本当は12音な兼田敏

 作曲家の成本理香さんが、作曲家:兼田敏についての論文を執筆されたと聞き、早速抜刷りを送付して頂いた(以下敬称略)。
兼田敏作品の研究(1) ‐作品群の概観と新たな兼田敏像の提案‐」
金城学院大学論集』人文科学編:第2巻第2号(2006) 109−123
 兼田敏(1935-2002)といえば、旧満州に生まれ京都に育った作曲家。東京芸術大学在学中、毎日コンクールに2度入賞し(第25回:第2位、第26回:第1位)、1962年の「日本民謡組曲『わらべ唄』」で初めての吹奏楽曲を作曲(習作を除く)、以後はこの分野の作曲を主に活躍した。この日記をお読みの方のどれ程がこの作曲家のことをご存知なのかは判らないが、日本の吹奏楽曲の歴史を考えたとき、兼田以前/以後との線引きも可能な、この分野では知らぬ者のない存在と言えるのではないかと思う。
 この論文の著者である成本理香は、兼田敏に師事した作曲家であり、1996年にリリースされた「兼田敏作品集」(東芝)のライナーでは、曲目解説の執筆と作品表の作成を行ってもいる。


兼田敏作品集

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  • アーティスト: 東京佼成ウィンド・オーケストラ,山下一史
  • 出版社/メーカー: EMIミュージック・ジャパン
  • 発売日: 1996/05/16
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 この論文のテーマである「新たな兼田敏像の提案」とは、一言で言えば12音技法、特にシェーンベルク作品の熱烈な支持者としての兼田の姿を明らかにすることである。例えば、兼田の最も有名な作品である「シンフォニックバンドのためのパッサカリア」に注目するなら、冒頭で提示される主題が1オクターブにある12の音を重複せずに使って組み立てられていることに気付く。むろん、この作品はアマチュアの演奏を前提に書かれた調性音楽で、いわゆる12音音楽の音世界とはかけ離れたものであるし、ここで使用される12音列も、連続する3音が長3和音を構成する箇所がある等、12音技法で使用される音列としては不適切なものである(注1)。
 よって、この「テーマが12音の音列からなっている」という単純な事実は、作品が「12音列によっているが12音技法にはよらず」に構成されているがゆえに軽視され、通常の吹奏楽文献ではこの事実についての言及があることすら稀である。しかしながら、成本によれば兼田のこうした12音列に対する拘りは、この作品に限らず他の吹奏楽作品でもみられるという(論文では、「哀歌」「バラードV」「ウィンドオーケストラのための交響曲」の譜例が挙げられ、また幾つかの吹奏楽作品での、より「本格的」な12音技法の使用も指摘されている)。つまりこうした12音列によるテーマは、作曲者のある指向のもとに確信をもって書かれているということがわかり、この指向が兼田という作曲家を読み解くための重要な手がかりになるというのである。
 こうした指向の源泉はどこにあるのか。その答えは芸大在学中の1955年から『わらべ唄』作曲の62年までの兼田の作品系列を精査することで明らかになる。譜例として挙げられる、今まで一般の目に触れることのなかった兼田の初期作品の数々。それらはいわゆる「兼田敏吹奏楽曲」とはかけ離れた、シェーンベルクからの濃い影響を確認することが出来るものだった。
 兼田は大学在学中ガーシュインに心酔し、和声を関心の中心に据えていたのだという。その一方で兼田がシェーンベルクから多大な影響を受けていたことは驚くには当たらない。そもそも当のガーシュインシェーンベルクと親交を結んでおり、「ポーギーとベス」にはベルクの「ヴォツェック」からの影響すら見られるのだから。問題は、ガーシュインシェーンベルク、この一見相反する2人の作曲家への指向の間をテニスボールのように往復しながら、兼田がどのような表現/語法を確立し得たのかということにある。
 しかしながら、この論文は兼田の創作における12音技法の影響を指摘しはしたものの、そのことが兼田の音楽語法にいかなる変化をもたらしたかまでは解析できずに終わってしまう。この点において少々尻すぼみな印象を受けることは否めない。
 「(前略)前衛とは遠い方向に進んだかに見えた兼田に、実は12音技法が深く影を落としていたのである。そして、これが兼田独自の響きを作り出しているのではないだろうか」(本文 p.118)
 我々が知りたいのはむしろ、その「独自な響き」の秘密である。調性的な語法に敢えて12音列によるテーマを放り込むことで生まれる軋轢、これを解決していく中で生まれる和声の拡張。さらにそれらがアマチュアの委嘱という技術的制約の大きい場でいかに実現されていったのか。このような点について確固とした解析がなされ言語化されたとき、兼田敏という作曲家に対する研究は確実に新たな段階へと入るに違いない。標題に(1)と記されているということは、この論考は最終目的地へ向かうための小手調べとでも言うべきものなのだろう。故に、その解析の全貌が見える日を期待して待ちたいと思う。
(注1)12の音を単純に並べて音列を作るなら、その順列の総数は12!=479001600通り。しかしながら、無調での対位法的な構成をシステマティックに行う、という12音技法の本来的な機能を可能にする音列はその中のわずかである。なぜならば、12音をランダムに並べるなら、その多くに連続する数音が何らかの和音を構成する箇所が含まれ、その結果一定の調性感が発生してしまうからである。