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2020-02-02 INDEX

INDEX

23:40 | INDEXを含むブックマーク

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1 ー 0

2018-08-15 アダム・ドライヴァー2作

パターソン

19:59 | パターソンを含むブックマーク

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<公式>

ストーリー:パターソン(アダム・ドライヴァー)はパターソン市に住むバスの運転手。毎朝歩いて職場に通い、夕方には帰る。クリエイターになりたい可愛い奥さんとフレンチブルドッグが待っている。パターソンは1冊のノートを大事に持ち歩いている。日々、思い浮かんだ詩を書くのだ。パターソン市は高名な詩人ウィリアム・カーロス・ウィリアムの住んだ街。かれの1週間は淡々と続く....

ニュージャージー州、パターソン市。人口約14万人の中都市だけど、人口密度がすごく高く、2010年センサスで見ると、大都市衛星都市を別にして善兵衞もとい全米なんと3位だ。1位はNY(10,400人/km2)、パターソンは4位のサンフランシスコとほぼ同じ(6700人/km2)だ。ちなみにNYは吹田市の人口密度とほぼ同じ、パターソンは茅ヶ崎市とほぼ同じだ。吹田市マンハッタンの家賃の格差を考えるとめまいがするが、それはそれとして、茅ヶ崎市とほぼ同じならイメージ的には悪くない。

人口密度の高い都市はしばしばダウンタウン移民貧困層が集中する。工業都市でもともと各国の移民がいたパターソンは、メインの産業が衰退すると移民たちの小商いで経済をたもったという。全米でも屈指のイスラム信者の人口比が高い街だ。

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この街、マップで見ると市の中心にPassaic riverという川が流れ、昔、街の産業の動力になったGreat Fallという滝がある。そう、映画に何度も出てくるあの滝だ。保全緑地の山林が中心近くにある。けっこう自然豊かなのかもしれない。でも、たぶん、中心街には高密度の集合住宅やスラムっぽいゾーン、郊外に行けば人口が流出してちょっとゴースト化してる場所だのはふつうにあるだろう。

で、本作はそんな場所はもちろん映さない。郊外風の一軒家から歩いて出勤する主人公は、橋を渡って角を曲がると中心部のバスターミナルに着く。時間ができると足を伸ばすのがグレートフォール公園だ。実際の自宅ロケ地はYonkersというマンハッタンの北の郊外都市。パターソンから40kmくらいだ。

主人公のまわりも社会的緊張の気配はない。バスの乗客たちはいろんな人種はいるもののお行儀がいいし、夜道でちょっとがらの悪い兄ちゃんたちが車から声をかけるけれど、主人公が連れている犬に興味を持っただけで世間話をすると去っていく。アダム・ドライヴァーも微笑むだけだ。『ノクターナルアニマルズ』や『狼の死刑宣告』みたいな災いは起こる気配もないのだ。

わざわざ断るまでもないけど、ジム・ジャームッシュが描いているのはドキュメンタリックなパターソン市じゃなく、いわば『海街ダイアリー』の鎌倉みたいな、理想化された、ややファンタジックな、「すてきな日常」の舞台としての地方都市だ。しっとりと、染み込むような、それほどフォトジェニックじゃない街の景色が主人公を包む。言いかえれば、「そういうふうに見る目をもてば、この街も(この生活も)あんがい上質じゃないか」ということだ。

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本作は、でかい出来事は何も起こらない。でも監督は物語に動きがあるように微妙にフィクショナルに誇張する。画面の中に何組も双子が登場するのは絵的な面白さとして(エキストラの中に双子の少女がいて、監督がひらめいたらしい)、たとえば奥さんだ。表現者になりたい奥さんは、とりあえず日常の舞台をキャンバスにする。オリジナルのお菓子を作って青空市で売り出し、ギターを通販で買って練習を始め、家のカーテンや内装をどんどんデコレートしていく。このペースでデコレートすると、1年で室内の塗られていない部分は無くなるだろう。観客が昨日と変わっているのがわかるように変化の速度を加速しているのだ。

そんな平穏な生活の中で主人公にある喪失が起こる。詩人としての喪失。そこに日本人(永瀬正敏)が現れる。それまで主人公が対話したさまざまな人種の人たちと少し違う。英語で対話するけれどそこには不思議な、でも確固とした異物感があって、どことなくリアリティがない、寓話的な存在に見える。かれは主人公に働きかけるためだけにいる、天使めいた存在だ。なんでもない日常の喪失でも、立ち直るには天使が必要なの? いや言いがかりはやめよう。かれを主人公のもとに遣わしたのは、主人公が敬愛する詩人W.C.ウィリアムなのだ。詩が、詩にまつわる主人公の喪失を乗りこえるきっかけを与えるのだ。

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主人公パターソンを演じるアダム・ドライヴァーは、ひたすらに受け止める演技で、じつにいい。役が決まると1人で教習所に行きバスの免許を取って撮影現場に現れたそうだ。奥さんはやってることはしょうしょうエキセントリックだけど、迷いなく旦那を愛する可愛い妻だ。だから旦那は奥さんの挑戦をすべて受け入れる。そこだけとっても上質だね、日常。

沈黙 Silence

19:59 | 沈黙 Silenceを含むブックマーク

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<公式>

ストーリーは公式で。

まず、原作にすごく忠実な映画化だった。じつをいうと映画のあとに読んでみたんだけど、それぞれのシーンがほぼ違和感なく思い出される。日本人たちの描写と役者は少し違うけれど、違和感はない。重要な人物キチジロー(窪塚洋介)だけが、おそらく原作イメージほど卑しさを強調されていない。むしろ不思議なトリックスター香りさえする。原作のキチジロー自体、場面がどう流転してもあらわれるどこか謎めいた存在なのだ。

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宣教師たちはマカオから密航船で長崎県の田舎に上陸する。ピュアで強固な信仰を持つ信者たちが暮らしている。でもその村はマカオの整然とした街とくらべると何世紀前か分からないぼろぼろの集落だ。宣教師が船で渡った別の集落も似たようなもの。食べものも最低限のものしかない。ぼくはちょっと金枝篇的な、くだけた言い方をすれば「アマゾン密林に文明と無縁の部族がいた‼︎」的視線かと思いかけた。ただ後半にかけて宣教師をとりまく風景も人も急速に洗練されたものに変わり、別種の文化圏だということが雰囲気で伝わるようになる。

こういう描写も原作そのままだった。原作では、序盤は宣教師書簡の形をとっている。描写は西洋人である宣教師視線を借りていて、だから金枝篇的になるのも無理はないのだ。都市が舞台になる後半は作家の客観的視点になり、長崎周辺の街の空気感がところどころで描かれる。

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いわば敵役であるキリスト教弾圧する役人たちは単純な悪役としては描かれない。カトリック教会の価値観と対峙する思想としておかれる。この話は、弾圧に負けて宗教者が信仰を捨てる話じゃないからだ。もちろん役人たちは時には残酷な暴力を駆使して、宣教師棄教を迫る。しかし主人公は思考を麻痺させられるような目には全く会わない。むしろ延々と役人たちとの対話と自問自答とがつづくのだ。監督は、映画的には動きが少ないその部分も省略せずに描く。ラストシーンだけ、少し改変されている。ある種の救いがそっとしのばせてある。

こういってはなんだけど、主人公である2人の宣教師、アンドリュー・ガーフィルドもアダム・ドライヴァーも必要以上に魅力的に描かれない。生硬で一面的に見えてしまう。なんでだろうな、日本人役者も英語で明瞭にしゃべり主人公たちと議論する。そこのリアリティーはわきに置いているわけだよね。とにかく言語的メッセージを正確につたえることをすごく重視している気がした。

2018-07-28 ウェス・アンダーソン2作

犬が島 Isle of Dogs

08:51 | 犬が島 Isle of Dogsを含むブックマーク

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<公式>

ストーリー:日本にあるメガ崎市。市長のコバヤシは蔓延する〈ドッグ病〉の対策として、海をはさんだ島に市内の犬たちを隔離する政策を発表する。島は廃棄物の捨て場だった。捨てられた犬たちは野生化して生き延びる。ある日、1機の小型機が島に不時着する。乗っていた少年アタリはずっと自分に付き添っていたスポッツを救い出しにきたのだ。島にいた犬たちはアタリに付き添うことを決める。一緒にスポッツを探すのだ。一方、市内にいた中学生の新聞部員たちは、犬をめぐる市長の陰謀を暴き出そうとしていた......

うーんびっくりしました…….いや、お話自体は単純だ。悪役はシンプルに悪役で、犬たちは真っすぐで捨てられてもなお飼い主を愛し、知性があり、勇敢でしかも可愛い。そして主人公の少年アタリは、勇敢でヒロイックで子供にしては異常にスキルが高い(飛行機の操縦ができたり筏の設計ができたり)、由緒正しい少年ヒーローモノの主人公だ。大勢に流されて犬たちの迫害に加担してしまった大人と対象的に、中学生たちは真実を伝えようと動き続ける。あるよね、こういう寓話!

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でも「ああ、ありがちだなぁ」となってるヒマはなかった。それより「たまげたなぁ」的感慨がね。なにに? ここまでやりきった監督にです! 人によって感想はもちろん違うだろう。可愛い犬と少年のストップモーションアニメ(長いからSMAと書く)。日本文化の上手い味付け。黒澤の気の利いた引用。ポップアイコン化するウェス・アンダーソン、今回も上手いこと突くじゃないの、と見る人もいるかもしれない。でもぼくは奇妙で悪夢的で美しい、受ける確信がだれも持てそうにないこの世界を、堂々たるスケールで作り上げてきた監督の、制作者としての腕力と大胆さに圧倒されたのだ。

製作には4年がかかっている。SMAはとにかく時間がかかる。1フレーム=1/24秒をすべて静止画で撮り、その度ごとにキャラクターも背景も動くものすべていじるんだからね。しかも映る世界が広い。同じSMAの名作、ぼくの心のランキング上位にいる『メアリー&マックス』は、背景自体はそこまで大規模じゃなかった。いやNYの街を見せるシーンとかもあったか。『アノマリサ』は基本室内劇だ。本作は犬や少年たちが冒険する世界が圧倒的に広い。次々と色々な風景が、建築が、構造物が舞台になる。そのすべてが饒舌でいつまでも見ていたいような説得力があるのだ。

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廃棄物に埋め尽くされた島といえば豊島がある。メガ崎市はどことなく瀬戸内海沿岸に見えた。小島大久野島、文字通りの犬島...瀬戸内海に散らばる近代遺構が横たわる島々。本作の島はあらゆる産業遺構のショーケースだ。工場やプラントだけじゃない、捨てられた観光施設と草原の風景もある。産業遺構自体はドイツでは観光化されているしメジャーになってきてる。廃工場を舞台にするのは低予算映画ではおなじみだ。でも画面からはあきらかに「好き」が滲みだしている。ディティールがにくいのだ。いっぽうメガ崎市の「ファンタジック日本」世界も、日本人監修者の力もあってしっくりくる。

説明的なパートでは絵が使われる。日本画調でありつつ、伝統的な浮世絵狩野派とかの描写じゃない。一番近いのはポップなアプローチの日本画だ。有名なところでいえば束芋だし天明屋尚だし、町田久美だ。山口晃ももちろん思い出す。アニメでいえば『モノノ怪』がそうだった。本作の美術担当は特に名前の出ているアーチストじゃないみたいだけれど、全体のトーンを相当支配する重要な役目だ。ウェスの様式的な画面構成に、様式的な絵や美術がすごくフィットしていた。

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もちろん人びとのデザインも日本人ぽくオリエンタルにデフォルメしてあっても、なかなかいい線だ。悪役かつ重要人物の市長は黒澤『天国と地獄』の三船敏郎だ。もう一方の主人公、犬。表情豊かで愛らしいんだけど、子供向けアニメのように擬人化した顔の表情を使わない。そのかわり見つめかたとか姿勢とか、小走りにちょっと動くところとか、犬ならではの振る舞いで表現させる。犬とつき合いが長い人ならすごくわかるはずだ。人語は喋るけどカートゥーンぽくない。ただ、長毛で耳が垂れている、テリア系っぽい顔が多いんだよね。ほかの犬種ももちろんいる。だけど柴がいない! 日本なのに....じつに細部まで日本に寄せてきているのに 、そこだけ不思議だった。

ムーンライズ・キングダム

08:51 | ムーンライズ・キングダムを含むブックマーク

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これは印象に残らなかったなあ! ウェス・アンダーソン作品はしんみりと残るの(ライフアクアティックロイヤルテネンバウムス、犬が島)とまるでささらなかったの(天才マックス)とあるけれど、本作は完全に後者。

あまりにもざっくり言えば、名声を確立し自由を得たウェスが、手持ちのアイディアと技術と人脈とをほどほどに使ってまとめ上げた感が強いのだ。アイディアはいつもの「あたまはいいけど周囲からどこか浮く少年」とまわりの大人たち、技術はいつもの正面性の強いアイコン的映像、小物で彩る可愛い「自分たちの世界」、人脈はいうまでもなくブルース・ウィルスをゆるーく使い、美神ティルダ・ウィンストンをお堅い福祉係員に、ハーヴェイ・カイテルエドワード・ノートンも記号的芝居のスカウト、あと毎回のビル・マーレイ...といった見て楽しい配役。

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そしてローティーン美少女に昔風のミニワンピを着せて、話が進めばさらに...みたいなサービス。ローティーンたちのピュアな愛を大人が見守る『リトル・ロマンス』型ラブストーリーは、幼い恋愛を大人が見守るという言い訳である種の見世物を楽しんでる部分があるのは否定できないだろう。

話はこの上なく居心地よく(それなりの哀しみとかしんみりはまぶしつつ)寓話的で小綺麗で余計なやつが目に入らない世界の中で完結する。リゾート感あふれる群島が舞台だ。

2018-07-14 さいきんの2本

ブリグズビー・ベア

16:32 | ブリグズビー・ベアを含むブックマーク

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<公式>

ストーリー:沙漠の中の一軒家にすむ青年ジェームス(カイル・ムーニー)の日課は毎週とどくTV番組『ブリグズビー・ベア』を見て、その世界を研究すること。ネット仲間との番組ネタのチャットも楽しい。そんな日常は急に終わる。かれは幼いころに今の家の夫婦にさらわれてずっと隔離した世界で育てられたのだ。再会に感動する実の両親だけど、異世界で育ったジェームスに戸惑いも隠せない。女子校生の妹は嫌悪感まるだしだ。それでも妹につれられてあるパーティーに行くと、趣味のあう高校生スペンサーと出会う。『ブリグズビー・ベア』がない外の世界に連れ出されて、まわりのすべてが異物であるジェームスは、スペンサーの協力で番組の完結編を撮りはじめる…...

映画の中で描かれる映画や映像。それはいつでも物語の過去を映し出す。スクリーンの中でいきいきと動く人たちは、うつろう時間の中で固定された「生」を生きている。

映画は基本的に時間経過が圧縮される表現だ。登場人物たちの時間はどんどん過ぎ去る。その中で見せられる「固定された生」は、よりノスタルジックに映るだろう。物語の中で10年たっても、スクリーンの中の彼や彼女はまえと同じ美しさのままなのだ。『パリ・テキサス』でじつに効果的につかわれた家族の8ミリフィルムの場面。記憶を失った男は、再会した家族の家で昔の自分と自分が愛した女とで海に遊びに行ったシーンを見る。その瞬間思いがよみがえるのだ。

本作の主人公はTVシリーズにどっぷりとはまっている。シリーズは25年くらい前にはじまり、写っていた美少女は、いまではちょっと疲れたお母さんになっている。子供用だったシリーズは、主人公の成長に合わせるように複雑になり、やがて壮大な叙事詩になる。「宇宙的」としか言いようがないスピリチュアルかつ自由(でいてどこかで見たような)な想像力にあふれた世界だ。隔離されて育った主人公のそばにはそのTVシリーズしかなかった。20年以上TVシリーズは寄り添いつづけた。けれどかれは外の世界に「救出」される。外の世界にはTVシリーズはない。画面の中にあった世界は時を止め、完全な過去になってしまった。

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で。ここから物語は「映画をつくることの映画」になる。アマチュアが仲間を集め、自分のイメージだけを頼りに世界をつくっていく。『僕のミライに逆回転』はほとんど古典といっていい愛すべきそんな作品。本作も参照してるんじゃないかな。『桐島、部活やめるってよ』の高校の映画部、『地獄でなぜ悪い』のヤクザ自主映画野郎、それから『ブギーナイツ』でポルノ俳優たちが趣味で作るアクションムービーの独特の味わい。これも本作に映り込んでいる。

世界としてわかる。番組『ブリグズビーベア』の、スピリチュアルかつキッチュな、ようするにトンデモ映像ぶりも狙いとしてはよくわかる。さっきあげた愛すべき作品も、映画の中で作られる映画の間抜けぶりがやっぱり肝なのだ。アイディアをひねり出し(これまで見てきた映画のなにかなんだよね)、セットも衣装もないから、そのへんのものをアレンジして撮影して、CG初心者が幼稚なエフェクトを加えて.....その楽しさをたっぷりと見せる。

ジェームスをさらって育てた両親の文化的な位置も、よくわかる人ならもっと面白いかもしれない。ある時代のヒッピー思想と宇宙観の融合。ホドロフスキーとかにも感じる資質だ。彼らの家は砂漠に大部分埋まっていて地上部はフラードームというガラスのドームだ。思想家エンジニアバックミンスター・フラーが発明した構造で、今のセルフビルドハウスのキットでも使われたりする。育ての両親、いかにもフラー信奉者っぽいのだ。

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そんなわけで愛すべきいい話なんだけど、いまいちカタルシスがなかったなというのが正直な感想だ。物語としてはけっこう陰影があるはずなのだ。だってそうでしょう。さらった赤ちゃんとお母さんとして暮らす『八日目の蝉』みたいな切なさだってほんとはある。圧倒的な異物の主人公をなんとか受け入れて、自分たちの世界によびもどそうとする生みの両親の葛藤はそれなりに描いている。でも育ての両親の側はほとんど描かれていない。お母さんなんか序盤で消えてしまうのだ。そっちがあると立体的な情感になった気がするんだけどなあ。オリジナル『ブリグズビー・ベア』製作の話も少し知りたいじゃないか。

主人公の異物っぷりからすると、はじめての他人との交流でいきなり同志が見つかって、映画製作に向かって走り出すのもやけにスムーズだ。物語は「全員いい人」モノで、両親、ツンデレな妹、妹の同級生の映画マニア、人のいい刑事、それに犯罪者だった育ての両親もみんなイノセントでナイーブな主人公を愛しささえる。

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そのあたりのいろいろがもう少し入ると、エモーションも泣かせ成分も増したと思うんだけど、どうなんだろうね。作り手たちはエモーショナルな要素は比較的薄味にとどめた。『はじまりのうた』みたいな、なにかを失った人がものを作ることによって立ち上がっていく、その喜びにフォーカスしたといえるのかもしれない。

勝手にふるえてろ

16:32 | 勝手にふるえてろを含むブックマーク

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<公式>

ストーリー:24歳の経理事務、ヨシカ(松岡 茉優)には高校時代から片思いの男性がいる。かれはイチ。もう1人、最近同僚に告白される。かれは二。絶滅動物が好きで、妄想癖があるヨシカの恋のゆくえは〜?

これ、名画座に見に行った。公開から半年くらい?最終回で安かったのもあるのか、劇場は8割くらいお客さんで埋まっていた。ぼくが見に行く映画は、ロードショーのシネコンでもわりとがらーんとしてることが多いのだ。チープな思い入れかもしれないが、名画座が繁盛しているのはなんだか嬉しくなる。女性客ももちろん多いけれど、ぼくみたいなおっさんも十分にいて、うしろのやや業界風おじさんは細かいギャグにかなりウケていた。

本作は、主人公ヨシカのセリフも振る舞いもキャラクターも(で、その痛さも)すごくリアルに感じられるか、松岡 茉優さんがすごくキュートに思えるか、だと入って来かたもそうとう違うだろう。結果的にぼくはそのどちらでもなかったから、「ノり切れなくてごめんね」感は少しあった。もちろん「分かるヤツだけ分かればいい」系の映画ではぜんぜんないし、テンポもよくて面白い。まさに名画座で手軽に楽しむ1本だった。ぼくにはね。

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主人公の妄想や、心中を戯画化したファンタジックなシーンや、願望や、そんなのをお話の中の現実とわりとシームレスミックスして見せる表現、いまではごく普通になっている。どのあたりからなのか…..『モテキ』あたりを思い出すんだけど。とにかく描き方としても、昔のドラマみたいに妄想部分は「ホワホワホワ….」と白いもやにつつまれたりは決してしないのだ。

本作もとくに前半はその語り口だ。ふつうの人たちの、心理描写中心になりそうな物語を、いまやこういう手法で描くんだよね。現実シーンとそんなに変わらない撮り方で、いわば主人公の「こうありたい」シーンが挟まれる。途中で客も主人公もわれに返る展開があって、「こうありたい」は「こうである」には決してならないことが突きつけられる。それがある意味クライマックスだし、たねあかしになる作りではあるけれど、作り手は、最初から観客をミスリードしようとしている感じでもない。なんとなく「ああ、ここは妄想というか、白日夢的ななにかだよね」と思える語り口だ。

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なんとなく『パンズラビリンス』を思い出した。現実世界はけっして居心地よくない。むしろ苦しい。だから想像の中の別の世界が必要なんだ….そんなね。途中で何度かはさまれる不思議なシーンがある。職場の女子社員たちが畳敷きの薄暗い部屋でみんなで寝転がっているのだ。どうやら昼休みかなにかの休憩室らしい。こんな感じが現実にどこかにあったんだろうか。女性が、女性に囲まれている一種のやすらぎがそこにはただよっている気がした。

2018-06-30 居心地が悪い世界にひたる

ザ スクエア

13:51 | ザ スクエア を含むブックマーク

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<予告編>

ストーリー:ストックホルムの現代美術館。チーフキュレータークリスチャンは新作インスタレーション『ザ スクエア』の展示のお披露目が近い。ある朝、通勤途中に手の込んだ手口にハメられてスマフォと財布を掏られてしまう。追跡機能で場所を絞りこんだクリスチャンは部下のアイディアに乗せられて、犯人がいるマンションの全戸に脅迫めいたチラシをポスティングする。意外にもそれが功を奏し、盗品は戻ってきた。けれどそこからかれのまわりはトラブルだらけになる。最大のトラブルはプロモーション用にPR会社が仕掛けた炎上必至の動画だった……

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アート界を舞台にしたフィクション、本コラムで言えば『鑑定士と顔のない依頼人』『モネ・ゲーム』、どこまでフィクションかのあいまいさ含めて作家らしい『エグジット スルー ザ ギフトショップ』。『ノクターナル アニマルズ』も本筋じゃないがヒロインがギャラリストで、現代アートマーケットの空気感が漂っていた。

ドキュメンタリーの『ようこそアムステルダム美術館』『オラファー・エリアソン 知覚と視覚 』は、それぞれ展示側と作家側から本作と共通する世界をかいま見せてくれた。物語の作りでいえば近いのが、フェリーニの名作『8 ½』とかトリュフォーアメリカの夜』とか、ディレクターが現場とプライベートとお祭騒ぎめいたトラブルの連打を食らいながら、総体として現場は進んでいく感じの作品だ。

監督はミヒャエル・ハネケが好きだとどこかで読んだ。突き放したシニカル視線はよく似ている。主人公 はデンマーク人が演じる。ピアーズ・ブロスナン風で、絵に描いたようないい男っぷりと絶妙な「こいつ、どこかいい加減そう」オーラを同時に放射している。しゃれたマンションに住み、テスラに乗って、1度インタビューされた外国人記者とベッドに入る。

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作り手が観客に見せたいことはわりとはっきりしている。良識的に振る舞うスウェーデン人社会に同居している、けれどその視界の外に置かれている人びとだ。彼らは移民であり、貧者であり、異端な人であり、理解しがたい人だ。何度も何度もインサートされる物乞いたちのすがた。低所得者エリアに住む人たち、精神のバランスを欠いている人、人々を不安にさせる表現者

彼らとの出会いは居心地が悪い。ひたすらに居心地が悪いシーンが続く。良識的な人々は彼らに露骨な嫌悪感を表すわけにはいかない。脳の病で卑猥な単語を叫び続ける男がトークショーに紛れ込んでも、司会もアーチストもそれを排除せずがまんする。インクルーシブでディヴァースじゃなくちゃいけないのだ。社会は。美術館主催のパーティーの余興。猿になりきって見せるパフォーマーが走り回る。やがて彼は野生を演じてるんじゃなく、本当の野獣のように粗暴に振る舞い始める。でも誰も怒って見せることはできない。少々過激でもアートである以上理解しないといけないのだ(その先にはさらに苦いシーンが続く)。異端ではないけれど、主人公は部下たちのうち移民の2人だけに私的な用事をさせたりもする。

こういう風にひたすらに「上品な人びとの仮面を剥ぐ」エピソードが積み重ねられた末に、主人公は汚れにまみれ、上品さから転落する。追い打ちをかけるように動画炎上事件が起こるのだ。ちなみに作品中のエピソードはだいたい実話だったり実在の作品だったりする。

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居心地が悪いシーンは長回しで撮ったり、しつこく繰り返されたり、あとは音による演出もくり出される。日本や北方ヨーロッパもそうだろうけれど、洗練された人びとは静かであるべきところでは静かだ。声のトーンも慎重に調整される。それはソフトな抑圧でもあって、だからそんななかに異端者の声が響くと、とても落ち着かなくなる。本作ではいろんなタイプの異質な声が明らかに神経を逆なでするノイズとして使われる。

つまりこの居心地の悪さがぼくらが支払うべきコストなんだよ、ということなんだろう。そのコストにうんざりした人びとの バックラッシュが世界中で起きてるいま、皮肉屋の監督は、それでも主人公を少し成長させて終わらせる。同居している以上、完全に無縁ではいられず、どこかで力を借り、貸している。ずっとそれを見ないふりしていることはできないのだ。

ナイトクローラー

13:51 | ナイトクローラーを含むブックマーク

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<公式>

ストーリー:うだつがあがらない青年ルイス(ジェイク・ジレンホール)は交通事故現場を通りかかり、そこに群がる映像ジャーナリストに引きつけられる。エグければエグいほどいい値がつく映像。ルイスは安いビデオカムを買い、警察無線を傍受して自称ジャーナリストになる。下衆なテレビショーのプロデューサーにごりごりと売り込み、カメラをグレードアップし、アシスタントを雇い…..ルイスの武器はそこそこ回る頭と何をしようと倫理感にじゃまされないこと。今夜もアシスタントを隣に乗せて、警察無線を聞きながらルイスは夜のLAを流す….

ジェイク・ジレンホールという人はクリスチャン・ベールとならんで役の振り幅が広い役者だ。『ブロークバックマウンテン』の純朴で可愛い青年。『エンドオブウォッチ』のマッチョで一本気な警官。『ノクターナルアニマルズ』の繊細な文学青年(最初はね)。『サウスポー』のボクサー。かなりがらっと雰囲気を変えてくる。たとえばライアン・ゴズリングはどの役でもわりとライアンが見える。ジェイクはすぐにわかる濃い顔だけど、でも役の人間に見える。

本作はジェイクの振り幅の、ある一方向の極だろう。顔を痩せさせただけじゃなく、完全に人相も違えてきてる。 自分の倫理観に、不要なときは「お休みいただく」ことができるサイコパス要素があり、盗品を中古部品屋に売りつけて暮らしているくせにビジネス書めいたポジティブ言葉が染みついている男だ。

物語的には、少し古い感じはした。どぎついスクープ映像を狙うフリーのジャーナリスト。スキャンダラスな映像によだれを垂らして飛びつき、すれすれのコメントで下衆さを隠しているテレビ局。もちろん今も前線で起こってる世界なんだろう。でも1970年代でもほぼ描けた。1960年代にも筒井康隆が描いていた。

目新しいな、と思うのは のある意味地道な会社立ち上げの物語でもあるところ。被写体にむかう姿勢も取引のやり方も、どう見ても下衆で冷酷なんだけど、1人拾った部下と安く買ったしょぼいカメラから初めて、少しずつ機材が充実して部下も仕事に慣れてくる。この辺りはみょうにきまじめな自営業者なのだ(ま、すぐに脱税とかはじめそうだけど!)。

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旧作メインのレビューです。なぜってDVDでだいたい見てるから。映画のなかの風景や植物・空間についてもふと語る。