Hatena::ブログ(Diary)

善兵衛ヒットチャート このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2020-02-02 INDEX

INDEX

23:40 | INDEXを含むブックマーク

f:id:Jiz-cranephile:20121114105106j:image

あ ー お

か ー こ

さ ー そ

た ー と

な ー の

は ー ほ

ま ー も

や ー よ

ら ー わ

1 ー 0

2018-06-17 たたかう女の子たちの肖像

アイ、トーニャ

20:39 | アイ、トーニャを含むブックマーク

f:id:Jiz-cranephile:20180617195102p:image

<公式>

それにしてもアメリカ映画の実話モノの多さはなんなの? 前からか? 違う気がする。いわゆる「良作」枠(大作やジャンル映画じゃなくインディーアートムービーでもなく…)に、近過去の実在人物をモデルにしたエンタメものがやたらありませんか?当コラムだけでも『アメリカンハッスル』『ウルフオブウォールストリート』『バリー・シール』あたりが、実在人物のキャラの濃さを生かしてエンタメ化してる例だ。もう少しシリアスな例だと『フォックスキャッチャー』みたいなのもある。

時には俳優がメイクや体重増減でそっくりさんになり、物語当時の印象的なポップソングが時代感をもり上げる。面白いんだけどね。上にあげた全部、ムードや作風は違うけれど面白い作品だった。登場人物たちは脚本家がなかなか創造できない突拍子もないエグみや破天荒さがある。展開の意外さだってそうだ。それにアメリカの観客だとネタ元の事件が思い出されるから、二重の面白さもあるだろう。

f:id:Jiz-cranephile:20180617195059p:image

で、トーニャ・ハーディング&ナンシー・ケリガン事件。フィギュアオリンピックアメリカ代表をあらそうライバルの1人が殴打され、もう1人が犯罪に関係ありとなって追放された事件。これはよく覚えてる。だいたい、今2人のフルネームがさらっと出てきてるし。こういっちゃなんだが、単純に楽しめるタイプの事件だ。無理に社会的背景とか時代の精神とか織りまぜる必要もないスキャンダル。そして登場人物の面白さ、濃さは上のどれにも負けない。

ただ本作、「実在人物をモデルにした物語」とは少し違う。もっと「再現ドラマ」に寄っているのだ。ドラマのパートは実際の事件から独立して存在していない。俳優が演じるインタビュー風映像があって、彼らの記憶がドラマで再現される。途中でTVコントみたいに俳優たちがメタ的に観客に向かって直接話す、いわゆる「第4の壁」を超える話法が出てくるから、物語に単純に没入させる作りじゃない。しかも、いまだに食い違う関係者たちの証言に合わせて、ドラマの描写も「いや、これ本当とは限りませんけどね?」とつねに観客にメッセージを発する。上でいうと『ウルフオブ』はややそのメタ感がある。なんだろう、全体にフェイクドキュメンタリードキュメンタリーなのだ。

f:id:Jiz-cranephile:20180617201523p:image

f:id:Jiz-cranephile:20180617195106p:image

役者は全員いい。高校時代を演じる主演マーゴット・ロビン(『ウルフオブ』も助演!)が間違っても高校生に見えないのはともかく、悪すぎてある種格好いい母、駄目すぎる旦那の友達、あとなんとも味わいがある距離感のスケートのコーチ。旦那はそのなかで全く好感が持てない損な役だけど、実物イメージに合わせたキャラなのかも知れない。コーチ以外は全員ホワイトトラッシュクラスタで、才能と努力でどうにか抜け出そうとするトーニャも、サルガッソーの海藻のように下から絡み付いてくる「自分のいるところ」のしがらみからどうやっても抜け出せないのだ。

フィギュアスケートのシーンは、たぶん今までにない撮り方で、フィギュアのスポーツ競技としての面を強烈に感じさせる。カメラは加速していく選手の足元をついていき、エッジが氷を削る音と、選手の息づかいを聴かせる。マーゴットはそうとうスケートのトレーニングを積んで自分でもある程度見せられるくらいになっているそうだけど、たぶんCGで顔を入れ替えたりもしているんじゃないかトリプルアクセル自体はCGだそうだ。女子スケートの歴史でトリプルアクセルを成功させた選手は8人しかいない。代役を頼もうにも代表クラスの現役選手を呼んでこないと実写では撮れないのだ。

スケートシーンへの力の入れ方は、つまりスキャンダルの経緯とかプライベート周辺はウソや誇張が混じりあってるけれど、競技の中の彼女の姿には嘘はないんだということを描きたかったんだろう。よく知られているようにトーニャはスキャンダルに連座してスター選手から転落する。その後は女子ボクシング選手になっていた。女子ボクシングといえば『ミリオンダラーベイビー』だよね…イーストウッド作品の中でも哀しく切実で美しい。あれも貧しい階層のクズな家族が、主人公にとってなんの救いにもなっていない哀しみが充満していた。見ていて思い出した。

ランナウェイズ

20:39 | ランナウェイズを含むブックマーク

f:id:Jiz-cranephile:20180617195218p:image

f:id:Jiz-cranephile:20180617195214p:image

<予告編><Full Movie>

ガールズバンドのはしりランナウェイズ 。1970年代後半に日本で巨大なブームとなり、それに味をしめた日本の興行主たちによって、定期的に不思議な海外ガールズユニットが投入されることになった。Shampoo、Taboo、もっと前だとシンディ・ローパーも最初のころはそんな扱いだった。てかそのくらいしか思いつかないや。 そんなバンドはライブよりTVや雑誌のメディア出演がふえる。だんだんうんざりしてきた彼女たちは、TVでもやらかすようになる。そして伝説の誕生だ。tabooのナマ本番ドタキャン事件。シンディ・ローパー口パクあからさま事件。

ランナウェイズ はたぶんそんな彼女たちのパイオニアだ。1970年代。そのころだと来日するミュージシャンは今よりだいぶエキゾチック体験をしただろう。今みたいに外国人がふつうに遊べる場所がそこら中にあるわけじゃない。しかも熱狂的なファンたち(女の子が多いのだ)がホテルに押し寄せる。そしてTVではなぜかランジェリー姿で熱唱しなくてはいけないのだ。

映画を見るとそもそもランナウェイズ はプロデューサーの企画ものだったことが分かる。まあね。だってそれまでロクにガールズバンドなんてなかったんだから。少女たちが自然発生的にバンドを組もうとはなかなかならない。女の子じゃなくロッカーになりたいジョーン・ジェットをリーダーに、それぞれにロックをやっていた子たちを集めて、 ボーカルには、ふらふらしていた、歌もろくに歌えない、だけどやけにセクシーなシェリーカーリーを持ってきてバンドはスタートする。むさい男の客にけんかを売るようなスタンスで、ライブでは猛烈な罵声あびる。あやしい西海岸プロデューサー役は「なんかタランティーノみたいだな」と思ってたら、マイケル・シャノンだった。『ノクターナルアニマルズ』『シェイプオブウォーター』でおなじみの顔力系役者だ。

f:id:Jiz-cranephile:20180617195210p:image

f:id:Jiz-cranephile:20180617195206p:image

「男のうざい欲望にけんかを売る」ノリで始めたはずが気がつくと東洋の国でランジェリーを着て歌っている。おまけにプロモーション用だといって、シェリーは日本のカメラマン(てか紀信ね)に限界ギリギリショットを撮られてしまう。現代音楽でもないのにバンド内で不協和音が鳴り響きはじめ、けっきょくシェリーはボロボロになって脱退。この映像シェリー脱退後のバンドのライブ。ジョーンが1人でボーカルを取っている。

何年かたって、ちょろっとソロ活動や女優をやったけれどシェリーはショービジネスからは降りていた。ある日ラジオから聞きなれた声が聞こえる。ジョーン・ジェットが新曲プロモーションで喋っていたのだ。その新曲『I love rock’n roll』はやがてロックのクラシックになり、ジョーン・ジェットはだれも文句のつけようがないロックンローラーになる。

2018-06-09 追うな、味わえ

ワンダーストラック

23:58 | ワンダーストラックを含むブックマーク

f:id:Jiz-cranephile:20180609232412p:image

f:id:Jiz-cranephile:20180609232404p:image

<公式>

ストーリー:1977年。父を知らない少年ベン。事故で母をなくし、親戚の家で育てられている。ある晩落雷のショックで耳が聴こえなくなる。「ダディに会いたい…」病院を抜け出したベンは長距離バスでニューヨークにむかう。手がかりは2つ。ある本屋のカードと自然科学博物館のパンフだ。少年は雑踏の中をさまよい続ける。その50年前。同じニューヨークの雑踏に1人の少女が立った。唖のローズだ。ろうあ者としての生き方を押し付ける父に反発して、舞台女優になった別れた母に会いにきたのだ。いろいろあってローズもまた自然科学博物館にきていた…

1927年と1977年。なんでこの2つの時期なんだろう。1927年は現在からみれば90年前、歴史上の時代になりつつあるけれど、50年前ならその辺にも当時の記憶がある人がいくらでもいる。お話上「今」の1977年パートを現在だと思って見ているとそのギャップにんんっとなる。何十年か前を「今」に設定して昔を振り返る話法。そういえば『昭和元禄落語心中』がそうだ。あれも巧みな時間設定だった。物語の中の『昔』が生き生きとしてくるんだよね。「今」をさらに現在からふりかえると、ノスタルジックな切なさがより深まるというのもある。

現在から40年前と90年前、2つの「昔」の描写はすばらしい。前作『キャロル』では1950年代のNYをボルチモアロケでエレガントに再現した監督は、本作ではブルックリンの一角を改造して(もちろんCGでかなり足しているだろう)、過去の街の風景ををちゃんと引いたカメラで見せる。とくに気に入ったのは77年のNY。その時代っぽい派手でぴたぴたした服の人たちが街の風景になる。黒人の多いエリアなのが人々の姿からわかる。映像の質感は粒子が粗く、赤身によった色調だ。

f:id:Jiz-cranephile:20180609232355p:image

本作は「音」が重要なモチーフになる。なんといったって主人公2人が耳が聞こえないんだから。ローズのシーンはサイレントムービー調。彼女の意思は、表情と、たまに見せる筆談と、行動にあらわれる。ローズはとても行動的。彼女が冒険のすえお兄さんに再会するシーンがとてもいい。未知の大都会を1人でさまよう彼女が、ようやくほっとできる場所にたどり着く。ローズ役ミリセント・シモンズはローティーンだけど、若さの魅力というのじゃない雰囲気があって、女優生命がとても長そうだ。ローズのパートは、原作ではテキストのない絵だけのページで表現されていた。

いっぽうベンは最近まで聞こえていたから発話ができる。かれはNYで1人の少年と友達になる。2人の会話シーンは、聞こえないかれだけが喋り、相手が声を出さないという奇妙な逆転が起こる。ベンのシーンの音声は時には音楽がかかり、時には雑踏の音だけが流れる。ベンには聞こえない音だ。それを実感させるためか、雑踏の音はふっと途切れて静かになる。1回見ただけだから記憶違いがありそうだけど、そんな音の使い方をしていた。

f:id:Jiz-cranephile:20180609232358p:image

2人が時を越えてすれ違う自然科学博物館。少年(およびおっさん)の気持ちの揺れを描いた『イカとクジラ』のだいじな舞台でもあった。古く巨大な博物館。そこにはさまざまな野生生物とその環境の模型があり、子供2人が楽に暮らせる場所がひそんでいる。あ、見てないけど『ナイトミュージアム』ってあったね。本作もまさしくナイトミュージアムのわくわくしたシーンがある。そして終盤にかけてこれもブルックリンに実在するのか巨大な展示室いっぱいのNYの模型があらわれる。模型をきっかけにある回想シーンが人形を使ったストップモーションアニメでつづられる。

本。展示模型。街の模型、人形。そんな実物じゃないはずのあれこれがある家族の真実の語り部になる、みたいな映画だった。2人のこどもの冒険。前半は「はじめてのおつかい」的に雑踏のなかのこどもをはらはらしながら見守ることで引っぱる。けれど冒険自体はそんなにスペクタクルなわけじゃなく、博物館に吸い寄せられるためのプロローグだ。博物館という、ある意味時を止めるための施設が、だからこそ時を越えた出会いを可能にする。ワンダーがあるとすれば時の飛躍のほうだった。ラスト近く、1977年にじっさいにあった事件が印象的に使われる。1977年7月13日、ニューヨーク停電だ。

2018-06-03 そうはいってもお金持ち

ハッピーエンド

21:18 | ハッピーエンドを含むブックマーク

f:id:Jiz-cranephile:20180603202553p:image

公式

ストーリー:南仏の街。二人暮らしだった母親が倒れた少女エヴは別れた父親がすむ南仏カレーの家で暮らすことになる。父は再婚し裕福な実家に戻っていた。家には再婚した妻と赤ちゃん、老い祖父、父の姉アンヌは祖父が経営していた建設会社の社長。いちおう会社の幹部であるどら息子、それにアルジェリア系の使用人一家がいる。アンヌは会社で起きた現場の事故処理に頭を抱え、息子はまるで役に立たず、父は不倫していて、祖父は生きる希望を完全に失っている。少女のどこか孤独な日々は続く…

子どもと老人、「おとな」をすっ飛ばして両者が結びつく物語は多い。そもそも世代が暮らす集団では子どもの世話は生産から一歩引いた老人の役目だっただろうし、物語的にも、ある意味社会の周縁部にいて、社会を回す責任に絡めとられていないイメージで描きやすい。それに、医療公衆衛生が普及してない社会では、老人とならんで子どもの死亡率も高かったし、中心部にいる「おとな」たちと較べてどことなく彼岸に近い両者のイメージもある。

本作でも子どもと老人は「死」をめぐってつながるようになる。それは自分の死でもあるし、じつは他者の死でもあるのだ。自分の死。老人はすっかり厭世的になっていて、自殺願望に取りつかれている。なんども計画を立てるが思うようにならない。少女も急に環境が変わって、孤独感・疎外感につつまれる。唯一の肉親の父親も、不倫でべたべたのメールをやりとりしていた。離婚に続いてまた裏切られたエヴは発作的な死への衝動にとらわれる。

f:id:Jiz-cranephile:20180603202550p:image

f:id:Jiz-cranephile:20180603202546p:image

じゃあ他人の死はなんだろう。これは監督の前作『愛、アムール』を見ているかいないかで印象が変わるかもしれない。ぼくは見ていない。『隠された記憶』『白いリボン』は見たけど、2度目のパルムドールを取ったこれは未見。老夫婦の愛とある死の物語だ。で、前作の主人公 を演じたジャン=ルイ・トランティニャンが本作の老人役。前作にあった死の記憶を老人は引き継いでいるのだ。

そして少女。本作の冒頭は彼女らしき人が撮ったスマフォの映像風にはじまる。画面の中ではなにか薬物を飲まされたハムスターがぐったりしている。そして彼女はもうひとつ、薬物を飲ませた件をさらりと告白する。監督が日本のある事件にインスパイアされたというエピソードだ。

2人は死への願望とトライの経験をおたがいに共有し、他者の死にかかわった記憶もそれぞれに持っている。少女は告白しないけれど観客には共犯関係がにおわされるだろう。ほかの登場人物たち、父親とその家族たちのエピソードは、それこそ生きるためのもがきだったり、生きることにくっついてくるどうしようもない部分であったりだ。生きることに必死なほかの家族たちの軋みが一堂に会するのがラストのパーティのシーンだ。

そんなパーティから老人と少女が抜け出すシーンは、まったく希望にあふれたできごとではないけれど、どこか2人が孤独から解放されたみたいに見える。全体に引き気味のカメラで、淡々としたドライな描写だ。

2018-05-23 色と水と

シェイプオブウォーター

00:09 | シェイプオブウォーターを含むブックマーク

f:id:Jiz-cranephile:20180523234725p:image

<公式>

ストーリー:政府の研究所で清掃係として働くイライザ(サリー・ホーキンス )。夕方に起きてバスで出勤、面倒見のいい同僚のゼルダオクタヴィア・スペンサー )にそれとなく助けてもらいながら毎日がおなじように過ぎていく。研究所に南米で捕獲された半魚人が運び込まれる。水槽に繋がれた半魚人をひと目見てイライザは惹きつけられる。ひと目のないときに声をかけ、玉子を与え、プレイヤーを持ち込んでレコードを聴かせる。でも軍から派遣されたストリックランド(マイケル・シャノン)はその生物が兵器として使えるか、解剖する予定だという。半魚人の死が迫ることを知ったサラは助け出せないか、計画を練り始める....

とてもていねいに作り込んだ、「珠玉」ということばがぴったりの一作だった。オチは見えている。ロマンティックなファンタジーならほかに結末はないのだ。だから意外な展開はない。敵役のアメリカソビエト双方の軍組織が入り乱れて主人公たちを追うけれど、スリルもそんなにない。

ロマンティックですから。愛といっても性愛だ。このお話は、怪物的な外見の生物に、女性がその柔らかな肌をまかせる、それをこのうえない美として描くのだ。もちろん、持って生まれた肉体を怪物的とされてしまう男の、愛を得る物語だともいえる。下敷きになっている『大アマゾンの半魚人』の有名なシーンは、半魚人主観で人間の美女を追うのだ。それを本作で成就させるのなら「怪物」側のお話になる。でも、話の視点は完全にイライザのもの 。思いをよせるのも、行動するのも彼女で、半魚人はほぼ「愛の対象」としてそこにいる。人間をおびやかすような知性も欲望も、もちろん邪悪さも見せない。神的でイノセントで、野生の暴力性があり、でありつつ深遠な智を秘めていそうな......宮崎アニメとかにも出てくる神的な動物・怪物にどこか似ている。

f:id:Jiz-cranephile:20180523234722p:image

f:id:Jiz-cranephile:20180523234758p:image

監督は本作には多人種のまじわりの排斥を叫ぶトランプへのメッセージがこもっているという。さらりと壁を越えるヒロインも、いろんな種類のマイノリティたちもお話を彩る。でも異人種との恋愛の話じゃない。あいてはひたすらイノセントで、もっといえば空虚なのだ。だからある意味、アレだ、おおきくいうと『E.T』的ともいえる気がしてきた。途中、ゲイのおじさん(初老)が半魚人の奇跡のちからでハゲ頭に毛が生えるといういやに下世話な話があるが、そのへんもどこか似てるじゃないか。癒しの力。

そんなわけで、男の観客でも、思いを寄せるのはヒロインなんじゃないだろうか。監督はヒロインにどちらかといえば地味なホーキンスを選んで彼女の特権性をなくし、冒頭の、彼女の毎日のルーティ描写で「このお話はロマンティック・ファンタジーだけど性の問題は隠しません」と宣言する。もやっとした性欲を抱え、ぱっとしない日常を送る女にとっても男にとっても彼女はリアルなのだ。

f:id:Jiz-cranephile:20180523234729p:image

たぶん観客は性愛についてもヒロインに思いを寄せる。このテーマは性につきまとう皮膚感覚的な恐怖、人体の損壊をともなう(医療でいう「侵襲的」っていうやつ?)恐怖とわりと密接で、おそらく程度の差はあっても無意識の恐怖は男にも女にもあるんじゃないだろうか。半魚人の体はウロコでおおわれていて尖った爪やヒレもある。序盤で、半魚人は少佐に深い傷を追わせているのだ。肌をまかせるといったって......そこもまた、彼女がさらりと壁を越えてるところだ。

画面は『ヘルボーイ・ゴールデンアーミー』とおなじようにシーンごとにドミナントカラーを決めて、ヒロインの心情の変化をとてもわかりやすく色でしめしたり。美術のすみずみまでキッチュすれすれまでコンセプトが徹底した、ジャン・ジュネテリー・ギリアムウェス・アンダーソンの系統。

Search

Monthly::Archives

ページビュー
396165
プロフィール

Jiz-cranephile

Jiz-cranephile

旧作メインのレビューです。なぜってDVDでだいたい見てるから。映画のなかの風景や植物・空間についてもふと語る。