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サイエンスとサピエンス このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2018-04-15 アンチ生態学的な存在としてのタワーマンションの社会的病理

タワーマンションの社会的病理とそのアンチ生態学的ニッチ タワーマンションの社会的病理とそのアンチ生態学的ニッチを含むブックマーク

 60階建ても珍しくないタワーマンション。人気の理由は明らかだ。

 高層階から眺望や日当たりは抜群。眺望を遮るものはなく地表を隔たって仙界に遊ぶ気分とまではいかないだろうが、俗世を離れた感じはするだろう。

 その現代文明における欠陥に関する各種参考情報をまとめておこう。

 あたかも一流企業の重役が高層階に自室を構えるが如く、高層階の住民は高さと社会的地位をいつの間にか同一視するようになる。もちろん、それには経済的理由もある。マンションの分譲費用は階高に比例するようになっているからだ。

 自分より下層階の住民を軽視する傾向を仮に「階高カースト制度」と呼んでおこう。これは数年前からあげつらうネタになっていた。

 そもそも、投資目的もあってタワーマンションを購入するだから、経済格差に敏感な人びとが住民になるのだ。似たような価値観の持ち主たちの社会センサーは格差という情報に鋭敏に反応するだろう。

 つまりは、経済的な格差というものを巨大建造物のヒエラルキーとして見える化したのが「タワーマンション」という社会的構築物なのだ。ピケティ理論の一望的可視化がタワーマンションの階高格差なのだ。

 これを鋭く風刺した小説は1970年にすでに出されていた。イギリスの作家J.G.バラードの『ハイライズ』だ。

階高による階級闘争がこのフィクションではリアルに描かれる。人間の潜む社会病理の抉り出しであったが、その小説世界は現代日本に相応しい違いない。

 低層ビルすらない商店街にこれ見よがしげに佇立する巨大なタワーは、どうみても不自然だ。淫祠邪教の陽物シンボルにも見えてくる。ビジネス街から離れたベッドタウンに出現したコロッサス(ゴヤの絵画)だ。

 周辺の住民とのコミュニティも何もあったものではないだろう。そういえば、『ハイライズ』でも周囲から孤絶した時に、高層ビルの住民の獣性と闘争があらわになっていった。

 以上の論議は別に客観的な批判でもなんでもない。それはここで明言しておきます。たわいない、ただの世間話であります。

 タワーマンションのようなタイプの不動産を好んで購入した人たちについては、もっといろいろな価値観で物件をセレクトされているだろう。じゃによって、病理性うんぬんは譬え話程度で理解していただければそれで良い。

 自分的には超高層ビルのアンチエコロジー性と天災への不向きを指摘しておきたい。

 アンチエコロジーというのは、高層階の上下移動のエネルギー損失を指している。

確かに、生活維持の光熱費は普通のマンションと違いはないかもしれない。むしろ、夏日にはエアコン不要かもしれない(冬場の寒さは地表以上であるので差し引きゼロだろうけれど)

 しかし、位置エネルギーへ日々の浪費はなんとしても無視できない。自分の体重を地表から吊り上げ作業させている分だけではない。上水や食料といったものが100mも上に揚げられるのだ。

 100mというのは誇大的数値ではない。川崎の武蔵小杉のミッドスカイタワーや大阪の北浜タワーは200m近い高さを誇る。

なんともエネルギーの垂れ流しではないか、と嘆きたくなるのが人情だ。

 天災対策にも難がある。みんなが論じている地震はそれなりに対策ができているので、ここではスキップしよう(実のところ、免震構造だとか当たり前対策では不十分だと言いたいのだが)

 強大化する暴風対策について、その風圧の高度依存性を指摘しておきたい。詳しくは大気境界層を参照してもらいたい。

 温暖化進行にともない台風などは強大化している。その風速は今後、ますます強まるであろう。最大風速75mの台風8号が以前やってきているが、風速75mは時速270キロであり、風速50mでも時速180キロ相当だ。

 さらに高層では風はもっと強まるのだ。高層階はこうした巨大台風の風圧に耐えられるのであろうか? 

 もちろん建物は耐えられると思う。しかし、窓ガラスはどうなのだろう? 

 200mにもなると地表の風速の1.4倍ほどにはなるのだ。どこかの部屋のガラスが砕ければ、風圧で内部の扉を立て続けにぶち破り、その階全体を強風が吹き抜けることになろう。ふたたびJ.G.バラードの悪夢のような『狂風世界』の再現だ。

 過大な風圧に耐えうる強化ガラスは重たくなる、それだけでもアンチエコロジーだと思う。

どだい、爛熟期の現代文明の生み出した「バベルの塔」とタワーマンションを蔑むような発言は不公平だという指摘はごもっともだ。

なぜ、なんとかヒルズのようやビジネス高層ビルを批判しないのか?

 理由は地価の高い場所に集合的に建てる高層ビルは経済的にもエコロジー的にも不合理性は低減されているからだ。定住していないのだ。オフィス街は衣食住を営む場所ではない。人の定住していない空洞的な場所は生活の場ではないならだ。

 生活空間を大地から隔離してしまうような人工物は有人宇宙船やICUのカプセルと同じく自然と対立するものだ。生命の大地からの隔離を大規模に体現したタワーマンションは、大都市の反自然性について思索したマックス・ピカートの一番の鉾先が突きつけられているのだ。


気象災害を科学する (BERET SCIENCE)

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 『燃える世界』と『狂風世界』と合わせて、地球はバラードの予言した過酷な環境に近づいているのかもしれない。

狂風世界 (創元SF文庫)

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燃える世界 (創元SF文庫)

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2018-04-05 気体分子運動論と社会統計学、どっちが早い このエントリーを含むブックマーク

 ここでの問題設定は「気体分子運動論と社会統計学、どっちが正規分布を早く採用したか」

 はじめに時代背景を押さえておこう。

 19世紀に国家がより統制のとれた組織として姿を現す。そのためには官庁統計の確立が急務だっだ。「統計と地図」が近代国家の管理基盤となるのだ。

官庁統計は古代ローマ時代のセンサスをより正確で適正に、しかもより機械化を進めた。

1827年にフランス司法省、同年にオランダの国勢調査1833年にイギリス商務局、同年にドイツ関税局の統計業務が本格化した。このように西洋列強は「国力の可視化」と管理を強化している。

 ベルギー人のケトレが巻き起こした統計学万能旋風はこのような時代風潮と強い相関があった。

 1835年主著の『人間について』、1869年『社会物理学』を出版する。

彼の主張によれば、社会を構成する個々の人は「平均人」からの誤差法則に支配されるのだ。

そもそも「平均値」と「最頻値」の区別もできてないのでは、と不安になる説だ。

 この「平均人」というのはニーチェの「末人」に比肩されるかもしれない。近代社会の平均的市民っていうのが政治経済の活動の主体であるなら、精神的貴族主義者のニーチェはその存在を害悪視してもおかしくはない。

 それはともかく、ここで比較したいのが、気体分子運動論だ。統計熱力学の初期の理論が19世紀に発展した。

 では、ケトレたちの熱狂とMaxwellの理論とどちらが先なのであろうか?

実は、ケトレたちの方が先なのだ。このムーブメントがMaxwellに伝染して分子運動のMaxwell分布が生み出された可能性さえある。

 1860年にMaxwell分布の記念碑的論文を彼が出しているのだから。

 ケトレたちの学問的貢献はもっと冷静なW.レキシスによって、客観的な数理統計学に置き換えられて、現在では「歴史の逸話」でしかなくなった。Maxwellの業績はボルツマンやギブスに引き継がれてゆく。

 いずれにせよ、近代国家の人口統計と気体分子の取り扱いが、類似な正規分布をもとに論議されるというのは興味深い。

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2018-03-30 空間の知 このエントリーを含むブックマーク

 場所をギリシア語でトポスという。かつて中村雄二郎が「トポスの知」を論じていたが、アリストテレスが論理学を創造した最初の書籍が「トピカ」だった。西田幾多郎が晩年に到達したのは「場所の論理」だった。

 トピックスというのも語源はトポスなのであろう。

 レストランでの注文はテーブルに、ホテルの経費は部屋に関連ずけられる。図書館の書籍は場所により配架され、電子データはディスク上に配置されている。

 知識はなぜか場所を必要とする。

 我らの知識は場所にまとわりつく。どこに何があったか、は生きていくうえで不可欠な記憶である。人の仕事もそうした空間との相関でなされる。必要な情報はどの場所にあるかを知ることに仕事のノウハウがある。

 フランセス・イェイツが『記憶術』で解明したように西洋の知のあり方は「場所」と切り離せないものであった。それ故にグローバル化した現代において西洋学芸のインフラが知の体系的場所を提供しているのだろう。

 デジタル化された情報はいつどこからでも直接引き出される。図書館や資料室に赴かねば取得できなかった情報が、手元で調べることができる。これは知と場所の連関を弱めているようにも見える。これは紙という物理媒体から切り離されたからだ。紙というメディアも十分に役に立つ技術であった。正確に情報を複製し伝達普及させる有効な手段だった。見方をかえるとデジタル化とネットワーク化はこれを何千倍何万倍とスピードアップしただけである。

 索引やカタログなどを検索エンジンに置き換えただけなのだと極言もできるかもしれない。

デジタル化した情報、知ははるかかなたのデータセンターにある。電子化された目と手がそれらを探し出し提示してくれるだけなのだ。そして、データセンターの無数の記憶媒体という場所のなかに圧縮ビットとしての知がひしめいているのだ。

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2018-03-22 福島第一原発事故の政府対応とシン・ゴジラ このエントリーを含むブックマーク

 3.11の東日本大震災に伴って発生した福島第一原発事故。その政府対応については内外からメチャ批判がある。日本的特性による同調行動と隠蔽気質みたいな海外識者の批判も当たってないわけではないが、本質的ではない。あくまで外野の判断だろう。

 そもそもが、そんな皮相的な比較文化論では語り尽くせないだろう。第一、首相官邸でも混乱が支配していたはずなのだ。

早い話が危機管理体制がなっていなかった。民主党の閣僚たちは自分たちの判断ですべてを管理しようとしていた。これが最大の過ちだったと自分は思う。

 原発の客観的な状況把握と柔軟な組織運用ができていなかった、ただそれだけだ。パニックを起こさせないように隠そうとか、メルトダウンで日本壊滅だから避難だとか、そんな明確な判断を下せるような状況ではなかった。

 大体、専門家たちを組織化してその意見を適切に取りまとめる、総理直属特別タスク・フォース。そんな仕組みを持たず、短気に怒鳴り散らす首相の独断専行で東電や原発管制室に支持を出すなどというのは国家としては有りえない。それこそ理系政治屋の傲慢というヤツであろう。

 吉田所長の原発管制室との連絡チャネルを絞って政府と官僚、それに東電が一丸となって危機回避に動く、そういうマニュアルがあったはずなのだ。ちょうどアポロ13号の船内インシデントでNASAがそうであったように。

 まあ、しかし、肝心の東電本社側に安全神話バイアスがあったのも事実のようだ。

でもって、あの『シン・ゴジラ』での政府の危機管理対応は福島第一原発事故への深い痛恨から生まれた切実な願望充足だった。

だったから、あれだけ日本人に響いたんだと思う。

 想定外の事態に慌てふためいて短絡的判断で動こうとする、そういった素人行動は今後なしにしてもらいたいというのが、怪獣映画からの教訓なのだろう。

 アベノミクスをはじめ3.11対応についての失望を表明した知日派の辛口論評。

 手厳しい政府批判の娯楽怪獣映画。

シン・ゴジラ Blu-ray特別版3枚組

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2018-03-20 GE(ジェネラル・エレクトリック)とカート・ヴォネガット このエントリーを含むブックマーク

 あのGE(ジェネラル・エレクトリック)が不調だそうである。強電部門(原子力発電など)が足を引っ張っているというから、東芝の不調と似ているのかもしれない。一頃はジャック・ウェルチの経営のもと怖いもの無しの超優良企業であったが、栄枯盛衰は免れないというわけだ。

 そのGEにバーナード・ヴォネガットという気象学者が働いていた。20世紀アメリカ文学で最大の影響力をもったというカート・ヴォネガットの兄である。

 この兄の方は1997年にイグ・ノーベル賞を受賞している。なんでも『ニワトリの羽が千切れる現象を指標とした、竜巻中の風速の概算方法』が評価されたらしい。

 カート・ヴォネガットの血筋である証拠だ。

 その関係もあってか、GEの広報部門でカート・ヴォネガットが働いていたこともあった。結局の所、反りが合わなくて短期間で離職したよおうだが、そのセリフが振るっていた。

「GEはサイエンス・フィクションだった」

 同じ頃、ノーベル化学賞を受けたラングミュアもGE専属の科学者だった。なんと!バーナード・ヴォネガットと組んで人工降雨実験?を行っている。

 カート・ヴォネガットの代表作の『猫のゆりかご』のなかで人類を破滅させる「アイスナイン」も科学的な背景がある。1960年台に世界の科学者たちを巻き込んだ「ポリ・ウォーター?」事件だ。ソ連科学アカデミー物理化学研究所の重鎮が「通常の水(water I)とは性質がまったく異なるwater供廚砲弔い届席犬鯣表した。なんと300篇近い論文が出されたという。

 「水」の専門家である荒田洋治によると。

“異常水"は,すべてが水の常識をはるかに越える。“異常水"は,150° Cを越えても沸騰しない。粘度は通常の水に比べて1桁以上高い。密度は14g/cm 3に達する。

 ご存知のように、そんなものは存在していない。

 世界の科学界を揺るがした10年間のから騒ぎはJ.D.バナールの決定的論文で消え去った。バナールも2年間を異常水の有無の判定に捧げたのだ。

 というわけで、『猫のゆりかご』に出てくるイカれた科学者と「アイス・ナイン」はラングミュアがモデルであったという、自分には興味深い結びつきを書き留めておきたかった。


 なぜか全然再版されていなんだね、この名作。

猫のゆりかご (ハヤカワ文庫 SF 353)

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 こちらのラングミュア伝もそうだ。

 ポリウォーターを扱った本はこの書籍くらいであろうか。水の科学を多方面から考究した良書であるのに入手し難いようだ。

水の書 (PNEモノグラフ)

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