拓海広志「北斗丸航海記(3)」
これは僕が商船大学の学生だった頃、9ヶ月に及ぶ卒業航海の中で綴っていたメモのような日記です。今から20年も前の学生時代に書いた青臭い日記を公開するというのはかなり気恥ずかしく、また「そんな文章を読んでくれる人がいるのかな?」と考えると少々心許ないのですが、当時の練習船の雰囲気を知っていただく上では多少意味があると思いますので、思い切って当時の文章をそのまま活かした日記をここに転載しようと思います(ただし、友人たちのプライバシーに関する記述については削除しました)。
ただ、今回この古い日記を読み直して気がついたのですが、当時の日常そのものだった航海のことや訓練のこと、仲間たちとの交流についてはあまり克明に記されておらず、むしろ自分の心象風景が中心に記されているようです。プライバシーの保ちにくい練習船の船内生活でもあり、当時前者の方はあまりにも日常のことになっていて、かえって書きにくかったのかも知れません。そんな半端な日記の連載ですが、当時船の中で読んでいた本、観ていた映画、聴いていた音楽などの紹介と共にご笑覧ください。
* * * * *
★1月31日
午前8時、パイロットが乗船し、本船はホノルル港に着岸した。岸壁はアロハタワー前の第2岸壁だ。日本の場合、パイロットは外航船のキャプテンを経験し、会社をリタイアしたOBがなるケースが多いのだが、アメリカでは若い頃から特定の港や水路の専門家として養成された人がパイロットを務めるのが通常である。
このあたりは、機能を重視して専門家(=プロ)を養成するアメリカ社会と、職場の先輩にリタイア後の名誉職を用意する日本社会の違いが出ていて興味深いが、今回北斗丸に乗り込んできたパイロットも日本では考えられぬほど若い人だった。
本船が停泊中の上陸休暇は停泊ワッチに入る班を除く形で交代に与えられるのだが、今日は実習生全員に散歩上陸(17時〜22時)の許可が出たので、僕は一人で街を散歩してみることにした。ワイキキ周辺はショッピングに興じる観光客が多くて疲れるので、僕は港近くのダウンタウン、チャイナタウンを歩いてみた。バラック造りの小屋が立ち並ぶ一角を見つけたので行ってみると、そこに住んでいたのはポリネシア系の人たちであった。
僕はダウンタウンのパブを何軒かはしごしてから船に戻ったのだが、そのうちの一つに日系人のおばあさんがやっている小さな店があった。薄汚れた店内にはビリヤード台とピンボールマシンが置いてあり、白人、アジア人、ポリネシア人を問わず、アル中気味のオヤジたちがごろごろしていたのだが、何故かこの店は周辺の他店よりも人気があるようで、その秘密はどうやらおばあさんが作る和風のつきだしにあるようだった。
★2月1日
今日は半舷上陸で(実習生をその居住区によって右舷組と左舷組に分け、自分の舷の側に当直班がいる場合は当直舷となり上陸できない。当直舷非直班は当直ではないのだが、万一に備えて船に残るのである)、僕らの班は当直舷非直班なので船に居残り、終日船の補修作業をして過ごした。
★2月2日
今日は非直舷なので、上陸が許された。僕はS君と一緒にワイキキビーチでボディ・サーフィンに興じたあと、通りを散歩することにした。途中で日系一世の老人に声を掛けられ、カフェでコーヒーをご馳走になったが、彼はかつて移民船でハワイに渡ってきたので、日本の船が入港すると懐かしく感じるのだと言っていた。
その後書店に寄り、ポリネシアン・カヌーについて書かれた民族学的な本と、『ニューヨーカー』の短編小説集を購入した。前者についてはじっくり読みたいが、後者については今回の航海中に1〜2編は翻訳してみたいと思う。でも、果たしてそんな余裕があるかな?
夕方、街で女子学生のIさん、Mさんの2人連れにバッタリ出会ったので、4人でステーキハウスに出かけることにした。商船大学も最近は女子学生に門戸を開いているのだが、彼女たちはそのパイオニア的存在である。強い個性と根性を持つ彼女たちは良き仲間だ。
★2月4日
ホノルル最後の上陸日はスキューバダイビングをして過ごすことにした。僕はボトルシップ作りの名人T君と共にワイキキのダイビングショップを訪ね、モーターボートでホノルル沖に連れて行ってもらい、2ダイブ潜ったのだが、これといった特徴のあるポイントではなく、ちょっとガッカリだった。
★2月5日
午前10時に本船はホノルル港を出航。これからサンディエゴに向かうが、今度はわずか1週間の航海となる。
★2月7日
航海当直の合間を縫っての中間試験。停泊中や航海中の非直時に受けてきた講義の内容が出題されるわけだが、海の上でまでテストだなんて殺生な話である・・・。
★2月9日
ホノルルからサンディエゴ間の航海は快晴続きで爽快だ。この日は当直の合間を縫って運動会が催された。甲板上という限られたスペースを最大限利用しての運動会だけに陸上では考えられないような奇抜な種目がたくさんある。
午後一番に行われた班対抗の演芸合戦に僕らの班はリンボーダンスで挑んだ。全員が顔と裸の上半身にメーキャップをしまくり、サンバホイッスルと太鼓のリズムに合わせて踊り狂う姿は皆に大ウケだった。
海は広いが、船は狭い。そんな狭い空間に押し込まれて共同生活を送る船乗りは、常に仲間との関係を良好に保つべく、様々な工夫をしている。こうした無邪気な運動会もその一つなのである。
★2月11日
予定よりも1日早くサンディエゴに着き、港外にアンカーした。ベル・ブイ(鐘が入っていて、波に揺られて音がする)の上にアシカが寝そべっている様子がのどかだ。
さて、予定外の自由時間が出来たら映画班である僕の出番だ。今夜は『バック・トゥ・ザ・フューチャー』と『男はつらいよ・寅次郎と殿様』の上映会を催すことにした。
サンディエゴはアメリカ西岸の南端に位置するので、メキシコとの国境はすぐそこである。最近、メキシコからの不法入国者が増えているため、国境警備隊はピリピリしているらしい。また、商港と言うよりも軍港としてのカラーが強いだけに、空母や巡洋艦が港内に何隻か浮かんでいた。
★2月13日
サンディエゴ港に入港。それにしてもここの海ではアザラシやアシカ、イルカ、ペリカンなどをよく目にする。大きな商港、軍港があるというのに、こんなに豊かな自然が残されているのは嬉しい。本船が着いた岸壁の隣には赤十字の病院船「MERCY」も接岸していた。
★2月14日
どういうわけかサンディエゴ市長にご招待いただき、実習生全員でディズニーランドへ出かけることになった。「おいおい」と言いながらも、結構楽しませていただく。僕は特にディズニー黎明期の白黒アニメ作品を上映していた館にこもり、当時の作品をひたすら楽しんだ。
★2月15日
夕方、散歩上陸の許可が出たので、街の中古レコード屋へ行き、ジャズのLPレコードを50枚ほど買った。1枚の値段が5−6ドルと、日本で買うことを考えると随分安い。練習船での航海はありがたいことにお金を使う必要はないのだが、上陸時にはやはり多少のお金が必要になってくるので、今までにバイトで稼いだお金が頼りだ。
僕はこれまで引越屋、警備員、キャンプ・インストラクター、ダイビングショップの手伝い、ジャズ喫茶のウェイター、家庭教師などのアルバイトをしては旅に出かけ、日本やアジア太平洋の各地を巡ってきた。そのほとんどはヒッチハイク、バイクやカヤックでのツーリング、徒歩旅行、鈍行列車と乗合バスなどを乗り継いでの極貧旅だったのだが、得るものは多かった。練習船での旅はそれらとは全く趣の異なる「訓練」なのだが、やはり面白いものである。
その後訪れた港のバーで赤十字船「MERCY」の医療担当士官と知り合った。「MERCY」は中立を前提とする船なのだが、そのクルーは米海軍から派遣されているそうだ。彼に船内を見学させてほしいと頼むと快く承諾してくれたので、明日訪船することにした。
★2月16日
夕方の散歩上陸を利用して映画館へ行き、『プラトーン』を観る。映画館には「MERCY」のクルーもたくさん来ていたが、米兵とべトコンの戦闘シーンの度に彼らが口笛を吹き鳴らして拍手喝采し、足踏みを響かせるのには圧倒させられた。彼らにとっては戦争映画もベースボールやフットボールの試合観戦と同じなのだろうか?
映画館を出て船に戻った僕は数人の仲間に声を掛け、隣に泊まっている「MERCY」を訪問した。昨夜知り合った医療担当士官が出てきて、船内を案内してくれる。「MERCY」は原油タンカーを改造して作った船で、その巨大な船体の中には船がどれだけ激しく揺れても安心して手術ができるように、部屋全体が水平安定器の中にあるように工夫された手術室が12室もあった。
僕はブリッジの設備にも興味があったのでそのことを言うと、医療担当士官は少し困った顔をしながらも当直航海士に話をしてくれた。すると航海士は快く受けてくれ、僕らを広いブリッジに案内してくれた。「MERCY」は18日にここを出て、ニュージーランド、オーストラリア、東南アジアなどを回るそうである。
★2月18日
午前10時にサンディエゴ港を出航。港内を泳ぎ回るアザラシやアシカ、あるいはペリカンたちに見送られて東京へ向かう。
(無断での転載・引用はご遠慮ください)
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