ながおかドキドキ通信


  小説「光る砂漠」−夭折の詩人矢澤宰の生涯ー
    宰の病室
 日曜日。白いブラウスにスカート姿のゆきが宰の病室に数学を教えにやって来て数学を教えている。「ほら分かったろ。教科書をちゃんと読んで問題を解けばそんなに数学も面倒でないでしょ」というゆき。「ゆきさんのいう通リだ。最初から分からないとオレ諦めていたんだ。ようし。だんだんと数学も面白くなってきたぞ」と元気づく宰。数学の勉強を終え二人は楽しそうにミカンを食べて語り合っていた。
 「私の家、見附の小さな農家なんだげど、とうちゃん体も弱いくせに今年の冬も東京へ出稼ぎに行くらしいの」とゆき。「田んぼやめてゆくがあ」と宰。「そうじゃないが。これからの農家は今までの人の手を使ってやる百姓仕事でなく機械を使って米がいっぱい獲れるような農業になるんだって。それにはねえ耕運機とか色々な機械を買わなくちゃならないんだったさ・・・」とゆき。「オレんちの家も同じようなことゆってたなあ。これから農家はどうなるがあろう」と宰。「さあ私にもどうなるか分からん・・・」とゆき。そんな会話をしている時、退院した宰の心を許せる友、茂太が病室を訪れる。
 「ごめんなさい茂太です」と茂太は病室のドアをノックしながら宰の病室を訪れ。「おお茂太。久しぶり元気らった。今日は通院の日らか」と宰。「ああ。だいぶ体の調子もいいみてらて。宰もどうしているかと思ってね。そんでもよかったじゃねえか学校へ通えるようになってさ」と茂太。「とうしてそんげなこと知ってるがあや」と宰。「そんげなこと病院の中じゃ知らんもんなんかねえれ」と茂太。「そんげにオレ有名人だろか」と得意になる宰。
 「茂太君久しぶりらね。元気だった。大人ぽくなってさ」とゆき。「あの頃は色々とお世話になりましたね」と茂太。「体の具合もいいみたいだわね」とゆき。「はい。退院してから調子もよくてかぜもひかなくなりましたよ」と茂太。「よかったわね。宰君も最近、体の調子もいいみたいらよ。二人で色々と話もあるでしょうから私、これで帰るわね。宰君、また今度の日曜日にね。茂太君も元気でね」とゆき。「まだいいんじゃねえの」と宰はゆきの帰りを惜しんだ。宰と茂太に手を振って病室を出で行くゆき。
 「お前、ゆきさんに勉強教えてもらってんのか」と茂太。「学校へ行くようになったろも数学がまったく分からんかったんでゆきさんに教えってもらってたんだいや」と宰。「ゆきさんなら頭もいいすけ数学らって上手に教えてもらえるろうな」と茂太。「うん、だいぶ数学も面白なってきたんだ」と宰は上機嫌でいった。
「お前もしかしたらゆきさんのこと好きなんでねえのか」と茂太。「そんげなことねえ。お前なにゆうがいや」と宰はテレる。「好きならいいねえっか。男が女を好きになってなにが悪りがあやあ」と茂太。「・・・」と宰。
 宰と茂太の楽しそうな会話は夕方まで続く。ベットの脇の時計は午後7時を指している。「もう遅くなったからオレそろそろ帰るすけ」と茂太。「もう帰るてかや。まだいいねか」と宰。{もう帰らんと。父ちゃんがうるせえすけや」と茂太。「そいがかや。また来てくれやな。オレ待ってるすけな」と宰。
 宰の病室を出てゆく茂太。誰もいなくなった病室でベットに横になりながら天井を見上げて寂しさを募らせる宰だった。「10月1日、日曜日。熊倉君がきた。そして今、7時5分に帰った。悲しい。来て、顔を合わした時の喜びは、なんともいえないものなのだが、帰るときの、後姿を見る悲しさはどうだ。熊倉君が社会に出て、経験し、失敗しても、すぐに次の行動がとれたり、失敗することによって前進し、考えて行えるのがひどくうらやましい。彼は、実社会というものを身をもって感じているのだ。ぼくはどうだろう!ものすごく悲しいではないか。彼も、『おれは、その点はいいのか、悪いのか、知らないが、お前らより、有利な点ではないかと思う。』といっていた。今さらのことではないかもしれないが、彼か゛帰ってしまったらひどく孤独を感じる」
(宰の日記より) 【続く】
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