核戦争後の世界

核戦争後の世界

 1983年、大韓航空機撃墜事件後の10月31日と11月1日の2日間、アメリカ合衆国ワシントンDCで行われた「The World after Nuclear War」の記録があり、生物学者Paul R.Ehrlichと 天文学者Carl Saganによって「THE COLD AND THE DARK」としてまとめられ、出版された。 核戦争後の地球はどうなるか。その書物が発表された月日がはっきりしていないが、日本語訳の「核の冬」は、1985年に出版。その本の内容は、もし核戦争になったら世界はどのような状態になるか、ということを実際的なデーターに基づき、NASA惑星探査指導者/惑星研究所長カール・セーガン(1934-1996)が発表したもので、「核爆発によって地球は寒気と暗闇に長期間閉ざされ、急激な気候変動によって生物は死滅する。人類の数は有史前のレベルか、それ以前に減ってしまうかも知れない。そして人間の種そのものの絶滅する可能性も否定することはできない」という結論であった。この書物はソ連アメリカ・イスラエル科学アカデミー会員による多くの科学者と研究者のデータに基づきまとめられた意見で、カール・セーガン自身は、「対流圏と成層圏を突き抜ける爆発の塵は、対流圏の下であれば早目に降塵し、成層圏上であれば遅く降ってくる」という事について解説した。

Russian Nuclea 50 megaton TSAR Bomb/Atomic bomb Nagasaki/Hirosima.1945.08.06.08:15

  1. 50メガトンの核爆弾は広島原爆の3,300倍。
  2. 生物学者ポール・エールリッヒは、「基本的な研究結果は悲惨なもので、控えめに見ても恐怖を感じる。核地獄を起こしてはならないということを確信するための証拠をいくらでも提供できる。かつて私たちが思っていたより生態系の存続が危険にされされていること、数千年かかって獲得した人類の文明のすべてが脅かされていることの証拠を提供することができる。具体的にはオゾン層破壊による紫外線直射によって白内障が増え、失明者が多くなる」ということについて語った。
  3. 「核戦争後の世界についての会議」は長期にわたり、1983年の20年前からワシントン、モスクワ、ストックホルムなど世界各地で開催されていた。科学アカデミー会員と研究者による米ソの核爆発に関するデーター交換と核戦争後の物理的、生物学的、環境的シンポジウムや会議、意見交換であった。
  4. その書物の中に、アメリカ合衆国ロナルド・レーガン政権下の国防次官が書いた「核戦争後の世界・・・その主な結論のひとつは不確実性である」という意見があり、1981年に中国が行った核実験の結果は、ペンシルベニアでの核実験の放射性降下物と放射線量が1/10にも満たない結果だったと発表された。1954年に行われたビキニ環礁での水爆実験の結果が、爆発地点から遠くを汚染するという事も考えられ、バン・アレン地帯への影響、電磁パルス、オゾン層への窒素酸化物の乱入などを検討しなおさなければならないという事も言われた。
  5. これらの科学的な研究結果が提起する政治的問題にどのように対処するか、あまり考えられていなかった。トーマス・W・ウィルソンは、「国家安全保障の認識への変化」の中で、政治的問題の優先権を強調している。「私たちが無事に暮らしてゆく唯一の方法は、地球を安全にすることである。世界の安全は、実用主義者のための政策であり、また詩人のための政策でもある。それは聖人に合った戦略を提供するだけでなく、軍人に合った戦略も提供する。全ての生物たちのためのものである」ということを強調している。
  6. この問題に関しては、「核戦争後の地球を知ってどうするか」「核兵器をどうしたら無くせるかを研究すべきだ」という意見があった。


右:惑星研究所長カール・セーガン


(C)Junpei Satoh/The truth of Korean Air Lines Flight 007/Several viewpoints from Japan side,25 February 2010.