2011-09-03 黛敏郎電子音楽演奏会
■[音楽]黛敏郎電子音楽演奏会
京都に行ってきた。
黛敏郎の電子音楽を集めたコンサートがあり、ここでの配布を目的に編纂された書籍に10000字ほどの評論を寄せた関係で、京都まで往復してきたのだ。
黛敏郎は、1950年代初頭、二年の予定のフランス留学を半分で切り上げ、帰国した途端に華々しい活躍を始めた作曲家。「涅槃交響曲」に代表される作品で戦後現代音楽界の寵児となる傍ら、膨大な本数の映画音楽を担当し(中には溝口健二、川島雄三、成瀬巳喜男、中平康、今村昌平、熊井啓らの代表作、問題作らが含まれ、ハリウッドに招かれて担当した「天地創造」の音楽ではアカデミー賞にもノミネートされた)、越路吹雪にエディット・ピアフの音楽を紹介するなど、芸能界にも幾ばくかの影響を残している。
当時の作曲学生の多くが彼にあこがれた。映画音楽の作曲で一本50万円ものギャラ(大卒事務職の初任給が1万円に満たなかった時代に、だ)を得、女優(桂木洋子)を妻に娶り、オーケストラを私的に雇って自作の発表を行った。松本清張の「砂の器」に登場する作曲家:和賀英良のモデルは、一説にはこの黛敏郎といわれている。
1970年代以降は、作曲の一線からは引き、テレビ朝日で「題名のない音楽会」の司会を務める傍ら、保守派の論客として知られていくことになる。
今日、最も知られる黛の作品といえば、コレだろう。
ある程度以上の年齢なら、この音楽を懐かしく思い出すかも知れない。
話を戻すと、このような人物の電子音楽作品を集めたコンサートを京都市立芸術大学の大学院生を中心としたグループJCMR Kyotoが企画し、この企画に責任者的な立場で加わった川崎弘二氏からの依頼で、ここで配布される書籍に文章を寄せることになったのだ。
京都へは深夜バスを使って出かけた。朝、会場についてみると仕込みの真っ最中であった。
詳しい説明は聞き損ねたが、黛敏郎の電子音楽の多くはモノラルの作品であり、それを中央のスピーカーを使って再生し、写真の奥、壁に向かって置かれたスピーカーで残響をつけていたのだと思う。当日披露された黛の電子音楽のうち、3分の1強はモノラルで制作されているのだ。帰宅後、日本間でCD化されている幾つかの作品をスピーカー1本で再生してみたが、音の質感が全く違うことに衝撃をうけた。会場では特に変わった操作をしているように思わなかったのだが、比べて初めてわかるこの違い。自然な音場を苦心して作り上げていたということなのだろう。
公演前には川崎弘二氏によるプレトークが行われた。
川崎弘二氏は、(増補改訂版からは私も関わっているので、あまり大げさなことは言いたくないが、それでも)21世紀最初の10年で最も重要な音楽書のひとつである「日本の電子音楽」の編著者でもある。
- 作者: 川崎弘二
- 出版社/メーカー: 愛育社
- 発売日: 2009/03
- メディア: 単行本
- 購入: 2人 クリック: 50回
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全17曲、総演奏時間4時間超に及ぶ作品を2部構成、雑音を減らすために空調を止めた中聴くという体育会系のイベントだった。そんなイベントにこれだけの人たちが集まったというのは驚愕。この人たちが読む用と鑑賞する用と保存用に3冊本を買えばいいのに。。。
総じて、若い人たちのやる気を感じる良いコンサートだった。JCMR Kyotoに感謝と拍手を。1月8日に川崎弘二、有馬純寿とともに共催する篠原眞全電子音楽コンサート@門仲天井ホールは、もっと良いコンサートにしたいもの。関東勢としても負けてられないからね。
追記:
この後に、黛敏郎の電子音楽CDリストを付記する予定だったのだが、何れもamazonでの取り扱いがないらしく、CDのタイトルのみを取り急ぎ列記する。
「ミュージック・コンクレートのためのX・Y・Z」(1953)
→「日本の作曲 21世紀へのあゆみ vol.7」(同名のコンサート・シリーズの記録録音。現在品切れ)
「素数の比系列による正弦波の音楽」(1955)
「素数の比系列による変調波の音楽」(1955)
「鋸歯状波と矩形波によるインヴェンション」(1955)
→「音の始源を求めて 塩谷宏の仕事」
「七のヴァリエーション」(1956)
→「音の始源を求めて 塩谷宏の仕事」
電子的音響による音楽的造形「葵上」(1957)
→「音の始源を求めて8 稲村・徳尾野・佐々木・大津の仕事」
ミュージック・コンクレートによる「カンパノロジー」(1959)
→「音の始源を求めて6 西畑・塩谷・高柳の仕事」
「カンパノロジー・オリンピカ」(1964)
→「音の始源を求めて 塩谷宏の仕事」
マルチ・ピアノのための「カンパノロジー」(1967)
→「音の始源を求めて2 佐藤茂の仕事」
電子音響と声のための「まんだら」(1969)
→「音の始源を求めて3 佐藤茂の仕事2」
2011-06-13 mixi足あと機能改悪に反対します
■[意見]mixi足あと機能改悪に反対します
この文章は、日本の代表的なSNSであるmixiが、極めて一方的な形でその機能の一つである「足あと」表示機能の「改善」を通告した際に記したものです。元はmixi内の日記でしたが、今回の「改善」に伴って、どれだけ読まれているのかも把握できない状態となりました。よって、mixi内の文章は削除して、こちらに転載、リンクのみを残すこととします。
*****************
6月6日、mixi運営からの重要なお知らせとして、『「足あと」機能改修のお知らせ』という文章が発表されました。
http://mixi.jp/release_info.pl?mode=item&id=1355 (リンク先 mixi)
極めて重要な仕様変更でありながら、現在ではトップに表示されるでもなく、リンクを踏まないと辿りつけない場所に隠されているわけですが、撤回を表明するニュースも聞きませんので、予定通り13日にこの改修を実施するつもりなのでしょう。
改修の要点は2点です
○現在の足あと表示がリアルタイムのものでなくなり、翌週初めに1週間分の訪問者をまとめて表示する「先週の訪問者」なるものへと様変わりすること。
○訪問履歴は「友達」(マイミク)と「その他」にわけられて表示。「その他」には友人の友人、mixi同級生、同僚ネットワーク経由の人間しか含まれない(つまり、全く無関係の人間が訪問してきても足あとがつかない)。
mixiの運営の主張はこういうことです。自分の訪問履歴を消去できる「足あと削除機能」が導入されて以降、これの利用は増加の一途を辿り、足あとがもはや閲覧履歴と等価ではない。また、これだけ「足あと削除機能」が利用されているということは、ページの閲覧に足あとが付くという事実が、ページ訪問の心理的障害となり、利用者同士の交流を阻害していることが考えられる。ゆえに、足跡をリアルタイムのものから「先週の訪問者」というものに変えれば、訪問即足あとがつくということがなくなり(たとえ足あとが付く間柄であっても、その削除が確実に実行可能となり)、利用者同士の交流も進むのではないか、と。
しかしながら、こうした主張はたとえ建前であるとしても、全く不当な馬鹿馬鹿しいものであるという他ありません。
利用が進んでいるという「足あとの削除」にしても、月に10件しか行えないことは重要です。よって、削除に及ぶのは、(1.余程ヤバい人間のページを踏んでしまった、2.こいつには今後絡まれたくない、3.元カノ/元彼のページを踏んでややこしいことになるのは勘弁)、といった自覚がある場合に限られるのが実状。通常に利用している大部分の方にとっては、mixiの足あと履歴はほぼ閲覧履歴といって良いかと思います。
また、上記の運営の主張は、訪問に際して「足あとが付くこと」によるストレスのみを挙げていますが、見ず知らずの人間の足あとが付かないこと、によるストレスがあることを(意図的なのか)無視しています。
「足あと」に見ず知らずの名前が載っていたとき、それを、たまたま自分の何かに興味を持ってくれた人、なのか、それとも、ストーカー化しそうなアブナイ人、なのか、と判別する基準はどこにあるのでしょう?公開の日記を書くなど、何らかのアクションを起こせば、大抵は見ず知らずの方の足あとが付くものですが、リアルタイムで足あとが表示されるなら、この訪問者は日記の内容など、自分のアクションに興味を持ってくれた人、と察しがつきます。だが、何のアクションも起こしていないのに、3時間ごとに訪問してくる人を見つけたらどうでしょう?その人はストーカーで、あなたの日々の行動パターンを(ログイン日時から)観察しているのかも知れません。全ては「程度」次第という他ありませんが、リアルタイムでそれをチェックするからこそ、この程度というやつを把握できるのです。
また、私のある友人(mixiにおけるマイミクではない)に、別れ話のもつれからmixiのIDを某巨大掲示板に貼り付けられてしまった方がいらっしゃいました。覚えのない足あとがものすごい勢いでついていたので、何かあると思い検索してみたところ、自分のIDが性的にかなり際どい文言とともに貼り付けてあったそうで。即警察沙汰にしたそう。
足あとがリアルタイムでなく、かつ、友人の友人、会社の同僚、学校の同級生、しか表示されないということになれば、そのような自己防衛も行えなくなり、通常のmixiの利用にも重大なストレスをもたらすことになるでしょう。放射能汚染の問題でわかりましたよね。見えないものに侵食されているかも知れない、という感覚がどれほどのストレスをもたらすか…。今回の改訂では、出身校も会社も意図して設定しておかなければ、(マイミクのマイミクに当たる人間以外の)殆ど全ての参加者のページに、足あとなく訪問出来るということになるのです。ストーカー大喜びですね。運営は、リアルタイムな足あと表示と、削除は月10件までという制限が、mixiの健全な利用を支えてきたことを知るべきです。
****
また、mixi運営が「先週の訪問者」として表示される範囲を、マイミク、友人の友人、mixi同級生、同僚ネットワーク経由の人間に限定しようとしている点については、さらに別の疑問もわいてきます。
この仕様だと、子供の友達の親、つまりママ友に当たる人であっても表示されない、ということになります。子供同士は同級生でも、ママ友同士は出身校も違えば会社も違うことが普通。子供の運動会について書いた日記を読んだ方の足あとの中に、たまたま娘の友達のママを見つけて親しい交流が始まる、なんてこともなくなるでしょう。
このことは、mixiが想定するコミュニティ(これはmixiのコミュニティでなく、現実世界のコミュニティのことですが)についてのイメージがあまりにも貧弱なことによるものと考えます。
より大きな問題もあります。私は、この日本において約10万人程度が愛好する音楽について日々文章を書いています。日本には1億を越える人口がありますから、千人に一人が愛好するものを対象にしているといえましょう。千人に一人、というと、今日日少子化で小学校全学年を集めても千人に満たないことが常ですから、近所、学校、勤め先、を探しても、同好の士を見つけるのはなかなか大変、ということになります。
つまり、mixiの考えるコミュニティと、この日本に少数だけど明らかに点在する「同好の士」が作るコミュニティとが、全く一致しないのです。だが、mixiであるライブの感想を公開したならば、1000人に一人の割合で存在する同好の士が、同じライブという接点のみしかもたない人が、自分のページに足あとを残していくかも知れません。そうした方との交流の中で、同じライブを聴いた人たちが他にどういう音楽を聴いているのかを知り、自分の文章に反映させられるかもしれません。小劇場演劇やコンテンポラリーダンスでも同じことが言えましょう。観劇した人間と演技者/表現者には全く接点がないのが普通。ただ、日記を介してリアルタイムで付けられた足あとだけが、両者を結びつける可能性があるのです。事実、私のマイミクには、日記に反応して足あとを付けて頂いたことから、お付き合いが始まった方もいらっしゃいます。
開始当初のmixiに私が期待していたことは、そうした、学校、会社、地域といったものとは全く関わらない形で点在する人たちによるコミュニティを、ネット上に生み出す可能性についてでした。もちろん、mixiにも文字通り「コミュニティ」(以後、「」付きの「コミュニティ」はmixiのコミュニティをあらわします)というものがあり、その点を補ってくれそうな気もします。でも、どうでしょうか?「コミュニティ」経由の足あとすら、「先週の訪問者」として記録することを考えられない今の運営が、そういったコミュニティを育てることに思いを巡らせているとは、とても思えません。それに、mixiに「コミュニティ」がないようなものにも、同好の士はいるはずですし、人は自分が興味をもっているもの全てについて「コミュニティ」に入っているわけではないのです。
というわけで、友達の友達、学校、会社以外のところでの人の結びつきが、充実したコミュニティを作る可能性を信じる立場(あるいはセキュリティ上の極めて重大な問題を心配する立場)ゆえに、今回の足あと機能の改悪(と言い切ります)にはキッパリと反対します。
上記意見に賛同して下さる方は、以下の「コミュニティ」にご参加ください。
2010-05-07 『憂鬱と官能を教えた学校 【バークリー・メソッド】によって俯瞰さ
■[音楽][書籍]『憂鬱と官能を教えた学校 【バークリー・メソッド】によって俯瞰される20世紀商業音楽史』
8年前の今頃、京橋にある映画美学校の『商業音楽理論史』という講座に通っていた。講師の菊地成孔は、当時デートコース・ペンタゴン・ロイヤル・ガーデン(DCPRG)という、電化マイルスの展開系ともいえる大編成のポリリズム・ジャズファンク・ユニットを主催していて、その辺りに興味をもっていた私は生徒として潜り込んだのだった。
映画の専門学校における、いわゆる一般向けの講座ではあったとはいえ、こうした講座に集まってくるのはかなりコアな連中で、ここでの付き合いがどれほど自分にとっての刺激になったかは計り知れない。講義の内容よりも、その方が重要ではなかったかとすら思えるほどだ(ちなみに、この講座で知り合った某氏が今度結婚することになり、結婚披露パーティの幹事と司会を引き受けることになった。また、その講座の校長であった岸野雄一さんには、昨年一昨年と拙企画の「101年目からの松平頼則」のお手伝いを頂いた。そういう具合に、美学校関係者や受講生の何人かとのお付き合いは、今でも続いている)。
この講義が行われた2002年の私はといえば、柴田南雄音楽評論賞の奨励賞を頂く前で、音楽評論を本格的に始める以前の状態にあった。だが、講義が進む中でこの講義のまとめとして出版される書籍に、私も一本論考を要請されるに至った。結局、本の出版は諸々あって2年後までズレ込んでしまったわけだが、何の実績もなかった当時の私に、菊地氏がこの論考を依頼したという事実については、特筆しておきたい。
論考の題名は「標柱」とした。これは、菊地氏が相当の現代音楽愛好家で、当時DCPRGで「構造」と題した連作を発表していたことによる。言うまでもなく、この題名の由来の一つにブーレーズがある(私が当時所持していたブーレーズの音源の殆どは、菊地氏に貸したままになっており、おそらく氏の歌舞伎町、ではなく自由が丘の自宅にあるのだと思う)。だから私もブーレーズの論考の題名に従った。
「標柱」の内容はといえば、基本的にポピュラー音楽理論史の創生期の諸々についてなのだが、あらゆる音楽家、音楽愛好家に読んでもらいたい箇所も中にはある。
歴史は、バークリー・メソッドに限らず、全ての音楽理論が万能ではないことを語る。(中略)そう、確かに理論には限界がある。しかしながら、理論が必要不可欠なものであることを示しているのも歴史である。ガーシュインが理論に助けを求めたことからもわかるように、頼るべき標柱を持たずして、自らの創造性を余さず発揮できる例は少ない。皆無と言って良いかもしれない。音楽理論とは世界認識のツールでもある。誰も、上下左右すら曖昧模糊とした世界では確信を持って動くことができず、蜘蛛の巣のように理論の糸を張り巡らせ、そのネットワークの上を自在に運動することによって初めて、自分の表現を生み出していくことが可能となる。ただしそれは、張り巡らされた糸に絡め取られる危険と背中合わせのものであるし、自らが進み得る領域を知らず知らずのうちに限定してしまうことでもある。われわれは音楽理論が持つ効用と副作用に自覚的でなければならない。
この辺りについては、今なお自分が批評を書く際の指針となっているし、そうした相対化の視点がない人がまかり間違って偉くなってしまっているところに、日本の音楽界のダメな点があるように思うのだが。
というわけで、この論考を上巻の末尾に収録した、文庫版の『憂鬱と官能を教えた学校 【バークリー・メソッド】によって俯瞰される20世紀商業音楽史』(菊地成孔、大谷能生:河出書房新社)が、本日発売される。是非、お手に取ってみていただきたい。
憂鬱と官能を教えた学校 上---【バークリー・メソッド】によって俯瞰される20世紀商業音楽史 調律、調性および旋律・和声 (河出文庫 き 3-1)
- 作者: 菊地成孔,大谷能生
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2010/05/01
- メディア: 文庫
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憂鬱と官能を教えた学校 下---【バークリー・メソッド】によって俯瞰される20世紀商業音楽史 旋律・和声および律動 (河出文庫 き 3-2)
- 作者: 大谷能生,菊地成孔
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2010/05/01
- メディア: 文庫
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- 作者: 川崎弘二
- 出版社/メーカー: 愛育社
- 発売日: 2009/03
- メディア: 単行本
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講義のアシスタントを務め、語り口調の講義を書籍化にあたって全面的にリライトした大谷能生氏とは、後にこの本でご一緒することになる。
2010-01-30 石神井公園駅高架施設見学会
■[地元]石神井公園駅高架施設見学会
2月7日の上り線の高架ホーム営業開始を1週間後に控え、石神井公園駅にて施設見学会が開かれたので出かけてくる。
見学会が開催されることはmixiの地元コミュニティにて知り、天気も良かったのでカメラをもって出かけてきたという次第。
盛況と聞いてはいたが、駅に着いたらかなり多くの方々が既に並んでいるので驚く。
警備員の方の指示に従ってエスカレーターを上がると、
高架ホームに出た。
完成しているのは上り線のホームだけで、これから(上の写真でいうところの)この右側に下り線のホームが出来るのだという。
希望者はヘルメットを借りたのち線路に下りることが出来るとのことで、順番待ちの長蛇の列が出来ている。
1時間ほど並んで線路に下りる。
誰もが屈んで、同じようなアングルで写真を撮ろうとする。
列に並んでいる時間を含め、2時間ほど見学をして帰宅する。

























スマートフォンに限らず普通の携帯にも改善されているのですかね?