127時間


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ダニー・ボイルの映画、よく考えると『トレインスポッティング』以降見ていなかったんだった。それでもイギリスの監督ではとにかくニュースが多い人なのはたしかで、スラムドッグもそうだし2012年はオリンピックの開会式演出で話題になっていましたね。事前のニュースでは、最初のカントリーサイドの風景だけが取り上げられていて、さすがイギリスはんや、庭園的な風景を自分らのシンボルとして出してくるか…! とうなっていたら、それは単に「近代以前」のシンボルとして出てきていただけだった。日本で言えば田園風景を「原風景」として見せるのと同じだね。途中では医療制度について微妙に触れたりして、一部の人には「よくまあこんなに左翼的なネタをわざわざオリンピックに」みたいにも言われていた。
ストーリー:エンジニアであり登山家でもあるアーロン・ラルストン(ジェームズ・フランコ)は4月25日金曜日にユタ州のキャニオンランズ国立公園に出かける。オフロードトラックにMTBを積んで、翌朝から沙漠地帯をまずは爆走し、30〜40km走ったところで山に入る。2人連れの山ガールに出会い、とっておきの洞窟湖に案内して楽しむ。ひとしきり楽しむとあっさりと別れてブルージョン・キャニオンというところにキャニオニングに入る。ところが狭い谷間を進んでいる時に岩が落ちてきて右手首を挟まれ、身動きが取れなくなってしまう。水も食料もたいして持ってきていないアーロン。自力で岩を動かすのは不可能だし、平日ともなるとここに誰かが来る可能性もほとんどない。だいたい、誰にも行き先を告げていないのだ。このままだとまちがいなく死ぬ。127時間後、決意した彼は…
この映画、実話ベースのすごくシンプルな話。オチは見えてるわけですよ。右腕をあきらめるしかない。というかこれはオチじゃない、プロットだ。僕は実在のアーロンのことは知らなかったけれど、アメリカではもっと有名な「奇跡の帰還者」だろう。多くの観客がプロット自体は知っているはずだ。アーロンは映画化をオファーされたとき、最初はドキュメンタリーにしてほしかったそうだ。でも監督はドラマを作りたかった。結局、監督は原作を尊重してできるだけ事実をまげない映画に仕上げたという。主人公役のジェームズ・フランコは『ミルク』で主人公ハーヴェイ・ミルクの恋人役だった人。
 実在のアーロン・ラルストン
観客は127時間、「その時」が来るまでは彼が岩の間で拘束されたままだとろうということもだいたい想像がついてしまう。事実に即する以上、一方で彼をさがしてダイナミックに動き回る救援隊、みたいな盛り上げを挟むわけにもいかない(あったらチープになってただろうねーっ)。一つのやり方としては観客にこの苦痛に満ちた拘束の時間を疑似体験させる手がある。塚本晋也の『HAZE』はこの感じを極端に純粋化した映画だ。あれは事実というより主人公の幻覚みたいなものだったけれど、絶対的な空間に閉じ込められる苦痛を、それだけを映像にした強烈な映画だった。見ていて胃が痛くなったもの。でもそれだけで長編映画にすることはせず、後半は展開を変えていった。
この映画はもっと長編だし、もっとずっと前向きで健全なエンターティメントだ。だから作りももちろん違う。一つはもちろん脱出劇としての面白さの追求だ。監獄ものにある、脱出のためのいろいろな工夫を丁寧に見せる。主人公は十分スキルのある登山家で、必要最小限の装備も持ってきている。ザイルやナイフを使って不自由な状態でなんとか工夫して脱出をはかる。結局は彼の、自分で自分を生かすあらゆる意味での力が物語の柱になるのだ。
それでも映画の大半を岩の間の彼の映像で引っぱりつづけるのは冒険的すぎる。監督は主人公の主観によりそうかたちで、主人公の回想や妄想や幻覚を適度に挟んでいく。観客にとってはところどころで外の世界を見られて一息つける。親との会話、幼い頃の家族の暖かいシーン、かつてつき合った女の子の出会いと愛しあっているときと隙間が広がっていくときの表情。たった何十時間か前に楽しんだ2人の女の子たちの表情。そんなあれこれが彼を内省的にもさせ、最終的には生きるモチベーションにもなっていくのだ。

もう一つの流れになるのが、彼が死を意識してから撮り始める自分自身のメッセージビデオだ。途中で意味不明なラジオインタビュー調になり(あれは実際にアーロンがやっていたのかなぁ?)、『ナチュラル・ボーン・キラーズ』を思い出してしまい、微妙に古く感じてしまったんだけど、とにかく感情の揺れ動きという部分はカメラに向かって語る彼のことばや憔悴していく表情で読取れるようになる。ここでは観客はモニターを見る彼の主観側にもなるし、カメラのこちらがわの客体側にもなる。
舞台になったユタ州キャニオンランド国立公園はここ。彼がはまったブルージョンキャニオンはこれによるとそんなに難易度が高い渓谷でもないらしい。確かに2人の山ガール以外でも彼が出会う登山客はわりと気楽なハイカー風だった。見るからに乾いた風景でもわかるとおり、このあたりは沙漠気候降水量も少なめ(年間10インチ以下だ)、かつ4月の気候をみると夜間は0度まで下がる。短パンにTシャツじゃ確かに寒いだろう。4月の降水量は20〜30mmというところらしいから、途中で雨のシーンがあったけれど基本的に期待できる場所じゃないんだろう。それでも一旦降ると、水はほとんど吸収されないで渓谷に流れ込み、一瞬にして洪水状態になるのかもしれない。主人公の幻覚風だったけどそんなシーンもあった。
まあアレかな、もっとギミック的な映像技はなくてもよかったかな、この話には、って感じはした。だって舞台も彼がすることもかなり原初的でしょう?もっとストレートというかある意味古臭い撮り方でもよかったようにも思う。MTB疾走シーンをスプリットスクリーンにして景気のいいBGMを被せたりしなくてもいいんだけどな。沙漠ロケのCMじゃないんだし。