『用心棒』

「まちえい」で観る。「まちえい」は12月15日で閉館する。
『用心棒』は黒澤の代表的な作品だが、あまり好きじゃない。というか良く分からない映画だ。2大陣営に牛耳られた宿場町。そのすがたはゴーストタウンというより、無機的な何かSF的ななにかの装置のように見える。見た目は誰もいない。しかし戸や窓をいきなり開けてみると、夥しい人間が詰まっていることが分かる。どうも気色が悪い。いったい彼らが何を食っているのか、どこで排泄しているのか、まったく想像できない。東野英次郎の飯屋の商品もどこで仕入れているのか、想像がつかない。
そこまではいいのだが、この二つのヤクザ陣営がどういう個性の人たちなのか、判別としない。どんな悪いことをやっているのか、どのような違いがあってお互いいがみ合っているのか、わからない。二つのヤクザ組織があって、民衆はこわがって外に出ない。だから通りには常に誰もいない。というのは分かるのだが、これじゃなにがなんだか分からないよなあ。OPで歩く背中のシーンから魅力たっぷりな三船敏郎だが、彼がお互いにつぶし合わせる!と豪語しても、相手がどんな連中か判別としないから、なんかどうでもいいや、という気がする。一応,
仲代がいる組と、山田五十鈴がいる組だっけ。
当初の三船の目論見も正義の味方か、悪人なのか、判然としない。むしろ最初の方は露骨に金儲け、といっといた方がいいのではないか。結局、ある夫婦を逃がすことにして、そのことが仲代らにばれてリンチにかけられる。ここで良い人だと分かるわけだから、最初ははっきり悪人と認定させといた方が意外性があるだろう。このリンチにかけられて重症を負う、というのも気に入らず、ヒーローがそれでいいのかと思ってしまう。棺桶からヤクザ同士が殺しあうのを覗き見る、というのはいい趣味だが、どうも知的な戦略という感じがしない。で、このあとなだれを打ったように結末を迎える。それはいいのだが、何度も言うが敵が一人また一人と潰しあう、だんだん数が減ってきて、最後に三船が引導渡すという方針はあんまり成功していないように見える。むしろリメイクした作品(『荒野の用心棒』とか『ミラーズクロッシング』)の方がうまく行ってるのではないか?仲代の異常性も中途半端で最後のあがきもなんかどうでもいいやと思っていしまった。
黒澤マジックとしてすごいと思ったのは最後、東野の縄を刀で切るところをワンカットで撮った上にそのまま「終」まで繋げてしまうところだが、あとでどういうトリックを使ってるのだろうと思わせる。無論凡人だったら数カットに分けて撮るだろう。