HierosPhoenixの日記: The Law is for All

2007-03-18 OTO and Party in Osaka!

HierosPhoenix2007-03-18

Do what thou wilt shall be the whole of the Law.

OTOの創始者であるカール・ケルナー(1851-1905)はオーストリアの裕福な製紙化学者であり、東洋の神秘主義と西洋のフリーメーソンリー、薔薇十字主義の信奉者でした。。ヨーロッパ、アメリカ大陸、アジアを幅広く旅行して回ったケルナーは、その旅先でスーフィーとヒンドゥーのタントリズムの達人ら三名に遭遇したと主張しています。しかしケルナーがOTOを設立した背景には、性魔術の理論化に関する先駆者であった米国パスカルビバリー・ランドルフ(1825-1874)と彼が深く関係していた魔術団体The Hermetic Brotherhood of Lightの存在が指摘されるべきです。ケルナーは、そこから入手した性魔術技法をOTOの高位階に配置し、その下に一連の非認可メーソンリー儀式群を配備することによって、それまでには存在し得なかった独自の秘教団体設立の発想を得たのです。ケルナーは1885年に神智学と薔薇十字主義の権威フランツ・ハルトマン(1838-1912)と出会います。更に同年、ケルナーは新たな団体のコンセプトである「Academia Masonica」についてセオドア・ロイス(1855-1923 後のOTOの二代目OHO = Outer Head of Order )という優秀な協力者を得ることとなります。ヨーロッパ起源の非認可メーソンリー団体の数多の儀礼がジャン・ヤーカーや「黄金の夜明け」団の設立者の一人であるウィリアム・ウィン・ウェストコットらと、OTOの初期の発展に大きく寄与したセオドア・ロイスらの間で交換された事実は興味深いと思います。当時のヨーロッパではこのような儀礼の交換や相互認証は比較的活発におこなわれており、ウエストコットはセオドア・ロイスに「 英国薔薇十字協会」や疑似メーソンリー儀礼である「スウェーデンボルグ儀礼」のドイツ支部設立の許可を与えるなど、極めて親密な関係にあったのです。「黄金の夜明け」団の前身はマスター・メーソンのみを会員と認める「英国薔薇十字協会 ( SRIA )」で、「黄金の夜明け」団は同会のメンバーが中心となって発足されたことから、本来のメーソン的活動よりも、更に「オカルト」的なアプローチを嗜好する幾人かのフリーメーソン達によって設立された団体であるという側面を持っています。ドイツ語圏に於ける秘教的フリーメーソンリーは、ケルナー、ハルトマン、ロイスらの「Academia Masonica」というコンセプトの下、「メンフィス・アンド・ミツライム」や「古式公認スコティシュ儀礼」などを基盤とした秘教的集団として台頭します。その背景には常に英国の非主流派のオカルト・メーソン達との提携が存在していたのです。「Academia Masonica」は後の「東方聖堂騎士団( OTO )」へと発展し、1910年を境に、当時「黄金の夜明け」団の「小達人参入儀式」出版差し止め裁判マクレガー・マサースと敵対していたアレイスター・クロウリーに団の名誉位階(第七位階)を授与するという形を取りながら英国に進出してきます。OTOはいずれにしても散在する非認可メーソンリー儀礼コレクターがメーソン大学なるコンセプトをもとに設立し、その上部位階に性魔術の技法を温存するヨーロッパの一団体だったのです。

とはいえ、ケルナーとロイスの「Academia Masonica」という画期的なコンセプトは、当初うまく起動しませんでした。ロイスはレオポルド・エンゲル(1858-1931)と共にBarvarian Order of Illuminatiの復活を画策しており多忙を極めていたのです。またメーソンリーの秘儀を取り扱う以上、厳格なフリー・メーソン的気質が女性の参加を認めてこなかったという事実を想起しなければなりません。複数のメーソン系儀礼を綜合する作業とともに、そこに女性の参加を認める基盤作りを整備することには、少なからぬ障害が横たわっていたことが容易に想像できます。ケルナーとロイスは団の名称が明示されていない初期の活動の中で、ハタ・ヨガのサークルを組織し、周囲のメーソンからその体系の実践者を迎え入れたのです。1904年になり、ケルナーの体調が悪化するとともにロイスは「メンフィス・アンド・ミツライム」や「古式公認スコティシュ儀礼」のイニシエート達をOTOへと招待するのですが、その際に彼に協力したドイツのオカルティストがフランツ・ハルトマンとヘインリッヒ・クレインの両名です。そしてロイスは1906年に団の最初の「憲法」を公布します。セオドア・ロイスはプロの歌手にしてジャーナリスト、そしてプロシア警察のスパイ活動をしていたことでも知られています。彼は1876年11月、21歳の時にロンドンにて初めてフリー・メイソンリーに参入しています。彼をイニシエートしたPilgrim Lodge No. 238は勿論、英国メイソンリーのグランド・ロッジに認可された正規のロッジでした。1878年には第三位階(マスター・メーソン)となり、以後1880年のドロップ・アウトまで正規のメーソンとして活動しています。1880年は彼がIlluminatiの復活を宣言した年であり、彼の主張によれば、この年ミュンヘンIlluminatiのロッジであるLudwig Lodgeが設立されたそうです。それ以降は前出の英国オカルト・コネクションを駆使し、メーソン系儀礼の収集に跋扈しています。1905年にカール・ケルナーがこの世を去るとロイスはOTO運営の全権を掌握します。OTOがその名を明かすのはケルナーの死後であり、1906年に発行された団の雑誌『オリフラメ』で、ロイスは以下の如く自分自身を定義しています。曰く、「Sovereign Grand Master General ad vitam of the United Orders of the Sccotish, Memphis and Misraim Freemasons in and for the German Reich, Sovereign Grand Commander, Absolute Grand Sovereign, Sovereign Pontiff, Sovereign Grand Master of the OTO Freemasons, Supreme Magus Soc. Frat. R.C., SI 33゜, Termaximus Regens I.O. etc.」 故にOTO設立の礎を築いたのが初代O.H.O.カール・ケルナーであることは間違いないとしても、団の構造を発展させたのはセオドア・ロイスだと言えます。

 クロウリーOTOの第七位階として承認されたのは前出の通り1910年のことで、1912年4月21日付けのチャーターにより英国及びアイルランドを直轄する団のナショナル・グランド・マスター・ジェネラル(第10位階)に就任します。この時設立されたOTO英国支部M∴M∴M∴(Mysteria Miystica Maxima)こそが、我々現代OTOのルーツとなる組織です。『虚言の書』の一件以降、クロウリーOTO熱は上昇していき、彼が自己出版していた『春秋分点』誌の第一巻の後半の号ではOTOが大きく紹介されることになります。彼はそれまでメーソンリー色の強かったOTO儀礼に彼のセレマ哲学エッセンスを注ぎ込んで改変し、その作業を1912年から1940年代に至るまで継続したのです。我々OTOが保持しているこれらの一連の位階参入儀式のうち、「大地の男」と呼ばれる位階の儀式についてはOTO全体の活動の中心ともなっているものです。

OTOのメンバーは現在世界に4,000人以上いるといわれていますが、その8割強は「大地の男」と呼ばれる諸位階(Minerval 0゜〜 Perfect Initiateまでの6位階)に所属しています。OTOを世界的に統括する組織として国際総本部(International Headquarters  http://www.oto.org/)が置かれており、更にOTOの活動が活発な国にはグランド・ロッジが置かれています。グランド・ロッジは現在世界に三つ存在しています(アメリカ合衆国イングランドオーストラリア)。グランド・ロッジはグランド・マスターにより統括されていますが、グランド・ロッジが置かれていない各国でもO.H.O. フラター・ハイメナエウス・ベータ(第十二位階)の代理人が置かれ、国単位での組織化が進んでいます。

今回、オーストラリアのグランド・マスター Frater Siva(第十位階)を始めとして、ニュージランド、日本の各代表が来阪する運びとなりました。歓迎と親睦のためのパーティーが企画されています。OTO, クロウリー、Thelema、魔術 etc に関心のある方はお気軽にパーティーにご参加下さい。

★RitzBar http://www.ritzbar.com/   

 会費\5,000 4月2日(月)19:00スタート

参加希望の方は master@skygoddessnu.org  までご連絡下さい。皆さんとお会いできるのを楽しみにしています!


Love is the law, love under will.