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ホアン・マシア『解放の神学』より



ホアン・マシア著『解放の神学 信仰と政治の十字路』を読んでいる。ホアン・マシア神父(カトリックイエズス会)に関しては、先日、『群青』さんのブログの記事で知った──その言葉に非常な興味を覚えた。

ホアン・マシアさんも、カトリックの現状について丁寧に紹介してくださったのだけれど、いちばん興味深かったのは、つぎの一言だった。わたしの要約なので、言葉は正確ではないかもしれないけれど。

 わたしたちは、神学校へ入学するとき、「独身」であることへの誓約はしましたが、性的指向については何ら誓約をしていません。

 つまり、「異性愛者でなければならない」という規定はなかった、と。ご出身のスペインで、同性愛者を擁護する発言をすると、「オマエも同性愛者ではないか」という嫌疑(?)がやってくるという。それでも、人権を守る、という立場から、様々な活動に関わっていらっしゃるホアン・マシアさん。なかなか貴重な出会いだった。



http://d.hatena.ne.jp/Yu-u/20080927


早速、近くの図書館でホアン・マシア神父の著書である『解放の神学』を取り寄せた。それで読んでみると、本当に興味深いことが書かれてある。例えば1891年に発表された教皇レオ十三世の回章『レールム・ノヴァールム(労働者の境遇)』はカトリック教会と社会問題(労働者の権利、人権)に関するメルクマール的なものであり、保守派からは「急進的すぎる」と危険視されたものであるのだが、しかし著者に言わせれば、

残念ながら1848年の(マルクスの)『共産党宣言』よりずっと遅れて出たものであり、時代に先立ったものというよりも、数十年遅れたものであったと言えよう。




ホアン・マシア『解放の神学 信仰と政治の十字路』(南窓社) p.40

うん、この率直さが、いい。


で、カトリック教会が実際に「解放」という言葉を「高いレベルで、公式に」用いるのは、1971年の世界司教会議の公式文書『司祭職と社会正義についてのシノドスの宣言』においてである。重要な部分なので引用しておきたい。

1971年の世界司教会議の文章は次のように言っている。「正義のための戦いと、世界の改革への参加は、福音宣教の本質的な構成要素としてわれわれの前に立ちはだかっている。換言すれば、人類の救いと人びとをあらゆる抑圧された状況から解放するための教会の使命を果たすことが、正義を実現し、世界を改革することだと言える」(六番)。


司教たちがこの自覚に至った経緯については、次のように述べられている。「暴力に虐げられ、不公平な組織や機構に抑圧されている人びとの叫びに耳を傾け、またかたくななまでに創造主の計画に反している世界の訴えを聞くにつけ、われわれは貧しい人に良き知らせを伝え、抑圧された人に自由を与え、悩める人に喜びを与えることによって世界の真っただ中に存在すべき教会の使命を認識し合ったのである」(五番)。


また、こうした基本的姿勢で書かれているこの宣言の中には、教会の聖職者と一般信徒に向けて、教会の使命がはっきり次のように述べられている。「教会は社会的・国家的・世界的な各レベルにおける正義を訴える権利と義務を有し、また基本的人権と人間救済を叫ぶ必要が生じた際、これに反する不正義を非難する権利と義務を持つのである。かといって、ただ教会だけが世界の正義に関して責任があるわけではない。しかし、教会こそは、福音に示されている愛と正義の必要性を、教会の組織、機構と信徒を通じて、この世に実際に証明していく適切かつ独特な責任を有している」(三十六番)





『解放の神学』 p.42-43


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