感情と共に。


最近聞いた話では写真は感情がないと撮れないらしい。
オレは好きな先輩に『写真はラブ』ということを教わってから
今までずっと信じてきた。もちろん今も疑ってない。
が、写真は感情と共に撮るんだということが少し引っかかる。
確かに『ラブ』とはLOVEで、つまり愛のことである。
愛とは感情の一つだ。
だが最近その冷めきった愛にうんざりしている。
今お互いがお互いを必要としていない。
写真を辞めるとか、辞めたいではなくてHOW TOを探している。
思えば最近カメラを握るときにオレが持っていたのは愛じゃなかった。
ドキッとすることがなくなった原因が分かった気がする。
人は誰かを信頼したり、好きになったりするんだけど、
反対に怒ったり、憎しみを覚えたり良くないことも沢山あるんだ。
確信的にオレは焦ってる。
だんだん相手のことが目に見えなくなる事を分かっていながら
楽な方にすがり付いて、それが今一番いいんだと思う様にしていた。
もちろんカメラは人じゃないし、写真は愛なんてなくても出来る。
理論上はそれが科学的だし、正しい事だと理解している。
でもオレはカメラによって写し出されたものを自分の一部だと
考えてるし、最も愛しい時間に写し出されたものを愛と信じたい。
醜さを肯定して別れを告げる様な写真は撮りたくない。
醜さがあるならばそれも自分だと言い張れるように努力をしよう。
写真は何も写してはくれない。人間は時間を止める事が出来ない。
オレは一つの愛を信じて自分を貫こう。
そうすればきっと、写真をもっと好きになれるから。
『君は僕じゃなくても、僕は君であることを疑わない。
 だからいつか君は僕を信じるようになればいい。
 それが例え長く続かなくても、永遠はそこにあるから。』