サイエンスとサピエンス

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東条英機とOR(オペレーションズ・リサーチ)

 コンドラチェフという経済循環波動を見出したソ連の経済学者は、その景気予測が気に入らないとスターリンによって収容所に送られた。46歳で刑死している。
 この独裁者の粛清は異常だった。国民を完全にないがしろにしていた。例えば、政治的に無害としか思えない演出家メイエルホリドとその妻に対する処置はとんでもないものだった。かつてスターリンを信じていた日本の革命家たちはこれをどう解釈したのかなあ。
 それはともかく、日本のスケールの小さい独裁者というと東条英機となろうかと思う。彼の政権下、霞が関に内閣戦力計算室があった。戦力補給の計算部隊だ。
 技術院数理課長橋本元三郎, スタッフは河田龍夫(応用数学界では著名)など帝大の頭脳を集めた俊英のグループである。内閣戦力調査室はオペレーションズ・リサーチ専門部隊であったとされる。
 計算テーマは食糧問題, 軍需品生産計画, 在庫問題, 取替問題, 船団輸送問題, 準備数量問題などであるからロジスティクスを扱ったとみてよい。
 河田龍夫の回想では、

「船がいくら撃沈され, 空襲がどれほどの規模と頻度で行われ, 工場がいかほど爆撃されて命中する力、この回復にどれほど時間がかかるかなどの数字を, 何もデータが無いから仮定して計算した. 別子鉱山の鉱石の出荷問題や, 立地条件の数量化, 捜索理論やその他, だいたいのOR モデルはできていたと思う」

 「何もデータがない」が彼我の大きな差となるのである。計算のための計算であり、現場との情報交換が欠落しているのだ。何のヤクにも立たなかったのである。ビジネス組織論で問題になる「サイロ=縦割り組織」そのものである。
 批判をしていても仕方がない。その大本がいる。東条英機である。
 ある日、内閣戦力計算室に東条が登場する。
 その日、帝国の大勝, やや有利で勝利, 半々で引分け, やや不利で敗北, 惨敗の場合を想定したレオンチェフの表を廊下まで貼っていた。東條は橋本に「今の日本はどの表に該当するか」と質問した。
橋本は躊躇せず惨敗想定表を指し、現在の日本はこの表の通りと回答した。激怒した東条は計算室を即日閉鎖し、橋本室長を仙台に左遷した.
 そういうものだ。コンドラチェフの運命よりはましだった。

 この逸話の示すとおり日本には合理的な意思決定は欠落していた。まして現場を巻き込んだ数理的な思考による改善努力などはまったく為されていなかった。「戦陣訓」にあるような非合理的思考は日本をズルズルと破滅に追いやるだけだったのだ。
 同盟国ドイツも同様な状況にあったと推察する。ノイマンが『ヒビモス ナチズムの構造と実際』で描いたように非合理的な意思決定と独断専横がドイツを敗北に追いやっていた。無数の兵器開発と決定の変更が技術的優位性を瓦解させてゆく。
ドイツに何十年と遅れをとる日本の技術にはさらに致命的であったに違いない。それはゼロ戦開発にも現れていた。
 哀れな日本! 負ける戦いをさらに悲惨にした責任は上層部にあった。

【2022年1月28日 追記】
 どうもこの話し、さらなるオチがあるらしい。ノモンハン戦役後の1939年に秋丸機関が総力戦についての調査研究を開始した。1941年7月に英米との総力戦の推移に関する予想を報告している。「開戦直前にも「消された報告書」」に詳しい。国力の差や勝ち目が少ないという報告は陸軍省経理局が上層部に実施している。
 つまりは、内閣戦力計算室の科学的計算結果は新味なしであり、そんな自明のことは時の権力者には届かないはずだったのだろう。

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