事務屋稼業

2015-10-14

[]こっちを観るべし―TNGパトレイバー GRAY GHOST こっちを観るべし―TNGパトレイバー GRAY GHOSTを含むブックマーク

TNGパトレイバー 首都決戦」のディレクターズカット版を初日に観てきた。押井守監督のことだからダレ場が増えて冗長になってるんだろうな……と恐れていたが、杞憂に終わった。むしろ、押井監督の実写でこんなおもしろいものが観られるとは、と驚くほどだ。5月に公開したプロデューサーによる短縮版を「首都決戦」、ディレクターズカットを監督の意図通り「GRAY GHOST」と分けて呼称したい。それくらい別物。

 今回のTNGパトレイバーシリーズは、キャラクターの魅力を中心に楽しんでいた。「GRAY GHOST」では第二小隊の出番が増えてるといいなあと期待していたら、期待以上のものをみることができた。熱海の宴会における丁々発止のやりとりや、辻本貴則監督による中盤の突入戦で存分にみせつけてくれるカーシャ無双、壊滅した二課棟を前に、ある者は決意を固め、またある者は決断をしぶる場面など、私のようなファンにはうれしいところ。増えているのは第二小隊の見せ場だけでなく、上海亭のオヤジの口上、整備員たちの台詞、「パトレイバー2」の先代集結シーンの再現などもよい。

 個人的に「GRAY GHOST」で株を上げたのは、大田原。「俺でさえ(酒を)控えてるのに!」とか「ここは俺にまかせろ! 持ちこたえるだけならなんとかなる!」とか。短縮版では切られていたけれども、そういうまともな姿をしっかり見せておいてこそ、ラストバトルの(文字通りの)オチが効くんですよ。もとは練られた脚本だったのだな、としみじみ思う。

 宣伝では灰原零とは何者なのかというミステリーを前面に押し出していたが、灰原関係の追加シーンは分量的にはそれほどでもない。それよりも全編にわたって、ちょっとした会話やしぐさがこまかく追加されているのが印象的だ。そのような「ちょっとした」ディテールが重要な意味を持っていたりするので、これらが復活したおかげで、短縮版よりもはるかに見やすくわかりやすくなっているように感じた。

 たとえば短縮版でもわかることだが、劇中では後藤田を通して高畑がしのぶに、佑馬を通して明が灰原に、一方的な対抗意識を燃やす。そして駄目押しのように、「GRAY GHOST」では、カーシャが高畑をにらみつけるシーンが復活している。これはもちろん、かつての思い人セルゲイにまつわる事件の顛末を意識してのことだろう。押井守の映画だけに、このへんの「構造」趣味は徹底している。でも、短縮版でうかがえるのは構造の一端のみだ。

 構造といえば、ほかにもある。灰原零は「灰色の幽霊」そのものだが、南雲しのぶ警視庁にしてみれば忌むべき亡霊のようなもの。また、しのぶは後藤田および特車二課にとっては守護霊のような存在でもある。首都決戦は亡霊たちの戦争という見方もできるだろう。

 意気消沈する後藤田を叱咤激励するにあたって、高畑はおもむろに眼鏡をはずす。一方、グレイゴーストとの激戦の後、カーシャは煙草を吸おうとした手をひっこめて、小隊の面々に微笑みかける(ここも短縮版ではカット!)。「あげればまだまだ出てくるさ、彼がわざわざ残したメッセージだもの」ってなもんです。

 公平を期すためにいえば、ストーリーを追うだけなら、短縮版の「首都決戦」でも支障はない。でも、一本の映画として味わうなら、ディレクターズカット、否、オリジナル版たる「GRAY GHOST」じゃなきゃダメだ。なんというか、映画の「説得力」がまったくちがう。TNGパトレイバーのファンなら、映画好きなら、迷わずこっちを観るべし。

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2015-05-19

[]P2の皮をかぶったP1—TNGパトレイバー首都決戦 P2の皮をかぶったP1—TNGパトレイバー首都決戦を含むブックマーク

 感想文をあげるのが遅くなってしまったけれど、「THE NEXT GENERATION パトレイバー 首都決戦」を公開初日に見た。シリーズを通して楽しんできた身として、じつに感慨深い。

 首都を蹂躙するテロリストとこれを迎え撃つ特車二課というシンプルなお話だ。見かけはアニメの「機動警察パトレイバー2 the Movie」(P2)っぽい。しかし、「見えない戦闘ヘリ」グレイゴーストをあやつる灰原零のキャラクター造形などは、その前作「機動警察パトレイバー the Movie」(P1)の帆場瑛一を思わせる。

 また、映画の終わりは不気味な余韻を残すものではあるが、特車二課の面々に目を向ければなんともさわやかな結末であり、ここも「P1」を彷彿した。あの「抱き合ってグルグル」を実写で撮れるようになるほど押井監督も達観したのだなあ……というのは、まあ、どうでもいい感想ですね。

 映画の前半、高畑と後藤田が事件の推移やテログループの背景、灰原零の謎、そしてこの国の正義とは、平和とは……等々を語り合うところは、説明のために必要とはいえ、ぶっちゃけ退屈だ。

 むしろ映画により貢献しているのは、テロの首謀者・小野寺たちが灰原に向けるまなざしや、そこで発せられる短い言葉のほうかもしれない。要するに「P2」の薄っぺらな模倣犯に灰原が便乗してはっちゃけてるのね、と直感する。

 なお、小野寺の動機がよくわからないという感想を散見するけれども、おまえら結局「状況を開始せよ」って言いたかっただけだろ、で済む話だと思う。劇中でつるりと「憂国」とか言っちゃってるのがよくないのかもしれないが、それもあわせて、こいつら薄っぺらいなと感じた次第。そもそも柘植のシンパだというのに肝心かなめの「首都を舞台に戦争という時間を演出すること」が全然なってないあたり、貴様らは柘植からいったい何を学んだのかと小一時間……いや、やめておこう。

 話を戻す。前半の退屈もモヤモヤも、映画の折り返し点をすぎれば、アクションのつるべ打ちで吹っ飛んでしまう。第二小隊の敵陣突入から、グレイゴースト自衛隊機の空中戦、そして満を持して98式が出動する最終対決まで、押井守の映画にしてはテンションが高すぎる。このハイテンションっぷりや第二小隊がしっかり活躍しているところは「P1」級なので、やはり映画のガジェットは「P2」でもスピリットは「P1」なのではないかと私は思う。「P2の皮をかぶったP1」とでも言おうか。

 98式の出番は、まあ、お察しの通りだ。ロボット・アクションには期待しないほうがいい。期待すべきではない、といったほうがいいか。でも、グレイゴーストもふくめてCGはかなりの水準に見える。

 それよりも実写ということで、私はやはりキャラクターを中心に見てしまう。シリーズから積み重ねてきた役者の貫禄は流石の一言だ。

 主演の筧利夫は、エピソート12「大いなる遺産」につづいて抑えた演技。強い女たちにふりまわされながら葛藤や苦悩を垣間見せつつも、ひとりの大人として踏ん張ろうとするさまが印象的だ。影の主役の高島礼子はちょっと出しゃばりすぎじゃないかと不満に思ったが、最後の笑顔がかわいすぎて、もうどうでもよくなってしまった。千葉繁はあいかわらず緩急自在の演技がすばらしい。整備副班長ブチヤマこと藤木義勝は、班長をさしおいて皆勤賞。

 第二小隊の隊員たちは映画ではもっとシリアス一辺倒かと思っていたら、いつも通りのおふざけもダラダラもある。ゆるんでいるようで、やるときはやる。こうした隊員や整備班の雰囲気も「P1」に近い。しつこいですかそうですか。

 特に真野恵理菜の表情がよかった。今回、解体に追い込まれた第二小隊はなぜ戦うのかというお題が与えられたわけだが、真野の演じる泉野明は虚空をにらみつけ、「あんな奴に絶対負けたくない」と答えを出す。あんな奴とは他ならぬ灰原零のことであって、明がなぜ灰原にそんなにも敵愾心を燃やすのかというのは、これはもう真野恵理菜の表情、目つき、態度を最初からちゃんと追っかけてください、としか言えない。

 映画からの出演者では、灰原零を演じる森カンナは本当に不気味な空気をかもしだしていて、彼女主体のシーンはほとんどホラー。緑色のコクピットで不敵に笑うのがカッコいい。また、今をときめく吉田鋼太郎が、首謀者の小野寺をひょうひょうと好演。正直もったいねえと思ってしまった。

 10月にはディレクターズ・カット版を公開とのこと。灰原零の過去にまつわるシーンを増量するらしい。今作のパンフレットには熱海での宴会の模様や、二課棟で豚の丸焼きを前にして涙ぐむ山崎弘道などが掲載されていたので、これらも追加されるのかもしれない。カーシャや大田原のアクションもけっこう切ったそうだから、ぜひ復活させてほしいところだ。

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2015-04-14

[][]敵か味方かルクザール 敵か味方かルクザールを含むブックマーク

「ゼノブレイドクロス」で誰々が死にそうとか裏切りそうとか予想(妄想?)が出ているようですが、ことパーティのレギュラー・メンバーに限ってはちょっと考えにくいんじゃないですかね。

社長が訊く『ゼノブレイド』

http://www.nintendo.co.jp/wii/interview/sx4j/vol2/index.html

竹田 (略)たとえば今回の『ゼノブレイド』のシナリオを書くにあたって、主人公のずっとそばにいた仲間の1人が最後の敵になるという構想を考えたことがあったんです。

岩田 仲間だとずっと思っていたのに、最後の最後で敵になってしまうんですね。

竹田 はい。そのアイデアを高橋さんにお伝えしたら、冒険を通じてずっと経験値を与え続けてきた仲間が、最後にパーティーから外れて敵になっちゃうのは、ゲームとしては辛い、という話をされたんです。

岩田 お客さんの立場からするとせっかく愛情を持って育てたのに、それが敵になってしまうと裏切られたような気持ちになりますね。

竹田 そうなんです。そのような展開は、映像作品であれば実現しやすいんですけど、ゲームというのはインタラクティブな遊びということもあって、難しい面がいろいろありました。

 これはもちろん前作の話だが、同じ総監督・脚本家なのだから、当時の思想は今作でも貫かれていると考えるのが自然だろう……という先入観を利用してやっぱり裏切るのもありえなくはないけれども、それはそれで気持ちのいい「裏切り」ではないし。

 なにしろシステム(ゲームの横軸)に比してストーリー(縦軸)の情報がほとんど公開されていないおかげで、妄想もいろいろ捗るというものだが、そこは実際にプレイしてからのお楽しみ、という感もあるので、なかなか難儀なことであります。でも、それはそれで心地の悪い難儀ではない。

XenobladeX (ゼノブレイドクロス)

XenobladeX (ゼノブレイドクロス)

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2015-02-20

[]Cool It ! Cool It !を含むブックマーク

 ニッセイ基礎研究所の久我尚子氏のレポートが、方々で話題になっている。

アベノミクスで苦しむ氷河期世代内定率上昇・雇用者増の一方、30代は正規雇用者が減少。就職期が生む雇用環境の格差。

http://www.nli-research.co.jp/report/researchers_eye/2014/eye150210.html

 記事のタイトルだけを見て反発したり、逆に喜んだりする人もいるかと思われる。しかし本文は短いながらも、なかなかどうして興味深いものだ。

 特に印象的な部分を引用させていただく。

 第二次安倍政権発足直後と直近の雇用者数の増減を見ると、雇用者は100万人以上増えているが、増えているのは非正規雇用者であり、むしろ正規雇用者は減っている(図1)。年代別に見ると、25〜34歳以外では非正規雇用者の増加により雇用者全体は増加、あるいは横ばいだが、25〜34歳では非正規雇用者の増加以上に正規雇用者が減少し、雇用者全体が減少している。なお、雇用者全体の増加数が比較的大きな65歳以上のシニア世代と45〜55歳のバブル世代就職活動期がバブル期頃の世代)では、非正規雇用者だけでなく正規雇用者も増えている。

 こうした世代別の分析はありがたい。ことマクロ経済論議では忘れられがちな視点だ。

 それにしても、25〜34歳の正規雇用者が減っているのはどうしたことか。自発的な離職なのか否か等、もっと突っ込んだ分析がほしいところ。

 さらに性別に見ると、特に30代を中心とした男性の状況が厳しいことが分かる。そもそも増えた雇用者のうち75%は女性で、非正規雇用者の増加によるものだ(図2)。男性では25〜34歳だけでなく35〜44歳でも非正規雇用者の増加以上に正規雇用者が減少し、雇用者全体が減少している。

 これも同様だ。この内実をくわしく知りたい。ちなみに、都市部で共働き化が進んだことにより結果的に世帯間格差が拡大したという分析について、拙ブログで紹介したことがある(ここ)。

 足元、就職内定率の上昇や雇用者数の増加により、20歳前後の雇用環境は改善傾向にある。また、日本経済が好調だった頃に就職したバブルシニア世代を中心に、40代後半以上の年代では概ね雇用環境は改善している。つまり、アベノミクスによる雇用環境の改善において、30代を中心とした氷河期世代とそれ以外とで格差が生じている様子が窺える。この背景には、氷河期世代は必ずしも経営が安定的でない企業へ就職した者も多く、それらの企業にはアベノミクス効果が未だ波及していない、あるいはむしろアベノミクスにより生じた企業間格差の弱者にあることなどが考えられる。

 氷河期世代のひとりとして、暗澹たる気持ちになる。

 こうした指摘に対して、「おまえはアベノミクスの成果を否定するのか」とか「マクロ経済学がわかっていない」などと居丈高につっかかるのも、「アベノミクス失敗ざまあwww」などと嘲笑するのも、ともに不毛なように思う。まあ、床屋政談なら全然かまわないけれども、政治家専門家がそんなザマでは困るだろう。

 およそどんな政策を採ったとしても「歪み」は生じる。ミクロな個々の市場においては特にそうだ。歪みに対して政策的に介入するにせよ、市場の成り行きに任せるにせよ、まずは歪みの内実を見極めることを専門家諸氏には期待したい。その過程で「いや別に歪んでないよ」という結論になるのなら、それはそれで結構なことではある。

MTMT 2015/02/22 11:28 転職市場などのマージナルなところで、30代前半男性の賃金がシニアなどに比べ相対的に上がっているから、というのが大きいでしょうな。

2015-01-21

[]ア・モデル ア・モデルを含むブックマーク

 ESRI Discussion Paperより。

短期日本経済マクロ計量モデル(2015年版)の構造と乗数分析

http://www.esri.go.jp/jp/archive/e_dis/e_dis314/e_dis314.pdf

 本論では、なにかと話題になる経済政策の乗数について、最新のシミュレーションが実施されている。詳細は現物にあたっていただくとして、概要のみ抜粋引用いたしましょう。

1) 公共投資の拡大

 実質GDPの1%相当の公共投資の継続的な拡大は、実質GDPを1年目1.14%、2年目以降も概ね1%程度拡大させる。乗数の大きさは金融政策のスタンスにも依存しており、政策反応関数を短期金利一定の仮定で置き換えると、乗数は1.21%〜1.32%にまで拡大する。

2) 所得税減税

 名目GDPの1%相当の個人所得税減税(継続減税)は実質GDPを拡大させる(1年目0.30%、2年目0.37%)。減税乗数は公共投資乗数に比べ小さいことから、税収減が景気拡大を通じた増収で相殺される程度は小さく、財政赤字の対名目GDP比は0.9%ポイント程度拡大する。

3) 消費税増税

 消費税率の1%の引上げは実質GDPを1年目に0.24%、2年目に0.17%抑制する。

4) 金融政策

 短期金利の1%引上げは実質GDPを1年目0.32%、2年目0.26%抑制する。

5) 外生的ショック

 外部環境の変化として、a.為替レート10%減価、b.原油価格20%上昇、c.世界需要1%増加の影響をそれぞれみた。

 為替レート(円)の10%減価は実質GDPを、1年目には0.08%、2年目には0.44%拡大する。

 原油価格の20%の上昇は実質GDPを1年目に0.12%、2年目に0.16%減少させる。

 世界需要が1%増加すると実質GDPは1年目0.31%、2年目にも0.31%増加する。

 なお、上記のシミュレーションは、そのいずれもがモデルの内挿期間である2010年からの3年間を対象としているが、「短期」分析を意図したモデルの性格上、2年目以降の数字は参考程度に解されるべきものである。また、乗数はあくまでもモデルの動学特性を検討するための機械的テストの結果であり、これをもって直ちに現実の政策効果と考えることは適切ではない。モデルは一定の仮定により経済抽象化したものであり、現実の経済そのものではないことに加え、現実の政策効果は時々の経済社会環境に依存して変化しうることに留意する必要がある。

 しかし、ぶっちゃけ外野から見ておもしろいのは、補論の「「短期日本経済マクロ計量モデル」の位置づけと役割」だったりする。

 このように、二つの「批判」に応えて発展したDSGEモデルやVARモデルは、我々の経済システムに対する理解を深める点で本質的重要性を有していたものの、政府中央銀行がそれを実務(政策業務)で活用しようとした場合、看過し難い問題を多く抱えている。その意味で、経済政策の詳細を描写する同時方程式モデル体系を構築し、操作可能な政策変数が様々な政策目標(変数)に与える影響を確認していく作業(マクロ計量モデル分析)の必要性は今日も変わらず存在している。

 こうした歴史・経緯を経て、今日では、短期の景況や政策効果を分析するモデルとして、DSGE型、VAR型、及び伝統的なマクロ計量モデルという、3つのタイプの計量モデルが(国際機関、各国政府中央銀行等で)並立・活用されている。しかも政策実務の現場において、これら3つのモデルのうちのどれか一つが支配的な地位を占め、いわゆる"The Model"としての立場を有しているかというと、そうではない。むしろその対極の考え方である“Suite of Models”という概念が各国の政府機関や中央銀行に広まっている。我が国でこの概念をいち早く紹介した一上他 (2008) によれば、この概念は「目的に合わせて複数のモデルを使い分けてゆくこと」と解される。

「短期日本経済マクロ計量モデル」は、様々な政策や外的ショックが日本経済に与える影響を分析し、政策評価・策定に資することを目的として、各種のシミュレーション結果をいわゆる乗数の形で公表してきた。適応的期待によるバックワード・ルッキング型のモデルであるという点では、同じケインジアンの場合であってもDSGEタイプのモデルと比較して、学術的なイノベーションが少ないことは否めない。モデルが過去(推計期間)の平均的反応を再現するよう構築されているため、推計期間に事例(経験)のない大きな変化、取分け、政策レジームの変更の効果を適正に評価できないという限界がある点は常に心に留めておく必要があるだろう。

 とは言え、「ルーカス批判」はその理論的意義とは裏腹に、実証的な検出は難しいことが知られており(Ericsson and Irons, 1995)、万人が(少なくとも専門家が)合意できる「定式化に誤りのないDSGE型モデル」の見込みが当面立たない現状を踏まえるなら、レジーム転換には当たらない既存の枠組みの下での政策やランダムに生じる外的ショックの影響の評価における伝統的モデルの有用性はもう少し評価されてよい。加えて、伝統的なマクロ計量モデルには、DSGEモデルやVARモデルに比べ多くの変数が扱い易く、現実の制度をある程度忠実に反映できるという特徴があり、これにより政策を具体的に考慮した評価が可能となっていることも大きなメリットと言えるだろう。

 グレンジャー(2009)は「モデルは意思決定者にとって役に立つものでなければならない」と述べている。アカデミズムからの厳しい批判学会での不人気)にもかかわらず、伝統的なマクロ計量モデルが民間の予測や公的セクターでの政策評価等で活用され続けているのは、それが、先端的なDSGEモデルやVARモデルによる修正・補完を要する場合があるにせよ、利用者の認識形成や意思決定に役立つからに他ならない。DSGE型モデル、VARモデル、伝統的なマクロ計量モデルのそれぞれにおいて、現実経済をより的確に描写する試みを今後も継続し、的確な診断のためにそれらを目的に応じて使い分けるだけの柔軟性が求められている。

 いわゆる「ドマクロ」モデル作成者側の矜持を語った文書としてはなかなか貴重なもののように思われますが、いかがでしょうか。