事務屋稼業

2012-06-09

[][]貧乏人に足りないもの―『貧乏人の経済学貧乏人に足りないもの―『貧乏人の経済学』を含むブックマーク

 バナジー=デュフロ『貧乏人の経済学』はとてもおもしろい本だ。ネットにはすでにすぐれた書評がいくつも出ているし、例によって訳者解説が充実しているので、ここでは個人的に目を引いた箇所を紹介させていただく。

「第9章 起業家たちは気乗り薄」で、著者たちはこう言う。マイクロファイナンスは途上国の貧乏人の生活向上にまちがいなく役立つものだけれど、それを主唱する人々が喧伝するほどには劇的な成果をあげるものではない。マイクロファイナンスは決して貧困撲滅のための「銀の銃弾」ではないという(だからダメだ、と言っているわけではないことに注意)。

 それはなぜか、という謎解き自体もおもしろいのだけれど、ちょっと割愛する。結論部分からポイントのみ引用するので、詳細はぜひ本文にあたっていただきたい。

 貧乏人の事業はしばしば、特定の起業衝動の反映というよりは、もっと通常の雇用機会がないときに、仕事を買うための手段でしかないように見えます。事業の多くの運営理由は、一家のだれかが暇で(あるいは暇と思われていて)、少しでも稼いでくれれば助かるから、というものです。(略)貧乏人による多くの事業は、その起業家精神を証明するものではなく、むしろ彼らの暮らす経済がもっとましなものを提供してくれないというひどい失敗の症状なのかもしれないのです。

 では、「もっとましなもの」とは何か。それは「よい仕事」だと著者たちは述べる。

 世界中の貧乏な人に対するアンケートで、わたしたちは「お子さんたちの将来にどのような希望を持っていますか?」という質問を含めるようにしました。結果は驚くべきものです。どこでこの質問をしても、貧乏人のいちばんありがちな夢というのは、子供に公務員になって欲しいというものなのです。

「失われた20年」を経てきたわれわれにとっては、べつにそれほど驚くべき結果でもないですね――と皮肉なツッコミを入れたくなるが、がまんしよう。ここは「マイクロファイナンス起業家を量産して経済成長ヒャッハー!」的なお話の元になっているイデオロギーに反駁する文脈で読むべきだろう。まあ、その文脈で読んで日本の状況に当てはめてもあまり変わらない気もするが。

 閑話休題

 特に公務員の重視は、安定性への欲求を示唆しています。こうした仕事はあまりやりがいがない場合ですら、きわめて安定していることが多いからです。そして実は雇用の安定性こそが、中流階級と貧乏な人々との大きなちがいのようです。

 公務員云々は本質ではなく、安定した雇用というのが重要、と。インドやメキシコにおいて工場による安定雇用がどれだけ人々の所得を上昇させ生活を一変させたかについて、著者たちは具体的なディテールをまじえて説明している。

 以下、長くなるけれども引用。

所得そのものだけでなく、毎月所得があるという認識から人々が得る、未来に対する支配の力を得た感覚こそが、こうした(注:工場で働く子持ちの)女性に自分と子供のキャリア構築に専念する余裕を与えてくれたのかもしれません。未来があるのだという発想こそが、貧乏な人と中流階級との差なのかもしれません。

 第6章では、世帯行動に対するリスクの影響をいくつか例示しました。貧乏な世帯は、高い所得水準を犠牲にしてまで、リスクを抑える予防措置をとるという例でした。ここでは、別の結果が見られ、その影響はもっと根深いかもしれません。人が長期的な見方をできるようになるためには、安定性の感覚が必要なのかもしれないのです。将来の生活の質が大して改善しないと思っている人は、挑戦をやめてしまうので現状から抜け出せないのだ、ということは考えられます。

 安定した予測可能な所得は、将来の支出コミットできるようにしてくれるし、いま借りるのも容易で安上がりにしてくれます。だから世帯の一人が安定した職につけば、支払いに問題がないことはわかっているので、学校もその一家の子供をもっと受け入れやすくなり、病院ももっと高い治療を実施してくれます、そして一家の他の人々も、自分の事業成長に必要な投資ができるようになるかもしれません。

 だからこそ「よい仕事」は重要なのです。よい仕事とは安定した高給の仕事です。そうした仕事は中流階級がうまくこなせる各種のことを実行するのに必要な、心の余裕を与えてくれます。この発想に、経済学者たちはしばしば抵抗してきました。その根拠はしごくもっともなもので、よい仕事は高価な仕事なのだし、高価な仕事は数が少ないはずだ、というものです。でもよい仕事のおかげで子供たちが才能を最大限に発揮できる環境で育つのであれば、仕事の絶対数を多少犠牲にしても、よい仕事を多目につくる価値はあるかもしれません。