カメ閉眼

わが家の、玄関に棲んでいるカメを庭の池に入れたらどうか。1メートル四方ほどの大きさで、コンクリートの壁が50㎝ほどの高さ。以前そこにカメを入れたら脱走した。でも、水をたっぷり張っておよげるようにしたら逃げないんぢゃないか。先週の日曜日、近所の小学校へ行った時、カメの池を見てそう思った。そんなことを息子に話しながら、家に向かって自転車をこぐ。
着いて玄関を開けると足もとにカメくんがいて軽く甲羅を踏んでしまう。すぐにきびすを返して池に水を張るべく、ホースで放水し始めると、玄関から息子の声、「カメ君の様子が変!」。「?」と思って、行ってみるとさっきと同じ位置で、止まっている。足に触れても動かず、弾力だけでもとの位置に戻るだけ。顔をのぞき込むと、目を深くつむっている。閉眼とはこういうことだ。固く、もはや開かないという厳しい運命が姿にあらわれたように硬く、目が閉ざされている。引っ込められた首周りの肉は早くもひからびるのに向かっているかのようにくぼんで、生気のあるふくらみを喪っている。
ショックだった。息子と長女と妻の号泣が始まる。夕方の空に泣き声が響きわたる。
冬に、冬眠もせず徘徊していた25㎝もある彼を息子が見つけて、大喜びで持ち帰る。冬眠をうながすように家にある最大のたらいに土を入れて置くと、潜って落ち着く。春になって出たり入ったりする。ことに玄関においた縁台のしたの隅っこが好きで、土から出ているときはほぼそこに潜んでいた。時に散歩をさせると元気に素早く歩いたり、枯れ葉のしたにもぐったりしていた。今日は、ぼくらが帰る前、宅配さんが来たとき、久し振りに定位置から出て扉に向かって歩いているのを妻と体調の悪い娘たちが目撃している。その時、扉の際まで来ていたのだろう。今にして思えば、それが最期の歩みで、もしかしたら水を求めての、玄関の扉に阻まれた、歩みだったのではなかろうか。

息子の号泣はしばらく続いた。突然の友の死を、悔しがったり、哀しんだり、寂しがったりの、大の字になったり、うなだれたりの、号泣が、いっとき止まっても、また発作のように繰り返された。彼はいろいろなエサを食べるかどうか試して皿に置いたりしていたが、最近では、直接口にもっていって食べさせるのを愉しんでいた。家庭訪問に来た娘の幼稚園の先生が、息子が餌付けする様子に大ウケしていた。甲羅を縦にして、口に向け煮干しやらレタスやらを差し出す。カメは頭を引っ込めて口を閉ざしているのに無理矢理口に煮干しを突っ込もうとするので、カメの方が仕方ないというように口を開けて食べる。そんな光景。このごろの、庭での虫取はカナヘビやはさみ虫や蜂がターゲットだが、それらをカメに食べさせてみるのがたのしみでもあったようだ。ダンゴムシをよくあげていたらしい。今日、参観日で教室に貼ってあった彼の絵は、かめに噛まれたときの絵だった。ガジマックスとかいう名前をつけたこともあった。

(写真はうちに来た頃のカメくん)
カメの寝床だったたらいに再び土が入れられ、そこに置かれた遺体に妻と娘が庭の野花をたむける。その前でうなだれる息子。乾ききった甲羅が、ぬれている。
カメさん戻らないかな。死んでなきゃいいのに。台所に来てそう言う彼に、思い切るように妻が、戻らないんだよと言う。また、嗚咽がはじまり、ぼくの腰元にしがみついて泣き出す。妻は、川から連れて帰ってきたことに後ろめたさを覚えている。
それにしても、たっぷりの水に泳がせてみようと思ってから着手まで一週間。また、間に合わなかった。