業務用炊飯器

HelloTaro2012-01-17

あれは1990年代も半ば。どんな理由か忘れたが、確か仕事上の都合で、午前4時に腹を空かせた自分は、四谷S丁目の魚久に近い全国チェーンの牛丼店カウンター席に座った。客は自分一人。セルフでポテトサラダとゴマドレッシング、お新香をゲット、厨房に「牛丼大盛り」と伝えると、ほっと安堵。すると、奇妙な唸り声が、壁の裏から聞こえる。突然、バタンという音がして、カウンター背面に仕込まれた小さな扉から、30kgの米袋と、ほぼ同じ大きさの、若い小さな女性が現れた。「馬鹿、床に引きずるじゃねえ」。ドスの効いた怒鳴り声が、店内に満ちる。肌の白い一重まぶたの少女が、180cmはあろうかという、骨太な40代の親父をキリッと睨みつけながら、押し殺した声で「手伝ってください」と呟くと、親父はなんだかわからない唸り声をあげながら包丁を片手に「一人でやれ」といいつつ、はいお待ちと、大盛りの牛丼を自分に供して、少女に近づいた。「手伝ってください」。「もしお前が馬鹿でも阿保でもクズでもなければ、一人でやれ。出来ないなら能力がないと報告するまでだ。ほら、自分は出来損ないのクズですと自分で言ってみろ」「嫌です」「だったら一人でやれ」「でも、私、もう上がり時間です」「明日の米を仕込んでから帰れ」「でも」「自分はクズじゃねえんだろ、役立たずはそれぐらいしてみろ」。
親父はギラギラの目を輝かせながら、泣きながら米袋を抱え、イモムシのようにコンクリート床を這う少女を、我が子のはじめてのハイハイを見守る父親のように、着かず離れずの距離をたもちつつ、歓喜の表情で眺めていた。これはなんのプレイ? 少女は、業務用炊飯器の米を研ぎながら、唇を噛んでいた。米の中に、涙がポタポタしたたる。彼女は気にするでもなく、そのまま炊飯器のスイッチをセットして、出てきた倉庫の中に戻っていった。自分は、翌朝、この塩気を含んだ米飯を食べたら、どんな味がするのか、想像しながら、半分、眠った状態で、大盛りの牛丼を食べ終えた。