内観体験記 VOL:14

6月7日、内観6日目に突入。突入はちょっと大袈裟かも知れないが、昨日の後半から内観事態が楽しく出来るようになってきた。昨夜、就寝後しばらくして目が覚め、1時間ほど今回の体験など取り留めのない事を考えた。毎日の仕事や家庭での雑事などに追われ、じっくりと物事を考える事がほとんどなかったような気がする。時間は捻出すればいくらでもあったのだが、つい安易な方に流されてしまっていたと言った方が当たっているだろう。この様な機会がなければ、日頃の生活の中ではとても無理かもしれない。
例の如く4時前に起床。昨夜1時間の空白はあったが、10時前に就寝だから1時間のブランクがあったにせよ、都合5時間寝た事になる。肉体労働はゼロに近いから体は疲れないし、玄米食も功を奏してか体調も万全である。洗面、着替えを手早く終え、いつも通り境内を散策する。今日も曇り空ながら雨は落ちていないようだ。昨日は終日雨だった関係か木々の新緑がが目にしみる。梅は今年は成り年なのだろうか、小枝までびっしりと成っている。10数本あるからこの分だと相当の収穫量になるだろう。それにしてもいつもの事だが、ここに来て6日目になるが、私のように境内を散策している内観者をまだ一度も見かけた事がない。こんな清々しい空気に触れられるのに勿体ない気がするが、私が変わり者かも知れない。案外、窓から「今日もまた、あの変わり者が境内をうろついている」と陰口を云われているかも知れない。私は鈍感だから少しも意に介さないが・・・本堂には今日もローソクが揺らいでいる。毎日の献花とお燈明は何時にされるのだろうか?いつも、4時10分過ぎに必ずお参りに来ているが、お燈明が無かった事は一度もない。もしかして、順法先生かも知れない。そうであればあの方らしい。今日は久しぶりに「正信喝」を読経をする事にした。 
 本堂から戻ると4時30分、全員着替え内観の準備をしている。早速、所定の場所に屏風を立て正座して今日の予定表を確認する。これから11時まで内観、11時から12時まで水野先生の講話、12時から昼食、その後午後5時まで内観、5時から6時まで夕食及びお風呂、6時から7時まで内観、7時から8時過ぎまでテープによる内観体験を聞聴、8時30分から9時30分まで内観、9時30分から10時まで後片付け後就寝、以上が本日のスケジュールとなっている。

内観体験記 VOL:15

 さぁ〜、今日のスケジュールに沿っての一日が始まった。午前中は「うどん屋」の兄に付いて内観をする事にする。その前に、現時点での兄弟を簡単に説明しておこう。私には6人の兄弟が有る。正確には有ったと云うべきかもしれない。残念ながら二人の兄を亡くしている。まず、長男、昭和11年生まれ、認知症である施設にお世話になっている。次男、昭和13年生まれ、某大手スーパーで定年を迎え、定年後2年目(享年62歳)に心筋梗塞で他界。長女、昭和14年生まれ、いなべ市に嫁ぎ、現在に至る。三男、昭和15年生まれ、製麺業を営むが、51歳で自ら命を絶つ。四男、昭和19年生まれ、本人。二女、昭和22年生まれ、いなべ市に嫁ぎ、現在に至る。三女、昭和25年生まれ、桑名市に嫁ぎ、現在に至る。以上が現在に於ける兄弟の仔細である。さて、今回の内観対象者、三男であるが、中学卒業と同時に桑名市の某製麺会社に就職する。昨今なら就職なのだが、当時中卒の場合は例外を除けば、「丁稚奉公」である。大村昆で一世を風靡した「番頭さんと丁稚どん」をご記憶の方もあろうかと思うが、まさにその時代である。着る物、食事は面倒を見てもらえるが、給料と称したものは一切なし。お盆と正月の帰省時に「こずかい」を貰うのみ。就業時間は早朝5時からその日の予定仕事が終わるまで、時には10時、11時までの時もあったそうだ。現在では考えられない過酷な労働環境であったらしい。11年の間、そんな環境の中で製麺、販売の技術を学び、26歳で製麺所を起業。「玉うどん、焼きそば麺、ラーメン麺」の製造販売を始める。製麺には「乾麺」と「玉うどん」の二種類がある。乾麺は乾燥させて束状にした物、玉うどんは製麺後、すぐに釜ゆでして袋詰めした物を云う。最近はどちらのお宅でも乾麺はほとんど見かけなくなり、玉うどんが圧倒的に多い。それを考えると先見の目が有ったのだろう。毎日、早朝5時に起床、まず800リッター程の特殊な茹でガマに水を張り、ボイラーで湯を沸かす。その間にうどん、ラーメン、焼きそば、それぞれの生地を作り、それをローラーで伸ばし、専用カッターで切りそろえそれをゆで上げる。ゆで上がったものを袋詰め機で包装して出来上がりとなる。文字で表せば数行の工程だが、それには複雑な技能を要する事は勿論のことである。9時には全商品を車に積み込み、これをうどん屋、スーパー、各小売店、焼きそば屋、工場の厨房など30件のお得意さんに配達。配達が終了が4時ごろ、それから6時まで翌日の準備をして一日が終わる。毎日、これの繰り返しの日々である。