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置き手紙 | The Left Behind Letters

2011-12-31

効果的な本の読み方とはいかなるものか - 2

前回のサマリーを付す。

  • 読書の目的は憂世の慰みと知識の獲得。それ以上に追及する意味はない。
  • 本の選び方を改善するには本を読み続ける、または読書家を友人にする。
  • 本の読み方で最重要なのは時間と場所の創出。早朝開店直後のカフェ等。

文章の効果的な理解の方法

 ようやく、本を開くことができる。しかし書かれたものを読むだけでそれを理解することはできない。それが出来ればと、何度か憂鬱になったことがある。小説を読んでいるとマイナーな登場人物を忘れる。その度に本は嫌いだと思ったものである。

 筆者はいくつか道具を用意することにした。机で本を読んでいるとき、手元には以下のものがある。

  • ボールペン(三菱鉛筆「JETSTREAM」MSXE5-1000-05);4色+1の「シャーボ」である。無人島に一本だけボールペンを持って行って良いとしたら、間違いなくこれ。書き味が全く違う。筆者はこれを常に携帯している。上着の胸ポケットや胸ポケットに差している。
  • 付箋(住友スリーエム「Post-it」710RP):ポスト・イットにはいろいろな大きさのものがあるが、本を読むときは一番細いタイプしか使わない。現在は不透明のタイプを使っているが、文章が見えなくなるため今度は透明のタイプの採用を検討中。
  • ブックスタンダー(カール「NO.820-K/152116」):本を開いたままにしておきたいということは、よくある。レポートを書くときに、これが重宝する。しかし、開いたまま放置しておくと本が痛んでしまうことに注意すべきである。
  • iPod Touch:英語の本を読むときに辞書を引くため。良い辞書アプリケーションがあれば紹介して欲しい。

 ようやく本を開くことができる。いま手元には廣松渉『世界の共同主観的存在構造』(講談社)がある。今度の読書会で検討する、ホットでタフな読み物である。机の上にはもちろん、ブラックのコーヒーがある。準備は万端である。

 ポイントと思われるところには青で線を引く。最終的には、青い線だけのところで本を要約できるようになることが目標である。高校生の時に何かで青い線は記憶に残りやすいと読んだのが青で線を引き始めたきっかけである。科学的に正しいのかは分からない。

 疑問点には赤で線を引く。ゼミで文献の内容を紹介する際に、レジュメには要約とコメントを盛り込む。要約は青い線で引いた部分を中心に構成するのに対し、コメントは赤い部分から作る。線を引いた側にはどんな疑問だったのかを赤で書き残す。一度読んだ時の疑問は忘れてしまうのが常であるため。

 しかしながら、私が読書の際に最もよく使う色は、緑である。4色ボールペンで一番使われないであろうこの色は、目立たないところにこそ使用価値がある。緑は、本を読むときに考えたことを余白に書き込む時に使う。難しい単語の意味や、文章の意味構成、テキストの感想を書き残す。これが目立つと、テキストが読みにくい。緑だからこそ、躊躇なく余白に書き込むことができるのである。

 赤や青で線を引いた部分には、付箋を貼る。現在、付箋の色にこだわるようなことはしていない。線を引いた部分がよく見えるように、テキストに対して平行に貼る。本を閉めた時に付箋の高さが一定になるように、上から何文字目に付箋の一番下が来るようにするかを決めておく。

 本はできるだけ前から読む。後ろの後書きや解説を読んでしまうと、自分の読みがそちらに引きずられ過ぎる。自分の判断基準でテキストを読み、その後で後書きを読むことで著者との距離感を図ることが出来る。つまり、クリティークがしやすい。自分の考えを構築していく上で、このメリットは大きい。よほど時間がない時以外は、学生新聞時代のように後書きや解説から本を読むことはしないようにしている。

 付言すれば、まともに検討したい本は一度読んだだけでは終らせることができない。少なくとも二度、三度読まないとテキストを噛み砕いて理解することができない。テキストを複数回読むということは、それだけ時間の掛かる営みである。本の読み方で時間の確保が最重要課題だと述べたのを思い出していただきたい。

感動や知識をいかに残すか

 折角読んだのだから、読んだ内容を覚えていたい。面白さを人に伝えたい。

 記録のやり方はまだ模索中である。まず、デバイスが問題である。満たすべき条件は、二つある。かさばらないことと、入力が簡潔なこと。現在はiPod TouchにこのブログのエントリをRSSリーダーで読み込ませることにしている。

 研究関連の本はこの方法で記録している。A4無地の紙にイメージを描くことにしている。研究以外の本がそれでいいのかは分からない。社会学の本は書かれた内容を暗記するというよりか、著者のプリンシプルをテキストから抽出するという感じで読む。だから、文字で記録するよりも無地で書くほうが覚えやすい。

 学部2年生の時の講義で先生に言われたのは「どんな本でも主張はだいたい500字にまとまる」ということである。一時期、読んだ本や論文を何でも500字にまとめてブログに載せていた。一見、短くてすぐ書けると思いきやこれが大変である。

 社会人になれば読む本の質が変わってくることが予想される。日々変わっていく状況に対応するための知識を吸収し、限られた時間の中で実際の判断に生かすための読書。おそらく、社会人になってからしばらくはアウトプットの方法は模索が続くだろう。

 少なくとも、定期的にアウトプットを行う必要はあるだろう。修論執筆中に思ったことだが、長い間ものを書いていないと、いざという時に的確な文章表現ができなくなる気がする。大学院生でも社会人でも文章を書く機会はあるだろう。そのための準備としてアウトプットの練習が要請される。土日の朝の時間に文章を書く練習をするとか、そういう形で習慣化するのが良いだろうか。

バロメーターとしての読書

 最初に、読書の意味を求めすぎることに意味はないと述べた。しかし意味のないことに熱意を注ぎこむことは、人間には不可能である。読書のどのような点に、熱意を注ぐことができるだろうか。

 私の場合は、読書ができているかどうかは自分の調子のバロメーターとしての位置づけが大きい。調子のいい時は本が読めるし、本の読めない時は自分にリセットを掛けることが必要な場合である。あるいはテキストを通して、自分の思考の特徴を知り必要に応じて修正を加えることができる。

 もちろん人文系の大学院生以上に、大量の本を深く理解することを必要とされる職業はない。バロメーター等と言っている場合ではないことは分かっている。しかし、私は大学を離れる。そして今のところ、もうそこには戻らないと思っている。これからも大学に残る人と、これから大学を離れる人の読書は、違うはずだ。

 しかしながら、読書は自己研鑽であることに変わりはない。最近私はなぜ働くのかと考えた時、本を買うことが一つの答えたりうるのではないかと思っている。それは自らを磨くことで、日々の糧を得る行為である。決して読書家とは言えない私が正直面倒だと思いながら本から離れなれないのは、こうした事情があるからであろう。