古事記にも登場する建御名方神は諏訪湖の地方神として位置づけられている。そに対して、諏訪大社に祀られているのはミシャグジさまなのだ。
この二柱の神の関係は決着がついてはいない。それゆえに幾多の夢想を誘う古代史のテーマでもある。
近代思想史の当初にその存在の大きさに気づいたのは柳田国男と山中共古である。山中共古はもと幕臣であり、江戸時代の知識人であった。『石神問答』はほとんど二人の往復書簡の感を呈している。
ミシャグジと石神は同一のもとみなされる。山中共古はすでに性神としての特徴を指摘しているが、潔癖症の柳田国男はそれを拒んだ。
南方熊楠が牢屋で読んだ著作が『石神問答』であったことは特筆すべきだろう。
この石神信仰が縄文時代まで遡及できることを把握した考古学者が藤森栄一である。
信濃とくに八ヶ岳周辺の縄文遺跡と精神性を深く探りながら、彼がたどりつた縄文信仰の姿は興味深い。
ネリー・ナウマンを経由して、それを展開したのが田中基『縄文のメドゥーサ』であろう。「縄文のメドゥーサ」という言葉は安田喜憲が1991年に『大地母神の時代』で提唱している。
諏訪地方を含む縄文の信仰圏で、陽物としての石柱と破壊の呪的なシンボルである蛇が再生の儀礼で混交しながら継承される。
縄文時代の石神の系統は途絶えてはいなかった。近代までそれが芸能民に引き継がれていたというのが、服部幸雄の『宿神論』である。
宿神は石神につながる。
また、中世iにおける西宮神社の百太夫神は遊女や傀儡の信仰対象であった。百も石に通じることは留意していいだろう。
つまり、縄文系の生き方(狩猟中心の生き方)は漂泊民につながり、その血脈は芸能民に流れ込んでいたのではないだろうか?
そうなると信濃の縄文系の伝承が近世まで連綿と続いていたことにもなる。
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