松井石根大将「陣中日記」改竄の怪

 
小林よしのりさんが『ゴーマニズム宣言SPECIALパール真論 』というマンガを出版し、その中で、田中正明さんの松井大将日誌改竄問題について解説しているようです。
私はまだ内容を確認していないのですが、それを読んでの影響と思われる発言を少し抜粋してみます。

コチラの「136 【お詫び】掲示板データの破損について」コメント欄における潜水艦さんの発言

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いままで、田中正明氏は藤原彰中島岳志がやったような「改竄、誤読、事実隠蔽」みたいなのをしてたのかと思ってたが、そうではなかったことがよく解った。
南京話でも槍玉にあげられてる田中氏だが、よくいわれる「九百箇所の改竄」って、大半は誤字や旧漢字なんかを直したものだったと解った。
また、板倉氏が指摘したのもそうした個所への淡々としたものだったこと。それを田中氏の著書が目障りだった朝日新聞に、著書そのものの価値がないように報道利用されてしまった経緯がよくわかる。
このあたりを読んでくると、田中氏と板倉氏が主張に違いがあっても関係が良かった理由も理解できる。二人はイデオロギーではなく、学術的に意見交換しあえる関係だったわけだ。
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コチラのコメント欄におけるmihhyさんの発言

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田中氏の「改竄」は、田中氏が松井石根の陣中日誌の全文を出版したことに端を発します。
田中氏の「改竄」を指摘したのは、南京事件研究家の板倉由明氏でした松井石根の日記の原文を見ると、古文書のような走り書きの漢文調、独特の文体であり、素人にはとても読めたものではありませんでした。
田中氏は、これを専門家に任せることをせず、自ら解読したわけですが、板倉氏の指摘によりますと、「両師団の戦況」→「各師団の戦況」、「第六師団」→「第三師団」、「蘇州又は」→「蒋介石ハ」といったように、誤読によるミスと思われるものが多くあります。
もちろん、史料編纂としては問題があることに間違いはありません。また、松井石根が「自分の精神が軍隊に徹底されない」「軍紀・風紀の乱れが回復しない」などと嘆く部分が丸々1ページ欠落していることなどは、重大と言わざるを得ません。
しかし、板倉氏の指摘は「送り仮名、漢文表記まで含めれば、その異同はおよそ900カ所以上」というものであったのですが、その後、900カ所全てを「改竄」とミスリードする話(朝日新聞本田勝一による、田中氏を敵視した記事が発端)が一人歩きすることとなりました。
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んー。私が板倉由明さんの論文を読んでうけた印象とは大幅に違いますねぇ。
朝日新聞の報道も極めてまっとうであったわけですが…・・・。
一体、どんなテキトーな解説がしてあったんでしょう?歴史修正主義者って怖いですねw
 
よしりん大センセイは一次資料にあたれ!と口を酸っぱくして言っていたと思いますんで、
『歴史と人物』1985年冬号に掲載された論文を丸ごとコピってみます。
 
※原文の傍点は太字にしております。

松井石根大将「陣中日記」改竄の怪 板倉由明(「南京事件」研究家)
 
日中戦争研究の第一級史料の活字本は、かくも原史料と異なっている--近現代史研究者への警告
 
  はじめに
「板倉さん、芙蓉書房版の『松井日記』を原本照合したところ、相違点が目立つのです。照合した人は、これまで本誌で『中島第十六師団長日記』や『小松原師団長ノモンハン陣中日誌』の読解をした人ですので、照合の間違いはほとんどないといっていいでしょう。板倉さん、あなたは『偕行』にもお調べになったデータが引かれている南京事件の研究者ですから、一度、見てもらえませんか」
 突然、私は、そういう電話を『歴史と人物』編集部よりいただいた。
 --まさか。
 正直なところ、私はそう思った。それでも私は、見るだけは見てみようと編集部へ向かった。
 編集室の一隅で史料を見せられたときは、息の詰まる感じであった。目の前に並んだ自衛隊の板妻駐屯地資料館蔵の「松井日記原本」(コピーならびにかなりの数の写真版)と、芙蓉書房版・田中正明編『松井石根大将の陣中日誌』第四章収録の「日記」との間には、見過ごすことのできない大きな差異が、それも単純ミスではない明らかに意図的な改竄がいくつも認められたのである。かねてから、いわゆる「南京虐殺事件」の研究にとりくんでいた私は、今まで気づかずに何度も田中氏編の松井日記を使って論評してきただけに、このショックを忘れることができない。
 説明するまでもないと思うが、松井石根大将は日中戦争初期の上海派遣軍司令官、さらに中支那方面軍司令官として上海−南京間の戦線の最高指揮官であった。その陣中日誌は月刊誌『諸君!』昭和五十八年九月号で田中氏が発見を報じて以来、全文の公表が期待されてきたが、本年五月、芙蓉書房から昭和十二年十一月から翌十三年二月迄の発見部分が編者注つきで出版された。ここ数年国内でも激しい論争をよび日中両国の政治問題化している「南京虐殺事件」の時期をふくむ大切な第一次資料であり、改竄などという不祥事があってはならないものなのである。
 私が編集部の話を急には信じられなかったのは理由がある。その直前に田中正明氏から私へ一通の手紙を頂いていたことによる。それは私が雑誌『ゼンボウ』昭和六十年十月号に「畠中論文への反論と『南京問題』の展望」と題する小論を書き、その中で次のように述べたことに対する反論であった。
「(松井日記は)南京事件解明の第一級資料として各方面から非常に期待されたが、意識的かどうか肝心の部分に欠落が多くあまり有効な資料ではない。(中略)戦後の改竄か意識して(不愉快なので)書かなかったのか、いずれにしても『無い』ことがかえって何かを暗示していると考えた方がよさそうである・・・・・・」「以上のように作為的とも見える欠落の多い松井日記の・・・・・・」(指摘個所は省略する)
 このとき私は松井大将が東京裁判の対策上、巣鴨入所前に日記の一部を消したのではないかと疑っていたのである。
 田中氏の手紙は私のこの記事を、聞き捨てならぬ言葉だとし、松井大将は日記を書き変えるような人物ではないと強調した上で、「(お疑いならば板妻で原本の)どうか実物をごらんになって下さい。それとも私が改竄するような小細工をする人間だとお考えでしょうか」との強い抗議文であった。
 ここまで言われれば、私は少なくとも「松井日記」を田中氏が改竄した事実はあるまいと思い、事項の欠落は松井大将自身が始めから書かなかったものかな、と考えた。いずれ板妻へ行って確認しようと思いつつ、まだ行かなかった矢先に編集部から現物を示されたのであった。
 最後まで目を通した私の結論から言おう。発見された「改竄」は、脱落だけならまだしも「書き加え」まであり、しかもそれらすべて「南京虐殺事件否定」の方向で行なわれている。これは明らかに編者・田中氏の意図的行為であると断ぜざるを得ない。
 私は今、「松井大将の陣中日誌」原本(出綾子氏読解・以下日記原本と略称)と田中氏の読解したもの(以下芙蓉版と略称)を照合しつつこの文を書こうとしているが、本論に入る前にいささか蛇足として論じておきたいことが二点ある。
 まず、責任者が書いた「日記」は通常は第一級史料と見なされている。ただしそれは極めて悍の強い名馬であり、上手に御せば千里を走るが、扱いが悪いと騎手を振り落とす。公式の文書記録類がつとめて冷静客観的に記述されるのに対し、公開を予定しない日記では遠慮なしに書き手の感情や主観、あるいは他見をはばかる情報や所見が書きこまれる。この意味で日記は水面下の歴史の動きを捉えるための貴重な史料ではあるが、注意しないと書き手と同じ独断と偏見に陥りやすい。これを防ぐには他の多くの史料との照合が必要だが、一つの事項に対する他者の記述と比較するのも案外有効である。
 人は誰でも印象に残ったもの、それも楽しかったことは記録に残したく、逆に不愉快なこと、印象が薄いことはあまり日記に書かないものである。三木清は哲学者西田幾多郎を訪ねる度に感激し興奮して長い日記を書いているが、西田の方は「三木来」だけだった(『新潮45』昭和六十年七月号・色川武大「俺と彼 同時日記の書き方」)というのは、両人の地位と感情の落差を示すものであろう。
 同じようなことは同一物の経時的変化についても言える。南京事件について、当時の外務省東亜局長石射猪太郎は『外交官の一生』(読売新聞社−大平出版社・初版昭和二十五年)の中で「日本軍の中国人に対する掠奪、強姦、放火、虐殺の情報である」と書いているが、同じ頁に引用された昭和十三年一月六日付の日記は「掠奪、強姦、目もあてられぬ惨状」となっている。前者は東京裁判以後における石射氏の認識であり、日記が書かれた当時は「掠奪、強姦」だけで放火、虐殺は省かれている。松井日記の場合も日記原本と、松井大将が戦犯に問われて昭和二十一年三月巣鴨に入所する前に書いた「支那事変日誌抜萃」(芙蓉版に第三章として収録)との間には明らかに違いがあり、松井大将の心境の変化が窺われる。
 第二に一般に私人の日記は第三者には読みにくい。書いた本人にはもともと他人に見せるつもりがなかった場合が多いし、多忙なときの走り書き、本人だけ判る符丁や省略もあり、古文書の読解と同様に素人には手に負えぬことが多い。田中正明氏もこの方面では素人だと思うが、田中氏には多年松井大将の「側近」だったという前歴から文字癖を見慣れた自信があったためか、読解を専門家に依頼しなかったのであろう。ところが、専門家の手にかかると各頁がまっ黒になるほどの誤読だらけである。初めに述べた「意図的改竄」を除いてもこれでは資料的価値が著しく落ちる。いや、危なくて使えぬ、と言った方が正しい。しかしこれらの誤りを全部指摘していてはきりがない。そこで次のように分類してみた。
 
Aクラス
大きな脱落や書き加えである。脱落にはウッカリ・ミスも有り得るが、芙蓉版の場合はすべて意図的と認められると私は判断した。
 
Bクラス
小さな誤読や脱落だが、全体の状況や解釈に大きな影響(例えば正反対になる)を与えるもの。
 
Cクラス
厳密な意味では間違いだが、全体への影響はほとんど無いと言っても良いもの。芙蓉版では読み違い、送り仮名のミス等が多い。また原文の、不少・可成・可然などの漢文調をそれぞれ、少からず・成るべく・然るべくなどと表記していることも多い。これらは冒頭に校訂上のルールとして断り書きすべきであったと思う。
 
 以上のうち、ここではA、Bの両クラスの一部だけをとりあげることにした。
 この、Cの送り仮名、漢文表記まで含めれば、その異同はおよそ九百ヵ所以上に及んでいる。
 なお、芙蓉版からの引用に際しては、例えば八十一頁七行目(空行を数えず)を【八一・七】と記すことにし、日記原本からの引用は[ ]内に日記原本どおちカタカナ混り文で表示した。また、引用文中の傍点は、すべて筆者の付したもので、相違点を分かりやすくした。*1
 

*1:傍点は表示できないので該当部分は太字にします

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