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名前を隠して楽しく日記。
5 名前:名無しさん@八周年[] 投稿日:2007/11/27(火) 00:57:14 ID:r0EjGN840
カーチャンに
「あんたはね、ネットだけの知識で頭でっかちになってるよ。
2ちゃんねるで取り入れた知識を偉そうに私やトーチャンに
話してるけど、働いたこともないあんたが言うと滑稽なんだよ。
ニュース番組見てても得意げに2ちゃんねるの受け売りを
披露してるけど、カーチャンとトーチャンだから笑って聞いてあげてたんだ。
頼むから外で働いて、自立して。
カーチャンもトーチャンももう先は長くないだろうし、アンタの
今30歳で、アンタはもうオッチャンなんだから、カーチャンとトーチャンに
すがったって、もう何もしてあげられないんだよ。
この八年間、ずっと部屋でパソコンして、にちゃんねる見て、
結局今のアンタはネットの情報だけで頭がいっぱいになってて、
何もいいことなんか無かったんじゃない?
友達と遊んだ?彼女は作れた?いないでしょ。誰も。
トーチャンとカーチャンしかいないでしょ。
だからそんなんじゃ、トーチャンとカーチャンいなくなったら
本当にアンタは独りぼっちになるんだよ。
外出て働いて、友達作って恋人作って、自分のために自立しなきゃ」
って言われてマジで涙出た・・・
no title
とある場所で村田セーサク君を見た。
スイッチを入れた瞬間、カチーンと地面に固定されているかのように微動だにしない。
レールの上をわざわざ中央でなく、端まで1mmしかないんじゃないかと思うようなところをきっちり走る。
スイッチが切れた瞬間魂が無くなったかのように、ふらっっと倒れる。
しかし、じっさいの生活について考えると、
そういう99.9999%みたいな制御クオリティって実はそんな必要じゃなくて、
だいたい80%ぐらいでも、なんとか人間の側で適応してやってけちゃうだろうなぁ
と、そして、実用に足る安価な80%クオリティと、実際そこまで必要でないけどすごい99.9999%が売ってたら、
大部分のひとは80%を選択するんじゃないかなぁ、
などと、あいまいなことを考えたのであった。
80%>99.9999%
男女のグループが後ろの席に座っていた。
聞き耳を立てるわけでもなく声が大きくて聞こえてくる。
”不倫”についていろいろと話しているようだ。
集中してみる。
”自分の奥さんがどうも浮気しているようだ。(俺が)まだ気付いてないと思っている。このままつづけるかどうか・・・”
”女性はね、夫にない優しさを他に求めるのよ。” ←この部分に激しく同意。
だって、自分の旦那さん優しくないんだもの。
まったく優しくないわけではないけれど
優しさの比率が二割くらいだと、正直苦しい。
自分のものになったと、そう思ってぞんざいな扱いとかはしてません?
もしね、奥さんや彼女に最近優しくしてない人がいたら
優しくしてあげてほしい。
私の場合は、このままどんどん元気をなくして枯れてしまうはずだったのに
咲かないはずの桜が咲いてしまった。
もうたぶん、気持ちは戻らない・・・
ファミレスにて
寒いし、痛いし、苦しいし、寂しいし。
とりあえず、寂しさだけでも紛らわしてー。
風邪や寝込んでいるときに、暖かく助けてくれる優しいヤツだ!
http://www.amazon.co.jp/gp/product/B000FDEB9S
使い方
RTFM!でも、買う前にイメージがつかめると思うので説明するよ!
エアダクトが繋がる大きなシーツ状の袋を布団の間に挟む。
付属のシーツ。ツイン用とかはこの大きさで決まる。まぁシングルとかセミダブルにしておけってこった。
本体とシーツ状のモノをエアダクトで繋ぐ。
蛇腹とコネクターで繋がる。楽ちん。本体の置き場所を考える必要がある。
排気でほこりが舞うと泣ける。荷物が多く手足の踏み場がない増田の部屋とかは要注意だな!ベッドだとなかなか場所が難しい。
タイマーで20分程度運転して熱風を送り込む。
意外とかかるけど、辛抱だ。その間、風呂にでも入れ。もしくは医者に行く間とかな。
ここをけちって早めに止めると、いまいちふかふかになってなくて悲しいぞ!
あったかあったかで幸せな布団のできあがり!
涙も乾くふかふか布団のできあがりだ。くるまって早く風邪治せよ。枕元にはリッター単位のオレンジジュースかスポーツ飲料を忘れずにな!
http://anond.hatelabo.jp/20071127013523
あるうどん屋チェーンでのことだ。
私がその日の昼飯であるカレーうどんを受け取ってカウンターの一席につくと、一つ空席を挟んだ隣に若い男が座っていた。
丼はすでに空であり、彼がすでに食事を終えていることは明らかだった。
彼は空の丼を脇によけ、仏頂面でオレンジ色の紙片に何事かを書き付けている。
それは、各席に備え付けられている「アンケート用紙」であった。
店員の態度かうどんの質か、何事かを腹に据えかねたのであろう彼は、その不満の意思をアンケート用紙に託し、もって店側に改善を促さんとしているのであろう。
やがてそれを書き終えた彼は、用紙を丼の乗ったトレイに置いて、仏頂面のまま席を立って店を出た。
ところでこの店は、セルフサービスという業務形態をとる軽食店の例に漏れず、空になった食器の類は客みずから所定の場所に返却するという方針を採っている。
彼はそれを知ってか知らずか、自分が居た席にそのままトレイを残した。
私がカレーうどんの過半を食べ終えた頃、一人の若い店員が、若い男の残していったトレイを下げに現れた。
店員は、彼の残していったトレイの上を一瞥すると、流れるような動作で、オレンジ色のアンケート用紙を握りつぶした。
その内容を一顧だにすることなく。
トレイを持って去ってゆく店員の背中を見送って、私は、カレーうどんの残りを啜りこむと、
(日常とは戦いなのだ)
という思いを新たにしながら、トレイを所定の位置に戻して店を出たのだった。
或る闘争
今もまた誰か病気に苦しむ人に救う会が健康保険でまかなえない負担を肩代わりしようとしている。
この問題は炎上しがちだ。したがって相互の言い分は多分に政治色を帯び、印象に残る「分かりやすい」批判と擁護のフレーズが飛び交う。
しかし少し引いて見れば分かるようにこれは健康保険制度そのものだ。それも不完全な。
大数の法則によって少数が直面している突出したリスクを社会の多数が広く薄く負担することで吸収しようとするところは保険の概念だ。
では既存の強固な制度である健康保険や生命・医療保険を利用しないのはなぜか。これらが利用できれば金銭の扱いは当然として、公平性確保や給付金額、自己負担の範囲などあらかじめ決められていて揉めようも無い。
利用できないのは制度の不備だけでなく、無制限の保障の拡大が制度を維持できないからだろう。つまり『給付・反対給付均等の原則』に基づいて参加者の公平さを担保しながら『収支相等の原則』をもって持続的な運営が出来ないからだ。
映画「ペイフォワード」はよくできたおとぎ話だが見た誰もが「だったらいいのにね」と思わずに居られなかった。それは直接の見返りを期待せずに施すことで自らの境遇が漫然と良くなることを期待する話だったからだ。
そこでは合理的にはフリーライダーにならざるを得ない。
見返りをよこさなかった者への社会的報復も許されないのだから当然だ。
随時に任意に組織された保険の負担をしても自分が扶助対象になる保証もなく、制度が持続する構造的な裏打ちもないどころかフリーライダーになることが最も合理的な保険に何の意味があるのか。
(保険金給付の審査が気の毒そうな境遇だけでいいなら傷害保険金詐欺がしのぎのヤクザはずいぶんと仕事がはかどるだろう)
アフリカの難民に何かを期待して寄付するのかといわれればそうでもないのも確かだ。
しかし、これが持続的に発生している情況で、少なくとも募金だけでなく新たな難病保険の設立も含め、既存保険制度に対する干渉を行わなければ(なんら報いることも出来ず喜捨を期待するだけの)乞食の群れといわれても仕方が無いだろう。
保険の原理
大数の法則
確率論・統計学で確立されている大数の法則をわれわれの社会におけるさまざまなリスクに適用すると、個々の局面で捉えると予測困難で、かつ致命的な損害になりうるようなリスクであっても、同等の危険を十分な数集めることによって確率的に予測可能になり、また経済的損失も変動の少ないものになりうると考えられる。
給付・反対給付均等の原則
P = ωZ
ここでPは保険料、ωは定量化された保険事故のリスク、Zは保険金を表す。この原則は、保険事故発生のリスクを媒介として保険金(給付)と保険料(反対給付)が等しくなるように要請されていることを示す。
収支相等の原則
難病移植の救う会の本質は非対称の保険制度保険会社が同一のリスクを持つ保険契約者の集団から集めた保険料の総額と、保険会社がその集団の中で支払う保険金の総額とは等しくなくてはならない。これを収支相等の原則といい、保険が継続的に安定して運営されるために要請される。
どーせならこうだろ。
http://anond.hatelabo.jp/20071127153048[人材募集]
求む女子。
至難の旅。
僅かな報酬。
極寒。
暗黒の長い日々。
絶えざる危険。
生還の保障なし。
成功の暁には名誉と賞賛を得る。
そのきょうだいは皆成績優秀で(と言っても田舎の話ではあるが)、小中学校の同級生である一番目は地元県内でも有数の進学校から地元国立大へ進み、二番目は地元高専へ、三番目は一番目と同じ進学校へ入ったことまでは知っている。一番目がメンタル面を拗らせて地元へ帰って来たのが四年ほど前で、二番目も通院していると聞いていた。三番目は県外の母親の地元に住んでいるらしい。パチンコ屋で見掛けたのは二番目の子だ。
一番目とは今は年に一二回お茶したりメールをやりとりする程度の付き合いで、偶然会えば近況を話し合ったりもする。向こうは中高時代文武両道で恋人がいて生徒会の役員をするようなタイプ、自分は勉強人並み友人は深く狭くなモテないオタクだったので、家が近いという以外の理由で何がその同級生の気に入ったのか分からなかったけれど、自分が学校を休んでも進学先が違っても、たまに声を掛けられては早朝の公園なんかで取り留めのない話を聞いていた。
正直、自分は同級生を羨んでいたのだと思う。勉強はできるし、外見もいいし、誰にでもはきはきと自分の意見を述べ、何より明るい。何が目的で自分なんかと親しくするんだろう、なんて考えてしまう嫌らしさもなかった。同級生本人も、そのきょうだいたちも、自分なんかとはきっと違う人生を歩んで行くのだろうと漠然と思っていた。
同級生の妹を見掛けたのは今日の昼だ。あの頭の麻痺するようなBGMが漏れ聞こえるパチンコ屋の事務室で、自分はただ目と耳を疑うことしかできなかった。そんな所で何やってんだ。人違いじゃないのか。自分の怯みを打ち消すように、昔よりも皺枯れた声で彼女は「○○、入ります」と姓を告げ、轟音のホールへ消えて行った。何億も借金を抱えている田舎の駅前のパチンコ屋の、客も見当たらないホールへ。
自分はこの冬地元を離れる。少しずつ気力を削がれて行くようなこの街を出る。毎月職場の用事で行っていたパチンコ屋の事務室にも、もう行くことはないだろう。どんな形であれ幸せであればいいと分かってはいるけれど、あの頃かれらが自分にとって憧れだったのは本当だし、また輝いてくれるといいとも思う。ささやかだが傲慢な望みを、私はまだ密かに持ち続けている。
no title
BGM:浜田省吾
http://anond.hatelabo.jp/20071127161009
なんというか「のだめ」がキャラクターとしてかなり個性的に立っているため、読者は女主人公である「のだめ」にはとても感情移入できない
これは作者がそのように意図してやってるみたいだね。
のだめにはモノローグがまったくない
Re: [anond:20071127165611:title]
小娘が俺の彼女になってというか俺が小娘の彼氏(?)になってというか、ともかく3ヶ月経過。
今までとそれほど変わらなくもない。
メールのやりとりの頻度が少し上がったことくらい。
車で移動すれば1時間ほどしか家は離れてないので、
休みの日に迎えに行ってどこかに出かけたりするようになったのは大きいかもしれんけども。
小僧が一緒に行動するのを遠慮するようになったのも。
小娘は前より甘えるというか小さい頃のように側を黙ってついてまわる感じで、
相変わらず無愛想というかクールというか。
お陰で自分としてはかなり落ち着いてはいる。
これがやたらと積極的に迫ってこられていたら多分戸惑うどころの話じゃなかった。
というか小娘はアレか、クーデレとか言う奴なのか。
もしかしたら気を遣わせているのかもしれない。
街に出ている間、俺が少し人の目を気にしている事に気付かれているのかもしれない。
俺自身にまだ踏ん切りがついていないということだろう。
今度の休みにまた遊びに行く事になったが、その時は手を繋いでやろうと思う。
「??してやろう思う」とかって時点で意識の持ち方としてダメなのかもだが。
花火大会の時は普通に手を引いて歩いたというのに、なんでこうも難しくなるのやら。
もしかして俺のほうがよっぽど意識しすぎなのか。
それはともかく、先にクリスマスプレゼントを渡しておくと言って、
やたらと高いホテルのクリスマスディナーを予約してきたウチの両親と叔父夫婦のノリをなんとかしたい。
特に叔父夫婦。
娘のスリーサイズをメールしてくるとか悪ノリしすぎ。
平穏っちゃ平穏
読んでいるかどうかわからないけど、一応書くだけ書いてみるぞ。
綺麗事を実践においても綺麗事に終わらせまいとするおまえさんの理想主義は、実のところ嫌いじゃない。むしろ好きだ。
「はしごたんと友達になりたい」のエントリは、すげえ“熱い”メッセージだと思う。正直言って、ちょっと感動した。
でもな。
複雑怪奇な世の中の事象連関の中では、熱い理想がしばしば予想もしなかった影響を世界に及ぼして、当初の予期を裏切るような結果をもたらしてしまうという事だって、やっぱりあるんだ。
これは、別に理想が悪いっていう話じゃない。どんな理想だって、それが人間の頭の中で概念的に考えだされたものである以上、その理想と現実との間で齟齬が生まれうる可能性を完全に排除することは、決して出来ないんだ。
その昔、カール・マルクスという奴が、やっぱりかなり熱い理想を掲げていた。挫折したと言われている今だって、その理想の可能性を救い上げ、形を変えて新たに生かしてみようと考える人間が少なからずいるくらいだ。
でもその再評価は、
「この理想は、完璧に正しく現実に適用されれば、決して現実との間に思わぬ齟齬を起こして予想外の結果を招くようなことは、あるはずがない」
などということを含意して行なわれているわけじゃない。
いいかMasaoさんよ、よく聞けよ。
ここで身を引くことは、もしかしたら抱いてきた理想の挫折だと思っているかもしれない。
でもな、理想っていうのは決して全てに対して万能の解決を生み出すわけじゃない。どんな理想だって、この運命を避けることは出来ないんだ。
もしここで、むりやり理想を通そうとして、現実に君の隣にいる人を傷つけたりしたとしたら、それは果たして生きている人を救う英雄的行為だと言えるんだろうか。俺の目にはむしろ、抽象概念(理想)によって生きている人間の生(君の隣の人)を傷つけるようにしか見えないぞ。
世界は広い。広いからこそ、理想を生かす道も見出せるし、逆に理想が思わぬところで躓くこともある。世界は、躓きの石を事前に全て見通すことが出来ないくらいに広い。同時に世界は、理想がいずれ意外なところで活用できることを期待できるほどにも広い。
まあ、無茶だけはするなよ。
おーい、Masaoさんよ。
聞く耳を持ってくれるかどうかはわからないけど、一応書くだけ書いてみるぞ。
今のおまえさんの様子を見ていると、俺はなんとなく20世紀のユダヤ人の歴史を連想してしまうんだ。
イスラエルを建国した当時、ユダヤ人と言うのは確かに虐げられた民族以外の何物でもなかった。でも、それから60年間の歴史を見通して、現在のイスラエルはどうだろうか。むしろ他人を虐げる側に回って、しかもその行為を
「かつて自分達は虐げられていたから、自分達の生存のためには全てが許容される」
という形で正当化しているのではないだろうか。
現在のイスラエルの全てを肯定して無批判に包み込むだけが、イスラエルとそれに関係する全ての人を救う道だとは、俺にはとても思えない。イスラエル政府がパレスチナ・アラブ人を扱うやり方が、ホロコースト体験によって全て正当化されるとも思えない。
はしごたんに対しても、俺は同じことを思う。俺はおまえさんの過去を追体験することなんて出来ないが、それを軽んじる気は全くない。でもそれは、おまえさんの過去に関わっていない人を攻撃の的とすることを正当化するのだろうか?
まあ、イスラエルの話は脇に置いておくとしてもだ。
そんなおまえさんを誰かが全肯定して包み込んでくれるなら、確かにその時は気持ちがいいかもしれない。救われた気にだってなるかもしれない。それを否定はしない。
でもさ……その後どうすんの?
もしその後を考えずに、その場その場の救済だけに人生の全力を集中するとなれば、例え一晩であれ二晩であれ、おまえさんはMasaoに人生の全ての重みをかけた救済を求めるってことになるんじゃないの。そんなむちゃくちゃヘビーな荷物を他人に負わせて、いったいどうすんのよ。
それに、その一日か二日が終わった時、おまえさんは相手(Masaoであれ誰であれ)に背負わせた人生の重い荷物をもう一度背負いなおして、帰りの電車に揺られて帰らなきゃならないわけだけど、一度降ろした荷物をもう一度背負って、家路につくことが出来るの?
はっきり言って、いまのはしごたんにそれが出来るとは、とても思えない。一度重荷を降ろして身軽になって救われたと感じた人が
「さあ、これで救済の時間は終わったから、また重荷を背負って帰りなさい」
と言われて、はいそうですかとはなかなか言えないと思うぞ。
イエス・キリストは「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」(マタイ11:28新共同訳)と言ったけど、もしその数日後にイエスが「さあ、私はこれでいなくなるから、また重荷を背負って家に帰りなさい」なんて言おうものなら、多分その途端に教団は分裂して、その後のキリスト教なんて生まれてなかったろうな。
実際には当のイエスが処刑された後でさえ、遺された人々は復活神話まで作り上げて、重荷を軽くしてくれた神の子の下になおも留まり続けようとしたんだ。この時に遺された使徒たちによる伝道がその後のキリスト教会発展の土台を作り上げたんだけど、早い話が、イエス本人がいなくとも重荷を恒常的に降ろしておけるような場として、教会システムを整備したわけだ。
要は、一度降ろした重荷をもう一度担ぎ上げることは、誰にだってなかなか出来ることじゃないってことだよ。はしごたんに限った話じゃなくてさ。
自分で自分の感情を完全にコントロールするなんて、神ならぬ人間の身にはたぶん無理だと俺は思う。俺自身だってそうだし。
今は“その後”の感情をコントロールする自信があるのかもしれないけど、俺は今現在の自信をそんなに当てにしない方がいいと思うな。
まあ、少し考えてみてよ。
おーい、はしごたんよ。
特に理由はないんだが、親が怖い。
別に嫌いではない、虐待をされてきたわけでもない。
ただ、親の前だと委縮してしまうし、あった後はひどい疲労感で何もできなくなる。
三年前、数年ぶりに親にあった翌日から1月引き籠った。
ようやく回復して仕事を新しく見つけたころに現状を聞きつけて様子を見に来た親に会った。
そのまま会社を辞めた。
親のことは好きだし、感謝もしている。
ただ、生活のためには忘却して過ごすのが一番だと感じている。なんなんだろう、この漠とした恐怖感は
親が怖い
CLANNADのアニメを見てるんだけども、頭の良さそうな女子が一人もいない。普通の知能すら持ち合わせていなさそうだ。頭がいいという設定の女子ですら、「わかんないです><」を酷くしたみたいな知恵遅れ。これが男ヲタの理想の少女像なのかと思うとゾッとした。
あと、自分のことをクールで頭が良いと思っていそうな主人公が心底キモイ。
イケメン(笑)スイーツ(笑)とCLANNADは人生(笑)は並列にしてもいいんじゃないかな。
CLANNADは女が見てはいけなかった優越感を満たすために「馬鹿女」の存在を望む男が一部にいるように
優越感を満たすために「馬鹿女が好きな男」の存在を望む女も一部にいるって事だろうね。
http://anond.hatelabo.jp/20071127202716元増田がそうかは知らんけど、女に限らず自分がもてないのは見る目がない異性ばかりだからなんだって言う人よくいるでしょ。それを連想したんだよ。
男は馬鹿な女が好きな恐ろしい生き物なんだと思い込みたい女がいると言い換えたほうがいいかな。
逆に女はイケメンや金持ちが好きな恐ろしい生き物と思い込みたい男もいるよね。