シングルマン


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この映画、第一印象でいうと『ガタカ』にすこし似ているかもしれない。画面から徹底してノイズを取り除いてエレガントなものだけで統一するところや、必要以上にエモーショナルにならない抑制の効いた演出や、「水」や海のシンボリックな使いかたや、画面の色調を意図がはっきりわかるくらいにコントロールして映画全体の「色」をつくっているところも。全体の印象は、『ガタカ』と同じくスタイリッシュで隙がない。主人公が着ているダークスーツや、セットに使っている1960年代のモダンデザインの建築の雰囲気そのままだ。
物語はLAの大学で教えるイギリス出身のジョージ(コリン・ファース)のある特別な1日を追う。1962年、キューバ危機でアメリカ人たちが核による終末という観念におそわれていたころだ。ジョージは同性のパートナーを数ヶ月前に自動車事故でうしない、人生の希望をほとんどなくしている。この日を人生最後の日にしようと決めていた。その抑うつ的な世界は、彩度を落としブルー系を抜いた、どことなく生気のない色味で表現される。神経質なジョージの家は雑然としたところがまったくなく、ジャストサイズの白いシャツは完璧にたたまれて引き出しに並んでいる。大学への通勤に乗っているのは1956-59年のメルセデス・ベンツ220Sクーペ。信じられないくらいエレガントな車だ。
大学でもニヒリズムから抜け出せない教授。でも学生に通じないのを承知ですこし踏み込んだ講義をする。マイノリティを「透明な存在(invisibility)」と表現する。この言葉は映画のちょっとしたキーワードだ。 教室でそんな彼を見つめる学生がケニー(ニコラス・ホルト)。彼がジョージの特別な1日のキーになっていく。その後もジョージはアクティブだ。たぶんいつもは最小限しかしゃべらず、能天気なLAピープルたちになじめなかったであろうイギリス人は、この日にかぎって出会う人みなにいつもより少し踏み込んでみる。たいていの相手はちょっととまどうけれど、その瞬間世界がすこし色づく。監督トム・フォードはわかりやすく画面の彩度をふっとあげて文字通り世界をあざやかに見せる。赤がどぎつく映えて、ちょっと下品なまでに生気にあふれた色味だ。

そして夕食は旧友であり昔の恋人だった女性としんみりとすごす。古い女友達っていいね。家に戻ると現世の未練で思い出のバーに行く。そこは死んだパートナーと初めてあったところだったのだ。ところがそこでさっきの学生、ケニーと会う。ぐうぜんにしてはおかしいけれど、その後二人はだんだんとテンションが上がって・・・
この映画、全体の印象はケニー(=長谷部@ウォルフスブルク顔)が好みかどうかで変わってくるような気がする。なぜ全体が、なのかというと、ようするにヒロイン扱いだからだ。ジョージがストレートだったらと仮定すると、この話は、大学に行くと教え子のかわいい女子大生(ちょっと不思議ちゃん)こっちを見つめてきて、「先生が気になるんです」と近づき、夜にもひょっこり現れて彼の心に入り込んできて、しまいには濡れてしまった服を家で・・・という都合のよすぎる展開になってしまう。村上春樹もびっくりの棚ぼたラブである。

ただ、いくらヒロインといっても、ジョージにとっては死んだパートナー、ジム(マシュー・グード)にはとても比べられない。ジムはすごく魅力的に撮られている。監督にとって一番思い入れがあるキャラクターじゃないかと思うくらい。何度かはさまれる二人の回想シーンでは、ジョージの、というより作り手の愛情があふれている。たとえば二人がそれぞれ本を読みながらちょっとした憎まれ口をたたくシーンがある。性別関係なく、安定した関係の恋人たちのちょっとした日常を描いた、本当にいいシーンだ。
主演コリン・ファースはエレガントさとおっさんぽい味わいをみごとにバランスさせて、ぴったりのおさまりだ。彼のスーツは、サヴィル・ロー テイストのクラシックなスーツ。格好よすぎる自宅はカリフォルニアのモダニストの建築家、ジョン・ラウトナーの1949年の作品。ついでにいうと彼が自殺に使おうとした銃はウェブリー・リボルバーといって、19世紀末から英連邦の軍人に支給されていた、.455インチという超強力拳銃らしい。