インセプション 


<公式>
それなり楽しんで見たけどいまいち感想がわかないなあ。設定は面白いもちろん。夢の世界を操作する技術者、そして「夢の中の夢」みたいに何層にもなっている世界、上のレイヤーの夢でのできごとが下の夢に影響をおよぼす・・・でもなんでここで、リアルワールドとあまり変わらないアクションムービー仕立てにしたんだろう。なるほどこれは夢の中ならではだな!っていえるアクションは、いくつもある中のせいぜい1つの世界くらいなのだ。ここは不思議だろう。
序盤で「夢のアーキテクト」候補生(エレン・ペイジ)にエージェントのコブ(ディカプリオ)が夢の世界を案内して回るシーンがある。アクションよりこっちの方が面白い。イメージするだけでその瞬間世界がダイナミックに変わる。そうだろう、夢の世界のだいごみといったら、つまりこういう想像力の勝負なんじゃないの。だからいかにイメージの源泉を脳内にたくわえているかが決め手になるみたいなね。でもこの映画では、夢の中にいる潜在意識の警備員は、銃を乱射するたんなるミリティア(私兵)みたいな連中で、夢に潜入するがわも銃で反撃してるだけ。カーアクションが多少格好よくても銃撃戦が派手でも雪山スキーアクションがあっても、それ別にここで見なくてもいいよってことになる。まぁ、イメージ合戦みたいになると収集つかないファンタジーになって、というよりそれ『パプリカ』じゃん、になってしまうんだろうけど。

この映画はいちおう物語・情感の芯として『惑星ソラリス』的な夫婦の霊的ともいえる再会・子供との再会をおいているんだけど、そこの部分で意図されている(?)ほどエモーションがかきたてられる気がしない。ディカプリオ大根説もここで浮上しかねないけど、それよりはシーン自体がなんだか型通りすぎるからだろう。『メメント』もそうだった。あれも失った妻へのせつない想いが物語の芯だったはずで(まあそれがねじれていくんだけど)、妻の生前の思い出映像、いかにもセンチメンタルな回想シーンがあるんだけど、型通りで別にしんみりともしない。いちおう<泣かせ>置いときますんでここ、くらいに見えた。
この映画、基本は『メメント』と同じで、設定モノだ。ゲームのルールを決めて、それに乗っかるとこんな感じでみんな真剣に動くよ、という。さっきケチをつけた部分も、この映画では「夢の世界は、その中にいるものにとっては十分に堅固でリアリスティック」という設定があるからともいえる。ともかく海辺の廃墟とか回る廊下とか裏返るパリの街とかイメージは十分にリッチ。そこにほどほどに満足したのはまちがいない。ちなみに後半重要人物になる、プロジェクトのターゲット=若社長役(インセプションされる人ね)のキリアン・マーフィーはなんかカリスマがないなぁと思ってみてたが、この人『麦の穂をゆらす風』の主役の人だった。

冷たい熱帯魚


<予告編>
これ見終わったらなんか本当に調子悪くなった。スプラッタシーンで気持ち悪くなったわけじゃないし、村田(でんでん)に圧倒されて被害者気分になったわけでもない。どっちかというと社本(吹越満)のどん詰まり感に、風景のさむざむしさも含めてなんだかどんよりしてしまった。園子温監督にとって「風景」はつねに寒々しく殺風景だ。家も街も富士山も山奥の小屋も。今まで見た3本ともわりとそんな風景だった気がする。というかそのあたりを美化したりゲタをはかせるのが嫌なのかもしれない。

終盤、意外すぎる逆転がおこり、観客の「ふつうの人視点」を代行して村田を観察する役だったはずの吹越満は『紀子の食卓』の光石研になってしまった。娘に軽侮され憎悪されて自分のもとから去られた無力な父親が、家庭が崩壊しきってから急に超人的に覚醒して暴力的なまでに物語を支配してしまうのだ。抑圧された無力なおっさんに思う存分ブチ切れてほしいという監督の想いがあるんだろうか。そりゃああなればある意味すっきりはするよたしかに。逆にいえばリアルな、ふつうの人状態をキープしたままの逆転劇を監督は描く気はない(もしくはそんな逆転思いつかない)ということでもある。娘(梶原ひかり)は『紀子』の吉高由理子とほとんど同一の存在で、見かけはそこそこ可愛いが性格には一片の可愛げもなく、父には一滴の愛情もない、父たるおっさんからすればほとんど恐怖の対象といってもいい少女像だ。父の逆転は結局「でもなぐれば黙るだろ」ということでしかなく、だからどっちの映画でも父の暴力は勝利じゃなく破滅の前の一瞬のかがやきにすぎない。
とにかくアレのせいで圧倒的な暴力の支配者であったはずの村田の絶対性がうすまってしまった。映画としてのみものはもちろん村田そのものなんだけど、お話としては、村田は社本を覚醒させるための巨大な試練みたいなことになってしまったのだ。監督はそういうことなんだ、家族の物語なんだ、とも言ってるけどね。黒沢あすかは『六月の蛇』以来ひさしぶりにみたけれど、さすがの美毒婦ぶり。