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エレクトリック・ライラック このページをアンテナに追加 RSSフィード

2012-01-04 観た映画を記録しようと

このところ観っぱなしだったので、今年からはちゃんと記録していこうと思います。ただ、まとまった文章を書く時間も気合も足りないので、とりあえずメモ程度に。

 

ゴモラ

| 02:01 | ゴモラを含むブックマーク ゴモラのブックマークコメント

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2008年 イタリア

カラー/137分

監督:マッテオ・ガッローネ

出演:トニ・セルヴィッロ、ジャンフェリーチェ・インパラート他

公式サイト: http://www.eiganokuni.com/gomorra/

IMDb: http://www.imdb.com/title/tt0929425/

 

第七藝術劇場

 

犯罪組織ととともに生活するということについて。告発とか断罪とは少し違う目線

カモッラの息のかかった服飾工場で働いていたが、中国人の工場でオートクチュールの技術を指導したせいで報復されてしまう仕立屋パスクワーレ。このエピソードだけでもうこの映画観て良かったと思う。

産廃処理会社の社長の台詞「これもヨーロッパだ」。

体面を保つことへのこだわり。組織に楯突くギャング気どりの若者を殺すのにも、抗争に巻き込まれたことにするために周到な用意をする。敵対するグループのどちら側につくか、実際には選択権などないのに「選ぶのはお前だ」という言い方をとる。「敵に回るか味方につくか、お前が選べ。ただし前者ならこの場で殺す」

ドライで突き放した撮り方のなかで、ごく限られたいくつかのシーンの哀切さが際立つ。(仕立屋を続けられなくなりトラックの運転手に転職したパスクワーレが、自分の作ったドレスを着た女優をテレビで観たときに浮かべる微笑。道端に棄てた桃を見下ろすロベルトの暗澹とした表情。)

超巨大団地、やばい。ロケ地の選び方と撮り方のセンスが好き。

サウンドトラックもやばい。エンディング曲がMassive Attackとか…。

ドン・チーロを演じたジャンフェリーチェ・インパラートがすてき。オノ・ナツメの作品に出てきそうなイタリア人。

 

どうでもいいけど、カモッラから融資を受けている老人が「こんな額じゃ暮らしていけない、40歳の息子をどうやって養えばいいんだ」というシーンで一瞬「息子、引きこもりニートなのか……」と思ってしまった自分はたぶん日本のWebの空気に毒されてる。

 

経済的にぐずぐずになっているイタリアの地で、いまかれらはどうしているんだろう。

2010-08-18 Johnny, I Hardly Knew Ye.

げ、こっちに書くのは約半年ぶり、「Dr.パルナサス」以来かぁ。あれ以降もいろいろと観てはいたのですが、今回、ひさしぶりに長い感想を書きたい気分になったので。

『キャタピラー』見てきた。

| 21:31 | 『キャタピラー』見てきた。を含むブックマーク 『キャタピラー』見てきた。のブックマークコメント

十三・第七藝術劇場にて。かなり期待して行ったんだけれど、残念ながら良い映画だとは思えなかった。すごく勿体無い感じ。

というわけで、以下、若輩者が身の程も省みず批判しまっせ。

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■あらすじ。

太平洋戦争のさなか、ひとりの兵士が変わり果てた姿で故郷に戻ってきた。四肢と聴力と言葉を失い、顔はひどく焼けただれ、それでも食欲と性欲は旺盛だった。勲章を受け、新聞にもその功績が取り上げられた彼は、村の者たちに軍神とあがめたてまつられる。

一方で妻は「軍神」の伴侶として、夫の介護をすべて引き受けていた。食べて、寝て、セックスすることしか出来ない、そんな男の食事から下の世話まで、すべて。

閉塞した関係性のなかで、二人は次第に追い詰められてゆく。そして日本の戦局もまた、悪化の一途を辿るばかり・・・。

・・・このような物語に、戦争当時の資料映像やら、広島長崎原爆をはじめとした犠牲者数のデータやら、元ちとせの歌う「死んだ女の子」やらが絡む。まったき「反戦映画」だ。

で、その「反戦」を前面に押し出した部分が、どうも今ひとつだった。夫婦の関係をもっと細やかに描いて、戦争期の生活の(それも障害者を抱えた生活の)独特の困難さと悲惨さを具体的に提示することに徹するべきだったと思う。

大きな物語

妻は不具の夫を「軍神さま」として村人の前に引きずり出すことで、自らのあまりに逼塞した日々に意義を与えようとする。夫の方もまた、自分のことが載った新聞や勲章をなんども眺めて、我が身に起こったことの意味を確保しようとする。

この夫婦は自分達の負った困難、直面した不条理を「大日本帝國」という(当時は圧倒的だったであろう)大義を持ち出すことでなんとか合理化し、耐えうるものにしようとするのだ。しかし、最終的にその企ては失敗し、彼らは果てしなく追い詰められることになる。

こうして一旦、大きな物語に回収され損ねた悲惨は――そして、そのこと自体にひとつの本質があるような類の悲惨は――戦場や空襲犠牲者を映した資料映像や犠牲者数のデータと組み合わされることによって、反転した形でふたたび大きな物語へと位置づけなおされてしまう。「何もかもあの戦争が悪かったのだ!」と。

それに、外部の者がだれも気にかけない所為で、障害者介護者が閉じた状態で逼塞していく――というのは、十分に今日的な問題でもある。戦争期だけの話ではない。しかしこの映画ではそれも最終的に「戦争」に回収される。

あまりにも視野狭窄的なつくりだといわざるを得ない。

反戦ものって・・・

正直、「戦争が悪い!」ということをメインにすえてしまった瞬間に、『キャタピラー』の物語の強烈さは骨抜きにされ、まさにこのような物語であることの意義を失っているように見える。わたしたち戦争を知らない人間が子供の頃から(たとえば学校などで)注ぎ込まれてきた多種多様な反戦をまなざした物語、大きな物語とがっちり結びついた形でしか提示されない様々な悲話と、いくらでも取り替えることができる存在になってしまった、そんな印象を受ける。

そして、現代においてそういう物語群がリアリティや実効性を持ちうるか、ひとのこころに残りうるのか、私はとっても疑問に思う(いや、小学生のころ、私ゃ戦争童話なるものがでぇっ嫌ぇだったのよ・・・)。

フライヤーに載ってたフレーズ(「忘れるな、これが戦争だ」)からは、「戦争を風化させてはいけない」という意気込みがひしひしと感じられはするのだけれど、正直、上の世代の人がいつまでもこんな形の語り方にとらわれているのでは、<戦争の悲惨さ>は陳腐化し、結果として風化する一方なんじゃないだろうか――なんてことを思ったりもする。穿ち過ぎかもわからんけれど。

■あともうひとつ、ちょっと気になったこと。

キャタピラー>となった夫に何度も何度もトラウマ的に回帰する戦場の映像があるんだけれど、そのほとんどが「自分が中国の女性を犯して殺した」映像である理由がいまひとつわからん。傷を負った者に回帰して止まないのは、自分が傷ついたときの出来事なんじゃないのか、単純に考えれば。いや、彼が四肢を失ったときのものらしい映像もちょろっとあったにはあったんだけれど、強姦のシークエンスに対して、そっちはたったワンカットだったし。いろいろ説明はつけられるんだろうけど、うーん……。

2010-02-27 テリーG年取ったなあ

■『Dr.パルナサスの鏡』みてきた(ネタバレ自重してません)

| 01:03 | ■『Dr.パルナサスの鏡』みてきた(ネタバレ自重してません)を含むブックマーク ■『Dr.パルナサスの鏡』みてきた(ネタバレ自重してません)のブックマークコメント

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世界観もストーリーも美術も、すべてがわたし好みすぎて、一日たった今でもほとんど脳内が支配されているのですが。えー、観てきました、ギリアム最新作。このところモンティ・パイソンを集中的に観ていたので、パンフレットに載った監督の顔を観てつい「年取ったなあ!」と思ってしまった…。

きのうが最寄りのシネコンでの上映最終日で、実は体調があまり良くなかったからどうしようかなぁとも思っていたのですが、たぶん映画館で見ないと後悔するたぐいの作品だと思ったので、行くことに。

基本的に、「わたしの好きなギリアムワールド」をひたすら期待してたので、もう大満足な出来栄えです。監督自身も「自分の興味のあるものの抄録を作ろうと思った」と語っているので、まさに"Imaginarium of Terry Gilliam"なわけ。IMDbで☆7つということで、世間的な評判もぼちぼち良いのかな。

■パルナサス博士の鏡。その内側は<イマジナリウム>、訪問者のイマジネーションと博士の魔術がつむぎあげる夢の世界。

博士は娘のヴァレンティナと奇術師の若者アントン、小人のパーシーとともに、鏡を使った見世物をしながら、移動式舞台でイギリスを放浪している。そのゆく先には、奇怪な悪魔Mr.ニックの姿がある。永遠の命を得た博士は、彼との契約により、16歳になるヴァレンティナを悪魔に捧げなくてはならない。

彼女の誕生日の3日前、ニックは賭けをもちかける。「もし自分よりも先に5人集めたならば、娘を奪わずにおいてやる」…。

■パルナサス博士の一座は、道中でトニーという名の青年を助ける。彼は記憶を失っていて、素性は一切知れず、なぜかロシアマフィアに追い回されている。しかし一座に加わったトニーは巧みな話術と甘いマスクを使って、次々に鏡の中へと客を呼び込んでいく。

鏡の中の世界では、悪魔が罠を張っている。客は選択を迫られる。悪魔の側につくか、それともパルナサス博士の側につくか――。イマジナリウムを舞台に悪魔と一座の激しい攻防が繰り広げられる。

■イマジナリウムの光景はさにあらん、舞台や衣装・小物のデザインも漏れなく美しかった。やっぱりギリアムはイメージとデザインの人なのだなーと。個人的に気に入ったのがMr.ニックのたたずまいで、なんのメーキャップもないのに、その動きや表情からにじみ出る悪魔感(それも小物の)が半端ない。

子供のための慈善団体の幹部だったトニーの本性、彼が子供をダシにする狡猾な極悪人だったのか、それともマフィアに陥れられ失脚した悲運の人物だったのか、このところは最後まで決定的な回答が示されない。実のところ、まっすぐなカタルシスは無い、ちょっと皮肉の効いたクライマックスと結末なので(ラストは子供と小人のパーシーのこんな会話で締めくくられる。「ハッピーエンドなの?」「いや、それは保証できないね」)、ここで好みが分かれるのかな。

 

■イマジナリウムで一番気に入ったシークエンスが以下。

鏡の中に逃げ込んだトニーを追ってロシアマフィアがわらわらと駆けてくる。すると地中から全長10mくらいの警官の頭がサイレンと共に回転しながら現れ、口の中からプリーツスカートと網タイツをはいた警官(全部男)が現れてへんてこな踊りをおどる。かと思うと、すぐそばにおかあちゃんと田舎の一軒家が出現し、マフィアたちに「帰っておいで!」と叫ぶ。警官のキモいダンスに辟易したマフィアたちは泣きながらそっちへ走っていくが、実はおかあちゃんも全長10mくらいあった。次々とおかあちゃんのスカートの中に入っていくマフィアたち。全員入ったところでおかあちゃんの首がすぽんと取れて操縦席が現れ、悪魔が現れて叫ぶ。「俺はシカゴに行くぞー!」

 

■「うわっ、『空飛ぶモンティ・パイソン』のアニメが3Dになった」と思った。

■このシーンの直前にはおばちゃんに扮したアントンがマフィアに喧嘩を売るシーンもあり、ああ、もう、まんまペッパーポットじゃん。

2010-01-13 And now for something completely different...

『空飛ぶモンティ・パイソン』は夢に似ている

| 02:12 | 『空飛ぶモンティ・パイソン』は夢に似ているを含むブックマーク 『空飛ぶモンティ・パイソン』は夢に似ているのブックマークコメント

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つぶやきというか、ただの与太話。

 

何かの映像作品を見ている夢、というのを最近よく見る(ややしこい)。この前は、夢の中で『空飛ぶモンティ・パイソン』を見ていた。その映像は、まぁ夢なので、なんの脈絡もなく切り替わる。オチもなく、場合によっては特にストーリーもなく、ぱらぱらと移り変わる。登場するオブジェにだって、これっぽっちも整合性がない。

――でも、それって実際の本編とちっとも変わんないよね? と思ったのは目覚めてからのこと。

『空飛ぶ〜』のつくりは、ものすごく夢っぽい。突き抜けたデペイズマン、劇中に唐突に挿入されるナンセンスな長台詞、ぶん投げられ宙づりになるオチ、スケッチ同士の脈絡ない繋ぎ、イカれたひとびと(ex.ガンビー)、いきなり始まる不気味極まりないアニメーション*1、おまけにどこからともなく笑い声まで聞こえてくる! これがよくできた悪夢でなくて何だろう。

 

ここで唐突に話を飛ばすけど、チェコシュルレアリストヤン・シュヴァンクマイエルについての文章「実現された夢の世界」のなかで、赤塚若樹氏が彼の創作活動を「みずからの夢の世界、空想の世界を現実にしようと」するいとなみであるとした上で、こんな風に書いていた。

シュヴァンクマイエルアートは一種のギャグを大まじめにやっているそのプロセス、もっとありていにいうなら、真剣にばかをやっているそのプロセスだといってみたいのだ。(中略)要するに言いたいことは、そのおかしさ、ありえなさ、ばかばかしさをまえにときにはクスクスと笑いながら、ときには大笑いしながら作品を見てもいいということ、何もきまじめにならなくてもいいということ以外にない」

うちの研究室のOGさんと話をしたとき、「シュヴァンクマイエルって笑えるから好き」と言ったら「うん、でもあれで笑える私の感性は大丈夫かなって思う」と言われてしまい、ちょっと自信喪失したんだけれど、だからこの文章なんかもう「で・す・よ・ねー!」って感じなんだけれど――とにかく、夢の世界を実現するいとなみの産物は、やっぱりへんてこだし、どうしようもなく笑える。裏返せば、笑えるものは夢っぽい、のだ。夢っぽいとはどういうことかというと、日常の秩序にたいして侵犯的であること、すなわち、より狂気に近いものであること。

シュルレアリスムモンティ・パイソンのスケッチは――あるいはある種のお笑いは――そういう一種の狂気の状態をまなざすところで、共通している、かもしれない、なんかそんな気がする、うん。眠いのでここで打ち止め。

 

最後にスパム・スケッチを置いていきます。

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っていうか、正直、同世代に知ってる人がいなさすぎて寂しいです。TSUTAYAは『空飛ぶモンティ・パイソン』全部置くべき。『24』とかといっしょに。

*1:あ、そういえば『Dr.パルナサスの鏡』も見に行かなくちゃ

2009-12-27 ノンフィクションなアニメってどんなかな

『戦場でワルツを』

| 00:28 | 『戦場でワルツを』を含むブックマーク 『戦場でワルツを』のブックマークコメント

監督/アリ・フォルマン

2008年/イスラエル/90分

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2週間ばかり前に見に行って、非常におもしろかったので。アニメーションによるドキュメンタリー、という、たぶんすごく珍しい形態の映画。

作品の結末というかコアの仕掛けに触れているので、そういうの気にする方は、気をつけてくださいまし。

■あらすじ

1982年レバノンの首都ベイルートパレスチナ人難民キャンプで、大規模な虐殺事件が起こる。映画監督のアリ・フォルマンはイスラエルの兵士として、この事件の現場に居合わせていた。しかし2008年の今、彼にはその当時の記憶が全くない。ただひとつのイメージ――照明弾の降りそそぐ町を眺めながら、ぼんやりと海中に浮かんでいる自分――をのぞいては。

失われた記憶を探るため、アリは当時の戦友や指揮官、レポーターらにインタビューを行う。彼らの体験した戦争に呼応し、次第にアリの記憶の全貌と、虐殺の日の出来事が明らかになっていく。

アニメーションであることの意味

鮮やかでありつつ抑制のきいた色調、影の多い精緻な絵柄、シャープな描線。動きそのものはFlashアニメーションのあのぬめっとした感じだけれど、画面に力があるので惹きつけられる。

アニメーションは時間や空間の表現が、実写に比べてずいぶん自由だ。インタビューの場面、話者が思い起こす記憶と幻覚、それを聴くアリのイメージと記憶、すべてが同じ次元に並ぶ。だからこそ、戦争にまつわるひとつひとつの事件――想起され、語られることで再生される戦場の体験――が、かなりの臨場感を持って伝わってくる。たぶん、この臨場感は実写の再現映像よりも生々しいはずだ。もしこの映画が<再現映像+インタビュー>というつくりになっていたら、見るほうは両者を無意識のうちに区別してしまい、映画内のすべての戦場の風景は却って「作り物」として受容されてしまっただろうから。

ドキュメンタリーの手法をとっているとはいえ、この作品は「実際の出来事の記録」とは少し異なった、ごく私的な体験と、記憶のながれを表現した物語である。そして、だからこそ戦争映画としての重みを持っている。

アリ・フォルマンははじめからこの作品をアニメーションにするつもりだったそうで「戦争とは非常に超現実的なものであり、記憶とはとてもトリッキーなもの」と語っている。なんというか、潔い人だ……。

■結末の衝撃

この物語は虐殺の犠牲者を写した、当時の実際の映像で幕を閉じる。アリが取り戻した最後の記憶、虐殺の現場の体験、彼の目の前にある死体の山。その実写映像

映像は作品内の時間軸を超えて、そして主客の境を越えて――記憶を再生するアリ/今この場で虐殺を目の当たりにするアリ/映画を見るわたしたち、この三者を越えて――立ち現れ、果てしない重みを持つ。映像は「物語の結末」でありながら(それがアニメーションではないがゆえに)「結末」という枠組みを超えたものとして観客に向けて流出する。こう言ってよければ、現前する。そしてこれまで語られてきたすべての出来事が、すべての戦争が、物語の次元から、観客が実際に生活を営む現実の次元へ向けて流れ込んでいく。

■結局

私はこれを見終わったあと、なんだか生きた心地がしなくて、ぼーぜんとマクドでポテトを食べておりましたよ。何か食べないとうまく自分を営めそうになかった。この衝撃がこの拙い筆で通じるんだろうか……とにかくすごい映画でした。

■ちなみに

この映画の存在を教えてくれたのが前の『水俣』の授業の先生なのだけれど、「今の日本のアニメシーンからは出現し得ないかたちのアニメーションだ」という彼の言葉が、ヲタク心に引っかかったりした。その言葉が当たっているかどうかは、もう、この映画の日本での配給権が「ずっと手付かずのまま、お蔵入りも噂されていた(fromフライヤー)」っていう辺りから明らかな気もするけれど。

■予告編

せっかくアニメーションなんだから動いてるとこを! ってことで、予告編を貼っておきます。

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