第1313回 モールスの「イ」

 日々の綴りにも飽きてきたので、また雑感を記していこう。
 
 幼い頃や若い時に聞いた曲というのは、いつまでたっても覚えているものである。殊にCM曲は、その刷り込み具合が半端ないので、齢45になっても様々な折に触れて思い出す。
 様々な場所で ― 例えば、自宅の、またはコンビニの、あるいはガソリンスタンドやパチンコ屋で借りた、はたまた役所や事務所の、ま、すべて便所の小便器の前なんだが ― 幾重にも履き重ねられた防寒下着の小穴をグイチに縫って、ご自慢の巨砲マグナムを露出させるまでの、秒単位で争う焦燥感と(注)、その後味わうであろう最大幸福が約束されたあの時間、僕は大体、焦りながら鼻歌を歌っている。
 殺伐混迷とした現代社会で、唯一独りになれるあのリビドータイムに脳内へ去来するのは、青少年時代に聞き込んだ歌々なのだ。
 
注:秒を争う緊急事態だからこそ、下着として履く内の一枚、例えば、パッチの下のヒートテックを、前後ろ逆様に履いていた時の慌てふためき様たるや想像を絶するものとなるのがお分かり頂けるだろう。
 
 閑話休題(あだばなしさておき)、青少年時代に聞き込んだCMソングとはどんなだろう。列挙してみよう。 
 まず、やはり表現舎としていつも念頭に置いているものに『スジャータ』がある。時間通りにマイクをお返しする男児の心意気が沸き上がる歌だ。曰く「♪スジャータスジャータ、白く拡がる、スジャータ(間奏)スジャーァタッ♪」で時計を見る。ジャストまたぎであろが、なかろが、しょっちゅう脳内で鳴っている。
 『大和実業グループ』と『やぐら茶屋』の鳴り方もひどい。「♪早くぅここへ来てぇ、みんなーの笑顔がぁ(後奏)♪」という曲と、「♪ワイワイドリンキング、やぐら茶屋(チャッチャチャッチャ)、ウキウキトーキン、やっぐっら茶屋(あぁー、どんと来い)♪」の2曲である。両方とも80年代ポイ眉毛の太いバニーガールや民間人のお姉さんが頭に浮かぶ。この二曲は何故かいつも対になって出てくる。経営が一緒だったのではなかろうか?
 『センタン』は少年時代の思い出だ。「♪ホカホカ豚まん(パラパパパパ)、ホカホカ餡まん(間奏セリフ:あげようかな、どうしようかな…、ヤーメタ)、センタンの豚まん餡ーまん♪」。セリフのところを妙に感情入れてしまう。文中の「…」は尿が途切れる箇所である。
 『大島屋のお握り海苔』は、FBの同級生と近時、話になった。「♪お握りコリンコココン(チャチャチャ)、みんなで海苔を巻こうよ(セリフ:ママー裸じゃイヤー、間奏:チャラチャチャッチャ、チャラチャチャッチャ)、大島屋ーぁ海苔っ(ウフフ)♪」だ。「裸じゃイヤー」にぐっと来る。裸でいいじゃないか。
 スジャータ以外のラジオCMの洗脳も捨て置けない。テレビ程の派手さはないが、刷り込み方は尋常じゃない。
 MBSの「♪松屋町の福板屋、人形と結納♪」などは大阪の人以外わかるまい。
 『オールP』の「♪ピー、ピー、ピー、ピー、オールピー(チャッチョ)♪」。あと「♪キョーレーオピン♪」もある。これらは確か5秒もないはずだ。ラジオ聞きで知らん人はおらんだろ。
 懐かしいところでは「♪阪神高速っミニウェイっ!(後奏)♪」。この後奏のピアノ演奏は、全ての音符を口三味線で復元できる。我らの先輩ルパン兄が代理店として担当された作品だ。未だに忘れられない。
 「♪有馬っ兵衛のっ、紅葉閣へっ!♪」や「♪びわ湖温泉〜ん、ホテル紅葉〜ぉ♪」などは、CMがきっかけで祖母におねだりして連れてってもらったホテルである。悲喜こもごも懐かしい曲である。
 行ったことないんだが、同じホテル旅館系でも『鳩屋』については、何故あんな遠い伊東くんだりの旅館のCMを関西でやってるんだろかと不思議に思ったものだ。実際、関西からの客も多かったのだろう。景気の良かった時代を反映しているのか?
 終わりに臨み『鳩屋』の宣伝歌を掲げておく。
 「♪伊東に行くならハットッヤッ、鳩屋にっ決めたっ!♪」。
 
 さて、上の話とは全く関係ない。
 無線の仮名モールスを覚えたい奴は聞くがよい、カタカナの「イ」は、「伊東(・―:イトーと覚えよ)」である。今日はそれが言いたかっただけだ。