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2018-05-18 都市伝説より探る青少年のこゝろの闇

都市伝説が示唆する青少年深層心理 都市伝説が示唆する青少年の深層心理を含むブックマーク 都市伝説が示唆する青少年の深層心理のブックマークコメント

 都市伝説というコンセプトが定着してから30年は経過した。その間に集積された怪異群、怖い話や噂話も相当な数と種類になった。
 その集大成が『日本現代怪異事典』だろう。この労作をもとに、その社会心理の深層を探ってみよう。
 気がつくのは「動物」の化け物は影が薄いことだ。自然と切り離された都会人が伝えあう怖いものは「変な人」になっているようだ。化け猫もたぬきも狐憑きもいない。もっぱら、異形な「人」が怖さの源なのだ。
 その語り手たちは、おおむね若者たちだ。語り手としての中年のオジさんオバさんの気配はない。「学校」がその舞台となるのが多いのは、ひと頃の「学校の怪談」ブームと変化なしだ。もともと学校は若者たちの生きる場であり、「関門」であり、「不安」の巣窟なのだ。
 それはいつの時代でも共通なのであろう。

 とくに自分が注目するのは、出没の場所としての「(高速)道路」と「駅」だ。
上記事典では「高速老婆」と「異界駅」の分類にあたる。
 高速老婆の実例には、ターボばあちゃんや120キロババア、走るバアサン、ホッピングばあちゃん、ピョンピョンババア、ジェットババアなどがある。
 夜、車でドライブしていると窓を高速度で並走するバアサンに叩かれた、のようなお話しである。
 なぜ、老婆がクルマと走らなければならないのであろうか?
自動車にまとわりつくのが老人たちであるというのは何故なのだろうか?

境界」にうごめく奇怪な老人たち。それが示唆するのは若者たちの精神に投影された高齢化社会への不安だと言っておこう。そして、老婆たちに追走されるクルマもまた、若者たちの畏れの対象に変容しているのだ。
 もはやクルマは若者たち自由象徴ではなくなり、身体をベルトで羽交締めにされて決められた人生コースを進行することしかできない拘束運搬装置でしかない。
 身動きのとれぬ若者たちに「意識の辺縁にある老い」のイメージが突然に夢魔のごとく襲いかかるのだ。

 異界駅もまた、境界にある。
 月の宮駅、あまがたき駅、新麻布駅、ひるが駅、とこわ駅。こうしたありそうでない駅が前触れもなく訪れる。異界への入り口として「駅」があるのは不思議でもなんでもない。多くの自殺者は駅のプラットホームから他界に飛び立ってゆくのだから。死者の世界に通じるのが駅だと青年たちは識閾下で信じているかのようだ。
 多くの都会人には、どこに通じるとも知れない改札口は畏怖と憧れの出口なのだろう。

 このようなトランスポーテーションとの境界とは違うが、やはり異次元が顔をだす卑近な場がある。
トイレだ。
 この辺縁のトポスは昔から畏れをいだかせる「サンクチュアリ(聖域)」の一種であった。
 例の「事典」でもトイレの噂話の種類は圧倒的だ。50種以上の噂が記載されている。
 赤いちゃんちゃんこ、青い紙のような色にまつわるタブーエリーゼ、きぬこさまなどの花子さん系など多種多様だ。

 かつての伝統社会では「厠神」とミツハノメの神が出這入するのが手洗いであってみれば、これらの無意識の恐怖もそれなりの根拠と伝統があるわけだ。折口信夫が析出してみせた『水の女』がその古代的拡がりを余すところなく述べている。その前提として、『古事記』の「イザナミ」の死に際し、「尿(ゆまり)」からなれる神が、「弥都波能売神(ミツハノメノカミ)」なのである。

 というわけで、結論的には「異界駅」と「高速老人」は現代の社会の不安の病理が集約されているようなのだ。また、高速道路には老人が出現し、トイレには童たちが到来するという対比も、さらなる検討が必要なのかもしれない。
 よって、トイレの怪に老人の出番がないのはミツハノメのせいかもしれないが、異界の駅がなぜか無人であるのが物寂しい。

日本現代怪異事典

日本現代怪異事典

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2018-05-14 朝鮮伝承における蛇の不在

朝鮮伝承における蛇の存在感のなさ 朝鮮伝承における蛇の存在感のなさを含むブックマーク 朝鮮伝承における蛇の存在感のなさのブックマークコメント

 朝鮮神話や伝説における「蛇」はほんとうに目立たない。日本の状況と比較するとそれは顕著だと思う。「三輪山伝説」のようなオダマキ型の神話はないのだ。賀茂神社の「謂はゆる丹塗矢は、乙訓の郡の社に坐せる火雷神なり」の背景にも蛇がいる。また、インドのクンダリーニとチャクラ、中国ですら白蛇伝みたいな説話があるのを考えると不思議だ。
 もちろん、「龍」は中国本土から伝わっていて、新羅高句麗の装飾古墳壁画に描かれている。
 だが、龍は朝鮮半島固有のシンボルではないだろう。朝鮮神話には登場しないからだ。
 高句麗新羅百済神話は不可解にも卵生の王族の始祖を語るのだが、蛇とは無関係のようだ。
 例えば、古朝鮮神話は「天帝の息子恒雄は太白山の神檀樹に降臨した。洞窟に虎と熊がいて人間になることを望んだ。熊だけが女になって檀君を生んだ」と伝える。また、半島の伝承では鳥と人との関係は残存している気配がある。「鳥居」との関係が気になる。

 韓流ドラマにもなった朱蒙(シュモウ)が出てくるのが、高句麗の朱蒙神話である。

 扶余王金蛙が太白山の下で女に会った。女は河伯の娘柳花であった。金蛙が女を部屋に
閉じ込めておくと日光に感じて孕んだ。女は大きな卵を生み、朱蒙が誕生した。高句麗の祖である。


 新羅 赫居世(ホコセ)神話になると父親は不明だ。

 新羅六村の人びとが川辺で会議をしていると、楊山の麓の林に白馬と大卵が天下り、そこから童が生まれた。彼はホコセ(赫居世=輝く君)と名付けられ新羅の始祖となった


 新羅王第四代も同じような伝説がある。

 東海のタバナ国の王と積女国の王女が結婚して大卵が生まれた。不吉とされて方舟で流された。新羅の阿珍浦に漂着した。老婆が開けると童がいた。これが脱解であった。



 駕洛の金菅露神話。場所的には釜山周辺の地域である。

駕洛国(加羅)の村長らが亀旨峰に集まり神迎えの祭りを行っていると、天空より声あり紫の縄が天から降り、そこに金の食器があり、其の中に六個の卵があり、そこから六人の童が生まれた。それぞれ六駕洛の王となった。


 卵生と童、それに天から降る。そういうモチーフがメインだ。だが、この卵はいったいなんなのか。卵生神話は日本にはまったくない。朝鮮神話を編纂した儒教徒は卵からの誕生は認めたが丹塗矢とホトからの誕生は認めなかったのだろうか。
 お上品な卵生なのはいいとしても、古朝鮮神話以外は動物との繋がりが一切断たれているのだ。
 古朝鮮の「熊女」はアイヌ民族の祭りを想起させるようなトーテム伝承だが、これはユーラシア大陸の奥地から伝わり来たのだろう。
 
【参考文献】

蛇 (講談社学術文庫)

蛇 (講談社学術文庫)

朝鮮の王権と神話伝承

朝鮮の王権と神話伝承

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2018-05-13 戦中派が感じたエヴァンゲリオンの特攻精神

戦中派の見たるエヴァンゲリオン特攻戦中派の見たるエヴァンゲリオンの特攻魂を含むブックマーク 戦中派の見たるエヴァンゲリオンの特攻魂のブックマークコメント

 戦中派の心持ちになって『新世紀エヴァンゲリオン』を見てみると、戦争末期の学徒動員と特攻隊の姿が二重写しになる。といって、自分は戦後生まれなんだけど。

 何が似ているかというと、エヴァの初号機をはじめ、どのエヴァの開発機も戦闘能能力が不安定で未完成品に近い感じ。アンビリカルケーブルから外れたら、活動限界が5分なんて、特攻機が片道切符で飛ぶのとそっくり
 資質がある学徒を動員しているのも似ている。サードチルドレンとかいっているが、未成年者もいいところだ。けれど訓練が不十分なまま戦闘に引きずり込まれるのだ。碇シンジの叫びは学徒の残した「きけわだつみのこえ」だ。
 年代からいえば、ヒットラーユーゲントがライン川防衛に駆り出されたのと同じではないかな。
いずれにせよ、十代の青少年が「絶対防衛圏」である国内で圧倒的パワーの「使徒」と肉弾特攻を繰広げるのだ。しかも相手はATフィールドとかいう防御力抜群であり、こちらは爆弾三勇士みたいに武器を担いで切り込んで、その弾幕を突破せにゃならん。
 まさに、国土上で繰広げられたB29爆撃機(空飛ぶ要塞)に対する特攻戦そのものじゃないかと目を覆いたくのだ。
 彼らの乗ったゼロ戦ははるか高空を飛ぶ敵機に肉薄するために、機銃も防弾ゴムも削って軽量化しなければならなかった。そうやってようやくと離陸し、飛翔してようやく体当たりを果たせたのだ。

 指揮命令系統も同じだ。
 碇司令は絶対服従要求し、逆らえば人格を否定して見捨てるところなんて、軍国主義時代精神を体現している。

 ある意味、『新世紀エヴァンゲリオン』で繰り返される、壮絶で無意味な死闘は大日本帝国のそれを思わせるし、戦後生まれが捧げた犠牲者たちへの挽歌なんだと断言してみたい。



【参考文献】

死闘の本土上空―B-29対日本空軍 (文春文庫)

死闘の本土上空―B-29対日本空軍 (文春文庫)

海軍局地戦闘機―本土上空を死守せよ!

海軍局地戦闘機―本土上空を死守せよ!

きけ わだつみのこえ―日本戦没学生の手記 (岩波文庫)

きけ わだつみのこえ―日本戦没学生の手記 (岩波文庫)

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2018-05-08 神話学者のジョーゼフ・キャンベルのこと

神話学者のジョーゼフ・キャンベルのこと 神話学者のジョーゼフ・キャンベルのことを含むブックマーク 神話学者のジョーゼフ・キャンベルのことのブックマークコメント

 アメリカの代表的神話学者であったジョーゼフ・キャンベルが亡くなったのは1987年
 早いもので、もう、30年も昔のことになった。
 キャンベルは一般には『スター・ウォーズ』の原点であるオリジナル・トリロジーに大きな影響を与えた人物として、ジョージ・ルーカスの「マスター」の一人として知られる。ルーカスの基地兼豪邸である、スカイウォーカーランチにも招待されている。余談だが、初期三部作以降のSW作品は原初性みたいなものは喪失してゆくようだ。
 また、エラノス会議の参加者の一人でもあった。エラノスの宗教学の巨頭というとエリアーデかキャンベルか、ケレーニイかだ。
 いずれにせよ、彼の死後、賢者の風格をもって世界の様々な神話の価値を語りかけてくれる人物は消え去った。
 TVシリーズにもなった最晩年の『神話の力』はビル・モイヤーとの対話ベースでありながら、多くの人に受け入れられた。書籍もベストセラーとなった。

 それはともかく、キャンベルはアメリカ東海岸アイビーリーグの環境で育ちながら、キリスト教一辺倒の考え方とは若い頃にはやくも見切りをつけた。もとはカソリック教徒であった。
 あのマルチン・ブーバーの自己中心的姿勢にもイチャモンをつけるくらいだ。ブーバーはユダヤ神秘主義の大家だったが、インド宗教思想には一顧だにしようともしなかったからだ。
 かと言って、あるインド人の非歴史的な狭隘さを皮肉った逸話を披露してもいる。。
 世界の神話的思考の多様さ、深層での普遍性というものをキャンベルは追求し続けたのだ。なもので、アメリカインディアンであろうがブッシュマンであろうがアーミッシュでもアボリジニでも、それらの神話的真理のあり方をひとしなみに尊重し、その隠された至高の価値を「いわゆる文明国の」アメリカ人に饒舌に快活に雄弁に伝道していたのだろう。

 そのなかでも、東洋の独自な伝統を持つ日本的霊性のあり方にも一方ならぬ思い入れを持っていた。
かのマルチン・ブーバーには敬意を払わずに鈴木大拙には「師」づけて尊敬の念を表している。
「禅」はインドで生まれ、中国で育ち、日本で花開いた。つまり、極東から西洋社会に普及していった。大拙は日本だけを褒めることなく、インド中国の価値を含めて大乗仏教の思想を説いている、其の点にキャンベルは高い評価をしたに相違ないだろう。

 旧約聖書の神よりはブッダの説いた教えにより共感していたのは確かだ。
例えば、彼が下のように主張する時にそれは確証される。

仏教的な考え方によれば、私達を楽園から遠ざけるものは神の嫉妬や怒りではなく、自分たちが本能的にもっている生への執着です


 それは「世界で最も重要な仏教の中心地のひとつは、日本の奈良です」という紹介文のあとに続く。
 彼がそう主張したのは1972年だった。奈良の大仏=大毘盧遮那仏はすべての人びとが救済される能力があると説く華厳経の具現なのだということを念頭に置いて、日本が観光化される以前の時代にアメリカ人に向けて伝えているのだ。
 専門用語を使わずにシンボリックに解説するのが彼のスタイルだった。
 日本庭園の素晴らしさをベストセラー神話の力』の冒頭に置いている。キャンベルが当時の日本に見出したのは公害経済成長のおもて向きの姿ではない。そこここにある日本庭園の精神性だった。
 自然と人為の境目がないことが彼の一番の言いたいことだった。禅でいう無境界が庭園様式に連なっているとキャンベルは看取していたのであろう。
 神道の無主張、無定形さにもキャンベルは注目している。「神道とはなにか」と問われて、「私たちは踊るのです」という一神主の答えを感慨深く、コメントなしに報告しているのだ。


【参考文献】

 英雄の成長と帰還をモデル化した主著の一つ。ルーク・スカイウォーカーの運命はそれをなぞっている。




 ブーバーとの関係や仏教評価は初期の作品である本書にすでに出ている。蛇の扱いも旧約聖書アーガマとでは180度違うのだ。でも、知恵と蛇との関係は共通であることにキャンベルは注目する。



 最晩年の著書。後世へのメッセージだ。

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2018-05-06 武産合気(たけむすあいき)の宗教

武産合気(たけむすあいき) 武産合気(たけむすあいき)を含むブックマーク 武産合気(たけむすあいき)のブックマークコメント

 合気道創始者である植芝盛平は卓越した神道家でもあった。合気道の主神を「アメノムラクモクキサムハラ」大神とした。
 

合気道の極意は、己を宇宙の動きと調和させ、己を宇宙そのもんと一致させることにある


 大神同化させる、帰一和合するのだ。
かくて、茨城県岩間町に合氣神社設立したのである。

 現代社会の商業スポーツのあり方について植芝盛平翁の言葉はなかなか辛辣である。

我らの武道はスポーツとはいわない。スポーツとは魂の抜けた遊戯である


 かくて、植芝盛平五井昌久白光真宏会に共鳴することになる。それもずいぶんと昔の出来事になった。五井は比較的早く昇天し、教団は沖縄の王家の血を伝える女性司祭に継承されたという。
 というわけで、白光真宏会はまだその余喘を保っているようだ。

 いたるところにある「世界人類が平和でありますように」はその活動のあかしであろう。

 白光真宏会の富士聖地には「世界地図」がある。




 植芝盛平の神技もYoutubeで鑑賞してみてほしい。

D


【参考文献】



 植芝盛平が登場する満州国劇画。夕日将軍石原莞爾との関係も描かれる。

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