尾崎豊も嫌いだ

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尾崎豊が嫌いな理由は、あの若者らしい視野の狭さというか、地軸な世界観にある。
所謂尾崎豊時代ってのは多分中高生なんだろうけれども、残念ながらそんな頃には既にあんな甘っちょろい青春感を持てるようなぬるぬるな世代には居なかった。既にそんな甘ちゃんな青い春の学生感を持つのは親世代に終わっていた。
ドリカムのぬるぬるな恋愛感も、まさしくそれと同じ「甘ちゃんだからこそ叫んでいられる青春」だ。
まさしく高校生時代、そうした「恋に恋する自分に恋する自分てステキ」な風潮でドリカムしていた友人もいた。
だが尾崎豊に傾倒し、白い目で見られている男子生徒よりも、ずっとこの女子の少女漫画->女向け漫画気質は優遇されていたように思われる。
そんな生ぬるい気持ちを思い起こさせてもらったこの質問。
しかし”女子”なんてレトロな言い方、今でもするのか!?と思いつつ、ふと気が付いた。


1:ドリカムが好きなんて言うのは「じょし」なんて年齢(少なくとも高校生以下)である
2:いやいや、ドリカムが好きなんだって言う人は、年齢に限らず「じょし」的な精神なのである
3:つうか、「じょし」なんて言い方するようなレトロな時代の人間でなきゃドリカムなんて好きじゃねーよ


もしや、この内のどれかだったりして。




でもドリカムって今の「じょし」には、グレープとかそうした音楽と同類な化石なのかもしれない。
温故知新って言葉もある。
そして自分なんぞがグレープはいいなぁ、と思えるのは、そこに書かれた青春が、これっぽっちも自分の人生に当てはまらない、白い目で見る余地もない他人事だからなのかもしれない。