あれ以外の日記 wiz EΠΠI このページをアンテナに追加 RSSフィード

2010-05-16

ちょっとピンぼけ / ロバート・キャパ

 ある従軍報道写真家の目が捉えた第二次世界大戦の記録である。ユーモアたっぷりで人懐こい、ちょっと感じ易いけれど友人に恵まれている男の、戦時の恋の物語でもある。ロバート・キャパと言えば高名な写真家であり、さぞかし高尚な著書をと単純な私は一瞬考えてしまったが、この手記の中で彼の思想や哲学を長々と語ることをしていない。むしろ彼がここで明かすのはより直感的なものであり、戦争の真っ只中そこにいた彼の直接的な思いが語られている。報道写真家がどういうものであるかというものを知るにも面白いし(もちろんある特殊な一例であるが)また単純に物語が面白くもある。もし彼が生きていたら、愉快な、そしてたぶん含蓄に富んだエッセイをいくつも著してくれていたのではないだろうか。

 さて、キャパは戦争が終結に近づき、半ばうきうき気分の兵隊や市井の人々の姿を見る。それから最後の侵攻作戦に参加し、そこで戦死する男の写真を撮る。

私は戦死する最後の男の写真を撮った。……生き残ってゆくものは死んでゆく彼らをすぐ忘れ去るのであろうか

 戦争の悲惨が人々にすぐ忘れ去られてしまうのであれば、彼がそれを伝えるのはいったい何のためなのだろう? 一方で戦争によって取り返しの付かない痛手を受けた人がいて、他方でそうではない人がいる。もしその痛手に悩まされ続ける人たちがいる一方で、他方にそれをもたらした戦争というものが何なのか、それが十分に伝わらないのであれば、キャパが写真を撮り続けるのは何のためなのだろう? それとも、彼はすぐに忘れ去ってしまいたかったのだろうか。軽口とユーモアの間に、キャパの苦悩を見たような気がした。

ちょっとピンぼけ (文春文庫)

ちょっとピンぼけ (文春文庫)

2010-04-29

おとぎ話の日常(ムギと王さま / ファージョン)

 児童文学にはあまり縁が無いが、良い児童文学は説教くささを隠した美しい物語のことだろうと勝手に思っていた。でも、その抽象的な「児童文学」が実際のものになったときどのような物語になるのか考えたことはなかった。実際どんなものであっただろう? エリナー・ファージョンの物語は、確かに王さまや王女さまがでて来て、木こりや言葉をしゃべる鳥達のいる世界を描いていて、おとぎ話の枠に入っている。しかしその物語自体は、村外れの忘れられた納屋にある秘密基地のように、楽しい場所である一方で何か見えないものが隠れているような不安感を与える。物語は密やかで無邪気なきれいさを持っているのだが、それは目をそらした隙にどこかに消えてしまいそうな気がするのだ。おとぎ話の日常、と言えばいいだろうか。不思議な世界の一日を切り取ったかのような短編なのだ。

 あるいは、私のような大人にとっては、おとぎ話は昔の思い出を想起させるトリガーであり、この感覚はその思い出自体の儚さのせいなのかもしれない。懐かしい祖母のテーブルにのった紙風船や、父と馬に揺られて歩いた不思議な山道は、もはや何処とも知れない。つまり、子ども達のものは子ども達のところにあるべきであって、大人が紐解くものでは無いということだろう。

2010-04-25

故郷から10000光年 / ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア

 SFというのは、たいがい何かの寓話的要素組み込まれていて、スペースオペラや幻想世界を楽しむ以外の楽しみも提供してくれるものだ。そのようによく練られた物語を、算数の問題を解くようにして読み解くのは時に快感であり苦痛なものだ。直感的に何かを理解してしまえば稲妻が走ったような快感を得ることもできるし、一方、難解なテーマに頭をひねって最後まで腑に落ちないこともある。以前、テッド・チャンの短編を途中で断念したときはまさにそういう感じだった。ティプトリーは「そして目覚めると、わたしはこの肌寒い丘にいた」などの初期短編の物語の背後に、解放されたジェンダー認識やそのもたらす衝撃を隠し持たせていた。40年を経た今でもその大胆さには唸るが、いかんせん私は40年を経た未来の人間だった。それよりもティプトリーが時に喜劇的にときに悲劇的に描き出す、人間あるいは人間集団がいかに固着した観念、考え方を持っていて、身勝手かというところに薄ら寒いものを感じた。だが私はそれよりも別の部分に、ああ、と呻いた。「故郷へ歩いた男」「マザー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイヤモンズ」「ビームしておくれ、故郷へ」はいずれも帰還、故郷への帰還をテーマとした物語だ。遠く離れた故郷へ、もう存在しない故郷へ、ここではないどこかにある故郷へ、この故郷の喪失と渇望の物語は私には不意打ちだった。訳者伊藤典夫ももしかしたら同じ思いだったのかもしれない。だからこの本のタイトルは収録されている短編から取られたものではなく、「故郷から10000光年」とされたのかもしれない。

 故郷から10000光年は、webサーフィンをしている折にどこかのアルファブロガーがぽろっと勧めていたのを半年くらい前に拾って積ん読しておいたものである。作者ティプトリー(ジェイムズ・ティプトリー・Jr. - Wikipedia) はすでに亡くなっており収録されていた作品は60年代末期から70年代にかけての作品である。かなり古いといって差し支えないだろう。ティプトリーはその名を冠した文学賞も存在するくらい著名で、またジェンダー運動への影響を与えた人物のようだ。(ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア賞 - Wikipedia) 最近は大奥が受賞したようだ。(Home? James Tiptree, Jr. Literary Award Council)

 蛇足であるが、「故郷へ歩いた男」は往年の名作ゲーム、クロノトリガーの一シーンを思い出す。細かい部分はうろ覚えであるが、何かの目的のために砂漠を緑豊かな森にするミッションがあったはずだ。クロノたちは中世で植林を行い、ロボにその森の世話を託し現代に向かう。クロノたち(とプレイヤー)は一瞬の後、青々とした森となったその地に着き、動作を停止していたロボを眠りから覚ます…そしてロボは語り始める。「コ、ココハ……  オ……  オオ……  クロノ…… ナ……ナツカシイ……。/イヤ……、アナタ方にとってハイッシュンの事だったのデスネ。/シカシ、ワタシニとっては400年ハながい時間デシタ……。/シカシ、クロウのかいアッテ森ハよみがえりマシタ。/…… サア、今夜ハ、400年ブリのサイカイをいわおうではアリマセンカ。」 あなた方にとっては一瞬のことだったのですね。しかし、私にとっては400年は長い時間でした……。

(時の最果て研究所: 健気なロボとルッカの過去。)


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