100,000年後のあなたに

  • 十万年、という時間について考えてみよう。
  • 十年ではない。じゅうまんねん、だ。
  • Hundred thousand years=100,000年。
  • ウィキペディア【地球史年表】によれば、約10万年前に、アフリカ大陸からホモ・サピエンスが、つまり「我々」が世界へと移動を開始したのだという*1
  • 十万年前の「我々」が、十万年後の「いま」を想像した可能性はゼロだが、「いま」生きている「我々」には、これから十万年後の世界を思い描き、「いま」の社会からの連続性や影響を想像し、考慮することが、可能だろうか?
  • いや、無論のこと、知恵の木の実という禁断の果実をムシャムシャしてしまった「いま」「我々」にとって、想像すること自体は容易な行為だが、十万年という数字の前に、それは何か実際的な意味があるだろうか?千年はもちろん、数十年から百年先のことでさえ、多くの人々のあいだで見解の一致を見る事柄など殆どないのに…





原発推進】のフィンランド

  • オンカロは、フィンランド国内の原子力発電所から排出される高レベルの放射性廃棄物(日本における定義はやや異なるが、一般には使用済み核燃料)に関わる計画だ。
  • 使用済み核燃料を再処理せず、一時貯蔵を経た後に「十万年」にわたって「地層処分」するため、調査によって地盤の安定性が認められた古層に数百メートルを超える巨大なトンネルを掘削し、「核のゴミ捨て場」として利用するという途方も無いものである。
  • 地層処分という構想自体は以前から各国に存在しているが(再処理した後か否か、という違いはあるが、日本でも数十年前から言及され、現在、NUMO=原子力発電環境整備機構によって候補地選定も始まっている)、実際に関連施設の建設がはじまったのはフィンランドだけのようだ。




  • 「ゴミ捨て場」に選ばれたのは、南西部沿岸にあるユーラヨキ自治州、オルキルオト。同地はフィンランドが二箇所で維持している原子力発電所の所在地でもある(もう一箇所は南部沿岸にあるロビーサで、二基の加圧水型炉が稼働している)。
  • オルキルオトにある発電所では79年と82年に運転を開始した沸騰水型の二基が運転中であり、2013年7月に稼働を予定する一基が現在も建設中だ。
  • そして今後数十年のうちに、西部のピョハヨキに新たな発電所を建設し、オルキルオトとロビーサにのべ四基以上の増設を行うという。*2 *3 *4


フィンランド政府や企業は、今後は特に電力需要が増大することを予測し、原発の増設は不可欠と考えています。製造事業者も電力会社も、原子力の重要性がこれから何世紀にもわたり高まっていくことを十分理解しています。
国際エネルギー機関(IEA)によると、フィンランドはIEA加盟国の中で最もエネルギー経済が多様化した国であり、フィンランドは、この高度に多様化したエネルギー経済を今後も維持していきたいと考えています。
なぜなら、エネルギーの安定供給や適正価格の維持は、ロシアから天然ガスや電力の輸入を増やすことではなく、国内発電量を増やすことで保障されるからです

【エネルギー自給・安全保障】としての原子力発電

  • 「エネルギーの安定供給や適正価格の維持は、ロシアから天然ガスや電力の輸入を増やすことではなく、国内発電量を増やすことで保障される」
  • 以上の大使発言から、フィンランド原発をエネルギー・オプションとして推進する理由の一つとして、隣接する暴君、ロシアの存在が非常に大きいことが分かる。
  • 両国は長年に渡って相互にエネルギーの輸出入を行ってきたとはいえ、旧ソ連時代には国土へ侵攻されており、フィンランド側の不信感は根強い。そして近年も毎冬のように勃発しているロシア・ウクライナガス紛争などのトラブルを考慮すれば、伸び続けるエネルギー需要をロシアとの取引でまかなう事は好ましくない、はっきり言えば危険であるとの懸念が年々増したことによって、「エネルギー自給には原発の増設が必要」という国民的な合意が形成されたというわけだ。
  • そのために、フィンランドはまず1996年、原発を導入して以来続けていた高レベル放射性廃棄物のロシアへの再処理依頼を取りやめ、自国内で処分するよう法改正を行った。
  • これは核燃料サイクルの放棄を意味しており、同時に「放射性廃棄物の処理を国内で完結させるためのゴミ捨て場作り」としてオンカロが具体的に動きはじめた。
  • 2001年5月にはオルキルオトが処分場として議会で承認され、「核のゴミ」を捨てる目処がついたことで、政府は原発の新規増設に踏み切ったのだという。

100,000年のゴミ捨て場「オンカロ


「再処理は危険だ。その過程でプルトニウムが流出するかもしれない」
「地上の世界は不安定なのです。災害、戦争、テロリズム…。様々なリスクがあります」
「密閉して海洋や宇宙に投棄することも考えたが、前者では汚染が懸念され、後者は打ち上げに失敗し、爆発するリスクがある」
「地中深く埋めるというのが、我々の結論なのです」
「そして、一度地下に埋蔵したら、掘り起こしてはならない」
「埋めた場所には誰も近づいてはならないし、近づけてもいけない」
「十万年間、それは守られなければいけない」

  • プロジェクトの担当者や政府監査機関の人々は、監督のインタビューに、こう答える。
  • ロシアへの再処理依頼を止めた後、高レベル放射性廃棄物の環境および人体への危険を限りなく遠ざける為にさまざまな方策が検討されたが、最終的には地中奥深くに埋設することが「もっとも安全」であると判断されたのだ。
  • オンカロプロジェクトは2012年から最終的な施設建築の認可申請をし、完成した処分場は2020年からの稼働を予定しているという。2100年には規定の容量に達する見込みで、その後、入り口は厳重に封印され、およそ「100,000年」の間、管理区域として接近が禁止される。
  • この、人類の文化的な歴史を遥かに超える途方もない封印年月の基準は、使用済み燃料に含まれる長寿命核種であるアメリシウムキュリウム等の半減期が数万年であることに由来している。
  • そしていま、専門家たちの間では、封印後の「100,000年間」を巡って、新たな懸念が持ち上がっているという。
  • それは、封印中、いかにしてオンカロ「禁忌」の場所として人類から、「我々」から遠ざけておくのか、ということである。


「我々が懸念しているのは、十万年の間にオンカロが掘り返され、未来の人々が廃棄物に接触してしまうことだ。なぜなら、ある予測では、数万年以内に氷河期が来て、我々の歴史が消滅してしまう恐れがあるのだ」


「その後に現れるかもしれない次なる人類に対して、埋められている物の危険性を示せるだろうか?かれらがどの程度の文明を持っているか分からない。問題なのは、掘削の技術だけ持っていて、なにが埋められているのかは理解できない、という場合だ」


「非現実的だと思うだろうか?地下五百メートルに到達できるのであれば、当然、核廃棄物についても理解しているだろうと。そうとは言えない。五百年前のヨーロッパには、既に地下数百メートルまで坑道を掘る技術があったとされている」


「人間は好奇心を持つ生き物だ。内部に警告のメッセージを残しておくことはもちろん重要なことだ。しかし、彼らがもし、我々と同じ言葉、記号を共有していなかったら?どう伝えればいい?」


「図像なら有効だろうか?明白な危険性を示すような、なにか禍々しい建築物を残しておくべきか?あるいは、ここは人類の記憶から失われるべき場所であり、地上からオンカロの痕跡そのものを消し去った方がいいのか?」

  • 彼らの議論は、放射性廃棄物の処理という、極めて現実的でやっかいな事柄を、なにやら抽象的でSFめいたものに変えてゆく。
  • 「文明崩壊後のビジョン」「秘められた古代文明の遺物」はSFにおける基本パタンの一つだと思うが、「核のゴミ捨て場」「未来の【我々】が接近するのを阻止するには」というテーマは、異彩を放つのではないだろうか(とはいえぼくはSFに疎いので、実際のところは、よく分からない)。
  • Wikipediaによれば、「地層処分」を検討するにあたって、世界的には下記のような事柄が考慮されているようだ。


将来世代による処分地への意図しない接触を抑止し、意図的な接触を行うか否かの意志決定に資する目的で、遠い将来まで残しうる記録媒体の開発、および方向性は逆であるが考古学的な視点を含めた記録保存の研究も行われている。


保存されるべき情報のレベルは以下のように区分される。

  1. 初歩的情報(「何か、人造物がそこに存在する」)
  2. 警告情報 (「何か人工物が存在し、それは危険である」)
  3. 処分場に関する基本情報 (5W1Hに関する情報)
  4. 処分場に関する総合情報 (詳細な記述、図表、グラフ、地図、ダイヤグラム等)
  5. さらに詳細な情報


フリー百科事典 Wikipedia:「地層処分」より 

  • 1および2の項目は、フィンランドで議論されている内容と同じものだ。
  • 「何か人造物が存在し、それは危険である」
  • そして、施設の情報を詳細に記録保存し、次世代以降の「我々」へ伝えてゆくという姿勢。これは現実的な解だ。
  • フィンランドでは、そこからさらに踏み込んで、「すべてが失われる可能性」を、伝達方法を検討する前提になっているのが特異だ。
  • かれらの論点は非常に興味深くはあるのだが、計画が実行段階に達したなら「そんなことまで考慮する必要などない」と、ぼくは思う。
  • 真剣に「人類以後」の世界にまで思考の射程を延ばすという行為は、現在の政治が果たす役割ではない。
  • 「我々」ではないかもしれない「我々」への警告を、「我々」はどうやって可能にするというのか?それは、文学か、哲学か、あるいは宗教が取り組むべき領域だろう。

ある日、人類は新しい火を発見した…

  • 前段ではSFなどと書いたが、100,000年後の安全というこの作品自体も、政治的メッセージを含む部分以上に、そうした色彩が色濃い。
  • 監督のマドセンは、コンセプチュアル畑の映像作家というだけあって、ありがちな反原発系映画のように、おどろおどろしい記録映像を組み合わせて、素朴なヒューマニズムを真正面から叫ぶ粗雑な作りをしてはいない。
  • いくつか映像エフェクトも用いながら撮影された中間貯蔵施設への燃料搬入や原子炉の核燃料交換の貴重な映像、オンカロ建設に携わる関係者へのインタビュー編集の手際は、非常に効果的な用いられ方をするクラフトワークの音楽(そう、ご想像通り、Radioactivity!)を伴って、静かだが深々とした「核」の圧迫感を観者に与える。
  • 映画の冒頭部、暗闇の中で擦られたマッチの火に照らし出されたマドセンが「ある日、人類は新しい火を発見した。その火は強力すぎて消すことができなかった」と語る箇所も、強い印象を残す。
  • そして、ときおり挿入される美しく幻想的なオルキルオトの雪景色と、掘削現場、その坑道内部を進むカメラは「禁忌の場所に入りこんでしまった未来の我々」の視線と重ね合わされている。クラフトワークに変わって今度はソプラノの絶唱が坑道の神秘的な暗闇に響き渡る中、段々と、奥深くまで「侵入」してゆく「我々」に語りかけるマドセン自身のナレーションは、未来透視した予言者のような趣だ。


「君は、ここがどういう場所かわからないのに、入ってきてしまった」
「とうとう、ここまで来てしまったね。気づいていないだろうが、君はもう既に被ばくしている…」
「まだ間に合う。私は引き返すように、警告する…」

さらなる「オンカロ

  • オンカロは現在進行形で、岩盤掘削に関して未知数の部分も多いようだが、今後、世界中でさまざまなオンカロが必要とされるのは確実だ。
  • 作品中でも言及され、これまでも様々に指摘されてきた再処理工場と関連施設の抱えるリスク(発電所そのものより遥かに高いとされる環境汚染に加え、フランスのラ・アーグでは核テロリズムを常時警戒し、地対空ミサイルが配備されることもある)を考慮すると、地層処分場の需要は高まり続けるだろう。
  • 冒頭付近で、計画だけは世界でいくつか進行していると書いたが、ドイツ、スウェーデンでも既に地層の調査が開始されているという。
  • いまだ福島での大事故のさなかで混乱している日本においても、これは喫緊の課題である。国内には既に「待機中」の使用済み燃料が多数存在しており、単独の中間貯蔵施設すら存在しない *6 ため、長年、国外の再処理施設に送る段階までは原子炉建屋内のプールや敷地内の乾式キャスク貯蔵施設に保管されており、それが今回の事態に大きなリスクを追加してしまった。
  • 在米の批評家である冷泉彰彦によれば、この使用済燃料の「行き場なし」状態は米国も同様だとのことで、前世紀からネバダ州のユッカ・マウンテン山地の岩盤に永久貯蔵施設を建築する予定だったが、オバマ政権下で計画事態が中止に追い込まれた為、全米の使用済み燃料プールが日本と同様、「数年貯蔵した燃料と直近で交換した新しい燃料が同時に保存され、容量が限界に近付いている」という。
  • 先日明らかになった日米によるモンゴルでの各廃棄物処理場の建設計画*7 *8も、両国における高レベル放射性廃棄物処理の難航を反映している。
  • 今後、世界の原子力発電がどのような道筋を辿っていくのかは不明だが、少なくとも「福島以後」原子力を放棄する方向に向かわざるを得ないであろう日本にとっては、「ゴミの取り扱い」について(そこに多くの困難が伴うとはいえ)、フィンランドが先んじて実行に移した予防的行動が一つの回答であることは間違いないと思える。