”どうしてもどうしてもさわりたくて、気が狂うほど、
もういてもたってもいられなくて、
彼女の手に触れることができたらもうなんでもする、神様。
そう思った。そう思ってした。
自然も不自然もない。せざるをえない。
思い出した。本当はそうだった。
何となく気があるふたりがいて、何となく約束して、夜になって、食べて飲んで、どうする?となって、今日あたりいけるとお互いが暗黙の打ち合わせをしてる、
というものではなかった、
本当はただたださわりたくて、キスしたくて、抱きたくて、少しでも近くに行きたくてたまらなくて一方的にでもなんでも、涙がでるほどしたくて、
今すぐ、その人とだけ、その人じゃなければ嫌だ。
それが恋だった。思い出した。”  よしもとばなな「とかげ」



整理してみた。切るとこ間違ってんだろうな。吉本隆明の本が家にはそれなりにある。もう殆ど増えないであろう本棚。壁一面にある本棚。

どう考えたって、僕がいい加減だからこうなったんだけど、それでもこのいい加減を許してくれていたのはとても心地よくて、だってそうでしょう。僕の小さな世界の中では誰だって、許してもらったり、認めてもらったり、頭を撫でてもらったり、鎖骨の下で寝たり寝られたりすることが嫌ではないはずで、その心地よさはなかなか忘れられるものではないもの。
でも僕が彼女からいろんなものを奪っていたのも分かってるし、僕自身に今の自分を改善する能力が無い以上、もう戻ってくることもないだろうし、そういう自分がとても気持ち悪くて大嫌いだけど、それでもここまで自由にさせてくれる人をもう一人見つけられるとは今は思えないし、今は他に鎖骨の下に寝かせる人を作る気も無い。
この感情が感傷ではないことを、切に願う。
でももうなんかみんなめんどくさい。

破綻した生活。破綻した感情を持って生きる。ぐらぐらで生きる。しんどい。
だから大嫌いなBattlesを聴いてみたり、特においしくもないインスタントコーヒーを飲んでみたり。コーヒーは、少しだけお湯を入れて蒸らしてから、一転集中で均等にお湯淹れるのがおいしいと思ってるから、最大限においしくする努力。しても、牛乳入れるから意味無いね。
Battlesを聴いてると、なんだか何も無い真っ白の部屋で、自己満足で延々とワープロを売ってるような気分になる。すごく嫌。
だからWorld's end Girlfriendに換えた。さして好きなわけでも、聴き込んで思い入れがあるわけでもない分、何も考えずに聴ける。
でも、こんな素晴らしいバンドの名前、他に知らない。ワールズエンドガルフレンド。

Hurtbreak Wonderland

Hurtbreak Wonderland

2曲目が緩やかで甘い、フランス映画のラストシーンみたいでとてもいい。「パリ・ジュテーム」の最後の花火のシーンに合いそう。

「恋は下心、愛は真心」なんてしたり顔をして言ってる人は、馬鹿ではないにしろ、ちゃんとその言葉を思考して、咀嚼して言ってないと思う。
確かにそうとも言えるのだけど、恋の方が純粋だと思うし、不純な愛も多分ない。
結局そこに、表現すべき純粋がないと愛とも恋とも、ましてや恋愛とも言えないと思う。

何ヶ月ぶりかに、プライベートに初対面の人と喋った。一つ下の初心者ベーシストの女の子。一頻り喋って、僕を呼び捨てにする彼女は、タバコがあるか聞かれた。無いよ。と答えると、少しつまらなさそうな顔をしていた。
「パッと見、文系ロックとか好きそう。」
といわれたのは、きっと眼鏡をかけていて、前髪が暗鬱な目をほとんど覆いかけているぐらい髪が長いからだと思う。残念だけど、文系ロック好きでも、文学青年でもない。