本当の強さを求めて
- 作者: 羽海野チカ
- 出版社/メーカー: 白泉社
- 発売日: 2008/02/22
- メディア: コミック
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- 作者: 羽海野チカ
- 出版社/メーカー: 白泉社
- 発売日: 2011/07/22
- メディア: コミック
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作者: 羽海野チカ
■評価:優
物語:◎ 情報:○ 斬新さ:△ 意外性:△ 含意の深さ:◎ ムーブメント:△ 構成:○ 日本語:○
難易度:やや難 費用対効果:○ タイトル:−
お勧め出来る人 :人生の意義や奥深さについて考察したい人
お勧めできない人:純粋な「将棋」漫画を求めている人
■所感
本作を優れた物語たらしめている大きな要素として、作者が「将棋」という題材を選んだことが挙げられる。
これは本作のテーマを考えると、まさに「妙手」としか例えようのない「一手」であるといってよい。
おそれずに人に頼ることの大切さ
それを語るに於いて、「人に頼ること」から最も遠く離れているとイメージされる「将棋」をもってきた作者の思慮に敬意を表する。
改めて説明するまでもなく、将棋は「1対1」で勝敗を争う競技である。
それ故に、その勝敗の原因は全て、対局者それぞれにのしかかってくる。
チームスポーツであれば、その責任はある程度分散される。
勿論、野球のようなチームスポーツでも「敗戦投手」というレッテルがあるように、「誰」がその勝敗の「主」要因であったか、ということは常に追求される。
だが、それでもまだ言い逃れの余地があるという点で、「将棋」の敗者が背負う「負け」という事実の重さとは天地の差があるといって良い。
「仲間」もいない、「味方」もいない、(少なくとも対局の場)での「応援」もない。
本当の意味での「孤」対「孤」が向き合う場、それが「将棋」である。
だが、本当に棋士は「孤」なのであろうか?
本作が読者に問いかける問いはまさにここにある。
あなたは本当にひとりぼっちなの?
「ライオン」はよく孤高の象徴とされる。
だが、言わずもがな、「ライオン」は「独り」ではない。
ライオンが強く気高く生きていけるのは、そう生きていたいと思わせる存在があるからだ。
強い風にも吹き飛ばされないその心を支えているのは、彼自身の自尊心だけではない。
本作の「ライオン」も、否、「ライオン」であらねばと念じ続けている少年も、また間違った観念に囚われている。
彼が「独り」なのは、彼が「独り」だったからではない。
「独り」であらねば、「独り」でありたい、と強く願ってしまったが故に自らが作り出した状況なのだ。
だから彼は「独り」であるべき(と思い込んでいる)「将棋」という場に於いて、唯一自らが「肯定」されていると思うことが出来るのである。
だが、本作に於いて、彼は己の頭をかち割られるような経験をする。
そこで彼は強大な「ライオン」にはじき飛ばされ、自分より小さな「ライオン」の闘志を見せつけられ、ついに心優しい「ライオン」の気高き姿に頭を垂れる。
そう、対局の場は「1対1」だからといって、「ライオン」が「独り」でなければならない理由などどこにもないのだ。
そのことに気づいたとき、彼はようやく真の「ライオン」への一歩を踏み出すことができた。
本作が優れている点は以上のような深く練り込まれた設定に止まらない。
特徴的な点としては、本作におけるもう1つのテーマとなってくるであろう「価値観」、特に「善悪」という「偏った」ものの見方に対する問いであろう。
既刊までで既に本作の主人公はこの問いに直面している。
この先この問いに対して、主人公がどのように考え、自らのとるべき道を選んでいくのか、それが本作を良作から傑作へと昇華させる鍵となるだろう。
実に楽しみである。
■読了日
2011/08/15
偽りの理
- 作者: 荒川弘
- 出版社/メーカー: スクウェア・エニックス
- 発売日: 2002/01/22
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- 作者: 荒川弘
- 出版社/メーカー: スクウェア・エニックス
- 発売日: 2010/11/22
- メディア: コミック
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作者:荒川弘
■評価:可
物語:△ 情報:− 斬新さ:× 意外性:△ 含意の深さ:△ ムーブメント:△ 構成:○ 日本語:○
難易度:易 費用対効果:△ タイトル:−
お勧め出来る人 :エンターテインメントを求めている人
お勧めできない人:示唆に富んだ物語を求めている人
■所感
結論から述べると、もったいない。
これだけの仕掛けを盛り込んだのだから、もっと含意の深い内容の作品に出来たはずであるのに、そこはなおざりにしてエンターテインメントの方に走ってしまった。
おかげで(良い意味で)こちらの期待を裏切りもせず、王道中の王道を突っ走ってアメリカ式のベタなまとめ方をしてしまった。
(何が「アメリカ式」なのかは『ハリー・ポッター』の(どう考えても無駄でしかあり得ない)最終章を読めば解る)
この作品からは「ガンダム」も「エヴァンゲリオン」も「ハリー・ポッター」も感じられる。
が、そのいずれも使いこなせていない。
広げた風呂敷に見合った中身がみられなかったのは大変残念であるが、これも某雑誌連載作品の宿命なのかもしれない。
(ん?藤原 カムイさんの有名作も確か同じ出版社だったような・・・)
結局この作品のテーマは「人間が人間であることの本質とは何か」という点に集約されるが、消費された(それこそ文字通り消費された)命に対して得られた「気づき」があまりにも小さい。
繰り返しになるが、本作はあくまでエンターテインメントとして読むべきであり、それ以上のことは期待しない方が良い。
と、酷評をしてきたが、純粋なエンターテインメントとして読むのであれば本作は十分にそれに耐えうるだけの要素は備えている (クオリティは決して低くはない)。
そこは完全に割り切りの問題だろう。
それにしても・・・最近のコミックやアニメーションの特徴だろうか。
犠牲とそれが持つ意味との釣り合いがとれていないような気がする。
1人1人の「死」にはそれ相応の重さ・意味がある。
最近はそれがあまりにも軽くなりすぎているように感じる。
その場面で語ろうとしていることは本当にそれだけの犠牲を必要としていることなのであろうか。
疑問を禁じえない。
個人的には、キャラクタデザイン的に「途中で脱落して主人公に花を持たせる役」的な顔をしていたキャラクタが最後まで主線にとどまっていたことが意外だった。
相手さんの人数が多いので員数合わせに・・・とは思いたくはないが、まあ、個人的なツボなので書評とは無関係の話。
しかし、あの顔、あの性格でねぇ。
■読了日
2011/08/16