre・エートル叢書)

映画に反対して―ドゥボール映画作品全集〈下〉 (エートル叢書)

映画に反対して―ドゥボール映画作品全集〈下〉 (エートル叢書)


哲学者の密室 (創元推理文庫)バリケードの夜の翌朝、テレヴィには、切りたおされた街路樹や炎上する自動車、カルチエ・ラタンの路地に築かれた無数のバリケード、火炎瓶と棍棒が乱舞する市街戦さながらの光景が、次々と映しだされた。まるで、読んだばかりの『レ・ミゼラブル』に描かれている、サン・ドニ通りの叙事詩ではないだろうか。


わたしはテレヴィ画面に熱中していた。


(中略)



学級のみんなも、朝のテレヴィ・ニュースを見たのだろう。リセの教室は、百年ぶりにパリ市内に出現した街頭バリケードの話題で沸騰していた。前夜のバリケードがはじまりにすぎないとしたら、歴史の授業で教えられたパリ・コミューン以来の、一世紀に一度あるかないかの大事件にまで発展するかもしれない。そう、「市民よ、バリケードへ」だ。


なんという幸運だろうか。わたしは、踊りあがりたい気持をおさえきれなかった。自分の眼で、歴史的な瞬間を目撃できるかもしれないのだ。その貴重なチャンスを、むざむざと見送ることなど、絶対にできることではない。
翌日、わたしは学生に占拠されているカルチエ・ラタンを見物するため、学校を休んで、モンマルトルの中腹にある地下鉄駅(メトロ)をめざした。




笠井潔『哲学者の密室』(創元推理文庫) p.12-13

*1:レトリスト・インタナショナル、 Lettrist International