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善兵衛ヒットチャート このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2020-02-02 INDEX

INDEX

23:40 | INDEXを含むブックマーク

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あ ー お

か ー こ

さ ー そ

た ー と

な ー の

は ー ほ

ま ー も

や ー よ

ら ー わ

1 ー 0

2017-10-09 音楽にあれだけハマれた日々を思い出しながら

ベイビー・ドライバー

23:30 | ベイビー・ドライバーを含むブックマーク

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<公式>

ストーリー:無口な青年ベイビーは街のギャング、ドク(ケヴィン・スペイシー)の強盗チームの1員。犯人たちを逃がすのが専門のドライバーだ。両親をなくして養父と2人暮らしのベイビーはドクに負債を返済するまではこの仕事をやめられない。いきつけのダイナーであった少女デボラに心をよせるベイビーは犯罪から足をあらって出直したいけれど彼の腕がほしいドクは彼を離さない。あたらしい仕事は郵便局の預金強奪。決行の前日、チームのメンバーたちには不穏な空気が漂う…...

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まずは赤いスバルが格好いい! この代のインプレッサは妙なフロントデザインだと思ったけれど、こうやって映るといいね。『チャッピー』でギャングが乗っていた真っ黒なインプレッサも格好よかった。

映画監督ギレルモ・デル・トロは、本作を賞賛するコメントの中で、この映画をfableだといっている。寓話ってことね。同時にrock'n rollだとも。物語はありふれたおとぎ話でもそこにマジックがある。たしかにお話はジュヴナイル的、というより中2男子の夢とさえ言って良さそうな世界だ。主人公の少年は人づきあいが苦手。ケンカだって弱そうで、黒社会どころか学校でもいいポジションになれるタイプじゃない。案の定いじめっ子タイプのギャングに小突かれる。でもクルマに乗って音楽をかければ天才だ。カーアクションは派手で格好いい。『ドライブ』みたいな静と動の入り混じった走りじゃない。ひたすらアクションだ。ヒロインは登場から好意的で音楽オタクの彼とばっちり話が合う娘だ。アワアワする彼にあきれることもがっかりすることもなく、一直線に「あたしついてく」っていう感じになる。主人公は犯罪にコミットしているけど、ドライブするだけで暴力はきらい、じつはやさしい子で、やさしくされた人たちもそれを分かってくれる。ひたすらつごうがいいのだ。

そして終盤のマッチョな盛り上がりではジェームズ・キャメロンばりの「最強の敵、倒したと思ったら....また出た!!」式の『エイリアン2』みたいなくどい展開のあげく、車相撲というべきアホらしい大勝負がはじまる。しぶいクライム・ムービーにある、善悪の境界が...とか、オレの中に巣食うどうしようもない暴力性...とか、ゲーム的な頭脳勝負...とか、そのへんを楽しむ映画じゃない。

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つまり、そこはいいのだ。だいたい車って若い男にとってそういう部分ある。自分の弱さが嫌でたまらない男もグズな男もパワフルな車に乗れば路上のマッチョに、スピードキングになれる。いままでも無数の映画で描かれてきた。ジョン・カーペンターの名作『クリスティーン』はホラーだけどそれがテーマといってもいい。そうなろうとしてなれずムダに吹き上がるのが『ベルフラワー』だ。

『クリスティーン』『ベルフラワー』と違うのは、主人公にとって車はパワーをくれるけど相棒じゃないところ。彼は盗んだ車をどんどん乗り換え、アシが付きそうなのはスクラップにしてしまう。映画の視線もそうで、車そのものに思い入れや〈ホーム感〉は見せず、主人公が逃げ続けるために遠慮なく壊していく。カーアクションのパイオニアブリット』で主人公の乗るムスタングはもう一つの主役だけど、そういう感じじゃない。

これは物語上の必然でもあるし(同じ街で強盗を繰り返してるからね)、車種が変わることでカーアクションの種類が変わる、見せ方上の効果もある。アクションに合わせる曲のトーンも毎回違うわけで、というより順序としてはかけたい曲があってそこからアクションを発想してる場合だってあるかもしれない。本作のなかの音楽はそういう存在だ。映画でいいたいことは劇中の音楽の中にある。アクション以外のシーンの雰囲気もすべてかかる曲とのマッチングで表現されるし、セリフもそこにある曲から引き出されるし、シーンのリズムは曲のリズムだ。

主人公は死んだ母(シンガーだった)の歌をずっと胸に抱いているけれど、聴く曲は無数の(盗んだ)iPodにある無数のヒットチューンで、しかも自分でも日々サンプリングした音で曲を作り続けている。ドライブと同じで、彼が大事なものは一つの固定化したなにかじゃなくアティテュードともいうべきものなのだ。そんな彼が固定的な人とのつながりに向かう、ようやく大人になろうとするところで話はシメになる。

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ガーディアンズ オブ ギャラクシー』『オデッセイ』とカセット+カセット時代の音楽が物語のトーンになる(そしてこれ見よがしに前面に出る…ん?オデッセイは違うか?)作品が続くけれど、この物語は20歳そこそこの若者だから子供時代の思い出のデバイスiPod。それでも自分でつくるオリジナル音源はなぜかカセットに録音して、大事なコレクションになっている。一番大事な音源もカセットだ。そういや『シングストリート』もカセット時代の音楽映画だね。このあたりのマニフェスト的な前面への出方はなんなんだろう? エドガー・ライトの場合はほんとうに自分が音楽を聴きはじめて、はじめて自分で音をコレクションしはじめた時代の手触りを絵にしたかったのかもしれない。

たしかに映画の最後にでてくる家電のSONYのロゴは、アップルマーク以前の感度の高い若者にとって、どこかへのドアの取っ手だったんだろう。

2017-09-03 湯浅政明2本

夜明け告げるルーのうた

20:24 | 夜明け告げるルーのうたを含むブックマーク

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<公式>

ストーリー:古い漁業の町で父と祖父とくらす中学生カイは宅録が趣味。今日も海辺の小屋で演奏していると人魚の少女があらわれる。水をあやつって陸にもあがれるルーは音楽とダンスが大好き。同級生とバンドを組むことになったカイとも友だちになる。でも祖父人魚は恐ろしい、人間を食べてしまうのだという。イベントですばらしいパフォーマンスを見せたルーに急に町の大人たちの注目があつまり、町は人魚をテーマに一大観光振興にのりだした……

まずは、だれでもいうだろうことをやっぱり言わずにはいられない。「ポニョ」。いや、パクっているとは決して言わない。違う話だ。でも「ポニョへのオマージュです」といってもいいんじゃないか、作り手もね。ポニョは人面魚だけど、少年との交流も、西日本の古い漁村を舞台のイメージソースとしているところも、終盤のカタストロフも、すくなくとも同ジャンルといっていいお話だ。たとえば海の精との話という意味では近いはずの『ソングオブザシー』とくらべるとね。いいじゃん、むこうは巨匠の怪作なんだから。こちらはお話的にはだいぶまとまっている。じつはそこが若干は入り込めなかったんだけど、ただしイメージの豊かさはそこなわれていない。

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湯浅監督ははじめて製作するオリジナルの劇場作品に、共同脚本家を呼んで「王道の長編アニメーションを目指した」というとおり、思春期の少年の変化・地方にいる若者の閉塞と「外」・地域おこし的思惑・ファンタジックな異世界との交流…..じつに色んな要素を密度たかく入れこんで、最後はちょっと『カリオストロの城』を思わせる抜けのよさを用意している。「生活描写も入れた」というとおり、描き込んだ伝統的集落の風景や室内の絵とシンプルなキャラクターの日常動作の組み合わせ、というまさに今の日本アニメの王道表現がはいっている。中学生3人が仲良くなっていくやりとりとか、最近ホントに多い田舎のじいさんを格好よく描く感じとか、既視感があるアニメ的表現で、このあたりだけ取るとちょっとぼく(と多分大多数の湯浅ファン)が期待する「らしさ」をおさえちゃっているんじゃないかと思ってしまう。

でもオープニングはすごく気持ちいい。カイがつくった妙にベースラインが格好いい曲がYouTubeで再生されるシーンの、音と映像のシンクロ具合がちょっと他のアニメではなかなか見られないクールさだ。そしてルーが現れるあたり(わりと序盤でね)から監督ならではの「よく動く絵」「とびまわる(仮想の)カメラ」「教科書的リアルからはなれたポップなイメージの氾濫」が全開になりはじめ、見ている快感が増してくるのだ。ぼくが最高にすきなのは中学生とルーが町のイベントで曲をはじめるシーン。ルーのパフォーマンスで町の大人たちの足が自然にうごきだし、全員の群舞シーンになるのだ。動画は目で追い切れないスピードで描かれ、足だけはとらえやすいようにアメリカカートゥーン風のソラマメ型になっている。

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おはなしは、終盤でカタストロフになる。ネタバレにならないようにぎりぎりで書くと、ポニョの終盤とおなじ「町が海に同化する」シーンがあらわれる。ひとつ思うのは、3.11以降でこのシーンを入れるのには内外の抵抗がたぶんあっただろうなということ。ということはそれだけ作り手にとって大事なシーンだったんだろう。それもあって作り手はそこに「暴力」と「死」の匂いがしないようにすごく配慮している。物語は海=異世界が人にとっての脅威や敵じゃなく、もうひとつの生きる場所じゃないかと感じさせる方向にいく。人魚のちからで重力にさからってゼリーのように空中を飛び回る海水はどこか暖かそうで、人を深海に引きずり込むんじゃなく、上空に連れて行く。

全体的な印象だと、一夏の物語にしては、ちょっと要素詰め込みすぎじゃないかという感じ。だってとつぜん廃墟だったテーマパークの大改修プロジェクトが持ち上がって、それが夏の間に完成しちゃってるんだよ。年単位でしょうふつう。あと、話として多数派に開いたものにしようという結果か、後半で人魚は敵じゃないことをちょっと説明的に描写するところがあったり、なんだか全体にもうすこしシンプルに(舞台をしぼりこんで)もっと強い話にできたんじゃないかなあ……って観客はワガママですね。思うに、監督はオリジナル作品で「カルトな作家」感がますます濃くなるのは避けようと思ったのかもしれない。おはなし上は「なんか……あるよなぁ」とは感じたけれどイメージの豊さと独特さには十分圧倒される。表現も物語世界も独特になりすぎるとさすがに辛い、というバランス感覚なのかもね。

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物語のなかで「傘」がモチーフとして何度も出てくる。カイの祖父は海からはなれて傘職人になっている。太陽の光が苦手な人魚のルーは陸にあがるときは傘が離せない。そして終盤のシーンでほそい街路の上空一杯にカラフルな傘が開いている風景になる。ポルトガルのお祭りがモチーフだ。町の風景は京都府伊根尾道あたりの風景、それ以外のいろいろな風景がミックスされている。ぼくは全国の漁村、それも山が迫って平地が少ない(ちょうど物語の舞台みたいな)集落を見るのが大好きで、本作の立体感がある町の景色は「あぁ、そうそう!」といいたくなった。あの島はともかく、ああいうダイナミックな景色の漁村、意外とあるんですよ。

夜は短し歩けよ乙女

20:24 | 夜は短し歩けよ乙女を含むブックマーク

<公式>

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ストーリー:京都の大学生、先輩(星野源)は後輩の黒髪の乙女(花澤香菜)に執着していて、さりげない出会いのために全力を傾注している。春の夜、共通の知人の披露宴が終わると乙女は夜の街に冒険にでる。先斗町で美酒に、下鴨神社古書に、大学のキャンパスで演劇と祝祭に、そして木枯らしがふきすさぶ糺の森の奥へ…..一夜のはずがなぜか季節はめぐり、歩き続ける乙女を先輩はひたすらに追いかけ冒険にまきこまれる……

湯浅政明、当ブログではけっこうよく書いている。劇場用じゃない名作も多いから『ケモノヅメ』『ピンポン』それに劇場公開作『マインドゲーム』、取り上げていないけれどもちろん『四畳半神話体系』はTVアニメのなかで1、2を争う好きさだ。本作は『四畳半』の続編というべきものだし、あの世界が好きな観客の期待をうらぎらないつくりだ。湯浅監督らしい目が回るような動きの快感、むかしの「漫画映画」の表現をわざといれてかもしだすキュートさ、それに様式的な動きと背景の組み合わせで、なんとなく「京都」イメージに合う雰囲気がかもし出され….いっぽうぼくは森見登美彦ファンじゃなかったから「四畳半」も本作も映像のあとに読んでみた派だ。

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シンプルな線(髪や目も様式化されてなくて)でありつつ、身体はあまりデフォルメされていないキャラクターたちも、大人の絵っぽくて見やすい。リアルっぽく深刻に描き込みつつ足がありえない長さだったりすると、どことなく中学生感がただようとこあるでしょう。そんなシンプルなキャラクターたちの個性は動きで見えてくる。ここでも『マインドゲーム』への高野文子の名言「人体は写実に描かないほうが話が良く動く」の原理がいかされているのだ。黒髪の乙女が急にありえないプロポーションになって「詭弁踊り」という奇妙な踊りに参加するシーンがある。シンプルな線とめまぐるしく変わる画風のおかげで、端正な乙女のとつぜんのデフォルメもまったく違和感なくながれていく。

お話はじつに奇妙な舞台、奇妙な人物、奇妙な小道具がちりばめられて、よくもまあこんなイメージの奔流が….と感心するけれど、原作を読んでみていまさらわかったのは、この小説自体がものすごく映像的なディティールに満ちていて、つまり材料はすべて原作のなかにあるのだ。だから監督はこれを絵解きしていけばよくて、あまり補完する必要もない。いやもちろん文章を映像にするんだから作り出しているんだけどね、イメージを。ただ、たぶん他の原作とくらべても映像的要素がぎっしりと詰まってるのはまちがいない。絵柄的にいえば、リアルな風景と完全な想像上イメージの2本建てになってる『夜明け告げるルーのうた』より、場所が特定できる京都のそこここを、様式化されたちょっと現実からずれたイメージに置き換えているこのシリーズのほうが好きだ。

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物語は、春夏秋冬の4編でできている原作を、一晩の物語風にしているから、ますますお話は夢幻的になる。夜は一度も明けないままに桜が咲いていた先斗町から緑が深い下鴨神社へ、そして黄葉したキャンパスを通り抜けて木枯らしの京都市内に舞台が変わっていく。夜の人工的な光の下で、過剰な属性やふるまいをもった人物たちが走馬灯みたいに乙女の前をつぎつぎ通り過ぎる。なんというか、デヴィッド・リンチ的な香りさえかすかに感じてしまう。でも登場人物たちはだれもかわいらしく、恐ろしい事件など起こる気配もなく、ひたすら酒を飲む主人公たちも気持ち悪くなる様子もなく、安心して見ていられるいつもの世界がある。このスタイルは組み合わせの妙だから今後そうそう作られるものじゃないと思うけれど、「四畳半」とあわせて何度も反芻できそうな滋味と凝縮感がある気がする。

それにしても主人公の「先輩」は星野源でありつつ、どうみてもくるり岸田繁だ。

2017-07-08 なるほどこれは話題に

愛の渦

18:22 | 愛の渦を含むブックマーク

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<予告編>

ストーリー:都心のマンションに秘密のスワッピングサークルがある。男性は20000円、女性は1000円を払えば参加できる。今夜の客は男女それぞれ4人。男は如才なさそうなサラリーマン、少しヤンキーが入ったフリーター、太った童貞、うつむきがちなニート、女は気が強そうな保育士、外見だと一番もてそうなOL、常連だというピアスだらけの歳がいった女、それに無口で地味な女子大生。まずはリビングに全員あつまる。タオルを巻いただけの裸だ。重苦しい沈黙から、最初にサラリーマン保育士フリーターとOLが話がつく。カップルは下の階の「ヤリ部屋」に行くのだ。おたがい丸見えの4つのベッドがある。それぞれニーズがない童貞と常連もとりあえずカップルになる。そして残った2人。無口な2人だったけれど、いざSEXがはじまると他の男女はあぜんとした。地味な雰囲気から想像もつかないくらい女子大生ははげしく動き声をはりあげる…...

公開当時はけっこう話題作だったんだろうね。ぜんぜん知らなかったけど。三浦大輔の監督・脚本作品。かれの監督作だと『 ボーイズオンザラン』があったけれど、脚本が三浦、監督大根仁の『恋の渦』が設定といい語り口といい双子みたいな作品だ。20代くらいの男女が都会の一室に集まる。それぞれに男が、女が欲しいと思っている。男にも女にも強いやつ弱いやつがいて、それは同性の間での力関係でもあるし、モテ・非モテの区分けでもある。短い時間のなかでかれらのバランスはめまぐるしく変わる。

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強いやつははじめはにこやかに、温和に振る舞っているけれど、欲望がむき出しになる瞬間キバをむく。弱いやつは強者が占有している残りのスペースで生きようとする。強い側に入っていたつもりが弱い側にひっくり返ることもある。そんな集団の関係のダイナミズムを描ききったところは『恋の渦』が上だ。微妙な力関係の探り合いも、優位に立ったと勘違いしてひっくり返されるやつも、最後のどんでん返しも。本作も同じだ。でも明白な主人公がいる。そして主人公の魅力が映画をひっぱっている。

いうまでもないよね、門脇麦だ。序盤、受付で話しているところはどこからみても冴えないのに、後半はびっくりするくらい妖艶に見える。撮り方をおいといても、ふつうの女優だとこのふり幅はなかなかでないんじゃないか。乱れまくっているところでは体中にオイルだか霧吹きをふいて、ちょっとテカリ過ぎじゃないかくらいの汗みずく風で熱演する。何日も練習したという悦びの声も、あまりそれらしく聞こえないけれど、すごく声は出てる。まわりを支配するような強さじゃないがいつのまにか目を離せなくなるような存在感がある。スワッピングだから、基本だれもが色んな相手と寝るわけだけど、他の男の下でこっちをみる彼女の色っぽさはただごとじゃない。

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男も超インディーズの『恋の渦』とくらべるとメジャーな役者がいる。フリーター役の新井浩文のいつもどおり底知れない感じがいい。デブでもてない童貞役の駒木根隆介(『サイタマノラッパー』)は、そう見えつつもちゃんとした役者のたたずまいで画面がもつタイプだ。それにウェイター役の窪塚洋介。いちサービス係でありつつ、観客といっしょに男女の生態を観察している立場のかれは、ふわふわ頭にだるそうな喋りでイメージ通りだけど、なんだろう、独特の品の良さがあって、超然とした立場にぴったりだ。

物語は序盤、見た通りにフリーター世間慣れしたサラリーマン保育士とOLが強者側になる。4人ともそれなりにSEXとうまい距離を取れるタイプだ。でもなんともいえないところで1人がそこから滑り落ちる。地味な側だったニート女子大生ははるかにSEXにのめりこんで周囲を圧倒し、童貞も健全な童貞なのでこのチャンスにものおじせずに直進する。強い側の男と女は欲望が満たされなくなると攻撃性をむだにむき出しにしはじめる。そんな煮詰まったところにコメディリリーフとしてカップルが途中参加する。記号的なまでにコメディリリーフであり、男は柄本明の息子時生、女性は4等身のまるまる太った金髪だ。柄本時生ははじめて見た気がするけど、若いのに味がありすぎる風貌で、バカップルを完璧に演じきっていた。

物語は『恋の渦』よりある意味さらにミニマルな1室。いや2室かな。舞台とおおきな違いがあって、舞台では上の階にあって起きていることがよく見えなさそうな「ヤリ部屋」をもう一つの場所としてがっつり映しているのだ。映画では下の階になっている。舞台ではSEXシーンはどうしていたんだろう?声は聴かせていたんじゃないかなあ。「その間のこと」をみんなセリフで説明してたらつまらないし。最初と最後は『恋の渦』にはなかった〈部屋の外=街〉のシーンが入る。部屋の中がリアルで外の世界はぼんやりしていた『恋の渦』とちがって本作では外の世界がリアルにある。夜が開けて朝の光が差し込んでくる。部屋の中が一瞬の夢みたいなときなのだ。

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舞台の『愛の渦』

2017-07-02 しみじみとSF

メッセージ

19:20 | メッセージを含むブックマーク

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<公式>

ストーリー愛する娘と湖畔の静かな家ですごす言語学者ルイーズ(エイミー・アダムス)。ある日、大学の研究室に軍人、ウェーバー少佐(フォレスト・ウィテカー)が訪ねてくる。世界の12カ所に突然出現した宇宙船とそこにいる知的生物とのコミュニケーションを支援してくれというのだ。空中に浮遊する巨大な宇宙船には対話のための部屋があった。水槽のようなおおきな窓ごしにルイーズや物理学者のイアン(ジェレミー・レナー)たちは対話を開始する。音声言語だけじゃなく文字言語ももっている知的生物。アメリカ以外にも中国ロシア・日本・パキスタンスーダンなどにもやってきた宇宙船に、各国の研究者は共同で対話をこころみていた。でも一方ではなにかがあれば宇宙船を一斉に攻撃する準備も着々と進んでいた…...

物語の中心的なアイディアと語りの構成は原作そのまま、監督ドゥニ・ヴィルヌーブの忠実な映画化だ。話は娘との思い出からはじまる。そして宇宙からの来訪者との対話を通じて主人公の意識が変わっていく。

でも感触はけっこう違う。原作はじつに思索的な小説だ。コアになるアイディアと哲学的な命題を主人公ルイーズにたくしてそれだけを無駄なく書いた、ほとんどミニマルな短編だ。ほんとうなら全地球が上へ下への大騒ぎになるはずが、その描写も一切ない。感情に訴えてくるとすれば、母親が子ども(この場合は娘)を産み、育っていく彼女との時間に感じることを繊細に描いている部分だ。映画はやはりエンターテイメントとして、エモーションをかき立てなくてはいけないだろう。宇宙船の到来は地球規模の危機になるし、各国政府の駆け引きはあるし、爆発はあるし、主人公の暴走的活躍もちゃんとある。

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とくに大きいのは地球外生命体〈ヘプタポッド〉(7本脚)の存在だ。原作のヘプタポッドはコミュニケーションに協力的で物理学的な対話までこなす。他の研究者とも、映画よりだいぶ踏みこんだ対話もしているふうだ。でもぼくは読んでいてヘプタポッドに思いをはせることはあんまりなかった。かれらは人間が情報を引き出して解読するたんなる対象で、なんなら古代文明書物とあんまり変わらないのだ。ぼくらから見るとその意志とか主体性はほとんど見えない。

映画ではもう少し感情移入の対象になる。外形はそうでもない。原作どおり7本脚で〈人〉的なものを思い起こさせる要素は最低限にしてある。目はわからないし、サイズは巨大だし、服も着ていないから〈知的生物〉感はない。スターシップトゥルーパーズ的な、嫌悪感をかきたてる別の生物に似せてるわけでもない。おまけに霧の中にいつもいてなんだか現実感がない。でも、見ているぼくたちは主人公の「かれらと対話が、理解しあうことができるの?」というところから、だんだんと話が通じる相手になっていくところも描かれるし、ヘプタポッドにはちゃんとした意志も意図もある。だからファースト・コンタクトもの映画らしい、出会いと理解のいい話が感じ取れるようになっているのだ。

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もう一つ、話のコアは主人公の意識の変容をうながすかれらの言語だ。「かれらの言葉は表意文字だ、漢字みたいなね」的なコメントもときどき見るけれど、原作ではそれともはっきり違うといっている。「語順」というのがないのだ。漢字だって、たしかに一文字に情報が凝縮されているけれど、それがシーケンシャルに統合されることで情報が伝わるでしょう。かれらの言語は、ぼくの理解でいえば漢字の単語を並べてその関係性を矢印か何かで図示したダイアグラムみたいなものだ。

原作ではそれは直行するマトリックスっぽいイメージで語られるけれど、映画ではドリップペインティングか書道みたいな飛沫の多い円で示された

しかも宇宙生物が空中に脚から煙を飛ばすとそれがやがて形になるのだ。彼らの字をどう見せるか、ほかにも正解はあるかもしれないけれど、この丸はすごくシンボリックに見えるし、違う文化のものに見えるし、どことなく洗練してみえるし、たしかに成功している。一般人であるぼくたちにはとても秩序だった形態には見えないけれど、細かく文節すると読み取れるのも納得できるあたりのバランスもね。

お話のスリル要素、「世界の危機」「暴走する軍事国家」「撤退のタイムリミットと抵抗する主人公」あたりはまぁ入れざるをえないんだろうね。途中ででてくる時限爆弾はともかく。それでもエンターテイメント映画としては異例なくらいアクション要素は少ないし、抑えめの描写だ。プロデューサー側は「宇宙船の内部も見せてくれ」といったそうだけど監督はそれも止めたという。そのかわりにさっき書いたみたいな地球外生命体の意志はなんなんだ?というなぞの要素を入れてひっぱりにする。

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このお話は時間と因果関係についての考察でもある。ぼくたちが感じるみたいに時間は不可逆で、後におこる出来事は前におこった出来事の結果でしかないのか、そうじゃない世界もじつはあるんじゃないか…..? 原作はそこの説明にわりと力点を置く。映画では説明は簡略にしているかわりに、想像力をもう少しふくらませて、一種のタイム・パラドクス的要素(って言っていいのかな)を付け足して、終盤を盛り上げていく。そして因果のくびきから離れたと感じた時に、ひとはどう生きるのか?というメッセージもつたえる。

映画は音楽とならんで、強力にシーケンシャルな表現メディアだ。ふつうに見ると観客は映画の時間は物語の中の時間と同じようい進むと思うし、後でおこる出来事は前にあったことの結果だと感じがちだ。その無意識の見方をひっくり返すトリッキーな構成の映画といえば『メメント』があった。話が逆に進む『アレックス』も、それから時間構成がちょっとしたオチになる『エターナルサンシャイン』もあった。共通してるのは主人公たちの〈記憶〉が話のキーになるんだよね。本作もまさにそうだ。あたらしい言語の習得によって意識が変容した主人公にとっては、記憶の意味が変わる。一番のおどろきも感動もそこにある。

主演エイミー・アダムスは美しく見せすぎず、そこもじつに抑えめ。パートナーの物理学者役、ジェレミー・レナーも終始温和だ。原作でイメージされる2人より映画の2人が少し年上なのも、このストーリーの味わいをぐっと深めている。ぼくはなぜかテレンス・マリックの哀切な『ツリーオブライフ』を思い出していた。

*画像はUS版予告編からのキャプチャ

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旧作メインのレビューです。なぜってDVDでだいたい見てるから。映画のなかの風景や植物・空間についてもふと語る。